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血液型性格診断

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

 血液型性格診断とは、一般的にABO式血液型として知られている分類法によって、社会生活におけるヒトの性格を特定できるといった言説である(他に「血液型性格判断」「血液型性格分類」などともされるがこれらのいずれも明確な定義が与えられてはいない)。つまり、「ABO式血液型」という要素“が”特定のヒトの「性格」に影響を与えている、としているものである。
 まず、ABO式血液型について簡単に説明する。ヒトの血液細胞の中で最も大量に存在するのは赤血球であり、この赤血球の細胞膜表面には個人がもっている遺伝子によって表現される血液型物質がある。1900年、オーストリアの研究者であるラントシュタイナー(K.Landsteiner)によってこれが研究され、彼は血液型を4種類(A型、B型、AB型、O型)に分類できることを発見した(1)(2)。
 以上が現在一般認知されているABO式血液型の基本原理である。ちなみに、A、B、Oとは遺伝子を意味しており、メンデルの遺伝法則にしたがって個人を標識する抗原である。そのため、AAまたはAOの組合せでA型に、BBまたはBOの組合せでB型に、OOの組合せでO型に、ABの組合せでAB型になる。
 血液型性格診断は、上述の血液型の4区分から特定のヒトの性格や相性を説明でき、それを日常生活においても活用できるといったものが一般的によく知られているものであり、本項目においても基本的にはそういった一般通念を踏襲したものを“評定の対象”とする(3)(4)(5)。
 加えて、本言説の議論にてしばしば見受けられるアンケート調査などの統計的調査における本言説の有効性、血液型と疾患との関連性、今後の研究可能性においても言及しながら評定を進める。
 血液型性格診断言説においては諸説入り乱れているのが実態だが、能見氏の「血液型人間学」など(3)(4)と、医学・疫学・遺伝的観点からの「血液型」と「ヒト」との成果は明確に区別しながら記述する。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 (低)

 そもそも、血液型性格診断における「性格」が何を意味しているのかが不明であることが最大の問題点といえる。「性格」とされるものの定義が不明瞭であり、たとえば“誰の”“どのような状況における”“どういう対応をすることから”“こういう「性格」であると定める”という一般化はなされておらず、どうとでも上手く解釈できる曖昧なもの全般を「性格」と表している(5)。これでは理論を一般化できず、科学性の評定としては致命的である。
 また、ABO式血液型については本項冒頭にて記述したが、果たしてこの区分が如何に人間の性格として反映されているのか、という理論への疑問に対する合理的な説明は今のところないという指摘もできる。たとえば、心理学的知見からたびたび指摘されている「バーナム効果」や「自己成就」については、肯定派において十分な議論がされていない、あるいはそれらの概念の誤用による反論が見受けられ、理論面において充実した議論は行われていないことが推察できる(6)(7)(8)。
 さらに、血液型性格診断の理論においては、その内部においてすら矛盾が見られ、科学性を評価できる理論体系をなしていないことすら指摘できる。たとえば、過度な血液型性格診断信奉者においては「血液型十戒」なるものを理論的な標ぼうとしている(5)のだが、そこでは、「8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。」としつつ、その2においては「2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。」や「9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。」などといった内部においても論理性の乏しい説明が多々見受けられる。このように、科学性とはおよそかけ離れた理論を選択していることが言説全般的に見受けられる。
 血液型と疾患や体質にまで話を広げても、今のところ論理性を高く評価できる要素はない。特定の疾患に対する罹患率の違いや耐性についての研究なども、因子の解明や理論構築まではなされていないのが実情だ(9)(10)。
 ABO式血液型で性格診断を行うということは、ヒトを4つの分類に細かく類型化する(できる)ということなのだが、それに対する合理的な説明を見出すことができないのが現状である(そういう意味では、血液型と疾患の研究においては一定の評価を下すことはできる)。

理論の体系性 (中)

 ABO式血液型が既存の学術体系から逸脱した理論であるとは断定できない。人間の体内には大量の赤血球が存在し、その赤血球それぞれにA、B、AB、Oの各型に特有の糖鎖が付いている(ここでの糖鎖とはN-アセチルガラクトサミン、d-ガラクトース、アセチルグルコサミン、フコースによる分子構造を表す)。この点に関するかぎり、生化学的には血液型でそれぞれ全く違った機能をもつとも主張できる。
 しかし、それを正当化するのなら、血液型以外にも分類する要素は数多くありそうだ。仮に血液型のみに注目しても、Rh式やli式、MN式などの識別法もあり、げんに臓器移植などの場合にはこれら多くの要素を考慮する(11)(12)。こう考えると、ABO式のみによって性格にまで言及する理論は、他の知見との整合性が低いと思われる。
 さらに、ヒトの性格について、ABO式血液型を主軸として説明する、という理論選択に合理性を見出すことも難しい。ヒトの「性格」については今も多くの議論があり、「性格」とはどういう要素から構成されているのか、といった問いを考える場合、いわゆる複雑系であることや、進化心理学などでよく知られる「心のモジュール性」(13)(14)という概念として考える方が“ABO式血液型”を持ち出すよりも遥かに整合性が高い。 たとえ、ABO式血液型が「性格」における一要素であったとしても、わざわざ血液型性格診断を「性格」における主理論として採用する必然性はなく、このような言説に依存しなければならない積極的な理由を見出すことはできない。
 ただし、ABO式血液型と進化生物学との相関性や特定疾患への罹患率といった研究が近年報告されていることは注目すべきことだろう(9)(10)。たとえば、A型の遺伝子は免疫機能が低くなる遺伝子と共起する確率が高いので、抗原をなるべくしりぞけようと神経質な性格が共進化したという理論は、進化論、あるいは生物学などと整合的である(10)。その点を考慮したうえで体系性は中程度と評価する。

理論の普遍性 (低)

 特に能見氏を源流とする「血液型人間学(≒血液型性格診断)」においては、それが“誰にでも普遍的に適応可能だ”としているが、言説の実態がつかめない。全般として、“何となく○○型はこんな感じ”という大雑把な情報しか提供されておらず(3)(4)(5)、普遍性を推し量ることはできない。思い込みや社会通念が先行しており、理論的な実像がつかめないのである。これでは普遍性を評定する以前の問題だろう。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 (低)

 能見正比古氏の著書(研究論文ではない)や「ABOの会」にて、血液型性格診断に関する肯定的な主張がこれまでに何度も発表されている。しかし、データの再現性という観点において、高評価を与えられる水準に達しているとはいえない。
 たとえば、血液型性格診断の源流の一つである能見氏は、自著へのアンケート調査(数万人規模、としているもの)にて再現性を保証できるとしているが、そもそもそのようなアンケートを“能見氏”に送る“対象”がサンプルとして偏っている(平たく言えば、能見氏の信奉者である)というバイアスを排除するような厳密性のあるものではない(3)(4)。血液型性格診断の関連団体である「ABOの会」の主張においても、一万人規模のアンケート調査で統計的有意差が出たとの報告もあるが、前述したような「バーナム効果」「予言の自己成就」「確証バイアス」「F・B・I効果(フリーサイズ・ラベリング・インプリティング効果)」といった、心理学で広く知られた効果が排除された実験デザインがとられていない。
 一方、血液型性格診断に否定的な研究データは数多く積み重ねられており(能見氏の著書においても統計的に有意な差がなかったデータもある(3))、肯定的なデータよりも信頼がおける(15)(16)(17)(18)(19)(20)。
 ただし、血液型と疾患といったことにまで言説の対象範囲を広げると、2009年にアメリカ国立がん研究所が膵臓がんの危険因子と血液型の相関性についての研究報告をしていたり(21)、2000年に科学誌「ネイチャー」にてO型と非O型の胃がんに対する見解が述べられていたり(9)と、再現性において評価できる研究も存在する。まだまだデータ不足という面もあり、一概に評価できるものではないが今後の研究可能性としては期待の持てるものだろう。
 しかし、これらの研究は能見氏等の血液型性格診断を補強するものとは言えず、医学・生理学などにおける研究成果とするのが一般的だ。
 したがって、「血液型性格診断」の再現性は低評価とするが、これは前述の「血液型」の医学的な側面のデータを否定するものではない。

データの客観性 (低)

 肯定派の提示する研究報告においては、信奉者による主観的な感想、統計調査における標本抽出の偏り、研究対象の未特定化、「自分はA型だから神経質だ」という性格の自己成就などの可能性が指摘できる(3)(4)(16)(18)(20)。したがって、血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型“が”「性格」やその傾向性に影響を与えている、としていてもその客観性は低い。
 また、医学・生理学的知見からも言説全体に対して同様の指摘ができる。例をあげると、近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多いことが指摘されている。血液型性格診断によるとA型の典型的な特性は「神経質」だということが主張されており、その根拠として胃痛の多さなどがデータとして挙げられている(9)(10)。しかし、血液型性格診断で言われているようにA型の人が「神経質」である“がゆえに”胃痛になりやすいのか、それともA型にはピロリ菌保菌者が多くそれによって胃痛が引き起こされるため“結果的”に「神経質」な人が多いように見えるだけなのか、といったことを客観的に区別できるような研究手法は採られていない(前者であれば「血液型性格診断」の成果といえるが、後者ならば改めて議論が必要である)。
 現在の心理学分野と、医学・生理学分野は個々に独立しており、「血液型」と「性格」を連携させた研究方法はまだ未熟ではある。ただし、今後の研究次第(たとえば遺伝学的な)では血液型とヒトの性格との関連性について客観的なデータが示される可能性もなくはないことは追記しておく。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 (低)

 血液型性格診断において、肯定的なデータが妥当に収集されているとは言えない。繰り返しになるが、心理学でよく知られている「自己成就」や「バーナム効果」などの要因を排除した形の実験デザインが採られておらず、このような指摘に対して“反論”できる体制が整っていない。

理論によるデータ予測性 (中)

 現在、能見氏を原点とする「血液型性格診断」が科学的手順を踏まえて研究されているとはいえず、予測性は低い。今一般認知されている血液型性格診断はほとんど文化として根付いてしまっており、もはや科学性を論じるに値しない言説と化している。
 一方、血液型と疾患については医学・疫学的観点から比較的研究が進められており、成果といえるものも出ている。たとえばコホート実験などの医学疫学において信頼できる研究方法から、血液型による膵臓がんリスクの違いといった発表(9)もされており、この点では予測性は高いと評価できる。さらに、進化生物学的観点から血液型とマラリアやコレラとの関連性(10)も若干ではあるが報告されている。
 予測性は中程度と評価するが、これは医学・疫学・遺伝的な成果を高く評価したためであり、このような分野の評価に重点を置いたものである。

社会的観点

社会での公共性 (低)

 日本において血液型性格診断が一般認知され始めたのは、1970年に出版された能見正比古氏による「血液型でわかる相性」からである(4)。これ以前にも1927年に「血液型と気質の研究」と題する研究論文が古川竹二氏(女子高等師範学校教授)によって発表されていたが(6)、継続的な研究が始まったのは前述の能見氏による著書が初めてであり、現在では氏が設立した「ABOの会」という団体が血液型性格診断について肯定的な主張を繰り返している(現在では「ABOセンター」が実質的にその意味を引き継いでいる(5))。
 しかし、利害関係のない公共性の高い研究においては、血液型性格診断はたびたび否定されており、肯定派において同様の水準に達している研究報告は現在のところない。したがって、社会での公共性は低評価とする。

議論の歴史性 (低)

 上述したように、現在の血液型性格診断の社会における広まりは、能見正比古氏の著書にみることができる。それを発端として1970年代から血液型性格診断の科学性の議論もさかんに行われてきた。たとえば心理学分野は血液型性格診断に強く反発しており、否定的な研究発表も多くある(「日本パーソナリティ心理学会」においてはホームページ上にて、血液型性格診断に対して懐疑的な意見文を掲載している(22))。
 一方で、血液型性格診断を積極的に肯定する立場(科学的なものだとして)の多くは能見氏の言説に依存している様子が見受けられ、また、そういった科学性を謳う言説において、“主張の責任を請け負っていない”ことが問題点として挙げられる。たとえば「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例(データ)が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」や、他の全く指標の異なったデータを持ち出して「このデータを担保にできる」などである(現に、肯定派においてはこれが横行している)。このように反証データを得ても、そうしたものに対して無反省であり、科学性が議論できる構造とはいえない。
 以上より、議論の歴史性は低いと評価する。

社会への応用性 (低)

 血液型性格診断が社会において有効的に活用されているとはいえない。そもそも、血液型による性格の傾向性を重視しているのは日本人がほとんどであり、世界的にみると血液型性格診断という概念すら一般的ではない。にもかかわらず日本社会では、ブラッドタイプハラスメントといったものを始めとして人々に対する差別や偏見を助長させる要因の一つとなってしまっているのが実態である(6)(23)。
 また、血液型性格診断はヒトの性格を4種類の血液型の中から“当てる”という占いのような娯楽だと受け取ることもでき、そこに科学性を乗せてしまうと人が感じる快不快の度合いも大きくなってしまうだろう。結果として、人間関係を円滑に進めるうえでの弊害ともなりかねない。
 ただし、これは一概に血液型性格診断のみの功罪とはいえない。たとえば、仏滅に結婚式を挙げる人はまずおらず、一般的に友引に葬式は行わない。このように大衆心理は科学とは無縁に働いており、血液型性格診断が控えめな誤信として機能している分には、科学がそれを排斥する必要まではないだろう。
 しかし、血液型性格診断においては企業の採用といった、人生の大きな岐路でも使用されており、とても控えめという表現で収まっているものではない。このような実情を考慮すると、あえて社会への応用性は低いと評価すべきだろう。

総評

疑似科学

 現在一般認知されている「血液型性格診断」は疑似科学だと位置づけられ、そこで語られているものに科学的根拠は全くないといってよい。たびたび指摘したが、血液型性格診断の最大の問題点は、能見正比古氏の著書「血液型でわかる相性」「血液型人間学」などが流行りすぎてしまったことだろう。能見氏の言説の流行が多くの過激な信奉者を生みだしてしまい、それに対抗する形で主に心理学界からの強い反発が繰り返し行われてきた。このような構図から、心理学界の過剰ともいえる「血液型」嫌いという問題も発生してしまい、健全な議論ができる土壌がない、あるいは良心的な研究者の芽をも摘んでしまっているということは考慮に値する(24)。
 そうした中で、医学・疫学・遺伝的観点や進化生物学的視点からは角度の異なる考察をすることもできる。
 医学領域としての血液型とヒトの研究は1950年代~1970年代初頭までは比較的行われており、多くの疾患と血液型との関連性について様々な議論が繰り返されてきた。そんな折、先の能見氏による著書が爆発的にヒットし、しかもそれを科学だとして主張し一般大衆の誤解を招いた。このような経緯は前述の通りであり、それが多くの研究者を血液型の研究から離れさせてしまい、血液型性格診断を疑似科学の象徴として扱う風潮に、医学界においても繋がった。現在では、血液型について言及できるのは輸血と臓器移植の際のみであり、血液型の話題さえ嫌う医師もいるという状況でさえある(10)。
 しかし、「血液型」と「疾患」、「血液型」と「進化」、「血液型」と「遺伝」といったことについて研究されたものの中には信頼のおけるものも多くあり、今後の研究可能性が幅広いことは肯定材料だろう。さらに、特定疾患へのリスクの違いや、免疫機構の違いなど、遺伝的な説明によって応用性の高いものにもなりうる。
 ヒトの「性格」という言説における明らかな論理的飛躍には注意する必要があるが、少なくとも血液型と人間機能の関連を研究する価値や意味は、心理学から指摘されているほど順位の低いものではないだろう。今後の研究次第では、たとえば血液型と疾患といったアプローチからヒトの気質にまで科学的合理性を保った言及がなされたとしても、それほど不自然ではないだろう。
 ただし、繰り返しになるが、現在広く一般認知されている「血液型性格診断」における科学的根拠は乏しく、疑似科学であると評価する。

参考文献:

(1)『よくわかる 最新血液型の基本としくみ』 松尾友香
(2)『絵でわかる血液のはたらき』 八幡義人
(3)『血液型人間学』 能見正比古
(4)『血液型でわかる相性』 能見正比古
(5)http://www.human-abo.org/#!aboutus/cktc 一般社団法人 ヒューマンサイエンスABOセンター
(6)『なぜ疑似科学を信じるのか』 菊池聡 化学同人
(7)季刊『理科の探求』左巻健男 2015春号 特集 ニセ科学を斬る!リターンズ p50-109(p56-61)
(8)『心理テストはウソでした』 村上宣寛
(9)『血液型で分かる なりやすい病気なりにくい病気』 永田宏
(10)『血液型の科学』 藤田鉱一郎
(11)http://www.jrc.or.jp/donation/first/knowledge/ 日本赤十字社 血液の基礎知識
(12)https://hospital.city.sendai.jp/department/mame05.html 仙台市立病院 診療科のご案内 「第5回 血液型のはなし-ABO式血液型-」
(13)http://plato.stanford.edu/entries/modularity-mind/ Stanford Encyclopedia of Philosophy 「Modularity of Mind」
(14)『だまされ上手が生き残る 入門!進化心理学』 石川幹人  光文社
(15)「血液型と性格の無関連性」縄田健悟(2014)
(16)「血液型性格判断はなぜすたれないのか」 山下玲子 武蔵大学 社会学部
(17)血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2)) 山岡重行 大村政男 浮谷秀一
(18)「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
(19)「血液型による性格の相違に関する統計的検討」松井 豊(1991)
(20)Blood-typical Personality Stereotypes and Self-fulfilling ProphecyAkira SAKAMOTO Kenji YAMAZAKI 2002
(21)http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19648918 Genome-wide association study identifies variants in the ABO locus associated with susceptibility to pancreatic cancer.
(22)日本パーソナリティ心理学会血液型性格診断に関する意見文 公益社団法人 日本心理学会
(23)テレビ番組が増幅させる血液型差別 山岡重行
(24)『よい教育とは何か』 西条剛央 京極真 池田清彦

・(ダメな大人にならないための心理学 山岡重行)『書評』野崎瑞樹
・『機関誌「心理学ワールド」52号 2011年1月号 特集/偏見とステレオタイプの心理学』
・『血液型の迷路』 大西赤人
・『性格を科学する心理学のはなし』 小塩真司
・「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」 白佐俊憲
・『科学技術をよく考える -クリティカルシンキング練習帳』 伊勢田哲治 戸田山和久  調麻佐志  村上祐子 名古屋大学出版会
・『新編 血液型と性格』 大村政男 福村出版

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

(最終更新日時2015年8月17日)

投稿

投稿&回答

前回の投稿の補足です。
しばらく前に、某細胞データの“捏造”でW大学大学院を修了したO博士が疑いをかけられました。もちろん、彼女が本当に捏造したという直接の証拠はありませんから、真相は現在も不明というしかありません(某細胞作成の再現性がないことは事実ですが)。しかし、よく言われているように、仮にデータが捏造ではないとすると、非常に複雑な説明が必要になることもこれまた確かです。また、その説明も本当に正しいかどうか…。しかし、データが“捏造”されたものだと仮定すると、ほとんどすべての事実が簡単に説明できます。こういう場合は、彼女の某細胞データは捏造の可能性が極めて高い、と判断するのが普通でしょう。
話は変わりますが、管理者さんのおっしゃる「≪血液型十戒≫その8の“誰もが”という適用範囲と矛盾する」のは「反証不可能」な言説という主張は意味不明です。こういう場合は、管理者さんが私を何らかの“トリック”にかけようとしているのだ、という見方も成り立ちます。例えば、私の反応を見て知識レベルをチェックしているとか…。ただ、それにしては少々雑なトリックではないかと思うのが普通でしょう。私は、随分と奇妙なことを言うものだと感じつつ、そう思っていました。しかし、もう一度よく考えてみると、管理者さんが統計も論理学も不十分な理解しかなく、現実のデータ分析もほとんど経験がない「純粋文系」の研究者だと仮定すると、今までのほとんどすべての反応が実に簡単に説明できることに気が付きました。
本当はどうなのでしょうか?
その典型が、このサイトにある次の文章です。
1) 語句説明
血液型性格診断言説では、上記の血液型[ABO式血液型]の4区分を元に、客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張している。
2) データの再現性 (低)
血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
1)では、血液型性格診断が「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張している」にも関わらず、2)では「この主張が『どの程度の診断が行えるか』を明言してない」と全く正反対なので、私には到底同一人物が書いたものとは思えません。少なくとも、このサイトの血液型性格診断の「定義」がこのように曖昧では、私との議論が進むはずもありません。仮に同一人物が書いたのだとすると、多くの血液型本からそれぞれ内容を拾ってきたということなのでしょうか? あるいは、元々「反証不可能」な言説ということなので、あえてこう書いているのか…。
一番確からしいのは、このサイト、あるいは管理者さんの「血液型性格診断」の定義がそもそも曖昧なままだということです。
本当はどうなのでしょうか? 私にとっては重要なことなので、しつこく質問させていただきたく。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/08/10 23:31:24)

ABOFANさん
>2) データの再現性 (低)
血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
⇒⇒⇒そのため、「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」と言い訳ができてしまう。このように反証データを得ても、再現性を否定できる構図にないので、評価は低い。
――次の文まできちんと読みましょうね。まぁ、今のABOFANさんでしたら無理もありませんが、今後、普段から最後までしっかり読む心がけをなされるとこういう”対話”もうまくいうのではないでしょうか。 (回答日時:2015/08/12 23:02:43)

あまりに回答が…なので、その後訂正される可能性もあるのかなぁ、としばらく待っていたのですが、特に変更はないようです。では、今回の回答が一応「確定」だとしてご返事します。
>>>私の指摘は、あるデータ(たとえば「血液型人間学」(p38))では、女性に有意な差が認められなかった。だとすると、≪血液型十戒≫その8の”誰もが”という適用範囲と矛盾するのでは?という単純なものです。(回答日時:2015/07/28 23:49:28)
>>、「≪血液型十戒≫その8の”誰もが”という適用範囲と矛盾する」かどうか判断する(=解釈権を持っている)のは、ABOセンターや私であって管理者さんではないからです(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/08/04 21:48:13)
>――まず、このような姿勢自体が”科学性”に欠ける、という指摘はご理解いただけますでしょうか?このように「反証不可能」な言説が、一般に疑似科学とされるのですが……(”科学性”を謳っていないのでしたら何の問題もありませんが)(回答日時:2015/08/07 21:15:52)
――すみません、爆笑しました。「反証不可能」なら、そもそも「適用範囲」云々の話になるはずがありません。なぜなら、反証不可能な「非科学」的である「≪血液型十戒≫その8」に適用範囲を考えても意味がないからです。いや、そうではない、≪血液型十戒≫その8の解釈は管理者さんのとおりにすべきだ、ABOセンターや私の解釈は間違っている(前述のように“非科学”的なら本来これはおかしいのですが…)、ということなら「反証不可能」ではありません。ちなみに、このサイトの疑似科学の定義には「科学的な言説をもっているにもかかわらず」とあるので「反証可能」と思われます。いずれにせよ、管理者さんの文章は理解不能ということになりますが。
>>私は管理者さんが示した能見正比古さんの文章に、特に“矛盾”は感じませんが、管理者さんが矛盾すると感じるのは、おそらく「読み込み」が足りないのだと思われます
>――こうおっしゃられていること自体が「矛盾」だと指摘できるのでして、同時に、能見氏の「文脈」に依存されているのはABOFANさんなのではないですか?という指摘もできるのです。
――すみません、またまた爆笑しました。「矛盾」ならそもそも「反証不可能」ではありませんよ。管理者さんの文章は、いったい全体どういう意味なのでしょうか? 冗談をおっしゃっているようにも思えませんが…。
>>「統計的に差がある」というデータを無視しているからです
>――何度もしつこく指摘しておりますが、「血液型性格診断」あるいは「血液型人間学」を”直接的に支持している”統計データをご提示ください。
――すみません、これまた爆笑しました。「血液型性格診断」あるいは「血液型人間学」について、お互いに定義が一致しないのですから、それらを“直接的に支持している”統計データは提示するだけムダなことはわかっています。それは、今までの議論の経緯が示すとおりです。これはいつものパターン(阪大の菊池誠さん、NATROMさん…)なので、(本意ではないのですが)私は相手の間違いをしつこく指摘する方向に方針を転換しています。すると、ほとんどの相手は“回答拒否”という結果になります。今回のまさに同じパターンを辿っていると言っていいかと思いますが。
ただ、このサイトでは管理者さんがお若いらしい(率直に言えば経験が浅い・失礼)せいか、反応がかなり正直なようです。まぁ、科研費を使っている人様の研究サイトで、あまり相手の間違いを指摘するのもどうかなと思いますし、回答できない(おそらく正直に回答すると都合が悪いと思われる・失礼)質問に見事にスルーしているのを見ると、ちょっと気の毒にもなってきます。
例えば、前々回の投稿(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/08/04 21:48:13)では、
1) さて、管理者さんが私の統計データに関する質問を無視するのは、何か意図があるのかと考えていたのですが、今までのやりとりから判断すると――失礼な言い方ですが――おそらく基本的な統計の知識が書けているのだと思われます。知識がないのだったら、そもそも私の質問の意味が理解できないので回答しようもありません。また、私が“お遊び”で量子力学etc.の話題を振っても、同様に何も反応がないところを見ると、たぶん「純粋文系」の方なのかと…。
2) 私としては、こういう質問自体[血液型性格診断をめぐる心理学側の陰謀の件について語ってほしい]が意外です。というのは、管理者さん自身が――私が再三指摘している――「統計的に差がある」というデータを無視しているからです。これは、私から見ると、大袈裟に言えば“陰謀”です(笑)。なので、なぜここまでデータを無視するのか、その理由を管理者さん自らが説明していただければ、少しは問題が解決すると思うのですが…。いかがでしょうか?
3) もっとも、私の見解としては、今までのやりとりから判断すると――失礼な言い方で恐縮ですが――おそらく管理者さんに基本的な統計の知識が欠けているのだと思われます。ですので、統計に関する質問への“回答拒否”には何らかの“悪意”や“意図”があるのではなく、単純に統計データの分析ができないのからではないかと…。だから、「論文の主旨を受け止めて…」といった回答に終始するのではないでしょうか?違いますか?
また、その前の投稿(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/29 00:56:25)では、
4) 私が聞きたいのは、これらの論文[坂元氏、山岡氏、白佐氏の研究]について管理者さんがどう考えるかであって、それらの論文に書いてある分析や結論が絶対的に正しいという“意思表明”ではありません。科学は「訓詁学」ではありませんから…。そういう意味では、管理者さんは正しい意味で「朱子学」を信じていると言っていいのかもしれませんね。
とりあえずこのぐらいにしておきます。私としては、この投稿に対する「回答」で、上の文章が見事にスルーされれば、証明完了ということになります。まさか、科研費を使っている研究で投稿の(意図的な)削除はされないでしょうから…。
>>“わかっている”心理学者の中には、意図的に統計データを無視している人もいるようです。そういう場合は、正しい意味で「陰謀」なのかもしれません。
>――興味深いお話です。よろしければもう少し詳しくお聞かせ願えれば、と思います。
――上の2)に書いたとおりです。
今回は、ちょっと書き過ぎですかね。まぁ、たまには“ネタバレ”もいいかと…。大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/08/10 00:29:51)

ABOFANさん
>管理者さんは正しい意味で「朱子学」を信じていると言っていいのかもしれませんね。
とりあえずこのぐらいにしておきます。私としては、この投稿に対する「回答」で、上の文章が見事にスルーされれば、証明完了ということになります。まさか、科研費を使っている研究で投稿の(意図的な)削除はされないでしょうから…。
――まぁ、少し落ち着いてください苦笑誰も”ABOFANさん自身”を非難しているわけではありませんので。問題は一ずつ整理していきましょうか。まず、
>すみません、爆笑しました。「反証不可能」なら、そもそも「適用範囲」云々の話になるはずがありません。なぜなら、反証不可能な「非科学」的である「≪血液型十戒≫その8」に適用範囲を考えても意味がないからです
――これがどういう意味か、もう少し詳しくお聞かせください。これではちょっと要領を得ないですね。
私の「血液型十戒」や「血液型人間学」への問題点や矛盾点の指摘に対し、ABOFANさんはそれを判断する権利≒解釈権をもっているのは我々(ABOFANさんやABOセンター)である、とおっしゃられております。
それへの回答のつもりでしたが、もう少し手順を踏みましょう。
>、「≪血液型十戒≫その8の”誰もが”という適用範囲と矛盾する」かどうか判断する(=解釈権を持っている)のは、ABOセンターや私であって管理者さんではないからです(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/08/04 21:48:13)
――繰り返しますが、このコメントはちょっと……できれば誤送であってほしいのです。「血液型性格診断」は置いておいて、とりあえず科学哲学全般を学習されることを強く勧めます。
申し訳ありませんが、上述のコメントをもう少し説明的に述べて頂けますでしょうか?
以降のコメントに対する回答はこの問題を解決してからにしましょう。しかし、これはちょっと根が深そうですね……。
(回答日時:2015/08/12 23:30:05)

今回は情報提供です。
ABO血液型の遺伝子構造を初めて解明した山本文一郎さんの著作「ABO血液型がわかる科学 」(岩波ジュニア新書)が出版されました。
Amazonの内容紹介によると「ABO血液型について、いま科学的に解明されていることのすべてがわかります」とのこと。
当然のことながら、メインは性格の話ではなく、遺伝子、分子構造、進化、病気との関係…など医科学的なことが対象です。
Amazonの画像ではわかりませんが、この本の帯には「血液型と性格って、本当に関係あるの?」とあり、またカバーの裏にも「血液型と性格って,本当に関係あるのでしょうか.」とかなり刺激的なキャッチコピーが付いています。
そして、この本では山本文一郎さんがかなり肯定派寄りの見解を述べているので大変驚きました。
ゲノム・ワイド相関実験でABO血液型の多型と脳性マラリア、膵臓ガン、エコノミー症候群などどの相関が証明されてきました。…/性格についても、きちんと定義をした一面や一特徴について、ゲノム・ワイド相関実験で300万個の1塩基の多型とのあいだに強い相関関係が認められれば、ABO血液型と性格が関係すると結論づけることができます。/あまり遠くない将来にその答えが見つかるはずです。私は2万5000個の遺伝子のうちで、ベスト10入り、は無理でも、ベスト50に入るぐらいの性格の特徴の1つや2つは見つかるのではないかと思っています。あなたの意見を聞かせてください。(p204-205)
とのことです。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/08/04 22:00:55)

(回答日時:2015/08/04 23:35:39)

>――こうして単に並べただけでも、”本当に気分がすっきりした”人が書かれたものとは思えないのですが(苦笑)、私の回答を引用されていても、その受け答えになっていませんね。恐縮ですが、少し感情的になっておられるようです。
――私の言いたいのは、管理者さんの答えたくないこと(?)は、私が何をしても“回答拒否”といういう意味です。そういう意味で、私の「気分がすっきりした」ことには間違いありません…。
>「血液型人間学」p38,p181における”統計データ”の指摘以降のコメントから、急に話が噛み合わなくなってきてしまった印象ですね……。
――この文章も、管理者さんの理解不足であることがはっきりしています。というのは、
>私の指摘は、あるデータ(たとえば「血液型人間学」(p38))では、女性に有意な差が認められなかった。だとすると、≪血液型十戒≫その8の”誰もが”という適用範囲と矛盾するのでは?という単純なものです。(回答日時:2015/07/28 23:49:28)
という管理者さんの文章において、「≪血液型十戒≫その8の”誰もが”という適用範囲と矛盾する」かどうか判断する(=解釈権を持っている)のは、ABOセンターや私であって管理者さんではないからです。私は管理者さんが示した能見正比古さんの文章に、特に“矛盾”は感じませんが、管理者さんが矛盾すると感じるのは、おそらく「読み込み」が足りないのだと思われます。念のため、私がこの文章の「意味」をABOセンターに確認してたとしても、ほぼ間違いなく私の見解と一致するはずです。もし、それでも管理者さんが疑問をお持ちなら、直接ABOセンターに確認してみてはいかがでしょうか?
そもそも、なぜ管理者さんと私との間でこんな問題が生じるかというと、管理者さんは“文脈”を極端に重視しているからではないでしょうか? 繰り返しになりますが、私は統計データは重視していますが、管理者さんからは毎回“回答拒否”で全く無視されています(苦笑)。これに対して、管理者さんは“文脈”を極端に重視しているように見えます。科学的な議論において、曖昧さが少ない統計データを無視し、少なからず曖昧さが残る“文脈”を重視するのはいかがかと思いますが。
さて、管理者さんが私の統計データに関する質問を無視するのは、何か意図があるのかと考えていたのですが、今までのやりとりから判断すると――失礼な言い方ですが――おそらく基本的な統計の知識が書けているのだと思われます。知識がないのだったら、そもそも私の質問の意味が理解できないので回答しようもありません。また、私が“お遊び”で量子力学etc.の話題を振っても、同様に何も反応がないところを見ると、たぶん「純粋文系」の方なのかと…。確かに、そうだとするなら、管理者さんの極端な“文脈”重視という態度には納得が行きます。そういう意味で「本当に気分がすっきりした」ということなのです。
ただ、仮にそうだとすると、統計データについての「議論」自体が成り立たないことになりますが…。私的には、非常に残念と言うしかありません。
>ですので、少し目先を変える意味も込めて、以前ABOFANさんがコメントされていた「血液型性格診断をめぐる心理学側の陰謀の件」につきましてお教えいただければ、という提案はどうでしょうか?
――私としては、こういう質問自体が意外です。というのは、管理者さん自身が――私が再三指摘している――「統計的に差がある」というデータを無視しているからです。これは、私から見ると、大袈裟に言えば“陰謀”です(笑)。なので、なぜここまでデータを無視するのか、その理由を管理者さん自らが説明していただければ、少しは問題が解決すると思うのですが…。いかがでしょうか?
もっとも、私の見解としては、今までのやりとりから判断すると――失礼な言い方で恐縮ですが――おそらく管理者さんに基本的な統計の知識が書けているのだと思われます。ですので、統計に関する質問へのな“回答拒否”には何らかの“悪意”や“意図”があるのではなく、単純に統計データの分析ができないのからではないかと…。だから、「論文の主旨を受け止めて…」といった回答に終始するのではないでしょうか?違いますか?
そういう意味でも、「本当に気分がすっきりした」ということなのです。
余談ですが、“わかっている”心理学者の中には、意図的に統計データを無視している人もいるようです。そういう場合は、正しい意味で「陰謀」なのかもしれません。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/08/04 21:48:13)

ABOFANさん
>、「≪血液型十戒≫その8の”誰もが”という適用範囲と矛盾する」かどうか判断する(=解釈権を持っている)のは、ABOセンターや私であって管理者さんではないからです
――まず、このような姿勢自体が”科学性”に欠ける、という指摘はご理解いただけますでしょうか?このように「反証不可能」な言説が、一般に疑似科学とされるのですが……(”科学性”を謳っていないのでしたら何の問題もありませんが)
>私は統計データは重視していますが
――としつつ、
>私は管理者さんが示した能見正比古さんの文章に、特に“矛盾”は感じませんが、管理者さんが矛盾すると感じるのは、おそらく「読み込み」が足りないのだと思われます
――こうおっしゃられていること自体が「矛盾」だと指摘できるのでして、同時に、能見氏の「文脈」に依存されているのはABOFANさんなのではないですか?という指摘もできるのです。
>「統計的に差がある」というデータを無視しているからです
――何度もしつこく指摘しておりますが、「血液型性格診断」あるいは「血液型人間学」を”直接的に支持している”統計データをご提示ください。血液型と正確が無関連であることに「統計的な差があった」ことを根拠として持ち出されても、正直何とも反応できません(苦笑)。ABOFANさんのこのような態度はおそらく「演技」だと思っております(むしろそうであってほしいです)が、本当にデータが”読めない”のであれば、ひとまず「血液型」とは無関係の分野から「練習」されてみるのがよいと思います。
「血液型」から離れれば、ABOFANさんの能力であればすぐに高い水準に達することかと……。
>“わかっている”心理学者の中には、意図的に統計データを無視している人もいるようです。そういう場合は、正しい意味で「陰謀」なのかもしれません。
――興味深いお話です。よろしければもう少し詳しくお聞かせ願えれば、と思います。 (回答日時:2015/08/07 21:15:52)

>――以前ご紹介いただいた山本弘さんのブログ内でもABOFANさんの”扱い方”を皆さん心得ていらっしゃるようでして、
――どういう意味かはわかりませんが、おそらく管理者さんの真意とは違う意味で、山本弘さんは私の“扱い方”を心得ているのだと思います。なぜなら、
>みなさんも、論理盲に出会ったら、言いたいことだけ言って、議論を打ち切りましょう。相手を説得する必要なんかない。と言うか、説得するなんて不可能だから。/大事なことなので繰り返す。僕は彼らを説得できたことは一度もない。/だから僕は、相手が論理盲だ(まともな論理が理解できない)と気づいたら、議論は打ち切ることにしている。…
とあるからです。それなら、他のケースでもそうすればいいはずです。しかし、「血液型に限って」私が指摘した山本弘さんの誤りを認めなかったり、山本さんが自ら示した統計データの“矛盾”を無視しているのは、何か深い意味があるのかもしれませんね。
>――つまり、ABOFANさんによると、統計データや「血液型人間学」などの文献における”文脈”ごときはどうでもよく(?)、とにかく「関係がある」らしいです
――これは、一部分しか正しくありませんよ。私は統計データは重視していますが、管理者さんからは毎回“回答拒否”で全く無視されています(苦笑)。これに対して、管理者さんは“文脈”を極端に重視しているように見えます。科学的な議論において、曖昧さが少ない統計データを無視し、少なからず曖昧さが残る“文脈”を重視するのはいかがかと思いますが。
>しかし私個人としては、そろそろ以前おっしゃられていた血液型性格診断を取り巻く”陰謀論”についてABOFANさんのお話を伺いたいところですね。いかがでしょうか?
――私は“陰謀論”なんかはどうでもいい話だと思っています。管理者さんが、なぜそこまでこだわるのかわかりません。逆に、統計データを全く無視しているの管理者さんの回答を強く希望しています。もっとも、統計データは興味がないという意思表明をするつもりなら、それはそれで結構ですが…。
>>縄田氏のように差がなかろうが[…]
>――まずこれは単純に、>血液型と性格には「関係がない」、といえますね笑
――大変申し訳ありませんが爆笑しました。どうやらこれで、管理者さんが論理学や統計に疎いことがほぼ証明されたようです。どうもありがとうございます。改めて「統計データや論理学は興味がないので一切無視する」という意思表明と解釈させていただきます。
>――繰り返しますが、能見氏「血液型人間学」p38女性においては有意な差は出ておりませんし、p181についてはそもそも「データ」とするにはあまりにお粗末なものであることはお示ししました。また、p181については詳細をご存知ならばご提示くださいとも申し上げたのですが……。
――上に同じです。
>坂元氏、山岡氏、白佐氏の研究においても以前よりすでに何度も何度も何度もくどいほど「回答」差し上げておりますよね苦笑?
――私が聞きたいのは、これらの論文について管理者さんがどう考えるかであって、それらの論文に書いてある分析や結論が絶対的に正しいという“意思表明”ではありません。科学は「訓詁学」ではありませんから…。そういう意味では、管理者さんは正しい意味で「朱子学」を信じていると言っていいのかもしれませんね。
>>男性のみ差があってもダメ、また女性のみ差があってもダメということです[…]
>――以前の同様のご意見の際にも申し上げましたが、「~でないとダメ」「~でないと認めない」という文脈、行間等を私がどこでどのように遣ったのか、まずはご提示ください。
――既に十分におわかりかと思いますが、これは管理者さんの“回答拒否”を確認するためもので、他の目的はありません。
>私の指摘は、あるデータ(たとえば「血液型人間学」(p38))では、女性に有意な差が認められなかった。だとすると、≪血液型十戒≫その8の”誰もが”という適用範囲と矛盾するのでは?という単純なものです。(※p181を担保に反論されるのなら、まずはp181の「データ」の詳細をご提示ください、とはすでに申し上げましたね)
――繰り返しになりますが、これで管理者さんが論理学や統計に疎いことがほぼ完全に確認できました。その意味では“回答拒否”ではありません。どうもありがとうございました。本当に気分がすっきりしました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/29 00:56:25)

ABOFANさん
>私は統計データは重視していますが、管理者さんからは毎回“回答拒否”で全く無視されています(苦笑)。
>管理者さんが論理学や統計に疎いことがほぼ証明されたようです。どうもありがとうございます。
>改めて「統計データや論理学は興味がないので一切無視する」という意思表明と解釈させていただきます。
>統計データを全く無視しているの管理者さんの回答を強く希望しています。
>既に十分におわかりかと思いますが、これは管理者さんの“回答拒否”を確認するためもので、他の目的はありません。
>これで管理者さんが論理学や統計に疎いことがほぼ完全に確認できました。その意味では“回答拒否”ではありません。どうもありがとうございました。本当に気分がすっきりしました。
――こうして単に並べただけでも、”本当に気分がすっきりした”人が書かれたものとは思えないのですが(苦笑)、私の回答を引用されていても、その受け答えになっていませんね。恐縮ですが、少し感情的になっておられるようです。
「血液型人間学」p38,p181における”統計データ”の指摘以降のコメントから、急に話が噛み合わなくなってきてしまった印象ですね……。
どうやら「血液型人間学」p38の指摘(女性において有意な差はない)や、p181の疑問(少なくとも”統計データ”として議論できる程度の情報をご提示ください)が、推測ですがABOFANさんを感情的にさせてしまったのかもしれません。
ですので、少し目先を変える意味も込めて、以前ABOFANさんがコメントされていた「血液型性格診断をめぐる心理学側の陰謀の件」につきましてお教えいただければ、という提案はどうでしょうか?
>私は“陰謀論”なんかはどうでもいい話だと思っています。
――残念ながらご自身でご自身の言質を撤回されてしまいましたが、ご再考くだされば……。

くどいですが、「血液型人間学」の”統計データをそのまま認める”と、p38では女性において有意な差はない、p181のデータは統計データとするには雑すぎる、という指摘をしてきました。
ですので、たとえば能見氏の「血液型人間学」などの著書に記載されているデータの「統計分析」などをABOFANさんご自身でされてみるのもよいかもしれませんよ? (回答日時:2015/08/02 18:47:24)

>たまにはABOFANさんの”対話”にお付き合いしましょう。
>>おっしゃるとおりです。何とか私の質問への回答を引き出したいということなのですが、今回も残念な結果に終わったようです。なぜ回答しない(したくない?できない?)のでしょうか?
[中略]
>――あぁ、いつもの”手”ですね。長年の経験から身につけられた論鋒なのでしょうが、ABOFANさんとの”対話”の仕方を少しは心得始めたかな、と思っている私には少し物足りないですね。新ネタがほしいところです。
――意味不明です。今回も「回答なし」ということなので「”対話”にお付き合い」はしてないと思いますが?
>――すみません、思わず笑ってしまいました。正直、上述の情報”のみ”で何か”科学的な”ものを見出すことはできないでしょう。そもそもの質問内容、そして各血液型が何名ずつの調査であるかが不明ですし、該当箇所には簡単なグラフのみ書かれているだけでしたので、%も推測するしかありません(”約”と書くしかなかったですし)また、各血液型と選択肢の%を足しても、100%にならないんですが……。他の選択肢は何で、どこにいったのでしょう?/これを(p38)で否定されている”女性”への血液型人間学の正当性を主張とされたいのでしたら(まぁそもそもp38とp181は全く”意味”が違うのですが、その辺の妥当性は置いておくとして)、申し訳ありませんが、せめてもう少し情報をください。議論はそれからですね。
――すみません、思わず笑ってしまいました。管理者さんによると、男性のみ差があってもダメ、また女性のみ差があってもダメということです。更に面白いのは、坂元氏や山岡氏のように何万人何千人でも、何年間差があってもダメなのだそうです(苦笑)。結局、能見正比古さん、坂元氏、山岡氏、白佐氏…のように統計データに差があろうが、縄田氏のように差がなかろうが、血液型と性格には「関係がない」ということでしょう。
つまり、管理者さんによると、統計データごときはどうでもよく(?)、とにかく「関係がない」らしいです。
また、私の質問に回答しようがしまいが、それは管理者さんの“自由”だというなら、私との“対話”はもはや「科学的」な議論と呼べるような代物ではありません。強いて似たようなケースを挙げるなら、カトリック教会とガリレオ・ガリレイの“対話”でしょうか? もっとも、ガリレオのエピソードは事実と違うという指摘もあるようです。ただ、何か真実かという「解釈権」をカトリック教会=科学と称する側が持っている、ということには違いはありません。
とはいえ、この調子で“議論”をこのサイトで続けるのは、私にとっては大いに意義があると考えていますので、特に管理者さんの反対がない限り続けさせていただけるとありがたいです。
どうかよろしくお願いします。
しつこいようですが、以前の投稿を再掲します。
さて、ご存じのように[大槻]キョージュは、もし超能力の存在が証明されたら早稲田大学の教授を退職する称して、辞表を持参し、しばしばTVや週刊誌などで見せびらかしており…
言っちゃ何だが、これ、よくある陳腐なトリックである。アメリカには、この種の宣言をしている人が少なからずいる。/ナチスのユダヤ人虐殺を立証した人には100万ドル進呈します、といった類だ。
しかし、こういう場合は、結局その人本人を納得させうるような証拠を提出するというのが条件なので、何が出てこようとも「まだまだ、そんなものは証拠の内に入らない」とさえ言っていれば、彼は賞金を払う必要はないし、それでいて世間には、いかにも彼の主張が正しくて、例えばナチスのユダヤ人虐殺には明確な証拠がないような印象を与えることができるというわけである。/しかも、すでに述べたように(「物理の基本原則に反する」ので)何があっても超能力は認めないというのだから、両方表のコインで賭をしているようなものである。(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/16 22:34:10)
また、有名なSF作家、アイザック・アジモフ (Isaac Asimov) の著書からもお送りします。
親愛なる読者諸君、科学の発見の中から選り好みをし、私の尊大な気まぐれのままに、あるいは受け入れ、あるいは捨てる自由を認めてもらえるなら、諸君が証明したいことを何でも証明してお目にかけよう 『わが惑星、そは汝のもの』空想自然科学入門 (My Planet, 'Tis of Thee')  山高昭 訳 早川書房 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/27 00:02:59)

ABOFANさん
>この調子で“議論”をこのサイトで続けるのは、私にとっては大いに意義があると考えていますので、特に管理者さんの反対がない限り続けさせていただけるとありがたいです。
どうかよろしくお願いします
――以前ご紹介いただいた山本弘さんのブログ内でもABOFANさんの”扱い方”を皆さん心得ていらっしゃるようでして、本サイトも他の閲覧者様方に(もしいるのなら、ですが)そういう意味でお役に立てるかもしれません。たとえば、
>つまり、管理者さんによると、統計データごときはどうでもよく(?)、とにかく「関係がない」らしいです。
――つまり、ABOFANさんによると、統計データや「血液型人間学」などの文献における”文脈”ごときはどうでもよく(?)、とにかく「関係がある」らしいです。
とかでしょうか。
しかし私個人としては、そろそろ以前おっしゃられていた血液型性格診断を取り巻く”陰謀論”についてABOFANさんのお話を伺いたいところですね。いかがでしょうか?
>縄田氏のように差がなかろうが[…]
――まずこれは単純に、>血液型と性格には「関係がない」、といえますね笑
>能見正比古さん、坂元氏、山岡氏、白佐氏…のように統計データに差があろうが[…]
――繰り返しますが、能見氏「血液型人間学」p38女性においては有意な差は出ておりませんし、p181についてはそもそも「データ」とするにはあまりにお粗末なものであることはお示ししました。また、p181については詳細をご存知ならばご提示くださいとも申し上げたのですが……。
坂元氏、山岡氏、白佐氏の研究においても以前よりすでに何度も何度も何度もくどいほど「回答」差し上げておりますよね苦笑?しかし、それに対するABOFANさんの返答は、残念ながら”意味不明です”といったものや(私のほうが意味不明と言いたいですよ笑)、常套手段であられる”議論のすり替え”、もしくは”無視”でした(ABOFANさん的にいうならば、もしかしてこれは”私の意見に同意した”、ととらえてもよいのでしょうか?笑)。

>男性のみ差があってもダメ、また女性のみ差があってもダメということです[…]
――以前の同様のご意見の際にも申し上げましたが、「~でないとダメ」「~でないと認めない」という文脈、行間等を私がどこでどのように遣ったのか、まずはご提示ください。
私の指摘は、あるデータ(たとえば「血液型人間学」(p38))では、女性に有意な差が認められなかった。だとすると、≪血液型十戒≫その8の”誰もが”という適用範囲と矛盾するのでは?という単純なものです。(※p181を担保に反論されるのなら、まずはp181の「データ」の詳細をご提示ください、とはすでに申し上げましたね)

できれば「血液型人間学」p38と≪血液型十戒≫などとの矛盾やp181のデータの詳細についてお返事いただければと思うのですが、自尊感情などにも関わるため、もしもお答えにくい(お答えしたくない)のであれば、以前おっしゃっておられた血液型性格診断における”陰謀論”についてお話を伺えればと思っております。 (回答日時:2015/07/28 23:49:28)

夏休み中の掲載と回答をありがとうございます。さて、
>今回のコメントで急に議論の本筋がすり替わっているようですが、失礼ながらこれはおそらくABOFANさんの演技(戦略)だと仮定しております。
――おっしゃるとおりです。何とか私の質問への回答を引き出したいということなのですが、今回も残念な結果に終わったようです。なぜ回答しない(したくない?できない?)のでしょうか?
参考までに以前の投稿を再掲します。
さて、ご存じのように[大槻]キョージュは、もし超能力の存在が証明されたら早稲田大学の教授を退職する称して、辞表を持参し、しばしばTVや週刊誌などで見せびらかしており…
言っちゃ何だが、これ、よくある陳腐なトリックである。アメリカには、この種の宣言をしている人が少なからずいる。/ナチスのユダヤ人虐殺を立証した人には100万ドル進呈します、といった類だ。
しかし、こういう場合は、結局その人本人を納得させうるような証拠を提出するというのが条件なので、何が出てこようとも「まだまだ、そんなものは証拠の内に入らない」とさえ言っていれば、彼は賞金を払う必要はないし、それでいて世間には、いかにも彼の主張が正しくて、例えばナチスのユダヤ人虐殺には明確な証拠がないような印象を与えることができるというわけである。/しかも、すでに述べたように(「物理の基本原則に反する」ので)何があっても超能力は認めないというのだから、両方表のコインで賭をしているようなものである。(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/16 22:34:10)
>>1)では男性も女性も「共通の傾向」でないとデータを認めない
>――「認めない」という語句を私はこの話の中で使用しましたでしょうか?
――では「認める」ということでしょうか? それなら私に同意して議論が終了のはずですが? 終了しないのは管理者さんが「認めない」からではないですか?
>”データを「そのまま」認めて”「血液型人間学」には「(p38のデータでは)女性は適用外」であり、≪血液型十戒≫の8である『血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。』の「誰もが」を、たとえば「男性には」にすべきではないですか?というのが私の指摘であり、ABOFANさんが”文脈を読んでいる”という根拠でもあります。いかがでしょうか?
――すみません、思わず笑ってしまいました。あるデータでは女性で差がある(例:p181)、別なデータでは男性で差がある(例:p38)ということなら、「誰もが」で特に問題ないかと。私が挙げたデータはあくまでサンプルですので…。
>>私が再三指摘している(このサイトの参考文献にもある)坂元氏の論文では11年間も同じ差が出ていることや、パーソナリティ心理学の定義では「必ず差が出る」ことは見事にスルーです。
>――私も”再三”指摘しているのですが、まぁいいでしょう苦笑
――すみません、管理者さんが指摘している「原文」の引用をお願いします。申し訳ありませんが、当該引用がない場合は「ない」ものとして扱います。これが科学の手法だと思いますので…。
>>パーソナリティ心理学の定義では「必ず差が出る」ことは見事にスルーです。
>――まずは、パーソナリティ心理学の”定義”をお教えください。
――意味不明な質問です。私が教えるまでもなく、知っていて当然だと思いますが…。ましてや、以前にも私が何回も書いていることですし。とはいっても、念のため再掲します。
パーソナリティ心理学では、次のように言われていますよ(白佐俊憲・井口拓自『血液型性格研究入門』p 200)。
>自己報告型の質問紙調査の結果は,通常「その人の性格そのもの」を表わすと受け取られている(「その人の性格」ではなく,あくまで「その人の性格の認知」を表わすというふうにもってまわった考え方は普通しない)。
つまり、“信者”の「自己報告」の性格を測定すると、必ず差が出ることになりますし、まさに「坂元氏の論文では11年間、山岡氏の論文では7年間同じ傾向の差が出ています」。(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/14 23:30:27)
>>坂元氏の論文では11年間も同じ差が出ている[…]
>――(以前からこの論文については何度も言及しているのですが)少し角度を変えて、こちらも上と同様の視点を出発点としましょうか。まずは、坂元氏の研究において、11年間、何と何について同じ差が出ている、と”ABOFANさんはお考えなのか”お教えください。
――私に質問する前に、まずは原典(山崎賢治・坂元章 血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析- 日本社会心理学会第32回大会発表論文集 p288-291 1991)を読まれてはどうでしょうか? Fig.7 A型とB型の「A-B」得点 を確認してください。 http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/sakamoto.htm その上で疑問点があれば質問をお願いします。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/21 23:21:00)

ABOFANさん
たまにはABOFANさんの”対話”にお付き合いしましょう。
>おっしゃるとおりです。何とか私の質問への回答を引き出したいということなのですが、今回も残念な結果に終わったようです。なぜ回答しない(したくない?できない?)のでしょうか?
――これは私のセリフでもありますね苦笑
>なぜ回答しない(したくない?できない?)のでしょうか?
>では「認める」ということでしょうか? それなら私に同意して議論が終了のはずですが?
――あぁ、いつもの”手”ですね。長年の経験から身につけられた論鋒なのでしょうが、ABOFANさんとの”対話”の仕方を少しは心得始めたかな、と思っている私には少し物足りないですね。新ネタがほしいところです。

前置きはこのくらいにして、「血液型人間学」(p38)の議論の中で新たに(p181)をご提示いただきました。まずは、お互いの相互理解のためと、ほかの閲覧者様方(もしいれば)のために(p181)に書かれている図12のデータを記述します。
能見正比古「血液型人間学」(p181)
図12:子どもについて(調査人数未婚の女性351名)
・大好き(A型”約”34%、O型約25%、B型約29%、AB型約35%)
・教育熱心になりそう(A型”約”18%、O型約14%、B型約13%、AB型約24%)
・子どもはきらいなほう(A型”約”7%、O型約12%、B型約11%、AB型約4%)
以上です。
>すみません、思わず笑ってしまいました。あるデータでは女性で差がある(例:p181)
――すみません、思わず笑ってしまいました。正直、上述の情報”のみ”で何か”科学的な”ものを見出すことはできないでしょう。そもそもの質問内容、そして各血液型が何名ずつの調査であるかが不明ですし、該当箇所には簡単なグラフのみ書かれているだけでしたので、%も推測するしかありません(”約”と書くしかなかったですし)また、各血液型と選択肢の%を足しても、100%にならないんですが……。他の選択肢は何で、どこにいったのでしょう?
これを(p38)で否定されている”女性”への血液型人間学の正当性を主張とされたいのでしたら(まぁそもそもp38とp181は全く”意味”が違うのですが、その辺の妥当性は置いておくとして)、申し訳ありませんが、せめてもう少し情報をください。議論はそれからですね。

>自己報告型の質問紙調査の結果は,通常「その人の性格そのもの」を表わすと受け取られている(「その人の性格」ではなく,あくまで「その人の性格の認知」を表わすというふうにもってまわった考え方は普通しない)。
>パーソナリティ心理学の定義では「必ず差が出る」ことは見事にスルーです。
――ええ、ですから少なくとも「血液型人間学」p38の女性では「差が出ていない」ですよね?また、これも再三申し上げましたが、縄田氏、山下氏、他参考文献の論文においても「差は出ていない」ですよね。(検出力やタイプ2エラー云々という”議論”を”仮に”差し引いたとしても、結局能見氏の著書におけるデータですら差が出ていません……)
>つまり、“信者”の「自己報告」の性格を測定すると、必ず差が出ることになりますし、まさに「坂元氏の論文では11年間、山岡氏の論文では7年間同じ傾向の差が出ています」。
>まずは原典(山崎賢治・坂元章 血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析-[…]
――坂元氏のタイトル、およびABOFANさんご自身ですでにおっしゃらてていますね。(何度も申し上げましたが)これらは、(能見氏に端を発する)血液型におけるステレオタイプによって「自己成就」が発生してしまっているのではないか?というもので、血液型⇒性格に影響を及ぼしているという「血液型人間学」における根本的な”因果関係”を保証するものではないのですよ。ご自身でおっしゃられておりますが、たとえば、「信者」以外では”差が出ない”のでしょうか?もしそうならば、血液型⇒性格という因果関係を説明しておりませんし、「ある項目」において弱い”相関”がみられたとしても、人の性格の説明に用いれるほど応用性のあるものとはいえないでしょう。

「血液型人間学」p38,p181への回答をお待ちしています。
(回答日時:2015/07/25 13:51:27)

今年は戦後70年ということなので、今回はマッカーサー「占領軍」と管理者さんの立場との共通性について書いてみます。たぶん、お互いにこの方が相互理解が進んで意義なはずです。ではまず、次の文章を読んでみてください。
結局占領軍の原則とは「占領軍に有利」ということだけであるから、たとえ原則らしいことをロにしても、それが自己に不利ならば、平然と自分の原則を自分で破る。
たとえば経済力の集中は排除する、独占は許さんと言っても、軍の移動に必要ならば当時独占企業であった日本通運はそのままにしておく。
戦時中の独占的書籍雑誌配給企業である日配(日本出版配給株式会社)は解体しておきながら、単行本の配給機関などとは比較にならぬほど大きな影響力をもつNHKや大新聞は解体せず、自己の宣撫工作のためそのままにしておく。
さらに、非武装の新憲法を称揚したかと思えば、東洋のスイスであれと言ってみたり、そうかと思うと警察予備隊をつくれといったり、満州爆撃を主張したり、蒋介石を訪問したり、一見全く無原則である。
しかし「占領軍のために有利」という点から見ると、彼らは、否われわれも同じだったが、それだけが絶対の原則であり、そこでどのような手段を使っても絶対に避けようとすることは、占領軍が徹底的に不利な立場に立たされることである。
出典:山本七平『ある異常体験者の偏見』p214~215 http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/category8-1.html
では、管理者さんの文章はどうでしょう?
1) 現状少なくとも、『「血液型十戒」の8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。』という表記とは矛盾していますよね?たとえば”誰もが”を”男性には”などにしないと、上記の”データを「そのまま」認める”ことにはならないですよね。
2) とりあえず、O型の「通説」がありませんが?また、この「通説[注:11年間同じ差が出ている]の”妥当性”についてですが、明示化されている原典として、坂元氏と山岡氏以前に書かれているものはあるのでしょうか?仮にそれが能見氏なのでしたら、ABOFANさんの投稿と矛盾してしまいますね。
まず1)と2)で発言が矛盾されているということはご同意いただけますでしょうか?
1)では男性も女性も「共通の傾向」でないとデータを認めない、2)では「全ての血液型の通説」でないとデータを認めないのですから、男性も女性も同じ傾向で全ての血液型の通説がないといけないようです。おそらく1)と2)の条件は単独ではダメで、両方同時に満たす必要があるのでしょう…。
ところが、私が再三指摘している(このサイトの参考文献にもある)坂元氏の論文では11年間も同じ差が出ていることや、パーソナリティ心理学の定義では「必ず差が出る」ことは見事にスルーです。
この管理者さんの態度は、一見全く無原則に見えますが、おそらく「疑似科学とされるものの科学的評定サイト」に有利というのが唯一の原則なのでしょう。「自分に有利」という点から見ると、管理者さんにとっては、それだけが原則であるなら、そこでどのような手段を使っても絶対に避けようとすることは、「疑似科学とされるものの科学的評定サイト」が徹底的に不利な立場に立たされることです。
こうなると、私に能見氏のデータを要求しておきながら、それとは比較にならぬほど大きなサンプル数の参考文献に「11年間同じ差が出ている」ことはあえて無視するのも不思議ではありません。さらに、無視したはずの参考文献に「O型の通説がない」と言ってみたり、そうかと思うと「坂元氏と山岡氏以前に書かれている通説」を要求してみたり、といった奇妙な質問をするのも、マッカーサー「占領軍」と同じで、実に単純な動機であることがわかります。違うのでしょうか? (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/17 23:41:46)

ABOFANさん
今回のコメントで急に議論の本筋がすり替わっているようですが、失礼ながらこれはおそらくABOFANさんの演技(戦略)だと仮定しております。
ですので先に、指摘だけしておきます……。
>1)では男性も女性も「共通の傾向」でないとデータを認めない
――「認めない」という語句を私はこの話の中で使用しましたでしょうか?また、明示的にそのような文脈を用いていたとするならば、その箇所をご提示願えないでしょうか?1)2)の”矛盾(?)”についても、そもそもそれら二つを”かつ(and)”として用いていませんので、こちらの該当箇所もご提示ください。

さて、再三再四述べておりますが、現在の議論(少なくとも私の指摘)は次の要件です。
・「血液型人間学」p38における女性データに有意な差はなかった。
この”データ”に対するABOFANさんの反応が以下です。
>>能見正比古さんが、男女によって傾向が違うデータをわざわざ著書に書いているのですから、[…]
>>一体「血液型人間学」のどこをどう読むと、こういう結論になるのでしょうか? もう一度読み直してはいかがですか? 以下は、「血液型人間学」からの抜粋です。[…]
――しかし、以前ABOFANさんご自身でこうコメントされています。
>>能見正比古さんのデータを「そのまま」認めることです。
>>「血液型人間学」における“文脈の解釈”なんて(余計なことは)考える必要はなく、あくまで統一的に現実のデータを説明できる「仮説」を見つけることが重要です。[…](投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/02 00:21:15)
――以上から、”データを「そのまま」認めて”「血液型人間学」には「(p38のデータでは)女性は適用外」であり、≪血液型十戒≫の8である『血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。』の「誰もが」を、たとえば「男性には」にすべきではないですか?というのが私の指摘であり、ABOFANさんが”文脈を読んでいる”という根拠でもあります。いかがでしょうか?

