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血液型性格診断

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

 血液型性格診断とは、一般的にABO式血液型として知られている分類法によって、社会生活におけるヒトの性格を特定できるといった言説である(他に「血液型性格判断」「血液型性格分類」などともされるがこれらのいずれも明確な定義が与えられてはいない)。つまり、「ABO式血液型」という要素“が”特定のヒトの「性格」に影響を与えている、としているものである。
 まず、ABO式血液型について簡単に説明する。ヒトの血液細胞の中で最も大量に存在するのは赤血球であり、この赤血球の細胞膜表面には個人がもっている遺伝子によって表現される血液型物質がある。1900年、オーストリアの研究者であるラントシュタイナー(K.Landsteiner)によってこれが研究され、彼は血液型を4種類(A型、B型、AB型、O型)に分類できることを発見した(1)(2)。
 以上が現在一般認知されているABO式血液型の基本原理である。ちなみに、A、B、Oとは遺伝子を意味しており、メンデルの遺伝法則にしたがって個人を標識する抗原である。そのため、AAまたはAOの組合せでA型に、BBまたはBOの組合せでB型に、OOの組合せでO型に、ABの組合せでAB型になる。
 血液型性格診断は、上述の血液型の4区分から特定のヒトの性格や相性を説明でき、それを日常生活においても活用できるといったものが一般的によく知られているものであり、本項目においても基本的にはそういった一般通念を踏襲したものを“評定の対象”とする(3)(4)(5)。
 加えて、本言説の議論にてしばしば見受けられるアンケート調査などの統計的調査における本言説の有効性、血液型と疾患との関連性、今後の研究可能性においても言及しながら評定を進める。
 血液型性格診断言説においては諸説入り乱れているのが実態だが、能見氏の「血液型人間学」など(3)(4)と、医学・疫学・遺伝的観点からの「血液型」と「ヒト」との成果は明確に区別しながら記述する。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 (低)

 そもそも、血液型性格診断における「性格」が何を意味しているのかが不明であることが最大の問題点といえる。「性格」とされるものの定義が不明瞭であり、たとえば“誰の”“どのような状況における”“どういう対応をすることから”“こういう「性格」であると定める”という一般化はなされておらず、どうとでも上手く解釈できる曖昧なもの全般を「性格」と表している(5)。これでは理論を一般化できず、科学性の評定としては致命的である。
 また、ABO式血液型については本項冒頭にて記述したが、果たしてこの区分が如何に人間の性格として反映されているのか、という理論への疑問に対する合理的な説明は今のところないという指摘もできる。たとえば、心理学的知見からたびたび指摘されている「バーナム効果」や「自己成就」については、肯定派において十分な議論がされていない、あるいはそれらの概念の誤用による反論が見受けられ、理論面において充実した議論は行われていないことが推察できる(6)(7)(8)。
 さらに、血液型性格診断の理論においては、その内部においてすら矛盾が見られ、科学性を評価できる理論体系をなしていないことすら指摘できる。たとえば、過度な血液型性格診断信奉者においては「血液型十戒」なるものを理論的な標ぼうとしている(5)のだが、そこでは、「8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。」としつつ、その2においては「2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。」や「9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。」などといった内部においても論理性の乏しい説明が多々見受けられる。このように、科学性とはおよそかけ離れた理論を選択していることが言説全般的に見受けられる。
 血液型と疾患や体質にまで話を広げても、今のところ論理性を高く評価できる要素はない。特定の疾患に対する罹患率の違いや耐性についての研究なども、因子の解明や理論構築まではなされていないのが実情だ(9)(10)。
 ABO式血液型で性格診断を行うということは、ヒトを4つの分類に細かく類型化する(できる)ということなのだが、それに対する合理的な説明を見出すことができないのが現状である(そういう意味では、血液型と疾患の研究においては一定の評価を下すことはできる)。

理論の体系性 (中)

 ABO式血液型が既存の学術体系から逸脱した理論であるとは断定できない。人間の体内には大量の赤血球が存在し、その赤血球それぞれにA、B、AB、Oの各型に特有の糖鎖が付いている(ここでの糖鎖とはN-アセチルガラクトサミン、d-ガラクトース、アセチルグルコサミン、フコースによる分子構造を表す)。この点に関するかぎり、生化学的には血液型でそれぞれ全く違った機能をもつとも主張できる。
 しかし、それを正当化するのなら、血液型以外にも分類する要素は数多くありそうだ。仮に血液型のみに注目しても、Rh式やli式、MN式などの識別法もあり、げんに臓器移植などの場合にはこれら多くの要素を考慮する(11)(12)。こう考えると、ABO式のみによって性格にまで言及する理論は、他の知見との整合性が低いと思われる。
 さらに、ヒトの性格について、ABO式血液型を主軸として説明する、という理論選択に合理性を見出すことも難しい。ヒトの「性格」については今も多くの議論があり、「性格」とはどういう要素から構成されているのか、といった問いを考える場合、いわゆる複雑系であることや、進化心理学などでよく知られる「心のモジュール性」(13)(14)という概念として考える方が“ABO式血液型”を持ち出すよりも遥かに整合性が高い。 たとえ、ABO式血液型が「性格」における一要素であったとしても、わざわざ血液型性格診断を「性格」における主理論として採用する必然性はなく、このような言説に依存しなければならない積極的な理由を見出すことはできない。
 ただし、ABO式血液型と進化生物学との相関性や特定疾患への罹患率といった研究が近年報告されていることは注目すべきことだろう(9)(10)。たとえば、A型の遺伝子は免疫機能が低くなる遺伝子と共起する確率が高いので、抗原をなるべくしりぞけようと神経質な性格が共進化したという理論は、進化論、あるいは生物学などと整合的である(10)。その点を考慮したうえで体系性は中程度と評価する。

理論の普遍性 (低)

 特に能見氏を源流とする「血液型人間学(≒血液型性格診断)」においては、それが“誰にでも普遍的に適応可能だ”としているが、言説の実態がつかめない。全般として、“何となく○○型はこんな感じ”という大雑把な情報しか提供されておらず(3)(4)(5)、普遍性を推し量ることはできない。思い込みや社会通念が先行しており、理論的な実像がつかめないのである。これでは普遍性を評定する以前の問題だろう。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 (低)

 能見正比古氏の著書(研究論文ではない)や「ABOの会」にて、血液型性格診断に関する肯定的な主張がこれまでに何度も発表されている。しかし、データの再現性という観点において、高評価を与えられる水準に達しているとはいえない。
 たとえば、血液型性格診断の源流の一つである能見氏は、自著へのアンケート調査(数万人規模、としているもの)にて再現性を保証できるとしているが、そもそもそのようなアンケートを“能見氏”に送る“対象”がサンプルとして偏っている(平たく言えば、能見氏の信奉者である)というバイアスを排除するような厳密性のあるものではない(3)(4)。血液型性格診断の関連団体である「ABOの会」の主張においても、一万人規模のアンケート調査で統計的有意差が出たとの報告もあるが、前述したような「バーナム効果」「予言の自己成就」「確証バイアス」「F・B・I効果(フリーサイズ・ラベリング・インプリティング効果)」といった、心理学で広く知られた効果が排除された実験デザインがとられていない。
 一方、血液型性格診断に否定的な研究データは数多く積み重ねられており(能見氏の著書においても統計的に有意な差がなかったデータもある(3))、肯定的なデータよりも信頼がおける(15)(16)(17)(18)(19)(20)。
 ただし、血液型と疾患といったことにまで言説の対象範囲を広げると、2009年にアメリカ国立がん研究所が膵臓がんの危険因子と血液型の相関性についての研究報告をしていたり(21)、2000年に科学誌「ネイチャー」にてO型と非O型の胃がんに対する見解が述べられていたり(9)と、再現性において評価できる研究も存在する。まだまだデータ不足という面もあり、一概に評価できるものではないが今後の研究可能性としては期待の持てるものだろう。
 しかし、これらの研究は能見氏等の血液型性格診断を補強するものとは言えず、医学・生理学などにおける研究成果とするのが一般的だ。
 したがって、「血液型性格診断」の再現性は低評価とするが、これは前述の「血液型」の医学的な側面のデータを否定するものではない。

データの客観性 (低)

