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鍼灸

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

 本項では鍼灸治療に関して、その科学的研究の姿勢、手法、論文発表などを総合的に考慮し、それを評価する。鍼灸とは、身体に鍼や灸を用いて刺激を与えることにより様々な疾患に対して治療効果を与える医療技術のことを指している。
 本項での総評では、医療技術という観点に立った臨床現場でのエビデンス、鍼灸の技術面における科学研究の信頼性を重視する立場をとっている。また、本研究は鍼灸治療における個別疾患への有効性を議論の主戦場とはせず、鍼灸治療分野全体における科学研究について評定するものとする。よって本研究における各評定項目における評価が個別疾患における有効性をそのまま保証しているわけではない。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 (中)

 鍼灸治療における論理体系は古代中国の春秋時代、あるいは戦国時代にその初期の体裁が整えられたと考えられている。それによると、人体には経絡という人間の生命力が流れる道が存在しその道の流れが何らかの形で妨げられると健康状態でなくなる、つまり病的状態になるといわれている。そこで、鍼や灸を使い経絡上にある各症状への適切な経穴(ツボ)を刺激すれば経絡における生命力の流れが取り戻せ、症状が恢復する、というのが鍼灸における初期の理論である。現代の鍼灸医学においても大筋ではこの論理を踏襲している。
 このような理論においては、人体に経絡というものを想定し、さらに各々のツボがどのような症状に対して有効なのかを仮説検証しなければ論理的とはいえない。しかし、どのツボがどの症状に効果があるといった論理は歴史的逸話に基づいた経験的な主張でしか語られておらず、そのような意味においては鍼灸の論理性は低いと言わざるを得ない。
 ただし、現代の鍼灸医学では神経科学的な知見も取り入れており、例えば鍼灸の脊椎後角鎮痛作用におけるゲートコントロール仮説といった有力な新しい説も提唱されている。このように、トップダウン的な論理構築だけでなく、実証主義に基づいた論理体系の構成も現代鍼灸研究には見受けられる。
 鍼灸の臨床現場においては経絡やツボといった考え方がまだ主流である、という社会的な現状については一言を付さなければならないが、基礎研究領域では合理的な論理体系が形成されつつあるという評価ができると考える。よって、論理性は中程度と評定する。

理論の体系性 (中)

 論理性項目でも述べたが、鍼灸では経絡と経穴(ツボ)といったものを想定しており、これは現代の解剖学的知見とは相いれない主張となっている。そのため、経絡やツボという概念が新たに現代科学で認められない限り体系性は高くならない。しかし、現代の鍼灸研究では神経科学的知見も積極的に取り入れており、そのような面から論理が構築できれば現代科学との整合性もとれ、体系性も高評価となる。現状ではまだ体系性が十分でないため、ここでの評価は中程度とする。

理論の普遍性 (中)

 客観性項目でも少々述べたが、鍼灸治療においては個人による効果サイズのばらつきが非常に大きい。そのため、厳密な研究体制が整っていても「誰」の「どのような疾患」まで鍼灸の有効性を示すことができるかを一般化するのは困難であるといえる。このことは、WHO、「コクラン共同計画」、医学誌論文、鍼灸学誌論文、他の学術論文において特定疾患への有効性やその効果サイズが異なっていることからもわかると考える。現在までのところ、どの研究における鍼灸の有効性が最も妥当で信頼性が高いかについては各方面で議論が続いておりまだ決着していない。そのため、本研究における普遍性評価も、どの研究を支持する立場をとるかによって変動しうるため暫定的なものにならざるを得ない。
 つまり、鍼灸治療全体の理論としては普遍的なものではないものの、ごく一般的な病態に対して有効性があり、そのような意味においては普遍性があると評価できる。以上の立場から普遍性を中程度であると評する。各研究を包括し、効果サイズ、疾患、患者を特定した発表を今後期待したい。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 (高)