「通説」に関してですが、O型の「通説」をいただけておりませんが?という単純な疑問ですので「通説」を知らないのであればそうおっしゃってください。また、「通説」の”妥当性”という指摘についても同様です。ご存じなければそのようにおっしゃってください。

>私が再三指摘している(このサイトの参考文献にもある)坂元氏の論文では11年間も同じ差が出ていることや、パーソナリティ心理学の定義では「必ず差が出る」ことは見事にスルーです。
――私も”再三”指摘しているのですが、まぁいいでしょう苦笑
>パーソナリティ心理学の定義では「必ず差が出る」ことは見事にスルーです。
――まずは、パーソナリティ心理学の”定義”をお教えください。何についてどのように定義しているのか、何と何において「必ず差が出るのか」ということを、断片的ではなく、”ABOFANさんのご理解で結構ですので”細かく文章としてとしてコメントいただければと思います。(前回のマッカーサーのような記述の仕方で結構です)
>坂元氏の論文では11年間も同じ差が出ている[…]
――(以前からこの論文については何度も言及しているのですが)少し角度を変えて、こちらも上と同様の視点を出発点としましょうか。まずは、坂元氏の研究において、11年間、何と何について同じ差が出ている、と”ABOFANさんはお考えなのか”お教えください。 (回答日時:2015/07/21 19:31:57)

前回の投稿の補足説明として、以前の投稿から抜粋しておきます。
「O型の性格を一口に言って下さい」などと質問してくる。一口に言えるような普遍的総括的、かつ客観性を持った性格用語が開発されていたら苦労はない。多種多様の色彩も、オングストロームという光学上の単位を得て、まずまず統一的に表現できるようになった。人間の性格も、あるいは、キャラクトロームというような単位を作り得て、「O型の性格は80キャラクトローム前後ですよ」と言えるようになるかもしれぬ、ただしそれは、はるかに遠い将来である。(能見正古比 O型は人間は権力志向型なんだって-血液型性格学 別冊宝島6『性格の本-もうひとりの自分に出会うためのマニュアル』 宝島社 1977.8)
次も、以前の投稿からの抜粋です。
私は前回、「有名な特性」以外では、血液型が性格に影響する程度・方向は性別や年齢によって変わり、そのデータの裏付けもあると書きました。次はその具体例です。
大村政男氏による研究報告で、『「血液型気質相関説」と「血液型人間学」の心理学的研究II』(日本大学 研究紀要, vol. 46, pp115-155, 1993年)というのがあります。冠状動脈性心疾患(oronary Heart Disease, CHD)を発病しやすい行動パターンを意味するタイプA行動が血液型によって差があるかどうか調べたものです。この研究報告のデータを使って男性だけ計算してみると、O型がタイプA的な性格であることがわかります。念のために、χ2値を計算してみましょう。これは5.76という値が得られるので、2%以下で有意となります。確かにO型はタイプA的な性格であることが証明できました。タイプA的性格を示す質問の肯定率は、O型が46.6%、A型が43.3%、B型が43.0%、AB型は41.6%となりました。
しかし、女性では(有意差は出ていないものの)男性とは逆の傾向を示しているようです。このことは、血液型による影響が男性と女性とで正反対に表れる可能性を示しています。
別な例もあります。坂元章氏は年齢によって血液型の特徴に差があるかどうか調べてみました(山崎賢治・坂元章 血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析- 日本社会心理学会第32回大会発表論文集 pp288-291, 1991年)。彼によると『高年齢であるほど「A型的」特徴があてはまる』という結果が得られたとのことです。また、最近になるほど「日本人はB型的になってきている」そうです。
このように、血液型の特徴は性別、年齢、時代によって変わってきます。ですから、血液型の差を正確に比較しようとするなら、なるべく同質のサンプルで比較する必要があります。ランダムサンプリングをすると、「有名な特性」はともかくとして、微妙な差は性別、年齢、時代などの「ノイズ」に埋もれてしまう危険性があるのです。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/16 23:01:51)

(回答日時:2015/07/17 10:28:48)

>>データを「そのまま」認めることです
>>能見正比古さんが、男女によって傾向が違うデータをわざわざ著書に書いているのですから[…]
>――ふつうは、下のような思考を、「文脈」あるいは「行間」を読んでいると表現するのですが……。
――う~ん、一体「血液型人間学」のどこをどう読むと、こういう結論になるのでしょうか? もう一度読み直してはいかがですか? 以下は、「血液型人間学」からの抜粋です。
アンケート調査について説明を加えれば、アンケートはまず、調査対象ができるだけ揃っていることが重要である。社会人と学生では、たとえ年齢が近くても、大きく回答が左右される。子供と成人を同一に扱うことは、むろん論外である。「血液型人間学」p39
O型は無意識のうちにも自分と他人の力を絶えず測り、力関係を大変意識する。…その力が優位にあると思えば、めざましい活動力を示す。…自分の力が劣勢と考えるとき、O型の生命力の強さが逆向きとなり、なりふり構わず保護者を求めたり、人にすがろうとすることもある。特に女性の場合は、男にくらべて、力の劣勢は、常に存在する。それだけに、O型の女性の中には、往々にして物欲しそうな姿が目につくことがある。「血液型人間学」p239
他にもいくらでもありますが、あえて参考文献にある「血液型人間学」に絞りました。
>>「男性においては有意な差がみられたが女性においては有意な差はみられなかった」が血液型人間学です。
>――なるほど。以前とはずいぶん意味の違うことを仰っていますが…
上に書いたとおりです。
>>余談ですが、「必ず統計的な差が出る」を無視するのは[…]
>――血液型と性格についての「通説」の質問をしたら必ず統計的な差が出る、ですよね?ではまず「通説」についてお教えください、というのを以前のコメントですでに申し上げていますが……。
――言いたくはないのですが、毎回毎回、あまりにも管理者さんの理解が矛盾に満ちて誤解だらけであり、私の説明を意図的に無視したり、同じ質問を繰り返したりで、どうしようか考えてしまいます。これらは意図的なものなのか、それとも初めから理解するつもりがないのか、あるいは理解能力がないのか判然としませんが…。以前の投稿に目を通さなかったか、あるいは参考文献にも注意しなかったのか…。
《坂元氏の論文》…女子大生が選んだ各血液型の特徴上位3項目
・A型的な特性 ものごとにけじめをつける/くよくよ心配する/何かをする時は準備して慎重にやる
・B型的な特性 物事にこだわらない/気がかわりやすい/うれしくなるとついはしゃいでしまう
《山岡氏の論文では》…複数の本(最低3冊)に共通して現われていた項目
・B型的な特性 マイペース型で、周囲の影響を受けにくい
・AB型的な特性 気分にムラがあって、ともすると2重人格のように見えることがある
一体どういう参考文献の読み方をしているのでしょう? 私には理解できません。
しつこいようですが、坂元氏の論文では11年間、山岡氏の論文では7年間同じ傾向で差が出ていますが、管理者さんは一貫して無視しています。極論すれば、これはもう「疑似科学」、あるいは朱子学的な「科学もどき」とでもいうしかないでしょうね…。
閑話休題。
明治大学付属米澤嘉博記念図書館に43,000冊の蔵書がある、故・志水一夫さんの『宜保愛子イジメを斬る!!』には、疑似科学を否定する大槻さん(現在は早稲田大学名誉教授)を批判するこんな文章が掲載されています(p80-81)。
さて、ご存じのように[大槻]キョージュは、もし超能力の存在が証明されたら早稲田大学の教授を退職する称して、辞表を持参し、しばしばTVや週刊誌などで見せびらかしており…
言っちゃ何だが、これ、よくある陳腐なトリックである。アメリカには、この種の宣言をしている人が少なからずいる。/ナチスのユダヤ人虐殺を立証した人には100万ドル進呈します、といった類だ。
しかし、こういう場合は、結局その人本人を納得させうるような証拠を提出するというのが条件なので、何が出てこようとも「まだまだ、そんなものは証拠の内に入らない」とさえ言っていれば、彼は賞金を払う必要はないし、それでいて世間には、いかにも彼の主張が正しくて、例えばナチスのユダヤ人虐殺には明確な証拠がないような印象を与えることができるというわけである。/しかも、すでに述べたように(「物理の基本原則に反する」ので)何があっても超能力は認めないというのだから、両方表のコインで賭をしているようなものである。
どうか参考にしていただければと思います。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/16 22:34:10)

ABOFANさん
まず、
>>「男性においては有意な差がみられたが女性においては有意な差はみられなかった」が血液型人間学です。
――なるほど。以前とはずいぶん意味の違うことを仰っていますが、まぁそれはひとまず置いておきましょうか苦笑。とりあえず、上記の旨を「血液型人間学」肯定派側が明示してください。現状少なくとも、『「血液型十戒」の8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。』という表記とは矛盾していますよね?たとえば”誰もが”を”男性には”などにしないと、上記の”データを「そのまま」認める”ことにはならないですよね。

この回答の後半に対する返信をいただけていないのですが……。

さて、ABOFANさんは以前、
>「血液型人間学」における“文脈の解釈”なんて(余計なことは)考える必要はなく、あくまで統一的に現実のデータを説明できる「仮説」を見つけることが重要です。[…](投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/02 00:21:15)
ーーこうおっしゃられていますね。しかし、前回および前々回の投稿では、
>一体「血液型人間学」のどこをどう読むと、こういう結論になるのでしょうか? もう一度読み直してはいかがですか? 以下は、「血液型人間学」からの抜粋です。[…]
>能見正比古さんが、男女によって傾向が違うデータをわざわざ著書に書いているのですから、[…]
ーーさて、まず上と下で発言が矛盾されているということはご同意いただけますでしょうか?
>能見正比古さんのデータを「そのまま」認めることです。
ーーであるならば、ABOFANさんが「血液型人間学」における”文脈の解釈”をしまっくていることになりますね。

>・A型的な特性 ものごとにけじめをつける/くよくよ心配する/何かをする時は準備して慎重にやる
・B型的な特性 物事にこだわらない/気がかわりやすい/うれしくなるとついはしゃいでしまう
・B型的な特性 マイペース型で、周囲の影響を受けにくい
・AB型的な特性 気分にムラがあって、ともすると2重人格のように見えることがある
ーー以前も申し上げましたが、これが「通説」ということでいいのですね?
とりあえず、O型の「通説」がありませんが?また、この「通説」の”妥当性”についてですが、明示化されている原典として、坂元氏と山岡氏以前に書かれているものはあるのでしょうか?仮にそれが能見氏なのでしたら、ABOFANさんの投稿と矛盾してしまいますね。
(回答日時:2015/07/17 12:01:29)

う~ん、あまりにも管理者さんの理解が矛盾に満ちて誤解だらけなので、どうしようか考えてしまいますね。これは意図的なものなのか、それとも初めから理解するつもりがないのか、あるいは理解能力がないのか判然としませんが、このままずっと“漫才”を続けるのもいかがなものかと…。
なので、今回は多少趣向を変えて、管理者さんの不思議な思考回路について指摘するだけにしようと思います。
>だとすると、「血液型人間学」は結局なんなのですか、という疑問が残ってしまいます。
――能見正比古さんのデータを「そのまま」認めることです。なので、例えば、
>血液型と性格の「通説」”側”(本流)からすると、能見氏のそれは”亜流”にあたるわけですよね?
――本流も亜流もありません。現実のデータをそのまま認めるだけです。
>だとすると、「血液型十戒」等の能見氏の言説は、本流の血液型と性格言説側からすると、デタラメとまでは言いませんが論理的妥当性の低いものだと思ってらっしゃるということですか……。
――ですので、本流も亜流も関係ありません。また、管理者さんがどんな「論理」が正しいと思っているのか知りませんが、既存の「論理」の枠組みで考えようとすること自体が間違っているということでしょうかね…。そもそも、現実のデータを説明できない理論は、論理がどうこう言う以前の問題です。管理者さんは何か勘違いをしているのではないでしょうか?
>>能見正比古さんが、男女によって傾向が違うデータをわざわざ著書に書いているのですから、少なくとも男女共通の「通説」でないことは確かです。
>――いやいや、それでは論理が飛躍していますし、その書き方だとABOFANさんがご自身で否定された能見氏の「文脈を読む」ということになってしまいますよ。
――上に書いたとおりで、論理云々とは無関係な話です。単純に、管理者さんの「論理」や「枠組み」が妥当でないだけではないですか? 時間が遅れる、空間が曲がる等々は、ニュートン力学では間違っているというのと同じです。あるいは、量子力学的に、物体は粒子であると同時に波動であるでもいいですが…。間違っているのは、現象を説明できないニュートン力学であって、現実のデータがおかしいのではありません。
>p38の結果では、男性においては有意な差がみられたが女性においては有意な差はみられなかった。ですので、「血液型人間学」に女性は(少なくともこの質問においては)適用できない、ということでしょう。
――「男性においては有意な差がみられたが女性においては有意な差はみられなかった」が血液型人間学です。それは、量子力学的に、物体は粒子である同時に波動でもある、というのと同じような意味です。これが理解できないのは、理解できない人が悪いのであって、現実を説明できる理論や仮説が間違っているのではありません。よろしいでしょうか?
>《坂元氏の論文》
> ・A型的な特性 ものごとにけじめをつける/くよくよ心配する/何かをする時は準備して慎重にやる…
>――これが「通説」ということですか?つまり、血液型と性格の本流の理論という認識でよいのでしょうか?
――「本流」は関係ありませんし「理論」でもありません。そもそも、「血液型人間学」は、“部外者”が簡単に理論化できるような代物ではなく、意外に難しいのです(苦笑)。例えば、「ビッグデータ」を簡単に理論化できるかどうか考えてみてください。理論化が可能なケースもあるでしょうが、普通は一筋縄ではいきません。普通の分析手法に乗らないデータだから「ビッグデータ」なのです。
もちろん、「血液型人間学」は、量子力学なんかより遥かにやさしい(笑)のですが、少なくとも既存の枠組みにこだわってしまうと理解が困難になります。よろしいですか?(内容については、追々説明するつもりです)
余談ですが、「必ず統計的な差が出る」を無視するのは、おそらくそういう管理者さんの“文脈”で理解する必要があるでしょうね。しかし、こうなると、管理者さんは科学的に考えているのではなく、「科学もどき」=「近思録的」に考えているということになります。確かに、それなら納得です。残念ながら、朱子学は自己完結的で非妥協的な思想ですから、科学的な考え方と摺り合わせるのは非常な努力が必要となります。そもそも、朱子学は「現実」よりも「あるべきこと」が優先されるのですから…。やれやれ。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/16 00:11:44)

ABOFANさん
>このままずっと“漫才”を続けるのもいかがなものかと…。
――私もそう思います。ですので、今回はABOFANさんの不思議な思考回路について指摘するだけにしようと思います。

>データを「そのまま」認めることです
>能見正比古さんが、男女によって傾向が違うデータをわざわざ著書に書いているのですから[…]
――ふつうは、下のような思考を、「文脈」あるいは「行間」を読んでいると表現するのですが……。”データを「そのまま」認める”といいながら、能見氏の「文脈」を読もうとしていらっしゃいますよね?”わざわざ著書に書いているのですから[…]”は「文脈」を読もうとされているとしか思えないのですが……。

>「男性においては有意な差がみられたが女性においては有意な差はみられなかった」が血液型人間学です。
――なるほど。以前とはずいぶん意味の違うことを仰っていますが、まぁそれはひとまず置いておきましょうか苦笑。とりあえず、上記の旨を「血液型人間学」肯定派側が明示してください。現状少なくとも、『「血液型十戒」の8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。』という表記とは矛盾していますよね?たとえば”誰もが”を”男性には”などにしないと、上記の”データを「そのまま」認める”ことにはならないですよね。

>余談ですが、「必ず統計的な差が出る」を無視するのは[…]
――血液型と性格についての「通説」の質問をしたら必ず統計的な差が出る、ですよね?ではまず「通説」についてお教えください、というのを以前のコメントですでに申し上げていますが……。


(回答日時:2015/07/16 19:05:11)

>――なるほど。能見氏の「血液型人間学」は「通説」ではないということですね。わかりました。
――理解していただき、大変ありがとうございます。
>しかし、だとすると「通説」とはいったい何を指し、どのように形成されたのでしょうか?能見氏の「血液型人間学」が「通説」の根拠なのではなかったのですか?
――能見正比古さんが、男女によって傾向が違うデータをわざわざ著書に書いているのですから、少なくとも男女共通の「通説」でないことは確かです。もっとも、男性だけに限れば「通説」なのかもしれませんが、追試のデータを知らないので私にはわかりません。特定の条件を満たした場合にだけ表れる傾向なのかもしれませんし…。
>いやそんなことよりも、能見氏の「血液型人間学」が「通説」、あるいは”「通説」にまつわる原点など”でないのなら、ABOFANさんとしてはむしろ能見氏を批判的な対象とするのが自然な態度なのではないでしょうか?
――特定の状況なら…ということでは何かまずいのでしょうか? 具体的には、p38は男性では差が顕著に表れるということになります。時代が変わると傾向が変わるかもしれませんが、残念ながらまだ確認はしていません。血液型はもともとそういうものなのです。もっとも、性別や時代に関係ない傾向もありますよ。具体的には、以前に紹介した、
《坂元氏の論文》
・A型的な特性 ものごとにけじめをつける/くよくよ心配する/何かをする時は準備して慎重にやる
・B型的な特性 物事にこだわらない/気がかわりやすい/うれしくなるとついはしゃいでしまう
《山岡氏の論文では》
・B型的な特性 マイペース型で、周囲の影響を受けにくい
・AB型的な特性 気分にムラがあって、ともすると2重人格のように見えることがある
です。もっとも、管理者さんはこの点について終始一貫して無視しているようなのですが、認めると何かまずい理由でもあるのでしょうか?
>「血液型人間学」p38の質問は「通説」ではないとおっしゃられ、しかも実際に女性においては有意な結果が出ていないのですから、そのようなものに対して批判なさらないと、これまでのABOFANさんの言動に筋が通りませんよ。
――すみません、これも意味不明です(苦笑)。しつこいようですが、能見正比古さんは、男女によって傾向が違うと思われるデータを「わざわざ」著書に書いているわけです。だから私は、男女によって血液型による傾向が違っても特に不思議とは思いません。なので、管理人さんが「筋が通らない」というのは「筋が通らない」のではありませんか? ひょっとして、管理者さんは能見正比古さん以上の「血液型人間学の権威」なのでしょうか?(笑)
>「血液型人間学」p38における女性のデータでは有意な差がみられませんでしたよ、ということに関する指摘です。(このことに関連した「通説」に関する指摘は別のコメントにて回答しています)
――上に書いたとおりです。
>余計なお世話かもしれませんが、少し落ち着かれたほうがよいかと思います。
――これまた意味不明です(苦笑)。能見さんの著書に書いてないことが「血液型人間学」の定義だ、と言われれば私も返事に窮してしまいます。確かに、この点に関しては「回答不能」と言っていいかもしれません(苦笑)。しかし、管理者さんは一体どうされたのでしょう? 余計なお世話かもしれませんが、少し落ち着かれたほうがよいかと思いますよ。
ところで、
>つまり、「自己報告」に反する答をしているということになるので、自己報告が正しいという前提のパーソナリティ心理学を否定するだけではなく、全てのアンケートが否定されてしまいます。本当にいいのですか?
については、やはり“回答拒否”ですかね。パーソナリティ心理学では、次のように言われていますよ(白佐俊憲・井口拓自『血液型性格研究入門』p 200)。
>自己報告型の質問紙調査の結果は,通常「その人の性格そのもの」を表わすと受け取られている(「その人の性格」ではなく,あくまで「その人の性格の認知」を表わすというふうにもってまわった考え方は普通しない)。
つまり、“信者”の「自己報告」の性格を測定すると、必ず差が出ることになりますし、まさに「坂元氏の論文では11年間、山岡氏の論文では7年間同じ傾向の差が出ています」。
失礼ながら、管理者さんはパーソナリティ心理学の基礎もおぼつかないということなのでしょうか? なので、
>とりあえず、”必ず統計的な差が出る”ということはひっこめていただいて、そのうえで対話を再開しませんか?自身の言い過ぎを反省することは恥でも何でもありませんよ?(回答日時:2015/07/13 23:15:36)
は、そっくりそのままお返しします。”必ず統計的な差が出る”ということを認めていただいて、そのうえで対話を再開しませんか?自身の言い過ぎを反省することは恥でも何でもありませんよ? (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/14 23:30:27)

ABOFANさん
>理解していただき、大変ありがとうございます
――えっ、理解しちゃってよかったんですか?
だとすると、「血液型人間学」は結局なんなのですか、という疑問が残ってしまいます。
血液型と性格の「通説」”側”(本流)からすると、能見氏のそれは”亜流”にあたるわけですよね?
だとすると、「血液型十戒」等の能見氏の言説は、本流の血液型と性格言説側からすると、デタラメとまでは言いませんが論理的妥当性の低いものだと思ってらっしゃるということですか……。
>能見正比古さんが、男女によって傾向が違うデータをわざわざ著書に書いているのですから、少なくとも男女共通の「通説」でないことは確かです。
――いやいや、それでは論理が飛躍していますし、その書き方だとABOFANさんがご自身で否定された能見氏の「文脈を読む」ということになってしまいますよ。
p38の結果では、男性においては有意な差がみられたが女性においては有意な差はみられなかった。ですので、「血液型人間学」に女性は(少なくともこの質問においては)適用できない、ということでしょう。男性においては肯定的な結果だったが、女性においては否定的な結果が得られた、というのがとりあえず実験からみられたデータだということでしょう。
>《坂元氏の論文》
・A型的な特性 ものごとにけじめをつける/くよくよ心配する/何かをする時は準備して慎重にやる
・B型的な特性 物事にこだわらない/気がかわりやすい/うれしくなるとついはしゃいでしまう
《山岡氏の論文では》
・B型的な特性 マイペース型で、周囲の影響を受けにくい
・AB型的な特性 気分にムラがあって、ともすると2重人格のように見えることがある
――これが「通説」ということですか?つまり、血液型と性格の本流の理論という認識でよいのでしょうか?
では、もしご存知ならば、この「通説」(理論)の原典をお教えいただけないでしょうか?
(回答日時:2015/07/15 09:11:55)

すみません、管理者さんの下の文章を見過ごしていました。
>とりあえず、”必ず統計的な差が出る”ということはひっこめていただいて、そのうえで対話を再開しませんか?自身の言い過ぎを反省することは恥でも何でもありませんよ?(回答日時:2015/07/13 23:15:36)
まさか、こんなことを言っているとは思ってもみなかったので、ビックリ仰天しました。なぜなら「必ず統計的な差が出る」を否定するとなると、パーソナリティ心理学だけではなく、全てのアンケートを否定することになるからです。本気ですか?
例えば、平均的な男性は平均的な女性より身長が高いことは統計的に明らかです。では「実感としてどうですか?」と質問した場合、普通の人ならイエスと答えるでしょう。仮にノーなら、その人の観察眼には疑問が持たれることになります。
血液型の話に戻ると、仮に“信者”に「あなたに自分の血液型の特徴が当てはまりますか?」と質問したら、普通ならイエスと答えるでしょう。これがノーなら、その人は“信者”ではないはずです。もし本当に“信者”だとしたら、その人の人格が疑われてしまいます(苦笑)。なぜなら、性格の「自己報告」に反する答をしているからです。言い換えれば、その人常習的なウソツキか、観察眼がないということになります。
つまり、「自己報告」に反する答をしているということになるので、自己報告が正しいという前提のパーソナリティ心理学を否定するだけではなく、全てのアンケートが否定されてしまいます。本当にいいのですか? (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/14 00:27:04)

ABOFANさん
>なぜなら「必ず統計的な差が出る」を否定するとなると、パーソナリティ心理学だけではなく、全てのアンケートを否定することになるからです。本気ですか?
例えば、平均的な男性は平均的な女性より身長が高いことは統計的に明らかです。
――破れかぶれなのかもしれませんが、一応返答だけしておきますね苦笑。
>これも上の説明のとおりで、必ず差が出ることになります。もっとも、実際にどんな差が出るのかという“文脈”は、「ビッグデータ」の解析と同じで結構複雑な作業となるので、「必ず差が出る」ことに同意した後に詳しく説明していと思います。
――と、ABOFANさん”が”おっしゃられておりましたが、「血液型人間学」p38における女性のデータでは有意な差がみられませんでしたよ、ということに関する指摘です。(このことに関連した「通説」に関する指摘は別のコメントにて回答しています)
余計なお世話かもしれませんが、少し落ち着かれたほうがよいかと思います。 (回答日時:2015/07/14 19:53:16)

>>特に反論がないようなので、私の主張が正しく[…]
>>予想どおり“回答拒否”のようですね[…]
>――ABOFANさんの口癖のようですので今更私は気にしませんが、他所で対話、議論されるときにこの物言いは避けたほうが無難かと思いますよ。というか、それを言うなら、これまでABOFANさんがこちらの質問に”回答拒否”なさったことはそれこそ数え切れませんが、それらはすべて”ABOFANさんが反論できなかった”という意味と考えて良いのでしょうか?
――意味不明です(苦笑)。つまり、特に反論がないと言うことでしょうか? 私は単純に管理者さんの回答を要求しているのであって、どうしても回答したくないならそう言えばいいはずですが…。また、私が”回答拒否”だというなら、どうか原文の引用をお願いします。私の回答漏れもあると思いますので、再度要求があれば可能な限り回答するつもりです。いずれにせよ今回も管理者さんは回答する意思がないようなので、“回答拒否”と判断させていただきます。よろしくお願いします。
>さて、結局すべて「意味不明です」というようなことを言われてしまったのですが(気のせいでしょうか。以前より、ご自分が不利になるとこの言葉を多用されますよね)、「血液型人間学」p38における回答はいただけておりません。
――これも意味不明です(笑)。例えば、「ヒツジヤギ効果」では、原文の引用がないので回答できません。ひょっとして原文は「あ、ちなみにヒツジヤギ効果って、超心理学、つまり超能力研究の用語。/でも、いまの羊と山羊のパスタ、美味だったなあ。」ですか?
なお、ご要望ですので、「血液型人間学」p38の回答を再掲します。
>“信者”が思い込んでいる「通説」なら、かならず差が出るということです。「血液型人間学」p38の質問では「通説」どおりではなく、追試ができないので、性別や時代を超越するような「有意な差」かどうかははっきりしません。
この回答に疑問があるなら、お手数ですが不明な点を再度ご質問ください。逆に、「坂元氏の論文では11年間、山岡氏の論文では7年間同じ傾向の差が出ています。」には管理者さんは一貫して“回答拒否”です。なぜなのでしょうか?
>少なくとも今、「血液型人間学」や能見氏(親子)の知名度が(若年層に)それほどあるとは思えませんし、「血液型性格診断」はそれとは全然独立して独り歩きしているように思えるのですが……。能見氏の「知名度」調査から始めたほうがよいのではないでしょうか?
――ひょっとして、管理者さんは現実のデータを見ていないのでしょうか。例えば、血液型と性格が「大きく」関係すると考えている(=血液型性格診断)のは、せいぜい全体の10%程度です。ですので、山下玲子氏の論文にも「今回の調査対象者は、…血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きである」とあります。どうかご確認ください。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/13 23:46:49)

ABOFANさん
>“信者”が思い込んでいる「通説」なら、かならず差が出るということです。「血液型人間学」p38の質問では「通説」どおりではなく、[…]
――なるほど。能見氏の「血液型人間学」は「通説」ではないということですね。わかりました。
しかし、だとすると「通説」とはいったい何を指し、どのように形成されたのでしょうか?能見氏の「血液型人間学」が「通説」の根拠なのではなかったのですか?
いやそんなことよりも、能見氏の「血液型人間学」が「通説」、あるいは”「通説」にまつわる原点など”でないのなら、ABOFANさんとしてはむしろ能見氏を批判的な対象とするのが自然な態度なのではないでしょうか?
「血液型人間学」p38の質問は「通説」ではないとおっしゃられ、しかも実際に女性においては有意な結果が出ていないのですから、そのようなものに対して批判なさらないと、これまでのABOFANさんの言動に筋が通りませんよ。

>私が”回答拒否”だというなら、どうか原文の引用をお願いします。
――たとえば(回答日時:2015/06/10 07:29:14) の最後のほうで私が挙げた②、④などについてはもう少し詳しくうかがってみたいですね。ですが、話が逸れてしまうので今は前述のことだけにお答えいただければ結構ですよ。 (回答日時:2015/07/14 19:42:42)

すみません、回答漏れです。
>「血液型人間学」と巷に流布しているような「血液型性格診断」は違う、というのがABOFANさんのお考えでしたよね?
――おっしゃるとおりです。ただし、データで判断する限り、いわゆる「血液型性格診断」を信じているのはかなり少数だと思われます。
>統計だのの前に、そういう”間違った血液型性格診断”に対する誤信の訂正を、「血液型人間学」側がなさろうとは思われないのでしょうか?少なくともその意味においては、本研究と目的が相反するとは思えないのですが……。
――「血液型性格診断」を信じている人は割と少数です。なので、「血液型人間学」は疑似科学である、という主張を否定することにエネルギーを集中した方が有意義だと思っています(笑)。
現実に、坂元氏の論文では11年間、山岡氏の論文では7年間同じ傾向で差が出ていますが、管理者さんはなぜか無視しているようです。なぜここまで無視するのかと質問しても、毎回“回答拒否”なのは科学的に考えると理解できません(少なくとも何らかの“回答”はすべきでしょう)。しかし、“科学”という「無謬神話」を信じているものと考えると、管理者さんの今までの反応が非常にうまく説明できます。これが、科学の朱子学的な理解という意味です。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/13 23:15:30)

ABOFANさん
>血液型性格診断」を信じている人は割と少数です。なので、「血液型人間学」は疑似科学である、という主張を否定することにエネルギーを集中した方が有意義だと思っています(笑)。
――本当ですか?少なくとも今、「血液型人間学」や能見氏(親子)の知名度が(若年層に)それほどあるとは思えませんし、「血液型性格診断」はそれとは全然独立して独り歩きしているように思えるのですが……。能見氏の「知名度」調査から始めたほうがよいのではないでしょうか? (回答日時:2015/07/13 23:19:07)

>――とりあえず、「ヒツジヤギ効果」でググってみてください。また、その差は「自己成就」によるものだよね~、という反論を躱してください。
――意味不明です。ググると次のツイートがヒットしただけですが…。なお「自己成就」はヒットしませんでした。
>あ、ちなみにヒツジヤギ効果って、超心理学、つまり超能力研究の用語。/でも、いまの羊と山羊のパスタ、美味だったなあ。
私はパスタは好きですが、羊と山羊のパスタは食べたことがないので何ともコメントできません…。(苦笑)
>――別のコメントにも回答しましたが「血液型人間学」p38の女性においては、有意な差がでていません。”必ず”とははたして?
――私の元の文章には「通説」どおりと書いてありますが…。つまり、“信者”が思い込んでいる「通説」なら、かならず差が出るということです。「血液型人間学」p38の質問では「通説」どおりではなく、追試ができないので、性別や時代を超越するような「有意な差」かどうかははっきりしません。
>――これは、能見氏による「血液型人間学」に沿った質問をすれば差が出る、ということをおっしゃられたいのでしょうか?だとすると、その質問項目、尺度、等のデータをご提示ください。繰り返しますが、「血液型人間学」p38の女性においては何の差も出ていませんよ。
――これも質問の意味がわかりません。坂元氏の論文では11年間、山岡氏の論文では7年間同じ傾向の差が出ています。どちらも原論文にありますので「ぜひ」確認をお願いします。例えば、坂元氏の論文では、
A型的な特性 ものごとにけじめをつける/くよくよ心配する/何かをする時は準備して慎重にやる
B型的な特性 物事にこだわらない/気がかわりやすい/うれしくなるとついはしゃいでしまう
山岡氏の論文では、
B型的な特性 マイペース型で、周囲の影響を受けにくい
AB型的な特性 気分にムラがあって、ともすると2重人格のように見えることがある
です。ただ、ここで改めて質問するということは、管理者さんが本当に原典を読んでいないということなのでしょうか? いずれにせよ、訳がわかりません。
>私が指摘しているのは”イロハニホヘ”の各回等におけるベクトルの方向性、とでもいいましょうか、そういう”傾向性すら”みられなかったという指摘です。
――上に書いたとおりです。坂元氏の論文では11年間、山岡氏の論文では7年間同じ傾向の差が出ています。
>書籍「血液型人間学」のような、ABOFANさんのおっしゃる「数百人」規模の実験(?)においても検出できないものならば、「血液型」が「性格」に影響を与えているという言説は(少なくとも日常生活においては)”使いものにならない”のではないでしょうか?
――しつこいようですが、坂元氏の論文では11年間、山岡氏の論文では7年間同じ傾向で差が出ています。また「(日常生活においては)“使いものにならない”」は、反証可能な命題ではないので回答できません。効果量等の「反証可能」な基準を示していただくよう「ぜひ」お願いします。
それから、
>サンプルサイズを100人とした場合は、検出力は0.254となりますから、ほぼ3/4は差が検出できないタイプ2エラーということになります。…「普通」にあるような平均値の差=0.1で計算してみると、検出力は0.0634となり、ほぼ15回に1回しか差が検出できないという結果となりました。(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/10 00:48:46)
には特に反論がないようなので、私の主張が正しく、管理者さんの「だいたい100以上のサンプルであれば(仮に)有意差は出なくとも何らかの傾向性くらいは見出せると思われるのですが…(回答日時:2015/07/04 17:20:43)」は撤回すると判断させていただきます。
また、
>>例えば100項目質問があったとすれば、”偶然”に一項目くらいは有意な差(この場合p<0.01)が出てしまいます。…
>――これこそまさに、“moving goal post” ですね。では、具体的にどういう条件なら「差がある」ことになるのでしょうか? ご存じのように、この私の質問に答えられないのは「疑似科学」です。(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/09 23:49:19)
には予想どおり“回答拒否”のようですね。「差がある」という“帰無仮説”といい、やはり管理者さんは統計に弱い(?)ということなのでしょうか…。
なお、
>サンプルサイズを100人とした場合は、検出力は0.254となりますから、ほぼ3/4は差が検出できないタイプ2エラーということになります。[>PowerMean(.1, 1, 0.05, 25, 2, 3) ](投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/10 00:48:46)
のPowerMean(.1,…)は、PowerMean(0.3,…)の間違いです。すみませんでした。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/13 22:15:35)

ABOFANさん
>特に反論がないようなので、私の主張が正しく[…]
>予想どおり“回答拒否”のようですね[…]
――ABOFANさんの口癖のようですので今更私は気にしませんが、他所で対話、議論されるときにこの物言いは避けたほうが無難かと思いますよ。というか、それを言うなら、これまでABOFANさんがこちらの質問に”回答拒否”なさったことはそれこそ数え切れませんが、それらはすべて”ABOFANさんが反論できなかった”という意味と考えて良いのでしょうか?

さて、結局すべて「意味不明です」というようなことを言われてしまったのですが(気のせいでしょうか。以前より、ご自分が不利になるとこの言葉を多用されますよね)、「血液型人間学」p38における回答はいただけておりません。
ABOFANさんは”ご自身で”
>血液型と性格の「通説」に関する質問をすると、心理学による性格の定義からして、必ず統計的な差が出ることになります。
とおっしゃられておりますが、能見氏の「血液型人間学」p38女性では有意な差は認められなかったのですよね。
とりあえず、”必ず統計的な差が出る”ということはひっこめていただいて、そのうえで対話を再開しませんか?自身の言い過ぎを反省することは恥でも何でもありませんよ?
また、もしも、能見氏の質問方法が「血液型人間学」における「通説」でないのだとするならば(そのようなことをこのコメントにておっしゃっておいでですが)、これまでの能見氏を拠り所にしたABOFANさんの発言にすべて”意味”がなくなってしまうのですが、よいのでしょうか? (回答日時:2015/07/13 23:15:36)

連投失礼します。
念のため、実際にサンプルサイズを100人として計算してみました。他の条件は前回と同じです。
・平均値の差=0.3/標準偏差=1/α=0.05(タイプ1エラー=危険率)/β=0.8(タイプ2エラーにならない確率=検出力)/両側検定
・話を簡単にするため、便宜的に4つの血液型の比率は同じものとし、「ある血液型」と「他の血液型」の2群の平均の差で計算
サンプルサイズを100人とした場合は、検出力は0.254となりますから、ほぼ3/4は差が検出できないタイプ2エラーということになります。[>PowerMean(.1, 1, 0.05, 25, 2, 3) ]
2群間の平均値の差 0.3/標準偏差 1/αエラー 0.05/両側検定/サンプルサイズ N1 25/N2 75/検出力 0.254
平均値の差=0.3はほとんど「最大」のケースなので、「普通」にあるような平均値の差=0.1で計算してみると、検出力は0.0634となり、ほぼ15回に1回しか差が検出できないという結果となりました。
なお、これはF検定の場合ですが、χ2検定でもほぼ同じ傾向と思われます。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/10 00:48:46)

(回答日時:2015/07/13 13:38:28)

長くなるので回答を分割しました。
>・「血液型人間学」においてすら有意な差が認められなかった女性の扱いをどうされるのか?女性は「血液型人間学」の対象外なのか?そうであるなら、「血液型性格診断」肯定派がそのように言明すべきではないのか?
――血液型による影響は、性別やTPOによって変化します。それは、能見正比古さんも認めているので、わざわざ男女別に集計しているわけです。このデータも、時代によって変化する可能性もありますので、絶対的な傾向を示すものではありません。なお、この点は私も現実のデータで(間接的に)確認しています。
>・おそらく、「学生を対象としたものはサンプルが少ないから結果が出なかった」とおっしゃりたいでしょう。しかし、一般的なアンケート調査や統計分析において、だいたい100以上のサンプルであれば(仮に)有意差は出なくとも何らかの傾向性くらいは見出せると思われるのですが、各回答(イロハニホヘ)同士の傾向性を分析しても、そのような結果はみられませんでした。この結果をどう捉えるのか。
――調査どうもお疲れ様でした。しかし、そんな直球の質問をしないでください(笑)。これでは、学部レベルではなく、大学院レベルの統計学を勉強してください、とでも答えるしかなくなってしまいます…。なお、このことは以前に投稿番号200で説明済ですので、少々長くなりますが再掲しておきます。
《引用開始》前回はケーススタディのみのだったので、今回は統計用フリーソフトであるEZRを使って計算してみました。参考文献は平井明代氏の「統計:検定力分析」です。http://www.u.tsukuba.ac.jp/~hirai.akiyo.ft/meeting13.files/SLAA_5_16%28withoutimage%29.pdf
平均値差・標準偏差などの仮定は、山岡重行氏のデータ(ダメな大人にならないための心理学 pp49-52)を参考として、次のとおりとしました。
平均値の差=0.3/標準偏差=1/α=0.05(タイプ1エラー=危険率)/β=0.8(タイプ2エラーにならない確率=検出力)/両側検定
話を簡単にするため、便宜的に4つの血液型の比率は同じものとし、「ある血液型」と「他の血液型」の2群の平均の差で計算することにします。この条件でEZRを使って計算してみた結果、必要なサンプルサイズは117+351=468人と「数百人」ということになりました。参考までに、以下はEZRの計算結果の抜粋です。[>SampleMean(0.3, 1, 0.05, 0.80, 2, 3 ) ]
仮定:2群間の平均値の差 0.3/標準偏差 1/αエラー 0.05/両側検定/検出力 0.8/N2とN1のサンプルサイズの比 3→必要サンプルサイズ:N1 117/N2 351
逆に、サンプルサイズを261人とした場合は、検出力は0.554となりますから、ほぼ半分は差が検出できないタイプ2エラーということになります。[>PowerMean(.1, 1, 0.05, 65, 2, 3.01538461538462 ) ]
2群間の平均値の差 0.3/標準偏差 1/αエラー 0.05/両側検定/サンプルサイズ N1 65/N2 196/検出力 0.554
現実には、平均値の差=0.3はほとんど「最大」のケースなので、「普通」にあるような平均値の差=0.1で計算してみると、検出力は0.104となり、ほぼ10回に1回しか差が検出できないという結果になりました。これで納得していただけましたでしょうか?
閑話休題。以前はRでコマンドを直接を入力していたので面倒だったのですが、EZRでは随分と簡単になったものです(笑)。
仮定のミスや計算違いなどがあればご指摘ください。《引用終了》
>・唯一有意な差がみられた「血液型人間学」における男性の調査においても、(ABOFANさんが以前自ら言っていたように)あのアンケートはほかにも質問項目があったと考えられますよね?だとすると、例えば100項目質問があったとすれば、”偶然”に一項目くらいは有意な差(この場合p<0.01)が出てしまいます。こればかりは、原本や生データをみないことにはなんともいえないところではありますが・・・・・・。
――これこそまさに、“moving goal post” ですね。では、具体的にどういう条件なら「差がある」ことになるのでしょうか? ご存じのように、この私の質問に答えられないのは「疑似科学」です。
話は変わりますが、以前に紹介があった「よい教育とは何か 構造構成主義研究5」にも、心理学者がこの話になって困る、とあるのが興味深いです(p104 3.統計的検定の適用とダブルスタンダードについて)。差があると何か困るのでしょうか?
>能見氏の「生データ(質問用紙の原本)」がどのようなものであったのか、大いに気になるところではあります。
――現物の一部を見たことはありますが、確か和文タイプ原稿を印刷したものだったような記憶があります。手集計なので、再分析するとなると大変でしょうね。
さて、前回の投稿の繰り返しになりますが、血液型と性格の「通説」に関する質問をすると、心理学による性格の定義からして、必ず統計的な差が出ることになります。よろしいでしょうか? (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/09 23:49:19)

ABOFANさん
どうやら、また話が少しかみ合っていないようですね……。
ABOFANさんは「検出力」のお話をされていて、それが、
>必要なサンプルサイズは117+351=468人と「数百人」ということになりました
ということを、おっしゃりたいのですね?しかし、私が指摘しているのは”イロハニホヘ”の各回等におけるベクトルの方向性、とでもいいましょうか、そういう”傾向性すら”みられなかったという指摘です。(これは「大学院」レベルの統計学内用語の話なので、詳しくは割愛します。もしお知りになられたければおっしゃってください。次回コメントにて解説いたします。)
さて、仮にABOFANさんのご意見を前提としても、
・「血液型人間学」においてすら有意な差が認められなかった女性の扱いをどうされるのか?女性は「血液型人間学」の対象外なのか?そうであるなら、「血液型性格診断」肯定派がそのように言明すべきではないのか?
この問題を解決することができません。もう一度、能見氏が行った「血液型人間学」の結果だけ貼り付けますが、
女性:総人数661人(A型230人、B型148人、O型198人、AB型85人)でカイ2乗検定を行ったところ、有意な差はなかった。(p=n.s(0.951629))
これをABOFANさんは、
>血液型による影響は、性別やTPOによって変化します。それは、能見正比古さんも認めているので、わざわざ男女別に集計しているわけです。このデータも、時代によって変化する可能性もありますので、絶対的な傾向を示すものではありません。なお、この点は私も現実のデータで(間接的に)確認しています。
――こうおっしゃられています。しかし一般的には、このようなこと(態度)をアド・ホックだというのですよ……。わざわざ男女別に集計した「結果」、女性においては有意な差は認められなかったわけなんですが……。
そして、書籍「血液型人間学」のような、ABOFANさんのおっしゃる「数百人」規模の実験(?)においても検出できないものならば、「血液型」が「性格」に影響を与えているという言説は(少なくとも日常生活においては)”使いものにならない”のではないでしょうか?
また、そのことに関連して、これは一度お伺いしてみたかったことなのですが、「血液型人間学」と巷に流布しているような「血液型性格診断」は違う、というのがABOFANさんのお考えでしたよね?(記憶違いでしたら申し訳ありません)であるならば、統計だのの前に、そういう”間違った血液型性格診断”に対する誤信の訂正を、「血液型人間学」側がなさろうとは思われないのでしょうか?少なくともその意味においては、本研究と目的が相反するとは思えないのですが……。
(回答日時:2015/07/13 13:38:23)

回答ありがとうございます。ごくごく一部ではありますが、議論がかみ合ってきたようで嬉しいです。さて、
>――”「仮説」を見つける”とは果たして何を意味しているのでしょうか?もしも「血液型」”が”「性格」に影響を与えている、つまり「血液型」⇒「性格」ということを主張なさりたいのであれば(これが「血液型性格診断」言説であるというのが一般通念でしょう)、その「主旨」に沿った研究をする(データの分析をする)のが普通ですよね。まず、その根拠となる研究データをお示しください(※何度も申し上げていますが)。
――これについては過去に何回も説明していますが、おそらく理解するつもりがないということなのでしょうね。まさに、“科学”という「無謬神話」を信じているということでしょうか…。これはこれで、非常に興味をそそられる現象です。
しつこいようですが、「血液型人間学」の“信者”を調査すると、通説どおりの差が出ていることは、多くの否定派も認めている事実です。ここまではよろしいでしょうか?
では、日本人平均では“信者”の割合はどのぐらいでしょう? 多くの調査では、日本人全体の7割程度が血液型と性格には「関係がある」と回答しています(例:1986年のNHK世論調査)ので、やはり7割程度ということなります。以上のことから、ランダムサンプリングによる「血液型と性格」の調査をすれば、平均して7割の“信者”が存在するので、必ず通説どおりの差が出ることになります。
念のため、心理学的にもこのことは正しいとされています。なぜなら、心理学で定義する「性格」は基本的に「自己報告」や「自己認知」によるものだからです。繰り返しますが、心理学的には、自分がそう感じているものが「性格」なのです(本当にこの定義が妥当かどうかは別として、少なくとも心理学的にはそういうことです)。
>ABOFANさんのこのコメントからも伺えるのですが、血液型性格診断においては、理論的な説明がすべてがアド・ホック(後付け)なんですよね。自身らの主張とは反するデータ(否定的な研究)が得られても、それに対し無反省であり後付けで説明をくわえている(都合よく解釈している)のが理論の面での問題の中核かと思います。
――上の説明でわかるとおり、この文章はそっくりそのまま管理者さんにお返しします。心理学的には、どんなデータでも必ず通説どおり差が出るのです。これは「仮説」ではなく「定義」です。現実にも、坂元氏、山岡氏のデータに示されているとおり、通説どおりの差が出ています。念のため、縄田氏は「通説」の質問をしていないので差は出ていません。
なお、統計と心理学がある程度わかる人で、私のこの説明が理解できない人はいません。もっとも、感情的に反発する人もいますし、「必ず通説どおり差が出る」ということを認めたくないので、絶句したり“回答拒否”状態になる人も少なくありませんが…。
>たとえば、少なくとも「否定論文」という”主旨”で書かれており、実際のデータもそれに沿ったものが得られているもの(縄田氏、大村氏、山下氏etc)に反論されるのであれば、まずはデータを受け入れ、その上でさらに「反証」しているデータを示すか、データの不備を指摘するか…
――上の説明のとおりです。よって、「反証」を示す必要があるのは、管理者さんの方であって私ではありません。繰り返しますが、どんなデータでも必ず通説どおり差が出るのは、「仮説」ではなく、心理学による「定義」となります。よろしいでしょうか?
>最後ですが、「血液型人間学」における”文脈”はどうでもいい、というのであれば「血液型人間学」の”理論的な実像”はどこにあるのでしょうか?ABOFANさんのおっしゃられていることを要約すると、”仮説のない”データ⇒理論(仮説を見出す)なのですよね?では、その”理論”が述べられているもの(論文、書籍等)はどこにあるのでしょうか(明示化されているのだとすれば)?
――これも上の説明のとおりで、必ず差が出ることになります。もっとも、実際にどんな差が出るのかという“文脈”は、「ビッグデータ」の解析と同じで結構複雑な作業となるので、「必ず差が出る」ことに同意した後に詳しく説明していと思います。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/09 23:10:03)

ABOFANさん
このコメントについては後々解析したいものが多くあるのですが、特に気になった個所についてだけ何点か……。
>「血液型人間学」の“信者”を調査すると、通説どおりの差が出ていることは、多くの否定派も認めている事実です。
――とりあえず、「ヒツジヤギ効果」でググってみてください。また、その差は「自己成就」によるものだよね~、という反論を躱してください。
>ランダムサンプリングによる「血液型と性格」の調査をすれば、平均して7割の“信者”が存在するので、必ず通説どおりの差が出ることになります。
――別のコメントにも回答しましたが「血液型人間学」p38の女性においては、有意な差がでていません。”必ず”とははたして?
>実際にどんな差が出るのかという“文脈”は、「ビッグデータ」の解析と同じで結構複雑な作業となるので、「必ず差が出る」ことに同意した後に詳しく説明していと思います。
――上述と同様です。”必ず”という文言をまず外すところから議論をはじめましょうか。
>縄田氏は「通説」の質問をしていないので差は出ていません。なお、統計と心理学がある程度わかる人で、私のこの説明が理解できない人はいません。
――これは、能見氏による「血液型人間学」に沿った質問をすれば差が出る、ということをおっしゃられたいのでしょうか?だとすると、その質問項目、尺度、等のデータをご提示ください。繰り返しますが、「血液型人間学」p38の女性においては何の差も出ていませんよ。 (回答日時:2015/07/13 14:02:32)

前回の投稿にしばらく回答がありませんね。統計学の基本さえ押さえていれば、大して難しい内容ではないはずですが…。念のため、今回はもう一度違う角度から説明しておきます。まず、
>――お願いですから、坂本[元]氏らと山岡氏の「論文」のタイトルと主旨等を再読し、できればそれを(日本語の”文章”で)お示しいただけますでしょうか?
――ここの部分は、前回は意味がないと思って特に回答しませんでした。しかし、ご要望のようですので簡単に触れておくことにします。
坂元氏らと山岡氏の論文の主旨ですが、これは簡単です。過去の投稿 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/09 22:33:09)にあるように、
1) 坂元氏他 統計データに*有意な*「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
です。これは、縄田氏の統計データの分析結果とは真っ向から対立しています。
2) 縄田氏 統計データに*有意な*「差がない」→血液型と性格に差がない
この点を質問したところ、次の管理者さんの奇妙な“帰無仮説”に関する回答をいただきました。
>私が「前提」と書いているのことをザックリとだけ述べますと、要するに「対立仮説」と「帰無仮説」のことについてです。坂元氏他と縄田氏の論文では「帰無仮説」と「対立仮説」が異なります。少々噛み砕いて述べますと、縄田氏は「血液型性格診断を積極的に否定する(無関連性を調べる)」ことを論旨としており、坂本氏らは「「血液型ステレオタイプ」と「自己成就」の関連性」を論旨としている、ということです。(つまりそれぞれの主張の、まぁだいたい反対側が「帰無仮説」となります)以前にも申し上げましたが、前者は『無関連性』、後者は『関連性』(ただし自己成就についての、ですが…)と分析し解釈する尺度が異なるのです。この点を、もう一度ご一考ください。(回答日時:2015/06/10 07:29:14)
上の文章を読めば、管理者さんが統計的検定の基本を理解していないことは明らかです。この状態では、以前に私が説明した「母集団」も理解していないのではありませんか? ましてや、「タイプ2エラー」や「F検定」の詳しい議論などは遙か先の話なのか…。それなら「χ2検定」や「効果量」はいったいどうなるのでしょう…。
さて、「科学」に基づく議論なら、当然のことながら、その論文中に示されている数値やその分析結果(例:統計的検定)が正しいことが必須条件なはずです(そうでないと“STAP細胞”状態になってしまいます・苦笑)。それらの前提についてお互いに確認・同意した後に「主旨等」の議論に進もうと思っているのですが、現在も前段階の「統計データの分析」で引っかかっているのは残念というしかありません。
もちろん、私は統計の専門家でも何でもありません。単純に大学教養レベルの基本的な統計的検定とパーソナリティ心理学を学んだだけです。このサイトにおける管理者さんのように、少なくとも大学院レベルで統計データに基づいて「血液型と性格」の議論をするのであれば、統計的検定の知識はマストでしょう。しかし、この点が一番のネックと感じているのも、これまた私の率直な感想です。
ですので、どうか積極的な反論を「是非」お願いします。このサイトは、現在では数少ない貴重な学問的な議論の場なのですから…。
余談ですが、以前に紹介した山本弘さんのブログでは、ちょっと詳しい統計の話に進もうとしたら“回答拒否”をされてしまいました。彼によると「だから僕は、相手が論理盲だ(まともな論理が理解できない)と気づいたら、議論は打ち切ることにしている。」「だって、議論したって納得するわけないんだから。…みなさんも、論理盲に出会ったら、言いたいことだけ言って、議論を打ち切りましょう。」とのことです。非常に残念というしかありません。単純に、統計的検定で有意差があるのかどうかという「事実」を認めるかどうかという議論なのに、なぜ「論理盲」になるのか…私には理解できません。
やはり、否定派との議論で、統計の話は“鬼門”なのかもしれませんね。ひょっとして、山本弘さんは統計にあまり詳しくないのでしょうか?
《参考》6月24日付 「論理盲」の人たち http://hirorin.otaden.jp/e421420.html (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/04 10:17:20)

ABOFANさん
こちらのコメントではABOFANさんの得意分野であられる「統計」についてお返しします。
>、少なくとも大学院レベルで統計データに基づいて「血液型と性格」の議論をするのであれば、統計的検定の知識はマストでしょう。
――さて、こちらで「血液型人間学」p38におけるアンケート調査の本でのデータによる分析と、それをそのまま明治大学の学生を対象にも(簡易的にですが)実施いたしました。まず、簡略的な結果だけご報告します。
原データ(「血液型人間学」p38ママ)においては、

男性:総人数994人(A型341人、B型214人、O型298人、AB型141人)でカイ2乗検定を行ったところ、1%水準でで有意だった。(p<0.01(0.007558))
女性:総人数661人(A型230人、B型148人、O型198人、AB型85人)でカイ2乗検定を行ったところ、有意な差はなかった。(p=n.s(0.951629))
でした。
次に明治大学の学生を対象にまったく同様のアンケート調査を行いました。

男性:総人数86人(A型31人、B型16人、O型32人、AB型7人)でカイ2乗検定を行ったところ、有意な差はなかった。(p=n.s(0.472176))
女性:総人数93人(A型37人、B型21人、O型26人、AB型9人)でカイ2乗検定を行ったところ、有意な差はなかった。(p=n.s(0.166046))

でした。
さて、この結果を踏まえ、私からは3点です。
・「血液型人間学」においてすら有意な差が認められなかった女性の扱いをどうされるのか?女性は「血液型人間学」の対象外なのか?そうであるなら、「血液型性格診断」肯定派がそのように言明すべきではないのか?
・おそらく、「学生を対象としたものはサンプルが少ないから結果が出なかった」とおっしゃりたいでしょう。しかし、一般的なアンケート調査や統計分析において、だいたい100以上のサンプルであれば(仮に)有意差は出なくとも何らかの傾向性くらいは見出せると思われるのですが、各回答(イロハニホヘ)同士の傾向性を分析しても、そのような結果はみられませんでした。この結果をどう捉えるのか。
・唯一有意な差がみられた「血液型人間学」における男性の調査においても、(ABOFANさんが以前自ら言っていたように)あのアンケートはほかにも質問項目があったと考えられますよね?だとすると、例えば100項目質問があったとすれば、”偶然”に一項目くらいは有意な差(この場合p<0.01)が出てしまいます。こればかりは、原本や生データをみないことにはなんともいえないところではありますが・・・・・・。

さて質問項目の原本がない以上、結局これより深く分析はできないのですが、能見氏の「生データ(質問用紙の原本)」がどのようなものであったのか、大いに気になるところではあります。

(回答日時:2015/07/04 17:20:43)

>私の”対話”は、「血液型人間学」におけるどの文脈から上述のような”解釈”をされたのかということをお聞きしているつもりです。前にも書きましたが、”得られた情報をどのように解釈するか”という点でコメント差し上げたのですが……。というか以前から、能見氏の「血液型人間学」における”文脈の解釈”の話を逸らしておられませんか?あえて挑発的な書き方をしますが、能見氏の”言説”に触れること、何かよほど都合の悪いことがあるように思えてしまいます。申し訳ありませんが……。
――なるほど、これが管理者さんの発想の基本なんですね…。私は全然違います。極論すれば、現実のデータさえうまく説明できれば、文脈や既存の枠組みなんてどうでもいいのです。山本七平さんが、日本人は科学を朱子学的に理解していると言っていたのですが、まさにそのとおりですね。
科学は「神話」ではありません。従って、その論文の主旨どおり考える必要なんかないはずです。血液型と性格についての仮説は、どんなデータ・サンプルでも「一般的にあてはまる」はずなので、特定のサンプルだけ説明可能な仮説は間違いだということになります。従って、坂元氏や山岡氏の論文の“得られた情報をどのように解釈するか”という「主旨」は、特定のサンプルだけ説明可能ですから、やはり間違っていることになります。
以上のように、「血液型人間学」における“文脈の解釈”なんて(余計なことは)考える必要はなく、あくまで統一的に現実のデータを説明できる「仮説」を見つけることが重要です。これが私の基本的な考えとなります。理解していただけましたか?
>――お願いですから、坂本[元]氏らと山岡氏の「論文」のタイトルと主旨等を再読し、できればそれを(日本語の”文章”で)お示しいただけますでしょうか?
――上に書いたとおりです。日本語の“文章”は意味が曖昧になりがちですが、
>1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
という表現には曖昧さがなく、解釈が一意に決まるので、私の考えを示すには適しています。なお、データ的な裏付けは過去に何回も示したとおりです。よろしいでしょうか?

