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血液型性格診断

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

 血液型性格診断とは、一般的にABO式血液型として知られている分類法によって、社会生活におけるヒトの性格を特定できるといった言説である(他に「血液型性格判断」「血液型性格分類」などともされるがこれらのいずれも明確な定義が与えられてはいない)。つまり、「ABO式血液型」という要素“が”特定のヒトの「性格」に影響を与えている、としているものである。
 まず、ABO式血液型について簡単に説明する。ヒトの血液細胞の中で最も大量に存在するのは赤血球であり、この赤血球の細胞膜表面には個人がもっている遺伝子によって表現される血液型物質がある。1900年、オーストリアの研究者であるラントシュタイナー(K.Landsteiner)によってこれが研究され、彼は血液型を4種類(A型、B型、AB型、O型)に分類できることを発見した(1)(2)。
 以上が現在一般認知されているABO式血液型の基本原理である。ちなみに、A、B、Oとは遺伝子を意味しており、メンデルの遺伝法則にしたがって個人を標識する抗原である。そのため、AAまたはAOの組合せでA型に、BBまたはBOの組合せでB型に、OOの組合せでO型に、ABの組合せでAB型になる。
 血液型性格診断は、上述の血液型の4区分から特定のヒトの性格や相性を説明でき、それを日常生活においても活用できるといったものが一般的によく知られているものであり、本項目においても基本的にはそういった一般通念を踏襲したものを“評定の対象”とする(3)(4)(5)。
 加えて、本言説の議論にてしばしば見受けられるアンケート調査などの統計的調査における本言説の有効性、血液型と疾患との関連性、今後の研究可能性においても言及しながら評定を進める。
 血液型性格診断言説においては諸説入り乱れているのが実態だが、能見氏の「血液型人間学」など(3)(4)と、医学・疫学・遺伝的観点からの「血液型」と「ヒト」との成果は明確に区別しながら記述する。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 (低)

 そもそも、血液型性格診断における「性格」が何を意味しているのかが不明であることが最大の問題点といえる。「性格」とされるものの定義が不明瞭であり、たとえば“誰の”“どのような状況における”“どういう対応をすることから”“こういう「性格」であると定める”という一般化はなされておらず、どうとでも上手く解釈できる曖昧なもの全般を「性格」と表している(5)。これでは理論を一般化できず、科学性の評定としては致命的である。
 また、ABO式血液型については本項冒頭にて記述したが、果たしてこの区分が如何に人間の性格として反映されているのか、という理論への疑問に対する合理的な説明は今のところないという指摘もできる。たとえば、心理学的知見からたびたび指摘されている「バーナム効果」や「自己成就」については、肯定派において十分な議論がされていない、あるいはそれらの概念の誤用による反論が見受けられ、理論面において充実した議論は行われていないことが推察できる(6)(7)(8)。
 さらに、血液型性格診断の理論においては、その内部においてすら矛盾が見られ、科学性を評価できる理論体系をなしていないことすら指摘できる。たとえば、過度な血液型性格診断信奉者においては「血液型十戒」なるものを理論的な標ぼうとしている(5)のだが、そこでは、「8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。」としつつ、その2においては「2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。」や「9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。」などといった内部においても論理性の乏しい説明が多々見受けられる。このように、科学性とはおよそかけ離れた理論を選択していることが言説全般的に見受けられる。
 血液型と疾患や体質にまで話を広げても、今のところ論理性を高く評価できる要素はない。特定の疾患に対する罹患率の違いや耐性についての研究なども、因子の解明や理論構築まではなされていないのが実情だ(9)(10)。
 ABO式血液型で性格診断を行うということは、ヒトを4つの分類に細かく類型化する(できる)ということなのだが、それに対する合理的な説明を見出すことができないのが現状である(そういう意味では、血液型と疾患の研究においては一定の評価を下すことはできる)。

理論の体系性 (中)

