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評定の基本的考え

 一般に、「これこれの条件を満たさなければ科学とは言えない」とか、「これこれの条件を満たせば科学である」とかの、「科学であるための必要十分条件」は存在しない。そのため、科学と疑似科学を分ける境界を明確に決めることはできない。しかし、科学ならば「およそこれらの条件を満たすべき」とか、現実に科学とみられているものは「これらの条件を満たす傾向にある」という諸条件は存在している。本サイトでは、次の10の条件を掲げて評定する。

 本研究におけるこれらの評定項目については、トーマス・クーンの「客観性、価値判断、理論選択」に着想を得ている。詳しくは評定項目の出典にて記載している。
 各条件の詳しい説明はトップページにあるが、こうした条件をどれも高く満足する場合は「明らかに科学である」ということができる。
 たとえば物理学化学ならば、どの条件も高く評定することができ、科学と明言できる。
 しかし、医学生物学工学などの人体や技能に関する分野では、実験データが収集されていて、データの観点の条件は高く評価できるが、それを説明する理論が整備されてなく、理論の観点の条件は低い評価のままのことがある。逆に、政治学経済学などの社会科学分野では、現象を説明する理論が立論・吟味され、理論の観点の条件は高く評価できるが、現象に関するデータを十分集めることが難しく、データの観点の条件は低い評価のままのことがある。
 つまり、部分的に条件が低評価であっても、社会通念上、科学と言うべき分野や究明対象があることも事実である。また、それまで確実と思われていた理論に重大な欠陥が見つかって科学とは言えなくなったり、正確なデータが収集できるようになって新たに科学になったりする分野もある。科学であるかどうかは、究明の進行状況に応じて、時代とともに変化もするわけである。
 科学かどうかに不確実で不確定な側面があるため、科学を装った言説でもってそれにつけこみ、架空の信用を得る行為がおきやすい。いわゆる疑似科学として糾弾されるものがそれに当たる。ところが一方で、科学として未完成状態にある探究が、疑似科学のレッテルを貼られることで、不当な扱いを受ける場合も存在する。


 そこで本サイトでは、さまざまな究明対象に関する現時点の活動を、上述の9つの諸条件について評価し、それらを総合的に捉えてどの程度の科学性があるか、将来の展望はどうかを、次の4段階(加えて判断留保)により評定する。各究明対象について多くの人々が適切な認識に至ることを目標にしている。なお、究明対象の定義のあいまいさなどの理由で、2段階をまたいだ評定を行う場合もある。

科学

諸条件の評価が全体にわたって高いか、または部分的に低評価の条件があっても、他の高評価の条件によってそれを埋め合わせられる。現時点および将来にわたって科学と評定できる。

発展途上の科学

諸条件の評価が全体にわたって高いとまでは言えないが、部分的に高評価の条件がある。暫定的に科学とみなせるが、今後の研究いかんによっては、科学とは言えない状況になる恐れも残される。

未科学

諸条件の評価が全体にわたって低いが、部分的に高評価の条件がある。今のところ科学とは言えないが、将来にわたって研究を積み重ねた結果、科学と言える段階に進む可能性がある。

疑似科学

科学的な言説をもっているにもかかわらず、諸条件の評価が全体にわたってきわめて低い。実際のところ科学とは言えないうえに、社会的な問題をもはらむので、「科学でない」と明言するほうがよい。

判断保留

評定対象の特別な問題のため、現時点では評定を行えない。たとえば、安全性にかかわる評定対象の場合、「危険な効果はあるとは言えない」と評定できても「安全とまでは断言できない」のであれば、「本当に危険性はないのか」と予防措置を続ける必要が生じる。こうした対象の場合、いったん判断留保としておく。

参考文献:『疑似科学と科学の哲学』 伊勢田哲治
『99.9%は仮説』 竹内薫
『科学との正しい付き合い方』 内田麻理香
『誤解だらけの「危ない話」』 小島正美
『科学と神秘のあいだ』 菊池誠
『なぜ疑似科学を信じるのか』 菊池聡
『クリティカルシンキング不思議現象篇』 シック&ヴォーン
『疑似科学入門』 池内了
『科学とオカルト』 池田清彦
『なぜ疑似科学が社会を動かすのか』 石川幹人

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

投稿

投稿&回答

このサイト、非常に参考になる良いサイトだと思いますが、読むのが大変です。

例えば、イラストレーターの方にイラストを描いてもらう、概念図を入れる、などの読みやすくなる工夫をお願いしたいです。

また、このような良質な情報が検索上位に出てこないことは損失なので、SEOの専門家にも依頼して、各単語で上位表示されるようになって欲しいです。

今後とも、ぜひ素晴らしい情報の発信をお願いします。 (投稿者:Tak,投稿日時:2016/12/17 14:29:12)