 肯定派の提示する研究報告においては、信奉者による主観的な感想、統計調査における標本抽出の偏り、研究対象の未特定化、「自分はA型だから神経質だ」という性格の自己成就などの可能性が指摘できる(3)(4)(16)(18)(20)。したがって、血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型“が”「性格」やその傾向性に影響を与えている、としていてもその客観性は低い。
 また、医学・生理学的知見からも言説全体に対して同様の指摘ができる。例をあげると、近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多いことが指摘されている。血液型性格診断によるとA型の典型的な特性は「神経質」だということが主張されており、その根拠として胃痛の多さなどがデータとして挙げられている(9)(10)。しかし、血液型性格診断で言われているようにA型の人が「神経質」である“がゆえに”胃痛になりやすいのか、それともA型にはピロリ菌保菌者が多くそれによって胃痛が引き起こされるため“結果的”に「神経質」な人が多いように見えるだけなのか、といったことを客観的に区別できるような研究手法は採られていない(前者であれば「血液型性格診断」の成果といえるが、後者ならば改めて議論が必要である)。
 現在の心理学分野と、医学・生理学分野は個々に独立しており、「血液型」と「性格」を連携させた研究方法はまだ未熟ではある。ただし、今後の研究次第(たとえば遺伝学的な)では血液型とヒトの性格との関連性について客観的なデータが示される可能性もなくはないことは追記しておく。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 (低)

 血液型性格診断において、肯定的なデータが妥当に収集されているとは言えない。繰り返しになるが、心理学でよく知られている「自己成就」や「バーナム効果」などの要因を排除した形の実験デザインが採られておらず、このような指摘に対して“反論”できる体制が整っていない。

理論によるデータ予測性 (中)

 現在、能見氏を原点とする「血液型性格診断」が科学的手順を踏まえて研究されているとはいえず、予測性は低い。今一般認知されている血液型性格診断はほとんど文化として根付いてしまっており、もはや科学性を論じるに値しない言説と化している。
 一方、血液型と疾患については医学・疫学的観点から比較的研究が進められており、成果といえるものも出ている。たとえばコホート実験などの医学疫学において信頼できる研究方法から、血液型による膵臓がんリスクの違いといった発表(9)もされており、この点では予測性は高いと評価できる。さらに、進化生物学的観点から血液型とマラリアやコレラとの関連性(10)も若干ではあるが報告されている。
 予測性は中程度と評価するが、これは医学・疫学・遺伝的な成果を高く評価したためであり、このような分野の評価に重点を置いたものである。

社会的観点

社会での公共性 (低)

 日本において血液型性格診断が一般認知され始めたのは、1970年に出版された能見正比古氏による「血液型でわかる相性」からである(4)。これ以前にも1927年に「血液型と気質の研究」と題する研究論文が古川竹二氏(女子高等師範学校教授)によって発表されていたが(6)、継続的な研究が始まったのは前述の能見氏による著書が初めてであり、現在では氏が設立した「ABOの会」という団体が血液型性格診断について肯定的な主張を繰り返している(現在では「ABOセンター」が実質的にその意味を引き継いでいる(5))。
 しかし、利害関係のない公共性の高い研究においては、血液型性格診断はたびたび否定されており、肯定派において同様の水準に達している研究報告は現在のところない。したがって、社会での公共性は低評価とする。

議論の歴史性 (低)

 上述したように、現在の血液型性格診断の社会における広まりは、能見正比古氏の著書にみることができる。それを発端として1970年代から血液型性格診断の科学性の議論もさかんに行われてきた。たとえば心理学分野は血液型性格診断に強く反発しており、否定的な研究発表も多くある(「日本パーソナリティ心理学会」においてはホームページ上にて、血液型性格診断に対して懐疑的な意見文を掲載している(22))。
 一方で、血液型性格診断を積極的に肯定する立場(科学的なものだとして)の多くは能見氏の言説に依存している様子が見受けられ、また、そういった科学性を謳う言説において、“主張の責任を請け負っていない”ことが問題点として挙げられる。たとえば「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例(データ)が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」や、他の全く指標の異なったデータを持ち出して「このデータを担保にできる」などである(現に、肯定派においてはこれが横行している)。このように反証データを得ても、そうしたものに対して無反省であり、科学性が議論できる構造とはいえない。
 以上より、議論の歴史性は低いと評価する。

社会への応用性 (低)

 血液型性格診断が社会において有効的に活用されているとはいえない。そもそも、血液型による性格の傾向性を重視しているのは日本人がほとんどであり、世界的にみると血液型性格診断という概念すら一般的ではない。にもかかわらず日本社会では、ブラッドタイプハラスメントといったものを始めとして人々に対する差別や偏見を助長させる要因の一つとなってしまっているのが実態である(6)(23)。
 また、血液型性格診断はヒトの性格を4種類の血液型の中から“当てる”という占いのような娯楽だと受け取ることもでき、そこに科学性を乗せてしまうと人が感じる快不快の度合いも大きくなってしまうだろう。結果として、人間関係を円滑に進めるうえでの弊害ともなりかねない。
 ただし、これは一概に血液型性格診断のみの功罪とはいえない。たとえば、仏滅に結婚式を挙げる人はまずおらず、一般的に友引に葬式は行わない。このように大衆心理は科学とは無縁に働いており、血液型性格診断が控えめな誤信として機能している分には、科学がそれを排斥する必要まではないだろう。
 しかし、血液型性格診断においては企業の採用といった、人生の大きな岐路でも使用されており、とても控えめという表現で収まっているものではない。このような実情を考慮すると、あえて社会への応用性は低いと評価すべきだろう。

総評

疑似科学

 現在一般認知されている「血液型性格診断」は疑似科学だと位置づけられ、そこで語られているものに科学的根拠は全くないといってよい。たびたび指摘したが、血液型性格診断の最大の問題点は、能見正比古氏の著書「血液型でわかる相性」「血液型人間学」などが流行りすぎてしまったことだろう。能見氏の言説の流行が多くの過激な信奉者を生みだしてしまい、それに対抗する形で主に心理学界からの強い反発が繰り返し行われてきた。このような構図から、心理学界の過剰ともいえる「血液型」嫌いという問題も発生してしまい、健全な議論ができる土壌がない、あるいは良心的な研究者の芽をも摘んでしまっているということは考慮に値する(24)。
 そうした中で、医学・疫学・遺伝的観点や進化生物学的視点からは角度の異なる考察をすることもできる。
 医学領域としての血液型とヒトの研究は1950年代~1970年代初頭までは比較的行われており、多くの疾患と血液型との関連性について様々な議論が繰り返されてきた。そんな折、先の能見氏による著書が爆発的にヒットし、しかもそれを科学だとして主張し一般大衆の誤解を招いた。このような経緯は前述の通りであり、それが多くの研究者を血液型の研究から離れさせてしまい、血液型性格診断を疑似科学の象徴として扱う風潮に、医学界においても繋がった。現在では、血液型について言及できるのは輸血と臓器移植の際のみであり、血液型の話題さえ嫌う医師もいるという状況でさえある(10)。
 しかし、「血液型」と「疾患」、「血液型」と「進化」、「血液型」と「遺伝」といったことについて研究されたものの中には信頼のおけるものも多くあり、今後の研究可能性が幅広いことは肯定材料だろう。さらに、特定疾患へのリスクの違いや、免疫機構の違いなど、遺伝的な説明によって応用性の高いものにもなりうる。
 ヒトの「性格」という言説における明らかな論理的飛躍には注意する必要があるが、少なくとも血液型と人間機能の関連を研究する価値や意味は、心理学から指摘されているほど順位の低いものではないだろう。今後の研究次第では、たとえば血液型と疾患といったアプローチからヒトの気質にまで科学的合理性を保った言及がなされたとしても、それほど不自然ではないだろう。
 ただし、繰り返しになるが、現在広く一般認知されている「血液型性格診断」における科学的根拠は乏しく、疑似科学であると評価する。

参考文献:

(1)『よくわかる 最新血液型の基本としくみ』 松尾友香
(2)『絵でわかる血液のはたらき』 八幡義人
(3)『血液型人間学』 能見正比古
(4)『血液型でわかる相性』 能見正比古
(5)http://www.human-abo.org/#!aboutus/cktc 一般社団法人 ヒューマンサイエンスABOセンター
(6)『なぜ疑似科学を信じるのか』 菊池聡 化学同人
(7)季刊『理科の探求』左巻健男 2015春号 特集 ニセ科学を斬る!リターンズ p50-109(p56-61)
(8)『心理テストはウソでした』 村上宣寛
(9)『血液型で分かる なりやすい病気なりにくい病気』 永田宏
(10)『血液型の科学』 藤田鉱一郎
(11)http://www.jrc.or.jp/donation/first/knowledge/ 日本赤十字社 血液の基礎知識
(12)https://hospital.city.sendai.jp/department/mame05.html 仙台市立病院 診療科のご案内 「第5回 血液型のはなし-ABO式血液型-」
(13)http://plato.stanford.edu/entries/modularity-mind/ Stanford Encyclopedia of Philosophy 「Modularity of Mind」
(14)『だまされ上手が生き残る 入門!進化心理学』 石川幹人  光文社
(15)「血液型と性格の無関連性」縄田健悟(2014)
(16)「血液型性格判断はなぜすたれないのか」 山下玲子 武蔵大学 社会学部
(17)血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2)) 山岡重行 大村政男 浮谷秀一
(18)「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
(19)「血液型による性格の相違に関する統計的検討」松井 豊(1991)
(20)Blood-typical Personality Stereotypes and Self-fulfilling ProphecyAkira SAKAMOTO Kenji YAMAZAKI 2002
(21)http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19648918 Genome-wide association study identifies variants in the ABO locus associated with susceptibility to pancreatic cancer.
(22)日本パーソナリティ心理学会血液型性格診断に関する意見文 公益社団法人 日本心理学会
(23)テレビ番組が増幅させる血液型差別 山岡重行
(24)『よい教育とは何か』 西条剛央 京極真 池田清彦

