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血液型性格診断

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

 血液型性格診断とは、一般的にABO式血液型として知られている分類法によって、社会生活におけるヒトの性格を特定できるといった言説である(他に「血液型性格判断」「血液型性格分類」などともされるがこれらのいずれも明確な定義が与えられてはいない)。つまり、「ABO式血液型」という要素“が”特定のヒトの「性格」に影響を与えている、としているものである。
 まず、ABO式血液型について簡単に説明する。ヒトの血液細胞の中で最も大量に存在するのは赤血球であり、この赤血球の細胞膜表面には個人がもっている遺伝子によって表現される血液型物質がある。1900年、オーストリアの研究者であるラントシュタイナー(K.Landsteiner)によってこれが研究され、彼は血液型を4種類(A型、B型、AB型、O型)に分類できることを発見した(1)(2)。
 以上が現在一般認知されているABO式血液型の基本原理である。ちなみに、A、B、Oとは遺伝子を意味しており、メンデルの遺伝法則にしたがって個人を標識する抗原である。そのため、AAまたはAOの組合せでA型に、BBまたはBOの組合せでB型に、OOの組合せでO型に、ABの組合せでAB型になる。
 血液型性格診断は、上述の血液型の4区分から特定のヒトの性格や相性を説明でき、それを日常生活においても活用できるといったものが一般的によく知られているものであり、本項目においても基本的にはそういった一般通念を踏襲したものを“評定の対象”とする(3)(4)(5)。
 加えて、本言説の議論にてしばしば見受けられるアンケート調査などの統計的調査における本言説の有効性、血液型と疾患との関連性、今後の研究可能性においても言及しながら評定を進める。
 血液型性格診断言説においては諸説入り乱れているのが実態だが、能見氏の「血液型人間学」など(3)(4)と、医学・疫学・遺伝的観点からの「血液型」と「ヒト」との成果は明確に区別しながら記述する。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 (低)

 そもそも、血液型性格診断における「性格」が何を意味しているのかが不明であることが最大の問題点といえる。「性格」とされるものの定義が不明瞭であり、たとえば“誰の”“どのような状況における”“どういう対応をすることから”“こういう「性格」であると定める”という一般化はなされておらず、どうとでも上手く解釈できる曖昧なもの全般を「性格」と表している(5)。これでは理論を一般化できず、科学性の評定としては致命的である。
 また、ABO式血液型については本項冒頭にて記述したが、果たしてこの区分が如何に人間の性格として反映されているのか、という理論への疑問に対する合理的な説明は今のところないという指摘もできる。たとえば、心理学的知見からたびたび指摘されている「バーナム効果」や「自己成就」については、肯定派において十分な議論がされていない、あるいはそれらの概念の誤用による反論が見受けられ、理論面において充実した議論は行われていないことが推察できる(6)(7)(8)。
 さらに、血液型性格診断の理論においては、その内部においてすら矛盾が見られ、科学性を評価できる理論体系をなしていないことすら指摘できる。たとえば、過度な血液型性格診断信奉者においては「血液型十戒」なるものを理論的な標ぼうとしている(5)のだが、そこでは、「8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。」としつつ、その2においては「2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。」や「9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。」などといった内部においても論理性の乏しい説明が多々見受けられる。このように、科学性とはおよそかけ離れた理論を選択していることが言説全般的に見受けられる。
 血液型と疾患や体質にまで話を広げても、今のところ論理性を高く評価できる要素はない。特定の疾患に対する罹患率の違いや耐性についての研究なども、因子の解明や理論構築まではなされていないのが実情だ(9)(10)。
 ABO式血液型で性格診断を行うということは、ヒトを4つの分類に細かく類型化する(できる)ということなのだが、それに対する合理的な説明を見出すことができないのが現状である(そういう意味では、血液型と疾患の研究においては一定の評価を下すことはできる)。

理論の体系性 (中)