 鍼灸治療におけるデータの再現性は、その評価が非常に困難であるということをまず前提として述べる。それは、鍼灸治療における「特定」疾患への有効性を、データの再現性という観点からはとらえにくいと考えるからだ。鍼灸治療においては、その有効性の効果サイズが個人によって大きくばらつくということが原因であると考える。例えば、大筋では鍼灸治療に懐疑的な立場をとっている「コクラン共同計画」においても腰痛、頭痛には多少前向きな報告がなされている。しかし、それとWHOや鍼灸学界、さらに言えば臨床現場で報告されている有効性では効果サイズがそれぞれ異なっており、データの再現性という意味において個別疾患への有効性に焦点をあてた場合、現状では評価が困難であるということがわかる。
 ただし、鍼灸治療全体を俯瞰した場合、研究報告の発表バイアスを考慮してもその有効性にはデータによる裏付けが繰り返しなされている。つまり、鍼灸治療研究全体においてはデータの再現性が十分であるといえ、論文発表なども極めて充実しているといえる。本項冒頭で述べたように、本研究においては個別疾患における有効性を評価の基準とはしないという立場をとっている。そのため、鍼灸治療研究全体におけるデータの再現性は高いと評価する。

データの客観性 (高)

 上でも述べたが、例えば「全日本鍼灸学会」や「WFAS」に論文投稿する場合、利益相反の有無の記載が義務付けられており、鍼灸研究において、権威による断定や市場利益を優先した研究は排除される仕組みとなっている。
 また無作為化対照実験の有無についても近年の研究報告は主観的効果を認めない実験デザインをしており、研究環境としても問題は見当たらない。これはWHOによる鍼灸治療のガイドライン声明や、そこでの無作為化対照実験の研究対象をさらに厳しく厳密化した「コクラン共同計画」において確認することができる。WHOにおける声明ではかなり広範囲において鍼灸治療の有効性を認めており、より厳しく分析している「コクラン共同計画」においても頭痛、腰痛、化学療法を原因とする吐き気、首の疾患、夜尿症には多少肯定的である立場をとっている。よって、本研究におけるデータの客観性も高いと評価し、すなわち現代の鍼灸研究は極めて客観的だと位置づけられる。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 (中)

 現在、鍼灸治療の効果に合致した形での研究や実験が主流であり、実際にそれに沿ったデータが収集されている。また、そういった厳密性を鍼灸界ではむしろ求めており、理論面を充実させる体制もできつつある。
 ただし、臨床現場(すべてではないが)においては、そのような認識とはまだ少し距離があるのが実態であり、治療効果について患者の主観に依るものも多い。

理論によるデータ予測性 (中)

 鍼灸における研究は他の医療分野と比べても遜色のないほど盛んに行われており、その方法論や研究体制にも特に問題点は見当たらない。鍼灸理論の普遍性における課題は残っているものの、鍼灸に何らかの鎮痛作用があるということには現状疑いの余地はない。  
 ただし、「夜尿症」といった鎮痛作用のみでは説明のつかない症状に対しても鍼灸研究では有効性を示すデータが報告されているため、「データの再現性」といった面からは認められるものの、そのような有効性に「理論」が追いついていない状況となっている。今後は理論面での整備が必要となってくるだろう。
 以上のような理由により、鍼灸治療のデータ予測性も中程度と評価する。

社会的観点

社会での公共性 (高)

 鍼灸では臨床現場での成果だけでなく、研究を社会的に発表、還元する制度も世界的に整っている。日本を例に挙げると、「全日本鍼灸学会」「日本鍼灸師会」といった学会が積極的に活動しており、研究論文などの発表なども定期的に行われている。他では、ドイツにおいても鍼灸が一部正統医療として“定義”されていたりと、社会的、公共的な仕組みとなっていることがうかがえる。
 世界的には「WFAS (The World Federation of Acupuncture-Moxibustion Societies)」が中心的組織として活動しており、各国の研究機関での成果がそこに集合している。また、「全日本鍼灸学会」「WFAS」では論文投稿時における査読、利益相反関係の有無、といったことを細かく規定しており、制度上の問題も特に見当たらない。さらに、BMJ(British Medical Journal)など本流医学誌での質の高い鍼灸研究論文発表もみられ、医学会との親和性も高いと判断できる。よって、社会での公共性は高評価である。

議論の歴史性 (高)