・(ダメな大人にならないための心理学 山岡重行)『書評』野崎瑞樹
・『機関誌「心理学ワールド」52号 2011年1月号 特集/偏見とステレオタイプの心理学』
・『血液型の迷路』 大西赤人
・『性格を科学する心理学のはなし』 小塩真司
・「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」 白佐俊憲
・『科学技術をよく考える -クリティカルシンキング練習帳』 伊勢田哲治 戸田山和久  調麻佐志  村上祐子 名古屋大学出版会
・『新編 血液型と性格』 大村政男 福村出版

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

(最終更新日時2015年8月17日)

投稿

投稿&回答

いろいろと回答ありがとうございました。しかし、今回は管理者さんは相当お疲れなんでしょうか? まず、気になる点を何点か。1点目は、
>ーー効果量を明示している論文のご提示をお願いいたします。(回答日時:2015/06/01 12:49:15)
――5/27付けの投稿に書いたとおりです。念のため再掲します。
>>私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。
>――上の文章はミスですので訂正します。このサイトの関連リンクにある「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)には「本研究で扱った三つのデータセットの中で見られた一番大きな効果量は,2004年アメリカデータの η2 = .0030 であった。」と、効果量を明示しています。(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 23:39:31)
[注:このη2 = .0030は間違いです。効果量η2=3%ぐらいの Q22: If you make a critical decision, take risks or avoid は、危険率0.7%で有意で、論文に紹介されているものより、ずっと危険率は低くなっています。]
2点目ですが、
>以前にもご指摘しましたが、日本パーソナリティ心理学会は以下の意見文、http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02 におけるABOFANさんのご意見をまだ伺っておりません。(回答日時:2015/06/01 12:49:15)
――5/27付けの投稿に書いたとおりです。長くなりますが、念のため再掲します。
>>いっぽうわれわれ心理学者は血液型性格判断を生み出した責任をとって[注1],自分たちで血液型と性格との関係について科学的なデータを集めてきましたが,そうしたデータからは血液型と性格の関係がほとんど確認できていないことはご存知の通りです。
>>血液型と性格の関係を主張する人々が,科学のルールに則って血液型と性格の関係を証明するデータを示せば,われわれ心理学者も即座にその関係を認めるでしょう。しかしいまのところはそうしたデータはありませんので,血液型と性格の関係は科学的事実としては認められていないわけです。
>もちろん、この質問に対して―心理学のロジックやデータをベースにして―正確に回答・反論することは可能です。しかし、私は渡邊芳之氏には個人的に大変恩義を感じていますので、今回は正面切っての反論はせず、事実のみの呈示に止めることとしますので、悪しからずご了承ください。
>さて、統計データに―少なくとも見かけ上の―関係があることは既に決着済みです。次に以前の投稿を再掲します。
>1) このサイトの参考文献では、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
>This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
>2) また、別の研究報告では…
>山岡は、1999年から2009年にかけて大学生を対象に血液型性格の調査を行っている(有効回答数=6660)…①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。「血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2))」山岡重行(2009) http://ci.nii.ac.jp/naid/110007674296
>3) その他にも、1850人のサンプルで差が出ています。「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲(1999) http://ci.nii.ac.jp/naid/110006603993 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 23:39:31)
読めばわかるとおり「科学のルールに則って血液型と性格の関係を証明するデータ」は複数存在します。つまり、パーソナリティ心理学会の判断のベースとなるデータが間違っているのですから、それ以後の結論も間違っていることになります。この回答では不十分ということですか? そもそも、管理者さんの質問の趣旨が「どう思われますか?」とよくわからないので、上のような回答となりましたこともご承知置きいただきたく。
では、本題に行きます。
>ーーえぇと…苦笑。ですから、効果サイズ(d)≠効果量だとおっしゃっているのはABOFANさんですよね?こちらはただABOFANさんの言うところの「効果量」の計算公式を教えていただきたいだけなのですが……。
――本当に私が教えないとわかりませんか? 簡単に計算できますよね? それに、「効果サイズ(d)≠効果量」は私の主張ではありません。例えば、縄田氏の論文にも、
>このサイトの関連リンクにある「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)には「本研究で扱った三つのデータセットの中で見られた一番大きな効果量は,2004年アメリカデータの η2 = .0030 であった。」と、効果量を明示しています。(投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 23:39:31)
とあり、効果量の1つとして「η2」が挙げられています。なお、英語のAbstractでは、「Effect sizes (η2) 」とありますので、「effect size (η2)」=「効果量 (η2)」≠「効果サイズ(d)」となります(言うまでもなく、η2≠dです)。というか、5/27付けの私の投稿を読んでいるはずなのに、なぜ管理者さんがこういう質問をするのか謎です。ひょっとして、相当お疲れなのでしょうか? それなら、どうかお大事にしてください。
>>また、管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。
>>管理者さんによると、福島第一原発は堤防をかさ上げするような“非科学的”なことはするべきでない、ということにもなります
>ーー私がいつこのようなことを書きましたか?このコメント欄をどこまでさかのぼっても私の眼には見えないのですが、どうかお教えください苦笑
――ひょっとして、ロジカルシンキングはご存じないのでしょうか?
>もし、「科学」という語に関する哲学的、あるいは科学史的な説明を欲してらっしゃるのならば、以下の文献をご紹介させていただきますのでよかったらお読みください。
――以前の投稿を繰り返します。
最近読んだ山口周氏の『外資系コンサルの知的生産術』に、こんな話が紹介されていました。トップクラスのMBAを持っている才媛が入社したときのエピソードなのだそうです。
「だって、○○先生は、この分野の世界的な権威で、すごく尊敬されているんです。その先生がそういうんだから間違いありません」→「いや、その先生が高名かどうかはどうでもよくて、君自身はどうしてこれが正解だと思ったのか、その根拠を聞きたいんだけれど…」…(以下、繰り返し・笑)
>ーーとりあえず、(浅学ですが)私の知っている統計学とABOFANさんのおっしゃる「統計学」が全く違うものだということはようやく理解できました苦笑
――よく意味がわかりません。ひょっとして、管理者さんの“統計学”によると、効果量のη2とdとを区別できないのでしょうか?
>さて、ですのでここからはABOFAN先生に是非とも「統計学」をご教授願いたいと考えているのですが、このコメント欄上でもそれは可能でしょうか?よろしくご検討ください。
――これは、過去の投稿に散々書きました。もし理解できないのであれば、わからない部分の原文を引用していただけると助かります。そうでないと、たぶん(今までのような)“禅問答”になってしまうでしょう(苦笑)。どうかよろしくお願いします。
それと、管理者さんは既に十分おわかりかと思いますが、私の一連の投稿の目的は、管理者さんが何を「回答する」かを確認するのではなく、何に「回答しない」かを分析・確認するためものです。その意味では、かなり役に立つ回答をいただいたことに感謝いたします。
失礼な言い方になりますが、かなりの確率で、管理者さんの統計学は高校レベルだと思われます。仮にそうであれば、明治大学の理系学部・大学院で統計学の講義を受けた方がよろしいのではないでしょうか? 私なんかに教わるより、はるかに理解が早いと思いますが。
もちろん、それでも私に教えてほしいということであれば、特に断るつもりはありませんので、誤解のないようにお願いします。
長文大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/06/01 20:59:20)

ABOFANさん
>今回は管理者さんは相当お疲れなんでしょうか?
ーーABOFANさんのこれまでの皮肉の中では最も気の利いたものだと思いますよ笑いや、やはりお上手ですね。。。

さて、まずは「効果量」についてのお話から…。
>効果サイズ(d)≠効果量」は私の主張ではありません。
ーーこのコメントはいただけません。
>簡単に「誤解」について指摘しておくのみとします。
1) 「効果量」≠「効果サイズ(d)」
ーーと仰っておられまして、このときは単に日本語訳の問題かとも思いましたが、
>また、「効果量」≠「効果サイズ(d)」に納得しないというのもそうですし、このサイトに[…]
ーーそうではないようですね。笑
ただ、ABOFANさんのいう「効果量」が分散説明率を表すη2(イータ)を指すものだということはようやく分かりました。
これなら当然「効果サイズ(d)」≠「効果量(η)」ですが、しかしこれは前述のようにABOFANさんのおっしゃっていたこととは”意味”が違いますよ?苦笑
あなたの文脈や語句からは、統計においてeffect sizeを測る指標にd値なんてない、とおっしゃっているように見えたのですよ(少なくとも私には)。正しくは、effect sizeの指標の中に、dや分散説明率を意味するη2があるわけですよね?
ですから、その前提なしに、単に「効果サイズ(d)」≠「効果量」だといわれても、こちらも返答のしようがありません(以前にもη2についてここで議論があったのならこちらにも非はありますが。)。「後出しジャンケン」で勝ちたいのなら別ですが、対話や議論をなさりたいのなら少なくとももう少し丁寧にーーつまり「私はη2値について話しているのだ」など――言っていただかないと、申し訳ありませんがお話にも何にもなりません苦笑
これまでのABOFANさんのネットでの”ご活躍”を見る限り、それが常套手段のようですので指摘するまでもないことかもしれませんが…。ですが、まぁこれでは相手にされないでしょう笑