 ABO式血液型が既存の学術体系から逸脱した理論であるとは断定できない。人間の体内には大量の赤血球が存在し、その赤血球それぞれにA、B、AB、Oの各型に特有の糖鎖が付いている(ここでの糖鎖とはN-アセチルガラクトサミン、d-ガラクトース、アセチルグルコサミン、フコースによる分子構造を表す)。この点に関するかぎり、生化学的には血液型でそれぞれ全く違った機能をもつとも主張できる。
 しかし、それを正当化するのなら、血液型以外にも分類する要素は数多くありそうだ。仮に血液型のみに注目しても、Rh式やli式、MN式などの識別法もあり、げんに臓器移植などの場合にはこれら多くの要素を考慮する(11)(12)。こう考えると、ABO式のみによって性格にまで言及する理論は、他の知見との整合性が低いと思われる。
 さらに、ヒトの性格について、ABO式血液型を主軸として説明する、という理論選択に合理性を見出すことも難しい。ヒトの「性格」については今も多くの議論があり、「性格」とはどういう要素から構成されているのか、といった問いを考える場合、いわゆる複雑系であることや、進化心理学などでよく知られる「心のモジュール性」(13)(14)という概念として考える方が“ABO式血液型”を持ち出すよりも遥かに整合性が高い。 たとえ、ABO式血液型が「性格」における一要素であったとしても、わざわざ血液型性格診断を「性格」における主理論として採用する必然性はなく、このような言説に依存しなければならない積極的な理由を見出すことはできない。
 ただし、ABO式血液型と進化生物学との相関性や特定疾患への罹患率といった研究が近年報告されていることは注目すべきことだろう(9)(10)。たとえば、A型の遺伝子は免疫機能が低くなる遺伝子と共起する確率が高いので、抗原をなるべくしりぞけようと神経質な性格が共進化したという理論は、進化論、あるいは生物学などと整合的である(10)。その点を考慮したうえで体系性は中程度と評価する。

理論の普遍性 (低)

 特に能見氏を源流とする「血液型人間学(≒血液型性格診断)」においては、それが“誰にでも普遍的に適応可能だ”としているが、言説の実態がつかめない。全般として、“何となく○○型はこんな感じ”という大雑把な情報しか提供されておらず(3)(4)(5)、普遍性を推し量ることはできない。思い込みや社会通念が先行しており、理論的な実像がつかめないのである。これでは普遍性を評定する以前の問題だろう。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 (低)

 能見正比古氏の著書(研究論文ではない)や「ABOの会」にて、血液型性格診断に関する肯定的な主張がこれまでに何度も発表されている。しかし、データの再現性という観点において、高評価を与えられる水準に達しているとはいえない。
 たとえば、血液型性格診断の源流の一つである能見氏は、自著へのアンケート調査(数万人規模、としているもの)にて再現性を保証できるとしているが、そもそもそのようなアンケートを“能見氏”に送る“対象”がサンプルとして偏っている(平たく言えば、能見氏の信奉者である)というバイアスを排除するような厳密性のあるものではない(3)(4)。血液型性格診断の関連団体である「ABOの会」の主張においても、一万人規模のアンケート調査で統計的有意差が出たとの報告もあるが、前述したような「バーナム効果」「予言の自己成就」「確証バイアス」「F・B・I効果(フリーサイズ・ラベリング・インプリティング効果)」といった、心理学で広く知られた効果が排除された実験デザインがとられていない。
 一方、血液型性格診断に否定的な研究データは数多く積み重ねられており(能見氏の著書においても統計的に有意な差がなかったデータもある(3))、肯定的なデータよりも信頼がおける(15)(16)(17)(18)(19)(20)。
 ただし、血液型と疾患といったことにまで言説の対象範囲を広げると、2009年にアメリカ国立がん研究所が膵臓がんの危険因子と血液型の相関性についての研究報告をしていたり(21)、2000年に科学誌「ネイチャー」にてO型と非O型の胃がんに対する見解が述べられていたり(9)と、再現性において評価できる研究も存在する。まだまだデータ不足という面もあり、一概に評価できるものではないが今後の研究可能性としては期待の持てるものだろう。
 しかし、これらの研究は能見氏等の血液型性格診断を補強するものとは言えず、医学・生理学などにおける研究成果とするのが一般的だ。
 したがって、「血液型性格診断」の再現性は低評価とするが、これは前述の「血液型」の医学的な側面のデータを否定するものではない。

データの客観性 (低)

 肯定派の提示する研究報告においては、信奉者による主観的な感想、統計調査における標本抽出の偏り、研究対象の未特定化、「自分はA型だから神経質だ」という性格の自己成就などの可能性が指摘できる(3)(4)(16)(18)(20)。したがって、血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型“が”「性格」やその傾向性に影響を与えている、としていてもその客観性は低い。
 また、医学・生理学的知見からも言説全体に対して同様の指摘ができる。例をあげると、近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多いことが指摘されている。血液型性格診断によるとA型の典型的な特性は「神経質」だということが主張されており、その根拠として胃痛の多さなどがデータとして挙げられている(9)(10)。しかし、血液型性格診断で言われているようにA型の人が「神経質」である“がゆえに”胃痛になりやすいのか、それともA型にはピロリ菌保菌者が多くそれによって胃痛が引き起こされるため“結果的”に「神経質」な人が多いように見えるだけなのか、といったことを客観的に区別できるような研究手法は採られていない(前者であれば「血液型性格診断」の成果といえるが、後者ならば改めて議論が必要である)。
 現在の心理学分野と、医学・生理学分野は個々に独立しており、「血液型」と「性格」を連携させた研究方法はまだ未熟ではある。ただし、今後の研究次第(たとえば遺伝学的な)では血液型とヒトの性格との関連性について客観的なデータが示される可能性もなくはないことは追記しておく。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 (低)