余談ですが、
>>少なくとも、「差がある」という“帰無仮説”は止めていただけないでしょうか?
>――こんなことを、言ったつもりはないのですが、まぁいいでしょう。
には回答がないので、6/10付けの主張は撤回すると判断させていただきます。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/07/02 00:21:15)

ABOFANさん
二件分のコメントがありますので、二つに分けてお返しいたします。
まず、こちらは理屈のお話です。
>私は全然違います。極論すれば、現実のデータさえうまく説明できれば、文脈や既存の枠組みなんてどうでもいいのです。山本七平さんが、日本人は科学を朱子学的に理解していると言っていたのですが、まさにそのとおりですね。
――何ヶ月間かコメントいただきましたが、初めてABOFANさんのお考えが聞けた気がします。朱子学のくだりはよくわかりませんが、”ここだけみると”なるほど、と思わせることができるかもしれませんね。しかし、
>、「血液型人間学」における“文脈の解釈”なんて(余計なことは)考える必要はなく、あくまで統一的に現実のデータを説明できる「仮説」を見つけることが重要です。これが私の基本的な考えとなります。
――”「仮説」を見つける”とは果たして何を意味しているのでしょうか?もしも「血液型」”が”「性格」に影響を与えている、つまり「血液型」⇒「性格」ということを主張なさりたいのであれば(これが「血液型性格診断」言説であるというのが一般通念でしょう)、その「主旨」に沿った研究をする(データの分析をする)のが普通ですよね。まず、その根拠となる研究データをお示しください(※何度も申し上げていますが)。能見氏の「血液型人間学」p38におけるアンケート調査の件に関しては次のコメントにて回答いたします。
ABOFANさんのこのコメントからも伺えるのですが、血液型性格診断においては、理論的な説明がすべてがアド・ホック(後付け)なんですよね。自身らの主張とは反するデータ(否定的な研究)が得られても、それに対し無反省であり後付けで説明をくわえている(都合よく解釈している)のが理論の面での問題の中核かと思います。
たとえば、少なくとも「否定論文」という”主旨”で書かれており、実際のデータもそれに沿ったものが得られているもの(縄田氏、大村氏、山下氏etc)に反論されるのであれば、まずはデータを受け入れ、その上でさらに「反証」しているデータを示すか、データの不備を指摘するか、もしくはご自身で正面からの「肯定論文」をご投稿なさってはいかがですか。(※これは何度も申し上げていることですが)ABOFANさんのこれまでの”説明”では血液型性格診断に「否定的」なデータや論文に対し、後付けで「いやいや、これは違う」とおっしゃっているに過ぎず、正面から「血液型性格診断」を肯定的に述べている研究データは提示いただけていないのです。
繰り返しますが、
・縄田氏は、血液型と性格の無関連性の研究
・坂元氏は、血液型性格診断による自己成就の研究
・山下氏は、血液型性格診断はなぜすたれないのかという研究
をされていたのでありまして、ABOFANさんのおっしゃられていることとは”意味”が違います。どれも血液型性格診断に否定あるいは懐疑的なものであり、”正面から”血液型性格診断を、しかも肯定している研究をいまだご提示いただけておりません。(※能見氏の「血液型人間学」が研究だというのならば、やはりご一緒に検証しましょう)
たとえば、「能見説の血液型性格診断における一考察―大学生、社会人へのアンケート調査から―」みたいなタイトルの研究などがあればわかりやすいのですがね・・・・・・。
最後ですが、「血液型人間学」における”文脈”はどうでもいい、というのであれば「血液型人間学」の”理論的な実像”はどこにあるのでしょうか?ABOFANさんのおっしゃられていることを要約すると、”仮説のない”データ⇒理論(仮説を見出す)なのですよね?では、その”理論”が述べられているもの(論文、書籍等)はどこにあるのでしょうか(明示化されているのだとすれば)?ABOFANさんご自身で「血液型人間学」の文脈やデータの解釈は”どうでもいい”とおっしゃってしまわれているのですが・・・・・・。 (回答日時:2015/07/04 17:20:47)

すみません、前回の投稿に間違いがありましたので訂正します。
6千人超の「縄田」氏のデータ→6千人超の「山岡」氏のデータです。なお、縄田氏のデータでは差がないとされていますが、これは経済感覚に関する質問であり本来の“血液型性格診断”の質問ではありませんので、差が出なくても問題にはなりません。もっとも、縄田氏の一部データでは差が出ているとも思われますが、結論を出すにはより詳細な分析が必要でしょう。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/30 23:26:57)

ABOFANさん
>「差がある」ことは、既に3万人超の坂元氏のデータ、6千人超の縄田氏のデータで決着済みだと考えます。
>6千人超の「縄田」氏のデータ→6千人超の「山岡」氏のデータです。
――お願いですから、坂本氏らと山岡氏の「論文」のタイトルと主旨等を再読し、できればそれを(日本語の”文章”で)お示しいただけますでしょうか?
以前にも似たようなことを申し上げましたが、調査の”主旨”をまずきちんと押さえることをお勧めします(タイトルから内容を推測できることも多いので、初学者にはよいかもしれません) (回答日時:2015/07/01 22:23:00)

>>少なくとも、「差がある」という“帰無仮説”は止めていただけないでしょうか?
>――こんなことを、言ったつもりはないのですが、まぁいいでしょう。
――そうでしょうか? それでは、以前の管理者さんの文章を次に引用します。縄田氏の論文では「差がある」という“帰無仮説”を立てていると明確に書いてありますが?
>私が「前提」と書いているのことをザックリとだけ述べますと、要するに「対立仮説」と「帰無仮説」のことについてです。坂元氏他と縄田氏の論文では「帰無仮説」と「対立仮説」が異なります。少々噛み砕いて述べますと、縄田氏は「血液型性格診断を積極的に否定する(無関連性を調べる)」ことを論旨としており、坂本氏らは「「血液型ステレオタイプ」と「自己成就」の関連性」を論旨としている、ということです。(つまりそれぞれの主張の、まぁだいたい反対側が「帰無仮説」となります)以前にも申し上げましたが、前者は『無関連性』、後者は『関連性』(ただし自己成就についての、ですが…)と分析し解釈する尺度が異なるのです。この点を、もう一度ご一考ください。(回答日時:2015/06/10 07:29:14)
では、上の6/10付けの主張は撤回されるのですか?

また、あまり言いたくはないのですが、管理者さんの態度が(少なくとも私には)不明確と思われるので、ここではっきり言わせてもらいます。
>では、能見氏の「血液型人間学」において、”そこから得られた情報をどのように解釈するか”という視点からp38の図表についてのABOFANさんのご意見を伺いたいと思います。
――p38の能見正比古さんのデータは、はっきり言って私にはどうでもいいことです。繰り返しになりますが、それは、管理者さんが
>――この記述のデータ、つまり、能見氏のどの著作のどの部分にこの文脈に相当するデータが記述されているのかご提示願えますか?具体的なページなどもお教えいただければ幸いです。 (回答日時:2015/06/13 13:13:35)
と要求があったので示しただけです。
「差がある」ことは、既に3万人超の坂元氏のデータ、6千人超の縄田氏のデータで決着済みだと考えます。この点について管理者さんが何も触れず、代わりに「p38の図表についてのABOFANさんのご意見を伺いたい…」と要求するのは、非常に理解に苦しみます。いったい何の意味があるのでしょうか?
まさか、3万人超の坂元氏のデータ、6千人超の縄田氏のデータより能見正比古さんのデータを優先する、と考えているとも思えないので…。

もっとストレートに言いましょう。おそらく、管理者さんは統計的検定の基本を理解していないのではないですか? もちろん、管理者さんが私に対して何か“トリック”を使っているという可能性も否定はできません。しかし、それよりは、管理者さんが統計の基本を理解していない、と考えた方がずっと簡単に現状が説明できます。違いますか?
仮にそうだとするなら、今後はもっと別な対応方法を検討したいと思います…。

参考:アゴラ「文系オヤジ」を捨てる経営 『選択と捨象』 by 池田 信夫→特に後半部分 http://agora-web.jp/archives/1646820.html (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/30 22:12:37)

ABOFANさん
>p38の能見正比古さんのデータは、はっきり言って私にはどうでもいいことです。
――!?えっ……、これはなんとお返しすれば……。ABOFANさんは以前より、能見氏の「血液型人間学」の(ABOFANさんの考える)正確な理解によると、
>1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
――と、おっしゃられておられますよね?私の”対話”は、「血液型人間学」におけるどの文脈から上述のような”解釈”をされたのかということをお聞きしているつもりです。前にも書きましたが、”得られた情報をどのように解釈するか”という点でコメント差し上げたのですが……。というか以前から、能見氏の「血液型人間学」における”文脈の解釈”の話を逸らしておられませんか?あえて挑発的な書き方をしますが、能見氏の”言説”に触れること、何かよほど都合の悪いことがあるように思えてしまいます。申し訳ありませんが……。
もう一度書きますが、「血液型人間学」p38の図におけるアンケート調査を能見氏(あるいはABOFANさん)は、
>目をひくのは、A型とB型の、回答ハとホにおける著しい対照である。[…]クサクサしたりイライラしたりするとき、人けを避けることをえらんだ人は、A型はB型の三倍近いのだ。[…]この数字が、A型とB型の気質の差を反映していることは明らかである。(p37)
――と”解釈”している、と考えていいのでしょうか? (回答日時:2015/07/01 22:13:12)

>統計学(心理・社会統計などの実用的側面)において、”ある事物を数量化し計算すること”と”そこから得られた情報をどのように解釈するか”は「分けて考える必要がある」、ということです。
――一般論としてはそのとおりです。が、正直言って、管理者さんの統計的知識で正確に「ある事物を数量化し計算すること」ができるかどうか、かなり不安に感じているのも事実です。きちんと計算が出来なければ、それこそ“garbage in, garbage out”になりかねませんから…。少なくとも、「差がある」という“帰無仮説”は止めていただけないでしょうか? (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/25 22:11:19)

ABOFANさん
>少なくとも、「差がある」という“帰無仮説”は止めていただけないでしょうか?
――こんなことを、言ったつもりはないのですが、まぁいいでしょう。
では、能見氏の「血液型人間学」において、”そこから得られた情報をどのように解釈するか”という視点からp38の図表についてのABOFANさんのご意見を伺いたいと思います。
p38図表の質問ですが、
>問 あなたは精神的神経的のイライラやクサクサを、どう、いやすか?
イ 親しい相手とたわいないおしゃべり。
ロ テレビか音楽鑑賞。
ハ あき地、川岸、公園、屋上など人けのない場所で時間をすごす。
ニ 犬猫、小鳥、人形などペットを相手。
ホ 何かの趣味や手仕事などに打ち込む。
ヘ 何とか寝てしまおうとする。
(お酒を飲むのは、別とします)
――これが原本ですね。そして、そこから能見氏は、
>目をひくのは、A型とB型の、回答ハとホにおける著しい対照である。[…]クサクサしたりイライラしたりするとき、人けを避けることをえらんだ人は、A型はB型の三倍近いのだ。[…]この数字が、A型とB型の気質の差を反映していることは明らかである。(p37)
――と、述べています。まず、これが、能見氏が行った”得られた情報の解釈”と考えてよいのでしょうか?ABOFANさんのご意見をお聞かせください。
(回答日時:2015/06/29 15:46:38)

早速の回答ありがとうございます。しかし、正直なところ、管理者さんが何を主張したいのがさっぱりわかりません。その理由としては、
1) 管理者さんが一般的な統計学ではなく、“特別”な統計学(例:「差がある」という帰無仮説…どうやって検定するんでしょうか?)に基づいて主張を展開している
2) 管理者さんが一般的な統計学を理解しないで、“自己流”の理解に基づいて主張を展開している
3) その他
のいずれかのはずです。私の率直な感想では、おそらく2)の可能性が最も高いのではないかと思いますが…。
>>「ほかに多くある質問項目のうちの一つ」と推測しますが、おそらく確認はできないでしょう、ということになります
>――もし上記の通りだとするならば、「血液型人間学」p38で統計的な「差」を主張されるのは言い過ぎかと思います。
――『統計的な「差」を主張されるのは言い過ぎ』の意味が理解できません。例えば、山岡氏や坂元氏の分析結果によると「有名な特性」について、複数回にわたって統計的な有意な差が確認されており、効果量は小~中です。「血液型人間学」p38は、管理者さんが
>>さて、能見正比古氏の著作を読めばわかりますが、自己報告による血液型の性格の違いは、10%程度というのが平均的なケースです。
>――この記述のデータ、つまり、能見氏のどの著作のどの部分にこの文脈に相当するデータが記述されているのかご提示願えますか?具体的なページなどもお教えいただければ幸いです。 (回答日時:2015/06/13 13:13:35)
と要求があったので示しただけです。
繰り返しになりますが、統計的な「差」があることは、既に山岡氏や坂元氏の論文で実証済です。仮に反論があるとするなら、同一の条件で危険率の逆数(一般的には1/0.05=20)倍の「差がない」データが必要なはずで、それには100万人分のサンプルが必要になりますから、現実的には不可能です。よろしいでしょうか?

>>統計の「帰無仮説」は、基本的に「差がない」です。なので、統計的検定の結果は、帰無仮説を「棄却」できるかどうかとなります。統計的検定で「差がある」を帰無仮説とするというのは聞いたことがありません…。念のため、縄田氏の論文でもn.s.はnot significantの略なので、「差がない」ことを示しています。
>――すみません。前後の文脈的にそれほど誤解を招くものとは考えていなかったのですが、つまり、
――「誤解」ではないと思います。繰り返しになりますが、管理者さんによると、
>坂元氏他と縄田氏の論文では「帰無仮説」と「対立仮説」が異なります。(回答日時:2015/06/24 13:36:33)
とありますが、統計的検定に限るなら、坂元氏他と縄田氏の論文では「帰無仮説」(=差がない)と「対立仮説」(=差がある)は『同じ』です。従って、この文章で管理者さんが何を主張したいのか全く理解できません。念のため、管理者さんが示したWikipediaの引用でも、「帰無仮説H0」は差がない、「対立仮説H1」は差がある、となっています。ですので、一番可能性が高いのは、
2) 管理者さんが一般的な統計学を理解しないで、“自己流”の理解に基づいて主張を展開している
のではないかと推測しています。
ご確認ください。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/24 22:45:00)

ABOFANさん
あぁ、なるほど。どうやら、また意思疎通に齟齬が生じているようですね~。
とりあえず、次の統計学における基本的な前提には同意していただけますでしょうか?
統計学(心理・社会統計などの実用的側面)において、”ある事物を数量化し計算すること”と”そこから得られた情報をどのように解釈するか”は「分けて考える必要がある」、ということです。
まず、以上のことに何かご異論がありますでしょうか?というのも、ABOFANさんの場合、上記を混同させているように思うのです。
いかがですか? (回答日時:2015/06/24 23:04:28)

>>流石に回答を要求したくなってきましたが…。
>――以前のコメントへの回答は済ませてあるかと思いますので、ご確認ください。具体的には、(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/15 20:53:30)/(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/09 22:33:09)/この二つの回答欄にてまとめてあります。
――よくわかりません。この「具体的には」で示されている前者(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/15 20:53:30)については次のとおりです。
>能見氏の「血液型人間学」についてですが、ご提示いただいたp38のアンケート、…/――について、これは、この質問”のみ”を調査したものなのでしょうか?それともほかに多くある質問項目のうちの一つとしてのものが記載されているのでしょうか?周辺を読んでみたのですがよくわかりません。ご存知でしたらお教えください。
これは「逆質問」ですから「回答」ではないですよね? なお、この「逆質問」の管理者さんへの回答としては「ほかに多くある質問項目のうちの一つ」と推測しますが、おそらく確認はできないでしょう、ということになります。
また、後者(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/09 22:33:09)への回答ですが、大変失礼ながら管理者さんは統計の基礎基本を理解していないのではないか、という記述が認められます。
>坂元氏他と縄田氏の論文では「帰無仮説」と「対立仮説」が異なります。少々噛み砕いて述べますと、縄田氏は「血液型性格診断を積極的に否定する(無関連性を調べる)」ことを論旨としており、坂本氏らは「「血液型ステレオタイプ」と「自己成就」の関連性」を論旨としている、ということです。(つまりそれぞれの主張の、まぁだいたい反対側が「帰無仮説」となります)以前にも申し上げましたが、前者は『無関連性』、後者は『関連性』(ただし自己成就についての、ですが…)と分析し解釈する尺度が異なるのです。この点を、もう一度ご一考ください。
――統計の「帰無仮説」は、基本的に「差がない」です。なので、統計的検定の結果は、帰無仮説を「棄却」できるかどうかとなります。統計的検定で「差がある」を帰無仮説とするというのは聞いたことがありません…。念のため、縄田氏の論文でもn.s.はnot significantの略なので、「差がない」ことを示しています。
つまり、坂元氏の論文では帰無仮説を棄却した、縄田氏の論文では帰無仮説を棄却できなかった、となります。管理者さんの統計学の理解は大丈夫なんでしょうか?
もっとも、一般的な話としてなら管理者さんの理解でOKですが、統計学の話としてはダメです。これでは統計の話が全然通じない訳ですね。残念ながら…。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/23 21:35:09)

ABOFANさん
「逆質問」が何を意味し、ABOFANさんにとって何がご不満なのかよくわかりませんが……とりあえず、
>「ほかに多くある質問項目のうちの一つ」と推測しますが、おそらく確認はできないでしょう、ということになります
――もし上記の通りだとするならば、「血液型人間学」p38で統計的な「差」を主張されるのは言い過ぎかと思います。「調査全体」の把握が困難でしたら、統計的な”解釈”を用いるのはどうかと……。というか、それでもp38を標ぼうとされるならば、むしろ「血液型人間学」は女性には適用できないもの(あの結果からは女性においては有意な差がなさそうだったのですが…)、となるのですがその辺りはどう思われますか?
さらに、定量化された数字からの能見氏の「解釈」にも多く疑問が残りますね。※ABOFANさんはp38-39の能見氏の数字の「解釈」についてはどう思われますか?

>統計の「帰無仮説」は、基本的に「差がない」です。なので、統計的検定の結果は、帰無仮説を「棄却」できるかどうかとなります。統計的検定で「差がある」を帰無仮説とするというのは聞いたことがありません…。念のため、縄田氏の論文でもn.s.はnot significantの略なので、「差がない」ことを示しています。
――すみません。前後の文脈的にそれほど誤解を招くものとは考えていなかったのですが、つまり、

仮説が正しいと仮定した場合にその標本が観察される確率を算出できるように、仮説を統計学的に表現する。 たとえば薬の試験(薬の効果を主張できることを示したい)を例にとれば、帰無仮説(きむかせつ Null hypothesis)(証明したい仮説の反対の仮説。この場合は、「主張できない」)は「薬に対する反応の平均がプラセボに対する反応の平均と等しい。どちらの反応も正規分布に従うがその標準偏差は両者で等しく、平均を問題とする」という仮説を立てる。この仮説は最終的に棄却(間違っていたという判断)されるべきものなので、帰無仮説と呼ばれ、普通 H0 と書く。また帰無仮説に対立する仮説(対立仮説(たいりつかせつAlternative hypothesis): H1 )を立てることも多い。上の例では対立仮説は「薬に対する反応の平均がプラセボに対するそれと異なる」ということになる。(wikipedia「仮説検定」)
雑ですが、以上の”意味”をご理解されてから、縄田氏、坂本氏の「対立仮説」と「帰無仮説」の”意味の違い”についてもう一度ご再考ください。 (回答日時:2015/06/24 13:36:33)

今回も情報提供です。
以前に、「血液型人間学」の定義として、1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。という説明をしました。1)は既に説明済みですが、2)はまだなので簡単に説明しておきます。
次は、女性雑誌の特集にあったもので、各血液型50人に聞いたアンケートで「YES」と答えた比率を示してたものです。
Q4 彼のメールを見たことがある O:A:B:AB=46:66:52:34
出典:ノンノ 2008年5月20日号 ●恋愛×血液型・最強コラボスペシャル 恋グセが怖いほど分かる! 「恋愛血液型」大全
最大値のA型は66%、最小値のAB型は34%と32%の差で、従来よりかなり大きな差と考えていいでしょう。
ただし、ややサンプルが少ないこと、そしてサンプルの属性がはっきりしないこともあり、あくまで「参考値」と考えるのがよいかと…。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/love.htm
ところで、統計データの分析については、本当に管理者さんから何の反応もありませんね。ここが議論の最大のポイントなはずなのですが、いったいどうしたのでしょうか? 流石に回答を要求したくなってきましたが…。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/22 23:21:45)

ABOFANさん
>流石に回答を要求したくなってきましたが…。
――以前のコメントへの回答は済ませてあるかと思いますので、ご確認ください。具体的には、
(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/15 20:53:30)
(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/09 22:33:09)
この二つの回答欄にてまとめてあります。

(回答日時:2015/06/23 06:50:51)

今回は単なる情報提供です。
山本弘氏との論戦で、はてブを見ていたら、こんな面白い記事を発見しました。
「血液型性格分類」と「郷土性」/なぜ「郷土性」はよくて、「血液型」はダメなのか。どちらも子どもが自分で選ぶことのできないものではないか。 http://deztec.jp/design/10/08/14_society.html
確かに、“ブラッドタイプ・ハラスメント”がダメなら、県民性もダメなはずですよね。それなら「ダ○いたま」なんて一番ダメなじゃないですか。
ちょっと新鮮な視点でした。
これで思い出したのが、一昔前の「都道府県ランキング」です。確か、国のどっかの省がこの手のランキングを発表したところ、順位が下位だった県から猛烈にクレームが付いて、その後は発表されなくなったと記憶しています。
そういえば、テレビから「血液型占い」コーナーがなくなった理由は、視聴者からのクレームのせいだそうです。
TVからひっそりと封印されつつある“誰もが知っている”あのコーナーとは?/今は血液型の性格分析などの企画もできません。…血液型と性格の関係は科学的な根拠はなく[注:この点にはクレームを付けたいです・笑]、たくさんのクレームが来てしまったのです。それ以降はこうした特番はもちろん、すでに存在していた血液型コーナーも終了させる運びになりました。 http://tocana.jp/2014/11/post_5226_entry.html
そして、冗談としか思えないのですが、なんと「星座」の話題も紹介されています。
血液型占いはNGとされる今も、星座による運勢を放送する番組は存在する。こちらは良いのだろうか。「今のところは、まだ問題ないとされています。…星座占いをメイン企画にした特番を作ってしまうと血液型の時と同様にクレームが舞い込み、放送できなくなる可能性もあります。」
私には面白い冗談としか感じられないのですが…。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/18 23:11:29)

(回答日時:2015/06/18 23:20:06)

おお、やっと対話になってきたようですね。
>――なるほど。以前よりは少し様子がつかめた気がします。
――ありがとうございます。
>ただ、一点だけ質問なのですが…
>>さて、能見正比古氏の著作を読めばわかりますが、自己報告による血液型の性格の違いは、10%程度というのが平均的なケースです。
>――この記述のデータ、つまり、能見氏のどの著作のどの部分にこの文脈に相当するデータが記述されているのかご提示願えますか?具体的なページなどもお教えいただければ幸いです。
――いくらでもあるので、一例を挙げると、
血液型人間学 p38 ※単位は%…以下同じ
精神的神経的疲れのいやし方(男子)
ハ あき地、川岸、公園、屋上など人けのない場所で時間をすごす O:A:B:AB=11.9:17.3:6.1:16.0
ニ 犬猫、小鳥、人形などペット相手 O:A:B:AB=37.9:30.5:39.7:30.1
心理学者のデータでもいくらでもあります。例えば、
①詫摩武俊・松井豊(1985) 血液型ステレオタイプについて
1.ものごとのけじめや白黒をはっきりつける O:A:B:AB=55.5:53.3:47.1:55.9
②松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討
6.ものごとにけじめをつける(4年分の単純平均) O:A:B:AB=38.9:39.7:36.1:41.0
→①②http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/intro.htm
③詫摩武俊・松井豊(1985) 血液型ステレオタイプについて
4.ルールや慣習や秩序を重視する O:A:B:AB=57.7:54.7:50.7:41.2
④松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討
4.ものごとにこだわらない(4年分の単純平均) O:A:B:AB=36.7:32.9:39.3:38.3
⑤大村政政男(1985)「血の商人」の餌食になるなデタラメぶりは立証された 朝日ジャーナル
5.仲間内では開放的 O:A:B:AB=82.6:75.5:79.8:68.9
→③④⑤http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/mystery.htm
といったところです。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/15 20:53:30)

ABOFANさん
能見氏の「血液型人間学」についてですが、ご提示いただいたp38のアンケート、
>いくらでもあるので、一例を挙げると、
血液型人間学 p38 ※単位は%…以下同じ
精神的神経的疲れのいやし方(男子)
ハ あき地、川岸、公園、屋上など人けのない場所で時間をすごす O:A:B:AB=11.9:17.3:6.1:16.0
ニ 犬猫、小鳥、人形などペット相手 O:A:B:AB=37.9:30.5:39.7:30.1
――について、これは、この質問”のみ”を調査したものなのでしょうか?それともほかに多くある質問項目のうちの一つとしてのものが記載されているのでしょうか?周辺を読んでみたのですがよくわかりません。ご存知でしたらお教えください。
(回答日時:2015/06/15 21:41:55)

すみません、過去3回の投稿を掲載していただいたのはいいのですが、なぜか現在まで何の回答もありません。特に、
>・「ABOFANさんの考える能見氏の「血液型人間学」の正確な理解とはどのようなものですか?」/ との私の問いに、散々しぶられた挙句、/1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。…と、かなりあいまいな、どうとでも解釈できるような雑な回答しかいただけませんでしたね。(回答日時:2015/06/09 11:49:50)
ということなので、前回の投稿では、ご要望に沿って、
>統計の話の総仕上げに、能見正比古氏の「血液型人間学」について説明しましょう。私は以前に、/1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。/と書きました。今回は、より具体的に数字を使って説明します。…(投稿日時:2015/06/11 21:51:45)
と、統計的に説明しました。しかも、ある程度具体的にです。ですから、私としては、「かなりあいまいな、どうとでも解釈できるような雑な回答」ではないと確信しています。また、
>――本研究は、文部科学省科研費の補助を受けてスタートしております。(回答日時:2015/06/08 12:31:12)
ともあります。相手の統計的な説明に何らかのコメントをするのは義務とまでは言いませんが、科研費を使っている研究としてはいかがなものでしょうか?
私としては、説明のレベルとして大学1~2年程度を想定しています。普通の大学なら、名義尺度~比例尺度、t検定やF検定ぐらいなら学習するはずです。また、効果量も統計的検定の基本がわかっているのなら、それほど難しい内容ではないはずですから、回答いただけない理由がわかりません。いかがですか?
話は変って情報提供です。元と学会会長である山本弘氏のブログに血液型の話題が掲載されましたので、参考までにお知らせします。
山本弘のSF秘密基地BLOG
山本弘が血液型性格判断を否定するのは儒教の影響だったんだよ!(笑) http://hirorin.otaden.jp/e420750.html
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/13 13:10:48)

ABOFANさん
現在、コメント欄に技術的な不具合が発生しているため、大変恐縮ですが、以前いただいた投稿についてをこちらのコメント欄にて返信(回答)いたします。ご不便おかけします。

(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/11 21:51:45)
上記日時にて投稿されたのコメントからです。
>さて、能見正比古氏の著作を読めばわかりますが、自己報告による血液型の性格の違いは、10%程度というのが平均的なケースです。これはどういうことかというと、ある質問に対して×型の55%が「はい」と答えたら、他の血液型は(それより10%少ない)45%が「はい」と答える、といったイメージになります(思ったより差が小さいと感じるかもしれません…)。
――なるほど。以前よりは少し様子がつかめた気がします。ただ、一点だけ質問なのですが…
>さて、能見正比古氏の著作を読めばわかりますが、自己報告による血液型の性格の違いは、10%程度というのが平均的なケースです。
――この記述のデータ、つまり、能見氏のどの著作のどの部分にこの文脈に相当するデータが記述されているのかご提示願えますか?具体的なページなどもお教えいただければ幸いです。 (回答日時:2015/06/13 13:13:35)

統計の話の総仕上げに、能見正比古氏の「血液型人間学」について説明しましょう。私は以前に、
>1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。
と書きました。今回は、より具体的に数字を使って説明します。
さて、能見正比古氏の著作を読めばわかりますが、自己報告による血液型の性格の違いは、10%程度というのが平均的なケースです。これはどういうことかというと、ある質問に対して×型の55%が「はい」と答えたら、他の血液型は(それより10%少ない)45%が「はい」と答える、といったイメージになります(思ったより差が小さいと感じるかもしれません…)。
では、この数字から「効果量」を計算しましょう。結論から先に言うと、r(or φ or Cramer's V)は0.1ですから、効果量は「小」となります。回答にはたまに20%近い差のものもありますので、これなら効果量は「中」となります。
効果量については、例えば水本篤氏他の「研究論文における効果量の報告のために」(p62)を参照してください。なお、r=0.1なら小、r=0.3なら中、r=0.5なら大です。http://www.mizumot.com/files/EffectSize_KELES31.pdf
また、rの具体的な計算方法は、例えば次のサイトを参照してください。
5.3 計数値の相関 - 我楽多頓陳館 (注2) 2×2分割表の相関係数の計算 http://www.snap-tck.com/room04/c01/stat/stat05/stat0503.html
ところで、前回の投稿で、
>私の場合は便宜的にYule's Q/Cramer's V(連関係数)を計算して、相関係数に当てはめます(φでもいいかも…)。もっとも、この方法が妥当とはどこにも書いてありませんが、傾向はわかるはずです(苦笑)。
と書きましたが、上に紹介した水本篤氏他の「研究論文における効果量の報告のために」(p62)によると、φとCramer's Vについては、私のこの方法でも「妥当」とのことで、ちょっと安心しました(笑)。
数値的な説明は以上でよいかと思います。疑問等があればコメントをお願いします。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/11 21:51:45)

(回答日時:2015/06/11 22:42:18)

早速の掲載ありがとうございます。もっとも、現時点では何も回答が掲載されていないのですが、ひょっとして今後追加されるのでしょうか?
さて、申し訳ないのですが、前回の投稿を一部訂正させてください。
>1) 坂元氏他 統計データに*有意な*「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
>2) 縄田氏 統計データに*有意な*「差がない」→血液型と性格に差がない
>ここで、管理者さんのおっしゃるように研究の“前提”が違うとします。すると、坂元氏他のデータ(の集合)と縄田氏のデータ(の集合)は排他的でないといけません。仮に、排他的でないなら「矛盾」してしまうからです。
――この記述は必ずしも正しくないので訂正します。正しくは、坂元氏他・縄田氏のデータの「集合」ではなく「母集団」です。また、必ずしも坂元氏他・縄田氏のデータが「排他的」である必要もありません。なぜなら―少なくとも論理的には―坂元氏他のデータ(質問項目や母集団)⊃縄田氏のデータ(質問項目や母集団)でも「矛盾」はしないからです。
坂元氏他のデータは、必ずしも全部で差が出ているわけではありません。その中の差が出ていないものが縄田氏のデータと解釈すれば、上に書いたように、坂元氏他のデータ(質問項目や母集団)が縄田氏のデータ(質問項目や母集団)を包含しても何ら問題ないことになります。
ただし、そうなると、縄田氏はわざわざ意図して差が出ないデータだけを取り出したことになりますから、彼の論文の趣旨である「無関係性」を主張するのは無理筋というものです。もっとも、縄田氏が意図的にそのような方法をとった可能性もありますが、証拠はありません。
他の部分も、いくつか補足説明をしておきます。
>1)でeffect sizes (d)が計算できるのは、山岡氏のデータのみです。他はeffect sizes (d)は直接的には計算できません。
についてですが、"effect sizes (d)"は"Cohen's d"なので、2グループ間の平均値の差を標準偏差で割ったものです。平均値や標準偏差を計算するには、少なくとも回答が間隔尺度以上である必要がありますが、この条件を満たすのは山岡氏のデータ(5点法)のみです。坂元氏・白佐氏のデータ(「はい」「いいえ」)は順位尺度ですので、平均値も標準偏差も計算できません。当然のことながら、"effect sizes (d)"も計算できないことになります。
ではどうするからというと、私の場合は便宜的にYule's Q/Cramer's V(連関係数)を計算して、相関係数に当てはめます(φでもいいかも…)。もっとも、この方法が妥当とはどこにも書いてありませんが、傾向はわかるはずです(苦笑)。これでは問題だというのであれば、ぜひ他の方法をお示しいただきたく。ちなみに、2)の縄田氏のデータは10点法ですから間隔尺度です。
もう一点、"student's t"について説明しておきます。
>>「実名」「所属」「研究の主旨」(後者2つは必ずしも必要ではありませんが)を明記したうえで、”この論文の統計データには誤りがある。私が正しく検証したので見てほしい”という態度で臨まれるべきかと…。
>――これには驚きました。ひょっとして、studentのt(t検定)を知らないのでしょうか?
――少々手抜きですが、wikipediaの「t検定」から引用します。
>t検定(ティーけんてい)とは、帰無仮説が正しいと仮定した場合に、統計量がt分布に従うことを利用する統計学的検定法の総称である。母集団が正規分布に従うと仮定するパラメトリック検定法であり、t分布が直接、もとの平均や標準偏差にはよらない(ただし自由度による)ことを利用している。2組の標本について平均に有意差があるかどうかの検定などに用いられる。統計的仮説検定の一つ。
>スチューデントのt検定(Student's t-test)とも呼ばれるが、これは統計学者のウィリアム・ゴセットが雇用者であるギネスビール社に『本名使用を許されずStudentというペンネームで最初の論文を発表した』(1908年)ためである。[『』は私が追加]
「t検定」は間隔尺度のデータを分析するのには、非常にポピュラーな計算方法です。また、複数グループ間の検定に使われる「F検定」は、t検定を拡張したものです。これだけ有名な検定方法でさえ、「実名」でなくペンネームで発表されていることを、ぜひご確認いただきたく。
ちなみに、山岡氏の論文では「F検定」を使っています。なお、坂元氏・白佐氏のデータでは、通常はχ2乗などのノンパラメトリック検定を使用します。
もっとも、私は統計の専門家ではないので、上の説明に誤りがある場合は、お手数ですがご指摘ください。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/10 23:07:10)

(回答日時:2015/06/11 12:22:48)

回答ありがとうございます。では早速、
>どうかその情熱を「血液型性格診断」以外の分野に向けてください。ABOFANさんでしたら社会に貢献できるような何かができるかと…。
――アドバイスありがとうございます。しかし、現在の私は、血液型に情熱を向けるのが、一番社会に貢献できるものと信じて行動していますので…。
>あなたがここ何日かのうちに、/言うまでもなく、私の投稿は管理者さん向けというより、このサイトに想定される読者をメインのターゲットにして書いています。…/このようにおっしゃられていることです。/もし私をターゲットにしていないのなら、むしろ上記の質問はABOFANさんにとって望むところのはずで、X2検定を含めたの統計がわかる”一般”に向けて情報を発信し、いつものように私に対して統計の無知さを指摘すればよいのではないのでしょうか?
――質問の趣旨がわかりません。前回の投稿の冒頭で『私の投稿は、読めばおわかりかと思いますが、管理者さんの回答を引き出すために細かい細工をしています。…ただ、最近は薬が効きすぎた(苦笑)という感じがなくもないので、持って回った表現は最低限にし、本来予定していた「対話路線」に変更することにします。』と、路線を変更することを表明したのですが?
>縄田氏統計データに「差がない」とおっしゃっておられますよね?効果量が示されている論文は結局あるのでしょうか?ないのでしょうか?
――これも質問の趣旨がわかりません。効果量は平均値と同ように、データがあれば誰でも簡単に計算できます。従って、効果量の数値を確認するのに、論文に示されている云々の話は意味がありません。それは、ある論文に平均値が示されていなくとも、必要があれば計算すればよい、というのと同じことです。なお、論文中に効果量が明示的に示されているのは、私が知る限り縄田氏の論文だけです。
>統計データの差の有無だけ取り上げると、1)と2)は明らかに矛盾しています。/とのことでしたが、上記はそれぞれ研究の前提(何を研究したいのか)が、それぞれ違うということを認識ください。
――研究の前提は関係ないでしょう。血液型特性を調べるための質問をしたときに、差の有無は「単なるデータ」ですから、そのデータについて誰がどのような分析をしても特に問題はありません。もっとも、それらの分析が妥当なものかどうかは、別の視点でチェックする必要があるでしょうが。
それに、研究の“前提”が違うということは、それらの研究結果は一般化できないことと同義です。ですから、管理者さんがこう言った時点で、1)2)の論文の結果は一般化できないことになります。言い換えれば、一般的に血液型と性格に関係があるかどうか「不明」ということです? おかしくありませんか?
>1) 坂元氏他 …「血液型ステレオタイプ」と「自己成就」との『関連性』について、effect sizes (d)で調べたところ、”→統計データに「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
>2) 縄田氏 ”「血液型と性格の無関連性」(論文タイトル)について、分散説明率を表すη2(η2 が限りなく小さくゼロに近い場合には,血液型の違いが性格を説明しない根拠を積極的に示すことができるだろう。[原文ママ])を用いて調べたところ、”→統計データに「差がない」→血液型と性格に差がない
>ということです。/両者の言説に矛盾はありませんよね。
――管理者さんの解説にケチを付けるようで恐縮ですが、1)でeffect sizes (d)が計算できるのは、山岡氏のデータのみです。他はeffect sizes (d)は直接的には計算できません。もっとも、他の方法でeffect sizeを計算する方法はあります。なお、一般的には、サンプル数が少ない場合には、統計的に有意ではなくとも、効果量が小~中という場合もあるでしょう。これでは、管理者さんが何を言いたいのかわかりませんので、念のために説明し直します。
1) 坂元氏他 統計データに*有意な*「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
2) 縄田氏 統計データに*有意な*「差がない」→血液型と性格に差がない
ここで、管理者さんのおっしゃるように研究の“前提”が違うとします。すると、坂元氏他のデータ(の集合)と縄田氏のデータ(の集合)は排他的でないといけません。仮に、排他的でないなら「矛盾」してしまうからです。つまり、どちらの結果も一般化できないのだから、統計データの差の有無は「不明」とするしかありません。これはどういうことかというと、坂元氏と縄田氏の結論が(一般的には)どちらも否定されるというこです。よろしいですか?
>ABOFAN「○○氏の論文には、隠蔽されたデータがある!それに、私が独自に別の角度から統計データを分析したところ、その論文の結果は間違っていたんだ。詳しくは私のHP内での「研究」を見てくれればわかる!」/ 私「では、それを研究論文として発表なさっては?」…
――では、管理者さんの文章を拝借します。
ABOFAN「○○氏の論文には、計算ミスがある!それに、考察の元となるデータは、どう計算しても出てこない。どうなっているんだ?」/管理者さん「では、それを研究論文として発表なさっては?査定付きの論文で発表されない限り計算ミスは認められない」…
となります。これでイメージがつかめたでしょうか?

さて、回答の順番が逆となりますが、ご要望なので
①「能見氏の「血液型人間学」での統計データとされるものの妥当性をABOFANさんはどう思われますか?」
②「本研究の語句説明内では(特定の)ヒトの性格を判別可能と明記しており、同様の文脈が「血液型人間学」内にもみられるのですが、それが間違いだとおっしゃるのなら、能見氏の「血液型人間学」は問題にされないのですか?」
③「血液型十戒の内容に矛盾がある文脈があり、しかも十戒自体むしろ血液型性格診断を否定しているものに見えるのですが?」
について説明します。
まず①ですが、私には管理者さんの「妥当性」の意味がわかりません。心理学的には、一般的に性格の自己報告は有効ですから、そもそもなぜ「妥当性」が問題になるのかわかりません。逆に、山岡氏のように「思い込み」があるから「妥当性」が問題だとすると、それは7割の日本人が持っていますから、ほとんどの全ての質問に対して「思い込み」による差が生じることになります。なぜなら、ほとんどの論文では「思い込み」がある7割の人もサンプルに含まれるからです。つまり、「差がない」という論文の全否定になりますが、本当によろしいのですか?
②以前にも説明したように、私は能見正比古氏のほとんどの著作を読破しました。しかし、それらの中に「(特定の)ヒトの性格を判別可能」という記述があるとは思えません。私の読み落としかもしれませんので、念のため原文の引用をお願いします。原文を読まない限り、正確な回答ができないので…
③血液型十戒は、基本的に統計データの分析結果をまとめたものです。ですので、文章の解釈をここで議論しても意味がないと考えます。もっとも、「十戒自体むしろ血液型性格診断を否定している」となら、全く同感です(笑)。ただし、否定されるのは管理者さんの考える“血液型性格診断”であって、統計データで裏付けられている「血液型人間学」ではありません。逆に、血液型人間学については、ほぼ統計データの裏付けは取れたと考えます。

余談ですが、恩師が言った印象に残っている言葉を紹介します。一字一句正確には覚えていないのですが、ほぼ次のような内容でした。「君たちは現在正しいとされている学説を否定する説を立てなさい。そして一生懸命研究して正しいことを証明しなさい。それが新しい学説となり、科学が進歩するのだ…」と。もちろん、「現在正しいとされている学説を否定する説」は必ずしも正しいとは限らないのですが、そういう態度で望まない限り科学の進歩はないはずです。私はそう信じていますし、私のここでの試みも恩師の考えの実践することだと考えています。

以上、どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/09 22:33:09)

ABOFANさん
この投稿の前半部分ではまだ微妙に話が通じていないと思われる箇所がありますが、それはまぁおいておきましょう。
さて、今回も以前の議論をまとめるところからはじめます。まずは、解決したと思われるものから……

③「血液型十戒の内容に矛盾がある文脈があり、しかも十戒自体むしろ血液型性格診断を否定しているものに見えるのですが?」
 に対し、
>③血液型十戒は、基本的に統計データの分析結果をまとめたものです。ですので、文章の解釈をここで議論しても意味がないと考えます。もっとも、「十戒自体むしろ血液型性格診断を否定している」となら、全く同感です(笑)。ただし、否定されるのは管理者さんの考える“血液型性格診断”であって、統計データで裏付けられている「血液型人間学」ではありません。逆に、血液型人間学については、ほぼ統計データの裏付けは取れたと考えます。
 このような回答をいただきました。これに満足したわけではありませんが、本コメント欄や他の場所を介しての「輪読」にABOFANさんが”後ろ向き”である以上、確かに解釈の議論は意味をなしませんね。諒解しました。
 
これと同様に、
>ABOFAN「○○氏の論文には、隠蔽されたデータがある!それに、私が独自に別の角度から統計データを分析したところ、その論文の結果は間違っていたんだ。詳しくは私のHP内での「研究」を見てくれればわかる!」/ 私「では、それを研究論文として発表なさっては?」… ――では、管理者さんの文章を拝借します。ABOFAN「○○氏の論文には、計算ミスがある!それに、考察の元となるデータは、どう計算しても出てこない。どうなっているんだ?」/管理者さん「では、それを研究論文として発表なさっては?査定付きの論文で発表されない限り計算ミスは認められない」…となります。これでイメージがつかめたでしょうか?
 なるほど。互いに勘違いをしていたのですね。ABOFANさんのおっしゃっている文脈をもちいたつもりはなかった(上の部分の、「私が書いた要約」が本来の私の主旨です)のですが、ABOFANさんがそう受け取られたのならば、互いに意思疎通ができていなかったということで、この件に関してもここで終わりでよさそうでしょう。(出来れば私が思っていたこれまでの要約に沿って、それに対する返答をお聞きしたいのですが、それはフェアではありませんしね)

と、ここまでは意思疎通が図れたと考えてよいかと思います。
では、次は未解決の議論についてです。
前回私は、
⑥――統計データの差の有無だけ取り上げると、1)と2)は明らかに矛盾しています。/とのことでしたが、上記はそれぞれ研究の前提(何を研究したいのか)が、それぞれ違うということを認識ください。
1) 坂元氏他 …「血液型ステレオタイプ」と「自己成就」との『関連性』について、effect sizes (d)で調べたところ、”→統計データに「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
2) 縄田氏 ”「血液型と性格の無関連性」(論文タイトル)について、分散説明率を表すη2(η2 が限りなく小さくゼロに近い場合には,血液型の違いが性格を説明しない根拠を積極的に示すことができるだろう。[原文ママ])を用いて調べたところ、”→統計データに「差がない」→血液型と性格に差がない
ということです。/両者の言説に矛盾はありませんよね。
 という旨の回答をいたしました。(⑥は便宜上定めさせていただきました)それに対しABOFANさんからは、
⑥>研究の前提は関係ないでしょう。血液型特性を調べるための質問をしたときに、差の有無は「単なるデータ」ですから、そのデータについて誰がどのような分析をしても特に問題はありません。もっとも、それらの分析が妥当なものかどうかは、別の視点でチェックする必要があるでしょうが。それに、研究の“前提”が違うということは、それらの研究結果は一般化できないことと同義です。ですから、管理者さんがこう言った時点で、1)2)の論文の結果は一般化できないことになります。言い換えれば、一般的に血液型と性格に関係があるかどうか「不明」ということです? おかしくありませんか?
 といったコメントを頂きました。
 さて、また意思疎通ができていない可能性があるので少々詳しく説明いたします。
>研究の前提は関係ないでしょう。
――私が「前提」と書いているのことをザックリとだけ述べますと、要するに「対立仮説」と「帰無仮説」のことについてです。坂元氏他と縄田氏の論文では「帰無仮説」と「対立仮説」が異なります。少々噛み砕いて述べますと、縄田氏は「血液型性格診断を積極的に否定する(無関連性を調べる)」ことを論旨としており、坂本氏らは「「血液型ステレオタイプ」と「自己成就」の関連性」を論旨としている、ということです。(つまりそれぞれの主張の、まぁだいたい反対側が「帰無仮説」となります)以前にも申し上げましたが、前者は『無関連性』、後者は『関連性』(ただし自己成就についての、ですが…)と分析し解釈する尺度が異なるのです。この点を、もう一度ご一考ください。
 そういう意味で、
>血液型特性を調べるための質問をしたときに、差の有無は「単なるデータ」ですから、そのデータについて誰がどのような分析をしても特に問題はありません。
――この批判は的外れといえるでしょう。ちなみに、書かれていること自体は間違いではないのですが、「得られた分析データをどのように解釈するか」という社会調査の基本的な要件への返答にはなっていません。(そのためのカイ2値やF値など検定統計量があるわけなのですが、ABOFANさんのコメントでは分析や計算は得意なのでしょうが、それがどのような意味をもつのか、という考察の”どのような”の部分がスッポリ抜けている印象です)
 ですから、
>管理者さんの解説にケチを付けるようで恐縮ですが、1)でeffect sizes (d)が計算できるのは、山岡氏のデータのみです。他はeffect sizes (d)は直接的には計算できません。もっとも、他の方法でeffect sizeを計算する方法はあります。なお、一般的には、サンプル数が少ない場合には、統計的に有意ではなくとも、効果量が小~中という場合もあるでしょう。これでは、管理者さんが何を言いたいのかわかりませんので、念のために説明し直します。
1) 坂元氏他 統計データに*有意な*「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
2) 縄田氏 統計データに*有意な*「差がない」→血液型と性格に差がない
ここで、管理者さんのおっしゃるように研究の“前提”が違うとします。すると、坂元氏他のデータ(の集合)と縄田氏のデータ(の集合)は排他的でないといけません。仮に、排他的でないなら「矛盾」してしまうからです。つまり、どちらの結果も一般化できないのだから、統計データの差の有無は「不明」とするしかありません。これはどういうことかというと、坂元氏と縄田氏の結論が(一般的には)どちらも否定されるというこです。よろしいですか?
――こちらのコメントも意味をなしていないと考えます。
 
続いて、
⑤’縄田氏統計データに「差がない」とおっしゃっておられますよね?効果量が示されている論文は結局あるのでしょうか?ないのでしょうか?
 についてですが、これは少々込み入ってしまいましたのでもう一度最初から述べます。
 まず、私が⑤としたのは、
⑤「効果量が小~中、中~大程度示されている論文をご提示ください」
 という私の質問(上記の質問の出どころは、「ABOFANさんの考える」能見氏の血液型人間学の正確な理解からです)に対して
>「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)には「本研究で扱った三つのデータセットの中で見られた一番大きな効果量は,2004年アメリカデータの η2 = .0030 であった。」と、効果量を明示しています。
 という返答を頂いたことが始まりでした。しかし、その後のコメントにて((投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/08 23:42:06)や本コメント)
>2) 縄田氏 統計データに*有意な*「差がない」→血液型と性格に差がない
 という返答をいただきました。しかし、上のコメントでは『縄田氏の論文”が”効果量を示しているもの』としてABOFANさんから提示されたのですが、下のコメントでは『縄田氏の論文は*有意な*「差がない」』ものとして扱われています。私が申し上げたのは、これでは筋が通りませんよ、ということです。結局のところABOFANさんが縄田氏の論文をどのように解釈なさっているのか、そして効果量が示されている論文はあるのか、ということが知りたいのです。(その意味では⑤’の私の回答にも誤解を招く表現があったかもしれません。すみません)
 そういう主旨ですので、
>これも質問の趣旨がわかりません。効果量は平均値と同ように、データがあれば誰でも簡単に計算できます。従って、効果量の数値を確認するのに、論文に示されている云々の話は意味がありません。それは、ある論文に平均値が示されていなくとも、必要があれば計算すればよい、というのと同じことです。なお、論文中に効果量が明示的に示されているのは、私が知る限り縄田氏の論文だけです。
――申し訳ありませんが、これでは会話として成立していないかと思います。なので、やはり一つずつ順に整理しましょう。まず、
⑤’’ABOFANさんは、縄田氏の論文はどのような主旨で書かれたものだと思われているのか、またその根拠は論文中のどこに書かれているのか。縄田氏の論文は信頼に足るものだと思われるか。あるいは、もし縄田氏の論文に不備があるとおっしゃるならばそれはどこなのか、そしてその根拠はなんなのか。について詳しくお教えください。よろしくお願いします。

次です。私の
①「能見氏の「血液型人間学」での統計データとされるものの妥当性をABOFANさんはどう思われますか?」
 という質問対して
>まず①ですが、私には管理者さんの「妥当性」の意味がわかりません。心理学的には、一般的に性格の自己報告は有効ですから、そもそもなぜ「妥当性」が問題になるのかわかりません。逆に、山岡氏のように「思い込み」があるから「妥当性」が問題だとすると、それは7割の日本人が持っていますから、ほとんどの全ての質問に対して「思い込み」による差が生じることになります。なぜなら、ほとんどの論文では「思い込み」がある7割の人もサンプルに含まれるからです。つまり、「差がない」という論文の全否定になりますが、本当によろしいのですか?
 このような返答でした。これは…また上手く意思疎通ができていないと思われますね。しかも、私の聞きかたが少しマズかったようです。すみません、質問を言いなおします。
①「能見氏の「血液型人間学」での統計データとされるものの妥当性をABOFANさんはどう思われますか?」(ここでの妥当性とは、例えばデータの収集方法です。能見氏は著書の中で”自分のところに(主にはがきで)送られてくるデータ”を基に計算した、という主旨の発言をされているようですが、血液型人間学に否定的な人間、もしくは無関心な人間はそもそもはがきを送りませんよね。そういった、要はサンプルに極端な偏りがみられるのではないか、そしてそのような批判に対してどう反駁するのか、という指摘です。また、A型気質は〇〇であるという〇〇の出典は元々どのようになっているのか、能見氏言説の”意味の焼き直し”について繰り返し議論されたものであるのか、能見氏の思いつきだけなのか(※これが悪いと言っているわけではありません)についても妥当性を推し量る物差しとして適当かと思います。このような観点から妥当性という語を用いました。)