しかし、とりあえずABOFANさんのいう「統計学」と私の想定している「統計学」が(少なくとも外見上は)一致したものであることがわかったので、それは大きな収穫でしょう。

では、それに基づいて回答いたします。ご提示いただいた文献「血液型と性格の無関連性」についてですが、こういう問答も何度したことかわかりませんが苦笑、お願いですから文章を”よく”読んでくださいね?
当該文献より少し長くなりますが、要点だけ抜粋しましょう。何とか最後までお付き合い願います。
>効果量の算出 本研究では, “差がない”ことを積極 的に示すために,効果量を算出した。効果量とは効果の 大きさの指標である。有意性検定の結果は標本サイズに 左右される。そのため,標本サイズによって変化する有 意性検定の結果のみならず,効果の大きさそのものを示 す効果量を提示することで,血液型が性格に及ぼす効果 の小ささを示すことが可能となる。本研究では4種類の 血液型間の比較を分散分析により検討し,効果量として η2(血液型の要因の平方和/全体平方和)を算出した2。 η2 は分散説明率を示す指標であり,データで得られた個人差の全分散の中で,血液型の違いから説明できる分 散の割合が示される。η2 が限りなく小さくゼロに近い 場合には,血液型の違いが性格を説明しない根拠を積極 的に示すことができるだろう。
> 結果 本研究では三つのデータセットを分析した。それぞ れ順に報告する。 2004年度日本データ 使用した21項目に対して,血液型を独立変数とす る,1要因4水準の分散分析を行った(N=2,878─ 2,938)。分析の結果をTable 1にまとめた。 “子供の将 来が気にかかる”を除いた,21項目中20項目で有意 差 は 見 ら れ な か っ た(Fs < 2.456, ps>.061 η2s <.0025)。唯一有意差が見られた“子供の将来が気に かかる” (F (3, 2874)=2.623, p=.049) に関しても,効 果量は極めて小さく(η2=.0027),ほぼ無視することのできるほどの違いしか無かった。
ーーよ~く読んでください。”有意差は見られなかった”という記述がありますよね?また唯一~の文脈も”ほぼ無視することのできるほどの違いしか無かった。”とありますね?(というか、η2=0.0027って…)
さて、文量が多くなって申し訳ないのですが、考察にも、
>分析の結果,どのデータセットにおいても,血液型 と性格との間に意味のある関連性は見られていない。 合計68項目のうち,65項目で有意な平均値差は得ら れなかった。わずかな差でも検出できるはずの大規模 なデータセットでもほとんどの項目で有意差が得られ ないことは,血液型と性格の無関連性を強く示すもの である。
―― 要点はこれで十分かと思います。が、前回のコメントにあった
>[注:このη2 = .0030は間違いです。
――とは、いったいどういう意味ですか?この論文のデータに誤りがあるということでしょうか?
>Q22: If you make a critical decision, take risks or avoid は、危険率0.7%で有意で[…]
――こんな記述は当該論文のどこにも見当たらなかったのですが…。私が見落としていたのならお教えください。

>失礼な言い方になりますが、かなりの確率で、管理者さんの統計学は高校レベルだと思われます。
――これに関しては特に反論はありません。まぁ遠からず、といったところかと自分自身思っておりますので苦笑しかし、正直ABOFANさんの読解力の方が深刻な問題かと思っており、心配でなりません。
>ひょっとして、ロジカルシンキングはご存じないのでしょうか?
――この発言には、申し訳ありませんが、笑ってしまいました。狙って言ったのだとしたら大したもんです笑
後の、山岡先生等の研究発表についてはこちらからは以前にも何度もご指摘させていただいておりますので、ABOFANさんがロジカルシンキングを学習なさってから、また議論いたしましょうか。 (回答日時:2015/06/03 14:18:20)

連投失礼します。余談ですが、やはり統計のところは無反応ですね。例えば、
>さて、「日本パーソナリティ心理学会」のホームページにて以下のような意見文が掲載されておりますが、このことについてはどう思われますか?お教えください。 http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02
は、管理者さん自らが振った話題なのにもかかわらず、私の統計データを示した回答を見事にスルーする、というのは極めて不自然です。
また、「効果量」≠「効果サイズ(d)」に納得しないというのもそうですし、このサイトに
>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張している。
とありますが、能見正比古氏の「血液型人間学」のデータをどう計算しても、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できる」はずがありません。
管理者さんの過去の文章を読んでも、統計に無反応というのは共通しています。普通は、相手の統計データや分析が間違っていたら、ぐうの音も出ないほど叩けるので、議論するには絶好の話題なはずです。しかし、話に全く乗ってこないというのは、私の回答が間違っていないのか(残念ながら、結構間違っています…苦笑)、あるいは管理者さんがよっぽど統計に疎いのかのどちらかでしょう。私は、失礼ながら完全に後者だと思っています。
なので、
>ーーこのように、ご紹介いただくのは結構なのですが、基本的に「研究論文」というものは、「外部」に向けて「発表」したものでないと「学術的(科学的)」な”意味”を持ちえないということはご存じですか?「査読付き論文」を重視しないもなにも、ABOFANさんのネットでの活動は、(大変言いにくいのですが)学術的になんら意味をなしていないのです。平たく言うと、近所の主婦同士の井戸端会議と大差ないものとしてしか、認知されていないんですよ……。
とありますが、統計がわからない人に言われたくない、というのが本当のところです(苦笑)。
何回も言いますが、「血液型と性格」の「査読付き」論文は、なんとしても否定的な結論に持って行く必要があるのか、統計的分析はほぼ全てが間違っています。この点を相手に指摘すると、しばらくの間は黙っていますが、いつのまにか同じ間違いが復活するというパターンが多いですね。ただし、さすがに最近は、正直に結果を示すのはまずい(?)らしく、生データは無視して、抽象的な表現でお茶を濁すケースが増えているようです。これが典型的に現れているのが、管理者さんの一連の反応です。
だいたい、科学は「誰がやっても再現性がある」ことが前提ですから、学者が言おうが、私が言おうが、井戸端会議の主婦が言おうが構わないはずで、それが、「研究論文」しか認めないというのでは、本来の科学の趣旨に反します。ましてや「研究論文」の計算間違いを認めないというのであれは、極論すればSTAP細胞の二の舞になってしまいます。そういう権威主義的で「非科学的」な主張は―差し出がましいことを言って申し訳ありませんが―少なくともこのサイトでは止めていただければと思います。もちろん、私が全面的に正しいというつもりはありません。間違っている場合は遠慮なくご指摘ください。可能な限り訂正しますので。
どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/30 08:14:11)

ABOFANさん
>能見正比古氏の「血液型人間学」のデータをどう計算しても、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分けることが”できる」はずがありません。
>また、「効果量」≠「効果サイズ(d)」に納得しないというのもそうですし
ーーもう何度も言っていることなので我ながらくどいと思ってますが、ABOFANさんのおっしゃる「統計学」における「効果量」というものの計算方法をお教えください、ということをまだ言うしかありませんかね?