 鍼灸の起源については論理性の項目で少し触れたが、現代日本における鍼灸については明治時代以降、特にその議論が活発になる。
 明治政府による医療制度の西洋化によって鍼灸医療(漢方なども)は衰退の道をたどる危険性があった。そこで、従来の古典的なツボ治療から、一定のシステムをもった治療体制が構築される必要があった。そのような動きの中で、たとえば1952年以降の「経絡論争」といった運動や、経絡を客観的に実証しようとする研究と、経絡以外に鍼灸医学の基礎を確立しようとする研究などが盛んになり、一つの医療システムとして、客観性を重視した議論が形成されていった。
 また、1960年頃になると、臨床現場における鍼灸治療の方法論として現代医学的な病態を明確にして、病態に応じた治療を選択するといった提案がされるなど、現代医学の知見を取り入れたり、それと連携する動きも活発になっていった。他にも、治療効果における統計的観察を重視するべきであるといった立場が生じたりと、活発な議論が行われてきたことが推察される。 こうした経緯から鍼灸医学システムは大きく、古典派と現代派にわかれることとなるが、両者が全く決別しているわけでもなく、疾患や症例に応じて併用もされている。
 また、現代の鍼灸研究においても、一方通行ではない多面的な議論が展開されている。
 たとえば、WHO(世界保健機関)では鍼灸治療におけるガイドラインを設定し、それによると神経系疾患、運動器系疾患、消化器系疾患、といった多くの疾患に有効であるとの声明を発表している。
 しかし、このWHOの発表については反論も存在する。その代表的な例が「コクラン共同計画」であり、そこではWHOによって有効性があるとして発表した多くの疾患についてプラセボ効果以上のものはないと判断し、一部の限定的な症状についてのみその効果を多少肯定的だとしている。
 また、この「コクラン共同計画」にも多方面から反証論文が提出されており、たとえばBMJで発表されたもの(関連リンク参照)では「コクラン共同計画」で分析されたデータをさらにメタ分析し、鍼灸には効果サイズは小さいものの、プラセボ効果や何らかのバイアスでは合理的な説明のつかない鎮痛効果があるとした研究も報告されている。鍼灸界からも多数反論が寄せられており、それらの研究においてもオープンな場で議論できる土壌が整っている。 つまり、肯定的な研究発表と否定的な研究発表が互いに議論し合っている状態にあるといえる。
 このように、鍼灸については多角的で多面的な議論が展開されており、鍼灸研究においてもそれらを受け入れる、あるいは反論するといったが動きが活発である。
 以上より、議論の歴史性は高いと評価できる。

社会への応用性 (高)

 現在、鍼灸は世界的にも医療として広まっており、さらに社会制度面での設備が整っている国も多い。日本を例に挙げてみると、日本では「はり師」や「きゅう師」、もしくは医師の資格を持っていない者には鍼灸治療を行うことを認めていない。「はり師」や「きゅう師」は国家資格であり、これを取るには専門機関で教育を受けなければならない。
 また、医師による同意書が必要であるが、鍼灸治療において医療保険が適用できる場合もある。日本における鍼灸治療の医療保険適用疾患は「神経痛」、「リウマチ」、「腰痛症」、「五十肩」、「頚腕症候群」、「頚椎捻挫後遺症」、その他の類似する疾患において有効である。このようなことから、例えば日本での社会への応用性は高いと評価できる。
 また、世界的な制度や設備についても同様の評価ができる。例えば、医療衛生面や医療機器面において、FDA(アメリカ食品医薬品局)やWHOによって鍼灸に使われる「鍼」や「灸」の衛生面や安全性について細かく規定している。これは通常医療における衛生面や安全性のガイドラインと比べても同程度の厳しい基準である。
 以上のようなことから、鍼灸治療は社会的にも応用性があり、さらにそのための枠組みも整っていると考える。よって社会への応用性は高評価とする。