 長くなりましたが最後です。
②「本研究の語句説明内では(特定の)ヒトの性格を判別可能と明記しており、同様の文脈が「血液型人間学」内にもみられるのですが、それが間違いだとおっしゃるのなら、能見氏の「血液型人間学」は問題にされないのですか?」
 に対し、ABOFANさんは
>②以前にも説明したように、私は能見正比古氏のほとんどの著作を読破しました。しかし、それらの中に「(特定の)ヒトの性格を判別可能」という記述があるとは思えません。私の読み落としかもしれませんので、念のため原文の引用をお願いします。原文を読まない限り、正確な回答ができないので…
 とお答えいただきました。私は以前にも申し上げたのですが、例えば「血液型人間学」(p13-14)において、第一表(p13)として”当時の著名人の個々の名前”が「A型」「B型」ごとに「血液型」で区分けされていまして、そしてこの表に関して次のような記述があります。『だが、この表の一人一人を比べ、あるいは全体を通観し、どちらが固い感じ、どの段がソフトな感じか、判らない人がいたら、その人は、よくせき浮世に超然とした人であろう。(p14)』この文脈からは、統計による傾向性以上の主張、特定のヒトへの言及が覗えます。つまり、「血液型人間学」ではABOFANさんのおっしゃる統計データによる傾向性よりもより強い主張がされているように思います。その後の項にも、「佐藤栄作型」や「田中角栄型」といった著名人を指標にしてそれぞれを、大器晩成であるや、早熟のエリートであるといった、特定のヒトに対する記述が多く見受けられます。(というか、全編にわたってですが…苦笑)この文脈では、たとえ誤解であるにしろABOFANさんの主張のような統計データで示されている傾向性以上の言説を主張されているとみなされてもしようがないかと思いますし、その説明責任は血液型性格診断言説の「肯定派」にあるかと思います。
 能見氏の「血液型人間学」全体を俯瞰してでも結構ですので、ABOFANさんはこの著書内にて言及されている当時の著名人たちが”記述されている意味”についてどう思われますか?②とあわせてお答えください。

 大変長くなりましたが、議論をまとめます。
①「能見氏の「血液型人間学」での統計データとされるものの妥当性をABOFANさんはどう思われますか?(ここでの妥当性とは、例えばデータの収集方法です。能見氏は著書の中で”自分のところに(主にはがきで)送られてくるデータ”を基に計算した、という主旨の発言をされているようですが、血液型人間学に否定的な人間、もしくは無関心な人間はそもそもはがきを送りませんよね。そういった、要はサンプルに極端な偏りがみられるのではないか、そしてこのような批判に対しどう反駁するのか、という指摘です。また、A型気質は〇〇であるという〇〇の出典は元々どのようになっているのか、能見氏言説の”意味の焼き直し”について繰り返し議論されたものであるのか、能見氏の思いつきだけなのか(※これが悪いと言っているわけではありません)についても妥当性を推し量る物差しとして適当かと思います。このような観点から妥当性という語を用いました。)
②「本研究の語句説明内では(特定の)ヒトの性格を判別可能と明記しており、同様の文脈が「血液型人間学」内にもみられるのですが、それが間違いだとおっしゃるのなら、能見氏の「血液型人間学」は問題にされないのですか?」
③⇒解決済み(意思不通により議論継続困難なため)
④その“意味”は「大本営発表」としか考えようがありません。つまり、何らかの意図を持って、一般向けに間違った情報を流しているということなります。⇒これについても詳しくお聞かせください。
⑤⇒まずは、⑤’’ABOFANさんは、縄田氏の論文はどのような主旨で書かれたものだと思われているのか、またその根拠は論文中のどこに書かれているのか。縄田氏の論文は信頼に足るものだと思われるか。あるいは、もし縄田氏の論文に不備があるとおっしゃるならばそれはどこなのか、そしてその根拠はなんなのか。について詳しくお教えください。よろしくお願いします。
⑥――統計データの差の有無だけ取り上げると、1)と2)は明らかに矛盾しています。/とのことでしたが、上記はそれぞれ研究の前提(何を研究したいのか)が、それぞれ違うということを認識ください。
1) 坂元氏他 …「血液型ステレオタイプ」と「自己成就」との『関連性』について、effect sizes (d)で調べたところ、”→統計データに「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
2) 縄田氏 ”「血液型と性格の無関連性」(論文タイトル)について、分散説明率を表すη2(η2 が限りなく小さくゼロに近い場合には,血液型の違いが性格を説明しない根拠を積極的に示すことができるだろう。[原文ママ])を用いて調べたところ、”→統計データに「差がない」→血液型と性格に差がない
ということです。/両者の言説に矛盾はありませんよね。⇒これで解決済みかと思われる。ただし、⑤の議論次第ではABOFANさんの”発言”の矛盾を指摘しなければならない。
 以上大まかなまとめです。よろしくお願いいたします。 (回答日時:2015/06/10 07:29:14)

ご丁寧な回答ありがとうございます。
引き続き「ネタバレ」で恐縮ですが、今後の議論の議論の方向に大きく影響するので、もう少し詳しく説明しておきます。
さて、私の投稿は、読めばおわかりかと思いますが、管理者さんの回答を引き出すために細かい細工をしています。なぜなら、当初しばらくの間は回答がなかったからです。ただ、最近は薬が効きすぎた(苦笑)という感じがなくもないので、持って回った表現は最低限にし、本来予定していた「対話路線」に変更することにします。どうぞよろしくお願いします。では、
>――本研究は、文部科学省科研費の補助を受けてスタートしております。
はい、だから私もある程度安心して投稿している訳です。個人のサイトと違い、ある程度フェアな環境と議論のレベルを確保していますし、当初しばらく回答がない点を除いては、管理者さんのご配慮には感謝しています。なお、これは決してお世辞ではありません。
>ですが、私が言いたいのはABOFANさん自身が研究成果だ、とされている独自の論文解釈、その他検証は「研究」ではありませんよ、ということです。
――これには反論します。私が提示しているのは、基本的に「事実」で「研究」や「独自の論文解釈」ではありません。しかし、管理者さんはなぜか私の説明をほとんど無視している、というのもこれまた「事実」です。
>学術研究では原則的に研究者の「匿名性」は認められていないかと考えます
――では、仮に匿名でなければ、本当に全て回答していただけますか? そうではないでしょう? とするなら、この質問は無意味ではないですか?
>「実名」「所属」「研究の主旨」(後者2つは必ずしも必要ではありませんが)を明記したうえで、”この論文の統計データには誤りがある。私が正しく検証したので見てほしい”という態度で臨まれるべきかと…。
――これには驚きました。ひょっとして、studentのt(t検定)を知らないのでしょうか? 失礼ながら、t検定を知らないのでは高校レベルと言われてもしょうがないと思います。これまた失礼な言い方ですが、管理者さん統計学のレベルがほぼわかったので、具体的な「統計データ」の話をしても意味がない、と感じているのも正直な気持ちです。
>あと、必ず誤解されるでしょうからこれも書いておきますが、既に書かれた論文や研究の紹介、それらへの反論等は上記には含まれませんし、本研究は科学コミュニケーション分野の研究ですので、そういった議論はむしろ歓迎です。…
――気分を害する言い方になって大変恐縮ですが、統計を知らない方に統計データを説明するのには、従来の私の説明方法を大きく変える必要性は感じています。その意味では、確かにおっしゃるとおりです。管理者さんのアドバイスも含め、今後の統計的検定の説明は、なるべくデータや数字を使わない説明にする予定です。
>――なるほど。しかし、その割にはこちらが回答していない(とABOFANさんが思われているもの)に対する食いつきが尋常ではないようですし、コメントの連投も目立ちますが……まぁいいでしょう笑
――これは(重々ご承知かと思いますが)管理者さんの回答を引き出すテクニック、そして管理者さんが統計を知らないことを強調するための文章です。私だけではなく、他の方もよく使っているパターンです。例えば、現在は閉鎖されてしまいましたが、過去のkikulogではよく見かけました(というか、論争ではほとんどそういう文章で埋め尽くされます・苦笑)。
>>例えば、縄田氏(2004)のQ22は私が「独自に計算」したものはないですよね? 本人が隠しているのは明らかですから…。それでも疑うのなら、試しに自分で計算してみてはいかがでしょうか?
>――ほう…。つまり、縄田氏の論文が「血液型性格診断」を「否定する論旨」で書かれたものであるということは、お認めになるのですね?そのうえで、氏はデータを隠ぺいしている、と…。…なるほど、それは面白いご意見ですが、そうだとするとABOFANさんの最初の意図とは意味の異なるものになってしまいますね。その辺りの認識はおありなのですか?
――これまた大変失礼な言い方で恐縮ですが、縄田氏(2004)のQ22…は、管理者さんがこの数値を計算できないことを確認するための質問です。ですので、この管理者さんの回答は、まさに私の期待どおりということになります。なお、「最初の意図」ですが、申し訳ありませんが原文が示されていないので、なんともお答えできません。
さて、ほとんどの心理学の論文は、「血液型性格診断」を「否定する論旨」で書かれています。ただし、管理者さんもご存じのように、それらはきちんとした心理学の方法論に基づいています。読めばわかるとおり、多くの論文では、一番最初に統計データに「差がある」か「差がない」かを吟味しているのです。逆に、この統計データの分析が間違っているとしたら、その後にどんな考察をしても無意味になります。なにしろ、考察のベースとなる前提が間違っているのですから…。私が指摘しているのは、そういうことです。
しかし、なぜか管理者さんは、前提となる「統計データ」を全く無視し、「考察」だけ強調しているように見えます。そもそも前提が間違っているのなら、いくら(間違っている)考察について議論しても無意味でしょう? この点は、管理者さんが一貫して“回答拒否”のため、はたしてこれが意図的なものなのか、あるいは無意識的にやっているのか、それとも何か別の意図があるのか、正直に言って私にはわかりません。
>>これもよくわかりません。なぜなら、坂元章氏、山岡重行氏、白佐俊憲氏の統計データに「差がある」という論文は「発表済み」です。
>――ええ、発表済みですよ笑。私が指摘しているのは、それらに対するABOFANさんの解釈や、データの改ざんや隠ぺい説を打ち立ててらっしゃる、あなたの個人的な「研究」活動についてなのです。
――この文章も理解できません。なぜなら、
1) 坂元氏他 統計データに「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
2) 縄田氏 統計データに「差がない」→血液型と性格に差がない
ですから、統計データの差の有無だけ取り上げると、1)と2)は明らかに矛盾しています。この矛盾は「事実」ですから、実名だろうが匿名だろうが、誰が指摘しようが関係ありません。管理者さんがこの「矛盾」を無視しているのは、単にロジカルシンキングが苦手なのか、あるいは事実を認めたくないのか…私にはわかりません。逆に、1)と2)のどちらが正しいのかわからない(=統計データの差の有無が未確認)だとすると、血液型と性格に差がないかどうかは「不明」ということになります。これが、心理学的手法を使った場合の当然の帰結です。
実に単純な話なので、なぜ管理者さんが理解できないのか、私にはさっぱり理解できません。実は、kikulogや私のサイトの読者では、この説明が理解できない人はいませんでした。どうすればいいのでしょう?
>――語句説明のカッコ内に(特定の)との記述があるのをご覧になられましたか?私は能見氏の「血液型人間学」において統計の話をした覚えはありませんよ?(そもそもあれで統計なんですか?笑ABOFANさんの態度としては、能見氏の曖昧な統計をこそ、非難の対象とすべきなのでは?)
――すみません、正直に言います。高校レベルの知識では、能見正比古氏のデータは分析できません。まずχ2検定を理解してください。もし理解できないというなら、私がいくら文章を書いても到底説明不可能です。統計的検定をイメージ的にたとえ話ででも説明すればいいのでしょうが、残念ながら私にはそんな能力はありません。
>一度聞いておきたかったのですが、ABOFANさんは能見氏の「統計」についてはどう思われているのでしょうか?
――これまた大変失礼な言い方で恐縮ですが、統計のわからない人にどう説明すればいいのか迷っています。直接お会いしたときに、よくよく話を聞いてから考えようかと…。申し訳ありませんが、真面目にそう思っています。
大変失礼しました。
なお、管理者さんにおかれましては、面倒とは思いますが、もうしばらく私のとの対話にお付き合いいただけると幸いです。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/08 23:42:06)

ABOFANさん
今回も素早いレスポンスありがとうございます。しかし、どうかその情熱を「血液型性格診断」以外の分野に向けてください。ABOFANさんでしたら社会に貢献できるような何かができるかと…。
今回の回答は大変長くなることをあらかじめ言っておきます。
まず、話を整理しましょう。
前回の回答にて、私は
①・「能見氏の「血液型人間学」での統計データとされるものの妥当性をABOFANさんはどう思われますか?」
②・「本研究の語句説明内では(特定の)ヒトの性格を判別可能と明記しており、同様の文脈が「血液型人間学」内にもみられるのですが、それが間違いだとおっしゃるのなら、能見氏の「血液型人間学」は問題にされないのですか?」
③・「血液型十戒の内容に矛盾がある文脈があり、しかも十戒自体むしろ血液型性格診断を否定しているものに見えるのですが?」
以上の三点について申し上げました。
そして、それに対するABOFANさんの回答はそれぞれ、
①>これまた大変失礼な言い方で恐縮ですが、統計のわからない人にどう説明すればいいのか迷っています。
②>>すみません、正直に言います。高校レベルの知識では、能見正比古氏のデータは分析できません。まずχ2検定を理解してください。もし理解できないというなら、私がいくら文章を書いても到底説明不可能です。統計的検定をイメージ的にたとえ話ででも説明すればいいのでしょうが、残念ながら私にはそんな能力はありません
③>スルー(無回答)
でした。
しかし、これでは筋が通りません。
ここで思い出していただきたいのは、あなたがここ何日かのうちに、
>言うまでもなく、私の投稿は管理者さん向けというより、このサイトに想定される読者をメインのターゲットにして書いています。このサイトの読者は、疑似科学批判に興味があるだけではなく、それになりに意識や知的水準が高い人でしょう。また、当然のことならながら、管理者さんの指導教授の方なども、ある程度は目を通しているはずです。このような人が、私や管理者さんの投稿を読んでどんな反応をするのか、あるいはどの程度のレベルなら理解してもらえそうか、というのも多少は計算しています。
このようにおっしゃられていることです。
もし私をターゲットにしていないのなら、むしろ上記の質問はABOFANさんにとって望むところのはずで、X2検定を含めたの統計がわかる”一般”に向けて情報を発信し、いつものように私に対して統計の無知さを指摘すればよいのではないのでしょうか?
このサイトの読者に向けて、が第一義ならば、むしろ上記の指摘に答えないのは不自然です。
つまり、言動と行動が一致していないのです。どうしてでしょうか?
思えばこれまでも、
・「ABOFANさんの考える能見氏の「血液型人間学」の正確な理解とはどのようなものですか?」
との私の問いに、散々しぶられた挙句、
>1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。
>2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。
>3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
と、かなりあいまいな、どうとでも解釈できるような雑な回答しかいただけませんでしたね。
さらに、
④「日本パーソナリティ心理学会のHPにおける「血液型性格診断」への懐疑的な見解についてどう思われますか?」
⑤「効果量が小~中、中~大程度示されている論文をご提示ください」
という私の指摘に対して、
④>その“意味”は「大本営発表」としか考えようがありません。つまり、何らかの意図を持って、一般向けに間違った情報を流しているということなります。
⑤>「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)には「本研究で扱った三つのデータセットの中で見られた一番大きな効果量は,2004年アメリカデータの η2 = .0030 であった。」と、効果量を明示しています。
というご回答でした。
まぁ④の「大本営発表」云々についてはいずれまた掘り下げてお聞きしたいと考えているのですが、⑤は如何ともしがたいです。
なぜなら、このコメントにてABOFANさんご自身で、
>1) 坂元氏他 統計データに「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
>2) 縄田氏 統計データに「差がない」→血液型と性格に差がない
>ですから、統計データの差の有無だけ取り上げると、1)と2)は明らかに矛盾しています。この矛盾は「事実」ですから、実名だろうが匿名だろうが、誰が指摘しようが関係ありません。
と、縄田氏統計データに「差がない」とおっしゃっておられますよね?効果量が示されている論文は結局あるのでしょうか?ないのでしょうか?
また、
>統計データの差の有無だけ取り上げると、1)と2)は明らかに矛盾しています。
とのことでしたが、上記はそれぞれ研究の前提(何を研究したいのか)が、それぞれ違うということを認識ください。
つまり、
1) 坂元氏他 ”Blood-typical Personality Stereotypes and Self-fulfilling Prophecy:A Natural Experiment with Time-series Data of 1978 - 1988(論文副題)で、「血液型ステレオタイプ」と「自己成就」との『関連性』について、effect sizes (d)で調べたところ、”→統計データに「差がある」→それは思い込みによるもの→血液型と性格に差がない
2) 縄田氏 ”「血液型と性格の無関連性」(論文タイトル)について、分散説明率を表すη2(η2 が限りなく小さくゼロに近い場合には,血液型の違いが性格を説明しない根拠を積極的に示すことができるだろう。[原文ママ])を用いて調べたところ、”→統計データに「差がない」→血液型と性格に差がない
ということです。
両者の言説に矛盾はありませんよね。d値とη値の統計”語”内での「意味の違い」については、この際説明しなくてもよいでしょう。
さて、これで今具体的に議題に上っていることはあらかた列挙できたかと・・・。
最後に、ABOFANさんご自身についてですが、
>実名だろうが匿名だろうが、誰が指摘しようが関係ありません。
まったくそのとおりです。誰が指摘しようと関係ないです。
ですが、それは該当論文内で「記述」「分析」「結論」「考察」されているものにおいてです。
ABOFANさんが再三なさっているのは、該当論文内では「記述」「検討」されていない「違った角度からの新たな分析」または「独自の解釈」を「あなた自身」で行った「研究」を”反論の根拠”として提示されていることです。
それを主張なさりたいのなら、「実名」で外部に発表なさってくださらないと効力はありませんよ、と申し上げているのです。(というか、追試という形での研究も可能ですし・・・。)
もちろん、論文の不備を指摘するのに「誰であるか」は関係ありません。
しかし、繰り返しますが、ABOFANさんのなさっている「研究」はその範囲を逸脱したものであるようなのです。
ここで、これまでの「会話」を要約しておきます。
ABOFAN「○○氏の論文には、隠蔽されたデータがある!それに、私が独自に別の角度から統計データを分析したところ、その論文の結果は間違っていたんだ。詳しくは私のHP内での「研究」を見てくれればわかる!」
私「では、それを研究論文として発表なさっては?」
ABOFAN「いや。「血液型性格診断」には大きな陰謀がうごめいているから、私の論文などリジェクトされてしまう」
私「では、そのような体質などもテクスト分析し、別の論文誌に投稿なさっては?」
ABOFAN「いや。私にとってはネットでの「研究」活動こそ意味のあるものなのだ」
私「しかし、それでは「遊び」としてはいいですが、学術「研究」としての意味は付加できませんよ?やはり「実名」で外部に向けて研究発表されては?」
ABOFAN「これには驚きました。ひょっとして、studentのt(t検定)を知らないのでしょうか? 」←!?
とまぁ、こんなところでしょうか。最後の一文が何を意味しているかはいまだにわかりません。
それ以前に、ABOFANさんの返答では会話になっていないかと・・・。

これまで多くのコメントをいただきましたが、少々話題が散らかりすぎてしまったようです。
そこで、今回のようなまとめの回答をさせていただきました。
ご検討ください。
>なお、管理者さんにおかれましては、面倒とは思いますが、もうしばらく私のとの対話にお付き合いいただけると幸いです。
もちろんこれは結構なのですが、「対話」とおっしゃるのならもう少し友好的にやりましょう。
私自身、近頃の回答ではABOFANさんを挑発、刺激するような攻撃的な言葉遣いになっていたことを今今恥じておりまして、それに関しては一言もありません。
ですがもし、ABOFANさんが「対話」をお望みなのではなく、単に「誰かにかまってほしい」「自分の意見を聞いてほしい」「相手をイラつかせ、カッカさせたい」だけならば、この場所はお呼びではありません。 (回答日時:2015/06/09 11:49:50)

もう一度読み直したので何点か補足しておきます。
>>統計的に間違っていることは明らかです。しかも、学会員にもその間違いに気付いている人もいます。/となると、その“意味”は「大本営発表」としか考えようがありません。つまり、何らかの意図を持って、一般向けに間違った情報を流しているということなります。違いますか? では、その意図とは何かと言われても私には答えられませんが、とにかく「血液型と性格」に関係があっては絶対に困る(苦笑)、ということなのでしょう、たぶん。
>――ほぉ、つまり、ABOFANさんの世界の中では、「血液型性格診断」にはいわれのない”陰謀”が憑りついている、と認識されているのですか…。なるほど、それは興味深いですね。/ではその陰謀とやらは、「誰が」「何の目的で」行っているものだと思われていますか?ABOFANさんの独断と偏見で結構ですので、そのあたりのお考えを詳しくお聞きしたく…。
――これは管理者さんが一番よくご存じのはずです。なにしろ、次のとおり、まさに自分で実践しているのですから(苦笑)。
>『ネット上”のみ”での”実証データ”(これは未発表という意味です)とされる』、『(ABOFANさんのお言葉を拝借する意味での)「統計学」なるもの』では、実質的に何の威力もありませんよ?ということです。
――これもよくわかりません。なぜなら、坂元章氏、山岡重行氏、白佐俊憲氏の統計データに「差がある」という論文は「発表済み」です。それらの結果について、管理者さんが一切「ノーコメント」なだけではなく、ノーコメントである理由も「ノーコメント」というのは非常に不思議です。たぶん、「関係がある」ということを言えないような「空気」があって、それには絶対に逆らえないから沈黙している、というのが最も有力な説ではないかと思います(山本七平氏の「空気の研究」を読んでみてください)。
ですので、この質問に関しては、自ら実践されている管理者さんなら、最も正確な答えが可能なずです。私もぜひ知りたいので、ぜひこの場で公開してみてはいかがでしょうか?
>たとえばp13に第一表として、当時の著名人の名前が「A型」「B型」ごとに「血液型」で区分けされています。(申し訳ありませんが、コメント内に表は書けないので、お手持ちの本にてご確認ください)/そして、この表に関してこのような記述があります。
>>だが、この表の一人一人を比べ、あるいは全体を通観し、どちらが固い感じ、どの段がソフトな感じか、判らない人がいたら、その人は、よくせき浮世に超然とした人であろう。(p14)
>――これはほんの一例でして、疑問点はそれこそ掃いて捨てるほどあるのですが…。やはり、ご一緒に輪読してみたほうがよろしいかと思いますね…。ABOFANさんのロジカルシンキング能力の向上にも役に立つと思いますよ^_^
――まさか、こんなことで引っかかるとは思いませんでした。単独で比べると差がわからないが、集団で比べれば差があることがわかる…ってどっかで聞いたような気がしませんか? そうです、まさに統計的検定そのものです。これが、管理者さんのロジカルシンキング能力の「ほんの一例」でないことを祈っています。
>平たく言えば、ABOFANさんが独自に計算なさった統計学(笑)的データを検証してほしい(取り上げてほしい)のならば、まずは”外部に向けて発表”してください、ということです。
――例えば、縄田氏(2004)のQ22は私が「独自に計算」したものはないですよね? 本人が隠しているのは明らかですから…。それでも疑うのなら、試しに自分で計算してみてはいかがでしょうか? それとも、計算を“拒否”されるつもりですか?
このように、管理者さんの今までの態度は、今後科学的な議論を進めるのには少々不安を感じさせるものです。STAP細胞のウソを最初に見破ったのはネット上の批判です。それらの批判は、決して専門家だけには限りません。管理者さんだって、専門家以外の多くの貢献があった事実を知らないはずはないでしょう。過去の投稿にも書きましたが、東日本大震災の大津波を予測したのは「専門家」であるはずの地震学者ではありませんし。老婆心ながら、学際的な研究も含めて、もう一度よく考え直された方がよいのではないかと…。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/07 12:09:10)

ABOFANさん
>これは管理者さんが一番よくご存じのはずです。なにしろ、次のとおり、まさに自分で実践しているのですから(苦笑)。
>例えば、縄田氏(2004)のQ22は私が「独自に計算」したものはないですよね? 本人が隠しているのは明らかですから…。それでも疑うのなら、試しに自分で計算してみてはいかがでしょうか?
――ほう…。つまり、縄田氏の論文が「血液型性格診断」を「否定する論旨」で書かれたものであるということは、お認めになるのですね?そのうえで、氏はデータを隠ぺいしている、と…。そのほか、ABOFANさんに提示していただいた論文、研究等も同様の趣旨のものが多いのですが、それらも「否定的な論旨」で書かれているが、実はそれはデータを隠ぺいしている、という認識をされている、ということでよろしいのですね?
なるほど、それは面白いご意見ですが、そうだとするとABOFANさんの最初の意図とは意味の異なるものになってしまいますね。その辺りの認識はおありなのですか?

>これもよくわかりません。なぜなら、坂元章氏、山岡重行氏、白佐俊憲氏の統計データに「差がある」という論文は「発表済み」です。
――ええ、発表済みですよ笑。私が指摘しているのは、それらに対するABOFANさんの解釈や、データの改ざんや隠ぺい説を打ち立ててらっしゃる、あなたの個人的な「研究」活動についてなのです。それ以外に含意はありません。(と、何度も言っているはずなのですが…苦笑)
それと、上記のうち、坂元氏、山岡氏の研究については「血液型性格診断」を否定するものだということ(そもそも上記は”自己成就”に関しての研究です)は以前にも何度もご指摘いたしました(それに対する返答はABOFANさんからはありませんでしたが)。また、白佐氏の論文についても、原文にて「慎重な態度でのぞむべき」との旨が読み取れることを申し上げました。

>まさか、こんなことで引っかかるとは思いませんでした。単独で比べると差がわからないが、集団で比べれば差があることがわかる…ってどっかで聞いたような気がしませんか? そうです、まさに統計的検定そのものです。
――やはり、予想通りの返答でした…苦笑このコメントでの会話の流れ、がやはりおわかりになれないのですね…。
「ABOFAN」>>能見正比古氏の「血液型人間学」のデータをどう計算しても、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できる」はずがありません。[中略]
>の2つです。この2つは管理者さんのメインとなるはずの主張に対する私のコメントですが、何か回答しない(できない?)理由でもあるのでしょうか?
「私」>次に、能見氏の「血液型人間学」からです。
たとえばp13に第一表として、当時の著名人の名前が「A型」「B型」ごとに「血液型」で区分けされています。(申し訳ありませんが、コメント内に表は書けないので、お手持ちの本にてご確認ください)
そして、この表に関してこのような記述があります。
>だが、この表の一人一人を比べ、あるいは全体を通観し、どちらが固い感じ、どの段がソフトな感じか、判らない人がいたら、その人は、よくせき浮世に超然とした人であろう。(p14)
――語句説明のカッコ内に(特定の)との記述があるのをご覧になられましたか?私は能見氏の「血液型人間学」において統計の話をした覚えはありませんよ?(そもそもあれで統計なんですか?笑ABOFANさんの態度としては、能見氏の曖昧な統計をこそ、非難の対象とすべきなのでは?)
一度聞いておきたかったのですが、ABOFANさんは能見氏の「統計」についてはどう思われているのでしょうか?

「血液型十戒」につきましては、やはり1-10まで”意味不明”ですね。全体を俯瞰すると、あれではむしろ「血液型性格診断」を否定しているように読めるのですが…それでいいんですか?苦笑 (回答日時:2015/06/08 13:01:44)

いくつか気になった点についてです。
まず、「血液型十戒(10の心得)」は、哲学的…とは関係なく、単純に管理者さんの文章解釈の問題でしょう。ですので、私と議論してもどうにもなりません。どうしても気になるなら、直接ABOセンターに意味を確認すればいいだけの話です。ほぼ間違いなく、私の解釈でOKという結果になると思いますよ。なんなら、私が確認してもいいのですが、どうせ信用されないでしょうから(苦笑)管理者さんが直接確認されてはいかがでしょうか?
また、私が一番興味があるのが、管理者さんが直接データを確認しないで物事を判断することです。もし、管理者さんが普通の学生・院生だとするなら別にどうということはないのですが、「疑似科学とされるものの科学性評定」でデータを無視するのはどうかと思いますが…。この点は、実際にお会いしたときに直接お話をお聞きしようと思っています。例えば、
>平たく言えば、ABOFANさんが独自に計算なさった統計学(笑)的データを検証してほしい(取り上げてほしい)のならば、まずは”外部に向けて発表”してください、
――ここでの投稿は”外部に向けて発表”ですよね? 違うのですか? そこで、私の計算なり分析なりが正しいかどうかチェックされるわけです。このサイトに掲載されている内容でさえ、管理者さんが検証しないというなら、このサイトの「情報提供、コメント、質問を歓迎します。」はどういう意味なのでしょう? ひょっとして、哲学的な意味なら検証するが、データの検証や再分析は一切拒否します(?)ということですか? 私には理解不能です…。
>しかし、惜しむらくは、この24時間ほどで3度もコメントを連投なさってしまったこと、その中で「ネタバレ」「アウト」など強がりにも聞こえるような言葉を遣われてしまったこと、そしてそれを私に伝えてしまったことですね~。/ 実に惜しかった、と思います。笑少し気が急いてしまわれたのでしょうか?
――私がここに書くのもどうかと思いますが、管理者さん(と私の投稿の読者…いるのかな?)のために、もう一度「ネタバレ」を書いておきます(笑)。「私[管理者さん]に伝えてしまった…」というのは、はっきりいって私の中での優先度は低いです。言うまでもなく、私の投稿は管理者さん向けというより、このサイトに想定される読者をメインのターゲットにして書いています。このサイトの読者は、疑似科学批判に興味があるだけではなく、それになりに意識や知的水準が高い人でしょう。また、当然のことならながら、管理者さんの指導教授の方なども、ある程度は目を通しているはずです。このような人が、私や管理者さんの投稿を読んでどんな反応をするのか、あるいはどの程度のレベルなら理解してもらえそうか、というのも多少は計算しています。科研費の対象ですから、文科省に報告書も提出するはずですし…
言うまでもなく、一番優先度が高いのは、私の投稿に対して管理者さんから回答をもらうことです。そうでなければ、読者は増えませんからね。
もっとも、上の私の想定が正しいかどうか、というのは別の問題です(苦笑)。詳しくは、直接お目にかかったときにでもお話ししましょう。
もちろん、そんなことは全部わかっている…ということなら、あえてここで私が「ネタバレ」を書く必要もないわけで、全く余計なお世話な訳なのですが、一応念のため(笑)。
失礼します。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/05 22:04:50)

ABOFANさん
>ここでの投稿は”外部に向けて発表”ですよね? 違うのですか? そこで、私の計算なり分析なりが正しいかどうかチェックされるわけです。このサイトに掲載されている内容でさえ、管理者さんが検証しないというなら、このサイトの「情報提供、コメント、質問を歓迎します。」はどういう意味なのでしょう? ひょっとして、哲学的な意味なら検証するが、データの検証や再分析は一切拒否します(?)ということですか? 私には理解不能です…。
――本研究は、文部科学省科研費の補助を受けてスタートしております。
ですが、私が言いたいのはABOFANさん自身が研究成果だ、とされている独自の論文解釈、その他検証は「研究」ではありませんよ、ということです。
学問分野に身を置かれたことのないABOFANさんにとっては少しなじみのないことでしょうが、学術研究では原則的に研究者の「匿名性」は認められていないかと考えます(もちろん、研究協力者は別です)。
まさか「ABOFAN」というのが実名ではないのでしょうから(実名でしたら申し訳ありません)、ご自身が「研究」なさった、と主張されるのならば、「実名」「所属」「研究の主旨」(後者2つは必ずしも必要ではありませんが)を明記したうえで、”この論文の統計データには誤りがある。私が正しく検証したので見てほしい”という態度で臨まれるべきかと…。
あと、必ず誤解されるでしょうからこれも書いておきますが、既に書かれた論文や研究の紹介、それらへの反論等は上記には含まれませんし、本研究は科学コミュニケーション分野の研究ですので、そういった議論はむしろ歓迎です。
ですが、ABOFANさんの場合、既に発表された「論文」を”改ざん、あるいは剽窃(この語の不正確性については先に断わっておきます)”したうえでのコメント(例えば、>縄田氏が「アメリカ2004」(Q22)で有意差が出ていることを意図的に隠蔽したかどうかは不明ですが、追加分析2では意図的に基準を変えて、有意差が出ていることを隠蔽したことは明らかです。や、>まず、山下氏のデータがタイプ2エラーであることについてです。前回紹介した山岡氏の6660人のデータのうち、彼の著書「ダメな大人にならないための心理学」p49-52には、1999年に調査したデータを統計的に検定した結果が紹介されています。サンプル数は1300人で、全質問28項目中7項目で有意な差があります(最大のF値は7.816なのでp<0.0001で有意)。では、血液型による差が同じだと仮定し、サンプル数を山下氏と同じ261人(約1/5)に減らして再計算してみます。F値はサンプル数に比例するので、最大のF値は7.816÷5=1.569[正確には7.816×261÷1300]となり全28項目のいずれも有意差は検出されません。あるいは、p<0.05で有意とするなら、400人程度以上のサンプルが必要となります。よろしいですか?など)がこれまでに多くあります。なので、上記のようなことを主張されたいのでしたら、当該論文の著者に直接尋ねるか、もしくはご自身で、「実名」を名乗ったうえで新たに研究を行ってください、ということです。”「ABOFAN」(仮)の指摘によると~”なんて論文や研究を、少なくとも私はみたことありません笑

>「私[管理者さん]に伝えてしまった…」というのは、はっきりいって私の中での優先度は低いです。言うまでもなく、私の投稿は管理者さん向けというより、このサイトに想定される読者をメインのターゲットにして書いています。
――なるほど。しかし、その割にはこちらが回答していない(とABOFANさんが思われているもの)に対する食いつきが尋常ではないようですし、コメントの連投も目立ちますが……まぁいいでしょう笑
(回答日時:2015/06/08 12:31:12)

再度補足します。
実は、管理者さんが「効果サイズ(d)」と言ってきた時点で、ほぼ確実にeffect sizeやノンパラメトリック検定を理解していないのだと感じました。そこで、本当に理解していないかどうか確かめるために、能見正比古氏のデータで「効果サイズ(d)」を計算してみるよう誘導したのです。
もし、管理者さんがeffect sizeを理解しているのなら、この時点で「効果サイズ(d)」を計算できないことに気が付くはずです。案の定、管理者さんはこの点には全く気が付きませんでした。しかも、その後には「日本語の問題」や「後出しジャンケン」とまで言い出しました。この時点で完全にアウトです。
ただ、これが私の“常套手段”かというと、それはかなり疑問ですね。普通は、一番最初の時点で相手が撤退するか“回答拒否”でしょう…。
閑話休題。
普通は相手に悪く思われるだけ損なので、ここまでネタバレになるようなことは書きません。しかし、私の意図が誤解されるのもどうかと思い―余計なことかもしれませんが―正直なところを書いてみた次第です。
勝手ながらお気を悪くされないよう希望します。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/04 20:59:16)

ABOFANさん
??例によって要領を得ない文章なのですが、つまり、私はABOFANさんの掌の上で上手に転がされていた、ということをおっしゃりたいのでしょうか?苦笑
あらら、それは気が付きませんでした。さすが…脱帽です苦笑
しかし、惜しむらくは、この24時間ほどで3度もコメントを連投なさってしまったこと、その中で「ネタバレ」「アウト」など強がりにも聞こえるような言葉を遣われてしまったこと、そしてそれを私に伝えてしまったことですね~。
実に惜しかった、と思います。笑少し気が急いてしまわれたのでしょうか?
まァでも、残念賞ではありませんが、こちらも一つ「ネタバレ」を…笑
ABOFANさんの情報(ネットではなく現実の)をこちらも少し把握しております。情報源ははっきりとは言えませんが、ABOFANさんの大好きな、「統計学」にお詳しい先生からの又聞きです。
そのおかげで、ABOFANさんとますますお会いしたく思っております。以前のコメントで、前向きなお返事をいただいておりますので、こちらも近く、予定を調整しようかと思っております。この件に関しては、いずれ、また。 (回答日時:2015/06/05 11:41:49)

以下は余談です…。
>「後出しジャンケン」で勝ちたいのなら別ですが、対話や議論をなさりたいのなら少なくとももう少し丁寧にーーつまり「私はη2値について話しているのだ」など――言っていただかないと、申し訳ありませんがお話にも何にもなりません苦笑/これまでのABOFANさんのネットでの”ご活躍”を見る限り、それが常套手段のようですので指摘するまでもないことかもしれませんが…。ですが、まぁこれでは相手にされないでしょう笑
――とありますが、例えば私の直前の投稿で「相手にされない」のは次の部分です。
>前回の投稿について若干補足します。まず、管理者さんから目立った反応がないのが、
>>能見正比古氏の「血液型人間学」のデータをどう計算しても、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できる」はずがありません。
> >管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。
>の2つです。この2つは管理者さんのメインとなるはずの主張に対する私のコメントですが、何か回答しない(できない?)理由でもあるのでしょうか?
しかし、この文章はどう読んでも、「後出しジャンケン」ではないでしょう。あるいは「もう少し丁寧に」書く必要があるとも思えません。上の文章の何が私の“常套手段”なのでしょうか? あるいは、しつこく相手に回答を要求するのが“常套手段”なのですか?
さっぱりわからないので、確認のため再度質問します。よろしければ回答いただきたく。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/03 23:41:19)

ABOFANさん
>能見正比古氏の「血液型人間学」のデータをどう計算しても、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できる」はずがありません。
――これについては、何度もご指摘しており、これこそまさにロジカルシンキングなので、今のABOFANさんにお伝えしても無駄になるだけかと思いますが、しかたないですね。
まず、何度も申しあげましたが、「血液型十戒(10の心得)」より
>8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である
>2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。
>9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。
――このあたり、(特に8)が何を意味しているのか、哲学的な概念定義が決定的に”甘い”ですね。科学の「枠組み」として主張なさるのなら、これではお粗末すぎますし、これはむしろ科学としての「血液型性格診断」肯定派の方々が、内部で議論すべき問題のように思います。
次に、能見氏の「血液型人間学」からです。
たとえばp13に第一表として、当時の著名人の名前が「A型」「B型」ごとに「血液型」で区分けされています。(申し訳ありませんが、コメント内に表は書けないので、お手持ちの本にてご確認ください)
そして、この表に関してこのような記述があります。
>だが、この表の一人一人を比べ、あるいは全体を通観し、どちらが固い感じ、どの段がソフトな感じか、判らない人がいたら、その人は、よくせき浮世に超然とした人であろう。(p14)
――これはほんの一例でして、疑問点はそれこそ掃いて捨てるほどあるのですが…。やはり、ご一緒に輪読してみたほうがよろしいかと思いますね…。ABOFANさんのロジカルシンキング能力の向上にも役に立つと思いますよ^_^

>管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。
――はて?私が申し上げたのはABOFANさん個人の活動態度についてでありまして、その他に含意のあるものではないのですが…。
つまり、ネット上で”遊ぶ”のなら結構ですが、『ネット上”のみ”での”実証データ”(これは未発表という意味です)とされる』、『(ABOFANさんのお言葉を拝借する意味での)「統計学」なるもの』では、実質的に何の威力もありませんよ?ということです。
平たく言えば、ABOFANさんが独自に計算なさった統計学(笑)的データを検証してほしい(取り上げてほしい)のならば、まずは”外部に向けて発表”してください、ということです。 (回答日時:2015/06/05 11:15:37)

おつきあいただきありがとうございます。さて、
>このときは単に日本語訳の問題かとも思いましたが、…ABOFANさんのいう「効果量」が分散説明率を表すη2(イータ)を指すものだということはようやく分かりました。
――違いますよ。「効果量」≠「効果サイズ(d)」の意味は、「効果量」=「η2」ではありませんし、日本語とも関係ありません。英語なら、"effect size" ≠ "effect size (d)" で、読んだとおりです。だからといって、"effect size" = "effect size (η2)" でもありません。
>あなたの文脈や語句からは、統計においてeffect sizeを測る指標にd値なんてない、とおっしゃっているように見えたのですよ(少なくとも私には)。正しくは、effect sizeの指標の中に、dや分散説明率を意味するη2があるわけですよね?
――半分はそのとおりです。ただし、一般的に、能見正比古氏のデータからは、直接dやη2は計算できません。つまり、能見正比古氏(=血液型性格診断)のデータに限ると、「effect sizeの指標の中に、dや分散説明率を意味するη2がある」とは言えません。よろしいですか?
>これまでのABOFANさんのネットでの”ご活躍”を見る限り、それが常套手段のようですので指摘するまでもないことかもしれませんが…。ですが、まぁこれでは相手にされないでしょう笑
――申し訳ありませんが、印象論には回答できかねますのでご了承ください。しつこいようですが、原文の引用をお願いします。
なお、私が“相手にされない”のは、おそらく相手が自分の間違いを認めたくないからでしょう。というのは、最初に相手が私を批判しているにもかかわらず、私が反論すると「相手にしない」と言うのです。これは相手が「反論しない(できない?)」という意味だと理解しています。そもそも、「相手にしない」なら、わざわざ私を批判する必要もないわけで…。例えば、nさんとの議論が終了したようです(続)がそうです。 http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2013-12-27
>とりあえずABOFANさんのいう「統計学」と私の想定している「統計学」が(少なくとも外見上は)一致したものであることがわかったので、それは大きな収穫でしょう。
――それは嬉しいです(笑)。
>[注:このη2 = .0030は間違いです。――とは、いったいどういう意味ですか?この論文のデータに誤りがあるということでしょうか?/Q22: If you make a critical decision, take risks or avoid は、危険率0.7%で有意で[…] ――こんな記述は当該論文のどこにも見当たらなかったのですが…。私が見落としていたのならお教えください。
――「アメリカ2004」のQ22は、原論文ではなぜか計算していません。しかし、原論文にはありませんが、縄田氏のサイトにはこうあります。
>【追加分析2】/⇒ さらに,この論文と同じデータセットで,その他の項目も追加分析を行いました。/以下の変数に関しては,「日本2004」,「日本2005」,「アメリカ2004」の*3つ全てのデータセット*で,血液型間に有意差が一貫して得られる項目はありません。[注:*は私が追加] http://nawatakengo.web.fc2.com/works/jjp2_abst_jp.htm
ところで、原論文の「効果量η2は.003以下」は*単独のデータセット*について記述です。しかし、なぜか追加分析2では、*3つ全てのデータセット*と大きく基準が変わってしまいました。なぜこのように基準を変えたのは不明ですが、原論文と同じ*単独のデータセット*なら、「物事を決断するとき、リスクを許容するか回避するか」の「アメリカ2004」(Q22)では明らかに有意差が出ています。なお、元データは大阪大学のサイトに公開されているので、誰でも計算可能です。http://srdq.hus.osaka-u.ac.jp
以上のことから、当初縄田氏が「アメリカ2004」(Q22)で有意差が出ていることを意図的に隠蔽したかどうかは不明ですが、追加分析2では意図的に基準を変えて、有意差が出ていることを隠蔽したことは明らかです。
余談ですが、この追加分析2は2014年8月23日付けですから、時期的には私のブログでの指摘(2014年7月12日付)の後ということになります。 http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2014-07-12
私の指摘に彼が反応した可能性もゼロではありませんが、本当のところはわかりません。いずれにせよ、日本語の「査読付き」論文はこんなのばかりですので、全くもって信用できないのです(苦笑)。
>>失礼な言い方になりますが、かなりの確率で、管理者さんの統計学は高校レベルだと思われます。
>――これに関しては特に反論はありません。まぁ遠からず、といったところかと自分自身思っておりますので苦笑
――普通は自ら率直にこんなことを言う人はいなので、正直驚きました。今後、率直な意見交換が出来そうで嬉しいです。
>しかし、正直ABOFANさんの読解力の方が深刻な問題かと思っており、心配でなりません。
――ご心配ありがとうございます。まぁ、お互いに頑張りましょう(笑)。
>>ひょっとして、ロジカルシンキングはご存じないのでしょうか?
>――この発言には、申し訳ありませんが、笑ってしまいました。狙って言ったのだとしたら大したもんです笑
私が言うのもどうかと思いますが、データが読めないというのもどんなものでしょうか…。

>私が言いたいのは、少なくとも公式ホームページに「血液型性格診断」に否定的な意見を掲載する、ということには何らかの”意味”があるのではないか、ということです。/それを「日本パーソナリティ心理学会」の、公式ではないにしろそれに準じた意見、ととらえるほうが普通は一般的かと思います…。/そういう前提のもと、ABOFANさんの当該の意見文に対してのご感想をうかがいたかったわけです。いかが思われていますでしょうか?
――この質問の意図が不明ですが、もう一度お答えします。「日本パーソナリティ心理学会」の、公式ではないにしろそれに準じた意見は、統計的に間違っていることは明らかです。しかも、学会員にもその間違いに気付いている人もいます。
となると、その“意味”は「大本営発表」としか考えようがありません。つまり、何らかの意図を持って、一般向けに間違った情報を流しているということなります。違いますか? では、その意図とは何かと言われても私には答えられませんが、とにかく「血液型と性格」に関係があっては絶対に困る(苦笑)、ということなのでしょう、たぶん。もちろん、以上の“意味”は単なる私の推測にすぎません。

繰り返しになりますが、正直なお応えありがとうございました。今後は、少しは議論が進展しそうです。
では失礼します。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/03 22:36:23)

ABOFANさん
>縄田氏が「アメリカ2004」(Q22)で有意差が出ていることを意図的に隠蔽したかどうかは不明ですが、追加分析2では意図的に基準を変えて、有意差が出ていることを隠蔽したことは明らかです。
>統計的に間違っていることは明らかです。しかも、学会員にもその間違いに気付いている人もいます。
となると、その“意味”は「大本営発表」としか考えようがありません。つまり、何らかの意図を持って、一般向けに間違った情報を流しているということなります。違いますか? では、その意図とは何かと言われても私には答えられませんが、とにかく「血液型と性格」に関係があっては絶対に困る(苦笑)、ということなのでしょう、たぶん。
――ほぉ、つまり、ABOFANさんの世界の中では、「血液型性格診断」にはいわれのない”陰謀”が憑りついている、と認識されているのですか…。なるほど、それは興味深いですね。
ではその陰謀とやらは、「誰が」「何の目的で」行っているものだと思われていますか?ABOFANさんの独断と偏見で結構ですので、そのあたりのお考えを詳しくお聞きしたく…。 (回答日時:2015/06/05 10:29:47)

前回の投稿について若干補足します。まず、管理者さんから目立った反応がないのが、
>能見正比古氏の「血液型人間学」のデータをどう計算しても、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できる」はずがありません。
>管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。
の2つです。この2つは管理者さんのメインとなるはずの主張に対する私のコメントですが、何か回答しない(できない?)理由でもあるのでしょうか? また、
>少なくとも日本パーソナリティ心理学会が「血液型性格診断」に対して懐疑的であることはお認めになるわけですね?
は、たぶん管理者さんが日本パーソナリティ心理学会の事情をおわかりになっていないので、こういう質問をしているのではないかと推測します。
管理者さんも十分ご存知のことかとは思いますが、多くの学会では様々な主張・意見が存在しています。日本パーソナリティ心理学会でも、「血液型と性格」に関しては、1)否定的 2)肯定的 だけではなく、同じ人でも 3)公式的 4)個人的 によっても違いますし(これは本当はおかしいですが、事実なのだからしょうがありません・苦笑)、更に 5)どの時点か によっても主張は異なります。従って「日本パーソナリティ心理学会が」と言われても、なんともお答えしようがありません。ですので、HPには事実誤認があるという記述になりました。
以上、よろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/02 23:04:53)

ABOFANさん
>多くの学会では様々な主張・意見が存在しています。[…]
――これに関しては私も同意見です。立場や目指すところによって意見が違うのはむしろ”自然”でしょう。
しかし、私が言いたいのは、少なくとも公式ホームページに「血液型性格診断」に否定的な意見を掲載する、ということには何らかの”意味”があるのではないか、ということです。
それを「日本パーソナリティ心理学会」の、公式ではないにしろそれに準じた意見、ととらえるほうが普通は一般的かと思います…。
そういう前提のもと、ABOFANさんの当該の意見文に対してのご感想をうかがいたかったわけです。いかが思われていますでしょうか? (回答日時:2015/06/03 14:25:51)

いろいろと回答ありがとうございました。しかし、今回は管理者さんは相当お疲れなんでしょうか? まず、気になる点を何点か。1点目は、
>ーー効果量を明示している論文のご提示をお願いいたします。(回答日時:2015/06/01 12:49:15)
――5/27付けの投稿に書いたとおりです。念のため再掲します。
>>私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。
>――上の文章はミスですので訂正します。このサイトの関連リンクにある「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)には「本研究で扱った三つのデータセットの中で見られた一番大きな効果量は,2004年アメリカデータの η2 = .0030 であった。」と、効果量を明示しています。(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 23:39:31)
[注:このη2 = .0030は間違いです。効果量η2=3%ぐらいの Q22: If you make a critical decision, take risks or avoid は、危険率0.7%で有意で、論文に紹介されているものより、ずっと危険率は低くなっています。]
2点目ですが、
>以前にもご指摘しましたが、日本パーソナリティ心理学会は以下の意見文、http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02 におけるABOFANさんのご意見をまだ伺っておりません。(回答日時:2015/06/01 12:49:15)
――5/27付けの投稿に書いたとおりです。長くなりますが、念のため再掲します。
>>いっぽうわれわれ心理学者は血液型性格判断を生み出した責任をとって[注1],自分たちで血液型と性格との関係について科学的なデータを集めてきましたが,そうしたデータからは血液型と性格の関係がほとんど確認できていないことはご存知の通りです。
>>血液型と性格の関係を主張する人々が,科学のルールに則って血液型と性格の関係を証明するデータを示せば,われわれ心理学者も即座にその関係を認めるでしょう。しかしいまのところはそうしたデータはありませんので,血液型と性格の関係は科学的事実としては認められていないわけです。
>もちろん、この質問に対して―心理学のロジックやデータをベースにして―正確に回答・反論することは可能です。しかし、私は渡邊芳之氏には個人的に大変恩義を感じていますので、今回は正面切っての反論はせず、事実のみの呈示に止めることとしますので、悪しからずご了承ください。
>さて、統計データに―少なくとも見かけ上の―関係があることは既に決着済みです。次に以前の投稿を再掲します。
>1) このサイトの参考文献では、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
>This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
>2) また、別の研究報告では…
>山岡は、1999年から2009年にかけて大学生を対象に血液型性格の調査を行っている(有効回答数=6660)…①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。「血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2))」山岡重行(2009) http://ci.nii.ac.jp/naid/110007674296
>3) その他にも、1850人のサンプルで差が出ています。「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲(1999) http://ci.nii.ac.jp/naid/110006603993 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 23:39:31)
読めばわかるとおり「科学のルールに則って血液型と性格の関係を証明するデータ」は複数存在します。つまり、パーソナリティ心理学会の判断のベースとなるデータが間違っているのですから、それ以後の結論も間違っていることになります。この回答では不十分ということですか? そもそも、管理者さんの質問の趣旨が「どう思われますか?」とよくわからないので、上のような回答となりましたこともご承知置きいただきたく。
では、本題に行きます。
>ーーえぇと…苦笑。ですから、効果サイズ(d)≠効果量だとおっしゃっているのはABOFANさんですよね?こちらはただABOFANさんの言うところの「効果量」の計算公式を教えていただきたいだけなのですが……。
――本当に私が教えないとわかりませんか? 簡単に計算できますよね? それに、「効果サイズ(d)≠効果量」は私の主張ではありません。例えば、縄田氏の論文にも、
>このサイトの関連リンクにある「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)には「本研究で扱った三つのデータセットの中で見られた一番大きな効果量は,2004年アメリカデータの η2 = .0030 であった。」と、効果量を明示しています。(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 23:39:31)
とあり、効果量の1つとして「η2」が挙げられています。なお、英語のAbstractでは、「Effect sizes (η2) 」とありますので、「effect size (η2)」=「効果量 (η2)」≠「効果サイズ(d)」となります(言うまでもなく、η2≠dです)。というか、5/27付けの私の投稿を読んでいるはずなのに、なぜ管理者さんがこういう質問をするのか謎です。ひょっとして、相当お疲れなのでしょうか? それなら、どうかお大事にしてください。
>>また、管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。
>>管理者さんによると、福島第一原発は堤防をかさ上げするような“非科学的”なことはするべきでない、ということにもなります
>ーー私がいつこのようなことを書きましたか?このコメント欄をどこまでさかのぼっても私の眼には見えないのですが、どうかお教えください苦笑
――ひょっとして、ロジカルシンキングはご存じないのでしょうか?
>もし、「科学」という語に関する哲学的、あるいは科学史的な説明を欲してらっしゃるのならば、以下の文献をご紹介させていただきますのでよかったらお読みください。
――以前の投稿を繰り返します。
最近読んだ山口周氏の『外資系コンサルの知的生産術』に、こんな話が紹介されていました。トップクラスのMBAを持っている才媛が入社したときのエピソードなのだそうです。
「だって、○○先生は、この分野の世界的な権威で、すごく尊敬されているんです。その先生がそういうんだから間違いありません」→「いや、その先生が高名かどうかはどうでもよくて、君自身はどうしてこれが正解だと思ったのか、その根拠を聞きたいんだけれど…」…(以下、繰り返し・笑)
>ーーとりあえず、(浅学ですが)私の知っている統計学とABOFANさんのおっしゃる「統計学」が全く違うものだということはようやく理解できました苦笑
――よく意味がわかりません。ひょっとして、管理者さんの“統計学”によると、効果量のη2とdとを区別できないのでしょうか?
>さて、ですのでここからはABOFAN先生に是非とも「統計学」をご教授願いたいと考えているのですが、このコメント欄上でもそれは可能でしょうか?よろしくご検討ください。
――これは、過去の投稿に散々書きました。もし理解できないのであれば、わからない部分の原文を引用していただけると助かります。そうでないと、たぶん(今までのような)“禅問答”になってしまうでしょう(苦笑)。どうかよろしくお願いします。
それと、管理者さんは既に十分おわかりかと思いますが、私の一連の投稿の目的は、管理者さんが何を「回答する」かを確認するのではなく、何に「回答しない」かを分析・確認するためものです。その意味では、かなり役に立つ回答をいただいたことに感謝いたします。
失礼な言い方になりますが、かなりの確率で、管理者さんの統計学は高校レベルだと思われます。仮にそうであれば、明治大学の理系学部・大学院で統計学の講義を受けた方がよろしいのではないでしょうか? 私なんかに教わるより、はるかに理解が早いと思いますが。
もちろん、それでも私に教えてほしいということであれば、特に断るつもりはありませんので、誤解のないようにお願いします。
長文大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/01 20:59:20)

ABOFANさん
>今回は管理者さんは相当お疲れなんでしょうか?
ーーABOFANさんのこれまでの皮肉の中では最も気の利いたものだと思いますよ笑いや、やはりお上手ですね。。。

さて、まずは「効果量」についてのお話から…。
>効果サイズ(d)≠効果量」は私の主張ではありません。
ーーこのコメントはいただけません。
>簡単に「誤解」について指摘しておくのみとします。
1) 「効果量」≠「効果サイズ(d)」
ーーと仰っておられまして、このときは単に日本語訳の問題かとも思いましたが、
>また、「効果量」≠「効果サイズ(d)」に納得しないというのもそうですし、このサイトに[…]
ーーそうではないようですね。笑
ただ、ABOFANさんのいう「効果量」が分散説明率を表すη2(イータ)を指すものだということはようやく分かりました。
これなら当然「効果サイズ(d)」≠「効果量(η)」ですが、しかしこれは前述のようにABOFANさんのおっしゃっていたこととは”意味”が違いますよ?苦笑
あなたの文脈や語句からは、統計においてeffect sizeを測る指標にd値なんてない、とおっしゃっているように見えたのですよ(少なくとも私には)。正しくは、effect sizeの指標の中に、dや分散説明率を意味するη2があるわけですよね?
ですから、その前提なしに、単に「効果サイズ(d)」≠「効果量」だといわれても、こちらも返答のしようがありません(以前にもη2についてここで議論があったのならこちらにも非はありますが。)。「後出しジャンケン」で勝ちたいのなら別ですが、対話や議論をなさりたいのなら少なくとももう少し丁寧にーーつまり「私はη2値について話しているのだ」など――言っていただかないと、申し訳ありませんがお話にも何にもなりません苦笑
これまでのABOFANさんのネットでの”ご活躍”を見る限り、それが常套手段のようですので指摘するまでもないことかもしれませんが…。ですが、まぁこれでは相手にされないでしょう笑

しかし、とりあえずABOFANさんのいう「統計学」と私の想定している「統計学」が(少なくとも外見上は)一致したものであることがわかったので、それは大きな収穫でしょう。

では、それに基づいて回答いたします。ご提示いただいた文献「血液型と性格の無関連性」についてですが、こういう問答も何度したことかわかりませんが苦笑、お願いですから文章を”よく”読んでくださいね?
当該文献より少し長くなりますが、要点だけ抜粋しましょう。何とか最後までお付き合い願います。
>効果量の算出 本研究では, “差がない”ことを積極 的に示すために,効果量を算出した。効果量とは効果の 大きさの指標である。有意性検定の結果は標本サイズに 左右される。そのため,標本サイズによって変化する有 意性検定の結果のみならず,効果の大きさそのものを示 す効果量を提示することで,血液型が性格に及ぼす効果 の小ささを示すことが可能となる。本研究では4種類の 血液型間の比較を分散分析により検討し,効果量として η2(血液型の要因の平方和/全体平方和)を算出した2。 η2 は分散説明率を示す指標であり,データで得られた個人差の全分散の中で,血液型の違いから説明できる分 散の割合が示される。η2 が限りなく小さくゼロに近い 場合には,血液型の違いが性格を説明しない根拠を積極 的に示すことができるだろう。
> 結果 本研究では三つのデータセットを分析した。それぞ れ順に報告する。 2004年度日本データ 使用した21項目に対して,血液型を独立変数とす る,1要因4水準の分散分析を行った(N=2,878─ 2,938)。分析の結果をTable 1にまとめた。 “子供の将 来が気にかかる”を除いた,21項目中20項目で有意 差 は 見 ら れ な か っ た(Fs < 2.456, ps>.061 η2s <.0025)。唯一有意差が見られた“子供の将来が気に かかる” (F (3, 2874)=2.623, p=.049) に関しても,効 果量は極めて小さく(η2=.0027),ほぼ無視することのできるほどの違いしか無かった。
ーーよ~く読んでください。”有意差は見られなかった”という記述がありますよね?また唯一~の文脈も”ほぼ無視することのできるほどの違いしか無かった。”とありますね?(というか、η2=0.0027って…)
さて、文量が多くなって申し訳ないのですが、考察にも、
>分析の結果,どのデータセットにおいても,血液型 と性格との間に意味のある関連性は見られていない。 合計68項目のうち,65項目で有意な平均値差は得ら れなかった。わずかな差でも検出できるはずの大規模 なデータセットでもほとんどの項目で有意差が得られ ないことは,血液型と性格の無関連性を強く示すもの である。
―― 要点はこれで十分かと思います。が、前回のコメントにあった
>[注:このη2 = .0030は間違いです。
――とは、いったいどういう意味ですか?この論文のデータに誤りがあるということでしょうか?
>Q22: If you make a critical decision, take risks or avoid は、危険率0.7%で有意で[…]
――こんな記述は当該論文のどこにも見当たらなかったのですが…。私が見落としていたのならお教えください。

>失礼な言い方になりますが、かなりの確率で、管理者さんの統計学は高校レベルだと思われます。
――これに関しては特に反論はありません。まぁ遠からず、といったところかと自分自身思っておりますので苦笑しかし、正直ABOFANさんの読解力の方が深刻な問題かと思っており、心配でなりません。
>ひょっとして、ロジカルシンキングはご存じないのでしょうか?
――この発言には、申し訳ありませんが、笑ってしまいました。狙って言ったのだとしたら大したもんです笑
後の、山岡先生等の研究発表についてはこちらからは以前にも何度もご指摘させていただいておりますので、ABOFANさんがロジカルシンキングを学習なさってから、また議論いたしましょうか。 (回答日時:2015/06/03 14:18:20)

連投失礼します。余談ですが、やはり統計のところは無反応ですね。例えば、
>さて、「日本パーソナリティ心理学会」のホームページにて以下のような意見文が掲載されておりますが、このことについてはどう思われますか?お教えください。 http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02
は、管理者さん自らが振った話題なのにもかかわらず、私の統計データを示した回答を見事にスルーする、というのは極めて不自然です。
また、「効果量」≠「効果サイズ(d)」に納得しないというのもそうですし、このサイトに
>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張している。
とありますが、能見正比古氏の「血液型人間学」のデータをどう計算しても、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できる」はずがありません。
管理者さんの過去の文章を読んでも、統計に無反応というのは共通しています。普通は、相手の統計データや分析が間違っていたら、ぐうの音も出ないほど叩けるので、議論するには絶好の話題なはずです。しかし、話に全く乗ってこないというのは、私の回答が間違っていないのか(残念ながら、結構間違っています…苦笑)、あるいは管理者さんがよっぽど統計に疎いのかのどちらかでしょう。私は、失礼ながら完全に後者だと思っています。
なので、
>ーーこのように、ご紹介いただくのは結構なのですが、基本的に「研究論文」というものは、「外部」に向けて「発表」したものでないと「学術的(科学的)」な”意味”を持ちえないということはご存じですか?「査読付き論文」を重視しないもなにも、ABOFANさんのネットでの活動は、(大変言いにくいのですが)学術的になんら意味をなしていないのです。平たく言うと、近所の主婦同士の井戸端会議と大差ないものとしてしか、認知されていないんですよ……。
とありますが、統計がわからない人に言われたくない、というのが本当のところです(苦笑)。
何回も言いますが、「血液型と性格」の「査読付き」論文は、なんとしても否定的な結論に持って行く必要があるのか、統計的分析はほぼ全てが間違っています。この点を相手に指摘すると、しばらくの間は黙っていますが、いつのまにか同じ間違いが復活するというパターンが多いですね。ただし、さすがに最近は、正直に結果を示すのはまずい(?)らしく、生データは無視して、抽象的な表現でお茶を濁すケースが増えているようです。これが典型的に現れているのが、管理者さんの一連の反応です。
だいたい、科学は「誰がやっても再現性がある」ことが前提ですから、学者が言おうが、私が言おうが、井戸端会議の主婦が言おうが構わないはずで、それが、「研究論文」しか認めないというのでは、本来の科学の趣旨に反します。ましてや「研究論文」の計算間違いを認めないというのであれは、極論すればSTAP細胞の二の舞になってしまいます。そういう権威主義的で「非科学的」な主張は―差し出がましいことを言って申し訳ありませんが―少なくともこのサイトでは止めていただければと思います。もちろん、私が全面的に正しいというつもりはありません。間違っている場合は遠慮なくご指摘ください。可能な限り訂正しますので。
どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/30 08:14:11)

ABOFANさん
>能見正比古氏の「血液型人間学」のデータをどう計算しても、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できる」はずがありません。
>また、「効果量」≠「効果サイズ(d)」に納得しないというのもそうですし
ーーもう何度も言っていることなので我ながらくどいと思ってますが、ABOFANさんのおっしゃる「統計学」における「効果量」というものの計算方法をお教えください、ということをまだ言うしかありませんかね?