 血液型性格診断において、肯定的なデータが妥当に収集されているとは言えない。繰り返しになるが、心理学でよく知られている「自己成就」や「バーナム効果」などの要因を排除した形の実験デザインが採られておらず、このような指摘に対して“反論”できる体制が整っていない。

理論によるデータ予測性 (中)

 現在、能見氏を原点とする「血液型性格診断」が科学的手順を踏まえて研究されているとはいえず、予測性は低い。今一般認知されている血液型性格診断はほとんど文化として根付いてしまっており、もはや科学性を論じるに値しない言説と化している。
 一方、血液型と疾患については医学・疫学的観点から比較的研究が進められており、成果といえるものも出ている。たとえばコホート実験などの医学疫学において信頼できる研究方法から、血液型による膵臓がんリスクの違いといった発表(9)もされており、この点では予測性は高いと評価できる。さらに、進化生物学的観点から血液型とマラリアやコレラとの関連性(10)も若干ではあるが報告されている。
 予測性は中程度と評価するが、これは医学・疫学・遺伝的な成果を高く評価したためであり、このような分野の評価に重点を置いたものである。

社会的観点

社会での公共性 (低)

 日本において血液型性格診断が一般認知され始めたのは、1970年に出版された能見正比古氏による「血液型でわかる相性」からである(4)。これ以前にも1927年に「血液型と気質の研究」と題する研究論文が古川竹二氏(女子高等師範学校教授)によって発表されていたが(6)、継続的な研究が始まったのは前述の能見氏による著書が初めてであり、現在では氏が設立した「ABOの会」という団体が血液型性格診断について肯定的な主張を繰り返している(現在では「ABOセンター」が実質的にその意味を引き継いでいる(5))。
 しかし、利害関係のない公共性の高い研究においては、血液型性格診断はたびたび否定されており、肯定派において同様の水準に達している研究報告は現在のところない。したがって、社会での公共性は低評価とする。

議論の歴史性 (低)

 上述したように、現在の血液型性格診断の社会における広まりは、能見正比古氏の著書にみることができる。それを発端として1970年代から血液型性格診断の科学性の議論もさかんに行われてきた。たとえば心理学分野は血液型性格診断に強く反発しており、否定的な研究発表も多くある(「日本パーソナリティ心理学会」においてはホームページ上にて、血液型性格診断に対して懐疑的な意見文を掲載している(22))。
 一方で、血液型性格診断を積極的に肯定する立場(科学的なものだとして)の多くは能見氏の言説に依存している様子が見受けられ、また、そういった科学性を謳う言説において、“主張の責任を請け負っていない”ことが問題点として挙げられる。たとえば「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例(データ)が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」や、他の全く指標の異なったデータを持ち出して「このデータを担保にできる」などである(現に、肯定派においてはこれが横行している)。このように反証データを得ても、そうしたものに対して無反省であり、科学性が議論できる構造とはいえない。
 以上より、議論の歴史性は低いと評価する。

社会への応用性 (低)

 血液型性格診断が社会において有効的に活用されているとはいえない。そもそも、血液型による性格の傾向性を重視しているのは日本人がほとんどであり、世界的にみると血液型性格診断という概念すら一般的ではない。にもかかわらず日本社会では、ブラッドタイプハラスメントといったものを始めとして人々に対する差別や偏見を助長させる要因の一つとなってしまっているのが実態である(6)(23)。
 また、血液型性格診断はヒトの性格を4種類の血液型の中から“当てる”という占いのような娯楽だと受け取ることもでき、そこに科学性を乗せてしまうと人が感じる快不快の度合いも大きくなってしまうだろう。結果として、人間関係を円滑に進めるうえでの弊害ともなりかねない。
 ただし、これは一概に血液型性格診断のみの功罪とはいえない。たとえば、仏滅に結婚式を挙げる人はまずおらず、一般的に友引に葬式は行わない。このように大衆心理は科学とは無縁に働いており、血液型性格診断が控えめな誤信として機能している分には、科学がそれを排斥する必要まではないだろう。
 しかし、血液型性格診断においては企業の採用といった、人生の大きな岐路でも使用されており、とても控えめという表現で収まっているものではない。このような実情を考慮すると、あえて社会への応用性は低いと評価すべきだろう。