総評

発展途上の科学

 鍼灸治療を疑似科学とする根拠はなく、また社会的な実用性という観点からも科学として評価されるべき項目であるといえる。
 代替医療の研究分野では、主に懐疑論者が中心となって、「その医療行為」においてのみで有効性を評価しようとする動きがみられる。しかし、医療行為においては他の自然科学分野とは異なり通常医療も含めすべての医療行為を相対的に評価し、その効果を検証しなければならない。それは、医療とは人体の科学であること、現代の通常医療は「万能」ではないこと、そして「健康状態」を定義する基準は何であるかということ、を常に前提として考慮すべきだということを意味している。
 鍼灸治療において、その研究方法、社会への還元、法的制度は現代科学的研究の基準に達していると判断でき、他の科学研究領域と比較しても遜色のない水準であると思われる。
 以上を踏まえ、本研究において鍼灸治療は「科学」と評価できる。だが、経絡やツボを主体にした理論については、今後現代化が求められることだろう。

参考文献:

『図解 鍼灸臨床手技マニュアル』 尾崎昭弘
『エビデンスに基づく腰痛症の鍼灸医学』 全日本鍼灸学会
『臨床鍼灸学を招く―科学化への道標―』 西條一止
『臨床 鍼灸治療学』 西條一止
『代替医療のトリック』 サイモン・シン
季刊『理科の探求』左巻健男 2015春号 特集 ニセ科学を斬る!リターンズ p50-109(p80-85)
『新しい鍼灸診療』 北出利勝/編
『代替医療&統合医療 イエローページ』 上馬場和夫
『鍼灸の歴史』 小曽戸洋 天野陽介
『ハリソン内科学 第4版』 福井次矢、黒川清/監修

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

(最終更新日時2015年8月22日)

投稿

投稿&回答

科学というものは、条件が同じであれば、誰が行っても同じ結果が得られるようでなければならない。残念ながら、鍼や灸では同じ結果を得ることはできない。それは、「気」という現象が存在しないということではありません。「気」は存在するのであるが、手技療法であるために結果が不安定であり、治癒させることが困難なのです。
一定の結果が得られるようにするためには、鍼や灸に替わる手技ではない治療法を選択すればよい。客観的に認められるためには、鍼や灸という治療法を棄てることです。
専門家ではない、素人が行っても同じように完治させることができるならば、それは科学といえるはずです。鍼や灸にこだわっているようでは科学になることは不可能だろう。
(投稿者:78ppm,投稿日時:2016/09/23 00:08:56)

ご投稿ありがとうございます。 (回答日時:2016/09/23 13:06:40)


偽針であれ、爪楊枝であれ、体表に触れていますから、人体に『なんらかの』反応は生じていると思われます。しかし資格者としては、現行の針と爪楊枝とを同じ反応であると公で述べる者はいないでしょう。針の効果について検証した研究で、そのように述べてしまう者がいたとすれば、針に関して研究をする資格がないと思います。爪楊枝でなく針であることの意義に対して、そこを私らはどう〈持ち堪えるか〉が重要でしょう。爪楊枝にも針と類似した現象が起こる可能性があることを検証しても、研究目的の本質とは何ら関係がない。(弱点の担保ではなく、持ち堪えるという言葉が重要です)
〈担保する〉ためのツールとして科学研究という箱モノ(フレーム枠)を用意し〈これまで誰も知らなかったであろう専門領域内の事実〉のみをそこに持ち入れて、ふるいにかけ、実証的に述べ示したところで、自らの科学性を決して〈持ち堪え〉られません。
問題は科学性というのは、決して医師や医学博士の先導所有物でなく、国の物でもない、自然科学者だけ、専門家だけの物でもなく、実行者と聴衆及び利用者にこそ開かれているべき物です。極論すれば、箱の枠が純金製であれ、木製であれ、ステンレス製であれ、なんであってもよろしい。しかし、検証すべき事実がなんであってもよろしいわけではない。
セザンヌの書いた静物画のリンゴと思われる会計レシートが現代になって新しく発見されたとして、そのリンゴがどのくらい高級で、どこのスーパーで売られ、どこ産のリンゴか、などと実証的に述べていった所で、リンゴはあくまでリンゴです。価値は芸術家の表現の中にこそあったわけで、ありふれたリンゴが彼を通してその見え方が変容したからこそ世界観の進歩や発展です。そこで時代が変化してもいきます。
問題はもっと内面にある、ということが言いたいのです。
資格を得て、業務範囲は一様に認められている中で〈効果がない〉〈実体がない〉〈あやしい〉などとされがちな傾向には個人的に憤ります。では、いったいなんのために投資し、資格得て、従事してるのだという現場の声は、専門家や為政者らに果たしてどのくらい届いているのでしょう。経験に即せばそこに彼らは疎く、驕りにも似た、蓋をかぶせたい何かがあるのでないでしょうか。
考えるきっかけを与えて頂きましてありがとうございました。