>とありますが、統計がわからない人に言われたくない、というのが本当のところです(苦笑)。
何回も言いますが、「血液型と性格」の「査読付き」論文は、なんとしても否定的な結論に持って行く必要があるのか、統計的分析はほぼ全てが間違っています。この点を相手に指摘すると、しばらくの間は黙っていますが、いつのまにか同じ間違いが復活するというパターンが多いですね。ただし、さすがに最近は、正直に結果を示すのはまずい(?)らしく、生データは無視して、抽象的な表現でお茶を濁すケースが増えているようです。これが典型的に現れているのが、管理者さんの一連の反応です。
ーーとりあえず、(浅学ですが)私の知っている統計学とABOFANさんのおっしゃる「統計学」が全く違うものだということはようやく理解できました苦笑
さて、ですのでここからはABOFAN先生に是非とも「統計学」をご教授願いたいと考えているのですが、このコメント欄上でもそれは可能でしょうか?よろしくご検討ください。 (回答日時:2015/06/01 12:59:41)

>>1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。/私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。
>ーー申し訳ありませんが、上記の文章、かなり支離滅裂されているのをご自身でおわかりなのでしょうか?ABOFANさんご自身でも混乱なさっているのではないでしょうか。
――私の文章は単純に事実を書いているだけですから、なぜ「支離滅裂」なのかわかりません(もっとも、効果量を明示している論文はあります…すみません)。
パーソナリティ心理学と統計学がわかっているなら、誰でも何の問題もなく理解できる文章なはずですが? ひょっとして、説明が簡潔すぎたのでしょうか?
>私としては、能見氏の「血液型人間学」についてABOFANさんから薫陶を受けたいと(ちゃかす意味はなく割と真剣に)思っております。
――「血液型人間学」は、基本的に統計ですから、内容はこの投稿の冒頭に書いたとおりで、それ以上でもそれ以下でもありません。もちろん、細かいことを言えばいろいろとありますが…。
>効果量≠効果サイズ(d)ならば、効果量とはいったい何を指示しているのでしょうか?
――では、試しに能見正比古氏の「血液型人間学」の任意のデータから、「効果サイズ(d)」を計算してみてください。次に、「効果量」を計算してみてください。これで私の言いたいことが理解できますよね?
>ーーなんとなく言いたいことはわかりますが、これってむしろ血液型性格診断を否定されているのでは?
――否定されるのは(おそらく)管理者さんが考えている「血液型人間学」=「血液型性格診断」でしょう。私の中では、「血液型人間学」≠「血液型性格診断」ですので、何の問題もありません。どうしても疑うのなら、能見正比古氏の「血液型人間学」のデータを見て自分で計算してみてください。
>ーー意外なお返事でした。もし、お会いいただけるのなら、それなりの場をこちらもご用意いたします。(ただし、軽軽に決められることではないのである程度準備が必要ですが)
――「それなりの場」は不要です(笑)。私的には、管理者さんだけもいいし、明大に行くのも特に苦になりませんので、お気軽にご連絡ください。喫茶店でもファミレスでも師弟食堂(今もあるのかな?)でも、どこでも構いませんし…。もっとも、管理者さんは指導者に報告・相談する必要があるのでしょうか? さすがに、管理者さんに面倒をおけかしてまで、とは思っていません。
>基本的に「研究論文」というものは、「外部」に向けて「発表」したものでないと「学術的(科学的)」な”意味”を持ちえないということはご存じですか?「査読付き論文」を重視しないもなにも、ABOFANさんのネットでの活動は、(大変言いにくいのですが)学術的になんら意味をなしていないのです。平たく言うと、近所の主婦同士の井戸端会議と大差ないものとしてしか、認知されていないんですよ……。
――では、こちらも正直にお話しましょう。血液型と性格に関する日本語の論文の多くは、「査読付き」ものでさえ、内容は間違いだらけで酷いものです(英語のものは比較的レベルが高いですが)。それらの論文が“科学的”というなら、もはや何をかいわんやです。1)「査読付き」論文で統計の計算が明らかに間違っているものと、2)ネット上の情報で計算が正しいものを比較したら、1)は非科学的で2)は科学的に決まっています! 計算や内容が間違っていても、「科学的」というなら、それは“学術的に意味がある”のかもしれませんが「非科学的」と言うしかないでしょう。
例えば、検定力を考えないで「有意な差がない」と結論づけている論文なら山のようにあります。また、以前に書いたように、「効果量」を計算したものはほとんどありません。サラリーマンじゃありませんが、管理者さんの態度は、「査読付き」論文が白を黒だというのなら、それは黒なのだというようなものです(笑)。
また、管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。極論すれば、世界的大発見である「青色LED」も「ヒッグス粒子」も、ノーベル賞を受賞するまでは「疑似科学」だが、受賞したとたんに科学的大発見という、非常におかしなことになりませんか?
話題はかわりますが、日本地震学会によると、東日本大震災は「科学的」に起こるはずのない大地震でした。それまでの地震理論は見事に破綻してしまったのです。ご存じのように、福島第一原発では、大地震(や大津波)が今後30年間に起こる確率は「0%」でした。だから、福島第一原発では堤防をかさ上げしなかったのです。
しかし、この「科学的」な想定に反対する学者もいて、過去の地層を調べると、今回程度の大津波は大いにあり得るので、十分警戒すべきだと主張する人もいました(地震学会が無視していたので、たぶん「査読付き」論文ではないはずです)。この“非科学的”な主張にそって、東海第二原発では堤防をかさ上げした結果、危ういところで難を逃れました。
管理者さんによると、福島第一原発は堤防をかさ上げするような“非科学的”なことはするべきでない、ということにもなります。私は、そんな“科学的”な「査読付き」論文などはまっぴら御免ですし、もちろん絶対反対です。
あるいは、「査読付き」…の話は単なる「セールストーク」ということでしょうか? それならわかります(笑)。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/29 22:06:57)

ABOFANさん
>(もっとも、効果量を明示している論文はあります…すみません)。
パーソナリティ心理学と統計学がわかっているなら、誰でも何の問題もなく理解できる文章なはずですが? ひょっとして、説明が簡潔すぎたのでしょうか?
ーー効果量を明示している論文のご提示をお願いいたします。また、以前にもご指摘しましたが、日本パーソナリティ心理学会は以下の意見文、
http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02
におけるABOFANさんのご意見をまだ伺っておりません。正面切っての反論は避ける、とのことでしたが、ということは少なくとも日本パーソナリティ心理学会が「血液型性格診断」に対して懐疑的であることはお認めになるわけですね?

>では、試しに能見正比古氏の「血液型人間学」の任意のデータから、「効果サイズ(d)」を計算してみてください。次に、「効果量」を計算してみてください。これで私の言いたいことが理解できますよね?
ーーえぇと…苦笑。ですから、効果サイズ(d)≠効果量だとおっしゃっているのはABOFANさんですよね?こちらはただABOFANさんの言うところの「効果量」の計算公式を教えていただきたいだけなのですが……。

>また、管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。[…]話題はかわりますが、日本地震学会によると、東日本大震災は「科学的」に起こるはずのない大地震でした。それまでの地震理論は見事に破綻してしまったのです。[…]しかし、この「科学的」な想定に反対する学者もいて、過去の地層を調べると、今回程度の大津波は大いにあり得るので、十分警戒すべきだと主張する人もいました(地震学会が無視していたので、たぶん「査読付き」論文ではないはずです)。[…]管理者さんによると、福島第一原発は堤防をかさ上げするような“非科学的”なことはするべきでない、ということにもなります。私は、そんな“科学的”な「査読付き」論文などはまっぴら御免ですし、もちろん絶対反対です。
あるいは、「査読付き」…の話は単なる「セールストーク」ということでしょうか? それならわかります(笑)。
ーーできれば一つずつこれをテキスト分析してみたいのですが、とりあえず全体を通してだけ…。
どうぞ落ち着いてください。誰も東日本大震災に関してABOFANさんの意見を求めてはいませんよ。というか、ご自身で勝手に話題を振って、ご自身で結論付けられているだけですが…。
とりあえず、
>また、管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。
>管理者さんによると、福島第一原発は堤防をかさ上げするような“非科学的”なことはするべきでない、ということにもなります
ーー私がいつこのようなことを書きましたか?このコメント欄をどこまでさかのぼっても私の眼には見えないのですが、どうかお教えください苦笑

まぁとにかく、ABOFANさんご自身の世界の中でだけで「科学的」という言葉を一人歩きしているように思います。
もし、「科学」という語に関する哲学的、あるいは科学史的な説明を欲してらっしゃるのならば、以下の文献をご紹介させていただきますのでよかったらお読みください。
・「科学革命の構造」トーマス・クーン
・「本質的緊張」トーマス・クーン
・「推論と反駁」カール・ポパー
・「科学哲学への招待」野家敬一

まずはこんなところでしょうか。他に、評定の基本的な考え方にも文献を載せているのでご覧ください。 (回答日時:2015/06/01 12:49:15)

すみません、前回の投稿にミスがありましたので訂正します。
>私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。
――上の文章はミスですので訂正します。このサイトの関連リンクにある「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)には「本研究で扱った三つのデータセットの中で見られた一番大きな効果量は,2004年アメリカデータの η2 = .0030 であった。」と、効果量を明示しています。ただし、過去の投稿に書いたように、このη2の計算値は妥当とは言えません。なぜなら、1)アメリカではAB型が極端に少ないのでη2は(見かけ上)数分の1になる 2)質問項目が「有名な特性」でないのでη2が小さくなる からです。
続けて補足です。
>では、「血液型性格診断」において、効果サイズd≧0.3~0.4であるという「論文」「研究報告」等(外部に向けて発表されたもの)をご提示いただけますでしょうか?「自己成就」などのバイアスが混じったものではなく、「血液型性格診断」においてのものをお願いします。
――私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の「論文」で、“「自己成就」などのバイアス”が混じっているかどうか「直接的」に検証した研究はありません。例えば、
1) Blood-typical Personality Stereotypes and Self-fulfilling ProphecyAkira SAKAMOTO Kenji YAMAZAKI 2002 では、1984年以降に差が認められるのは「自己成就」だということですが、本当に「自己成就」かどうかを「直接的」な方法で検証していません。つまり「自己成就」は推測に過ぎません。
2) 血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2)) 山岡重行他も、血液型に興味関心があるグループのみに差が認められるということですが、他の研究報告(血液型と性格の関連についての調査的研究 久保義郎・三宅由起子 2011 http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16)では『外向性と協調性が高いほど「血液型と性格に関係がある」と回答する人が多い』という結果が得られています。つまり、「他人の性格に関心が高い」から血液型による差が出ているのかもしれません。言い換えれば、血液型に興味関心がないグループは、他人の性格に関心が低いので差が出ていないことになります。
実は、「自己成就」などのバイアス”が混じっているかどうか「直接的」に検証した研究は「査読付き論文」でないものならあります。それは、金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』です。これについては過去に再三書きましたが、念のため再掲します。
金澤氏は、その血液型特性が知られている割合と、データの差の大きさの関係に着目しました。仮に、血液型による統計データの差が「自己成就現象」や「思い込み」によるものなら、その特性が知られていればいるほど差が大きくなるはずです。逆に、ほとんど知られていない特性なら、「自己成就」や「思い込み」は小さいので、大きな差が出ることはありません。
結果は意外なものでした。その特性が知られている割合と、差の大きさには関係がなかったのです。また、ほとんど知られていない特性でも安定した差が見られました。つまり、血液型による統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」ではなかったのです! 実際の統計データはこちらです。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
余談ですが、これらは私が「査読付き論文」を重視していない大きな理由の1つです。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 23:39:31)

ABOFANさん
>つまり、血液型による統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」ではなかったのです! 実際の統計データはこちらです。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
余談ですが、これらは私が「査読付き論文」を重視していない大きな理由の1つです。
ーーこのように、ご紹介いただくのは結構なのですが、基本的に「研究論文」というものは、「外部」に向けて「発表」したものでないと「学術的(科学的)」な”意味”を持ちえないということはご存じですか?「査読付き論文」を重視しないもなにも、ABOFANさんのネットでの活動は、(大変言いにくいのですが)学術的になんら意味をなしていないのです。平たく言うと、近所の主婦同士の井戸端会議と大差ないものとしてしか、認知されていないんですよ……。
ネットを使われる多くの方はその辺のことも分かったうえで、”楽しむ”という行為を優先させているのですが、ABOFANさんはどうもそうは見えないので、差し出がましいようですが進言させていただきました。 (回答日時:2015/05/29 10:10:10)

早朝からご苦労様です。
前回の投稿にも書いたように、「1) 過去・現在・未来とも、私の質問に回答する義務はない」を裏付ける回答のようですね。もっとも、これは十分に「想定内」ですので、特に何とも思っていません。管理人さんも既にお気付きかと思いますが、私が投稿する目的の1つは、管理人さんが私の(ほとんどの)質問に対して実質的に“回答拒否”ということを実証することですので…。
>さて、「日本パーソナリティ心理学会」のホームページにて以下のような意見文が掲載されておりますが、このことについてはどう思われますか?お教えください。 http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02
――これまたいつものパターンですが、明治大学の「輪読」では、司会者が質問の趣旨をはっきりさせずに相手に「どう思われますか?」と訊くのでしょうか? これでは、相手は何をどう回答していいのかわかりません。もっとも、管理者さんの聞きたいことはほぼ予想できます。おそらく次の文章についてどう思いますか?ということなのでしょう。
>いっぽうわれわれ心理学者は血液型性格判断を生み出した責任をとって[注1],自分たちで血液型と性格との関係について科学的なデータを集めてきましたが,そうしたデータからは血液型と性格の関係がほとんど確認できていないことはご存知の通りです。
>血液型と性格の関係を主張する人々が,科学のルールに則って血液型と性格の関係を証明するデータを示せば,われわれ心理学者も即座にその関係を認めるでしょう。しかしいまのところはそうしたデータはありませんので,血液型と性格の関係は科学的事実としては認められていないわけです。
もちろん、この質問に対して―心理学のロジックやデータをベースにして―正確に回答・反論することは可能です。しかし、私は渡邊芳之氏には個人的に大変恩義を感じていますので、今回は正面切っての反論はせず、事実のみの呈示に止めることとしますので、悪しからずご了承ください。
さて、統計データに―少なくとも見かけ上の―関係があることは既に決着済みです。次に以前の投稿を再掲します。
1) このサイトの参考文献では、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
2) また、別の研究報告では…
山岡は、1999年から2009年にかけて大学生を対象に血液型性格の調査を行っている(有効回答数=6660)…①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。「血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2))」山岡重行(2009) http://ci.nii.ac.jp/naid/110007674296
3) その他にも、1850人のサンプルで差が出ています。「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲(1999) http://ci.nii.ac.jp/naid/110006603993
>ここでの「効果量」とは「効果サイズ(d)」で相違ないかと思います。また、効果量が「中」とは(少なくとも社会学分野では)d=0.3~0.4を意味しています。
――この時点で、管理者さんが統計学を理解していないことがはっきりしました。ひょっとして、明治大学情報コミュニケーション学部では、統計学の教科書の「輪読」はしないのでしょうか? わからない人に説明してもしょうがないので、簡単に「誤解」について指摘しておくのみとします。
1) 「効果量」≠「効果サイズ(d)」
2) 「effect size」の日本語訳は「効果量」が一般的なはずです。
>では、「血液型性格診断」において、効果サイズd≧0.3~0.4であるという「論文」「研究報告」等(外部に向けて発表されたもの)をご提示いただけますでしょうか?「自己成就」などのバイアスが混じったものではなく、「血液型性格診断」においてのものをお願いします。
――私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。従って、こういう質問をすること自体が、管理者さんが「血液型性格診断」の論文を(ほとんど)読み込んでないことの証拠だと思いますが…。
>「血液型十戒(10の心得)」から…… 8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である
>――ここでの「客観的な」は一般的には「人間理解を可能にする」という語を修飾していると考えられます。その前提に立つと、例えば、2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。これらの項目との整合性がとれていないと考えます。(まぁほかにも突っ込みどころは満載ですが苦笑)ABOFANさんのご意見はいかがですか?
――これは、以前にも書いたように、管理者さんの“誤読”と考えるのが妥当と考えます。ABOセンター(名目は能見正比古氏)の著書『血液型人間学』(2009年)p237にはこうあります。
>8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、便利なツールと考えよう[なお、2.9.の文章は同じです]
そして、この8.の具体的な説明は次のとおりです。
1) もし、同じ血液型の人が同じ性格だったら、4つの血液型で4通りの人間しかいなくなるではありませんか。(p16)
2) 私はある血液型が、たった1通りの性格とは、一度も言ったことがないのに、この人たちは、私がそう決めつけているものと、勝手に決めつけている。(p16)
3) 確かに、血液型に応じ、事実とデータに裏付けられた特異性、つまり違いをつかみかけていますが、それ違いは比較的なものです。…人間は、その相違点よりも、共通性のほうが、はるかに大きいのです。(p33)
4) 人間の性格においては、適切な分類基準がなかったために、[自己報告の性格のような]非常に主観的な分類から抜け出すことができなかったのです。しかし、血液型の発見により、私たちは人間の性格と行動を探る、科学的な基準を得たと言えます。それがたとえ、それらの一片にすぎないものであったとしても…(p221)
5) いかに血液型が便利な情報でも、人間の心や行動は、単純な決めつけができないことがおわかりいただけるでしょう。(p231)
>これをおっしゃるのなら(以前にも提案してABOFANさんには”拒否”されてしまいましたが苦笑)ご自身で書いた「論文」「研究発表」を「学会」(学会とはいえその中身は玉石混淆ですが、基本的には査読付きのもので)にてご発表ください。
――以前にも書きましたが、(日本語の)論文なんか書くぐらいなら、費用対効果を考えるとインターネット(例えばこの投稿)の方がよほど効率的というのが実感です。「査読付き」論文で発表されたSTAP細胞がどういう経緯を辿ったか考えてみればわかるでしょう。ネット上で問題の箇所を読みましたが、査読したはずなのに「KCl」が「KC1」と「L」が「1」に化けていたり(OCRの誤認識らしい…)、1990年代に生産されたパソコン周辺機器の「新品」が2014年に使用したことになっていたのには本当に驚きました。血液型に関しては、これより生々しい話もあるのですが、さすがに公開の場で書くのは遠慮させていただきます。
>ちょっと提案なのですが、では例えば能見正比古氏の「血液型人間学」をご一緒に輪読してみませんか?少々手間ですが、このコメント欄上でも可能かと思いますし、ご希望なら個別のコメントページを設ける、または実際にお会いして、という手もあります。どうですか?これはただの仮案ですので、他にいい案があればおっしゃってくだされば検討しますし……。
――ご提案ありがとうございます。しかし、「血液型人間学」は、ほとんど私の頭に入っている…はずなので、特に輪読の必要性は感じていません。その一部は、上に2009年版の内容について書いたとおりです。もっとも、直接お会いできるなら、このサイトの投稿に書けない“オフレコ”の情報もお話しできる可能性があるので、検討する価値はあるとは思います。
長文失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 22:35:15)

ABOFANさん
>1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
>私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。
ーー申し訳ありませんが、上記の文章、かなり支離滅裂されているのをご自身でおわかりなのでしょうか?ABOFANさんご自身でも混乱なさっているのではないでしょうか。
>しかし、「血液型人間学」は、ほとんど私の頭に入っている…はずなので、特に輪読の必要性は感じていません。
ーーいやァ、必要だと思いますよ。笑しかも、これは単にABOFANさんだけの問題ではなく、本研究に従事している我々にとっても有益なことかと……。私としては、能見氏の「血液型人間学」についてABOFANさんから薫陶を受けたいと(ちゃかす意味はなく割と真剣に)思っております。

>1) 「効果量」≠「効果サイズ(d)」
2) 「effect size」の日本語訳は「効果量」が一般的なはずです
ーー単に日本語訳の問題ならば、別に気にはしません。しかし、仮に日本語訳の問題ではなく、効果量≠効果サイズ(d)ならば、効果量とはいったい何を指示しているのでしょうか?浅学ながら、私の知っている「統計学」とABOFANさんの「統計学」は別のものなのですか?ABOFANさんのおっしゃる「効果量」を求める計算式をお教えいただけますでしょうか?

>3) 確かに、血液型に応じ、事実とデータに裏付けられた特異性、つまり違いをつかみかけていますが、それ違いは比較的なものです。…人間は、その相違点よりも、共通性のほうが、はるかに大きいのです。(p33)
4) 人間の性格においては、適切な分類基準がなかったために、[自己報告の性格のような]非常に主観的な分類から抜け出すことができなかったのです。しかし、血液型の発見により、私たちは人間の性格と行動を探る、科学的な基準を得たと言えます。それがたとえ、それらの一片にすぎないものであったとしても…(p221)
5) いかに血液型が便利な情報でも、人間の心や行動は、単純な決めつけができないことがおわかりいただけるでしょう。(p231)
ーーなんとなく言いたいことはわかりますが、これってむしろ血液型性格診断を否定されているのでは?また、以前にもご指摘しましたが、 
8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である
この書き方だとやはり、「客観的な」は「人間理解を可能にする」を修飾しているように読めてしまいますね。「客観的な」が「科学的観察手法」を修飾しているのなら、上記のご指摘も、まだ筋が通るのですが……。そのあたりの理解を深めるためにも、やはりご一緒に輪読をしてみませんか?
>直接お会いできるなら、このサイトの投稿に書けない“オフレコ”の情報もお話しできる可能性があるので、検討する価値はあるとは思います。
ーー意外なお返事でした。もし、お会いいただけるのなら、それなりの場をこちらもご用意いたします。(ただし、軽軽に決められることではないのである程度準備が必要ですが) (回答日時:2015/05/29 10:35:57)

前回の投稿の補足です。
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>さすが、ですね。巧妙に論点をずらし、かつ対話の相手を「独自に定義(?)」し揚げ足とりに終始する(中身はありませんが)、効果的な弁論術だといえますね。笑本当にお上手ですね。
>なので、こちらも可能な限り、端的に述べます。
――前半部分は、正直申し上げて意味が理解できません。なぜなら、管理者さんの判断基準が不明確なので「反証可能な命題」ではないからです。言い換えれば科学的ではありません。失礼ながら、弁論術としては効果的ではないでしょう…。
また、後半の「なので、こちらも可能な限り、端的に述べます。」についても、さっぱり意味が理解できません。「なので」とありますが、後半は前半の文章とは何も関係ないですよね? 単純に「可能な限り、端的に述べます。」でいいのではないですか?
ただ、そうなると、前回の投稿に書いた「1) 過去・現在・未来とも、私の質問に回答する義務はない」が管理者さん自身の言葉で裏付けられたことになります。また、なぜ「可能な限り、端的に述べます。」と書く必要性があるのかわかりませんし、何か私に反論できない事情でもあるのではないか?と他の人に思われるだけ損だと思うんですが…。私的には、「可能な限り、端的に述べます。」などというケチなことはおっしゃらず、「全面的な反論」を期待しています。なぜなら、このサイトは、「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」なのですから…。ちなみに、このサイトの「評定の基本的考え」には、「実証的効果を示すデータの観点から、透明性、再現性、客観性」が掲げられていますので、少なくともこの4つについては私の示したデータにF検定、検出力…などの統計的手法で反論すべきだと思います。そうでないと、
>私は、数度の真摯な催促をもってしてもあなたから明示的な反論が来なくなった時点で、私は「貴方は私に反論ができなくなった」と判断するかもしれません。普段の貴方の常套手段ですから、そこは公平にお願いしますね。 by n (2013-07-20 01:49)
という判断になりますから…。なお、nさんは「数度の真摯な催促をもってしてもあなた[nさん]から明示的な反論が来なくなった」という状態です。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2013-12-27
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>申し訳ありませんが、はっきり言って前述のものでABOFANさんにとって”回答ができている”とお考えになられているのなら、文系学部のゼミ等でよく行われる輪読では”失格”レベルの雑さと曖昧さかと思われます。
――これもさっぱり意味がわかりません。申し訳ありませんが、明治大学でどういう「輪読」をしているのか私は知りません。しかし、「血液型性格診断」を科学的に分析した先行研究が少ない(あるいは矛盾した結果が得られている)というのなら、「輪読」するだけ無駄ではありませんか? それなら、自分で資料を地道に調査したり、独自にデータを集めて分析するとか、あるいは自ら実験してみる、といった手法を採用した方が効果的に思えます。データの振る舞いも、教科書通りに考えるのではなく、自分のアタマを使って(苦労して?)考えるべきでしょう。もっとも、明治大学の「輪読」では、こういうことをしているのかもしれませんが…。
閑話休題。管理者さんの文章を読んで、つい『近思録』を思い出してしまいました。管理者さんもご存じかと思いますが、近思録的には、何かを分析することは「格物究理」と言います。もっとも「格物究理」は科学的手法とは似て非なる物です。何が違うのかは、管理者さんは既にご存じかと思いますので、ここではあえて触れません。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/26 23:31:07)

ABOFANさん
>申し訳ありませんが、明治大学でどういう「輪読」をしているのか私は知りません。しかし、「血液型性格診断」を科学的に分析した先行研究が少ない(あるいは矛盾した結果が得られている)というのなら、「輪読」するだけ無駄ではありませんか? それなら、自分で資料を地道に調査したり、独自にデータを集めて分析するとか、あるいは自ら実験してみる、といった手法を採用した方が効果的に思えます。データの振る舞いも、教科書通りに考えるのではなく、自分のアタマを使って(苦労して?)考えるべきでしょう。もっとも、明治大学の「輪読」では、こういうことをしているのかもしれませんが…。
――まさか、このような言葉をABOFANさんから聞けるとは思いませんでした。笑正直、コメントに窮します。苦笑
これをおっしゃるのなら(以前にも提案してABOFANさんには”拒否”されてしまいましたが苦笑)ご自身で書いた「論文」「研究発表」を「学会」(学会とはいえその中身は玉石混淆ですが、基本的には査読付きのもので)にてご発表ください。

>申し訳ありませんが、明治大学でどういう「輪読」をしているのか私は知りません。
>もっとも、明治大学の「輪読」では、こういうことをしているのかもしれませんが…。
――う~ん、そうですねぇ~。ちょっと提案なのですが、では例えば能見正比古氏の「血液型人間学」をご一緒に輪読してみませんか?少々手間ですが、このコメント欄上でも可能かと思いますし、ご希望なら個別のコメントページを設ける、または実際にお会いして、という手もあります。どうですか?これはただの仮案ですので、他にいい案があればおっしゃってくだされば検討しますし……。 (回答日時:2015/05/27 07:50:08)

どうもお疲れ様です。
>ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」もの、についての回答をいまだに頂いておりません。
>>一応回答しておきます。1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
>ーーこれではこちらの質問への回答になっておりません。
――以上が(統計的、心理学的…に)正確と思われる能見正比古氏の「血液型人間学」の定義ですが? 大変失礼ながら、上の文章の意味がわからないというなら、管理者さんに統計学 and/or 心理学の素養が欠けているということでしょうか? あるいは、お手数をかけて申し訳ありませんが、上の文章のどの部分がわからないのか、より具体的に説明していただけないでしょうか?
----
>ご回答いただきたいのは、能見氏が唱え、ABOセンターにも書かれている「血液型十戒(10の心得え)」に矛盾があるというこちらの指摘に対しての「反論」です。(以前のコメントを参照してください)
――これは回答済みです。大変申し訳ありませんが、私には管理者さんが何が理解できないのかわかりません。一応、以前の私の説明を再掲しておくと…
【5/12 00:34:09付の私の投稿での説明より】
>しかし、たとえばABOセンターページにおいて、…8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。…仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?
――これは「血液型人間学」を正確に理解しているとするなら、特に矛盾する記述ではありません。性格の分類基準としては、心理学の性格検査(=自己報告)のような「主観的」なものは適切でなく、自然科学的に決定できる血液型なら「客観的」だから妥当だという意味です。今回は残念ながら発見できなかったのですが、過去のABOセンターのサイトには「血液型物質は、人間を含めた生物全ての、材質の違いを示している、今のところ唯一とも言える客観的な基準です。」といった説明が掲載されていました。能見正比古氏の『血液型人間学』シリーズにも同じ趣旨の説明がありますので、参考までに付記しておきます。
【5/22 21:35:16付の私の投稿での説明より】
>しかし、たとえばABOセンターページにおいて、…8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。…仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?
が矛盾しないことは、能見正比古氏の著書からの引用でも確認できます。次は『新・血液型人間学』の「はじめに」からの引用です。
>自然科学としての人間性の学は、長い人類史でも、これまで成立しなかった。人間の行動、表現、反応は多様を極め、人々はそれに振り回されて来た観がある。必要なのは、人間性について統一的な説明が可能であり、すぐに役に立ち、客観的でもある尺度、分類基準であった。それが血液型だったのである。
>生化学的意味では、体質型である血液型を、分類比較の基準とすることで、私たちは今、初めて客観的で実証性を持つ“人間性の知識”を手にすることができたのである。
「客観的な分類基準」と「客観的に判別可能」は修辞的な表現の違いではなく、明確に意味が異なるのではないかと…。管理者さんの勘違いの可能性が高と思います。
もっとも、このサイトの参考文献にある『血液型人間学』には、「客観的」という語句が上の『新・血液型人間学』と同じような意味で記述されているケースはないようです。こうなると、語句説明での「客観的」がどこから来たのかも含め、管理者さん説明にはかなりの疑問を感じます。
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>能見氏の著書などから「血液型人間学」の「正確」な、「解釈」を”レジュメ”、あるいは本研究の評定項目に置き換えて、”記述”していただけますでしょうか?
――再三書いているの内容なので、私には管理者さんが何が理解できないのか理解できません(苦笑)。無駄かもしれませんが、ご要望ですのでもう一度書いておきます。
>データの再現性 (低) 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してないことである。
――これは、冒頭に書いたとおりで「パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である」ということです。
>データの客観性 血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型と特定の性格傾向性の研究が客観的な形で肯定されているとはいえない。肯定派の提示する研究報告は、信奉者による主観的な感想、統計調査における標本抽出の偏り、研究対象の未特定化、「自分はA型だから神経質だ」という性格の自己成就などの可能性が指摘できる。
――坂元氏や山岡氏のように「自己成就現象」や「思い込み」が存在するとするなら、「信奉者による主観的な感想」は(心理学では原理的に)必ず「血液型ステレオタイプ」どおりの回答になります。そして、“信奉者”はほとんどのデータでも全体の過半数ですから、多少の「標本抽出の偏り」などは全然問題になりません。つまり、必ず差が出るということですし、現実のデータもそのとおり差が出ています。
なお、山岡氏のデータでは、“信奉者”以外のデータでも「血液型ステレオタイプ」どおりの差が出ていることが確認できます。また、金澤正由樹氏の指摘どおり、その特性が知られている割合と差の大きさとは関係がありませんから、差が出ているのは「自己成就現象」や「思い込み」ではありません。従って、現実の統計データを分析すると必ず「血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型と特定の性格傾向性の研究が客観的な形で肯定されている」ことになります。
しつこいようですが、これは私の勝手な推測ではなく、心理学により原理的にそうなるということです。
よろしいでしょうか? (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/26 00:17:12)

ABOFANさん
>>一応回答しておきます。1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
――まず、「パーソナリティ心理学の定義」と「パーソナリティ心理学以外の定義」が不明瞭なのですが、それはまぁいいでしょう。
さて、「日本パーソナリティ心理学会」のホームページにて以下のような意見文が掲載されておりますが、このことについてはどう思われますか?お教えください。
http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02

>効果量が小~中である。[…]効果量が中~大である。
――ここでの「効果量」とは「効果サイズ(d)」で相違ないかと思います。また、効果量が「中」とは(少なくとも社会学分野では)d=0.3~0.4を意味しています。
では、「血液型性格診断」において、効果サイズd≧0.3~0.4であるという「論文」「研究報告」等(外部に向けて発表されたもの)をご提示いただけますでしょうか?「自己成就」などのバイアスが混じったものではなく、「血液型性格診断」においてのものをお願いします。

最後に「血液型十戒」についてです。
「客観的」という語についての議論が続いているかと思います。そこで、「語句説明」を少々改訂しました。具体的には、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分ける」と”特定の”という語を追記させていただきます。これでだいぶすっきりするかと……。
そして、本題です。「血液型十戒(10の心得)」から……
>8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である
――ここでの「客観的な」は一般的には「人間理解を可能にする」という語を修飾していると考えられます。その前提に立つと、例えば、
>2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。
>9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。
これらの項目との整合性がとれていないと考えます。(まぁほかにも突っ込みどころは満載ですが苦笑)ABOFANさんのご意見はいかがですか?
(回答日時:2015/05/27 07:38:16)

素早い回答ありがとうございます。が、しかし、正直に申し上げると、内容はいかがなものかと思います。失礼ながら、もう少し落ち着いて、じっくり文章や構成を練った方がよかったのではないでしょうか?
今回の管理者さんの回答を私なりに要約すると、
1) 過去・現在・未来とも、私の質問に回答する義務はない ←「他の議論については追々返信いたします。」
私から出した質問ならまだわからなくもないのですが、元は管理者さんから出した質問(F検定、検定力…)に対する私からの反論に“回答拒否”というのはいかがなものでしょうか? 私は「疑似科学とされるものの科学性評定」サイトの管理者として「ふさわしくない」態度と感じます。
2) 上の1)とは全く逆に、私は管理者さんの質問に回答する義務がある ←「議論が散らかりすぎているので、まずはわかりやすいところから……。」
元々は、私が管理者さんの見解が矛盾しているかどうかを質問しているのに、それには全く回答せず『こちらが聞いているのは、ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」ものですよ?』と逆質問するのは、そもそも科学的議論として成り立ちません。なぜなら、管理者さんの見解(=管理者さんが考える“血液型性格診断”の定義)がはっきりしないなら、「疑似科学とされるものの科学性評定」が可能なはずがないからです。「定義」がはっきりしないものなら、どう頑張っても科学的な「評定」はしようがありませんから…。また、普通こういう逆質問は、論点のスリ替えと言いませんか?
3) 管理者さんは心理学や論理学がわかってない ←「特に「性格」というものがどのようなものを指すのかという定義自体、全ての学術領域で一致した見解を得られているとは言えませんし……。」
それなら、血液型性格診断は「未科学」ですし、2)の管理者さんの質問は無意味なことになりますよね? 血液型と性格に関係があること(=血液型性格診断)を説明するのに、管理者さんの「性格」の定義が曖昧なら、そもそも説明自体が成り立ちません。「性格」について哲学的問答なんかやっている時間があるぐらいなら、単純にパーソナリティ心理学の「性格」の定義を採用する、の方が単純明快で時間の節約にもなると思うのですが? 違うのでしょうか?
4) 私の投稿に無反応な部分から推測するに、管理者さんは英語、統計、論理学などが苦手な“純粋文系”の人のようです。もちろん、議論の戦術として、苦手なフリをするというのは大いにあり得るのですが―大変失礼ながら―私にはそうとは思えません。これでは議論が全然進まないのも当然かと…。なぜなら、私は主に統計データ、英語の論文、心理学のロジックをベースにして議論を進めているからです。
以上、私の勝手な印象を申し上げましたので、管理者さんから大いに反論を期待している次第です。
それでは、意味があるかどうかはわかりませんが、一応管理者さんのからの質問の回答をすることにします。
>こちらが聞いているのは、ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」ものですよ?
――上に書いたとおり、この質問に意味があるとは思いませんが、一応回答しておきます。1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
>このような態度では誰からも相手にされませんし、
――「誰からも相手にされません」というのは確かに正しいです(苦笑)。なぜなら、議論の相手の多くは、英語の論文も読んでいないし、統計も不得意だからです。現にkikulogの議論では、統計ソフト「R」の話題を出したら、「究極超人あ~る」(古い!)なら知っているという人はいましたが、他の人は「R」の数値にはほとんど沈黙してしまいました。管理者さんがそうでないことをお祈りします。
>少々悪意のある上記のような動画を誰かに作られたとしても文句は言えないでしょう。
――悪意があってもいいですから、ぜひノンパラメトリック検定を理解してほしいです。この動画の作者は、ノンパラメトリック検定を理解していないので―タイムスタンプを見ればわかります―その後は沈黙しています。管理者さんも、ぜひノンパラメトリック検定の話題の輪に加わってください。どうかよろしくお願いします。
>ABOFANさんを「血液型性格診断」に突き動かす原動力とはなんなのですか?血液型性格診断の何がそんなに”魅力的”で、
――血液型のような遺伝子が性格に影響を与えることが証明できれば、心理学史に残る大発見ですから。違いますか? もっとも、その業績は専ら能見正比古氏、そして古川竹二氏に属するもので、私の業績ではありません。
>なぜ能見氏への一切の批判を”許せない”のでしょうか?
――私は「能見氏への一切の批判を”許せない”」なんて言ったつもりはないのですが? なぜ、管理人さんがそう理解したのかは謎です。
>あなたにとって能見氏が人生の第一義となっている(ようにお見受けする)理由はなんなのでしょうか?
――「人生の第一義」の定義が不明ですが、大発見を自分で追試してリアルタイムに体験できるなら、これほど感動的なことはありませんよね? もっとも、この発見が公式に認められたら、私は前線からは身を引くつもりですので、自動的に“人生の第一義”ではなくなります(笑)。
では、何でもいいので、管理者さんからの大いなる反論を期待しています。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/22 21:35:16)

ABOFANさん
さすが、ですね。巧妙に論点をずらし、かつ対話の相手を「独自に定義(?)」し揚げ足とりに終始する(中身はありませんが)、効果的な弁論術だといえますね。笑本当にお上手ですね。
なので、こちらも可能な限り、端的に述べます。
まぁとにかくこれだけなのですが、ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」もの、についての回答をいまだに頂いておりません。
>一応回答しておきます。1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
ーーこれではこちらの質問への回答になっておりません。ABOFANさんは文系が苦手のようにお見受けするのでもう一度書きます。
ご回答いただきたいのは、能見氏が唱え、ABOセンターにも書かれている「血液型十戒(10の心得え)」に矛盾があるというこちらの指摘に対しての「反論」です。(以前のコメントを参照してください)
これまでコメントにて多く長文をお書きいただいているので可能かと思いますが、能見氏の著書などから「血液型人間学」の「正確」な、「解釈」を”レジュメ”、あるいは本研究の評定項目に置き換えて、”記述”していただけますでしょうか?
申し訳ありませんが、はっきり言って前述のものでABOFANさんにとって”回答ができている”とお考えになられているのなら、文系学部のゼミ等でよく行われる輪読では”失格”レベルの雑さと曖昧さかと思われます。
よろしくお願いします。
(回答日時:2015/05/25 12:47:18)

回答ありがとうございます。では、順番に行きます。
>前半の「トマス」云々は正直何がおっしゃりたいのかよくわかりません。
――私は単に「統計データに血液型による差がある」事実を事実として提示しているだけです。疑似科学について語るのに、「統計データに血液型による差がある」かどうか管理者さんが理解できないなら、かなりまずい状態なのではないかと…。
>当該箇所は議論の文脈全体の本質的な問題、というよりはテクニカルな意味(修辞的な表現)の問題に近いものですので、どうしても納得いかない、とおっしゃられるのであれば再度改訂いたします。
――次は改訂後の文章です。
>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張している。
>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してないことである。
通常の日本語として、1) 客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張 2) この主張が「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してない は正反対の意味ですよね? あるいは、管理者さんの頭の中では、「客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分ける」と「「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してない」は同じ意味なのでしょうか? いずれにしても、管理者さんの“文脈”は理解に苦しむところです。
なお、私は能見正比古氏の著書はほとんど読破したつもりですが、管理者さんの語句説明のような「客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張」という趣旨の文章を読んだことがありません。どの本からの引用なのでしょうか?
>「正確」な「血液型人間学」の「理解」とはどのようなものなのか、”ABOFANさん”のお言葉でご説明いただけますでしょうか?
――この質問は(科学的には)意味がありません。なぜなら「正確」かどうかの定義が曖昧だからです。kikulogのように、私がいくら説明しても、相手が「正確でない」と言い張れば議論にはなりません。ただし、管理者さんの
>しかし、たとえばABOセンターページにおいて、…8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。…仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?
が矛盾しないことは、能見正比古氏の著書からの引用でも確認できます。次は『新・血液型人間学』の「はじめに」からの引用です。
>自然科学としての人間性の学は、長い人類史でも、これまで成立しなかった。人間の行動、表現、反応は多様を極め、人々はそれに振り回されて来た観がある。必要なのは、人間性について統一的な説明が可能であり、すぐに役に立ち、客観的でもある尺度、分類基準であった。それが血液型だったのである。
>生化学的意味では、体質型である血液型を、分類比較の基準とすることで、私たちは今、初めて客観的で実証性を持つ“人間性の知識”を手にすることができたのである。
「客観的な分類基準」と「客観的に判別可能」は修辞的な表現の違いではなく、明確に意味が異なるのではないかと…。管理者さんの勘違いの可能性が高と思います。
もっとも、このサイトの参考文献にある『血液型人間学』には、「客観的」という語句が上の『新・血液型人間学』と同じような意味で記述されているケースはないようです。こうなると、語句説明での「客観的」がどこから来たのかも含め、管理者さん説明にはかなりの疑問を感じます。
>これは”自己成就”のことを指しているのだと考えられます。
>つまり、能見氏の本が流行りすぎた「から」、血液型に対するステレオタイプが社会的に「広まり」、その人の本来の「性格」「気質」(この語がそもそも何を指すのか不明ですが)に影響を与え、「自己成就」につながった、ということです。
――ありがとうございます。従って、菊池聡教授の主張は、性格の自己報告のデータに「軒並みに何も出ない」ということですが、彼の主張は否定されることになります。あまり考えたくはありませんが、最も可能性が高いのは、菊池聡教授が意図的に“ウソ”を書いていたということです。
>特に「性格」というものがどのようなものを指すのかという定義自体、全ての学術領域で一致した見解を得られているとは言えませんし……。
――驚きました。管理者さんが、こんなことを書いて大丈夫なのでしょうか? というのは、「性格」の科学的な定義が曖昧だと、「血液型と性格」は「未科学」となり「疑似科学」ではなくなるからです。このサイトの評定もひっくり返ることになりますが、本当にいいのですか?
>ご自身で書かれていることですが、「差がある」ことと「有意な差がある」ことは全く別のものです。わかっておられて書かれているのかもしれませんが……。
――「自己成就」が正しいとするなら、原理的に全統計データにも「差がある」ことになります。仮に、その差が検出できないなら、実験方法が悪いと考えるしかありません。ですから、菊池聡教授は“ウソ”を書いていたということになりますが?
>また、「有意な差があった」としても、それは、1993年以前と2004年の期間で「血液型ステレオタイプ」が社会的に広まったことによる”予言の自己成就”の可能性が高いですよね、
――管理人さんの知識は本当に大丈夫なのでしょうか? 血液型ステレオタイプは、少なくとも1986年には明確に存在していました。例えば、1986年のNHK世論調査では、全体の75%が血液型と性格には「関係がある」と回答していますし、その後の調査でも毎回同じような傾向を示しています。また、血液型本が昔から売れ続けているのに、血液型ステレオタイプが存在しない、という推測は科学的に妥当とは言えないでしょう。
>これまで議論に上っている論文の中で、唯一ニュートラルな視点で考察されているのは、白佐氏のものですが、それについても著者自身が慎重な態度を保っていることが読み取れるかと思います。
――そうでしょうか? 「血液型性格判断(又は血液型人間学)の可能性には肯定的な判断に立たざるを得ない結果を得た」というのは、要するに肯定的な立場ということではないですか?
なお、小塩氏、大坊氏についての記述、あるいは検出力などの統計学の説明についてですが、今まで特に反論がないので、管理者さんは私の見方に同意した―統計データに差がある―と判断させていただきます。
長文失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/20 23:05:43)

ABOFANさん
議論が散らかりすぎているので、まずはわかりやすいところから……。
>この質問は(科学的には)意味がありません。なぜなら「正確」かどうかの定義が曖昧だからです。
――正直、お答えが予想通りすぎてびっくりしました。笑
こちらが聞いているのは、ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」ものですよ?そもそも、”>この質問は(科学的には)意味がありません”というこの返答の”語”自体、日本語として意味が通っていないのですが、ABOFANさんの「言葉」で語っていただくだけのお話で、こちらはなんにも難しいことを言っているつもりはありません。笑
なんというか、「血液型性格診断は肯定したいし否定派を批判もしたい…。そしてそれは能見氏の「血液型人間学」を正確に理解すれば明らかであるのだ!」とは言いながら、「でも、その”正確な理解”ということを自分の言葉では説明しません!」という態度ですと、こちらも「それじゃあ、ちょっとね…苦笑」と言うほかありませんし、それはつまり、ABOFANさんは議論の土俵にすら登れていないという状況を意味しているかと…。
また、
>なお、小塩氏、大坊氏についての記述、あるいは検出力などの統計学の説明についてですが、今まで特に反論がないので、管理者さんは私の見方に同意した―統計データに差がある―と判断させていただきます。
――ABOFANさん、これまでもこのようなモノの言い方を多用されていますよね?確かに、弁論”術”という意味において、相手をカッカさせる効果としてはこのような言い回しは十分すぎる威力です。実際、慣れないうちは私自身何度もイライラしましたし…。笑
まぁ、ABOFANさんがネット上の議論の場で身につけられた”護身術”のひとつなのでしょうが、やはりちょっと乱暴すぎると思いますよ?このような態度では誰からも相手にされませんし、
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4978878
少々悪意のある上記のような動画を誰かに作られたとしても文句は言えないでしょう。
不躾ですが、ABOFANさんを「血液型性格診断」に突き動かす原動力とはなんなのですか?血液型性格診断の何がそんなに”魅力的”で、なぜ能見氏への一切の批判を”許せない”のでしょうか?あなたにとって能見氏が人生の第一義となっている(ようにお見受けする)理由はなんなのでしょうか?
失礼なこととはわかっておりますので、お答えいただかなくても結構ですが、どうしてもお聞きしたいと思ったので文字に起こさせていただきました。
他の議論については追々返信いたします。
(回答日時:2015/05/21 23:37:58)

最近、血液型と性格には関連がある、という日本人の論文が英語で発表されました。ネット上では、かなり話題になっているようです。
Shoko Tsuchimine, Junji Saruwatari, Ayako Kaneda, Norio Yasui-Furukori (2015), ABO Blood Type and Personality Traits in Healthy Japanese Subjects [http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0126983]
現在、内容を読み込んでいますので、そのうち私見を述べたいと思います。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/17 23:28:10)

ABOFANさん
ざっと眺めただけですので軽軽なことは言えませんが、これまでご提示いただいた論文の中では、「肯定派」にとって最も有利なものかもしれませんね。
内容を読み込まれましたら、是非お教えいただきたく思います。 (回答日時:2015/05/18 08:35:00)

予定どおり、小塩氏以外の心理学者で、主張が180度変わってしまったケースがあることを説明します。今回取り上げるのは、大坊郁夫さん編著の『わたし そして われわれ』です。 
この本は、初版が1988年に出版され、Ver.2が1993年に、第3版であるミレニアムバージョンが2004年に出版されています。最初に読んで驚いたのは、私と同じことを考えていることです。
ほとんどのデータ(一部のバイアスがかかったものを除く)を見ると、日本人の70%程度は血液型と性格に関係があると思っています。そう思っている人の多くは、「×型は○○な性格」と感じているはずです。もちろん、「×型は○○な性格」はかなりの部分一致しています。そうじゃないと、血液型の話が盛り上がりませんから当然です(笑)。
つまり、本当に血液型と性格に関係があろうがなかろうが、統計データを分析すれば必ず血液型と性格には関係ある結果が得られる…はずです。
ところで、よく知られていることですが―日本の血液型のように―欧米では「星占い」が広く信じられています。しかし、多くの欧米の心理者は星座と性格に関係があるなんてことは「頭ごなし」に否定していて、まともに取り合う人はほとんどいませんでした。数少ない「まともな研究」の中では、アイゼンクのものが有名ですので、ここでは『わたし そして われわれ』から、その内容を紹介しておきます(p93 元データ: Eysenck, H. J. & Nias, D. K.B. 1982 Astrology: Science or Superstition?)。
>「知識なし群」は,自分のパーソナリティの判断で,星占いの予想とは全く一致していないが,「知識あり群」は,星占いの予想と偶然以上に一致した判断をしてしまうことがわかります。
つまり、自分のパーソナリティの判断で「星占い」どおりに統計データによる差が出た、ということです。そして、上の文章の直後には、同じことは血液型にもあてはまるとしています。
>日本ではABO式血液型とパーソナリティとの結びつきが広く信じられていますが,そのことが自分のパーソナリティの判断に歪んだ結果をもたらす可能性が予想されます。また,いったん信念ができあがると,それに一致する情報にのみ注意が向くことで,その信念(血液型ステレオタイプ)が変化しづらいことも明らかにされています。この事実は,自己判断に基づくパーソナリティの研究が抱える困難さについて示しています。
要するにこういうことです。本当に星占いと性格に関係があろうがなかろうが、欧米の一般の人(=星占いを信じている人と信じていない人の両方を合わせたグループ)のデータを取れば必ず星占いと性格には関係ある結果が得られることになります。日本人の血液型も同じことだと…。言うまでもなく、これは以前に何回も紹介した、坂元章氏や山岡重行氏と全く同じ主張です(もちろん、共同研究者である菊池聡教授の主張とは正反対となります)。
念のため、旧版もチェックしてみました。初版(1988年)の77ページとVer.2(1993年)にはこんな内容のコラムが掲載されていました。
>心理学の領域からみた血液型とパーソナリティとの関係はどのようなものでしょうか。“Psychological Abstract”という,毎年各国で発表された心理学関係の論文を網羅している雑誌で‘Blood Groups’という項目を調べてみると,ABO式血液型と,精神病の診断名や心理検査の結果との対応などについて,毎年2~3の報告がなされていますが,それぞれの特性と血液型との統計的有意な関係は見出されなかったというものがほとんどです。
つまり、統計的な関連はほとんど見出されなかったということですから、1993年以前(=統計データに「差がない」)と2004年では(=統計データに「差がある」)、統計的に差があるかどうかの判断が180度反対になってしまったことになります。
よろしいでしょうか? (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/16 22:38:58)

ABOFANさん
ご自身で書かれていることですが、「差がある」ことと「有意な差がある」ことは全く別のものです。わかっておられて書かれているのかもしれませんが……。
また、「有意な差があった」としても、それは、1993年以前と2004年の期間で「血液型ステレオタイプ」が社会的に広まったことによる”予言の自己成就”の可能性が高いですよね、というのが本文の文脈であるかと思われます。
このことは、山岡先生やABOFANさんから提供いただいた他の論文でも触れられております。
これまで議論に上っている論文の中で、唯一ニュートラルな視点で考察されているのは、白佐氏のものですが、それについても著者自身が慎重な態度を保っていることが読み取れるかと思います。 (回答日時:2015/05/20 16:53:14)