>とありますが、統計がわからない人に言われたくない、というのが本当のところです(苦笑)。
何回も言いますが、「血液型と性格」の「査読付き」論文は、なんとしても否定的な結論に持って行く必要があるのか、統計的分析はほぼ全てが間違っています。この点を相手に指摘すると、しばらくの間は黙っていますが、いつのまにか同じ間違いが復活するというパターンが多いですね。ただし、さすがに最近は、正直に結果を示すのはまずい(?)らしく、生データは無視して、抽象的な表現でお茶を濁すケースが増えているようです。これが典型的に現れているのが、管理者さんの一連の反応です。
ーーとりあえず、(浅学ですが)私の知っている統計学とABOFANさんのおっしゃる「統計学」が全く違うものだということはようやく理解できました苦笑
さて、ですのでここからはABOFAN先生に是非とも「統計学」をご教授願いたいと考えているのですが、このコメント欄上でもそれは可能でしょうか?よろしくご検討ください。 (回答日時:2015/06/01 12:59:41)

>>1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。/私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。
>ーー申し訳ありませんが、上記の文章、かなり支離滅裂されているのをご自身でおわかりなのでしょうか?ABOFANさんご自身でも混乱なさっているのではないでしょうか。
――私の文章は単純に事実を書いているだけですから、なぜ「支離滅裂」なのかわかりません(もっとも、効果量を明示している論文はあります…すみません)。
パーソナリティ心理学と統計学がわかっているなら、誰でも何の問題もなく理解できる文章なはずですが? ひょっとして、説明が簡潔すぎたのでしょうか?
>私としては、能見氏の「血液型人間学」についてABOFANさんから薫陶を受けたいと(ちゃかす意味はなく割と真剣に)思っております。
――「血液型人間学」は、基本的に統計ですから、内容はこの投稿の冒頭に書いたとおりで、それ以上でもそれ以下でもありません。もちろん、細かいことを言えばいろいろとありますが…。
>効果量≠効果サイズ(d)ならば、効果量とはいったい何を指示しているのでしょうか?
――では、試しに能見正比古氏の「血液型人間学」の任意のデータから、「効果サイズ(d)」を計算してみてください。次に、「効果量」を計算してみてください。これで私の言いたいことが理解できますよね?
>ーーなんとなく言いたいことはわかりますが、これってむしろ血液型性格診断を否定されているのでは?
――否定されるのは(おそらく)管理者さんが考えている「血液型人間学」=「血液型性格診断」でしょう。私の中では、「血液型人間学」≠「血液型性格診断」ですので、何の問題もありません。どうしても疑うのなら、能見正比古氏の「血液型人間学」のデータを見て自分で計算してみてください。
>ーー意外なお返事でした。もし、お会いいただけるのなら、それなりの場をこちらもご用意いたします。(ただし、軽軽に決められることではないのである程度準備が必要ですが)
――「それなりの場」は不要です(笑)。私的には、管理者さんだけもいいし、明大に行くのも特に苦になりませんので、お気軽にご連絡ください。喫茶店でもファミレスでも師弟食堂(今もあるのかな?)でも、どこでも構いませんし…。もっとも、管理者さんは指導者に報告・相談する必要があるのでしょうか? さすがに、管理者さんに面倒をおけかしてまで、とは思っていません。
>基本的に「研究論文」というものは、「外部」に向けて「発表」したものでないと「学術的(科学的)」な”意味”を持ちえないということはご存じですか?「査読付き論文」を重視しないもなにも、ABOFANさんのネットでの活動は、(大変言いにくいのですが)学術的になんら意味をなしていないのです。平たく言うと、近所の主婦同士の井戸端会議と大差ないものとしてしか、認知されていないんですよ……。
――では、こちらも正直にお話しましょう。血液型と性格に関する日本語の論文の多くは、「査読付き」ものでさえ、内容は間違いだらけで酷いものです(英語のものは比較的レベルが高いですが)。それらの論文が“科学的”というなら、もはや何をかいわんやです。1)「査読付き」論文で統計の計算が明らかに間違っているものと、2)ネット上の情報で計算が正しいものを比較したら、1)は非科学的で2)は科学的に決まっています! 計算や内容が間違っていても、「科学的」というなら、それは“学術的に意味がある”のかもしれませんが「非科学的」と言うしかないでしょう。
例えば、検定力を考えないで「有意な差がない」と結論づけている論文なら山のようにあります。また、以前に書いたように、「効果量」を計算したものはほとんどありません。サラリーマンじゃありませんが、管理者さんの態度は、「査読付き」論文が白を黒だというのなら、それは黒なのだというようなものです(笑)。
また、管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。極論すれば、世界的大発見である「青色LED」も「ヒッグス粒子」も、ノーベル賞を受賞するまでは「疑似科学」だが、受賞したとたんに科学的大発見という、非常におかしなことになりませんか?
話題はかわりますが、日本地震学会によると、東日本大震災は「科学的」に起こるはずのない大地震でした。それまでの地震理論は見事に破綻してしまったのです。ご存じのように、福島第一原発では、大地震(や大津波)が今後30年間に起こる確率は「0%」でした。だから、福島第一原発では堤防をかさ上げしなかったのです。
しかし、この「科学的」な想定に反対する学者もいて、過去の地層を調べると、今回程度の大津波は大いにあり得るので、十分警戒すべきだと主張する人もいました(地震学会が無視していたので、たぶん「査読付き」論文ではないはずです)。この“非科学的”な主張にそって、東海第二原発では堤防をかさ上げした結果、危ういところで難を逃れました。
管理者さんによると、福島第一原発は堤防をかさ上げするような“非科学的”なことはするべきでない、ということにもなります。私は、そんな“科学的”な「査読付き」論文などはまっぴら御免ですし、もちろん絶対反対です。
あるいは、「査読付き」…の話は単なる「セールストーク」ということでしょうか? それならわかります(笑)。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/29 22:06:57)

ABOFANさん
>(もっとも、効果量を明示している論文はあります…すみません)。
パーソナリティ心理学と統計学がわかっているなら、誰でも何の問題もなく理解できる文章なはずですが? ひょっとして、説明が簡潔すぎたのでしょうか?
ーー効果量を明示している論文のご提示をお願いいたします。また、以前にもご指摘しましたが、日本パーソナリティ心理学会は以下の意見文、
http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02
におけるABOFANさんのご意見をまだ伺っておりません。正面切っての反論は避ける、とのことでしたが、ということは少なくとも日本パーソナリティ心理学会が「血液型性格診断」に対して懐疑的であることはお認めになるわけですね?

>では、試しに能見正比古氏の「血液型人間学」の任意のデータから、「効果サイズ(d)」を計算してみてください。次に、「効果量」を計算してみてください。これで私の言いたいことが理解できますよね?
ーーえぇと…苦笑。ですから、効果サイズ(d)≠効果量だとおっしゃっているのはABOFANさんですよね?こちらはただABOFANさんの言うところの「効果量」の計算公式を教えていただきたいだけなのですが……。

>また、管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。[…]話題はかわりますが、日本地震学会によると、東日本大震災は「科学的」に起こるはずのない大地震でした。それまでの地震理論は見事に破綻してしまったのです。[…]しかし、この「科学的」な想定に反対する学者もいて、過去の地層を調べると、今回程度の大津波は大いにあり得るので、十分警戒すべきだと主張する人もいました(地震学会が無視していたので、たぶん「査読付き」論文ではないはずです)。[…]管理者さんによると、福島第一原発は堤防をかさ上げするような“非科学的”なことはするべきでない、ということにもなります。私は、そんな“科学的”な「査読付き」論文などはまっぴら御免ですし、もちろん絶対反対です。
あるいは、「査読付き」…の話は単なる「セールストーク」ということでしょうか? それならわかります(笑)。
ーーできれば一つずつこれをテキスト分析してみたいのですが、とりあえず全体を通してだけ…。
どうぞ落ち着いてください。誰も東日本大震災に関してABOFANさんの意見を求めてはいませんよ。というか、ご自身で勝手に話題を振って、ご自身で結論付けられているだけですが…。
とりあえず、
>また、管理者さんのような態度を取るなら、新規な学説は「査読付き」論文になるまではすべて「疑似科学」とするのが“科学的”な態度ということになります。
>管理者さんによると、福島第一原発は堤防をかさ上げするような“非科学的”なことはするべきでない、ということにもなります
ーー私がいつこのようなことを書きましたか?このコメント欄をどこまでさかのぼっても私の眼には見えないのですが、どうかお教えください苦笑

まぁとにかく、ABOFANさんご自身の世界の中でだけで「科学的」という言葉を一人歩きしているように思います。
もし、「科学」という語に関する哲学的、あるいは科学史的な説明を欲してらっしゃるのならば、以下の文献をご紹介させていただきますのでよかったらお読みください。
・「科学革命の構造」トーマス・クーン
・「本質的緊張」トーマス・クーン
・「推論と反駁」カール・ポパー
・「科学哲学への招待」野家敬一

まずはこんなところでしょうか。他に、評定の基本的な考え方にも文献を載せているのでご覧ください。 (回答日時:2015/06/01 12:49:15)