(投稿者:Rejoice21,投稿日時:2016/09/18 22:38:19)

ご投稿ありがとうございます。 (回答日時:2016/09/23 13:06:23)

鍼灸に関しては、やはりプラセボの扱いが一番の問題になっていると思います。
そもそも経絡の刺激に対する効果が刺激量に単純に比例するかどうかも明らかになっておらず、近年ではかなり浅い刺激でも効果がある可能性が指摘されています。つまり偽針の場合もプラセボではなく、ある程度の効果が出ている可能性があります。
また経絡の取り方も非常に多様である点、西洋医学的に「同じ症状」であっても東洋医学的には異なる証とみる場合など、一般的なプロトコル自体が鍼灸効果の判定に適していないと思われます。
単純な医師主導ではなく、東洋医学を深く理解した鍼灸師がプロトコル作製から参加すべきではないでしょうか。 (投稿者:正道,投稿日時:2016/09/15 19:36:42)

ご投稿、また鋭いご指摘ありがとうございます。 (回答日時:2016/09/17 13:00:02)

以前とある大学院でこの種の研究路線に携わっていた経験のある者です。(有資格者)語弊があると良くないですが自身で思う所を率直に。

針ないし灸に対して科学的客観性の有無を追い求めた研究にゴールはありません。そもそも針ー灸ーツボに対しての明確な定義すらないからです。
ないというより実際はまちまちなのですが。実体があるかないかすら明確に定義されないものを検証するのは道なき道でしょう。たとえ実体がないと誰かが定義してもその命題からスタートしそれを科学的に吟味し、理論構築すればいいわけですが…。

現行医学とは理論体系がちがうという意見が多々ありますが、そもそも未定義のものに理論も体系も確立されようがないです。
有名な研究機関においても、あるいは巷で一人営む無名の資格者であっても、「理論」というのがこの業界の場合、各々が個人ないし集団にて唱えてる「独自」のものでしかありません。
日本国内においては、医療文化として残ってきた療法のひとつである事が第一線枠であり、その後何年時代が続こうが、発展しようが廃れようが、その枠以上でも以下でもないというのが私の考えです。

現在の研究路線では、
基礎研究においては、針ー灸ーツボそのものよりも、それの延長線上にある研究(例えば痛みの研究)を進めるか、あるいは全くそれらと直接の関連はうすい研究を進めていくか。
臨床研究においては、ざっくり言ってプラグマティック(実践的)に示す。つまり「針(灸)をやってみてどういう良い効果がデータに現れるか」を示すしか方法はありません。
「それそのものがどういう働きを人体にもたらすか」ほんとうの意味では(当然ながら)知り得ないということです。そうしますと、針ー灸ーツボにそもそも科学的命題すら成立しないことになりますが、その点は私にはコメントの仕様がありません。

このような軋轢・複雑性の中に各資格者・研究者が存在しますから、負の傾向と致しましては「〈自分で効果があると思うある方法・理論〉を研究で〈広く示したい〉」となりがちです。
また各組織等の宣伝・戦略と関連すれば、「いかにインパクトを持ちうるものか」が先行してしまいがちです。誤った啓蒙とも言えるでしょう。
仮に「ほんとうに効果がある」のならば、わざわざ研究でそれを示さなくともよいのですから。

もしも“医学”であるのならば、〈この病患にどうにか治ってほしい〉と私が考える事と〈その病気や症状が治るだろうか/治らないだろうか〉といった私の判断とを、明確に区別できなければ、医学が成立しないはずです。