信州大学の菊池聡教授が共同研究者に加わったことで、俄然やる気が湧いてきました。少々厚かましいお願いですが、以前に未回答だった質問も含め、どうか回答のほどよろしくお願いいたします。
さて、前回の投稿では、菊池聡教授が「統計データは説明しない」ようにしているのかもしれない(?)という疑問を呈示しました。興味深いことに、これと同じ傾向が「この疑似科学とされるものの科学性評定サイト」の参考文献にも見られます。具体的には、小塩真司氏の『性格を科学する心理学のはなし―血液型性格判断に別れを告げよう』(2011年出版)です。
この本では、血液型と性格を否定するため、小塩氏はわざわざ1章(終章 血液型から性格を判断できないのはなぜか?)を割いて詳しく説明しています。
終章は147ページからあるのですが、いくら読んでみても―少なくとも私には―否定の根拠が不明でした。特に、氏の以前2冊の著書にあった統計的な分析は、見事に“消滅”してしまったようです。理由は不明ですが、何か都合が悪いことでもあったのでしょうか? 更に奇妙なことに、この本では、否定の根拠を探してはいけないような雰囲気(?)の記述も見受けられます。
>ときどき、「心理学では血液型と性格の関係を調べないのですか?」ときかれることがあります。しかし現在は、直接的に遺伝子と性格との関連すら調べることができるようになっているのです。なぜ今さら、血液型との関連を調べなければならないのでしょうか?(152ページ)
「なぜ今さら、血液型との関連を調べなければならないのでしょうか?」とまで言いきってしまうとは…。まさかとは思いますが、統計データを詳しく調べると、血液型と性格に関連があるという“不都合な真実”が発見されてしまうとでも言いたいのでしょうか?(笑)
不思議なことに、以前の氏の主張は全く逆でした。彼の以前の著書『はじめて学ぶパーソナリティ心理学』と『あなたとわたしはどう違う?』にあるとおり、きちんとした論文、そしてその論文にある統計的根拠を示して“血液型性格判断”を否定しています。
念のため、この本から削除されてしまった(?)統計データの説明を引用しておきますね。
■小塩真司氏『はじめて学ぶパーソナリティ心理学―個性をめぐる冒険』(2010年出版)
第9章 あなたは人を分類しているか(1) ――血液型性格判断の歴史
2.血液型性格判断の復活 (2) 実際にデータをとると 1970年代に再び血液型性格判断が世の中に広まったことから、心理学者たちも、実際にデータをとって関連が本当に存在するかどうかを検討するようになりました。科学的な態度というものがどのようなものであるべきかについては、すでに述べたとおりです。多くの研究者が納得できる方法で、たしかな関連がくり返し一貫して観察されるようであれば、その関連を多くの研究者が認めるようになります。しかし、血液型とパーソナリティ(性格・気質)との関連については、それがうまくいきませんでしたし、現在でもうまくいっているとは言えない状況にあります。(152ページ)
そして、その根拠の1つとして、このサイトの参考文献にも紹介されている、1991年に発表された松井豊氏の論文「血液型による性格の相違に関する統計的検討」が取り上げられています。読めばわかるとおり、松井氏の論文では「統計データに差がない」という結論になっています。この否定の根拠は、小塩氏のより以前の著書である『あなたとわたしはどう違う?』(※)でも基本的に同じといっていいでしょう。
※小塩真司氏、中間玲子氏の共著『あなたとわたしはどう違う? パーソナリティ心理学入門講義』(2007年出版)
ちなみに、この本でも、1991年の松井氏の論文をベースに「統計的」に否定しています。
以上の説明で理解できるかと思いますが、2010年には「統計データには関連がない」と主張していた小塩真司氏は、わずか1年後の翌2011年の著書になると「統計データの説明は拒否」と180度主張が変わってしまいました。実に不思議な現象というしかありません!
菊池聡教授や管理者さんには、ぜひこの事実を確認していただきたく、今回投稿させていただいた次第です。
しつこいようですが、「統計データに差がある」かどうかは事実の確認にすぎません。思想・信条や肯定・否定という立場とは関係ないのです。
大変失礼しました。
なお、次回の投稿では、小塩氏以外の心理学者でも、同じく主張が180度変わってしまったケースがあることを、改めて説明する予定です。どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/15 21:33:23)

ABOFANさん
>ときどき、「心理学では血液型と性格の関係を調べないのですか?」ときかれることがあります。しかし現在は、直接的に遺伝子と性格との関連すら調べることができるようになっているのです。なぜ今さら、血液型との関連を調べなければならないのでしょうか?(152ページ)
――この部分だけ引用すると確かに強い主張のように感じますね。特に「性格」というものがどのようなものを指すのかという定義自体、全ての学術領域で一致した見解を得られているとは言えませんし……。
「性格」という語の意味からして哲学的にも”弱い”ですし、叩き直しが必要であるとも考えます。(このことは血液型性格診断の肯定派否定派双方とも慎重になるべき点だとも思いますが…)
ただ、お見受けしたところこれは一般向けに書かれた本のようで、論文集とは意義も異なりますので、”出版向けに書いた意見”と捉えるのが妥当でしょう。ことさら大げさになるほどのものとも思えませんが。 (回答日時:2015/05/20 17:10:38)

以前の投稿がなかなか掲載されないようですが、次々に疑問が沸いてきましたので投稿を続けます。どうかよろしくお願いします。
さて、今回の更新で新たに参考文献として加わった、信州大学菊池聡教授の「なぜ疑似科学を信じるのか」には、非常に“奇妙”な記述が見受けられます。具体的には、次のp143の文章です。
>性格理論や調査法について専門的な訓練を受けた研究者が、それなりに実績のある複数の方法で、多方面から独立に調査した結果、軒並みに[統計的に有意な差が]何も出ないのである。
その「何も出ない」例として、p143には―このサイトの参考文献にある―松井豊氏(1991)の「血液型による性格の相違に関する統計的検討」が取り上げられています。ここまではまだ理解できます。ところが―何と驚くべきことに―p154には真逆の「統計的に有意な差が明確に出た」研究が堂々と紹介されているのです! それは、このサイトにも紹介されている、坂元章氏(2004)の「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」のベースとなった日本語の論文です(内容は2004年の英語版とほぼ同です)。
p154から引用しておくと「1978年から88年まで間に、A型の人は自分がA型的な性格と回答するようになり、一方でB型の人はわずかながら自分をB型的な性格だと回答する傾向が徐々に強くなってきたことを明らかにした」のだそうです。実は、以前にこの点を菊池教授に質問したことがあり、その当時は松井豊氏と坂元章氏の結論が“矛盾”していることは菊池教授自身も認めていました。こうなると、菊池教授の思考回路は全く理解不可能です…。
更に奇妙なことに、菊池聡教授はp159で山岡重行氏の主張も取り上げています(テレビ番組が増幅させる血液型差別 心理学ワールド2011年 http://www.psych.or.jp/publication/world_pdf/52/52-5.pdf)。この「心理学ワールド」の記事には、山岡氏自身の著書や論文も紹介され、当然のことながら、それらは「血液型性格判断はマスコミ情報に影響された思い込み」であるから「統計的に有意な差が明確に出た」という内容となっていました。なお、山岡重行氏の主張については、既に何回も書いているのでここでは省略します。
では、菊池聡教授は坂元氏や山岡氏の論文の内容を知らなかったのでしょうか? いや、「軒並みに何も出ない」とありますから、その可能性は極めて低いはずです。あるいは、山岡氏は「性格理論や調査法について専門的な訓練を受けた研究者」ではない(失礼!)ということでしょうか? それなら、そもそも菊池聡教授が山岡氏の研究を紹介することはあり得ません。こうなると―あまり考えたくはありませんが―最も可能性が高いのは、菊池聡教授が意図的に“ウソ”を書いていたということです。私には、他にうまい説明が見つかりません…。管理者さんはこの点についてどう思われますか?
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/14 22:48:30)

ABOFANさん
これは”自己成就”のことを指しているのだと考えられます。
つまり、能見氏の本が流行りすぎた「から」、血液型に対するステレオタイプが社会的に「広まり」、その人の本来の「性格」「気質」(この語がそもそも何を指すのか不明ですが)に影響を与え、「自己成就」につながった、ということです。
これは先の論文に対する解釈のところでもご指摘差し上げたはずですが……。 (回答日時:2015/05/20 17:15:24)

前回の投稿から3日足らずですが、まだ掲載されていないところを見ると、最近の管理者さんはお忙しいのでしょうか? もちろん、咎め立てするつもりは毛頭ありませんので、気にしないでください。
さて、今回の2015.5.13付け更新情報で大変驚いたのは―見落としでないとすれば―新たな共同研究員として、信州大の菊池聡教授が加わったことです。私が非常に気になっているのは、2005年頃を境にして―少なくとも統計データについては―彼の主張が正反対になったように見えることです。具体的には、血液型によって統計データに差が出ていることを“事実上認めてしまった(?)”ような内容の文章が散見されます。
《以前の主張》現実の統計データを分析しても血液型による差は認められない→血液型と性格には関係がない
《現在の主張》具体的な統計データや数値には一切触れない(=血液型性格論者が言うような「診断力のある差異はない」)→「診断力のある差異はある」のかどうかについては“回答拒否”
念のため、以前の主張の典型である月刊『百科』(1998年 不可思議現象心理学9 血液型信仰のナゾ-後編)から引用します。
>ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。/…「A型なのに、ぜんぜん凡帳面じゃない人はいっぱいいる」というように、血液型性格学に対する反証例を挙げる批判法。これも「身の回りの人が当てはまるから信じる」というのと同じ誤った考え方である。血液型学に限らず、おおよそすべての性格理論は統計的なものであって、集団全体の傾向としてしかとらえられない。たとえば筋肉を使った運動能力は女性よりも男性の方が優れていることに誰も異論はないと思うが、それでも特定の男性を取り上げれば、平均的な女性より力が弱い人はざらにいるだろう。
>必要なのは個々の事例ではなく、統計的な事実なのである。/いずれにせよ、血液型性格判断はなぜ虚偽なのか、これは提唱者が言うような性格の差が、現実に信頼できる統計データとして見あたらないという点につきる。
しかし、彼の現在の主張には、具体的な統計データや数値は「一切」登場しません。例えば、彼が講師を務めた放送大学「錯覚の科学('14)」テキストでの血液型性格判断の記述、そして授業としての放送が典型です。
余談ですが、2014年7月28日9時からの放送大学「錯覚の科学('14)」第13回「科学的思考と錯覚」では、初回に放送された血液型性格判断の批判部分に間違いがあり、訂正放送になりました。初回の放送は2014年7月4日16時からでした。差し替えになった部分は、大村政男さんの「ラベル付け替え」の実験です。
この実験は、別の血液型の特徴を、その血液型と言って示すと信じてしまうので、血液型と性格が関連する「科学的な根拠はない」というものです。初回の放送では、パネルによる説明で、本当の特徴のO型とAB型が逆になっていたのです。単純ミスなのだろうと思いますが、誰も気が付かなかったのでしょうか? 訂正放送では、この「ラベル付け替え」の実験の説明が全て削除されてしまいました。全部削除する必要はなかったのではないかと(私は)思うのですが…。
ということで、虫のよいお願いで大変恐縮ですが、管理者さんから菊池聡氏本人に、上の私の説明どおり彼の主張が変化したことを確認できるとすれば、相当議論が進展すると思います。お手数ですが、どうぞよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/13 23:49:51)

ABOFANさん
現在多忙のため、コメントへのレスポンスに少々時間がかかっております。ご迷惑をおかけします。
そのため、順序を変更して、先にこちらのコメントに回答いたします。
菊池聡先生には本研究の共同研究員として名前を頂戴しております。ABOFANさんの放送大学の講義に関する疑問について、軽々に確認しておきます、という約束をとりつけるわけにはいきませんが、このコメントは今後も一切触らずに掲載しておきますのでひとまずはそれでご容赦ください。 (回答日時:2015/05/15 22:44:17)

回答ありがとうございます。では、順にコメントして行きます。
>>特に反論のなかった次の3つの論文の解釈については、私に同意したものと判断しますのでよろしくお願いします。
>--??”解釈”されるのは結構ですが、論文に書かれている論旨とABOFANさんの”主張”には大変な乖離があります、とご指摘さしあげたのですが??
――直球を投げるとかわされる(苦笑)ようなので、今回はやや別の方向からボールを投げてみます。次の文章は、山本七平氏の『ある異常体験者の偏見』p132 聖トマスの不信からの引用です。
>「事実論」は思想・信条には関係ないから、「事実論」を思想・信条を基にして批判してはならない――という原則は、やはり新約聖書の時代からあるのだと思う。というのは「トマスの不信」という面白い話が出てくるからである。/「イエス・キリスト復活伝説」を知らない人はいないであろうし、今でも世界の多くの国で復活祭が祝われている。/ところが、イエスが処刑されて数日たって「イエスは生きかえった」という噂が広まり、それを「事実」とするムードが盛りあがったとき、弟子の一人であるトマスが言った、「私は(イエスの)その手に(十字架に釘づけされた)釘あとを見、自分の指をその釘あと(の穴)にさし入れ、自分の手をそのわきにさし入れて(槍でつかれたあとを調べて)みなければ、決して信じない」と。
>――非常に面白いことに、聖書は、このトマスの態度を少しも非難していないのである。/彼らにとっては、そう思ったら、そういうのが当然なのである。/まして、「そんなことを言うやつは、イエスの弟子とは認めない」といったり、やれ不敬だの、不信仰だのといった罵詈讒謗を加えた、などという記録は全くなく、淡々と、これまたそう書いてあるだけである。
ご存じのように、トマスはキリスト教圏ではポピュラーな名前であり、有名なトマス・エジソンのファーストネームも、この聖トマスのように正直であれという親の思いが込められています。私はキリスト教徒ではありませんが、今までの投稿の目的はこの「聖トマスの不信」のとおりです。統計データに血液型による差があるかどうかは、「血液型性格診断」の肯定・否定の立場とは何の関係もありません。同様に、「論文に書かれている論旨」や「ABOFANさんの“主張”」とも直接の関係はありません。論文の論旨がどうだろうが、私は単に「統計データに血液型による差がある」事実を事実として提示しているだけであり、それ以外の意図はないのです。念のため、前回の私の投稿を再掲しておきます。
>実際の山岡氏のデータ、例えば「だめな大人にならないための心理学」のp48にも、「28項目のうち血液型による差が見られたのは全体[血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群の合計]で8項目」とあります。従って、1)山岡氏の「文脈」による解釈 2)ご紹介の書評 3)私の解釈は、少なくとも「統計データに有意な差があるかどうか」に限ってはすべて一致しています。
繰り返しになりますが、1)2)3)は全て「山岡氏のデータには血液型により統計的に有意な差が見られた」ですから、管理者さんのおっしゃるように「論文に書かれている論旨とABOFANさんの“主張”には大変な乖離」があるとなぜ解釈できるのか―トマスの不信ではありませんが―私には全く理解できません。
>「語句説明」とは血液型性格診断の一般的な”概念定義”を端的に述べたものであり、「データの再現性」とは実証実験における再現性についてのべております。
――前者はそのとおりでしょう。しかし、後者の後半部分はそうではありません。念のため、該当部分をもう一度引用します。
>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
前者では、血液型性格診断の主張は「客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができる」とあります。しかし、後者の後半部分には『この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してない』とあり、この部分は「実証実験における再現性」とは特に関係がありません。よって、明らかにこの「語句説明」と「データの再現性」の記述は矛盾することになります。よろしいでしょうか?
>しかし、たとえばABOセンターページにおいて、…8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。…仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?
――これは「血液型人間学」を正確に理解しているとするなら、特に矛盾する記述ではありません。性格の分類基準としては、心理学の性格検査(=自己報告)のような「主観的」なものは適切でなく、自然科学的に決定できる血液型なら「客観的」だから妥当だという意味です。今回は残念ながら発見できなかったのですが、過去のABOセンターのサイトには「血液型物質は、人間を含めた生物全ての、材質の違いを示している、今のところ唯一とも言える客観的な基準です。」といった説明が掲載されていました。能見正比古氏の『血液型人間学』シリーズにも同じ趣旨の説明がありますので、参考までに付記しておきます。
以上のことから、率直に申し上げると、管理者さんが「血液型性格診断」をきちんと理解しているのかどうか、私はかなり大きな疑問を持っています。
ところで、ご紹介の動画の作者であるKumicitさん(当時)は、血液型で使うようなノンパラメトリック検定を正確には理解していませんでした。理解できないものを批判するといった大それたことは、小心者の私には到底真似できるものではありません(苦笑)。詳細は次の私のブログをご覧ください。
面白いブログ「忘却からの帰還」の間違いを発見!(続々々々) http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2008-10-24-1
余談ですが、過去に何回も統計ネタを管理者さんに振ったところ、現在まで見事に全部スルー(!!)されました。ですので、管理者さんは統計が大の苦手な純粋な文系なのだと勝手に推察しています。まともな議論で、流石にここまで全部スルーされた経験はほとんどない(kikulogの菊池さんぐらい?)ので…。
またまた余談ですが、最近読んだ山口周氏の『外資系コンサルの知的生産術』に、こんな話が紹介されていました。トップクラスのMBAを持っている才媛が入社したときのエピソードなのだそうです。
「だって、○○先生は、この分野の世界的な権威で、すごく尊敬されているんです。その先生がそういうんだから間違いありません」→「いや、その先生が高名かどうかはどうでもよくて、君自身はどうしてこれが正解だと思ったのか、その根拠を聞きたいんだけれど…」…(以下、繰り返し・笑)
『血液型人間学』の提唱者である能見正比古氏は東大工学部卒です。彼の学歴だけ見れば「権威」と言えないこともないですが、実際には本人も周囲も全くそう思っていませんでした。これに対して、管理者さんにとって心理学者は「権威」かもしれませんが、私は心理学者やその論文の多くは「権威」ではありません(特に日本語の論文は間違いが多くて…苦笑)。今後もあくまで、「聖トマスの不信」で行くつもりです。どうかよろしくお願いします。
長文大変失礼しました。
【追伸 文字化けの可能性があるので、恐縮ですが再度投稿します】 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/12 00:34:09)

ABOFANさん
前半の「トマス」云々は正直何がおっしゃりたいのかよくわかりません。が、これって、これまでのABOFANさんのご発言で多かったように、ご自身へのブーメランではありませんか?笑
後半の「語句説明」と「データの再現性」の記述に関するご指摘は、一度改訂しておりますのでもう一度よくお読みください、としか言いようがありません。しかし、当該箇所は議論の文脈全体の本質的な問題、というよりはテクニカルな意味(修辞的な表現)の問題に近いものですので、どうしても納得いかない、とおっしゃられるのであれば再度改訂いたします。

最後に、ABOFANさんにこれだけはお答えいただきたいのですが……。
これまでABOFANさんは再三、
>これは「血液型人間学」を正確に理解しているとするなら、特に矛盾する記述ではありません。
――といった文脈、特に「血液型人間学を正確に理解している”なら”」といったことを述べられております。
では、「正確」な「血液型人間学」の「理解」とはどのようなものなのか、”ABOFANさん”のお言葉でご説明いただけますでしょうか?繰り返しますが、ABOFANさんのお言葉、お考えで結構です。このことは以前、菊池誠先生がどこかのウェブサイトでご指摘されておりましたことでもあります。
どうか、ABOFANさんがおっしゃる「血液型人間学」の「正確な理解」とは、果たしてどのようなものなのか……、”ABOFANさんご自身”のお考えを最初の「立論」段階から(何でしたら本研究の評定に照らし合わせてでも結構です)お聞かせください。 (回答日時:2015/05/20 17:45:49)

管理者さんへ
回答ありがとうございます。では、特に反論のなかった次の3つの論文の解釈については、私に同意したものと判断しますのでよろしくお願いします。
山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」/「血液型性格判断の差別性と虚実性(自主企画②)」山岡重行/「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
もし、同意していないということであれば、お手数でも再度の意思表示をお願いします。
>ご指摘いただいた誤記、誤植を確認し、訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
――早速の訂正ありがとうございました。しかし、なぜか次の「血液型性格診断」の定義部分は基本的に直っていませんね。
>また、次の2つの文章は矛盾しています。
>>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
>>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
管理者さんは、どちらが“本当”の「血液型性格診断」言説の主張と捉えているのでしょうか? 私がわざわざ強調するまでもなく、ここが議論の最重要なポイントとなりますよね。ですので、管理者さんの次の記述
>今信じられている「血液型性格診断」はウソですが
の「ウソ」である根拠が未だにはっきりしません。そもそも定義が曖昧なら「ウソ」とは断定できないでしょうから…。
もっとも、過去に何回こういう質問をしても、管理者さんは毎回“回答拒否”という結果となっているので、今回はちょっと趣向を変えて進めることにします。それは、管理者さんの過去の発言から管理者さん自身の主張を明確化するというものです。もちろん、この方法は科学的論争としてはかなり変則的です。しかし、冒頭にあるように、管理者さんの「血液型性格診断」言説の定義が曖昧であるため、他に適切な方法がないのでやむを得ないと考えます。繰り返しになりますが、「疑似科学とされるものの科学性評定」をするのに、肝心の「疑似科学=血液型性格診断」言説の定義が曖昧、というのは本来おかしいので…よろしいでしょうか?
さて、管理者さんの主張について書く前に、まず管理者さんの現状や前提について整理することにしますね。
>先の山岡重行氏のデータについてですが、氏が主張したかった文脈とは全く違う解釈をABOFANさんは得られているように思います。下リンク先の「ダメな大人にならないための心理学」の書評を一度ご覧ください。 http://ci.nii.ac.jp/els/110002785191.pdf?id=ART0003124059&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1431039074&cp=
――なぜか原文の引用がないので、このリンクで該当すると思われる部分を次に引用します。違うのであればお手数でもご指摘ください。
>第二夜(第二章)、第三夜(第三章)では、思いこみや間違いの形成とそれが引き起こす現象について、偏った情報・ステレオタイプ・偏見・差別、詐欺といった問題へ発展していく可能性を指摘している。まず、血液型による性格診断による性格診断の誤り、根拠のなさを実証的研究によって説明し…
次に、山岡氏の主張したかった「文脈」についてです。以前に何回も紹介しましたが、念のため再掲します。
>①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。②aしかし、血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群に分けると後者では有意差が見られない。②bこのことから血液型による自己評定値の有意差は知識があり信じている人達の思い込みに過ぎないと判断できる。①と②aの人数はほぼ同数ですから、日本人のアンケート結果ではほぼ確実に「血液型による有意差が見られる」ことになります。
実際の山岡氏のデータ、例えば「だめな大人にならないための心理学」のp48にも、「28項目のうち血液型による差が見られたのは全体[血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群の合計]で8項目」とあります。従って、1)山岡氏の「文脈」による解釈 2)ご紹介の書評 3)私の解釈は、少なくとも「統計データに有意な差があるかどうか」に限ってはすべて一致しています。なぜそれが「氏が主張したかった文脈とは全く違う解釈」になるのか、全く理解に苦しむというのが私の正直な気持ちです。繰り返しになって恐縮ですが、過去にこういう「回答」をすると、多くは管理者さんから何の反応もありません。それらが、私が出した質問ならまだわかります。しかし、管理者さんからの質問に対して、私の回答のほとんどが「無視」される、という事実は「科学的論争」として到底承服できるようなものではありません。そこで、少々勝手ではありますが、今回は管理者さんから何も回答がなければ、私の主張に「同意」されたということで進めますので、予めご了承くださるようお願いします。
>また、誤解される恐れがあるのでここまでこの話題は控えておりましたが、統計的データの「有意差」と「効果サイズ」は別の話であることはご存じでしょうか?
――この質問は意味不明です。そもそも、「有意差」と「効果量」(一般的には「効果サイズ」ではなく「効果量」を使うようですが…)は、そもそも混同しようがありません。例えば、前回の私の投稿なら、「効果量」は0.3(=平均値の差)÷1(=標準偏差)なのでd=0.33が得られます。この得られた結果をt検定の数値に当てはめると、効果量は「小」(d=0.2)と「中」(d=0.5)の間となりますよね。あるいは、相関係数rで判断するなら、ユールのQやクラーメルのVを使ってもほぼ同じ結果になります(もし違うというなら、ぜひ計算結果をご提示ください)。つまり、どう頑張ってみても「有意差」と「効果サイズ」は“誤解”されるような性質のものではありません(笑)。そもそも、「効果量」の計算は、私のサイトで「普通の質問では、効果量(effect size)はせいぜい中程度」といったように、既に紹介済みのものですし…。 http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/relation.htm

キシリア・ザビさんへ
>せいぜい五割ということは、まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦、と同じくらいのレベルか。ニュータイプとは比較もできぬな。
――いやぁ、年代がわかりますね(笑)。おそらく、管理者さんはこのギャグは理解できないでしょう…。余談ですが、私は“ニュータイプ”でありませんが、ニュータイプレベルの達人も存在しているそうです。どうやって当てているのでしょうね? なお、たまに特定の血液型にだけ当てはまるという特徴が現れたときなら、私でも「八割くらい」は当たりますが、そういう場合は残念ながら少ないです。これについても、ある程度データに基づいて説明できますので、もし興味があるなら、そうおっしゃってください。
>どちらにしても、私にとっては今後、気にしなくともよい程度だということはよく分かった。
――ありがとうございます。重々ご承知かと思いますが、「せいぜい五割」は「私の勝手な判断」とは全く関係ありません。能見正比古氏などの「血液型性格診断」のデータに基づいて「機械的」に計算するとそうなる、というだけの話です。ですので、特に感謝されるようなことではありません。どうかお気になさらないようお願いします(笑)。

長文失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/10 10:00:03)

ABOFANさん
>特に反論のなかった次の3つの論文の解釈については、私に同意したものと判断しますのでよろしくお願いします。
--??”解釈”されるのは結構ですが、論文に書かれている論旨とABOFANさんの”主張”には大変な乖離があります、とご指摘さしあげたのですが??

>また、次の2つの文章は矛盾しています。
>>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
>>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
管理者さんは、どちらが“本当”の「血液型性格診断」言説の主張と捉えているのでしょうか? 私がわざわざ強調するまでもなく、ここが議論の最重要なポイントとなりますよね。
--補足が必要かもしれません。まず「語句説明」とは血液型性格診断の一般的な”概念定義”を端的に述べたものであり、「データの再現性」とは実証実験における再現性についてのべております。少々誤解を招く記述であることに間違いはないのですが、血液型性格診断の”概念定義”と”実証実験における再現性”の記述でありますので両者は矛盾しないものと考えます。というか、「データの再現性」ではそのあとに、
>血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してないことである。そのため、「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」と言い訳ができてしまう。このように反証データを得ても、再現性を否定できる構図にないので、評価は低い。
--と、このように書いています。行間や文脈を読んでいただかなければわからない記述なのは確かで申し訳ないのですが……。

しかし、たとえばABOセンターページにおいて、
【血液型10の心得】
1. 血液型の先入観で人の性格を決めつけることなく活用しよう。
2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。
3. 血液型の特性の違いは、努力の方向性を知る手がかりとしよう。
4. 血液型で相性の良し悪しはない!互いの努力のポイントを知る手がかりとしよう。
5. 血液型は人の善悪を言うものではなく、機能や特性の違いだと理解しよう。
6. 血液型だけで能力は決まらない!当然だが誰にでも全ての可能性があると知ろう。
7. 血液型は人の好き嫌いに利用するものではない。気質の違いを認める器を持とう。
8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。
9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。
10. 血液型の違いを知ることは、人間同士の真の共通性を確認することだと理解しよう。

--このような記述が見受けられます。仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?ABOFANさんが「語句説明」と「データの再現性」の記述に矛盾があると思われたのならば、それはまさに血液型性格診断自体に矛盾があるということを自らお認めになったということかもしれませんよ?

>この質問は意味不明です。そもそも、「有意差」と「効果量」(一般的には「効果サイズ」ではなく「効果量」を使うようですが…)は、そもそも混同しようがありません。
--これについてですが、ネット上で以下のような動画を見つけました。作成者は知りませんし、ここで言われているABOFANという方があなたと同一かどうかも判別不明であり、少々悪意のあるものでもありますが、とりあえずこの動画がABOFANさんのおっしゃりたいことに対して”正解”なのか”不正解”なのかお教えください。
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4978878

ファーストガンダムネタで盛り上がるのも結構ですが…
(回答日時:2015/05/11 15:11:29)

丸3日が経過しましたが、その後いかがでしょうか? さて、前回はケーススタディのみのだったので、今回は統計用フリーソフトであるEZRを使って計算してみました。参考文献は平井明代氏の「統計:検定力分析」です。http://www.u.tsukuba.ac.jp/~hirai.akiyo.ft/meeting13.files/SLAA_5_16%28withoutimage%29.pdf
平均値差・標準偏差などの仮定は、山岡重行氏のデータ(ダメな大人にならないための心理学 pp49-52)を参考として、次のとおりとしました。
平均値の差=0.3/標準偏差=1/α=0.05(タイプ1エラー=危険率)/β=0.8(タイプ2エラーにならない確率=検出力)/両側検定
話を簡単にするため、便宜的に4つの血液型の比率は同じものとし、「ある血液型」と「他の血液型」の2群の平均の差で計算することにします。この条件でEZRを使って計算してみた結果、必要なサンプルサイズは117+351=468人と「数百人」ということになりました。参考までに、以下はEZRの計算結果の抜粋です。[> SampleMean(0.3, 1, 0.05, 0.80, 2, 3 ) ]
仮定:2群間の平均値の差 0.3/標準偏差 1/αエラー 0.05/両側検定/検出力 0.8/N2とN1のサンプルサイズの比 3→必要サンプルサイズ:N1 117/N2 351
逆に、サンプルサイズを261人とした場合は、検出力は0.554となりますから、ほぼ半分は差が検出できないタイプ2エラーということになります。[> PowerMean(.1, 1, 0.05, 65, 2, 3.01538461538462 ) ]
2群間の平均値の差 0.3/標準偏差 1/αエラー 0.05/両側検定/サンプルサイズ N1 65/N2 196/検出力 0.554
現実には、平均値の差=0.3はほとんど「最大」のケースなので、「普通」にあるような平均値の差=0.1で計算してみると、検出力は0.104となり、ほぼ10回に1回しか差が検出できないという結果になりました。これで納得していただけましたでしょうか?
閑話休題。以前はRでコマンドを直接を入力していたので面倒だったのですが、EZRでは随分と簡単になったものです(笑)。
仮定のミスや計算違いなどがあればご指摘ください。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
先の山岡重行氏のデータについてですが、氏が主張したかった文脈とは全く違う解釈をABOFANさんは得られているように思います。下リンク先の「ダメな大人にならないための心理学」の書評を一度ご覧ください。
http://ci.nii.ac.jp/els/110002785191.pdf?id=ART0003124059&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1431039074&cp=
また、誤解される恐れがあるのでここまでこの話題は控えておりましたが、統計的データの「有意差」と「効果サイズ」は別の話であることはご存じでしょうか?

 ふむ。
 せいぜい五割ということは、まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦、と同じくらいのレベルか。
 ニュータイプとは比較もできぬな。
 どちらにしても、私にとっては今後、気にしなくともよい程度だということはよく分かった。
 貴重な情報提供、感謝する。
(投稿者:キシリア・ザビ)

管理者さんへ
>――この「最低でも数百人」程度のサンプルが必要、というのは何が根拠となっている理論なのでしょうか?
――さすがに、この回答には少々ムッとしました。過去に何回も説明しているのですが、ご要望ですのでしつこく再掲します。かなり失礼な言い方になりますが「読解能力」以前の問題ではないですか?
まず、山下氏のデータがタイプ2エラーであることについてです。前回紹介した山岡氏の6660人のデータのうち、彼の著書「ダメな大人にならないための心理学」p49-52には、1999年に調査したデータを統計的に検定した結果が紹介されています。サンプル数は1300人で、全質問28項目中7項目で有意な差があります(最大のF値は7.816なのでp<0.0001で有意)。では、血液型による差が同じだと仮定し、サンプル数を山下氏と同じ261人(約1/5)に減らして再計算してみます。F値はサンプル数に比例するので、最大のF値は7.816÷5=1.569[正確には7.816×261÷1300]となり全28項目のいずれも有意差は検出されません。あるいは、p<0.05で有意とするなら、400人程度以上のサンプルが必要となります。よろしいですか?
――なお、この私の説明に対しては、管理者さんから、次の“回答”をいただいていますので、参考までにお示ししておきます。
>専門用語、業界用語を並べたてられるのも結構ですが、まずは論文、あるいは文献を”精確”に”読む”ということを心がけてみてはいかがでしょうか。 (投稿者:ABO FAN)

管理者さんから、“荒れている”というコメントをいただいたので、事実のみ指摘させていただきます。
このサイトは非常に誤記や説明不足の点が多いのが特徴です。一例を挙げれば、
>語句説明 A、B、Oとは遺伝子を意味しており、メンデルの遺伝法則にしたがって個人を標識する抗体である。そのため、AAまたはAOの組合せでA型に、BBまたはBOの組合せでB型に、OOの組合せでO型に、ABの組合せでAB型になる。
――1)「抗体」は「抗原」の誤りです。2)一般にA、B、O型は「表現型」と「遺伝子型」の両方に使われますが、上の文章には「表現型」の解説がありません。なお、O型はA、B型に対して劣勢であり、単純なメンデルの法則に従うのではなく、複対立遺伝子を構成しています。
また、次の2つの文章は矛盾しています。
>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
――「語句説明」と「データの再現性」の2つの項目で、「血液型性格診断」に対する説明がこれほど違う(全く正反対)の記述をするというのでは、少なくとも科学的とは言えないでしょう。
キリがないのでこの程度にしますが、このような「誤記」などについては、私が何回指摘してもほとんど“回答拒否”であり、現在までサイトの内容に特に何の修正もされていないようです。詳細については、過去の投稿と回答をご覧になればわかります。
余談ですが、
>今信じられている「血液型性格診断」はウソですが
――この文章では「ウソ」の根拠がはっきりしません(「科学的」ではない)ので、どうか根拠となる文章の例示をお願いします。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFANさん
ご指摘いただいた誤記、誤植を確認し、訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
なお、「表現型」などの解説は本論の主旨との関連性は低いと判断いたしましたので省略させていただきます。

管理者さんは、おそらく本気で書いているということでしょうか…。
>――他のABOFAN様の文脈から鑑みると、つまり、山下氏や他に挙げ”ていただいた”方の論文で「有意差はなかった」という結果が出たのは彼女らの実験手法に誤りがある、とおっしゃりたいのですか?でしたらなぜ、上記の方々の論文を紹介くださったのでしょうか?ABOFAN様からの情報提供ですよね?
――山下玲子氏の論文で差が出ない理由は、過去に再三書いたとおりです。
1) 通常のデータでは、χ2検定やF検定を使った場合、「血液型による有意な差」を検出するためには「最低でも数百人」程度のサンプルが必要です。山下玲子氏のサンプルは「261人」ですので、そもそも差が出る可能性は非常に低いです。
2) 「血液型による有意な差」を検出するためには、上の1)の条件に加えて、大きな差が出る「有名な特性」についての質問である必要があります。山下玲子氏は「有名な特性」についての質問はしていないので、差が出なくとも特に不思議ではありません。
この1)2)については、統計学を理解している人なら、わざわざ私などに質問するような面倒なことは不要です。自分で「能見正比古氏」などのデータを使って計算すればわかることです。が、管理者さんは統計学の基本が理解できない―少なくとも表面上は理解できない態度を取っている―ので、残念ながらここに書くだけ無駄でしょうか…。
3) 上の1)2)の条件を満たしている、坂元氏、山岡氏、白佐氏のデータでは、全て「統計的に有意な差」が見い出されています。逆に1)の条件しか満たしていない縄田氏のデータでは差はありません。

キシリア・ザビさん、はじめまして。私でよければお答えします。
>例えば私がB型だとして、いわゆるB型の特徴的な性格に「明確に」当てはまると言える可能性は何%くらいあるのだろうか。
質問項目によりますが、通常は半分程度です。これは、現実のデータで裏付けられているものです。例えば、渡邊席子氏(※)によると「個人が持っている信念のうち、通説と一致しているのは4~5割であり…」とあります。もっとも、「有名な特性」ではこれ以上のものもありますが、数は少ないです。
※渡邊席子(1994年)血液型ステレオタイプ形成におけるプロトタイプとイグゼンブラの役割 社会心理学研究 第10巻第2号 p.77~86 http://ci.nii.ac.jp/naid/110002785240
>あるいは例えばO型の人間と区別できる可能性は何%くらいなのだろうか。(それは「B型の性格の特徴のどれかに依存する」というような返答は期待していない。端的に知りたい)
これは意外と低いです。実際に計算してみると(もちろん、やり方や質問項目によりますが)せいぜい50パーセント程度です。これは、私の実感とも一致します(苦笑)。参考までに私の計算結果は次のとおりです。
[血液型と性格]の謎を推理する なぜ人の血液型を当てることができないのか? http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/mystery.htm
そういう意味では「どうということはない」レベルであることは確かです(笑)。逆の言い方をすれば、普通に話題にしても大した問題にはならないので、いわゆる“差別”には程遠いものだと(個人的には)思っています。これについても、山下玲子氏のように現実のデータはありまして、
山下 玲子(武蔵大学 社会学部)血液型性格判断はなぜすたれないのか 日本社会心理学会 第49回大会(2008)http://db1.wdc-jp.com/cgi-bin/jssp/wbpnew/master/detail00.php?submission_id=2008-E-0208
したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
他にご質問があればご遠慮なくどうぞ。私でよろしければ喜んでお答えしますので。どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>1) 通常のデータでは、χ2検定やF検定を使った場合、「血液型による有意な差」を検出するためには「最低でも数百人」程度のサンプルが必要です。山下玲子氏のサンプルは「261人」ですので、そもそも差が出る可能性は非常に低いです。
――この「最低でも数百人」程度のサンプルが必要、というのは何が根拠となっている理論なのでしょうか?おそらく「統計学」とおっしゃりたいのでしょうが、統計学では”何を測定したいのか”によって有効である(誤差の少ない)標本サンプル数も異なる、と考えるのが一般的ですよね。「血液型性格診断」には「”最低でも”数百人必要」というのは、何が根拠となっているものなのでしょうか?また、山下氏の「261人」は厳密に言えば”数百人”という基準を満たしているように思えるのですが……。

 申し訳ない。どちらでもいいのだが、気になっていることを明らかにしていただけないだろうか。
 例えば私がB型だとして、いわゆるB型の特徴的な性格に「明確に」当てはまると言える可能性は何%くらいあるのだろうか。あるいは例えばO型の人間と区別できる可能性は何%くらいなのだろうか。(それは「B型の性格の特徴のどれかに依存する」というような返答は期待していない。端的に知りたい)
 それが一割や二割なら無視できるし、五割でもどうということはない。八割くらいだというのなら真面目に考えてやってもよい。
 知ってのとおり、私はあまり賢くはない。その私にわかるように「簡潔に」説明していただけないだろうか。(400文字…でなくてもせめて800文字以内くらいで──いわゆる「梗概」ってそんなものだろうし)

(投稿者:キシリア・ザビ)

キシリア・ザビ様
ご投稿ありがとうございます。
本研究での「評定」は総評にある通り、能見氏を起源とし、現在一般に広まっている「血液型性格診断」なるものに関しては懐疑的な立場をとっております。ただし、血液型と医学や疫学的な観点にまで視野を広げると、将来の予測性はそれほど低くはないのではないか、というのが暫定的な見解です。
まぁザックリと誤解を恐れずに言いますと、今信じられている「血液型性格診断」はウソですが、ABO式血液型には侮れない一面がある、といったところです……。
余談ですが、「血液型性格診断」の投稿ページは少々「荒れて」おり、閲覧された方々で不快な思いをされた方がいるかもしれません。管理者としてお詫びいたします。申し訳ありません。

以下は、統計学を知っている人向けの内容になります。かなり長文ですがご容赦願います。
・山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」
――この論文の論旨について再掲します。
1) したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
2) ところで、山下氏の「考察」として紹介されている、
>科学的根拠がないとされながら、特定の血液型(全体から見ると少数派)の人が不快感を抱くような内容を持つ血液型性格判断は、娯楽の形で人々の間で話題にのぼることが多い。そして、娯楽であるがゆえに、悪く言われている人たち自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。その結果、それに対する肯定的な意見のみが優勢であるという見かけ上の合意が形成される。このメカニズムによって、血液型性格判断は多くの人に支持され、肯定的に評価されているものであると多くの人が信じるようになり、異議を唱える人を沈黙させることで、さらに広まっていると考えられる。
――この記述は、彼女自身のF検定の結果とは矛盾します。なぜなら、
>血液型別に、…血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
とあり、B型が他の血液型の人より血液型の話題に不快を感じていても、「血液型性格判断の話題を行う頻度」「血液型性格判断の話題への好み」は他の血液型と同じだというのです。こうなると、『悪く言われている人たち[B型]自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。』とは必ずしも言えないことなります。妥当な解釈は、B型は他の血液型よりストレートに不快感を感じる、ということでしょう。つまり、血液型によって感じ方、あるいは性格が違うことになります。(笑)
・「血液型性格判断の差別性と虚実性(自主企画②)」山岡重行
――この論文の論旨について再掲します。①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。②aしかし、血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群に分けると後者では有意差が見られない。②bこのことから血液型による自己評定値の有意差は知識があり信じている人達の思い込みに過ぎないと判断できる。
――①と②aの人数はほぼ同数ですから、日本人のアンケート結果ではほぼ確実に「血液型による有意差が見られる」ことになります。②bは金澤正由樹氏によって否定されています。内容については後述します。
・「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
――この論文の論旨について再掲します。
1) 最近の日本で広く普及している血液型ステレオタイプが、日本人の性格に影響し、自己成就予言として働いているかどうかを調べるために実験を行った。1978年から1988年まで、毎年無作為に選ばれた32,347人の被験者のデータを分析した。その結果、自己評定の性格でA型とB型には有意な差が見られたが、それは1984年より後のことであった。1984年には血液型に関連する話題が非常に多かったのである。このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している-少なくとも自己評定の性格では-血液型は自己成就予言として働いているが、影響の大きさには検討の余地がある。
2) もっとも、上の内容にはいくつか問題点があります。①1984年の話題の多さが出版点数のみで販売部数は考慮されない②自己成就予言の直接的な存在証明がない、です。①は明らかに妥当ではなく②は金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』で直接的に否定されています(多く知られている特性でも差が小さい場合が多く、逆に知られていないのに差がある特性もある[詳細は後述])。②の要約は拙サイトにあります。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
・「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲
――この論文の論旨について再掲します。
その結果は、「血液型と性格とは何らかの関係がある」、「血液型によって性格特徴が異なる」、「四つの血液型には特徴的な性格傾向がある」などという説を、非常に漠然とした弱い関係のものとしてではあるが、支持するものであった。つまり、「血液型によって性格特徴が異なる」とする説を、積極的に支持しないにしても、血液型性格判断(又は血液型人間学)の可能性には肯定的な判断に立たざるを得ない結果を得たわけである。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/shirasa.htm

以下は全体のまとめです。実は、日本人の統計データであれば、必ず差が出ているのです!
このことは、血液型と性格の研究をする心理学者の間で「公然の秘密」となっています。
ですから「統計データに差がない」と正面切って主張する人は、現在ではかなり少数派となってしまいました。せいぜい、「日常性格に影響はないことは証明されている」程度でお茶を濁しているのが現状です。言い換えれば、差が出ていること自体は否定しないということになります。
理由は簡単です。
坂元氏(あるいは山岡氏)の論文の結論は、①日本人の大多数は血液型と性格の知識を持っている②自己成就現象によって自己評定の性格が血液型の影響を受けている③よって日本人の性格の自己評定のデータ(=ほとんどの心理学の研究論文)には血液型による差が見られる、というものです。このことは現在の日本人一般に適用できるはずなので、どの日本人の統計データも必ず血液型による差が出ることになります。逆に、関連リンクにある『「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)』で差が出ていないのは、質問の内容が経済的なものだけで、血液型に関するものがないからだ、と考えるしかありません(論理的には…です)。
その意味では、この「統計データに差がない」という縄田氏の論文が日本心理学会の学会誌『心理学研究』に掲載されたのは、たまたま査読者がこの「公然の秘密」を知らなかったのか、あるいは知っていながら「何からの意図」があって、あえて掲載したかのどちらかでしょう。いずれにしても、科学的だとは言えないのではないでしょうか?
ところで、前述の坂元氏や山岡氏の心理学論文では、統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」によるもの、という結論になっています。ところが、彼らの論文を読んでみると、その検証は間接的なもので、直接的なものではありません。私が知る限り、直接的に検証したのは金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』のみです。ここでは、その内容を簡単に紹介します。
金澤氏は、その血液型特性が知られている割合と、データの差の大きさの関係に着目しました。仮に、血液型による統計データの差が「自己成就現象」や「思い込み」によるものなら、その特性が知られていればいるほど差が大きくなるはずです。逆に、ほとんど知られていない特性なら、「自己成就」や「思い込み」は小さいので、大きな差が出ることはありません。
結果は意外なものでした。その特性が知られている割合と、差の大きさには関係がなかったのです。また、ほとんど知られていない特性でも安定した差が見られました。つまり、血液型による統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」ではなかったのです! 実際の統計データはこちらです。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>以下は全体のまとめです。実は、日本人の統計データであれば、必ず差が出ているのです!
このことは、血液型と性格の研究をする心理学者の間で「公然の秘密」となっています。
――他のABOFAN様の文脈から鑑みると、つまり、山下氏や他に挙げ”ていただいた”方の論文で「有意差はなかった」という結果が出たのは彼女らの実験手法に誤りがある、とおっしゃりたいのですか?でしたらなぜ、上記の方々の論文を紹介くださったのでしょうか?ABOFAN様からの情報提供ですよね?
というか、元々
>次は「社会への応用性」です。
> 血液型性格診断が社会において有効的に活用されているとはいえない。
そうでしょうか?
山下 玲子(武蔵大学 社会学部)血液型性格判断はなぜすたれないのか 日本社会心理学会 第49回大会(2008)http://db1.wdc-jp.com/cgi-bin/jssp/wbpnew/master/detail00.php?submission_id=2008-E-0208
したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
――と、おっしゃられているのですが……。

正直、この回答を読んで、どう反応するべきなのか悩んでいます。なぜなら、私の質問にはほとんど“回答拒否”ですし、特に統計関係については全く回答をいただいていないからです。その典型例が、山下玲子氏の記述についての次の記述です。
>>結果
>(1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について
>調査対象者の血液型はそれぞれA 型92 名、B 型59 名、O型78 名、AB 型32 名であった。血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
>――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
――しつこいようですが、「ABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。」とありますが、そもそも私が何も主張していないものに対して「整合性」云々の話になるはずがありません。その後、私のサイトの(それらしき?)データの紹介をしても反応がないので、別に原文の引用をお願いしました。しかし、これまた完全にスルーされました。スルーの理由についてもわかりません。私の再三の質問は無視、しかも元々は管理者さんからの質問であるにもかかわらず、私の回答に対しては全くの“回答拒否”です。この状態で、「上記の研究結果や論文の論旨について、ということで、その点は双方同意できるかと思います。ここはお間違いないでしょうか?」と私に質問するのはいかがなものでしょうか?
また、山下玲子氏、山岡重行氏の論文の趣旨については、過去の投稿でかなり多くを解説してきたつもりです。それらを読めば、私の主張がわからないはずはありません。また、仮にわからないとしても、その時点で質問すればいいだけの話です。しかし、なぜか投稿した時点では、私への質問はほとんどありませんでした。
もちろん、過去にこういうパターンは何回も経験しています。その多くは、①私の主張は理解しているが(都合が悪いので)理解しないフリをしている、②特定の主義主張(イデオロギー)があるので私の主張を頭から受け付けない、という場合が大部分です。しかし、管理者さんの場合には、どちらのパターンにも当てはまらないような…。大変失礼な話ですが、私の率直な感想を申し上げると、統計学自体がよく理解できていないのではないかと思います。それが典型的に現れているのが、管理者さん自身から持ち出した山下玲子氏の「F検定」の話題です。自分が始めた話に「完全スルー」というのは、統計学の基礎知識が欠けているのが理由ではないでしょうか? それも、F検定のサンプル数とF値の関係というレベルの話どころではなく、タイプ2エラーさえ知らないのではないかと、ついつい疑ってしまいます。もちろん、あえて理解しないという可能性もゼロではありませんが…。
統計学を一切使わないで、管理者さんの「上記の研究結果や論文の論旨について、ということで、その点は双方同意できるかと思います。ここはお間違いないでしょうか?」という質問に回答するのは現実的に不可能です。そして―繰り返しになりますが―過去の投稿では統計学を使って「上記の研究結果や論文の論旨」について頑張って説明したことを全く無視される、というのも非常な無力感を覚えます。私は一体どうすればいいのでしょうか?(苦笑)
あるいは、一見すると管理者さんが統計学に“無知”と感じられるのは私の勘違いで、専門レベルの「ユールのQ」「クラーメルのV」「多重比較」…なんかお茶の子さいさいだ、というなら嬉しい限りです。それなら、実に簡単に説明できますので…というか改めての説明は不要でしょう。本当はどうなのですか? 私に無力感を与えるための作戦か何かなのでしょうか?(笑)
さて、次回の投稿では、ある程度統計学がわかるものとして、管理者さんの今回の質問に対する「最低限」の回答を用意します。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿で「F検定なら血液型別に(有意な)差が出ないはず」と書きました。しかし、実はこの文章には問題があります。
ご承知のように、このようなデータで「F検定」を使うのは適切ではなく、通常はχ2検定を使うべきです。管理者さんからは、どうやって分散を計算するのか?といった内容の疑問・反論を予想していたのですが、なぜか何の反応もありませんね。言うまでもなく、こういうノンパラメトリックデータにはχ2検定が向いてます。もちろん、危険率5%では有意差なんか出ないので帰無仮説は棄却できません。やはり、私の主張と「整合性が取れています」ということになりますがいかがですか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
ここ数日、何度も連続して投稿なされていますので、おっしゃりたいことが多くあるのはわかります。ですが、今一度話を整理して考えましょう。
今論点として挙がっているのは、
・山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」
・「血液型性格判断の差別性と虚実性(自主企画②)」山岡重行
・「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
・「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲
――上記の研究結果や論文の論旨について、ということで、その点は双方同意できるかと思います。ここはお間違いないでしょうか?
さて、もともと上記の論文や研究発表はABOFAN様が「血液型性格診断」を”肯定”するものの論拠としてご提示いただいたものでした。これもお間違いないでしょうか?
しかし、当該論文を読んでみますと……
>血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった。(山下玲子氏)
>②しかし, 血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群に分けると後者では有意差が見られない。このことから血液型による自己評定値の有意差は知識があり信じている人達の思い込みに過ぎないと判断できる。(山岡重行氏)
――といった記述など、「血液型性格診断」を”否定”あるいは”批判”する文脈やデータが多数みられたものでした。上記の論文等は「血液型性格診断」を積極的に支持するものではなく、その旨の指摘も行いました。
そこで、今一度確認したいのですが、ここ数日連続して投稿していただいたABOFAN様のコメントは、上記の研究に関するこちらの指摘を認めるとの意図のものなのでしょうか?それともご自身の当該論文の論旨の捉え方は妥当性の高いものとお考えで、その補足のおつもりなのでしょうか?または、それ以外に何かお考えがおありなのでしょうか?
この認識がご自身のお考えと合致しているか、という点も含めてご一考ください。


すみません、しつこいようですが、再度補足させていただきたく。
>結果
>(1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について
>調査対象者の血液型はそれぞれA 型92 名、B 型59 名、O型78 名、AB 型32 名であった。血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
>――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
――念のため、もう一度管理者さんの上の主張について調べてみました。私が同じような内容を「積極的」に主張しているケースはありません。ただし、手持ちのデータのうち、関係があると思われる内容を公開しているものは次のとおりです。これらのデータを山下玲子氏と同じN=261として再計算すると、F検定なら血液型別に(有意な)差が出ないはずなので、「ABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません」とは言えません。はっきり申し上げると、全く正反対でして、「整合性が取れています」ということになりますがいかがですか? なお、実データは次のとおりです。
1) 血液型と性格は関係していると思いますか? 大いに関係がある+多少は関係がある A型70.9%/O型66.3%/B型63.4%/AB型64.7% 出典:アイシェア調査(N=476/2008年6月5日発表)
2) 自分の性格が適切に表現されており、共感・納得する A型70.5%/O型75.9%/B型64.4%/AB型66.6% 出典:Yahoo! 「血液型本」に関する調査(N=800/2008年12月25日発表)
[http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/realdiff.htm]
他の非公開のデータで確認しても同じ傾向を示しているようです。それでも「ABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません」ということなら、どうか原文の引用をお願いします。私も全部チェックしたわけではないので…。
――実はもう一つ疑問が残ります。前回の投稿の繰り返しになって恐縮ですが、
>>データの再現性 (低)…まだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
>――とこのサイトにはあります。前々回の投稿では、山下玲子氏が上と同じ主張をしていると勘違いして、的外れな「反証」を示してしまいました(恥ずかしいですね…苦笑)。が、私の前々回の投稿で紹介した研究報告を“精確”に“読む”限り、1)坂元章氏の32,347人、2)山岡重行氏の6,660人、3)白佐俊憲氏の1,850人のデータの全部で「血液型と自己報告の性格には関連がある」という結果が得られていますし、管理者さんがこれらの結論に反対しているとは思えません。
さて、管理者さんは以前にこう述べられています。
>ーーと、[私ABOFANが]述べられておりますが、これは完全にアド・ホックな説明であると思います。実験で上記のような「結果」が出ているのであれば、まずはそれを受け止め、反証があるのなら、「追試」等を行ったうえでそれを主張すべきです。ABOFAN様の「~こう解釈するしかない」では前提条件となっている論文への科学的反証としては不適切であると考えます。
この文章は、管理者さん自身にも適用されないとおかしいはずです。従って、このサイトの「データの再現性 (低)…まだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。」は「アド・ホック」な説明であり、実験で上記のような「結果」が出ているのであれば、まずはそれを受け止め、反証があるのなら、「追試」等を行ったうえでそれを主張すべきです。管理者さんの「~評価できるものではない」では前提条件となっている論文への科学的反証としては不適切であると考えます。いかがですか? (投稿者:ABO FAN)

さて、前々回ですっかり味噌をつけてしまったので、改めて私の主張について説明させていただきたく。
>データの再現性 (低)…まだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
――とこのサイトにはあります。前々回の投稿では、山下玲子氏が上と同じ主張をしていると勘違いして、的外れな「反証」を示してしまいました(恥ずかしいですね…苦笑)。が、私の前々回の投稿で紹介した研究報告を“精確”に“読む”限り、1)坂元章氏の32,347人、2)山岡重行氏の6,660人、3)白佐俊憲氏の1,850人のデータの全部で「血液型と自己報告の性格には関連がある」という結果が得られていますし、管理者さんがこれらの結論に反対しているとは思えません。また、私の主張についての管理者さんのコメントは次のとおりです。
>さて、以上提示された「反証」に対して検討させていただきました。ABOFAN様の「探索能力」には以前より目を見張るものがありますが、お気の毒ですが「読解能力」には著しく難があるようですね。
――仮に管理者さんが上の1)2)3)の主張が正しいと認めているものとすると、ほぼ完全に自己否定になります。率直に申し上げて、私には管理者さん自己否定をしているとしか思えません…。更に不思議なのが、私の「探索能力」についての記述です。一昔前ならともかく、私が紹介した研究報告程度なら、現在はCiNiiなどのオープンなデータベースで「誰でも簡単に」検索可能です。また、これらの研究報告は、私のサイトに何年も前から紹介してあるものなので、管理者さんがおっしゃる「以前より目を見張る」ようなものでもありません。ということで、“外交辞令”としてありがたく受け取らさせていただきます。
もっとも、ここで気になるのが次の記述です。
>ただしご提示していただいた文献等は非常に興味深いものであり、さらに検討ののち、参考文献とさせていただきます。有益な情報提供ありがとうございます。
――この文章が“外交辞令”でないとすると、正直なところ、管理者さんの「探索能力」が少々心配になります。
また、前回の投稿にも書きましたが、「専門用語、業界用語を並べたてられるのも結構ですが…」とあるのはいかがでしょうか? かなり不躾な話ですが、仮にこの部分が
>まず、山下氏のデータがタイプ2エラーであることについてです。前回紹介した山岡氏の6660人のデータのうち、彼の著書「ダメな大人にならないための心理学」p49-52には、1999年に調査したデータを統計的に検定した結果が紹介されています。サンプル数は1300人で、全質問28項目中7項目で有意な差があります(最大のF値は7.816なのでp<0.0001で有意)。では、血液型による差が同じだと仮定し、サンプル数を山下氏と同じ261人(約1/5)に減らして再計算してみます。F値はサンプル数に比例するので、最大のF値は7.816÷5=1.569となり全28項目のいずれも有意差は検出されません。あるいは、p<0.05で有意とするなら、400人程度以上のサンプルが必要となります。よろしいですか?
――だとすると、全くもっていただけない記述です。上の私の分析は、大学の「専門レベル」ではなく「教養レベル」を対象としているつもりですし、そもそも大して難しい分析でもありません(高校レベルでは厳しいかも…)。管理者さんの学歴を詮索するつもりは毛頭ありませんが、少なくとも「疑似科学とされるものの科学的評定」をするつもりなら、仮説検定のための「最低レベル」の知識だと考えます。余談ですが、専門レベルなら「多重比較」や「イエーツの補正」etc.は最低限必要でしょうが、面倒なのでほとんどやってません(苦笑)。「効果量」については、批判されたので多少は触れるようにしていますが…。こんな心配が杞憂であることを願っています。
どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN)