すみません、前回の投稿にミスがありましたので訂正します。
>私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。
――上の文章はミスですので訂正します。このサイトの関連リンクにある「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)には「本研究で扱った三つのデータセットの中で見られた一番大きな効果量は,2004年アメリカデータの η2 = .0030 であった。」と、効果量を明示しています。ただし、過去の投稿に書いたように、このη2の計算値は妥当とは言えません。なぜなら、1)アメリカではAB型が極端に少ないのでη2は(見かけ上)数分の1になる 2)質問項目が「有名な特性」でないのでη2が小さくなる からです。
続けて補足です。
>では、「血液型性格診断」において、効果サイズd≧0.3~0.4であるという「論文」「研究報告」等(外部に向けて発表されたもの)をご提示いただけますでしょうか?「自己成就」などのバイアスが混じったものではなく、「血液型性格診断」においてのものをお願いします。
――私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の「論文」で、“「自己成就」などのバイアス”が混じっているかどうか「直接的」に検証した研究はありません。例えば、
1) Blood-typical Personality Stereotypes and Self-fulfilling ProphecyAkira SAKAMOTO Kenji YAMAZAKI 2002 では、1984年以降に差が認められるのは「自己成就」だということですが、本当に「自己成就」かどうかを「直接的」な方法で検証していません。つまり「自己成就」は推測に過ぎません。
2) 血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2)) 山岡重行他も、血液型に興味関心があるグループのみに差が認められるということですが、他の研究報告(血液型と性格の関連についての調査的研究 久保義郎・三宅由起子 2011 http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16)では『外向性と協調性が高いほど「血液型と性格に関係がある」と回答する人が多い』という結果が得られています。つまり、「他人の性格に関心が高い」から血液型による差が出ているのかもしれません。言い換えれば、血液型に興味関心がないグループは、他人の性格に関心が低いので差が出ていないことになります。
実は、「自己成就」などのバイアス”が混じっているかどうか「直接的」に検証した研究は「査読付き論文」でないものならあります。それは、金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』です。これについては過去に再三書きましたが、念のため再掲します。
金澤氏は、その血液型特性が知られている割合と、データの差の大きさの関係に着目しました。仮に、血液型による統計データの差が「自己成就現象」や「思い込み」によるものなら、その特性が知られていればいるほど差が大きくなるはずです。逆に、ほとんど知られていない特性なら、「自己成就」や「思い込み」は小さいので、大きな差が出ることはありません。
結果は意外なものでした。その特性が知られている割合と、差の大きさには関係がなかったのです。また、ほとんど知られていない特性でも安定した差が見られました。つまり、血液型による統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」ではなかったのです! 実際の統計データはこちらです。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
余談ですが、これらは私が「査読付き論文」を重視していない大きな理由の1つです。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 23:39:31)

ABOFANさん
>つまり、血液型による統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」ではなかったのです! 実際の統計データはこちらです。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
余談ですが、これらは私が「査読付き論文」を重視していない大きな理由の1つです。
ーーこのように、ご紹介いただくのは結構なのですが、基本的に「研究論文」というものは、「外部」に向けて「発表」したものでないと「学術的(科学的)」な”意味”を持ちえないということはご存じですか?「査読付き論文」を重視しないもなにも、ABOFANさんのネットでの活動は、(大変言いにくいのですが)学術的になんら意味をなしていないのです。平たく言うと、近所の主婦同士の井戸端会議と大差ないものとしてしか、認知されていないんですよ……。
ネットを使われる多くの方はその辺のことも分かったうえで、”楽しむ”という行為を優先させているのですが、ABOFANさんはどうもそうは見えないので、差し出がましいようですが進言させていただきました。 (回答日時:2015/05/29 10:10:10)

早朝からご苦労様です。
前回の投稿にも書いたように、「1) 過去・現在・未来とも、私の質問に回答する義務はない」を裏付ける回答のようですね。もっとも、これは十分に「想定内」ですので、特に何とも思っていません。管理人さんも既にお気付きかと思いますが、私が投稿する目的の1つは、管理人さんが私の(ほとんどの)質問に対して実質的に“回答拒否”ということを実証することですので…。
>さて、「日本パーソナリティ心理学会」のホームページにて以下のような意見文が掲載されておりますが、このことについてはどう思われますか?お教えください。 http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02
――これまたいつものパターンですが、明治大学の「輪読」では、司会者が質問の趣旨をはっきりさせずに相手に「どう思われますか?」と訊くのでしょうか? これでは、相手は何をどう回答していいのかわかりません。もっとも、管理者さんの聞きたいことはほぼ予想できます。おそらく次の文章についてどう思いますか?ということなのでしょう。
>いっぽうわれわれ心理学者は血液型性格判断を生み出した責任をとって[注1],自分たちで血液型と性格との関係について科学的なデータを集めてきましたが,そうしたデータからは血液型と性格の関係がほとんど確認できていないことはご存知の通りです。
>血液型と性格の関係を主張する人々が,科学のルールに則って血液型と性格の関係を証明するデータを示せば,われわれ心理学者も即座にその関係を認めるでしょう。しかしいまのところはそうしたデータはありませんので,血液型と性格の関係は科学的事実としては認められていないわけです。
もちろん、この質問に対して―心理学のロジックやデータをベースにして―正確に回答・反論することは可能です。しかし、私は渡邊芳之氏には個人的に大変恩義を感じていますので、今回は正面切っての反論はせず、事実のみの呈示に止めることとしますので、悪しからずご了承ください。
さて、統計データに―少なくとも見かけ上の―関係があることは既に決着済みです。次に以前の投稿を再掲します。
1) このサイトの参考文献では、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
2) また、別の研究報告では…
山岡は、1999年から2009年にかけて大学生を対象に血液型性格の調査を行っている(有効回答数=6660)…①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。「血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2))」山岡重行(2009) http://ci.nii.ac.jp/naid/110007674296
3) その他にも、1850人のサンプルで差が出ています。「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲(1999) http://ci.nii.ac.jp/naid/110006603993
>ここでの「効果量」とは「効果サイズ(d)」で相違ないかと思います。また、効果量が「中」とは(少なくとも社会学分野では)d=0.3~0.4を意味しています。
――この時点で、管理者さんが統計学を理解していないことがはっきりしました。ひょっとして、明治大学情報コミュニケーション学部では、統計学の教科書の「輪読」はしないのでしょうか? わからない人に説明してもしょうがないので、簡単に「誤解」について指摘しておくのみとします。
1) 「効果量」≠「効果サイズ(d)」
2) 「effect size」の日本語訳は「効果量」が一般的なはずです。
>では、「血液型性格診断」において、効果サイズd≧0.3~0.4であるという「論文」「研究報告」等(外部に向けて発表されたもの)をご提示いただけますでしょうか?「自己成就」などのバイアスが混じったものではなく、「血液型性格診断」においてのものをお願いします。
――私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。従って、こういう質問をすること自体が、管理者さんが「血液型性格診断」の論文を(ほとんど)読み込んでないことの証拠だと思いますが…。
>「血液型十戒(10の心得)」から…… 8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である
>――ここでの「客観的な」は一般的には「人間理解を可能にする」という語を修飾していると考えられます。その前提に立つと、例えば、2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。これらの項目との整合性がとれていないと考えます。(まぁほかにも突っ込みどころは満載ですが苦笑)ABOFANさんのご意見はいかがですか?
――これは、以前にも書いたように、管理者さんの“誤読”と考えるのが妥当と考えます。ABOセンター(名目は能見正比古氏)の著書『血液型人間学』(2009年)p237にはこうあります。
>8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、便利なツールと考えよう[なお、2.9.の文章は同じです]
そして、この8.の具体的な説明は次のとおりです。
1) もし、同じ血液型の人が同じ性格だったら、4つの血液型で4通りの人間しかいなくなるではありませんか。(p16)
2) 私はある血液型が、たった1通りの性格とは、一度も言ったことがないのに、この人たちは、私がそう決めつけているものと、勝手に決めつけている。(p16)
3) 確かに、血液型に応じ、事実とデータに裏付けられた特異性、つまり違いをつかみかけていますが、それ違いは比較的なものです。…人間は、その相違点よりも、共通性のほうが、はるかに大きいのです。(p33)
4) 人間の性格においては、適切な分類基準がなかったために、[自己報告の性格のような]非常に主観的な分類から抜け出すことができなかったのです。しかし、血液型の発見により、私たちは人間の性格と行動を探る、科学的な基準を得たと言えます。それがたとえ、それらの一片にすぎないものであったとしても…(p221)
5) いかに血液型が便利な情報でも、人間の心や行動は、単純な決めつけができないことがおわかりいただけるでしょう。(p231)
>これをおっしゃるのなら(以前にも提案してABOFANさんには”拒否”されてしまいましたが苦笑)ご自身で書いた「論文」「研究発表」を「学会」(学会とはいえその中身は玉石混淆ですが、基本的には査読付きのもので)にてご発表ください。
――以前にも書きましたが、(日本語の)論文なんか書くぐらいなら、費用対効果を考えるとインターネット(例えばこの投稿)の方がよほど効率的というのが実感です。「査読付き」論文で発表されたSTAP細胞がどういう経緯を辿ったか考えてみればわかるでしょう。ネット上で問題の箇所を読みましたが、査読したはずなのに「KCl」が「KC1」と「L」が「1」に化けていたり(OCRの誤認識らしい…)、1990年代に生産されたパソコン周辺機器の「新品」が2014年に使用したことになっていたのには本当に驚きました。血液型に関しては、これより生々しい話もあるのですが、さすがに公開の場で書くのは遠慮させていただきます。
>ちょっと提案なのですが、では例えば能見正比古氏の「血液型人間学」をご一緒に輪読してみませんか?少々手間ですが、このコメント欄上でも可能かと思いますし、ご希望なら個別のコメントページを設ける、または実際にお会いして、という手もあります。どうですか?これはただの仮案ですので、他にいい案があればおっしゃってくだされば検討しますし……。
――ご提案ありがとうございます。しかし、「血液型人間学」は、ほとんど私の頭に入っている…はずなので、特に輪読の必要性は感じていません。その一部は、上に2009年版の内容について書いたとおりです。もっとも、直接お会いできるなら、このサイトの投稿に書けない“オフレコ”の情報もお話しできる可能性があるので、検討する価値はあるとは思います。
長文失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/27 22:35:15)