だったら、正統的かつ誠実におこなっていけばいいではないか。といった意見も生じそうですが、実際に研究をおこなってみればわかる部分もあります。例えば、試みて明瞭に効果が現れにくかったり、かといって全く効果のない嘘ぶいたものでもないものであったり。
コクラン評価やWHOの見解をも合わせれば、そのあいまいさはさらに納得できるはずです。良いような悪いような果たしてどっちなんだ一体、なのです。
まるで先代からの古文化に私達が〈化かされて〉いるかのようです。畏敬をもって、大きな効果を予測せず、日々病患に向き合うことこそがリアルな部分かもしれません。

その意味では針ー灸ーツボの研究というのは、例えば看護日誌に見られるように患者さんの日々のこと症状のこと等を細かく書き、検討し議論し、自身も書き直し、また考え…1人の人間についてそれを繰り返す。そういった1症例報告のナラティブ構築にゆくゆくは落ち着くだろうと私は考えます。

しかし医療倫理やマナーといった面はこの資格者はしっかり身につける人が多くいることはどうか知って頂きたいです。決して、相手(患者さんなど)を騙そうとしてるわけではないです。病める方々にあくまで良くなってほしいといった出発点から、上記のような事も踏まえてなおも真摯に追求しようとしている方が一定数おられると思います。

また末筆ながら「効果がない」といった考えに基づく何らかの仮説をもってして「実際に効果がない」と科学的にそれを示すこと/示そうとすること。それ自体は無意味です。役に立たないことを証明して一体どうするのですか。

偉そうに長々と書きました。
















(投稿者:Rejoice21,投稿日時:2016/08/21 01:19:04)

ご投稿ありがとうございます。
たいへん深いご指摘と思います。
医療については、少なからず「何であれ、治ればよい」という、工学的な発想が関わっており、それが「科学」と摩擦を起こしている部分がありそうです。
個人的には、医学⇒科学、医療⇒技術、といった側面が色濃いように感じておりまして、「患者を治療すること」と「治療法を研究すること」との違いも今後考えていくべき要素と思います。 (回答日時:2016/08/23 09:08:37)

似非でしょう。
辛辣ですが、大半はただのブラシーボ効果に過ぎないと思ってもいます 

按摩や鍼灸等といった物は『いかにも学術用語そうなやや難解な造語を言葉巧みに使って一種のファンタジー』を演出した"出鱈目"でしょう

私の経験上、海外のマッサージ店や日本の鍼灸、按摩等を受けたことがありますが、バイトが行っていたり、明らかに独自の療法?みたいなものが蔓延っていたり、それで逆にどこかしらを痛める人だって見てきました。さらにはまるで、アニメのチャクラ?みたいな感じで体内にドラゴンが住むだの、『今、私の気を送っています』みたいな療法とか。もはや言葉が出ない状態です

はっきりいって、日本の保険料を詐欺ろうとしている集団だとしか言えません 科学というのは、もっと分かり易い概念で且つ、再現性のある物でなければなりません それは人の身に関わる医学であるならば尚更です

もちろん私は『個人差』というものを分かっています、しかし、いくらなんでも、皮膚という細胞を針で壊し、それで血管に穴を空けたら自然治癒が上がってなんとかんとかとか、意味が不明で仕方がありません.... (投稿者:形而上のU,投稿日時:2016/06/12 23:26:24)

ご投稿ありがとうございます。 (回答日時:2016/06/13 16:10:34)

鍼灸師の一人として、書かせて頂きます。
鍼灸について、比較的高い評価をつけていただいたことを、嬉しく思います。
その一方で、今回の評価が主に「有効性の検証」であることについて、ご意見申し上げたいと思います。

東洋医学理論は、現代医学とは全く違う体系を持っています。それゆえ科学的に未解明な有効性も存在するのですが、一方で、未解明であることを逆用して過剰効果を喧伝するケースが跡を絶ちません。

これまでに「鍼灸は全体を整えるので、どんな病気にも有効」とか「ガンでも治せる」と発言する鍼灸師を、何度か見てきました。
治療を受ける側も、東洋医学の神秘的なイメージにより、「現代医学では治せない病気が治せる」と、大きな期待をしてしまうことがあるようです。