 ABO式血液型が既存の学術体系から逸脱した理論であるとは断定できない。人間の体内には大量の赤血球が存在し、その赤血球それぞれにA、B、AB、Oの各型に特有の糖鎖が付いている(ここでの糖鎖とはN-アセチルガラクトサミン、d-ガラクトース、アセチルグルコサミン、フコースによる分子構造を表す)。この点に関するかぎり、生化学的には血液型でそれぞれ全く違った機能をもつとも主張できる。
 しかし、それを正当化するのなら、血液型以外にも分類する要素は数多くありそうだ。仮に血液型のみに注目しても、Rh式やli式、MN式などの識別法もあり、げんに臓器移植などの場合にはこれら多くの要素を考慮する(11)(12)。こう考えると、ABO式のみによって性格にまで言及する理論は、他の知見との整合性が低いと思われる。
 さらに、ヒトの性格について、ABO式血液型を主軸として説明する、という理論選択に合理性を見出すことも難しい。ヒトの「性格」については今も多くの議論があり、「性格」とはどういう要素から構成されているのか、といった問いを考える場合、いわゆる複雑系であることや、進化心理学などでよく知られる「心のモジュール性」(13)(14)という概念として考える方が“ABO式血液型”を持ち出すよりも遥かに整合性が高い。 たとえ、ABO式血液型が「性格」における一要素であったとしても、わざわざ血液型性格診断を「性格」における主理論として採用する必然性はなく、このような言説に依存しなければならない積極的な理由を見出すことはできない。
 ただし、ABO式血液型と進化生物学との相関性や特定疾患への罹患率といった研究が近年報告されていることは注目すべきことだろう(9)(10)。たとえば、A型の遺伝子は免疫機能が低くなる遺伝子と共起する確率が高いので、抗原をなるべくしりぞけようと神経質な性格が共進化したという理論は、進化論、あるいは生物学などと整合的である(10)。その点を考慮したうえで体系性は中程度と評価する。

理論の普遍性 (低)

 特に能見氏を源流とする「血液型人間学(≒血液型性格診断)」においては、それが“誰にでも普遍的に適応可能だ”としているが、言説の実態がつかめない。全般として、“何となく○○型はこんな感じ”という大雑把な情報しか提供されておらず(3)(4)(5)、普遍性を推し量ることはできない。思い込みや社会通念が先行しており、理論的な実像がつかめないのである。これでは普遍性を評定する以前の問題だろう。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 (低)

 能見正比古氏の著書(研究論文ではない)や「ABOの会」にて、血液型性格診断に関する肯定的な主張がこれまでに何度も発表されている。しかし、データの再現性という観点において、高評価を与えられる水準に達しているとはいえない。
 たとえば、血液型性格診断の源流の一つである能見氏は、自著へのアンケート調査(数万人規模、としているもの)にて再現性を保証できるとしているが、そもそもそのようなアンケートを“能見氏”に送る“対象”がサンプルとして偏っている(平たく言えば、能見氏の信奉者である)というバイアスを排除するような厳密性のあるものではない(3)(4)。血液型性格診断の関連団体である「ABOの会」の主張においても、一万人規模のアンケート調査で統計的有意差が出たとの報告もあるが、前述したような「バーナム効果」「予言の自己成就」「確証バイアス」「F・B・I効果(フリーサイズ・ラベリング・インプリティング効果)」といった、心理学で広く知られた効果が排除された実験デザインがとられていない。
 一方、血液型性格診断に否定的な研究データは数多く積み重ねられており(能見氏の著書においても統計的に有意な差がなかったデータもある(3))、肯定的なデータよりも信頼がおける(15)(16)(17)(18)(19)(20)。
 ただし、血液型と疾患といったことにまで言説の対象範囲を広げると、2009年にアメリカ国立がん研究所が膵臓がんの危険因子と血液型の相関性についての研究報告をしていたり(21)、2000年に科学誌「ネイチャー」にてO型と非O型の胃がんに対する見解が述べられていたり(9)と、再現性において評価できる研究も存在する。まだまだデータ不足という面もあり、一概に評価できるものではないが今後の研究可能性としては期待の持てるものだろう。
 しかし、これらの研究は能見氏等の血液型性格診断を補強するものとは言えず、医学・生理学などにおける研究成果とするのが一般的だ。
 したがって、「血液型性格診断」の再現性は低評価とするが、これは前述の「血液型」の医学的な側面のデータを否定するものではない。