ABOFANさん
>1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
>私が知る限り「血液型性格診断」に関する否定・肯定の論文で、効果量を明示しているものはありません。
ーー申し訳ありませんが、上記の文章、かなり支離滅裂されているのをご自身でおわかりなのでしょうか?ABOFANさんご自身でも混乱なさっているのではないでしょうか。
>しかし、「血液型人間学」は、ほとんど私の頭に入っている…はずなので、特に輪読の必要性は感じていません。
ーーいやァ、必要だと思いますよ。笑しかも、これは単にABOFANさんだけの問題ではなく、本研究に従事している我々にとっても有益なことかと……。私としては、能見氏の「血液型人間学」についてABOFANさんから薫陶を受けたいと(ちゃかす意味はなく割と真剣に)思っております。

>1) 「効果量」≠「効果サイズ(d)」
2) 「effect size」の日本語訳は「効果量」が一般的なはずです
ーー単に日本語訳の問題ならば、別に気にはしません。しかし、仮に日本語訳の問題ではなく、効果量≠効果サイズ(d)ならば、効果量とはいったい何を指示しているのでしょうか?浅学ながら、私の知っている「統計学」とABOFANさんの「統計学」は別のものなのですか?ABOFANさんのおっしゃる「効果量」を求める計算式をお教えいただけますでしょうか?

>3) 確かに、血液型に応じ、事実とデータに裏付けられた特異性、つまり違いをつかみかけていますが、それ違いは比較的なものです。…人間は、その相違点よりも、共通性のほうが、はるかに大きいのです。(p33)
4) 人間の性格においては、適切な分類基準がなかったために、[自己報告の性格のような]非常に主観的な分類から抜け出すことができなかったのです。しかし、血液型の発見により、私たちは人間の性格と行動を探る、科学的な基準を得たと言えます。それがたとえ、それらの一片にすぎないものであったとしても…(p221)
5) いかに血液型が便利な情報でも、人間の心や行動は、単純な決めつけができないことがおわかりいただけるでしょう。(p231)
ーーなんとなく言いたいことはわかりますが、これってむしろ血液型性格診断を否定されているのでは?また、以前にもご指摘しましたが、 
8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である
この書き方だとやはり、「客観的な」は「人間理解を可能にする」を修飾しているように読めてしまいますね。「客観的な」が「科学的観察手法」を修飾しているのなら、上記のご指摘も、まだ筋が通るのですが……。そのあたりの理解を深めるためにも、やはりご一緒に輪読をしてみませんか?
>直接お会いできるなら、このサイトの投稿に書けない“オフレコ”の情報もお話しできる可能性があるので、検討する価値はあるとは思います。
ーー意外なお返事でした。もし、お会いいただけるのなら、それなりの場をこちらもご用意いたします。(ただし、軽軽に決められることではないのである程度準備が必要ですが) (回答日時:2015/05/29 10:35:57)

前回の投稿の補足です。
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>さすが、ですね。巧妙に論点をずらし、かつ対話の相手を「独自に定義(?)」し揚げ足とりに終始する(中身はありませんが)、効果的な弁論術だといえますね。笑本当にお上手ですね。
>なので、こちらも可能な限り、端的に述べます。
――前半部分は、正直申し上げて意味が理解できません。なぜなら、管理者さんの判断基準が不明確なので「反証可能な命題」ではないからです。言い換えれば科学的ではありません。失礼ながら、弁論術としては効果的ではないでしょう…。
また、後半の「なので、こちらも可能な限り、端的に述べます。」についても、さっぱり意味が理解できません。「なので」とありますが、後半は前半の文章とは何も関係ないですよね? 単純に「可能な限り、端的に述べます。」でいいのではないですか?
ただ、そうなると、前回の投稿に書いた「1) 過去・現在・未来とも、私の質問に回答する義務はない」が管理者さん自身の言葉で裏付けられたことになります。また、なぜ「可能な限り、端的に述べます。」と書く必要性があるのかわかりませんし、何か私に反論できない事情でもあるのではないか?と他の人に思われるだけ損だと思うんですが…。私的には、「可能な限り、端的に述べます。」などというケチなことはおっしゃらず、「全面的な反論」を期待しています。なぜなら、このサイトは、「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」なのですから…。ちなみに、このサイトの「評定の基本的考え」には、「実証的効果を示すデータの観点から、透明性、再現性、客観性」が掲げられていますので、少なくともこの4つについては私の示したデータにF検定、検出力…などの統計的手法で反論すべきだと思います。そうでないと、
>私は、数度の真摯な催促をもってしてもあなたから明示的な反論が来なくなった時点で、私は「貴方は私に反論ができなくなった」と判断するかもしれません。普段の貴方の常套手段ですから、そこは公平にお願いしますね。 by n (2013-07-20 01:49)
という判断になりますから…。なお、nさんは「数度の真摯な催促をもってしてもあなた[nさん]から明示的な反論が来なくなった」という状態です。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2013-12-27
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>申し訳ありませんが、はっきり言って前述のものでABOFANさんにとって”回答ができている”とお考えになられているのなら、文系学部のゼミ等でよく行われる輪読では”失格”レベルの雑さと曖昧さかと思われます。
――これもさっぱり意味がわかりません。申し訳ありませんが、明治大学でどういう「輪読」をしているのか私は知りません。しかし、「血液型性格診断」を科学的に分析した先行研究が少ない(あるいは矛盾した結果が得られている)というのなら、「輪読」するだけ無駄ではありませんか? それなら、自分で資料を地道に調査したり、独自にデータを集めて分析するとか、あるいは自ら実験してみる、といった手法を採用した方が効果的に思えます。データの振る舞いも、教科書通りに考えるのではなく、自分のアタマを使って(苦労して?)考えるべきでしょう。もっとも、明治大学の「輪読」では、こういうことをしているのかもしれませんが…。
閑話休題。管理者さんの文章を読んで、つい『近思録』を思い出してしまいました。管理者さんもご存じかと思いますが、近思録的には、何かを分析することは「格物究理」と言います。もっとも「格物究理」は科学的手法とは似て非なる物です。何が違うのかは、管理者さんは既にご存じかと思いますので、ここではあえて触れません。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/26 23:31:07)

ABOFANさん
>申し訳ありませんが、明治大学でどういう「輪読」をしているのか私は知りません。しかし、「血液型性格診断」を科学的に分析した先行研究が少ない(あるいは矛盾した結果が得られている)というのなら、「輪読」するだけ無駄ではありませんか? それなら、自分で資料を地道に調査したり、独自にデータを集めて分析するとか、あるいは自ら実験してみる、といった手法を採用した方が効果的に思えます。データの振る舞いも、教科書通りに考えるのではなく、自分のアタマを使って(苦労して?)考えるべきでしょう。もっとも、明治大学の「輪読」では、こういうことをしているのかもしれませんが…。
――まさか、このような言葉をABOFANさんから聞けるとは思いませんでした。笑正直、コメントに窮します。苦笑
これをおっしゃるのなら(以前にも提案してABOFANさんには”拒否”されてしまいましたが苦笑)ご自身で書いた「論文」「研究発表」を「学会」(学会とはいえその中身は玉石混淆ですが、基本的には査読付きのもので)にてご発表ください。

>申し訳ありませんが、明治大学でどういう「輪読」をしているのか私は知りません。
>もっとも、明治大学の「輪読」では、こういうことをしているのかもしれませんが…。
――う~ん、そうですねぇ~。ちょっと提案なのですが、では例えば能見正比古氏の「血液型人間学」をご一緒に輪読してみませんか?少々手間ですが、このコメント欄上でも可能かと思いますし、ご希望なら個別のコメントページを設ける、または実際にお会いして、という手もあります。どうですか?これはただの仮案ですので、他にいい案があればおっしゃってくだされば検討しますし……。 (回答日時:2015/05/27 07:50:08)