総評

疑似科学

 現在一般認知されている「血液型性格診断」は疑似科学だと位置づけられ、そこで語られているものに科学的根拠は全くないといってよい。たびたび指摘したが、血液型性格診断の最大の問題点は、能見正比古氏の著書「血液型でわかる相性」「血液型人間学」などが流行りすぎてしまったことだろう。能見氏の言説の流行が多くの過激な信奉者を生みだしてしまい、それに対抗する形で主に心理学界からの強い反発が繰り返し行われてきた。このような構図から、心理学界の過剰ともいえる「血液型」嫌いという問題も発生してしまい、健全な議論ができる土壌がない、あるいは良心的な研究者の芽をも摘んでしまっているということは考慮に値する(24)。
 そうした中で、医学・疫学・遺伝的観点や進化生物学的視点からは角度の異なる考察をすることもできる。
 医学領域としての血液型とヒトの研究は1950年代~1970年代初頭までは比較的行われており、多くの疾患と血液型との関連性について様々な議論が繰り返されてきた。そんな折、先の能見氏による著書が爆発的にヒットし、しかもそれを科学だとして主張し一般大衆の誤解を招いた。このような経緯は前述の通りであり、それが多くの研究者を血液型の研究から離れさせてしまい、血液型性格診断を疑似科学の象徴として扱う風潮に、医学界においても繋がった。現在では、血液型について言及できるのは輸血と臓器移植の際のみであり、血液型の話題さえ嫌う医師もいるという状況でさえある(10)。
 しかし、「血液型」と「疾患」、「血液型」と「進化」、「血液型」と「遺伝」といったことについて研究されたものの中には信頼のおけるものも多くあり、今後の研究可能性が幅広いことは肯定材料だろう。さらに、特定疾患へのリスクの違いや、免疫機構の違いなど、遺伝的な説明によって応用性の高いものにもなりうる。
 ヒトの「性格」という言説における明らかな論理的飛躍には注意する必要があるが、少なくとも血液型と人間機能の関連を研究する価値や意味は、心理学から指摘されているほど順位の低いものではないだろう。今後の研究次第では、たとえば血液型と疾患といったアプローチからヒトの気質にまで科学的合理性を保った言及がなされたとしても、それほど不自然ではないだろう。
 ただし、繰り返しになるが、現在広く一般認知されている「血液型性格診断」における科学的根拠は乏しく、疑似科学であると評価する。

参考文献:

(1)『よくわかる 最新血液型の基本としくみ』 松尾友香
(2)『絵でわかる血液のはたらき』 八幡義人
(3)『血液型人間学』 能見正比古
(4)『血液型でわかる相性』 能見正比古
(5)http://www.human-abo.org/#!aboutus/cktc 一般社団法人 ヒューマンサイエンスABOセンター
(6)『なぜ疑似科学を信じるのか』 菊池聡 化学同人
(7)季刊『理科の探求』左巻健男 2015春号 特集 ニセ科学を斬る!リターンズ p50-109(p56-61)
(8)『心理テストはウソでした』 村上宣寛
(9)『血液型で分かる なりやすい病気なりにくい病気』 永田宏
(10)『血液型の科学』 藤田鉱一郎
(11)http://www.jrc.or.jp/donation/first/knowledge/ 日本赤十字社 血液の基礎知識
(12)https://hospital.city.sendai.jp/department/mame05.html 仙台市立病院 診療科のご案内 「第5回 血液型のはなし-ABO式血液型-」
(13)http://plato.stanford.edu/entries/modularity-mind/ Stanford Encyclopedia of Philosophy 「Modularity of Mind」
(14)『だまされ上手が生き残る 入門!進化心理学』 石川幹人  光文社
(15)「血液型と性格の無関連性」縄田健悟(2014)
(16)「血液型性格判断はなぜすたれないのか」 山下玲子 武蔵大学 社会学部
(17)血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2)) 山岡重行 大村政男 浮谷秀一
(18)「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
(19)「血液型による性格の相違に関する統計的検討」松井 豊(1991)
(20)Blood-typical Personality Stereotypes and Self-fulfilling ProphecyAkira SAKAMOTO Kenji YAMAZAKI 2002
(21)http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19648918 Genome-wide association study identifies variants in the ABO locus associated with susceptibility to pancreatic cancer.
(22)日本パーソナリティ心理学会血液型性格診断に関する意見文 公益社団法人 日本心理学会
(23)テレビ番組が増幅させる血液型差別 山岡重行
(24)『よい教育とは何か』 西条剛央 京極真 池田清彦