データの客観性 (低)

 肯定派の提示する研究報告においては、信奉者による主観的な感想、統計調査における標本抽出の偏り、研究対象の未特定化、「自分はA型だから神経質だ」という性格の自己成就などの可能性が指摘できる(3)(4)(16)(18)(20)。したがって、血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型“が”「性格」やその傾向性に影響を与えている、としていてもその客観性は低い。
 また、医学・生理学的知見からも言説全体に対して同様の指摘ができる。例をあげると、近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多いことが指摘されている。血液型性格診断によるとA型の典型的な特性は「神経質」だということが主張されており、その根拠として胃痛の多さなどがデータとして挙げられている(9)(10)。しかし、血液型性格診断で言われているようにA型の人が「神経質」である“がゆえに”胃痛になりやすいのか、それともA型にはピロリ菌保菌者が多くそれによって胃痛が引き起こされるため“結果的”に「神経質」な人が多いように見えるだけなのか、といったことを客観的に区別できるような研究手法は採られていない(前者であれば「血液型性格診断」の成果といえるが、後者ならば改めて議論が必要である)。
 現在の心理学分野と、医学・生理学分野は個々に独立しており、「血液型」と「性格」を連携させた研究方法はまだ未熟ではある。ただし、今後の研究次第(たとえば遺伝学的な)では血液型とヒトの性格との関連性について客観的なデータが示される可能性もなくはないことは追記しておく。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 (低)

 血液型性格診断において、肯定的なデータが妥当に収集されているとは言えない。繰り返しになるが、心理学でよく知られている「自己成就」や「バーナム効果」などの要因を排除した形の実験デザインが採られておらず、このような指摘に対して“反論”できる体制が整っていない。

理論によるデータ予測性 (中)

 現在、能見氏を原点とする「血液型性格診断」が科学的手順を踏まえて研究されているとはいえず、予測性は低い。今一般認知されている血液型性格診断はほとんど文化として根付いてしまっており、もはや科学性を論じるに値しない言説と化している。
 一方、血液型と疾患については医学・疫学的観点から比較的研究が進められており、成果といえるものも出ている。たとえばコホート実験などの医学疫学において信頼できる研究方法から、血液型による膵臓がんリスクの違いといった発表(9)もされており、この点では予測性は高いと評価できる。さらに、進化生物学的観点から血液型とマラリアやコレラとの関連性(10)も若干ではあるが報告されている。
 予測性は中程度と評価するが、これは医学・疫学・遺伝的な成果を高く評価したためであり、このような分野の評価に重点を置いたものである。

社会的観点

社会での公共性 (低)

 日本において血液型性格診断が一般認知され始めたのは、1970年に出版された能見正比古氏による「血液型でわかる相性」からである(4)。これ以前にも1927年に「血液型と気質の研究」と題する研究論文が古川竹二氏(女子高等師範学校教授)によって発表されていたが(6)、継続的な研究が始まったのは前述の能見氏による著書が初めてであり、現在では氏が設立した「ABOの会」という団体が血液型性格診断について肯定的な主張を繰り返している(現在では「ABOセンター」が実質的にその意味を引き継いでいる(5))。
 しかし、利害関係のない公共性の高い研究においては、血液型性格診断はたびたび否定されており、肯定派において同様の水準に達している研究報告は現在のところない。したがって、社会での公共性は低評価とする。

議論の歴史性 (低)

 上述したように、現在の血液型性格診断の社会における広まりは、能見正比古氏の著書にみることができる。それを発端として1970年代から血液型性格診断の科学性の議論もさかんに行われてきた。たとえば心理学分野は血液型性格診断に強く反発しており、否定的な研究発表も多くある(「日本パーソナリティ心理学会」においてはホームページ上にて、血液型性格診断に対して懐疑的な意見文を掲載している(22))。
 一方で、血液型性格診断を積極的に肯定する立場(科学的なものだとして)の多くは能見氏の言説に依存している様子が見受けられ、また、そういった科学性を謳う言説において、“主張の責任を請け負っていない”ことが問題点として挙げられる。たとえば「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例(データ)が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」や、他の全く指標の異なったデータを持ち出して「このデータを担保にできる」などである(現に、肯定派においてはこれが横行している)。このように反証データを得ても、そうしたものに対して無反省であり、科学性が議論できる構造とはいえない。
 以上より、議論の歴史性は低いと評価する。