ご投稿ありがとうございます。
もっともなご感想です苦笑。
ただ漫然と情報を流すだけでなく、伝える工夫も必要ですよね。
予算の関係上、なかなか厳しい面もありますが、なんとか善処してみます。 (回答日時:2016/12/19 11:00:53)

こちらで適切かわかりませんが、コメントです。

本日、ネットをうろうろしていてこちらを見つけました。
私自身は全く理系ではありませんが、それでも中学・高校程度の理科の知識があれば疑義を感じるような効果をうたう商品・サービスが多いのではと日々感じています。
特に健康・ダイエット関係では、自分が知りたい情報のための単語をサーチエンジンの検索窓に入れると商業用のサイトが先に出てきて、ネットで客観的な情報を探すのは難しいな…と思うことがよくあります(その全てを否定はしません)。

個人的にはそうした非科学的なものが出回ってしまう理由として
・机上の勉強が苦手で大学進学ではなく手に職をつけることにした人(理・美容系、または歳を取ってからそちらに進んだ人)が結果的にその延長として水素水・酵素(消化酵素への理解なしに)などを扱う
・学校教育にて研究者志望・理科好きを育むことを志向する一方、一見科学的な用語を使用するものへ対するリテラシー養成の不足
・単純に「学会」「聞き覚えのない四字熟語」「聞き覚えのないカタカナ」「昔理科で聞いた単語」のような権威・科学っぽさ・「自分では理解できなそうな高度なもの」に対する弱さ
があるのかなあと考えています。

加えて、まともな研究者の方などはそうしたいわゆる似非科学ものは相手にしないだろうしなあ…と思っていました。
こちらを存ぜず失礼いたしました。

もしも今後扱われることがあれば拝読したいと思うものは以下です。
・酵素(扱われ方がメーカーなどによって違うかもしれません…)
・老廃物の定義(デトックスで扱い済みならご放念ください)

なお、「江戸しぐさ」も歴史・人文科学・社会学系ですが似たような気配を感じています。

後から後から科学をうたった怪しいものは出てくるので検証等大変かもしれませんが、がんばってください!
長くなりましたが、これからも参照させていただきます。 (投稿者:@hiyocco,投稿日時:2016/10/05 01:11:56)

大変丁寧なコメントありがとうございます。
江戸しぐさについては、以前「根拠が不明瞭である」との報道が出ていたのを読んだことがありますね。
今後も本研究をよろしくお願いいたします。
[追記]
ちなみに、「酵素」については疑似科学用語事典にて解説がありますので、そちらを参照していただければと思います。 (回答日時:2016/10/05 12:36:07)

評定について、「科学ではないこと」と「疑似科学であること」は等価ではないという見方もあると考えます。

「擬似」という言葉によって「積極的に真似ている」という事実とともに、悪い印象が読み手に主張されるように思います。「疑似科学」という表現は、もともと科学的なあり方を求めていない人の営みに対してもまとめて悪い印象を与えてしまうという性質を排除できないため、無用な摩擦を生みやすい言葉となるかと思います。

単純に「科学ではない」と評定される方が、よりご活動の意図を明確に表すと考えますが如何でしょうか? (投稿者:nameless,投稿日時:2016/03/24 07:00:11)

ご投稿ありがとうございます。
なるほど、という鋭いご意見敬服します。
確かにこの界隈では「疑似科学」「似非科学」「ニセ科学」など語句が乱立している感が否めず、また、それらの意味はいずれもネガティブな印象を”あえて与えさせるような”ものであるように思えます。
「科学ではない」が適切か否かも含め、今後の議論対象かと思います。 (回答日時:2016/03/25 10:31:15)

ネット上で、「ニセ医学批判」を行っていることで有名なNATROMという医師がいますが、彼の意見の真偽をどのように評価しますか? (投稿者:maprmed70,投稿日時:2016/03/18 16:05:36)

お返事遅れました。
NATROMさんという方の、具体的にどの部分の意見について述べればよいのでしょうか?
何か情報をご提示していただけると助かるのですが……。 (回答日時:2016/03/22 19:04:33)

活動概要「データの客観性」について一言

近代科学は客観性を追求してきたが、現代物理学確立以降では、客観的であることが難しい研究対象が多い。
そのような階層や領域では、無作為化対照試験のような方法を適用することはナンセンスであるし、データは定量的ではなく定性的に扱ったほうがよい場合も多い。
法則・理論によって真偽が判別されるのであり、検証法などによって保証されるわけではない。メカニズムを探究しないエビデンスなどは、結果的に疑似科学を温存させ、不毛な論争を続けることになる。十分、ご注意を

(投稿者:maprmed70,投稿日時:2016/03/04 16:40:36)

ありがとうございます。
ご指摘、よくわかります。
(回答日時:2016/03/08 15:09:26)

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