・(ダメな大人にならないための心理学 山岡重行)『書評』野崎瑞樹
・『機関誌「心理学ワールド」52号 2011年1月号 特集/偏見とステレオタイプの心理学』
・『血液型の迷路』 大西赤人
・『性格を科学する心理学のはなし』 小塩真司
・「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」 白佐俊憲
・『科学技術をよく考える -クリティカルシンキング練習帳』 伊勢田哲治 戸田山和久  調麻佐志  村上祐子 名古屋大学出版会
・『新編 血液型と性格』 大村政男 福村出版

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

(最終更新日時2015年8月17日)

投稿

投稿&回答

“回答”ありがとうございます。
>「血液型性格に肯定的な論文は心理学ではリジェクトされる」とのことですので、たとえば、はじめは心理学の外側から心理学の性格研究を批判的に検討するという構図を目指されてはいかがでしょうか。
――はい、ですからまさに、このことをこのサイトでしているわけです(笑)。その結果はすべて“回答拒否”なわけで、この点は疑似科学否定側からの反応では、なんと再現性が100パーセントとなっています。NATROMさん、kikulog、let’s skepticさん、nさん…とあまりにも多過ぎて書き切れないほどです。
疑似科学否定側の人には、何かわからないが「科学」以上の何か(例えば、血液型性格判断は絶対に間違っているというような“科学”)が存在し、少なくとも仲間内ではそれに絶対に反対できない雰囲気があるということでしょうか…。まぁ、このことを「朱子学」だと言ったら、山○弘さんが怒ってましたが、少なくともデータで全く反論はしてきません。というか、もともとデータでは血液型と性格に関係あることは、性格検査の原理からして自明なことなので、反論しようがないのですが…。
山本七平さんはその名著「空気の研究」で、いみじくもこれを「空気」と名付けたわけですが、日本では特に不思議なことではありません。
>――皮肉ですが、そういえば、ABOFANさんは「メタ分析」をご存じなかったですね。また、ごく初歩的なカイ二乗検定の計算も間違っていましたね。
――私は特に統計が得意なわけでもなければ、それほど優秀なわけでもありませんが、自分の間違いは間違いとして認めることぐらいはできます。まさに、「子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也」なわけです。“回答拒否”や、2006年のJISを知らないことを無視するよりは、遙かに科学的な態度だと(少なくとも私自身は)信じています。
偏相関係数を知らなくとも、必要に応じて勉強すればいいだけですので、それが恥ずかしいからといって、何も隠す必要はないと私は思います。
不愉快になるかもしれませんが、もう少し詳しい情報が知りたい場合は拙サイトをご覧ください。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/psycho-old.htm
最後に、この投稿が不掲載にならないことを祈るばかりです。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2017/10/11 23:53:32)

>回答
ABOFANさん
>はい、ですからまさに、このことをこのサイトでしているわけです(笑)。
――まだご理解いただけていないようです。
>この点は疑似科学否定側からの反応では、なんと再現性が100パーセントとなっています。NATROMさん、kikulog、let’s skepticさん、nさん…とあまりにも多過ぎて書き切れないほどです。
――なるほど。では、ABOFANさんがこれらを事例として論文をお書きになってから、学術的な題材として議論することにしましょうか。そういうわけで、論文発表後(あるいは学会発表などを経た後)にまたご連絡ください。
(回答日時:2017/10/16 10:27:04)

>“回答拒否”もなにも、今回のコメントの何に対して返信すればよいのですか?
>ご指摘の意図を明確にしていただければと思います。(回答日時:2017/10/02 14:34:10)
――前回の投稿に明確に書いていますが、ご要望ですので再度示しておきますか。
《引用開始》
蛇足ですが、今回のこの投稿の目的は管理者さんは十分お分かりかと思います。前回の投稿(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2017/09/24 16:18:51)の再確認です。そうです、管理者さんが統計の基本を理解していないことを証明するためです。具体的には、管理者さんは偏相関係数は理解できないはずなので、回答したくても不可能だということを証明するためです。
ということで、私はこの投稿へ管理者さんは“回答拒否”だと予想しています(事前の予想通り、前回は“回答拒否”でした)。
(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2017/09/26 22:25:10)
《引用終了》
これについては、予想通り“回答拒否”ですので、上で引用した前回の投稿のとおりだと判断します。
>ABOFANさんには質的データと量的データの区別がつかないのですね苦笑。
――それぞれに適用できる統計処理があるので、特に問題ないのではないでしょうか? もちろん、効果量もそれぞれ計算できます。
上の管理者さんの回答の内容から推測するに、たぶん管理者さんがそういうことを理解していないだけではないかと…。
>ABOFANさんはどのようなコメントに対しても挑戦的に振る舞わなければ気が済まないのですか?苦笑
――経験的に、この掲示板のような場所では、そのように振る舞うと回答が返ってくる率が高くなるので、そうしているだけです。現に、この投稿には(珍しく?)管理者さんから、直接回答をいただけたではないですか。他の投稿は一切“回答拒否”ですから…。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2017/10/03 23:20:40)