社会への応用性 (低)

 血液型性格診断が社会において有効的に活用されているとはいえない。そもそも、血液型による性格の傾向性を重視しているのは日本人がほとんどであり、世界的にみると血液型性格診断という概念すら一般的ではない。にもかかわらず日本社会では、ブラッドタイプハラスメントといったものを始めとして人々に対する差別や偏見を助長させる要因の一つとなってしまっているのが実態である(6)(23)。
 また、血液型性格診断はヒトの性格を4種類の血液型の中から“当てる”という占いのような娯楽だと受け取ることもでき、そこに科学性を乗せてしまうと人が感じる快不快の度合いも大きくなってしまうだろう。結果として、人間関係を円滑に進めるうえでの弊害ともなりかねない。
 ただし、これは一概に血液型性格診断のみの功罪とはいえない。たとえば、仏滅に結婚式を挙げる人はまずおらず、一般的に友引に葬式は行わない。このように大衆心理は科学とは無縁に働いており、血液型性格診断が控えめな誤信として機能している分には、科学がそれを排斥する必要まではないだろう。
 しかし、血液型性格診断においては企業の採用といった、人生の大きな岐路でも使用されており、とても控えめという表現で収まっているものではない。このような実情を考慮すると、あえて社会への応用性は低いと評価すべきだろう。

総評

疑似科学

 現在一般認知されている「血液型性格診断」は疑似科学だと位置づけられ、そこで語られているものに科学的根拠は全くないといってよい。たびたび指摘したが、血液型性格診断の最大の問題点は、能見正比古氏の著書「血液型でわかる相性」「血液型人間学」などが流行りすぎてしまったことだろう。能見氏の言説の流行が多くの過激な信奉者を生みだしてしまい、それに対抗する形で主に心理学界からの強い反発が繰り返し行われてきた。このような構図から、心理学界の過剰ともいえる「血液型」嫌いという問題も発生してしまい、健全な議論ができる土壌がない、あるいは良心的な研究者の芽をも摘んでしまっているということは考慮に値する(24)。
 そうした中で、医学・疫学・遺伝的観点や進化生物学的視点からは角度の異なる考察をすることもできる。
 医学領域としての血液型とヒトの研究は1950年代~1970年代初頭までは比較的行われており、多くの疾患と血液型との関連性について様々な議論が繰り返されてきた。そんな折、先の能見氏による著書が爆発的にヒットし、しかもそれを科学だとして主張し一般大衆の誤解を招いた。このような経緯は前述の通りであり、それが多くの研究者を血液型の研究から離れさせてしまい、血液型性格診断を疑似科学の象徴として扱う風潮に、医学界においても繋がった。現在では、血液型について言及できるのは輸血と臓器移植の際のみであり、血液型の話題さえ嫌う医師もいるという状況でさえある(10)。
 しかし、「血液型」と「疾患」、「血液型」と「進化」、「血液型」と「遺伝」といったことについて研究されたものの中には信頼のおけるものも多くあり、今後の研究可能性が幅広いことは肯定材料だろう。さらに、特定疾患へのリスクの違いや、免疫機構の違いなど、遺伝的な説明によって応用性の高いものにもなりうる。
 ヒトの「性格」という言説における明らかな論理的飛躍には注意する必要があるが、少なくとも血液型と人間機能の関連を研究する価値や意味は、心理学から指摘されているほど順位の低いものではないだろう。今後の研究次第では、たとえば血液型と疾患といったアプローチからヒトの気質にまで科学的合理性を保った言及がなされたとしても、それほど不自然ではないだろう。
 ただし、繰り返しになるが、現在広く一般認知されている「血液型性格診断」における科学的根拠は乏しく、疑似科学であると評価する。

参考文献:

(1)『よくわかる 最新血液型の基本としくみ』 松尾友香
(2)『絵でわかる血液のはたらき』 八幡義人
(3)『血液型人間学』 能見正比古
(4)『血液型でわかる相性』 能見正比古
(5)http://www.human-abo.org/#!aboutus/cktc 一般社団法人 ヒューマンサイエンスABOセンター
(6)『なぜ疑似科学を信じるのか』 菊池聡 化学同人
(7)季刊『理科の探求』左巻健男 2015春号 特集 ニセ科学を斬る!リターンズ p50-109(p56-61)
(8)『心理テストはウソでした』 村上宣寛
(9)『血液型で分かる なりやすい病気なりにくい病気』 永田宏
(10)『血液型の科学』 藤田鉱一郎
(11)http://www.jrc.or.jp/donation/first/knowledge/ 日本赤十字社 血液の基礎知識
(12)https://hospital.city.sendai.jp/department/mame05.html 仙台市立病院 診療科のご案内 「第5回 血液型のはなし-ABO式血液型-」
(13)http://plato.stanford.edu/entries/modularity-mind/ Stanford Encyclopedia of Philosophy 「Modularity of Mind」
(14)『だまされ上手が生き残る 入門!進化心理学』 石川幹人  光文社
(15)「血液型と性格の無関連性」縄田健悟(2014)
(16)「血液型性格判断はなぜすたれないのか」 山下玲子 武蔵大学 社会学部
(17)血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2)) 山岡重行 大村政男 浮谷秀一
(18)「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
(19)「血液型による性格の相違に関する統計的検討」松井 豊(1991)
(20)Blood-typical Personality Stereotypes and Self-fulfilling ProphecyAkira SAKAMOTO Kenji YAMAZAKI 2002
(21)http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19648918 Genome-wide association study identifies variants in the ABO locus associated with susceptibility to pancreatic cancer.
(22)日本パーソナリティ心理学会血液型性格診断に関する意見文 公益社団法人 日本心理学会
(23)テレビ番組が増幅させる血液型差別 山岡重行
(24)『よい教育とは何か』 西条剛央 京極真 池田清彦

・(ダメな大人にならないための心理学 山岡重行)『書評』野崎瑞樹
・『機関誌「心理学ワールド」52号 2011年1月号 特集/偏見とステレオタイプの心理学』
・『血液型の迷路』 大西赤人
・『性格を科学する心理学のはなし』 小塩真司
・「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」 白佐俊憲
・『科学技術をよく考える -クリティカルシンキング練習帳』 伊勢田哲治 戸田山和久  調麻佐志  村上祐子 名古屋大学出版会
・『新編 血液型と性格』 大村政男 福村出版

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

(最終更新日時2015年8月17日)

投稿

投稿&回答

>>掲載されなければ、「学会の教義に逆らっているから締め出すのだ」、「学者では無いからと身分で差別するのだ」、等と騒ぎそうですから
>――おっしゃる通りの懸念がありまして、ずるずると、といった感じです。
――はい、今まで掲載していただいたことには大変感謝しています。
ただ、肝心な質問に「回答拒否」なのは、正直いかがなものかと思います。
また、大変失礼ながら「学者では無いからと身分で差別するのだ」と同じようことは実際に行われていると感じています。
ここであえて実例を挙げることはいたしませんが…。
>>「了承していない」といった相手からの抗議があった時は投稿者に全責任が帰する、という事でしょうかね。
>――そうですね。HP内のどこかに明文化する必要もあるかもしれませんね。ご指摘ありがとうございます。
――これには少々言いたいこともありますが、ここでは黙っています。管理者さんは重々おわかりのことと思います。
もっとも、最近はこの掲示板での投稿はないようですが…。
いずれにせよ、私の未回答の質問には、なるべくお答えいただければありがたいです。
失礼しました。 (投稿者:ABOFAN,投稿日時:2018/09/28 00:30:45)

(回答日時:2018/09/28 20:00:44)

管理さん : 2018/09/04 10 へ

ABO FAN氏に対して毅然とした態度を取り辛かったのは解る気がします。掲載されなければ、「学会の教義に逆らっているから締め出すのだ」、「学者では無いからと身分で差別するのだ」、等と騒ぎそうですからね。辛抱強く相手して下さったお陰で、自演を含む彼の本性が判り易く曝け出されたと思います。研究標本としても収穫に成ったのではありませんか。特殊すぎて敷衍し辛いかも知れませんけどね。