多くの疑似科学についてもそうですが、一番被害が生じるのは「効果があるかもしれない」という期待の部分です。

鍼灸のように社会的影響の大きなものについては、有効性の検証と同時に「無効性」(確実に無効と考えられる部分)の検証をする必要もあるのではないでしょうか。

科学的に無効を判断することが難しいことは承知のうえですが、検討いただけますと幸いです。 (投稿者:ハチ,投稿日時:2016/06/01 09:43:30)

ご投稿ありがとうございます。
大変参考になるご意見であり、また、非常に貴重な知見のご提供に感謝いたします。
おっしゃる通り、「効果があるかもしれない」という期待が、幻想に変わったところに一番の被害が生じているのかもしれませんね。
そのあたりは、広告やメディアの問題も大きいと感じます。ご指摘されたような個別の治療師をメディアが祭り上げるという構図があり、そうしますと、”まっとうな”鍼灸師やその研究者も「被害者」かと……。
ご指摘いただいた内容、さまざまな観点から追究・検討したいと思います。ありがとうございます。 (回答日時:2016/06/01 17:43:28)

>それを選別する意味は何なのでしょうか?

「モノ」は具体的、「コト」は抽象的である。法則というものはすべて抽象的なものであり、思考によって生み出される。
鍼灸などの治療法は、科学的であることを標榜する現代医学の研究方法によって解明することは不可能である。それは、「コト」の範疇に属することなのだから、「モノ」を詳細に分析するだけでは法則に到達することはできない。
もっとも、現代科学では、「モノ」は「コト」に吸収合併されているのだけれども。
このようなことは、科学研究の基本のキです。この程度のことも認識できずに科学を語るおバカさんが何と多いことか、彼らは疑似科学を語る人たちと同じレベルといってよいだろう。そのために疑似科学を淘汰することが困難となっている。大学医学部で、「モノ」中心の現代医学教育を受けてきた医師たちに代替療法の研究ができるはずはない。科学研究の論理や方法、適用する法則が異なるのだから。それにもかかわらず、鍼灸なんかを疑似科学と決めつけることで、現代医学を信奉する自分たちこそ科学の徒であると思っているらしい。

(投稿者:maprmed70,投稿日時:2016/03/29 21:50:11)

(回答日時:2016/04/06 21:49:58)

化学変化では分子・原子の離散集合が問題となります。これによって物質(モノ)の構造や性質を説明します。例えば、水素と酸素が結合して水になる。しかし、物理変化では分子・原子の離散集合ではなく、物質のなかの分子・原子の位置が変化します。                   
例えば、超伝導物質を冷却していくと、化学反応が起きていないのに、ある温度に到達すると突然電気抵抗がゼロになる。これは当然化学変化によって説明することはできません。このような現象(コト)を説明するには物理法則を適用しなければなりません。
鍼灸などの物理療法も同じことです。 (投稿者:maprmed70,投稿日時:2016/03/25 13:55:34)

(回答日時:2016/03/28 13:03:56)

生命現象を化学反応の集積としてすべてを理解できるならば「モノ」として扱えばよいのです。しかし、鍼灸などは物理的作用であり、直接的には化学反応を起こしているわけではない。ここに化学変化と物理変化の違いがあり、鍼灸などの物理療法を「コト」として扱わなければならない理由である。
今回はここまでということに。 (投稿者:maprmed70,投稿日時:2016/03/18 14:03:24)

物理反応と化学反応の違いが今一つ理解できないのですが、そもそもなぜ化学反応ならば「モノ」で物理反応なら「コト」となるのでしょうか?
それを選別する意味は何なのでしょうか? (回答日時:2016/03/22 19:02:42)

「モノ」ではなく「コト」です。 (投稿者:maprmed70,投稿日時:2016/03/11 20:36:54)

ああ、すみません。
「コト」ですか。
では、「気」という「コト」を説明していただけますか? (回答日時:2016/03/14 11:38:37)