ABOFANさん
>それぞれに適用できる統計処理があるので、特に問題ないのではないでしょうか? 
――なるほど、そうですか。でしたら、清水先生の論文のようにデータを収集し、論文を執筆の上、ご自身で専門誌にご投稿ください。現に清水先生はそうされていますので、ABOFANさんも同じように学術研究を行えばよいと思います。
「血液型性格に肯定的な論文は心理学ではリジェクトされる」とのことですので、たとえば、はじめは心理学の外側から心理学の性格研究を批判的に検討するという構図を目指されてはいかがでしょうか。
>前回の投稿に明確に書いていますが、ご要望ですので再度示しておきますか。
――まだよくわからないのですが、要するに「偏相関係数」を私が”知っているかどうか”ということですか?
>管理者さんが統計の基本を理解していないことを
――皮肉ですが、そういえば、ABOFANさんは「メタ分析」をご存じなかったですね。また、ごく初歩的なカイ二乗検定の計算も間違っていましたね。
(回答日時:2017/10/11 11:49:05)

すみません、連投失礼します。
前回までに投稿した山岡先生の論文
山岡重行 血液型差別に及ぼす放送倫理・番組向上機構(BPO)勧告の効果 日本社会心理学会第57回大会論文集(2016年)
の解説ですが、この掲示板ではグラフが表示できないので、私のブログに表とグラフ入で解説してみました。
“差別”を防止するのは、正しい知識で「決めつけ」を防ぐことが大事 http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2017-09-30
たぶん、この方が分かりやすいと思いますのでご参考までに。
そういえば、前回の三角関数の投稿で、前鹿児島県知事の発言が炎上したことを思い出しました。確かに、私の周りの人間は男女に関係なく三角関数は「10分の9は使ったことがない」かもしれません(苦笑)。
この掲示板では、そうでないことを願うぱかりです。
以下はその日経の記事の紹介です。
鹿児島知事「女子に三角関数必要ない」 後に発言撤回 日本経済新聞 2015年8月29日付
鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、県教育委員らが参加した会議で「高校教育で女子に(三角関数の)サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」と発言したことが分かった。28日の定例記者会見で、発言について「自分自身も使ったことがないよねという意味。口が滑った」と述べ、撤回した。
発言は、全国学力・学習状況調査の結果が25日に公表されたことを受け、27日の県総合教育会議で知事としての目標設定について問われた際にあった。伊藤知事は「女性委員に怒られるけど」と前置きした上で「サイン、コサイン、タンジェントを社会で使ったことがあるか女性に問うと、10分の9は使ったことがないと答える」とも述べた。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG28HBN_Z20C15A8CC0000/ (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2017/09/30 11:57:04)

(回答日時:2017/10/02 15:28:11)