私信の公開については、了承を得たかどうかを投稿者の自己申告に頼り切るのは不安も残ります。しかし方針が示されたからには、「了承していない」といった相手からの抗議があった時は投稿者に全責任が帰する、という事でしょうかね。

それにしても、2018/05/29に自分で「メールを許可なく公開するのはマナー違反」と書いたくせに(自分の行為についてとはいえ)他人同士で話題になると割り込んできて、

 「私が公開した情報は、情報公開を請求すれば、公開せざるを得ないと判断しています。」

ですからね。しかも続けて

 「ただし、税金を使っていない文書や、私文書扱いの情報なら公開する必要はありません。」

としている。
彼が公開したのは長島氏から彼へのメールによる返信であり、これは税金の係わらない私文書でしょう。しかし彼としては自身の問いに対する返信作成こそが「科研費を受けた長島氏の研究」なのでしょうか。面白い頭ですね。

私はABO FAN氏と直にやり合う積もりは在りません。揚げ足取りや後出しじゃんけん等、とかく相手の裏を付いて優位に見せかけたい様ですが、傍から見れば相手に振り回されているのと変わりない。彼には賢くなりたいとか、真理に迫りたい、といった気持ちは無さそうです。だから彼に対しては御別れをしておきましたが、観察記よろしく第三者的に何か書かせて貰う機会は今後も在るかも知れません。彼以外なら議論が成り立ってますから。 (投稿者:蚤取り,投稿日時:2018/09/19 20:53:16)

ご投稿ありがとうございます。
>掲載されなければ、「学会の教義に逆らっているから締め出すのだ」、「学者では無いからと身分で差別するのだ」、等と騒ぎそうですから
――おっしゃる通りの懸念がありまして、ずるずると、といった感じです。
>「了承していない」といった相手からの抗議があった時は投稿者に全責任が帰する、という事でしょうかね。
――そうですね。HP内のどこかに明文化する必要もあるかもしれませんね。ご指摘ありがとうございます。
(内容的に、このコメントが非掲載希望である可能性もありますが、回答表示のため掲載します。非掲載の場合、お手数ですが別途お申し出ください。)
(回答日時:2018/09/27 14:49:29)

ABO FANさんへ

「ご指摘をお願いします。」との事ですが、お断り致します。貴方と議論をする積もりなど御座いません。貴方との実の有る話など所詮、不可能です。ここでの皆さんとの経緯から明らかです。
私の2018/08/20の投稿は、こちらの運営に対して書いたのであって貴方に向けた訳ではありません。読んで記号を並べて頂くのは御自由ですが貴方の改心など期待して居りません。管理者からは反省と改善方針、感謝が示されました。それで十分です。
2018/09/17の管理者からの回答でも、「蚤取りさんが言っているのはそういうことではなくて」と成っていますね。要は貴方は私の主張を捻じ曲げているのです。嘘をついています。いつもの事ですね。
「蚤取りの主張」だと思い込ませようとして貴方がでっちあげた「主張」を批判されても私は困りません。その「主張」は私とは縁の無い、貴方に属する幻です。勿論、私が主張しても居ない事を「蚤取りの主張」だと思い込む人が他に出ては困るのですが今更、貴方の言い分を鵜呑みにする人も居ないでしょう。嘘つきの言葉など、誰も信じません。
私の主張は私の文を読めば解る事で、管理者には正しく伝わりました。もしも嘘をついているのでは無いとしたら貴方の読解力は管理者に比べて劣っているという事です。あの程度の文の意味も汲み違える様な曲解力では、法律や論文、能見や「金澤氏」や武田氏の本、を幾ら読んでも、まともに理解できないでしょうよ。

お別れの御挨拶に。ABO FANさんが「活躍」すればする程、血液型性格診断に科学的裏付けが在る、と感じる人は減っていく事でしょう。迷信撲滅の為に更なる御「活躍」を期待して居りますよ。 (投稿者:蚤取り,投稿日時:2018/09/19 20:45:03)

(回答日時:2018/09/27 14:14:49)