すみません、私の読み方が間違っていたので、まずお詫びしておきます。それは、次の部分です。
>>結果
>(1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について
>調査対象者の血液型はそれぞれA 型92 名、B 型59 名、O型78 名、AB 型32 名であった。血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
>――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
――私は、血液型別の「血液型性格判断に対する知識の程度」「血液型性格判断との関係性の有無」「血液型正確[性格]判断の自分への当てはまりの程度」「血液型性格判断の話題を行う頻度」「血液型性格判断の話題への好みについて」については特に何も主張していません。ですので「ABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。」とありますが、そもそも何も主張していないものに、整合性云々の議論になるはずもありません。仮にそう解釈できる私の文章があるのであれば、ぜひ引用をお願いします。よって、私の「反証」は、ちょっと間抜けな話なので取り下げます。すみませんでした。
ところで、山下氏の「考察」として紹介されている、
>科学的根拠がないとされながら、特定の血液型(全体から見ると少数派)の人が不快感を抱くような内容を持つ血液型性格判断は、娯楽の形で人々の間で話題にのぼることが多い。そして、娯楽であるがゆえに、悪く言われている人たち自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。その結果、それに対する肯定的な意見のみが優勢であるという見かけ上の合意が形成される。このメカニズムによって、血液型性格判断は多くの人に支持され、肯定的に評価されているものであると多くの人が信じるようになり、異議を唱える人を沈黙させることで、さらに広まっていると考えられる。
――この記述は、彼女自身のF検定の結果とは矛盾します。なぜなら、
>血液型別に、…血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
とあり、B型が他の血液型の人より血液型の話題に不快を感じていても、「血液型性格判断の話題を行う頻度」「血液型性格判断の話題への好み」は他の血液型と同じだというのです。こうなると、『悪く言われている人たち[B型]自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。』とは必ずしも言えないことなります。妥当な解釈は、B型は他の血液型よりストレートに不快感を感じる、ということでしょう。つまり、血液型によって感じ方、あるいは性格が違うことになります。(笑)
>ABOFAN様の「探索能力」には以前より目を見張るものがありますが、お気の毒ですが「読解能力」には著しく難があるようですね。
――私もうっかりしていたのですが(そういう意味では「読解能力」に難があるかもしれません・苦笑)、管理者さんがこの投稿の冒頭で紹介した山下氏の「結果」が、なぜ私の主張と整合性が取れないと考えたのかも不思議です。
余談ですが、
>専門用語、業界用語を並べたてられるのも結構ですが、まずは論文、あるいは文献を”精確”に”読む”ということを心がけてみてはいかがでしょうか。
――すみません、この文章の「専門用語」「業界用語」が何を指すのか不明です。ひょっとして、F検定などの統計データを分析している部分なのでしょうか。念のため、この部分は大学教養レベルの統計学を想定していますので、「専門用語」「業界用語」などではありません。
ちょっと気になったので、明治大学情報コミュニケーション学部/研究科のシラバスを調べてみました。そうしたら、t検定はありますが、F検定は教えていないようなのです。だから、F検定のサンプル数や検定力の話題には乗ってこないのでしょうか?仮説検定の基本的な考え方がわかってないとすると、確かにこの手の話題に触れたくはないでしょうね…。
まさかとは思いますが「タイプ2エラー」はわかりますよね?(回答は不要です・笑)
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

ほぼ2日間返事がないので、ひょっとして私の投稿内容を検証するのに時間がかかっているのでしょうか?
念のため、前回の内容を補足しておきます。
まず、山下氏のデータがタイプ2エラーであることについてです。前回紹介した山岡氏の6660人のデータのうち、彼の著書「ダメな大人にならないための心理学」p49-52には、1999年に調査したデータを統計的に検定した結果が紹介されています。サンプル数は1300人で、全質問28項目中7項目で有意な差があります(最大のF値は7.816なのでp<0.0001で有意)。では、血液型による差が同じだと仮定し、サンプル数を山下氏と同じ261人(約1/5)に減らして再計算してみます。F値はサンプル数に比例するので、最大のF値は7.816÷5=1.569となり全28項目のいずれも有意差は検出されません。あるいは、p<0.05で有意とするなら、400人程度以上のサンプルが必要となります。よろしいですか?
#私の計算が違うというなら、ぜひ管理者さん自らが計算して反証をお願いします!
次に行きます。kikulogのコメント部分は閉鎖されてしまったので、残念ながら私の引用部分は直接検証できません。しかし、坂元氏の主張である「自己成就現象」や、山岡氏の主張である「思い込み」、あるいは前回の引用部分の「血液型性格判断の世間への浸透のために、自己診断した性格と血液型の間には明確な相関関係が認められるようになった」という事実を、菊池氏が知らない(都合が悪いので知らないフリをしている?)ということなら現在でも確認できます。次が該当する部分です。
> [私ABOFANが]ご自身の主張を明確にされないので、ABOFANさんとのコメントのやりとりは、まだ「議論の入り口にすら立っていない」状態であることを再度確認しておきます。…さらに最近のコメントでは (2)思い込みによって血液型ステレオタイプ通りの性格が現れる という主張になっており…ポイントはABOFANさんが、ご自身の考えをまったく明確にされないことにあり、それが続く限り、議論は始まらないということです [2009/10/31 血液型性格判断問題についての確認 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/200910.html#1256972977]
前回紹介したコメント[1107. やまちゃん]はこのエントリーのコメント部分にあるのですが、現在はなぜか非表示になっています(ひょっとして都合が悪い?)。この部分について、菊池氏本人からの明確なコメントは現在まで一切ありません。結局「回答拒否」状態が続いています。
#余談ですが、「google検索における予測検索」の内容だけで科学的な判断をするのはやめておいた方がいいかと…。
よろしいでしょうか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
まず、前回のこちらの回答に対して、
>正直、このコメントはいただけません。「反証」や「追試」は何回も紹介していますし、それはこのサイトにもあります。本当に論文を読んでないんでしょうか and/or 統計学も心理学も知らないのでしょうか…。
――と、お答えいただいて、かつ三つもの「反証」を提示していただいたということは、それまでのABOFAN様の、「~解釈するしかない」等の文脈に対してアド・ホックな説明であるとのこちらの指摘にはある程度同意されたという認識でよろしいでしょうか?
こちらとしては、同意された、という前提のもとご提示いただいた三つの「反証」に関して反論させていただきます。

まず、
「血液型性格判断の差別性と虚実性(自主企画②)」山岡重行氏を引用されて、>…①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。
――と、これをABOFAN様は根拠とされていますが、まず文章を最後までよく読みましょう。引用された文のすぐ次に、
>②しかし, 血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群に分けると後者では有意差が見られない。このことから血液型による自己評定値の有意差は知識があり信じている人達の思い込みに過ぎないと判断できる。
――と、ありまして、そもそもこの発表は血液型性格診断への「批判」としての側面が強いようです。
次に、 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)から
>This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している
――と、引用されていましたが、精読しましたところ、上記の論文は「予言の自己成就」を趣旨として書かれた論文であり、決して血液型性格診断を積極的に肯定するものではありません。これは、p25の資料にありますtable3のデータでも示されています。大まかに解説しますと、これは1978年~1999年の間において、血液型性格診断のステレオタイプ診断が当たっていると「信じている」群がだんだんと増加していることを示しているデータです。※「信じている」という表現をお見落としなきよう……。これは能見正比古氏を起因とした血液型ブームによる「自己成就」であることを示唆している、との文脈が当該論文から読み取ることができ、残念ながら血液型性格診断それ自体を肯定するものではありません。つまり、社会問題化している「血液型性格診断」を意味するものに対する社会的視座からの「批判的」研究といえるかと思います。
最後に、「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲、についてですが、当該論文のどこを根拠にされているのかわかりかねますので(ABOFAN様が引用”しそうな”箇所は大体見当がつきますが)とりあえず言及は控えることとします。

さて、以上提示された「反証」に対して検討させていただきました。ABOFAN様の「探索能力」には以前より目を見張るものがありますが、お気の毒ですが「読解能力」には著しく難があるようですね。
専門用語、業界用語を並べたてられるのも結構ですが、まずは論文、あるいは文献を”精確”に”読む”ということを心がけてみてはいかがでしょうか。
ただしご提示していただいた文献等は非常に興味深いものであり、さらに検討ののち、参考文献とさせていただきます。有益な情報提供ありがとうございます。

素早い回答ありがとうございます。正直、反応があるとは思っていなかったので嬉しいです。さて、
> まず、山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」 この「論文」についてから……。
>>必ずタイプ2エラーということです。そうでなければ、被験者の「自己認知」がおかしいので、アンケートの回答自体が間違っていることになります。つまり、(唯一)妥当な解釈は、サンプルが少なくてタイプ2エラーだということです。心理学と統計学を知っている人なら、こう解釈するしかありませんが? 別な解釈があれば、ぜひ教えていただきたく。
> ーーと、述べられておりますが、これは完全にアド・ホックな説明であると思います。実験で上記のような「結果」が出ているのであれば、まずはそれを受け止め、反証があるのなら、「追試」等を行ったうえでそれを主張すべきです。
正直、このコメントはいただけません。「反証」や「追試」は何回も紹介していますし、それはこのサイトにもあります。本当に論文を読んでないんでしょうか and/or 統計学も心理学も知らないのでしょうか…。
では、ご要望ですのでいくつか紹介します。このサイトの参考文献では、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
また、別の研究報告では…
山岡は、1999年から2009年にかけて大学生を対象に血液型性格の調査を行っている(有効回答数=6660)…①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。「血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2))」山岡重行(2009) http://ci.nii.ac.jp/naid/110007674296
その他にも、1850人のサンプルで差が出ています。「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲(1999) http://ci.nii.ac.jp/naid/110006603993
そもそも、安定して差が出るには数百人のサンプルが必要です。山下さんの300人弱のサンプルで有意差が出なくとも何の不思議もありません。もし疑うのだったら自分で計算してみてください!
> 私がネット上で調べた限り、kikulogの件でABOFAN様の意見に賛同し、意見を変えたという事実は見つかりませんでした。
現在は非公開です。菊池さんに都合が悪いので非公開なのかもしれません(苦笑)。念のため関係する部分を引用します。
> 1107. やまちゃん — June 16, 2012 @00:55:53 [抜粋]
> 初めまして、いやーすばらしい結末ですね。ROMしてましたが思わず出てきました。…すなわち、これまでの血液型性格判断の世間への浸透のために、自己診断した性格と血液型の間には明確な相関関係が認められるようになった、というのはこれはもうkikulog常連の方々も認めざるを得ないんではないでしょうかw。ABOFANさんの完全勝利と言っても良いかと思います。これにておしまい、って感じでしょうか。 http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/kikulog.htm
> google検索における予測検索でABOFAN、スペースの後に出てくる「語句」が何かご存知でしょうか?そのことのみをもって意見を一般化する気はありませんが、”異端”視されているのはABOFAN様のように存じ上げます
それはそうですよね。たかが“素人”に、ニセ科学批判の第一人者の間違いが指摘されて、しかもその指摘が正しかったりしたら、異端視されたりkikulogが閉鎖されたりしても特に不思議ではないでしょう。(笑)
#私が議論に負けても何も失うものはありませんが、仮に彼が負けたとしたら…。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

回答ありがとうございます。しばらく見ていなかったので、若干タイムラグがあるかしれませんがご返事します。いずれにせよ、対話があることは楽しいことです。
> ――ここでの「正しい」文脈は、多少の関係が「ある」ことをあてはまると「信じ」が妥当な読み方だと考えます。
そういう解釈では、「信じ」=「認知」ですから、その人の性格についても「信じ」ということになります。例えば、(心理学の)性格検査はその人が「信じ」ている自分の性格の分析結果です。あるいは、アンケート調査の結果は○○で「ある」ではなく「信じ」ということになります。同じように、安倍内閣の支持率は○○パーセントで「ある」のではなく、○○パーセントが「信じ」ているということになります。私はラーメンが好きですが、私がラーメンが好きで「ある」のではく、私自身がラーメンが好きだと「信じ」ているということです。本当に好きかどうかは問題ではないと…。(笑)
私は、そういう解釈はどうかと思うのですが、管理者さんはそう「信じ」ているということでしょうか? ちなみに、心理学では「認知」は正しいものとして扱います。
> (1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について…いずれの項目においても有意な差は見られなかった――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
検定力はご存知ですよね? 日本人は「思い込み」があるので必ず差が出るはずですから、仮に「有意な差は見られなかった」のであれば必ずタイプ2エラーということです。そうでなければ、被験者の「自己認知」がおかしいので、アンケートの回答自体が間違っていることになります。つまり、(唯一)妥当な解釈は、サンプルが少なくてタイプ2エラーだということです。心理学と統計学を知っている人なら、こう解釈するしかありませんが? 別な解釈があれば、ぜひ教えていただきたく。
> さらに、当該論文の「考察」においては、…――といった記述があり、ABOFAN様のおっしゃるものとは全然違う性質の論旨が述べられている論文かと思います。
すみません、本当にそう考えていますか?
まず、1)科学的に未解明でも「正しい」ものはいくらでもあります。例えば、最近話題の「ダークマター」「ダークエネルギー」とか。2)心理学では「自己認知」とそれに基づくアンケート結果は正しい、というのが大前提ですから、「信じる」=「自己認知」は正しいとして扱うしかありません。ですから、
> したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
は、まさしくこの論文の内容のとおりということになります。
また、以前保留していた問題についてですが、…――このようなコメントに関する回答を保留させていただいておりました。
本当にそう思っているなら、管理者さんは心理学も統計学も全くの“素人”ということになります…。もっとも、そういうことであれば、このサイトがどのような趣旨で書かれているかは簡単に理解できることになります。(苦笑)
> 現代の科学の枠組みの中では理論構築は肯定派にその責任を負うものと考えるのが一般的であります。
これも、本当にそう考えているということでいいですか?既存の心理学と統計学の枠組みの中では私の解釈は合理的です…というかそう考えるしかありません。例えば、阪大のkikulog(現在はコメント部分を閉鎖)では、当初は反対だった何人もの人に納得してもらいました。その意味で、管理者さんの考えははっきりと“異端”ですので、「現代の科学の枠組みの中では理論構築は肯定派にその責任を負うものと考えるのが一般的」なら、どうか私の次の質問にお答えください。
1) 山下玲子氏の論文のサンプルは261名ですが、この程度のサンプルではタイプ2エラーは「絶対にない」のでしょうか?
2) 科学(あるいは心理学)では「自己認知」は信用できないのですか?
3) 性格検査の結果となる数値は、具体的にどう計算するかご存知ですか?
4) 念のため…ですが、F検定やχ2検定を使って(SPSSなどの統計ソフトを使わずに)手計算でp値を出したことがありますか?
率直なところ、今回の回答を本気で書いているとすると、心理学や統計学の入門書を読んでいただいたほうがよいのではないかと思います。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
少々テーマが広がりすぎているので、「論点」を絞っていきませんか?
まず、山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」
この「論文」についてから……。
>血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった。
ーーこの「結果」に対し、ABOFAN様は、
>必ずタイプ2エラーということです。そうでなければ、被験者の「自己認知」がおかしいので、アンケートの回答自体が間違っていることになります。つまり、(唯一)妥当な解釈は、サンプルが少なくてタイプ2エラーだということです。心理学と統計学を知っている人なら、こう解釈するしかありませんが? 別な解釈があれば、ぜひ教えていただきたく。
ーーと、述べられておりますが、これは完全にアド・ホックな説明であると思います。実験で上記のような「結果」が出ているのであれば、まずはそれを受け止め、反証があるのなら、「追試」等を行ったうえでそれを主張すべきです。ABOFAN様の「~こう解釈するしかない」では前提条件となっている論文への科学的反証としては不適切であると考えます。
まずはこの点いかがでしょうか?

余談になりますが、
>例えば、阪大のkikulog(現在はコメント部分を閉鎖)では、当初は反対だった何人もの人に納得してもらいました。その意味で、管理者さんの考えははっきりと“異端”ですので、[…]
ーーとおっしゃられておりますが、(この点は今まであえて触れてこなかったのですが)私がネット上で調べた限り、kikulogの件でABOFAN様の意見に賛同し、意見を変えたという事実は見つかりませんでした。むしろ、(失礼ですが)ABOFAN様の意見はまったく相手にされていなかったように存じ上げます。
また、(これもかなり言いにくいことなのですが)google検索における予測検索でABOFAN、スペースの後に出てくる「語句」が何かご存知でしょうか?そのことのみをもって意見を一般化する気はありませんが、”異端”視されているのはABOFAN様のように存じ上げます(念のためですが、ここでいう異端という言葉に、価値の優劣は含ませてはおりません)
以上余談です。ご一考されたく思います。

次は「社会への応用性」です。
> 血液型性格診断が社会において有効的に活用されているとはいえない。
そうでしょうか?
山下 玲子(武蔵大学 社会学部)血液型性格判断はなぜすたれないのか 日本社会心理学会 第49回大会(2008)http://db1.wdc-jp.com/cgi-bin/jssp/wbpnew/master/detail00.php?submission_id=2008-E-0208
したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
上瀬由美子・松井豊 血液型ステレオタイプ変容の形―ステレオタイプ変容モデルの検証― 社会心理学研究,11,3,170-179 (1996)
1位 血液型性格判断は楽しい…83.6% 2位 血液型性格判断が好き…61.5% 3位 血液型に関する記事をよく読む…57.7% 4位 血液型性格判断は当たっている…53.8%
> そもそも、血液型による性格の傾向性を重視しているのは日本人がほとんどであり、
韓国でも台湾でも、関係があると思っている人は全体の約7割で、その割合は日本とほぼ同じです。『B型の彼氏』の韓国は言わずもがなですが、台湾のデータもあります。Kunher Wu, Kristian D. Lindsted, Jerry W. Lee, Blood type and the five factors of personality in Asia, Personality and Individual Differences 38 (2005) 797–808
> ブラッドタイプハラスメントといったものを始めとして人々に対する差別や偏見を助長させる要因の一つとなってしまっている
この投稿の冒頭の2つのデータを見てもそう言えますか?
> 結果として、人間関係を円滑に進めるうえでの弊害ともなりかねない。
繰り返しますが、この投稿の冒頭の2つのデータを見てもそう言えますか?
> 仏滅に結婚式を挙げる人はまずおらず、一般的に友引に葬式は行わない。このように大衆心理は科学とは無縁に働いており、
そうではありません。江戸時代や明治時代には六曜は「迷信」とされていました。旧暦がわかれば六曜は簡単に計算できるからです。現在は旧暦がわかる人が少ないので、皮肉なことに六曜のような「迷信」を信じる人が増えたのです。
> 血液型性格診断においては企業の採用といった、人生の大きな岐路でも使用されており、
ぜひ具体例の提示をお願いします。具体例がなければ「科学」ではありません。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
情報提供いただいた、山下 玲子(武蔵大学 社会学部)血液型性格判断はなぜすたれないのか 日本社会心理学会 第49回大会(2008)を読みました。が、ABOFAN様の主張なさっていることとは正反対の主旨で書かれているのですが、よろしいのでしょうか?
まず、ABOFAN様が引用された部分についてですが、
>したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
――ここでの「正しい」文脈は、多少の関係が「ある」ことをあてはまると「信じ」が妥当な読み方だと考えます。というよりそもそも、
>結果
(1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について
調査対象者の血液型はそれぞれA 型92 名、B 型59 名、O型78 名、AB 型32 名であった。血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
さらに、当該論文の「考察」においては、
>科学的根拠がないとされながら、特定の血液型(全体から見ると少数派)の人が不快感を抱くような内容を持つ血液型性格判断は、娯楽の形で人々の間で話題にのぼることが多い。そして、娯楽であるがゆえに、悪く言われている人たち自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。その結果、それに対する肯定的な意見のみが優勢であるという見かけ上の合意が形成される。このメカニズムによって、血液型性格判断は多くの人に支持され、肯定的に評価されているものであると多くの人が信じるようになり、異議を唱える人を沈黙させることで、さらに広まっていると考えられる。
――といった記述があり、ABOFAN様のおっしゃるものとは全然違う性質の論旨が述べられている論文かと思います。もう一度精読なさってはいかがでしょうか?
ただ、先の論文は血液型性格診断の研究として有用なものであり、関連リンクに付け加えさせていただきます。ありがとうございます。
また、以前保留していた問題についてですが、
>やはり管理者さんの回答の意味が理解できません。繰り返しになりますが「予言の自己成就」は、実証実験データできちんとした「差がある」ということです。それなら「バーナム効果」ではありえない。逆に、実証実験データで「差がない」のに当たっているように見えるのは「バーナム効果」です。現在までの管理者さんの回答では、実証実験データに「差があるかどうかはっきりしない」ようです。ですので、管理者さん自身の文章を拝借させていただくと、私は『「血液型性格診断」批判・懐疑』言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、と言う点を記述、評定しています。では、管理者さん自身は、実証実験データできちんとした「差がある」と判断しているということなのでしょうか?
――このようなコメントに関する回答を保留させていただいておりました。この中でABOFAN様は、
>私は『「血液型性格診断」批判・懐疑』言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、と言う点を記述、評定しています
――と述べられていますが、現代の科学の枠組みの中では理論構築は肯定派にその責任を負うものと考えるのが一般的であります。したがって、仮にABOFAN様のご主張をを肯定派とするならば、やはり理論構築は肯定派によってされるべきものであり、ABOFAN様の先の批判は的外れなものだと見受けられます。
最後になりますが、本件に関しまして回答が遅くなったことをお詫びいたします。

では、次の「将来の予測性」です。
> 現在、本流の血液型性格診断が科学的手順を踏まえて研究されているとはいえず
主語が不明ですが、管理者さんによると、“否定派”なら「科学的手順を踏まえて研究されている」と言えるはずです(そうでないなら“科学的”な否定はできないので…)。逆に、否定派が「科学的手順を踏まえて研究」しているなら、肯定派も同じ方法を使えば科学的な研究になるはずです。結局、私には何を言いたいのかが不明です。
> 今一般認知されている血液型性格診断はほとんど文化として根付いてしまっており、もはや科学性を論じるに値しない言説と化している。
科学の対象にならないなら、疑似科学ではないでしょう。そもそも、科学的な分析が出来ないので…。
> 一方、血液型と疾患については現在疫学的観点から比較的研究が進められており、成果といえるものも出ている。
これと真逆の記述が「データの再現性」あります。
> 血液型と疾患といった前項にて言及した研究にまで評定範囲を広げたとしても、それらもまだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
どちらが本当なのでしょうか?
> 医学の発展という視点からは疫学的な研究は重要な位置を占めており、たとえ理論的な説明が追いついていなくても研究をする価値さえないとまではいえないだろう。
では、“科学的”な説明が出来なくともいいのでしょうか? それなら「血液型性格診断」も科学的な説明は不要ですか?
> 進化生物学的観点から血液型とマラリアやコレラとの関連性も若干ではあるが語られており
これもよくわかりません。ひょっとして、参考文献にある『血液型で分かる なりやすい病気なりにくい病気』の記述を要約したものなのでしょうか?
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

次は「理論の普遍性」ですが…すみませんが「普遍性」の定義がわかりません。
国や地域に対する普遍性なのか、性別なのか、あるいは年齢なのか…。
> 血液型性格診断では言説の精確さへの理論化がなく、
これって、具体的にはどういうことなのでしょうか? 性格が違うというなら、心理学の問題ですし…。
ですので、この項目はパスします。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

以前の投稿の掲載ありがとうございました。今回は掲載までに最大10日かかりましたが、春休みということなのでしょうか?(回答は不要です)
では、次の「理論の論理性」に進みます。
> 人間の体内には大量の赤血球が存在し、その赤血球それぞれにA、B、AB、Oの各型に特有の糖鎖が付いている(ここでの糖鎖とはN-アセチルガラクトサミン、d-ガラクトース、アセチルグルコサミン、フコースによる分子構造を表す)。
この記述は非常に誤解を生む内容です。A型の糖鎖は、どの血液型でも持っているO型の糖鎖の先端に「N-アセチルガラクトサミン」が付いたものです。B型の糖鎖も同様に「D-ガラクトース」が付いたものです。AB型はA型とB型の両方の糖鎖(とO型の糖鎖)を持っています。なお、Bombay-O型はどの糖鎖も持っていません。
> こう考えると、ABO式のみによって性格にまで言及する理論は、他の知見との整合性が低いと思われる。
体内に一番広く分布するのはABO式血液型です。多くの他の血液型(例えばRh)とは違い、脳にも神経にも存在しています。また、胎児期には脳に大量のABO式血液型物質が発現します(その後は急速に消失)。これらのことを考えると「他の知見との整合性が低い」とは必ずしも言えないと思います。
> A型の遺伝子は免疫機能が低くなる遺伝子と共起する確率が高い
すみません、出典はどこでしょうか? 遺伝子の連鎖で説明するのは、正直言ってかなり苦しいと思いますが…。なぜなら、B型やO型の遺伝子型は複数あり、それぞれ独立に(A型から)発生したのではないかと推測されているからです。つまり、B型やO型は元々が別々のA型なのですから、連鎖で説明するとするなら、それぞれ別のA型の「免疫機能が低くなる遺伝子と共起する確率が高い」はずです。しかし、私が知る限りそんな論文はありません。なぜなら、遺伝子型は普通は調べないからです。 (投稿者:ABO FAN)

特に反応がないようですが、最後まで予定通り進めます。よろしくお願いします。
次は「理論の論理性」コーナーの記述です。
> 果たしてこの区分が如何に人間の性格として反映されているのか、という理論への疑問に対する合理的な説明は今のところない。
いいえ、1)分野ごとの統計データ 2)アンケート調査 3)観察結果の分析があります。それは能見正比古氏の著書を読めばわかるはずですが…。
> 心理学側から特に強く指摘されている「バーナム効果」や「自己成就」の有無については、肯定派ですら暗に認めているかのような発言もみられ…
繰り返しますが「バーナム効果」は性格検査でも存在しますので、仮に存在するとしても否定の根拠にはなりません。また「自己成就」は金澤正由樹氏の著書『統計でわかる血液型人間学入門』で否定されていますし、直接的に存在を検証した研究は(私が知る限り)ないので、あるというなら出典をお願いします。
> 科学的理論構築すら妥当に行われてはいなかった。
統計的な検証は行われています。それは、過去の投稿に何回も書いたとおりです。
> 血液型と疾患や体質にまで話を広げても、今のところ論理性を高く評価できる要素はない。
性格のメカニズムが科学的に解明されていない以上、「論理性」を考えても無意味だと思います。
> 特定の病気に対する疾患率の違いや耐性についての研究は、現在までのところ疫学的な指摘でしか語られておらず、因子の解明や理論構築までは程遠いのが実情だ。
ピロリ菌や血液型ヨーグルトの論文をお読みですか? 読んだとするなら、こう断定できる理由は何でしょうか?
> ABO式血液型で性格診断を行うということは、つまりは人間を4種類に分類してしまうということなのだが、それに対する論理的な合理性を見出すことができないのが現状である。
菊池聡氏[信州大学教授(心理学)]不可思議現象心理学9 血液型信仰のナゾ-後編 月刊『百科』1998.3 pp28-29
ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。よく聞くのは「多様な人の性格が四つになんか分けられるはずがない」という批判である。しかし「何らかの基準によって四つに分ける発想」自体には本質的に問題はないのである。もちろん境界線上であいまいに分類される欠点はあるが、この発想自体は心理学でも類型論という考え方で受け入れられている。…血液型性格学への批判は確かに重要だが不適切な批判で満足しているとすれば、それは非論理性という点では相手と同じ穴のムジナになりかねないことに注意しなければなるまい。
とりあえず今日はこの程度にしておきます。失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

「掲載拒否」の可能性が高いようですが、とりあえず予定通り進めます。次は「データの客観性」コーナーの記述です。
> 血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型と特定の性格傾向性の研究が客観的な形で肯定されているとはいえない。
これもよくわかりません。というのは、冒頭に
> 血液型性格診断言説では、…客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
とあるからです。統計データで差があることは検証済みですから「客観的な形で肯定されている」ことは確かです。もちろん、差はどの程度なのか、という問題は残りますが。
> 肯定派の提示する研究報告は、信奉者による主観的な感想、統計調査における標本抽出の偏り、研究対象の未特定化
これもよくわかりません。というのは、否定派のデータ(特に大学)のほとんどは、自分の授業に出席した学生が対象だからです。ですので、上の問題点はほとんどすべての「否定派」にもあてはまることになります。
> 「自分はA型だから神経質だ」という性格の自己成就などの可能性が指摘できる。
そうだとすると、日本人の7割は関係があると思っているので“自己成就”しているはずですから、どのデータでも差が出るはずですが…。
> 近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多い
それは初耳ですが、A型に多いという根拠は何でしょうか? 私はO型に多いと記憶していますが…。
> 血液型性格診断によるとA型の典型的な特性は「神経質」だということが主張されており、その根拠として胃痛の多さなどがデータとして挙げられている。
これも初耳ですが、A型に胃痛が多いというデータの根拠は何でしょうか?
> A型の人が「神経質」であるが故に胃痛になりやすいのか、それともA型にはピロリ菌保菌者が多くそれによって胃痛が引き起こされる
そもそも、そんなデータが存在するのでしょうか?
> 今の科学研究では性格を扱う心理学分野と、血液に関して主要に扱う医学・生理学分野は分かれており、連携させた研究方法は未熟である。
こんなことを書いて、否定派の心理学者から批判されないのかと、余計な心配をしてしまいます。というか、「未熟」なら否定派の結論も正しいとは言えない(=疑似科学)ので、そもそもこのサイト自体が成り立つのでしょうか?
> 今後の疫学的研究次第では血液型がヒトの性格や気質にまで客観的なデータとして示される可能性もなくはないことを追記しておく。
「客観的なデータ」は性格検査のデータではないのですか? 疫学でどうやってヒトの性格の「客観的なデータ」を測定するのでしょうか?
とりあえず今日はこの程度にしておきます。 (投稿者:ABO FAN)

投稿が文字化けしたようなので再送します。
前回の投稿から24時間以上経過しても何の反応もないのは初めてです。ひょっとして「掲載拒否」ということでしょうか?
なんとも言えないので、次の投稿です。
> 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
例えば、能見正比古氏の著書から「どの程度の診断が行えるか」を明言した文章を引用してください。例えば、彼の『血液型人間学』にはこうあります。
私は、よく、こう申し上げる。/「血液型でわかるのは性格のうちの4分の1ですよ」/人間の性格は、先天的気質と後天的な形成の両者から成る。血液型が関連するのは、先天的な気質の部分だから、まず、半分。その気質は、野菜の個性と、血液型による共通性が、また、半々と見て、合計4分の1という大まかな計算である。
なお、このサイトの冒頭には
> 血液型性格診断言説では、上記の血液型[ABO式血液型]の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
とありますが…。ところで、この“矛盾”は私の最初の投稿で指摘しましたが、現在もなぜか未回答のままです。
> そのため、「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」と言い訳ができてしまう。このように反証データを得ても、再現性を否定できる構図にないので、評価は低い。
これも、能見正比古氏の著書から「100%正確に診断できる」と明言した文章を引用してください。彼はこう言っています。
[氏の血液型と性格の研究が進展しなかった]最大の原因は、従来の常識的性格観に、 とらわれすぎたせいである。人々はすぐ性格に類型をつくりたがる。私も、O型はこれこれのタイプ……という決め方をしようと焦っていた。そんな類型をつくり得るほど、性格の本質は、とらえられていないのである。(能見正比古 O型は人間は権力志向型なんだって-血液型性格学 別冊宝島6 性格の本-もうひとりの自分に出会うためのマニュアル』1977.8)
神経質という言葉は、古代ギリシャの時代から使い古されてきた言葉である。これこそ絶対、性格用語の本命のように思われている。しかし、改めて吟味して見ると、これまた性格を示す言葉としては、使いものにならないことがわかる。/つまり、ある状況の下には神経質だとか、ある方面には神経質であるとか、ないとかは言うことができる。だが、全方向に神経質な人は、まず、絶対といっていいほどいない。ある人は着るものに神経質で、別の人は食事に神経質だろう。その違いが、性格を語るのに重要なのである。/最近聞いたO型のある高級官僚氏は、趣味の音楽鑑賞はうるさく、神経質なくらいと言われていた。その同じ人が、湯たんぽのお湯を平気で煮炊きに使うという。神経質なんてそんなものである。(能見正比古 『新・血液型人間学』 1980)
O型は身体や健康について神経質。病的な潔癖症や高所恐怖症もある。社会の中での他人の目、好意や悪意にも神経質となる。/A型は周囲の動きや反応、それに対する自分の姿勢に神経質。物事のケジメ、善悪の評価などに潔癖。未来への悲観主義や、仕事などの完全主義傾向も一種の神経質だ。/B型は自分の気分調整に神経質。行動を制約された状態ではイライラ。過ぎたことにクヨクヨ。事実関係の正誤にもうるさい。/AB型は、人間関係で神経質となりがち。対人恐怖症も一部にいる。自分の社会的役割りや仕事面の蝿張り保持に神経過敏。経済生活の基盤がガタつくと、度を失い気味。/以上[神経質]の例でも判るように、現在、日常で性格を指す言葉として使われているもので厳密には、性格を明示するに足るものは、ほとんどない。(前掲書より)
本当に能見正比古氏の著書を読んだのですか?
> さらに、血液型と疾患といった前項にて言及した研究にまで評定範囲を広げたとしても、それらもまだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
これには、このサイトの「データの客観性」で真逆のことを言っています。
> 近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多いことが指摘されている。
どちらが本当なのでしょうか?
今日はとりあえずこのへんで。失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿から24時間以上経過しても何の反応もないのは初めてです。ひょっとして「掲載拒否」ということでしょうか? なんとも言えないので、次の投稿です。
> 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
例えば、能見正比古氏の著書から「どの程度の診断が行えるか」を明言した文章を引用してください。例えば、彼の『血液型人間学』にはこうあります。
私は、よく、こう申し上げる。/「血液型でわかるのは性格のうちの4分の1ですよ」/人間の性格は、先天的気質と後天的な形成の両者から成る。血液型が関連するのは、先天的な気質の部分だから、まず、半分。その気質は、野菜の個性と、血液型による共通性が、また、半々と見て、合計4分の1という大まかな計算である。
なお、このサイトの冒頭には
> 血液型性格診断言説では、上記の血液型[ABO式血液型]の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
とあります。ところで、この“矛盾”は私の最初の投稿で指摘しましたが、現在もなぜか未回答のままです。
> そのため、「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」と言い訳ができてしまう。このように反証データを得ても、再現性を否定できる構図にないので、評価は低い。
これも、能見正比古氏の著書から「100%正確に診断できる」と明言した文章を引用してください。彼はこう言っています。
[血液型と性格の研究が進展しなかった]最大の原因は、従来の常識的性格観に、 とらわれすぎたせいである。人々はすぐ性格に類型をつくりたがる。私も、O型はこれこれのタイプ……という決め方をしようと焦っていた。そんな類型をつくり得るほど、性格の本質は、とらえられていないのである。(能見正比古 O型は人間は権力志向型なんだって-血液型性格学 別冊宝島6 性格の本-もうひとりの自分に出会うためのマニュアル』1977.8)
神経質という言葉は、古代ギリシャの時代から使い古されてきた言葉である。これこそ絶対、性格用語の本命のように思われている。しかし、改めて吟味して見ると、これまた性格を示す言葉としては、使いものにならないことがわかる。/つまり、ある状況の下には神経質だとか、ある方面には神経質であるとか、ないとかは言うことができる。だが、全方向に神経質な人は、まず、絶対といっていいほどいない。ある人は着るものに神経質で、別の人は食事に神経質だろう。その違いが、性格を語るのに重要なのである。/最近聞いたO型のある高級官僚氏は、趣味の音楽鑑賞はうるさく、神経質なくらいと言われていた。その同じ人が、湯たんぽのお湯を平気で煮炊きに使うという。神経質なんてそんなものである。…/O型は身体や健康について神経質。病的な潔癖症や高所恐怖症もある。社会の中での他人の目、好意や悪意にも神経質となる。/A型は周囲の動きや反応、それに対する自分の姿勢に神経質。物事のケジメ、善悪の評価などに潔癖。未来への悲観主義や、仕事などの完全主義傾向も一種の神経質だ。/B型は自分の気分調整に神経質。行動を制約された状態ではイライラ。過ぎたことにクヨクヨ。事実関係の正誤にもうるさい。/AB型は、人間関係で神経質となりがち。対人恐怖症も一部にいる。自分の社会的役割りや仕事面の蝿張り保持に神経過敏。経済生活の基盤がガタつくと、度を失い気味。/以上の例でも判るように、現在、日常で性格を指す言葉として使われているもので厳密には、性格を明示するに足るものは、ほとんどない。(能見正比古 『新・血液型人間学』 1980)
本当に能見正比古氏の著書を読んだのですか?
> さらに、血液型と疾患といった前項にて言及した研究にまで評定範囲を広げたとしても、それらもまだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
これには、このサイトの「データの客観性」で真逆のことを言っています。
> 近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多いことが指摘されている。
どちらが本当なのでしょうか?
今日はとりあえずこのへんで。失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

掲載ありがとうございます。ただ、現在まで何の反応もないということは、当分は単純ミスも訂正しない方針ということですか?
では、どんどん行きます。
> 能見正比古氏の著書(研究論文ではない)や「ABOの会」にて、血液型性格診断に関する肯定的な主張がこれまでに何度も発表されている。しかし、データの透明性という観点において、高評価を与えられる水準に達しているとは言えない。
1. 繰り返しになりますが、文章の趣旨からすると「ABOの会」ではなく「ABOセンター」でしょうか。そのうち訂正とのことなのでお待ちしています。
2. 能見正比古氏の論文が「研究論文でない」から透明性が低く高評価を与えられないのですか? 心理学の論文を読むと、その調査の対象のほとんどが執筆者(=否定派)の講義に出席した学生です。それでも透明性が高く高水準ですか? 繰り返しになりますが、最近の研究では、統計データは能見氏とほぼ同じ結果が得られています。例えば、このサイトの参考文献でも、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
それなら、差が出ていない昔の心理学の研究は“低水準”ですか?
> 能見氏の著書である「血液型人間学」や「ABOの会」の主張において、一万人規模のアンケート調査にて統計的有意差が出たとの報告もあるが…
上に書いたとおり、心理学の研究でも能見正比古氏どおりの有意差が出ています。
> 「バーナム効果」「予言の自己成就」「確証バイアス」「F・B・I効果(フリーサイズ・ラベリング・インプリティング効果)」といった、心理学で広く知られた効果が排除された実験デザインがとられていないので、透明性は低いといえる。
それは心理学でも同じことです。では、心理学の論文も「透明性は低い」のでしょうか?
> 血液型と疾患といったことにまで対象範囲を広げると…透明性の高い研究も存在する。…前述の報告はあくまで疫学的見地によるものであり、因果的関係はまだ確立されてはない。
意味が理解できません。疫学的に血液型と病気の「因果関係」が全て証明されたとは信じられません。では、「因果関係」が不明な疫学研究は“非科学的”なのでしょうか? また、心理学で定義する「性格」はあくまで統計的なものなので、因果関係を証明できません。因果関係が証明できない原因は(能見氏とは関係なく)心理学の責任になります。
> 人間の社会生活におけるレベルで判別可能であるとする言説において、
これも元の文章を引用していただけないでしょうか? 能見正比古氏の著書でそんな文章を読んだ記憶がないので…。
> 透明度の高い研究ではその効果はことごとく否定されていると判断してよいだろう。
上に示した約3000人×11年は、日本人をランダムサンプリングしたものですから「透明度の高い研究」なはずです。もっとも、最近の研究では、「透明度」に関係なく能見氏とほぼ同じ結果が得られています。以前に紹介したもの一部を再掲します。
1. 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響 工藤 恵理子(東京女子大学)日本心理学会大会発表論文集 2009 →全体として血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
2. 血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響 山岡 重行(聖徳大学人文学部)日本社会心理学会大会発表論文集 2006 →高受容群では11項目で血液型の主効果が認められ、低受容群でも2項目で血液型の主効果が認められた。
3. 潜在的な血液型ステレオタイプ信念と自己情報処理 久保田健市(名古屋市立大学)日本心理学会大会発表論文集 2007 →特性語の種類の主効果(F(1,32)=9.80, p<.01)と特性語の種類×参加者の血液型の交互作用(F(3,32)=3.22, p<.05)が有意だった…定義づけ課題の結果についても,同様の2要因分散分析を行ったところ,特性語×参加者の血液型の交互作用が有意だった.
今日はとりあえずこのへんで。失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

すみません、前回の投稿に間違いがありましたので訂正します。
> O型は1900年に発見されたのではありません。
1900年に発見されなかったのは「AB型」です。また、O型は発見当時はC型と言われており、後でO型に改名されました。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿に特に回答がなかったので既定路線で進めます。よろしくお願いします。
> 1900年、オーストリアの研究者であるラントシュタイナー(K.Landsteiner)によってこれが研究され、彼は血液型を4種類(A型、B型、AB型、O型)に分類できることを発見した。
O型は1900年に発見されたのではありません。
> A、B、Oとは遺伝子を意味しており、メンデルの遺伝法則にしたがって
基本的にはそうですが、細かく言うとBombay-Oやcis-ABもあります。また、通常A型、B型、O型といった場合は表現型を指すことが多いでしょう。念のため、それぞれの遺伝子型は複数存在しています。なお、A型、B型には複数の亜型が存在します。
> 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している
誰がそう言ったのでしょうか? 古川竹二氏? 参考文献にある能見正比古氏ではないはずです。
> 疾患に対する僅かな相関性
何倍も違っても「僅かな相関性」なのでしょうか?
> 継続的な研究が始まったのは前述の能見氏による著書が初めて
戦前は古川竹二氏や日本軍も「継続的な研究」はしていたはずです。戦前の文献を調べてみてはどうでしょうか?
> 1970年に出版された能見正比古氏による「血液型でわかる相性」
出版年は1971年の間違いです。
> 1927年に「血液型と気質の研究」と題する研究論文が古川竹二氏(女子高等師範学校教授)
論文名は「血液型による気質の研究」の間違いです。また当時の校名は「女子高等師範学校」ではなく、正しくは「東京女子…」です。
> 利害関係のない公共性の高い研究においては、血液型性格診断はたびたび否定されており、
血液型は心理学の“商売敵”なので「利害関係」はあります。また、心理学では「統計的に差がある」という主張が現在では多数を占めています。
> 肯定派において同様の水準に達している研究報告は現在のところない。
否定派も肯定派も「統計的に差がある」という主張が現在の主流ですので、「同様の水準」ということになるはずですが?「同様の水準」の定義は何でしょうか?
きりがないので、とりあえず今日はこの程度にしておきます。
さて、念のため前回の“蛇足”に少し補足しておきます。Natureもプロバイダーも私に「話しても言葉が通じない」とは思っていなかった、という意味です。
それから、ららあさんの「対話(!?)を打ち切って相手にしない」という意味がわかりません。それなら、私に限らず、全ての“ニセ科学信者”と対話を打ち切ればいいはずです。私だけ打ち切るということは、何かここで話せない秘密の理由でもあるのでしょうか? 仮にそうだというなら、このサイトの投稿コーナーも意味がないことになりますし…。さっぱりわかりません。
さて、またまた話が脱線しますが、前回の投稿に何か反応があれば女性雑誌の話(例えば何回か取材されたアンアンとか)でも…と考えていたのですが、誰も興味がなさそうなのでやめておきます。(苦笑) (投稿者:ABO FAN)

管理人さん、回答ありがとうございます。当初の投稿が掲載されたときは回答がなかったので、明日以降の「ネガティブキャンペーン」の内容を考えていたのですが、ちょっと脇道にそれて、今回の回答についてコメントしておきます。
>> …私の提示する事例・データ・論文の内容などに「特に反応がない(?)」というのもコミュニケーションの結果だと思っています。
> ――なるほど、その考え方は案外前向きで健全かもしれませんね。ABOFAN様と本研究(私)においてはやはり「共約不可能性」がありそうだと感じておりましたが、…
やはり感じ方が違うようですね…。せっかくなので、私の思ったことを率直に書いておきましょう。
「特に反応がない(?)」というのは、1)本当は理解しているが(自分が不利になるので)わからないふりをする、2)理解していないので反応しない…といったような様々なバリエーションがあるわけです(後述)。もっとも、相手がなぜ反応しないかは、僅かなやりとりの中でも(相手の知的能力も含めて)自然にわかってきます。
例えば、ららあさんの属性は、1)50歳前後の男性、2)現在閉鎖中のkikulogでの議論をした相手(or 他の掲示板 or 直接メールでのやりとり)、3)本当は理解しているが(自分が不利になるので)わからないふりをしている、ということを仮定して前回の投稿を書きました。では、管理者さんはどうか? これも、今回の回答内容を加味すると 1)明治大学(当然ですね・笑)の大学院生(可能性は低いがゼミ生ということもありか?)、2)女性である可能性が高い、3)おそらく文系(ただし心理学は専門ではない)、4)統計学や英語はあまり得意ではない、ということを仮定して今後は投稿を書いていきます。もちろん、この属性についての回答は不要です(確認しようがありませんし・笑)。
ではなぜそういう仮定をするかというと、次回以降の「ネガティブキャンペーン」の内容は、この属性に合ったものにしないと、そもそも理解さえしてもらえないからです。私の文章を理解してもらえなくては、いくらなんでも(お互いに)徒労に終わるというものです。
ところで、私のデータや論理は、基本的にすべて心理学のものを使っています。従って、心理学を多少は知っている人なら「共約不可能性」はありえない。そういう意味では、ららあさんと私の間では「共約不可能性」はありえないと思っています。おそらく、単純にわからないふりをしているだけでしょう。
全くの余談ですが、10年以上前にNatureの論文をサイトに多めに引用したところ、当時のプロバイダーから「Natureの編集部から連絡があり、引用部分を大幅に削らないとあなたのサイトを閉鎖する」という内容の警告文が送られてきたことがありました。あわてて内容を大幅に削除して事なきを得ました(苦笑)。これには後日談があり、その後にアクセスが増えたせいか、同じプロバイダーから、人気サイトとして紹介させてほしいというメールが来て、しょうがないので紹介文を書きました(おいおい・笑)。ですので、昔も含めて「対話が成り立たない」なんてことはないと信じています。対話が成り立たないというのは、そもそも成り立たせたくないからでしょう。いや、本当に蛇足でした。 (投稿者:ABO FAN)

ららあさん、初めまして。この「血液型性格診断」私以外からの投稿としては2番目でしょうか。さて、
> 私の知る限り、多くの方が「話しても言葉が通じない」という結論に達しています。そういった事例(検索すればいくらでも出てきます)を示して、彼との対話(!?)を打ち切って相手にしないことを勧めます。
私の知る限り、多くの方はそう思っていません。それは、私のサイトやブログを見ていただければわかります(いくらでも出てきます・笑)。
また、「話しても言葉が通じない」と言いつつ、自らの主張を私と同じものに変えた人も少なくありません。代表例ですが、菊池誠氏(大阪大学)やNATROM氏の主張は、「統計データに関連がない」→「統計データには小さな関連があってもよい」と(いつの間にか?)変わりました。ですので、私としては“対話”は十分効果が上がっていると考えます。なお、「統計データには小さな関連があってもよい」という意見は、現在はどちらかというと多数派です(検索すればいくらでも出てきます・笑)。私も調べてみて驚いたのですが、いつのまにか状況が以前と全く逆になってしまいました。
しつこいようですが、以上は「事実」ですから、ららあさんがどう思おうが(たとえ対話を打ち切ったり無視したりしようが・苦笑)変わりません。ですので、もし無視するということなら、よほど都合が悪い(?)のかなぁ…と感じるだけです。
管理人さん
> 氏がこの界隈では有名人(苦笑)ということは前から存じ上げておりました。
おお、ありがとうございます。
> 現在は、氏の「発言」すら研究対象(科学コミュニケーションをとる上での阻害要因としてなど)と考えているつもりです。
参考までに、途中経過でもいいので結果を教えていただければありがたいです。
> ただ今のところ、それがうまくいっているとは言えませんが……笑
私はそうは思っていません。こう言っては大変失礼かもしれませんが、私の提示する事例・データ・論文の内容などに「特に反応がない(?)」というのもコミュニケーションの結果だと思っています。一方で、何でもいいから反応(反論)がほしい、というのも正直な気持ちです。
さて、これまた余計なことかもしれませんが、経験上“対話”をするには「ネガティブキャンペーン」の方が効果的です。なぜなら、私の主張は、理解したくない人(?)には、いくら説明してもわからないからです(初めから理解するつもりがないのですから…苦笑)。しかし、相手の間違いを指摘すると、流石にこれには反論せざるを得なくなります(菊池誠氏やNATROM氏が主張を変えたことで実証済です)。
ですので、恐縮ですが、前々回の投稿に書いたように、そろそろ「ネガティブキャンペーン」モードに入ろうかと感じているところですが、よろしいでしょうか? (投稿者:ABO FAN)

>私はそうは思っていません。こう言っては大変失礼かもしれませんが、私の提示する事例・データ・論文の内容などに「特に反応がない(?)」というのもコミュニケーションの結果だと思っています。
――なるほど、その考え方は案外前向きで健全かもしれませんね。ABOFAN様と本研究(私)においてはやはり「共約不可能性」がありそうだと感じておりましたが、ABOFAN様が前述のように感じておられるということを知ることができたのは、こちらとしては一歩前進というところでしょうか……。

今回の投稿は情報提供です。かなり古い話になりますが、4年ほど前にScientific Americanのゲストブログに血液型の話題の紹介がありました。
You are what you bleed: In Japan and other east Asian countries some believe blood type dictates personality
リンクが切れたようなので、なくなったのかと思ってたら、実はURLが移転していたのですね。新URLはこちらです。
http://blogs.scientificamerican.com/guest-blog/2011/02/15/you-are-what-you-bleed-in-japan-and-other-east-asian-countries-some-believe-blood-type-dictates-personality/
ちなみに、私のサイトは次のようにかなり批判的に紹介されています。
At one site, for example, readers can find labeled chemical structures of blood types and detailed analyses to clarify further the "science." True science is doing a poor job of conveying its counter-message, so pseudo-science dominates. あるサイトでは、血液型の科学構造や詳細な“科学的”分析が紹介されている。真実の科学は血液型に対して貧弱なメッセージしか発することができない。だから疑似科学が流行するのである。
気づくのが遅かったり、東関東大震災で忙しかったりして、このブログに反論するのが1年以上遅れたせいか、私の発言には特に何の反応もないようです。
ところで、このブログでも執筆者の意見は矛盾しています。統計データでは関係がないと言いつつ、関係あるデータ(Sakamoto 2004)を紹介しているからです。本人がなぜ気が付かないのかわかりません…。 (投稿者:ABO FAN)

 たぶん、わかっておられると思いますが、ABOFAN氏と対話(!?)しても、何も得るものはありません。過去に多くの方が彼との対話(!?)で時間を無駄にしています。
 私の知る限り、多くの方が「話しても言葉が通じない」という結論に達しています。そういった事例(検索すればいくらでも出てきます)を示して、彼との対話(!?)を打ち切って相手にしないことを勧めます。
(投稿者:ららあ)

ららあ様
ありがとうございます。氏がこの界隈では有名人(苦笑)ということは前から存じ上げておりました。初めはかなりとまどいましたが、本研究は「科学コミュニケーション」における研究ですので、現在は、氏の「発言」すら研究対象(科学コミュニケーションをとる上での阻害要因としてなど)と考えているつもりです。
ただ今のところ、それがうまくいっているとは言えませんが……笑
根気強く、と考えておりますがおっしゃられる通り見積もりが甘いかもしれませんね。

このサイトが貴重な試みであることは確かです。しかし、残念なことに、OSATOさんのブログ http://blog.goo.ne.jp/osato512/e/9f9be1b6ff6b616f63712135ef34f8ef に代表されるように、いくつかの問題点も指摘されているようです。私としては、血液型性格診断の部分だけ補足しておこうと思います。
さて、私が「血液型性格診断」で特に問題だと思うのは、上のOSATOさんのブログにあるように、
> 項目毎に参考文献が紹介されていますが、この文献のどの部分が本文で使われているのか、何の説明もありません。
です。さらに問題だと思うのは、このサイトでは統計データが最大の論点だと思われるのに、全く正反対の結果が得られた論文を両方掲載しているので、いったい何を主張したいのか、さっぱりわからないことです。誰がサイトの文章を書いているのでしょうか?と疑問に思います(もちろん、執筆者を公開する必要がないのは十分承知していますが、こう言いたくもなる私の気持もご理解ください)。繰り返しますが、
このサイトの参考文献でも、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
しかし、正反対の結果も掲載されています。
本研究は,わずかな差でさえ検出できる大規模データを用いても,有意差がほとんど得られないこと,また,効果量を検討し,差の大きさ自体に着目することで,差の大きさがほぼゼロだといえるほど小さいことを示した。...「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)
ですので、このサイトの統計データについての主張を確認したくて何回も投稿したのですが、特に明確な回答がないのも不思議です。なお、統計データの解釈については、よろしければ私のブログを参考にしてください。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2015-03-14
また、管理者さんは、
> 「心理学」や「(心理学的研究における)性格」に拘らずに、まずは「医学疫学」や「進化生物学」といった分野に視野を広げていったほうが…
とありますが、サイトでは肝心の「医学疫学」や「進化生物学」の(入門書はともかく)元論文が紹介されていないので、はたして管理者さんが何を目指しているのか私にはわかりません。この分野の論文としては、例えば、
Donna K. Hobgood, Personality traits of aggression-submissiveness and perfectionism associate with ABO blood groups through catecholamine activities, 2011 http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0306987711002106
は絶対落とせませんし、そうだというならこの論文の参考文献リストは極めて貴重なものです。しかし、管理者さんは自ら英語があまり得意でないとおっしゃているようで(あるいは謙遜ですか?)、おそらくこれらの論文を読んでいる様子もないし、またこれから読む予定も不明というしかありません。やはり、何だかわからない...
また、過去の投稿であった「ABOの会」の誤記にあるように、事実関係の確認や論証が不十分な点が数多く見られることも不安材料です。これまた余計な心配ですが、ひょっとして学会の内部事情も全くご存じないのでしょうか?
以上が単なる私の思い過ごしであればよいのですが、過去の回答から判断する限り、相当先行きが不安だというのも正直な気持ちです。
どうかご検討くだい。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿に書いたように、疑似科学批判には根拠が曖昧だったり間違っているものが少なからずあります。その具体例として、過去の投稿(一部加筆修正)から紹介しておきます。
1つ目です。
2014年7月28日9時からの放送大学「錯覚の科学('14)」第13回「科学的思考と錯覚」(信州大学 菊池聡氏)で、初回に放送された血液型性格判断の批判部分に間違いがあり、訂正放送になりました。初回の放送は2014年7月4日16時からでした。
差し替えになった部分は、大村政男さんの「ラベル付け替え」の実験です。この実験は、別の血液型の特徴を、その血液型と言って示すと信じてしまう(フリーサイズ効果=バーナム効果)ので、血液型と性格が関連する「科学的な根拠はない」というものです。
初回の放送では、パネルによる説明で、本当の特徴のO型とAB型が逆になっていたのです。単純ミスなのだろうと思いますが、誰も気が付かなかったのでしょうか? さすがに訂正放送では、この「ラベル付け替え」の実験の説明が全て削除されました。
2つ目です。
ほぼ10年前の2004年12月8日に出された、BPO青少年委員会の『「血液型を扱う番組」に対する要望』では、血液型番組は“非科学的”と断定しています。次は、この「要望」の抜粋です。
民放連は、放送基準の「第8章 表現上の配慮」54条で、次のように定めている。
(54)占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない。〔解説〕現代人の良識から見て非科学的な迷信や、これに類する人相、手相、骨相、印相、家相、墓相、風水、運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを肯定的に取り扱わない。
これらを踏まえ、青少年委員会としては、「血液型を扱う番組」の現状は、この放送基準に抵触するおそれがあると判断する。
しかし、この「要望」に対して研究家の岡野誠氏が提訴した結果、原告敗訴になったにもかかわらず、この「要望」自体が実質的に取り下げられてしまいました。次は、2012年7月19日に出た控訴審判決からの抜粋です。
本件要望が、(中略) 血液型と人間の性格、行動パターン、病気等との関係を学術的に研究する学問自体の存在自体を否定したり、これについても占いの類と同列であるとして否定的な評価をしたりするものではないし、学術的に裏付けられた内容で、しかも、青少年にも配慮して番組を制作することを否定する趣旨を含むものとは解されない。
奇妙なことに、BPOには具体的に何が“非科学的”なのかを判断する権限はありません。ですので、この権限を逸脱した「要望」は初めから「無効」だったということになります。判決は、そのことを追認したものと言えるでしょう。
さて、次回以降は、私が感じたこのサイトの疑問点について、少しずつ書いていこうと思います。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿の掲載ありがとうございます。ここで、前回の内容を少し補足しておきます。
まず、心理学者の多くは、個人としてなら人格者ですし、またとても親切です。私も尊敬し感謝しています(お世辞ではありません)。ただし、学者や研究者としての態度は、その人の人格とは別に考えるべきでしょう。私の投稿は、あくまでこのサイト「疑似科学されるものの科学性評定サイト」の趣旨に沿って書いているつもりですので、あしからずご了承ください。
次に、管理人さんとのやりとりの経過についてです。私の過去の経験では、否定派・懐疑派の人との議論は、議論の途中で突然「回答拒否」となるパターンが少なくありません。そう言うと、当然のことながら、ほとんどの人は信用しません。しかし、そういう人に限って、突然「回答拒否」になるというのが(ほぼ)お決まりコースになっています。また、否定派の掲示板では、統計データや学術論文の引用をした発言でさえ削除されることもあります。あるいは、某国立大学のように突然閉鎖というケースも散見されます。このサイトでは、今後どういう経緯を辿るのかわかりませんが、どうかそうならないように願っています。
さて、今回は『科学教育教材としての「血液型性格判断」』の執筆者である、長島雅裕氏の“奇妙”な分析について、引き続き書かせてください。彼によると、このサイトでも参考文献に挙げられている『松井豊「血液型による性格の相違に関する統計的な検討」1991、立川短大紀要、24、51-54』の“誤差”はなぜか1%程度になるのだそうです。参考までに、この研究報告のサンプルは、約3,000人×4年=約12,000人です。
大雑把に言うと、誤差は1%程度
 標準偏差σ≒√N≒100 (N: データの個数)
 誤差:σ/N≒0.01=1%(100人→10%、1万人→1%、100万人→0.1%)
[http://phys.koshigaya.bunkyo.ac.jp/~masa/lecture/pseudoscience/slide130417.pdf]
しかし、標準的な統計学で計算すると、誤差は数%になるはずです。なぜなら、
サンプル数が1回につき約3,000ですから、1つの血液型ではその1/4となって約750になります。このデータは、0と1との2つの値を取る2項分布ですから、平均を0.5と仮定して計算してみると、標準偏差は概算で√0.5×0.5÷750=0.0183です。ですから、データの誤差は信頼度95%では0.0183×1.96≒0.0359になりますね。となると、平均すると3.6%程度の誤差があることに…。ただ、これはあくまで平均からの誤差ですから、実際にはプラス側とマイナス側で倍の7.2%程度という結果を得ることができました。
[http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/matsui.htm]
元論文では、そもそもサンプル全体の約1万人について特に分析・計算をしていないのですから、私には全体の誤差を計算するという理由がわかりません。また、2項分布の標準偏差の計算も違うようです。
彼は(少なくとも)数年間は同じ説明をしているのに、誰も疑問を抱かなかったのでしょうか? あるいは、疑似科学批判なら、多少は奇妙な説明だと思っても、あえて誰も指摘しなかったのでしょうか?
いずれにせよ、きちんとした疑似科学批判という点では、望ましいこととは思えません。 (投稿者:ABO FAN)