今回は情報提供です。
最近、管理者さんとほぼ同年代である20代から30代の“純粋文系”の男女と話す機会がありましたので、参考までに報告しておきます。
なお、学力的には、明治大学と同じレベル(と言われている)の大学の卒業生です。
この話は、今週のとある日、関数電卓の忘れ物(?)があり、誰のだろうねということで話が始まったのですが、(私にとっては)驚くべきことに、誰も三角関数が具体的にどんなものか理解していなかったので、関数電卓が使えなかったのです。
「サイン、コサイン、タンジェントってあったよね」
「どうやって計算するんだっけ?」
「わかる人はすごいよね」
「高校を卒業してから三角関数なんて使ったことない」
「確か昔に、正弦定理とか余弦定理を習ったような気がするが、すっかり忘れた」
などなど(苦笑)。
センター入試を受けた人もいたので、どうやったのか確認したところ、200点満点で2桁後半の点数だったとか…。もう1人は、高校の数学は“暗記物”だったので、パターンと同じ問題なら解けるが、それ以外は全くダメとのこと。別の私立文系の人間は、そもそも数学は入試にないので、全然勉強しなかったそうです。
まぁ、これはたまたま私の知り合いがそうだったのかもしれません。
と言うことですので、私の話した何人かは、「偏相関係数」どころか、普通の「相関係数」も理解しているとは思えず、これ以上質問するのはやめました。いや、高校で習ったはずの「標準偏差」さえ怪しいものです。
#ゆとり教育世代の人間もいましたからね…。
だからといって、彼ら彼女らの日常生活に何か支障があるわけではないですが、少なくとも私の周りの“純粋文系”の人間に(相当高偏差値の大学出身でも)確率・統計の話がちんぷんかんぷんであることは確実です。
少々ショッキングな会話となりました。
しかし、そんな会話からこの掲示板のやりとりを理解すると、非常に納得できるものがあります(苦笑)。
例えば、次のさすらいの馬券師さんの発言です。
・非常に大きな勘違いがあるので指摘しておきますが、否定側の反応に再現性があるのではなく(「再現性」という言葉を使えば科学的だと思っていませんか?)、まともな議論を求めている人は皆一様にABOFAN氏を相手にしなくなっているのです。その理由について、私は前回の投稿で丁寧に説明しているのですが、そこは完全に無視されてますね。それとも、文章全体を読み通す能力が無いのでしょうか。
・私は知識や情報は多ければいいというものではない、と言ったのであって、必要ないと言っているわけではありません。それは、普通に文章を読むことができる人であれば、当然読み取れるはずです。ところが、ABOFAN氏はそんな簡単な読解力すらないので、上記のように反論して来たわけです。(投稿者:さすらいの馬券師,投稿日時:2017/09/13 20:24:36)
正直、何を言いたいのか理解できなかったのですが、この方が「高校を卒業してから三角関数なんて使ったことない」“純粋文系”だとすれば疑問が氷解します。そもそも、私が説明している初歩的な統計がわからないのですから、それを“批判”しようとするなら、他にやり方がないのでしょう。「まともな議論を求めている人は皆一様にABOFAN氏を相手にしなくなっている」というのは、批判側に統計の基礎知識がないのだから、そもそも私を相手にしようがありません。ましてや、血液型のような“疑似科学”に批判的な人が、そういう“信者”である私より統計が理解できないなんて、口が裂けても言うはずがありません(苦笑)。
さすらいの馬券師さんには、こんな発言もあります。
・あらためてABOFAN氏の読解力の無さ、文章力の無さ、都合の悪い部分はスルーし、反論(曲解)出来そうな部分だけ反論して勝った気になっている、という事が確認できました。(投稿者:さすらいの馬券師,投稿日時:2017/09/13 20:24:36)
とありますが、これもそういう文脈なら簡単に理解できます。確かに、「データ」や「統計」を読み解く力と、日本語の「読解力」「文章力」は基本的に別物です。そもそも、私の説明している統計は、χ2検定、相関係数など…ごく初歩的なものなので(複雑な統計は分かりませんし…苦笑)、「パターンと同じ問題なら解ける」ものばかりなので、反論(曲解)というのは言いがかりです。それなのに、「読解力」「文章力」とは妙な“批判”だと思っていたのですが、“純粋文系”の批判だとすれば確かに腑に落ちます。
ところで、この掲示板の管理者さんは、「偏相関係数」は大丈夫でしょうか?
正直なところ、「効果量」はまだ理解しているとは思えないので、「標準偏差」もどうなのか怪しんでいるところです。それで「科学的コミュニケーション」がまともにできるかは、個人的に非常に疑問です。
なお、これは私の個人的な感想ですので、管理者さんなどからの回答を求めているわけではありません(もっとも、回答を拒否しているわけでもありませんが)。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2017/09/30 08:35:51)

(回答日時:2017/10/02 15:28:18)