大変申し訳ありません、直前の投稿の一部の内容に誤りがあったので、お手数ですが差し替えをお願いします。
――――――
>まず、効果量に関してはもうずっと言い続けているので改めて回答はいたしません。
――特定の数字について、誰でも「0」か「1」で判断できるような明確な効果量の判断基準を示していただくよう、何十回もお願いしているのですが…。
「改めて回答はいたしません」というのは、少なくとも私には意味が理解できません。
>能見氏のデータで効果量・中はないと判断しております。
――正直、この文章の意味が全く理解できません。
確率・統計をちょっと勉強しただけでも、「能見氏のデータで効果量・中」は(条件さえきちんと整理すれぱ…少なくとも理論的には)いくらでも発見できます。
ウソだというなら、石川先生に確認していただければ、100%私の意見に同意していただけるものと確信しています。
それを上の文章のように簡単に否定できるとするなら、可能性は次のようなものでしょうか?
【質問】「能見氏のデータで効果量・中はないと判断」という根拠は次のうちどれですか?
a. 能見さんのデータを調べていない
b. 確率・統計の初歩的な勉強をしていない
c. 効果量の大・中・小を判定できない
d. 効果量・中は発見したが、立場上そうとは明言できない
e. 答えたくない
f. その他→具体的にどうぞ
>>制度を素直に解釈すれば、公開が義務化されている情報だと思いますが違うのでしょうか?
>――蚤取りさんが言っているのはそういうことではなくて、ABOFANさんが直接長島先生にメールした内容のことを指しているのだと思いますが。
――直接メールしたのは、管理者さんのアドバイスだったと記憶しています。それが公開できないとするなら、そもそも議論としては意味がないのだから、この管理者さんのアドバイスは無意味だったということになりませんか?
>1. 能見氏のデータにおける効果量は、山岡重行先生の追試では最大でd=0.47である。
>――まず、ふつうはこれを「能見氏のデータ」とは言いません。「山岡先生のデータ」です。
――これも科学の常道としては全く理解できません。ご存じのように、科学では「追試」で確認できない仮説は無意味です。追試で元の仮説が支持されるかどうかが勝負なのです。
また、「d=0.47」は「効果量・中」なのでしょうか? 管理者さんから特に明確な回答はありませんが、おそらく「効果量・中」だと判断されているのでしょう。
というのは、そもそもこのデータが「効果量・中」でなければ、「山岡先生のデータ」とわざわざ管理者さんが断り書きをする理由がないからです。仮にこのデータが「効果量・小」だとするなら、間違いなく管理者さんは「山岡先生のデータ」も「能見さんのデータ」でも「効果量・中」は存在しなかったとおっしゃるでしょうから…。違いますか?
なお、この投稿が「悪質ユーザー」のページに分類されないことを希望しています。 (投稿者:ABOFAN,投稿日時:2018/09/19 08:16:43)

ABOFANさん
>【質問】「能見氏のデータで効果量・中はないと判断」という根拠は次のうちどれですか?
――回答「f」。理由:(自身で示すと明言されていたにも関わらず)現在に至るまでABOFANさんが示してくださらないため。
>これも科学の常道としては全く理解できません。ご存じのように、科学では「追試」で確認できない仮説は無意味です。追試で元の仮説が支持されるかどうかが勝負なのです。
また、「d=0.47」は「効果量・中」なのでしょうか? 管理者さんから特に明確な回答はありませんが、おそらく「効果量・中」だと判断されているのでしょう。
――「d=0.47」が「効果量・中」で異論はありませんが、繰り返しますがこれは山岡先生のデータです。
そもそも、ABOFANさんのこれまでのコメントで、上記の「追試云々」などの話は一切出てきていないですよね?「能見氏のデータで効果量・中がある」と先に述べられたのはABOFANさんですから、その時点でたとえば「ただし、これは山岡先生の追試においてである」などと付記されていればまだ議論の余地があるのですが、そうした断りもなしに「追試で元の仮説が支持されるかどうかが勝負なのです」などとおっしゃられても、まったく筋が通りません。
もっと早くに提示されてしかるべきですし、そもそも山岡先生のデータは「血液型ステレオタイプ」に関する実証データですので、これを「能見氏の追試」とするのも誤りです。というか、だとすると能見氏は「血液型ステレオタイプ」を主張していた、ということにもなりますがそれでよいのですか苦笑? (回答日時:2018/09/27 15:13:37)