回答ありがとうございました。また「ABOセンター」と「ABOの会」の誤解が解けてうれしく思います。
しかし、今回の回答は、それ以外については、率直に申し上げてかなり不満ですので、いくつか指摘させていただきます。まず、
> さらに、「ABOセンター」と「ABOの会」について二点教えていただきたいのですが、(ABOFAN様がお答えできる範囲で結構です)
この質問については、今回は大変申し訳ありませんが「回答拒否」とさせていただきます。というのは、前回の私の質問には実質的に何の回答もないにもかかわらず、私に新たな質問をするのは「ルール違反」だと考えるからです。
管理者さんの前回の回答で、私の質問に答えているのは、
>>また、仮に学会にこのような雰囲気があるとするなら、「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」という査読者のコメントは当然の帰結でないでしょうか? 管理者さん自身はどう思われますか?
>――私自身が直接かかわった話ではないのでその件については何とも言えないのですが…
だけだと思います。しかし、「何とも言えない…」ということは、常識的に考えると「回答」ではありません。それでは、なぜ私がしつこく繰り返して質問しているかというと、
>>私もそういう心理学会の事情は十分理解しているつもりです。残念なことですが、現状では仮に誰かが学会発表を考えたり論文を書こうとしても、間違いなくリジェクトされるでしょう。
>――おっしゃりたいことはよくわかるのですが、もしもABOFAN様ご自身で論文を投稿、学会で発表などをされたことがないのでしたら、失礼ですがただの類推や被害妄想にすぎないかと思います。…
とあるからです。「私自身が直接かかわった話ではない」というのに、なぜ管理者さんは「ただの類推や被害妄想にすぎない」と断言できるのでしょうか? おそらく、管理者さんは私の話に疑問があるのでしょうから、相手が特定されない範囲で、もう少し詳しい話をしておきます。
1つ目です。某心理学会大会で発表された「血液型と性格に関係ない」というデータ(ただし大会論文集には掲載されていません)を本人から入手し、私の独自分析で「関係ある」という情報を公表しようとしたら、その人から「そんなことをするならこのデータは使わせない」と利用を拒否されました。しょうがないので、このデータを使わずに別なデータを使うことにしました。
2つ目です。ある心理学会の役員クラスの研究者(複数)は、個人的には「血液型と性格に関係がある」と明言しています。これも、私が本人から直接聞いたので間違いありません(うち1回は公開の場ですので多くの証言者もいます)。しかし、その人が属する心理学会では、その人(複数)は公式には「血液型と性格には関係がない」と言ったり、そういう論文を書いたりしています。
3つ目です。ある否定派の心理学者がテレビに出演しました。この人の主張は一貫して「統計データには差がある」です。しかし、なぜかテレビでは(局側が用意した?)否定的なストーリー展開に合わせてなのか「統計データには差がない」といったような解説をしていました。もっとも、テレビ番組は編集次第でかなり変わるのですが、いくらなんでも本人の主張を反対にすることはないと思います。
これ以上具体的に書くと、わかる人には誰だかわかってしまうので、とりあえずこの程度にしておきます。
さて、しつこくて申し訳ありませんが、再度質問させてください。「私自身が直接かかわった話ではない」というのに、なぜ管理者さんは肯定的な論文がリジェクトされるのが、「ただの類推や被害妄想にすぎない」と断言できるのでしょうか? ぜひ根拠を示してくださるよう強く希望します。
なお、誠に勝手ではありますが、この投稿が「掲載拒否」にならないよう希望しています。わがままを言って恐縮ですが、どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿で未解決だった
> …と、記載されているので”前”ABOの会という表現は自然のように思いますがどうでしょうか。
について、直接ABOセンターに確認してみました。結論は「ABOセンターは、ABOの会を継承するものではなく、2003年に新たに法人化した組織」とのことで別団体とのことです。ただし、主催はどちらも能見親子なので、主張自体は変わらないのではないかとのことでした。これでよろしいでしょうか?
それから、疑似科学批判の研究報告は、かなり間違っているので注意が必要です。ここでは、最近の『季刊 理科の探検 2015年4月号 特集「ニセ科学を斬る!リターンズ」』を例として取り上げます。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2015-03-08
この特集の中には『科学教育教材としての「血液型性格判断」』という記事があります。執筆者は、文教大学准教授の長島雅裕氏です。彼は、この記事の中で『統計データを分析した限りでは「血液型と性格の間には関係は見られない」』と主張しています。
さて、統計的な部分に限ると、この記事の元論文は
1) 松井豊「血液型による性格の相違に関する統計的な検討」1991、立川短大紀要、24、51-54
2) 山崎賢治、坂元章「血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析-」1991、日本社会心理学会第32回大会発表論文集、288-291
3) 山崎賢治、坂元章「血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析II-」1992、日本社会心理学会第33回大会発表論文集、342-345
の3つです。しかし、2)と3)はタイトルでわかるようにシリーズなので、実質は2つということになります。では、元論文にはどう書いてあるのでしょうか?
1) 本資料のデータから見る限り、血液型ステレオタイプは妥当性を欠く[注:統計データに差がない]と結論される。
2)3) 血液型と性格の自己報告との間の相関は、弱いが認められた。さらに、一般の人々の性格の自己報告は、大学生の血液型ステレオタイプに合致していることがわかった。
と、1)では「差がない」、2)3)は「差がある」と全く逆の結果になっています。面白いことに、1)と2)3)のデータは基本的に同じものなのです。具体的には、1)はJNNデータバンクの1980/82/86/88年の4年分で約1万人、2)3)は同じJNNデータバンクの1978-88年の11年分で約3万人です。つまり、1)の4年分の少ないデータでは差がわからなかったものが、2)3)でデータを11年分に増やして再分析したら差が出たということになります。それがなぜ『統計データを分析した限りでは「血液型と性格の間には関係は見られない」』になるのでしょうか? 常識的に考えても不思議と思われませんか?
更に奇妙なのは、長島氏自身の研究『教員養成課程における科学リテラシー構築に向けた疑似科学の実証的批判的研究 科学研究費助成事業(科学研究費補助金)研究成果報告書 2011年)では「21世紀以降のデータでは、安定して血液型ごとに性格の自己申告について有意な差が出ることが判明した。」とはっきり書いていることです。
それなのに、どうして『統計データを分析した限りでは「血液型と性格の間には関係は見られない」』と主張できるのか…私には理解不能というしかありません。
その他にも、彼の計算には誤差の計算に奇妙な点がいくつかあります。私は彼と何の関係もありませんが、こういう研究報告が何の指摘もされず、そのまま否定的な根拠として使われるのは疑似科学批判側にとって好ましくないと思うので、あえてここに書いています。また、仮に学会にこのような雰囲気があるとするなら、「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」という査読者のコメントは当然の帰結でないでしょうか? 管理者さん自身はどう思われますか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>結論は「ABOセンターは、ABOの会を継承するものではなく、2003年に新たに法人化した組織」とのことで別団体とのことです。
――さっそくの情報提供ありがとうございます。本HPにおける表記も訂正させていただきます。(ただし、本HPではシステムの仕様上、何時、何が更新や変更がされたのかわからないものとなっています。現在改善を図っていますのでこの点についてはご了承ください。)
さらに、「ABOセンター」と「ABOの会」について二点教えていただきたいのですが、(ABOFAN様がお答えできる範囲で結構です)
一点目に、
>ただし、主催はどちらも能見親子なので、主張自体は変わらないのではないかとのことでした
――とありますが、「ABOの会」と「ABOセンター」では中心的主張以外の面で、例えば研究活動や運営方針上でどのような違いがあるのでしょうか?
二点目ですが、
「ABOセンター」のHPにおきまして、Facebookは頻繁に更新されているみたいなのですが、研究活動というよりはほとんど個人の日記状態のように見えてしまうのですが、これは現在「ABOセンター」の研究活動が停滞している、と受け取ってもよいのでしょうか?その辺の事情をご存知でしたらお教えいただければ幸いです。

>また、仮に学会にこのような雰囲気があるとするなら、「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」という査読者のコメントは当然の帰結でないでしょうか? 管理者さん自身はどう思われますか?
――私自身が直接かかわった話ではないのでその件については何とも言えないのですが、参考文献にあります「血液型で分かる なりやすい病気なりにくい病気」や「血液型の科学」からも考察するに、「心理学」や「(心理学的研究における)性格」に拘らずに、まずは「医学疫学」や「進化生物学」といった分野に視野を広げていったほうが「血液型」には将来性があるのではないかと個人的には思っています。(この辺の文脈は評定本文でも多少触れていますが……)

回答ありがとうございます。
> やはり何度読んでもABOFAN様が結局何がおっしゃりたいのかよくわかりません。
申し訳ありませんが、なぜ管理者さんが理解できないのかわかりません。では、より簡単にしてみます。
質問:管理者さん自身は、実証実験データできちんとした「差がある」と判断しているということなのでしょうか?
単純に「はい」「いいえ」「わからない」「その他」でお答えください。
> この部分については、本研究における研究員や相談役などと協議したのち、また改めて回答させていただきたいのですが、いかがでしょうか?
お手数をおかけします。私がどうこう言うべきことではないので、対応は管理者さんにお任せいたします。
> …と、記載されているので”前”ABOの会という表現は自然のように思いますがどうでしょうか。
ABOセンターは「能見正比古・俊賢氏を法人化した」もののはずなので、能見氏以外の会員もいるABOの会とは違う団体のはずです。もっとも、私の記憶違いの可能性もあるため、直接ABOセンターに確認してみることにします。
> ―これでは文意がまったく逆になってしまっています。ABOFAN様のお考えで結構ですので、結局のところ、能見正比古氏の言説と、ABOセンターの言説に親和性はあるのでしょうか?お答え願えればと思います。
どうも誤解されているように思います。能見正比古氏の言説と、ABOセンターの言説は『血液型は性格に影響を与えている』という単純な科学的な事実の提示とその応用であり、『「性格」が科学的に分析可能だと主張』しているのではないはずです。繰り返しになりますが、「性格」が科学的に分析しにくい理由は、まだ性格の科学的な定義が確立していないからです。
> この心得についての論理的妥当性は研究者の中で現在議論検証されている、または過去に議論検証されたことがあるのでしょうか?ご存知でしたらお教えください。
研究者の定義によります。まだ「血液型と性格」をまともに研究対象としている学会はないと思うので、そういう意味なら「議論検証」はありません。
> 失礼ですがただの類推や被害妄想にすぎないかと思います。
では、とある学会関係者に血液型について直接的に情報をいただいている、としたらどうしますか? また、学会関係者の方には大変失礼かもしれませんが(血液型に限っては)コストパフォーマンスを考えると、論文よりネットの方が効率的です。現に、私のサイトを見て書いた論文も(複数)ありますし、明らかに私のサイトを読んだことがわかる反応も数多くあります。では、学会の何が問題かというと…さすがに、この投稿に正直に書くのは遠慮させていただきます。なお、私のブログの最新記事 季刊 理科の探検 2015年4月号 特集「ニセ科学を斬る!リターンズ」の間違い《続》 http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2015-03-08 も参考になるかもしれません。
> 今回の回答、大変長文になってしまいまして申し訳ございませんでした。
いいえ、部外者に対してご丁寧な回答ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。 (投稿者:ABO FAN)

ご丁寧な回答ありがとうございました。
>「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか、という指摘に「血液型性格診断」言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、また議論が行われていないのではないかという点を記述、評定いたしました。
やはり管理者さんの回答の意味が理解できません。繰り返しになりますが「予言の自己成就」は、実証実験データできちんとした「差がある」ということです。それなら「バーナム効果」ではありえない。逆に、実証実験データで「差がない」のに当たっているように見えるのは「バーナム効果」です。現在までの管理者さんの回答では、実証実験データに「差があるかどうかはっきりしない」ようです。ですので、管理者さん自身の文章を拝借させていただくと、私は『「血液型性格診断」批判・懐疑』言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、と言う点を記述、評定しています。では、管理者さん自身は、実証実験データできちんとした「差がある」と判断しているということなのでしょうか?
> ヒューマンサイエンスABOセンター(前ABOの会)においては、そのHPをご覧になっていただければわかると思いますが、能見正比古氏の言説に依拠しつつ、「科学」ということを強調しているように見受けられます。(例えば当該HPのAbout usやWhat is ABO?ページなど)
少々事実誤認があるようです。まず、「ABOセンター」と「ABOの会」は別の団体だと思いますが? また、「科学」を強調しているのは能見正比古氏の時代からで、現在も特に変わっていないはずです。もし違うというなら、お手数ですが根拠を示してくださいませんか? よって、ABOセンターも能見正比古氏も『「性格」が科学的に分析可能だと主張』しているとは思えません。前回の繰り返しになりますが、そうだというなら根拠を示してくださいませんか?
> ご自身で論文を書いて投稿する、学会発表を行う、などをされてみてはいかがでしょうか?ABOFAN様のおっしゃる否定論者に対しても、科学の営みとしてもそのほうが建設的だと思いますが……。
ひょっとしてご冗談でしょうか? ご紹介の論文「清水武 心理学は何故、血液型性格関連説を受け入れ難いのか―学会誌査読コメントをテクストとした質的研究」にも「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」(p106)とあります。私もそういう心理学会の事情は十分理解しているつもりです。残念なことですが、現状では仮に誰かが学会発表を考えたり論文を書こうとしても、間違いなくリジェクトされるでしょう。だから、ここにこうして投稿している方がはるかに建設的なのです。(笑)もっとも、それが本来の科学的な営みとして妥当かどうかは別の問題でしょうが。
管理者さんがこんな学会の現状がわからないはずがないので、この回答には別の事情もあると推察しています…。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>繰り返しになりますが「予言の自己成就」は、実証実験データできちんとした「差がある」ということです。それなら「バーナム効果」ではありえない。逆に、実証実験データで「差がない」のに当たっているように見えるのは「バーナム効果」です。現在までの管理者さんの回答では、実証実験データに「差があるかどうかはっきりしない」ようです。ですので、管理者さん自身の文章を拝借させていただくと、私は『「血液型性格診断」批判・懐疑』言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、と言う点を記述、評定しています。では、管理者さん自身は、実証実験データできちんとした「差がある」と判断しているということなのでしょうか?
――すみませんが、やはり何度読んでもABOFAN様が結局何がおっしゃりたいのかよくわかりません。ですのでこの部分については、本研究における研究員や相談役などと協議したのち、また改めて回答させていただきたいのですが、いかがでしょうか?

> ヒューマンサイエンスABOセンター(前ABOの会)においては、そのHPをご覧になっていただければわかると思いますが、能見正比古氏の言説に依拠しつつ、「科学」ということを強調しているように見受けられます。(例えば当該HPのAbout usやWhat is ABO?ページなど)
に対しまして
>少々事実誤認があるようです。まず、「ABOセンター」と「ABOの会」は別の団体だと思いますが?
――とのご回答をいただきましたが、ヒューマンサイエンスABOセンターのHP内に、
沿革
1972年 能見正比古、「血液型でわかる相性」(青春出版社)を機に、血液型人間学を提唱
1979年 ABOの会設立
1982年 能見正比古死去。能見俊賢、研究の後を継ぐ
2004年 NPO法人 血液型人間科学研究センター設立 能見俊賢 理事長就任
2006年 能見俊賢死去。2006年 石崎光教 理事長就任
2014年 一般社団法人に組織改編 「一般社団法人 ヒューマンサイエンスABOセンター」
代表理事 市川千枝子
――と、記載されているので”前”ABOの会という表現は自然のように思いますがどうでしょうか。
また、先のご指摘に関して、
>また、「科学」を強調しているのは能見正比古氏の時代からで、現在も特に変わっていないはずです。もし違うというなら、お手数ですが根拠を示してくださいませんか?
――と、ご回答いただきましたが、科学性を謳っている一例として手前どもがABOセンターについて記述した次第です。ですのでもちろん能見氏やABOセンターは「科学」を強調していると考えております。ですが、
>よって、ABOセンターも能見正比古氏も『「性格」が科学的に分析可能だと主張』しているとは思えません。前回の繰り返しになりますが、そうだというなら根拠を示してくださいませんか?
――これでは文意がまったく逆になってしまっています。ABOFAN様のお考えで結構ですので、結局のところ、能見正比古氏の言説と、ABOセンターの言説に親和性はあるのでしょうか?お答え願えればと思います。

さらに、
>よって、ABOセンターも能見正比古氏も『「性格」が科学的に分析可能だと主張』しているとは思えません。前回の繰り返しになりますが、そうだというなら根拠を示してくださいませんか?
――に対しましてですが、当該HPのBookのページに、
決定版 血液型性格ガイド
これを読めば各血液型のイメージがつかめる!自分、仕事、恋愛…血液型人間学の基礎知識をまとめてあります。初めて血液型に触れる方なら、この一冊でそれぞれの血液型イメージが分ります。
電子book書籍はこちら
1,050円
購入先リンク
監修・NPO法人 血液型人間科学研究センター/新星出版

その他の本リスト
●能見正比古著作シリーズ
「血液型でわかる相性」1971年 初版 「血液型人間学」1986年 初版 「血液型愛情学」1986年 初版 「血液型活用学」1986年 初版 「血液型エッセンス」1986年 初版 「血液型ゴルファー学」1986年 初版 「血液型と性格ハンドブック」1986年 初版 「血液型人生論」1986年 初版 「血液型女性白書」1986年 初版 「血液型政治学」1986年 初版 「血液型で人間を知る本」1986年 初版
●改訂版(文庫)/青春出版社「決定版」シリーズ
「決定版/血液型ずばりわかる人間学」(文庫)1998年 青春出版社「決定版/血液型なるほど性格ハンドブック」(文庫)1996年 青春出版社「決定版/血液型ここまでわかる愛情学」(文庫)1997年 青春出版社「決定版/血液型で人間を知る本」(文庫)1999年 青春出版社「決定版/血液型ピタリわかる相性」(文庫)1999年 青春出版社「決定版/血液型でわかる幸福学」(文庫化)2000年 青春出版社
――etc.と、ざっと眺めただけでもタイトルに「性格」という語が散見できます。また、What is ABO?ページには、
能見正比古が提唱した「血液型人間学」
血液型と気質の関係を口にする学者は居なくなりましたが、古川説の噂は既に巷に流れていました。
能見正比古が最初に知ったのは、中学生の頃(1940年頃)、お茶の水大学に通うお姉さんからです。
姉の幽香里さんは、古川教授の授業は受けていなかったのですが、学内に残る研究の噂を聞いたのでしょう。
能見正比古が本当に興味を強く抱いたのは、東大の学生寮にいた時だということです。
その後彼は、自分なりのデータを蓄積しました。
作家としての活動を幅広く行っていた能見は、多くの人間観察の機会を得られたようです。
仕事がら、芸能界や文化界の人間関係も多く、そうした人々のユニークな人生に関わることも多かったのです。
そんな経験が、能見正比古の血液型気質研究を更に助けることになったのかもしれません。
能見は1971年、一般書籍「血液型でわかる相性」(青春出版社)を発表しました。
それが非常に大きな反響を呼び、能見はこの研究を進めることを決意します。
更に、数万件以上の実名アンケートの実施、各界各分野の血液型データの有意差検定を行い、統計調査からの科学的証明を試みます。
それらは、血液型と気質の関係性をはっきりと示し、この研究の意義を再認識した能見は、「血液型人間学」を提唱しました。
このような、能見の科学的姿勢にもとづいた分析調査は幅広い層の読者に評価され、更には作家としての人間観察力や人情味溢れる文章表現が人々に共感を与えます。
こうして能見理論は、日本の人々に浸透していくことになりました。
古川竹二教授が、パイオニアとして血液型と気質研究の始まりを創り、作家、能見正比古が新たな考えのもとに再調査を試み、基礎的研究を築いたと言えるでしょう。
今や日本中に広がっている血液型情報ですが、その根底には、彼ら研究者たちの勇気と努力があったのです。
――と、「気質」「科学的姿勢」「研究」「血液型人間学」という語句が多数あり、文脈的にも科学性を謳っているに相当すると考えられます。ここで述べられている「気質」が一般的な語彙である”「性格」のなかの生まれつきの部分”を意味するのではないのだとしたら、ABOセンターのいう「気質研究」さらには能見正比古氏の「血液型人間学」というのは一体何を意味しているのでしょうか?ABOFAN様のお考えがあれば、お答えいただければ幸いです。

そして、About usにあります下の心得についてなのですが、
【血液型10の心得】
1. 血液型の先入観で人の性格を決めつけることなく活用しよう。
2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。
3. 血液型の特性の違いは、努力の方向性を知る手がかりとしよう。
4. 血液型で相性の良し悪しはない!互いの努力のポイントを知る手がかりとしよう。
5. 血液型は人の善悪を言うものではなく、機能や特性の違いだと理解しよう。
6. 血液型だけで能力は決まらない!当然だが誰にでも全ての可能性があると知ろう。
7. 血液型は人の好き嫌いに利用するものではない。気質の違いを認める器を持とう。
8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。
9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。
10. 血液型の違いを知ることは、人間同士の真の共通性を確認することだと理解しよう。
――この心得についての論理的妥当性は研究者の中で現在議論検証されている、または過去に議論検証されたことがあるのでしょうか?ご存知でしたらお教えください。

最後ですが、
>私もそういう心理学会の事情は十分理解しているつもりです。残念なことですが、現状では仮に誰かが学会発表を考えたり論文を書こうとしても、間違いなくリジェクトされるでしょう。
――おっしゃりたいことはよくわかるのですが、もしもABOFAN様ご自身で論文を投稿、学会で発表などをされたことがないのでしたら、失礼ですがただの類推や被害妄想にすぎないかと思います。先にご紹介させていただいた清水氏の論文のように、査読コメントを基にした質的研究における反証論文を書くこともできますし、そもそも、あの論文をご紹介できたのは別の論文誌にあの論文が掲載されたからです。ですので、ご自身の主張をなさりたいのなら、心理学(といっても「心理学」では大ざっぱすぎる区分けでしかなく、厳密には相当細分化されていますが……)という枠組みに拘らず、他の研究領域、学会、論文誌などでされてみてはいかがでしょうか?
今回の回答、大変長文になってしまいまして申し訳ございませんでした。

素早いご返事ありがとうございます。では、少々甘えて連投させていただきます。
>「予言の自己成就」”あるいは”「バーナム効果」なのではないか、とは書いていますが……。
同一の項目に対して「予言の自己成就」”あるいは”「バーナム効果」というのは、私にはシュレディンガーの猫のように感じられます。
観察するまで状態がわからないということなら、実証実験データできちんとした差がある可能性もあるわけで、それなら現状では「血液型性格診断」が非科学的かどうかわからない、ということになりませんか?
もちろん、「予言の自己成就」and/or「バーナム効果」が実証データで直接的に証明されたというなら別です。しかし、私が知る限りそんな研究は(ほとんど)ないので、ということは「理論構成がなされていない」のは懐疑派あるいは否定派であって、肯定派ではないと考える方が妥当ではないでしょうか?
また、これだけ私の投稿を掲載いただいているのに申し上げるのも心苦しいのですが、私の質問に対して管理者さんの「回答拒否」が多いように感じています。例えば、
> 「血液型性格診断」言説では「性格」が科学的に分析可能だと主張が謳われているようです
> 現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?
については、特に管理者さんから反応がないので、私の言説に賛同していると判断してよいものなのでしょうか? それにもかかわらず、
> 例えばヒューマンサイエンスABOセンターなどの団体について、ABOFAN様はどうお考えでしょうか?
と急に話題を変えられても、いったい何をどう回答すればいいのか困ってしまいます。そもそも、このサイトの「血液型性格診断」の本文では、メインは能見正比古氏の言説であり、ABOセンターへの直接的な言及はありません。ですので、私はこのサイトの趣旨を尊重して、能見正比古氏の「血液型人間学」イコール「血液型性格診断」として説明してきたつもりです。私の質問も趣旨は同じです。しかし、その肝心の能見正比古氏についての私の質問に「回答拒否」(?)というのは理解できません。では、改めて確認しますが、このサイトの「血液型性格診断」はABOセンターがメインということでよいのでしょうか? またABOセンターが「科学的言説を謳っている」ということなら、原文を引用していただけないでしょうか? そうでないと、私はどうリアクションをしてよいのかわかりません。
お手数ですが、どうかよろしくお願いいたします。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>同一の項目に対して「予言の自己成就」”あるいは”「バーナム効果」というのは、私にはシュレディンガーの猫のように感じられます。
観察するまで状態がわからないということなら、実証実験データできちんとした差がある可能性もあるわけで、それなら現状では「血液型性格診断」が非科学的かどうかわからない、ということになりませんか?

――すみませんが、やっぱり意味不明です。「シュレディンガーの猫のように」の部分も意味不明なのですが、「観察するまで状態がわからない」とお書きになっていますが、この文意はどこから捉えられたものなのでしょうか?もう一度当該項目を貼り付けますが、

『本研究における「理論の論理性」では、説明が矛盾なく一貫しているか。合理的な前提に基づいているか。類推などの飛躍した論法を使ってはいないか。
といったことを評定基準としており、その意味において、「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか、という指摘に「血液型性格診断」言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、また議論が行われていないのではないかという点を記述、評定いたしました。』

「観察するまで状態がわからない」ということをどこからお考えになったのでしょうか?


> 「血液型性格診断」言説では「性格」が科学的に分析可能だと主張が謳われているようです
> 現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?

――私のこの回答に対してABOFAN様は

>「血液型性格診断」の参考文献に挙げられている能見正比古氏の「血液型人間学」には、そんな主張があるとは思えません。引用元はどこでしょうか?

と、お書きになっておられましたが、「血液型性格診断」が「科学性」を謳っている一例として、

> 例えばヒューマンサイエンスABOセンターなどの団体について、ABOFAN様はどうお考えでしょうか?

と申し上げたつもりでございます。しかし、私の言い方が少々乱暴で、これでは意図が伝わりませんね。申し訳ございませんでした。
ヒューマンサイエンスABOセンター(前ABOの会)においては、そのHPをご覧になっていただければわかると思いますが、能見正比古氏の言説に依拠しつつ、「科学」ということを強調しているように見受けられます。(例えば当該HPのAbout usやWhat is ABO?ページなど)
本研究の評定基準において、これは「科学性を謳っている」行為に相当すると考えております。
「血液型性格診断」言説において、このような社会的な事例があることを、ABOFAN様はどのようにお考えになっていらっしゃるのか、よろしければお考えをお聞かせ願えればと思います。

あと一点ですが、
> 現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?
かなり誤解されているようですね。私の主張は実に単純です! 心理学には、「血液型と性格に関係がある」というデータやロジックがある/しかし、否定論者は、これらのデータやロジックをすべて否定している/私は、この否定論に反論し否定している/従って、血液型と性格は関係がある つまり、私は徹頭徹尾心理学のデータとロジックを使っていますので、それが「科学的」でないというなら、心理学自体が科学的でないことになります。よろしいでしょうか? http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/intro.htm
――でしたら、ご自身で論文を書いて投稿する、学会発表を行う、などをされてみてはいかがでしょうか?ABOFAN様のおっしゃる否定論者に対しても、科学の営みとしてもそのほうが建設的だと思いますが……。

追加です。
> 「血液型性格診断」言説では「性格」が科学的に分析可能だと主張が謳われているようです
「血液型性格診断」の参考文献に挙げられている能見正比古氏の「血液型人間学」には、そんな主張があるとは思えません。引用元はどこでしょうか? 逆に、その反対の記述ならいくらでもあります。例えば、
血液型でわかるのは性格のうちの4分の1ですよ(血液型人間学)
1.血液型で、人の性格を、決め付けてはいけない。2.血液型が、性格のすべてであると思ってはいけない。…(能見正比古 血液型十戒)
「O型の性格を一口に言って下さい」などと質問してくる。一口に言えるような普遍的総括的、かつ客観性を持った性格用語が開発されていたら苦労はない。多種多様の色彩も、オングストロームという光学上の単位を得て、まずまず統一的に表現できるようになった。人間の性格も、あるいは、キャラクトロームというような単位を作り得て、「O型の性格は80キャラクトローム前後ですよ」と言えるようになるかもしれぬ、ただしそれは、はるかに遠い将来である。(能見正古比 O型は人間は権力志向型なんだって-血液型性格学 別冊宝島6『性格の本-もうひとりの自分に出会うためのマニュアル』 宝島社 1977.8)
> 現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?
かなり誤解されているようですね。私の主張は実に単純です! 心理学には、「血液型と性格に関係がある」というデータやロジックがある/しかし、否定論者は、これらのデータやロジックをすべて否定している/私は、この否定論に反論し否定している/従って、血液型と性格は関係がある つまり、私は徹頭徹尾心理学のデータとロジックを使っていますので、それが「科学的」でないというなら、心理学自体が科学的でないことになります。よろしいでしょうか? http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/intro.htm
> このご指摘については、「ヒルガードの心理学」第十四版 第十三章「人格」p588-p639…などをご参照いただければと思います。
原文を引用していただくと助かるのですが? それとも特に明確には書かかれてないのでしょうか? (投稿者:ABO FAN)

では関連リンクにも貼らせていただいておりますが、例えばヒューマンサイエンスABOセンターなどの団体について、ABOFAN様はどうお考えでしょうか?明らかに科学的言説を謳っているかのように見受けられるのですが……。
先の出典については、一般的な心理学の教科書における「人格」について言及している章を案内したつもりです。勉強のために、とのことでしたのでまずは大まかに学べるものから紹介させていただきました。

> 「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか、
この書き方では、管理者さんが理解して書いているのかかなり不安です。まず「予言の自己成就」なのかどうか、「直接的」に検証した心理学の研究はほとんどありません。もしあるというならならご紹介ください。また「バーナム効果」の有無と「血液型性格診断」が正しいかどうかは直接的には関係がありません。
一応説明しておきます。「バーナム効果」とは、「誰にでもあてはまる」ような言葉に自分が当てはまっていると思うことです。反対に「予言の自己成就」は、「その血液型の特徴」を思い込むことです。極論すれば「バーナム効果」と「予言の自己成就」は正反対ですから、同じ項目に対して「同時に成り立つ」といったような説明は奇妙としか言いようがありません。
具体例を挙げましょう。仮に「A型は神経質」がバーナム効果だというなら、実験実証データでは血液型によって差が出ないはずです。しかし、それが「予言の自己成就」なら、実証実験データではA型では当てはまる人が多い、という結果が得られるはずです。ですので『「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか』という言い方なら、管理者さん自身が「言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない」となってしまいます。少なくとも私はそう感じています。 (投稿者:ABO FAN)

すみません。今度はこちらが意味不明です。
「予言の自己成就」と「バーナム効果」が「同時に成り立つ」などという文脈を私はどこかに書きましたでしょうか?
「予言の自己成就」”あるいは”「バーナム効果」なのではないか、とは書いていますが……。

補足と追加です。
前回の投稿では『性格が科学的に定義できないとするなら「血液型性格診断」は「非科学」ということになりますが?』と書きました。しかし「非科学」では誤解されそうです…。正しくは『「血液型性格診断」に科学的な分析は不可能』という意味です。なぜなら「性格」が科学的に定義できないので、血液型が性格にどんな影響を与えるのか科学的には分析できないからです。
> 「主要五因子」などでヒトの「性格検査」が”完全に”行えるとはとても言えないと考えます
これは管理者さん独自の説ですか? それともどこかの(心理学の)文献にあるのでしょうか? 私は初耳なので、勉強のためにぜひ出典を教えてくださいませんか?
もっとも、「主要五因子」(ビッグファイブ)では、その人の血液型に関する性格の自己認知が検出できないことは明らかなので(複数の文献で確認済)、少なくともこの性格検査にはかなり大きな欠陥があることは確かなようです。逆に、血液型によって従来の心理学の限界がはっきりしたことは、学問的には有意義なことでしょう。 (投稿者:ABO FAN)

二つ目のご指摘、および補足についてですが、ABOFAN様のおっしゃる通りだと考えます。
ですが、というか、にも関わらず「血液型性格診断」言説では「性格」が科学的に分析可能だと主張が謳われているようです(現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?)そういう意味において、「科学的に分析不可能」なものを「科学」だと主張しているのは、”今のところ””既存の科学の枠組み”においては疑似科学であると評定せざるを得ない思います。
また、> 「主要五因子」などでヒトの「性格検査」が”完全に”行えるとはとても言えないと考えます。これは管理者さん独自の説ですか? それともどこかの(心理学の)文献にあるのでしょうか? 私は初耳なので、勉強のためにぜひ出典を教えてくださいませんか?
このご指摘については、
「ヒルガードの心理学」第十四版 第十三章「人格」p588-p639
「心理学概論」小野寺孝義、磯崎三喜年編 p74-p96
「心理学概論」京都大学心理学連合編 p189-p208
などをご参照いただければと思います。

> つまり、当該箇所は「予言の自己成就」や「バーナム効果」を排除していない状態での理論構築がみられる、という文脈で用いています。実証実験データという意味とは区別しています。
では、実際に「実証実験データ」で検証してみてはどうでしょう? 管理者さんは「予言の自己成就」や「バーナム効果」で具体的なデータがどう影響を受けるのか説明できますか? また、理論的に「予言の自己成就」や「バーナム効果」を「実証実験データ」から排除することができると思いますか? 仮に、排除できないとすると、現実のデータで検証しようがないので、「理論構築」自体が無意味ということになりますが? 現実に検証できない理論なら無意味ですから…。というように、どんどん疑問が膨らむので、私は意味不明と書きました。
> 「性格」というものをどのように規定するか、また測定するか、ということに関して、心理学上でも完全な合意形成がされているとは言い難いです。
性格が科学的に定義できないとするなら「血液型性格診断」は「非科学」ということになりますが? 「疑似科学」というなら性格が科学的に定義可能であることが前提になるはずです。ですので、私には意味不明ということになります。 (投稿者:ABO FAN)

先の回答では確かに語弊がありますね。すみません。まず一つ目のご指摘から補足いたします。
本研究における「理論の論理性」では、説明が矛盾なく一貫しているか。合理的な前提に基づいているか。類推などの飛躍した論法を使ってはいないか。
といったことを評定基準としており、その意味において、「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか、という指摘に「血液型性格診断」言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、また議論が行われていないのではないかという点を記述、評定いたしました。

すみません、今回の回答は意味不明です。不躾な質問ですが、管理者さんは心理学は勉強されましたか?
もし勉強しているというなら、簡単に心理学で説明します。しかし、正直言って勉強したことがあるとは思えません。そうなると、心理学の基礎から説明することになるので、結構大変かなぁというのが率直な感想です。
余談ですが、最新号の「理科の探検」に血液型批判が出ています。しかし、はっきり言ってトンデモな内容で、本当に大丈夫なのか心配になってきます。この点についても、情報提供をしようと思っています。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
具体的にどの点が意味不明なのでしょうか?

久しぶりに質問させていただきます。このサイトには、
> 心理学側から特に強く指摘されている「バーナム効果」や「自己成就」の有無については、肯定派ですら暗に認めているかのような発言もみられ、
とありますが、「自己成就」があるとするなら、全ての調査結果で差が見られないとおかしいはずです。この点は、私が再三指摘してきたところですが...いかが思われますか?
また、「バーナム効果」は心理学の性格検査にも見られます。参考文献にある「血液型の迷路」では、心理学者の大村政男氏が認めている話があります。では、性格検査では「バーナム効果」が見られるから、心理学は疑似科学なのでしょうか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
ご指摘された箇所は「理論の論理性」項目における記述であるかと思います。つまり、当該箇所は「予言の自己成就」や「バーナム効果」を排除していない状態での理論構築がみられる、という文脈で用いています。実証実験データという意味とは区別しています。この点は「評定の基本的な考え方」もしくはトップページをご覧ください。※ただし本研究は試験運用の段階でありまして、研究全体の方法論に未成熟な点があることはご了承ください。
後半のご指摘に関しましては返答に難しいですね。まず、「性格」というものをどのように規定するか、また測定するか、ということに関して、心理学上でも完全な合意形成がされているとは言い難いです。例えば、「性格検査」には「遺伝的気質」は認められないといった言説も心理学上では見受けられますが、かといって「主要五因子」などでヒトの「性格検査」が”完全に”行えるとはとても言えないと考えます(現に、意図的な欺瞞に弱いといった弱点もあります)。かといって心理学が疑似科学だというわけではなく、これはむしろ「性格検査」に関する研究が非常に困難であることを意味しているかと思います。

前回は大変お手数をおかけしました。どうやら1行の長さが長いと文字化けが発生するようです。
さて、今回も前回の投稿の補足です。私は前回、「有名な特性」以外では、血液型が性格に影響する程度・方向は性別や年齢によって変わり、そのデータの裏付けもあると書きました。次はその具体例です。
大村政男氏による研究報告で、『「血液型気質相関説」と「血液型人間学」の心理学的研究II』(日本大学 研究紀要, vol. 46, pp115-155, 1993年)というのがあります。冠状動脈性心疾患(oronary Heart Disease, CHD)を発病しやすい行動パターンを意味するタイプA行動が血液型によって差があるかどうか調べたものです。この研究報告のデータを使って男性だけ計算してみると、O型がタイプA的な性格であることがわかります。念のために、χ2値を計算してみましょう。これは5.76という値が得られるので、2%以下で有意となります。確かにO型はタイプA的な性格であることが証明できました。タイプA的性格を示す質問の肯定率は、O型が46.6%、A型が43.3%、B型が43.0%、AB型は41.6%となりました。
しかし、女性では(有意差は出ていないものの)男性とは逆の傾向を示しているようです。このことは、血液型による影響が男性と女性とで正反対に表れる可能性を示しています。
別な例もあります。坂元章氏は年齢によって血液型の特徴に差があるかどうか調べてみました(山崎賢治・坂元章 血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析- 日本社会心理学会第32回大会発表論文集 pp288-291, 1991年)。彼によると『高年齢であるほど「A型的」特徴があてはまる』という結果が得られたとのことです。また、最近になるほど「日本人はB型的になってきている」そうです。
このように、血液型の特徴は性別、年齢、時代によって変わってきます。ですから、血液型の差を正確に比較しようとするなら、なるべく同質のサンプルで比較する必要があります。ランダムサンプリングをすると、「有名な特性」はともかくとして、微妙な差は性別、年齢、時代などの「ノイズ」に埋もれてしまう危険性があるのです。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
プログラム上の不備を見つけていただきありがとうございます。
近く改善いたします。

[前回と前々回の投稿が文字化けしている可能性がありますので、念のため同じものをもう一度投稿します。]
前回の投稿の続きです。
ところで、統計データの差はあくまで「見かけ上」のもので、本当は差がないのだという有力な反論も存在します。これらの差は「自己成就現象」や「思い込み」によるものだというのです(代表は聖徳大学の山岡重行氏)。この論点については、最近まで決着が付かなかったのですが、昨年出版された金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』が一石を投じました。しつこいようですが、過去の投稿を再掲します。
金澤氏は、その血液型特性が知られている割合と、データの差の大きさの関係に着目しました。仮に、血液型による統計データの差が「自己成就現象」や「思い込み」によるものなら、その特性が知られていればいるほど差が大きくなるはずです。逆に、ほとんど知られていない特性なら、「自己成就」や「思い込み」は小さいので、大きな差が出ることはありません。
結果は意外なものでした。その特性が知られている割合と、差の大きさには関係がなかったのです。また、ほとんど知られていない特性でも安定した差が見られました。つまり、血液型による統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」ではなかったのです! 実際の統計データはこちらです。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
さて、血液型による「自己成就現象」や「思い込み」が存在するなら、その人自身が下す性格判断(=性格検査)は間違っているということになります。日本人の7割程度は「血液型と性格に関係がある」と思っていますから、論理的には日本人の7割の性格検査の結果は間違っていることになります。この仮定が非現実的なのは明らかですから、血液型による性格の差を「自己成就現象」や「思い込み」だけで説明するのは元々無理があるのです。
統計データについて、前回の投稿に少し補足しておきます。個々の「血液型ステレオタイプ」の質問では差が出ていたものが、結果を5因子に集約する過程で差が相殺され消滅・減少した、というのには別の要因もあります。「有名な特性」以外では、血液型が性格に影響する程度・方向は性別や年齢によって変わるのです(データの裏付けもあります)。ですので、異なるサンプルをそのまま比較すると、同じ方向の差になるとは限りません。ましてや、個々の質問を性格因子に集約するなどしたら、どんな結果が出ても不思議ではありません。これが、多くの研究で一致した結果が出ない理由です。
最後に、5節にある査読者の反応についてです。血液型と性格を研究している人はかなり限られるので、査定者が誰なのかはある推測できてしまいます。例えば、第二査定者はほぼ間違いなくW氏でしょう。彼(彼女ではない)は正直な人ですから「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」と述べています。また、「血液型性格学」に対する態度として「心理学者は決して感情で否定しているわけではない。むしろ感情では否定しているが論理として(あるいは職業倫理として)否定している心理学者が多いように見受けられる(代表的な方は大村政男先生)」(p106)ともあります。
しかし、彼なら統計的に差があることは十分に理解しているはずです。ですので、学会の重鎮としてあえて「タブー」に触れることはない、つまり「君子危うきに近寄らず」(p107)なのかなとも読めます。そういう意味では、現在の政治課題である「岩盤規制」に通じるものがあるのでしょう。ですので、p111「今後、関連説を検討するのであれば、否定論者らの領域を侵害せずに、最初から別の道を歩むのが現実的であろう」には全く同感です。では具体的にどうするか、というと現実的に難しいのも事実です。まずは、この掲示板で問題提起をするのも一つの行き方かと思うので、ここに駄文を弄している次第です。お手間を書けますが、どうぞよろしくお願いいたします。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
前回、前々回の投稿はやはり文字化けしておりましたので、サイト内に反映させるのはこのコメントとさせていただきます。
悪しからずご了承ください。

「心理学は何故、血液型性格関連説を受け入れ難いのか―学会誌査読コメントをテクストとした質的研究―」は非常に示唆に富む論文ですので、細かい点までコメントすると膨大な量になってしまいます。そこで、本当に重点を絞ってお話しすることにします。
さて、この論文の最大で問題と思われるのは、方法論を心理学に限ってしまっていることにあると思います。なぜなら、心理学にこだわらなければ、既存の統計データを説明するのはそれほど難しいことではないからです。素直にデータを読めばいいのです。
まず1点目です。p95には「1.調査結果は血液型ステレオタイプを反映した結果なのか」とあります。結論から言うと、調査結果には必ず「血液型ステレオタイプ」が反映されます。例えば、1986年のNHK世論調査(無作為抽出の首都圏15~69歳の住民1,102名)では「血液型と人の性格は関係ありそうだ」という質問に対して、75%が「そう思う」と回答しています(この割合は、日本でも韓国でも台湾でも、過去でも現在でもほぼ一定です)。
当然のことながら、現実の「自己認知」の調査結果もそうなっています。例えば、このサイトの参考文献でも、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
しつこいようですが、前回の投稿から再掲します。
「血液型ステレオタイプ」はここ何十年も日本に存在しているので、そういう質問をすれば必ず結果に差が出るはずです。つまり「血液型ステレオタイプ」に関する調査なら、差が出ないのは調査結果が間違っている、ということです。言い換えれば、血液型に関する調査なら、どんな調査でも差が出ないとおかしいし、差が出ていないなら調査自体に欠陥があると言うしかありません! これで、差が出るかどうかは解決です。
なお、過去に同じ議論をkikulog(管理者:大阪大学菊池誠氏)で行ったところ、最終的に私の上の意見に同意する人が多く、特に目立った反論はありませんでした。もっとも、管理者自身は最後まで「回答拒否」でした。
2点目に移ります。「血液型ステレオタイプ」ではなく、心理学の「性格検査」による調査では、明確に統計データに差が出ていない場合も少なくありません。この理由も簡単です。再度過去の投稿から再掲します。
Sung Il Ryu, Young Woo Sohn (2007). A Review of Sociocultural, Behavioral, Biochemical Analyses on ABO Blood-Groups Typology, Korean Journal of Social and Personality Psychology, 21(3), 27-55.
この論文では、「Big-Five Factor モデルを活用した研究では、すべて血液型と性格は関係がないという結論が下された(So Hyun Cho, 2005; Cramer, 2002; Rogers, 2003; Kunher, 2005)」とあります。しかし、詳しく調べてみたところ、
So Hyun Choなど(2005)から該当の研究の調査データの提供を受け、個別の質問項目に対してデータを再分析してみた/データを質問項目別に再分析してみた結果、10個の質問項目で有意な血液型との関係が発見された/このように、実際に血液型による差が存在するにもかかわらず Big-Five モデルはそれを感知することができないという事実が確認された。
と結ばれています。つまり、個々の「血液型ステレオタイプ」の質問では差が出ていたものが、結果を5因子に集約する過程で差が相殺され消滅・減少したためということになります。なお、So Hyun Cho (2005)の論文では、調査対象者に「血液型ステレオタイプ」があることは確認済みなので、差が出ないのは明らかにおかしいのです。
長くなったので、もう少し詳しい検討と、5節にある査読者の反応については次回にしようと思います。 (投稿者:ABO FAN)

ご紹介の文献は、私が読んだ血液型関連の研究報告(日本語)では、間違いなく5本の指に入ります。非常に知的好奇心を刺激する内容でした。また、学界の内幕をちょっと覗かせていただき、ありがとうございました。(笑)
しかし、少々失礼な言い方かもしれませんが、これだけ多くの文献をチェックし、自らも関連性を調査しながら、なぜ統計的に結論が出なかったのか不思議だ、というのも率直な感想です。
例えば、p96には「調査結果が血液型ステレオタイプの反映である、という批判をかわせない」とあります。確かにそのとおりでしょう。「血液型ステレオタイプ」はここ何十年も日本に存在しているので、そういう質問をすれば必ず結果に差が出るはずです。つまり「血液型ステレオタイプ」に関する調査なら、差が出ないのは調査結果が間違っている、ということです。言い換えれば、血液型に関する調査なら、どんな調査でも差が出ないとおかしいし、差が出ていないなら調査自体に欠陥があると言うしかありません! これで、差が出るかどうかは解決です。
では、なぜご紹介くださった主要5因子(ビッグファイブ)などの調査では(思っていたほどの?)差が出なかったのか。この理由も簡単です。個々の「血液型ステレオタイプ」の質問では差が出ていたものが、結果を5因子に集約する過程で差が相殺され消滅・減少したためです。以上は、私の勝手な推測ではなく、現実のデータによって裏付けられています。また、そのデータの多くは、私の過去の投稿で紹介されているものです。
さて、p106には相対性理論が当時の学会で認められなかった、というエピソードがあります。ニュートン力学が、重力による時空間のゆがみや、水星の近日点移動を説明できなかったのと同様に、既存の心理学で血液型と性格を解明できる、という素朴な仮定にそもそも無理があるのです。それは、p106に「血液型と性格を否定的に論じる現状が間違っている」とあるとおりでしょう。
詳しいことは、次回以降に何回かに分けて説明するつもりです。よろしければ、時間があるときにでもご一読いただければ幸いです。 (投稿者:ABO FAN)

すみません、前回の補足です。
大半の「疑似科学批判サイト」では、統計的に差がある論文が複数あるといったような「事実」を発言すると、ほぼ間違いなく無視・削除されます。ですので、きちんと回答いただいた松尾友香氏は非常に良心的な方だと思っています。それはこのサイトも同様です。決してお世辞ではありません。
また、文献のご紹介ありがとうございました。早速入手して読んでみたいと思います。もっとも「ABO式血液型と性格との関連性―主要5因子性格検査による測定」が統計的に差がないという知見を示しているのであれば、過去の多くの研究報告でのビッグファイブでの「統計的に差がない」という結果と一致します。そして、その理由も、
Sung Il Ryu, Young Woo Sohn (2007). A Review of Sociocultural, Behavioral, Biochemical Analyses on ABO Blood-Groups Typology, Korean Journal of Social and Personality Psychology, 21(3), 27-55.
でほぼ明らかになっています(「ビッグファイブ」では血液型の差は検出不可)。単独の質問項目では差が出ていたものが、主要5因子に集約する過程で差が(相殺されて)なくなるらしいです。言い換えれば、血液型によって性格検査の欠陥が証明された、ということになります。この点は、実際にご紹介の文献を読んでから質問させていただければと思います。どうかよろしくお願いいたします。 (投稿者:ABO FAN)

ご返事ありがとうございます。
> では具体的にどのような記述が妥当だと考えられますでしょうか?
「かなりの演出がある」を裏付ける根拠を示すべきだと思いますが、いかがですか?
例えばこんな感じです。このサイトの参考文献に掲げられている松尾友香氏の「よくわかる 最新血液型の基本としくみ」は(彼女が専門外のせいか?)細かいミスが結構あります。私が指摘したところ、次回にでも訂正しますとのことでしたが…どうなったのでしょう?
1. ABO式血液型の発見は1900年ですが、10ページでは190「0」年、11ページでは190「1」年になっています。
2. 能見正比古さんが、10ページでは能見正比「呂」と能見正比「古」、11ページでは能見正比「呂」になっています。
3. 稀血のBomb「a」yの表記が、15ページではpara-Bomb「e」yとなっています。
4. O型遺伝子は「O209」もあるはずですが、71ページではO101,O201,O303の3種類となっています。
5. 83ページでは、韓国のAB型は「10」パーセント(出典は「遺伝血清学」?)となっていますが、手元のデータ(韓国保健福祉部)では「13」パーセントです。
6. 120ページのHLAと男女の相性については、「自分と似ている方が評価が高い」という説と、逆に「自分と異なる方が評価が高い」という両方の説があります。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2008-10-20
7. 150ページでは、「血液型性格診断は、心理学の分野で否定されています」とありますが、否定の根拠となっている大村政男さんは、現在では血液型性格診断を必ずしも否定していません。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2009-10-22 http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2014-11-22
8. 176ページでは、「血液型性格診断は現在のところ医学的に肯定されていません。しかし、否定されてもいない」とありますが、同じページには血液型性格診断は「現在の科学・医学の常識では完全に否定されています」ともあります。どちらが本当なのでしょう? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
当該箇所は本項コメント欄における「テレビの血液型番組はウソなんですか?」に対する回答として「かなりの演出がある」という文脈で用いたものです。
「テレビの」に対する回答であるならばそれほど不自然な記述とも思えませんがいかがでしょうか?
また、ご指摘されていた参考文献に関するものについてですが、1、2、3については誤字・誤植という可能性もあるかと考えます。7につきましては、例えば別の参考文献「よい教育とは何か」内にある[原著論文]心理学は何故、血液型性格関連説を受け入れ難いのか―学会誌査読コメントをテクストとした質的研究―……清水武 をよろしければご覧くださいませ。
もちろん私はご指摘された文献の著者ではないため、上記も類推に基づくものでしかありません。やはり著者本人、あるいは(既になさっているようですが)出版社へ問い合わせたほうがよいかと思います。

訂正ありがとうございました。しかし、
> かなりの演出があると見た方がよいです。そうした番組は青少年に悪影響がある、放送基準に抵触するおそれがあると、BPO(放送倫理・番組向上機構)から指摘(2004/12)されています。
ということは、「悪影響がある番組は悪影響がある」ということでしょうから、トートロジーのような気がします。繰り返しになりますが、控訴審の判決文は、
学術的に裏付けられた内容で、しかも、青少年にも配慮して番組を制作することを否定する趣旨を含むものとは解されない。
ですから、「悪影響がないなら放送してもよい」ということです。つまり、「悪影響がないものは悪影響がない」ということで、管理者さんが「かなり演出があると見た方が良いです」と推測するには、具体的な根拠を挙げないと何も言ってないことになりませんか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
では具体的にどのような記述が妥当だと考えられますでしょうか?

しつこいようですが、この血液型の血液型性格診断の最初の投稿では、
> テレビの血液型番組はウソなんですか? (投稿者:swc14)
> かなりの演出があると見た方がよいです。そうした番組は青少年に悪影響がある、放送基準に抵触するおそれがあると、BPO(放送倫理・番組向上機構)から指摘(2004/12)されているのに、いっこうに根絶されません。
とありますが、前回の投稿に書いたように、岡野誠氏が提訴した「BPO血液型慰謝料請求事件」の控訴審判決では、
「本件要望が、(中略) 血液型と人間の性格、行動パターン、病気等との関係を学術的に研究する学問自体の存在自体を否定したり、これについても占いの類と同列であるとして否定的な評価をしたりするものではないし、学術的に裏付けられた内容で、しかも、青少年にも配慮して番組を制作することを否定する趣旨を含むものとは解されない。」
とあるので、少なくとも「根絶されません」という管理者さんの回答は事実に反します。回答を訂正された方がよろしいかと思いますが? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
ご指摘の通り、「根絶」というのは表現が強すぎました。
訂正させていただきます。
ありがとうございました。

情報提供&質問です。
ほぼ10年前の2004年12月8日に出された、BPO青少年委員会の『「血液型を扱う番組」に対する要望』では、血液型番組は“非科学的”と断定しています。次は、この「要望」の抜粋です。
民放連は、放送基準の「第8章 表現上の配慮」54条で、次のように定めている。
(54)占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない。〔解説〕現代人の良識から見て非科学的な迷信や、これに類する人相、手相、骨相、印相、家相、墓相、風水、運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを肯定的に取り扱わない。
これらを踏まえ、青少年委員会としては、「血液型を扱う番組」の現状は、この放送基準に抵触するおそれがあると判断する。
しかし、この「要望」に対して研究家の岡野誠氏が提訴した結果、原告敗訴になったにもかかわらず、この「要望」は実質的に取り下げられています。次は、2012年7月19日に出た控訴審判決からの抜粋です。
本件要望が、(中略) 血液型と人間の性格、行動パターン、病気等との関係を学術的に研究する学問自体の存在自体を否定したり、これについても占いの類と同列であるとして否定的な評価をしたりするものではないし、学術的に裏付けられた内容で、しかも、青少年にも配慮して番組を制作することを否定する趣旨を含むものとは解されない。
ですので、この明治大学のサイトに「現在一般認知されている血液型性格診断は疑似科学だと位置づけるのが妥当であり、そこで語られているものに科学的根拠は全くない。」とあるのはいかがなものでしょうか? 今まで私が示してきた統計データを覆すような根拠はあるのでしょうか?
私の情報提供や質問には全て回答拒否?(一部の回答は撤回?)ということであれば、私の情報は正しいと認めているということでしょうか? 回答拒否なら、このサイトは何のために存在しているのでしょうか? いろいろと素朴な疑問が湧いてきているところです。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿の補足です。
海外でのビッグファイブの研究の一覧は、次の韓国の論文に紹介されています。
Sung Il Ryu, Young Woo Sohn (2007). A Review of Sociocultural, Behavioral, Biochemical Analyses on ABO Blood-Groups Typology, Korean Journal of Social and Personality Psychology, 21(3), 27-55.
この論文では、「Big-Five Factor モデルを活用した研究では、すべて血液型と性格は関係がないという結論が下された(So Hyun Cho, 2005; Cramer, 2002; Rogers, 2003; Kunher, 2005)」とあります。しかし、詳しく調べてみたところ、
・So Hyun Choなど(2005)から該当の研究の調査データの提供を受け、個別の質問項目に対してデータを再分析してみた。
・データを質問項目別に再分析してみた結果、10個の質問項目で有意な血液型との関係が発見された。
・このように、実際に血液型による差が存在するにもかかわらず Big-Five モデルはそれを感知することができないという事実が確認された。
と結ばれています。 (投稿者:ABO FAN)

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