>>私も「個人的な感覚」として、血液型性格に肯定的なニュアンスの論文は査読でリジェクトされることは事実であり、「一般化できる」と信じています。
>――あぁ、なるほど。この主張を一般化されたいわけですか。どうでしょう。気持ちはわかりますが難しいと思いますね。まず、どのように実証データを収集すればよいか思いつきませんし。
――“回答”ありがとうございます。いや、正確にいうと“回答拒否”が確認できてありがとうございます。念のため、前回の私の投稿の関係部分(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2017/09/18 22:52:21)を再掲します。
【引用開始】
>>私が確認したいのは管理者さんの「個人的な感覚」ではありません。
>――前回の質問の語尾は「思いますか?」でした。ですので、個人的な感覚以外でお答えしようがありません。
――これは私の質問が悪かったかもしれませんね。私が、いやこの掲示版の読者が(仮にいたとして…)知りたいのは、この管理者さんの「個人的な感覚」を管理者さん自身が「一般化できる」と信じているかということです。私は、一般化できないと受け取りました。ご承知のように、一般化できないのものは科学ではありません。違いますか?
それとも、この管理者さんの「個人的な感覚」は「一般化できる」のですか?
【引用終了】
上の私の引用部分には“回答拒否”だということが確認できました。なぜなら、管理者さんは「個人的な感覚」しか回答しない、つまり管理者さんはこの部分の回答は「非科学的」だということです(一般化できないということですから…ね)。
なお、「どのように実証データを収集すればよいか思いつきません」とは悪い冗談でしょう。まずは清水先生に事実関係を確認されてはどうでしょうか? まあ、管理者さんの立場からすると無理だというのは重々承知していますが、それは疑似科学批判業界には明確な“タブー”が存在し、それは“業界標準”であることの証明にしかなりません。念のため、以下は前回の私の投稿(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2017/09/18 22:52:21)からの引用です。お手数でも確認をお願いします。もっとも、私はこの投稿へ管理者さんは“回答拒否”だと予想していますので、たとえ“回答拒否”でも、この投稿がされれば構いません…。
―――――
【1】
まず、石川・清水先生の論文が掲載されたのは、『構造構成主義研究』シリーズという専門書の形式をとっており、ふつうの学会誌ではありません。iiiページにも「本シリーズは,従来の学会組織を母体とした学会誌ではない」とわざわざ断り書きがあります。
従って、論文誌はOKかもしれませんが、管理者さんは清水先生や私が論点にしている「学会(誌)」については何も“反論”がないということになります。
【2】→否定的な見解が1人
そして、以前にも紹介しましたが、twitterでは京極先生が、こうおっしゃっています。 https://twitter.com/makver2/status/64457181021470720
次の「清水武 2011 心理学は何故,血液型性格関連説を受け入れ難いのか 学会誌査読コメントをテクストとした質的研究 構造構成主義研究5 92-115」は学会の通説と異なる結果を、査読という閉鎖空間で否定する査読者の言説を分析してます http://amzn.to/mmalZu
【3】→否定的な見解が1人
次は、この論文についての清水武先生のコメントの一部です。
今後の研究論文は,関連説を肯定的に支持する内容が含まれる限り,全て掲載に値しないという判断が下される可能性が極めて高いことになる。やはり,掲載を認めるわけにはいかないという結論が先にあるように感じられる。
【4】→否定的な見解が3人
さて、清水先生の論文の査読者は3人いるようなので、代表的なコメントの一部を紹介します。
[第一査読者のコメント]
(1-1)本調査のような調査データからは「血液型ステレオタイプ」の反映であるという批判を,方法論の上から、永遠に逃れないと思います。
(1-1)血液型研究を調査的手法によって検証?しようというのは出発点として誤っています。
(1-3)そもそも、本研究の「仮説」は何なのでしょうか。血液型(抗原)と何? とが「関係あり」なのか「なし」なのか、最後までわかりませんでした。
[第二査読者のコメント]
(2-3)もちろん,血液型と性格を否定的に論じる現状が間違っており,著者の主張が正しい場合もある。アインシュタインの相対性理論の論文がレフリーペーパーにならなかったように,正しい論文が正当に評価されずに掲載されない可能性もある。しかし,この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)
[第三査読者のコメント]
(3-1)遺伝子多型とパーソナリティ測定値の研究で自己申告による血液型との関連性を確認しても,本来の血液型との関連性なのか,本人が思い込んでいる血液型との関連性なのか分かりません。
なお、以前の投稿で紹介したように、第二査読者は、ほぼ間違いなく現在の心理学会の中心人物だと推測されますので、これらの査読者の意見は学界全体のものであり、“査読者個人”や特定の“学会誌”だけではない可能性が極めて高いです。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2017/09/26 22:55:20)

ABOFANさん
>なお、「どのように実証データを収集すればよいか思いつきません」とは悪い冗談でしょう。まずは清水先生に事実関係を確認されてはどうでしょうか?
――私のコメントにも誤解があったのかもしれませんが、ABOFANさんには質的データと量的データの区別がつかないのですね苦笑。繰り返しますが、
>私も「個人的な感覚」として、血液型性格に肯定的なニュアンスの論文は査読でリジェクトされることは事実であり、「一般化できる」と信じています。
――を示したいのであれば、(ABOFANさんの得意分野の)統計的な(量的)データが必要ではないですか?というのが私の指摘で、それは難しいのではないかというのが疑問です。そんなにムキになるところではないかと思うのですが、ABOFANさんはどのようなコメントに対しても挑戦的に振る舞わなければ気が済まないのですか?苦笑
(回答日時:2017/10/02 14:46:24)

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