経穴という特殊な構造体は存在しません、神経系とも関係ありません。「気」といわれる現象は、生体を構成する物質の性質によって起きているにすぎない。したがって、疑似科学ではない。 (投稿者:maprmed70,投稿日時:2016/03/09 04:34:48)

「気」が疑似科学かどうかはともかく、まずは、「気」がどういう”モノ”であるかを説明していただければ、と思います。 (回答日時:2016/03/11 14:03:23)

鍼の機序を西洋医学的アプローチから検証する論文が増えています。そして『気』『経絡』『ツボ』などの概念に頼る事なく、鍼の作用機序を西洋医学の用語と生理学的知識で理解できれば、鍼の効果も明瞭になってきます。東洋医学では鍼は『陰と陽』のバランスを調整すると言いますが、『陰と陽』のバランスを『交感神経と副交感神経』のバランスと翻訳すれば、その機序が理解可能となります。 (投稿者:とく,投稿日時:2015/07/09 12:21:38)

とく様
鍼灸研究の進展は期待できますね。
ご投稿ありがとうございます。 (回答日時:2015/07/09 13:04:22)

鍼灸ほど腑に落ちないものもないというか……
「経絡・ツボ」のファンタジックな設定、そして何よりも「効いてしまう」という事ですね。
個人差あるでしょうが、私の場合は覿面でした。
なぜか効く
なぜ効くのかはわからない
世の中にはこういったものもまだまだ残されているのでしょうか (投稿者:たま)

はり師ときゅう師は厚生労働大臣によって免許が与えられる国家資格ですが、国(厚生労働省)としては発展途上の科学を治療として認めているということなのですか? (投稿者:みまこ)

みまこ様
鍼灸治療は厳密な意味では保険適用内医療とは少し性質の違う「療養費」として医療費の請求を行います。対象となる疾患に際して、原則として医師による「同意書」を必要とし、それによって健康保険を受けることができます。
また、何をもって「認める」とするのか少し難しいところではあります。例えば接骨院では前述の医師による「同意書」が多くの場合慣例として不要となっています。これは、代替医療行為における現場運営を円滑に進めるためとされており、そのような経緯から日本において接骨院が広く浸透できた、との指摘もあります。
この事実のみを切り取って過大解釈するわけではありませんが、「鍼灸」では(主に政治的な意味において)国との信頼関係があまりうまく構築できていない、ということは推察できるかもしれません。

経絡やツボなどの伝統的概念は誤りなのですか? (投稿者:swc)

科学は実験や調査などの新しいデータによって更新されることで発展する仕組みになっています。伝統的な概念であっても、それらが吟味されることなく、あたりまえの前提になっているのであれば問題視しなければなりません。

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      ※投稿された記事やコメントは運用管理者が承認した後、掲載されます。

uidelines on Basic Training and Safety in Acupuncture World Health Organization
WHOによる鍼灸教育と安全性に関するガイドライン (翻訳改訂版 2000.4.7)
「『代替医療のトリック』の鍼治療の記述に関する問題点」
川喜田健司 全日本鍼灸学会雑誌 2010年第60巻2号252-254
鍼灸文献データベース(JACLiD)
公益社団法人 全日本鍼灸学会
The World Federation of Acupuncture-Moxibustion Societies
WFASのホームページ
補完代替医療ナショナルセンターにおける鍼灸への見解
National Institutes of Health (NIH) 米国保健社会福祉省内国立衛生研究所
“Acupuncture treatment for pain: systematic review of randomised clinical trials with acupuncture, placebo acupuncture, and no acupuncture groups”
Madsen MV, Gøtzsche PC, Hróbjartsson A. BMJ 2009;338:a3115.
“Acupuncture for chronic pain: individual patient data meta-analysis”
Andrew J. Vickers, Angel M. Cronin, Alexandra C. Maschino, George Lewith, Hugh MacPherson, Nadine E. Foster, Karen J. Sherman, Claudia M. Witt, Klaus Linde, Arch Intern Med. 2012;172(19):1444-1453
“Acupuncture for Back Pain A Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials”
Edzard Ernst, Adrian R. White, Arch Intern Med. 1998;158(20):2235-2241
コクラン共同計画の概要
帝京大学EBMセンター