すみません、先ほどの投稿では環境依存文字が文字化けしたようなので、お手数ですが差し替えをお願いします。
なお、あわせて一部の文章を追加・訂正しました。
-----
連投失礼します。
ここでは、私の直前の投稿に管理者さんが「回答拒否」だと仮定して、“議論”を進めます。
さて、私の手元には、以前にこの掲示板にも登場された、山岡重行先生の著書「ダメな大人にならないための心理学」があります。
この本の表2-5「血液型性格傾向項目への回答の平均と標準偏差および分散分析分析結果」(p49-52)のデータの中から、F値の上位2項目で効果量dを計算してみました(回答は1~5の5段階で、数字が大きいほどよくあてはまる)。結果は次のとおりです。
《AB型の性格傾向》F=7.816, P<0.0001
気分にむらがあって、ともすると二重人格のように見えることがある
AB型 (n=126) 3.500 (SD=1.295)
O型 (n=377) 2.889 (SD=1.316)
d=(3.500-2.889)/1.3=0.47
※O型とAB型は対照的な性格とされています。
《B型の性格傾向》F=6.582, P<0.001
マイペース型で、周囲の影響を受けにくい
B型 (n=296) 3.408 (SD=1.101)
A型 (n=501) 3.068 (SD=1.147)
d=(3.068-3.408)/1.1=0.31
※A型とB型は対照的な性格とされています。
ここで、既出の一般的な目安(水本篤、竹内理 2008)http://www.mizumot.com/files/EffectSize_KELES31.pdf によると、d=0.2が「小」、d=0.5が「中」、d=0.8が「大」ですが、これを「中」と判断するのかどうかは管理者さん自身の基準によります。
いかがですか?
なお、参考までに、この2つの質問項目は元々次の論文(渡辺 席子 1995)によるものです。
血液型ステレオタイプ形成におけるプロトタイプとイグゼンプラの役割
The roles of prototype and exemplar in the formation of the "blood type stereotype"
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssp/10/2/10_KJ00003724631/_article/-char/ja/
この論文には、これらの質問項目は「血液型性格判断についての数冊の本 (船越, 1990a, 1990b; 岩城, 1991; 能見, 1984; 流, 1987; 鈴木, 1985) から抽出したもので、 複数の本(最低3冊)に共通して現われていた項目を使用した」と説明されています。
この渡辺氏の論文には、1984年の能見氏の本は、
・能見正比古, 1984, 『血液型エッセンス』 角川書店.
・能見俊賢, 1984, 『血液型しつけ学』 主婦の友社
とありますし、私も能見氏の項目であることは間違いないと思います。
以上をまとめると、
1. 能見氏のデータにおける効果量は、山岡重行先生の追試では最大でd=0.47である。
2. 効果量は一般的な目安(水本篤、竹内理 2008)http://www.mizumot.com/files/EffectSize_KELES31.pdf によると、d=0.2が「小」、d=0.5が「中」、d=0.8が「大」である。
3. これを「中」と判断するのかどうかは管理者さん自身の基準による。
ということになります。 (投稿者:ABOFAN,投稿日時:2018/09/08 19:17:19)

ABOFANさん
>私も能見氏の項目であることは間違いないと思います。
以上をまとめると、
1. 能見氏のデータにおける効果量は、山岡重行先生の追試では最大でd=0.47である。
――まず、ふつうはこれを「能見氏のデータ」とは言いません。「山岡先生のデータ」です。質問項目の一部のプロトタイプが能見氏の著書に基づいているのであって、(これまで我々が話していた内容における)「能見氏のデータ」とは意味が違いますよね。ABOFANさんがおっしゃっているのは「能見氏のデータで効果量・中である」ですし、山岡先生が行ったのは「能見氏の追試」ではなく、(強いて言うなら)「渡辺先生の追試」です。
というか、これまでさんざん能見氏の著書に基づいて話してきましたよね苦笑。
(回答日時:2018/09/17 20:48:30)

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