どうもお疲れ様です。
>ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」もの、についての回答をいまだに頂いておりません。
>>一応回答しておきます。1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
>ーーこれではこちらの質問への回答になっておりません。
――以上が(統計的、心理学的…に)正確と思われる能見正比古氏の「血液型人間学」の定義ですが? 大変失礼ながら、上の文章の意味がわからないというなら、管理者さんに統計学 and/or 心理学の素養が欠けているということでしょうか? あるいは、お手数をかけて申し訳ありませんが、上の文章のどの部分がわからないのか、より具体的に説明していただけないでしょうか?
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>ご回答いただきたいのは、能見氏が唱え、ABOセンターにも書かれている「血液型十戒(10の心得え)」に矛盾があるというこちらの指摘に対しての「反論」です。(以前のコメントを参照してください)
――これは回答済みです。大変申し訳ありませんが、私には管理者さんが何が理解できないのかわかりません。一応、以前の私の説明を再掲しておくと…
【5/12 00:34:09付の私の投稿での説明より】
>しかし、たとえばABOセンターページにおいて、…8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。…仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?
――これは「血液型人間学」を正確に理解しているとするなら、特に矛盾する記述ではありません。性格の分類基準としては、心理学の性格検査(=自己報告)のような「主観的」なものは適切でなく、自然科学的に決定できる血液型なら「客観的」だから妥当だという意味です。今回は残念ながら発見できなかったのですが、過去のABOセンターのサイトには「血液型物質は、人間を含めた生物全ての、材質の違いを示している、今のところ唯一とも言える客観的な基準です。」といった説明が掲載されていました。能見正比古氏の『血液型人間学』シリーズにも同じ趣旨の説明がありますので、参考までに付記しておきます。
【5/22 21:35:16付の私の投稿での説明より】
>しかし、たとえばABOセンターページにおいて、…8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。…仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?
が矛盾しないことは、能見正比古氏の著書からの引用でも確認できます。次は『新・血液型人間学』の「はじめに」からの引用です。
>自然科学としての人間性の学は、長い人類史でも、これまで成立しなかった。人間の行動、表現、反応は多様を極め、人々はそれに振り回されて来た観がある。必要なのは、人間性について統一的な説明が可能であり、すぐに役に立ち、客観的でもある尺度、分類基準であった。それが血液型だったのである。
>生化学的意味では、体質型である血液型を、分類比較の基準とすることで、私たちは今、初めて客観的で実証性を持つ“人間性の知識”を手にすることができたのである。
「客観的な分類基準」と「客観的に判別可能」は修辞的な表現の違いではなく、明確に意味が異なるのではないかと…。管理者さんの勘違いの可能性が高と思います。
もっとも、このサイトの参考文献にある『血液型人間学』には、「客観的」という語句が上の『新・血液型人間学』と同じような意味で記述されているケースはないようです。こうなると、語句説明での「客観的」がどこから来たのかも含め、管理者さん説明にはかなりの疑問を感じます。
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>能見氏の著書などから「血液型人間学」の「正確」な、「解釈」を”レジュメ”、あるいは本研究の評定項目に置き換えて、”記述”していただけますでしょうか?
――再三書いているの内容なので、私には管理者さんが何が理解できないのか理解できません(苦笑)。無駄かもしれませんが、ご要望ですのでもう一度書いておきます。
>データの再現性 (低) 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してないことである。
――これは、冒頭に書いたとおりで「パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である」ということです。
>データの客観性 血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型と特定の性格傾向性の研究が客観的な形で肯定されているとはいえない。肯定派の提示する研究報告は、信奉者による主観的な感想、統計調査における標本抽出の偏り、研究対象の未特定化、「自分はA型だから神経質だ」という性格の自己成就などの可能性が指摘できる。
――坂元氏や山岡氏のように「自己成就現象」や「思い込み」が存在するとするなら、「信奉者による主観的な感想」は(心理学では原理的に)必ず「血液型ステレオタイプ」どおりの回答になります。そして、“信奉者”はほとんどのデータでも全体の過半数ですから、多少の「標本抽出の偏り」などは全然問題になりません。つまり、必ず差が出るということですし、現実のデータもそのとおり差が出ています。
なお、山岡氏のデータでは、“信奉者”以外のデータでも「血液型ステレオタイプ」どおりの差が出ていることが確認できます。また、金澤正由樹氏の指摘どおり、その特性が知られている割合と差の大きさとは関係がありませんから、差が出ているのは「自己成就現象」や「思い込み」ではありません。従って、現実の統計データを分析すると必ず「血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型と特定の性格傾向性の研究が客観的な形で肯定されている」ことになります。
しつこいようですが、これは私の勝手な推測ではなく、心理学により原理的にそうなるということです。
よろしいでしょうか? (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/26 00:17:12)

ABOFANさん
>>一応回答しておきます。1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
――まず、「パーソナリティ心理学の定義」と「パーソナリティ心理学以外の定義」が不明瞭なのですが、それはまぁいいでしょう。
さて、「日本パーソナリティ心理学会」のホームページにて以下のような意見文が掲載されておりますが、このことについてはどう思われますか?お教えください。
http://jspp.gr.jp/doc/shakai00.html#02

>効果量が小~中である。[…]効果量が中~大である。
――ここでの「効果量」とは「効果サイズ(d)」で相違ないかと思います。また、効果量が「中」とは(少なくとも社会学分野では)d=0.3~0.4を意味しています。
では、「血液型性格診断」において、効果サイズd≧0.3~0.4であるという「論文」「研究報告」等(外部に向けて発表されたもの)をご提示いただけますでしょうか?「自己成就」などのバイアスが混じったものではなく、「血液型性格診断」においてのものをお願いします。

最後に「血液型十戒」についてです。
「客観的」という語についての議論が続いているかと思います。そこで、「語句説明」を少々改訂しました。具体的には、「客観的に判別可能なまでに(特定の)ヒトの性格や相性まで見分ける」と”特定の”という語を追記させていただきます。これでだいぶすっきりするかと……。
そして、本題です。「血液型十戒(10の心得)」から……
>8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である
――ここでの「客観的な」は一般的には「人間理解を可能にする」という語を修飾していると考えられます。その前提に立つと、例えば、
>2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。
>9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。
これらの項目との整合性がとれていないと考えます。(まぁほかにも突っ込みどころは満載ですが苦笑)ABOFANさんのご意見はいかがですか?
(回答日時:2015/05/27 07:38:16)

素早い回答ありがとうございます。が、しかし、正直に申し上げると、内容はいかがなものかと思います。失礼ながら、もう少し落ち着いて、じっくり文章や構成を練った方がよかったのではないでしょうか?
今回の管理者さんの回答を私なりに要約すると、
1) 過去・現在・未来とも、私の質問に回答する義務はない ←「他の議論については追々返信いたします。」
私から出した質問ならまだわからなくもないのですが、元は管理者さんから出した質問(F検定、検定力…)に対する私からの反論に“回答拒否”というのはいかがなものでしょうか? 私は「疑似科学とされるものの科学性評定」サイトの管理者として「ふさわしくない」態度と感じます。
2) 上の1)とは全く逆に、私は管理者さんの質問に回答する義務がある ←「議論が散らかりすぎているので、まずはわかりやすいところから……。」
元々は、私が管理者さんの見解が矛盾しているかどうかを質問しているのに、それには全く回答せず『こちらが聞いているのは、ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」ものですよ?』と逆質問するのは、そもそも科学的議論として成り立ちません。なぜなら、管理者さんの見解(=管理者さんが考える“血液型性格診断”の定義)がはっきりしないなら、「疑似科学とされるものの科学性評定」が可能なはずがないからです。「定義」がはっきりしないものなら、どう頑張っても科学的な「評定」はしようがありませんから…。また、普通こういう逆質問は、論点のスリ替えと言いませんか?
3) 管理者さんは心理学や論理学がわかってない ←「特に「性格」というものがどのようなものを指すのかという定義自体、全ての学術領域で一致した見解を得られているとは言えませんし……。」
それなら、血液型性格診断は「未科学」ですし、2)の管理者さんの質問は無意味なことになりますよね? 血液型と性格に関係があること(=血液型性格診断)を説明するのに、管理者さんの「性格」の定義が曖昧なら、そもそも説明自体が成り立ちません。「性格」について哲学的問答なんかやっている時間があるぐらいなら、単純にパーソナリティ心理学の「性格」の定義を採用する、の方が単純明快で時間の節約にもなると思うのですが? 違うのでしょうか?
4) 私の投稿に無反応な部分から推測するに、管理者さんは英語、統計、論理学などが苦手な“純粋文系”の人のようです。もちろん、議論の戦術として、苦手なフリをするというのは大いにあり得るのですが―大変失礼ながら―私にはそうとは思えません。これでは議論が全然進まないのも当然かと…。なぜなら、私は主に統計データ、英語の論文、心理学のロジックをベースにして議論を進めているからです。
以上、私の勝手な印象を申し上げましたので、管理者さんから大いに反論を期待している次第です。
それでは、意味があるかどうかはわかりませんが、一応管理者さんのからの質問の回答をすることにします。
>こちらが聞いているのは、ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」ものですよ?
――上に書いたとおり、この質問に意味があるとは思いませんが、一応回答しておきます。1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
>このような態度では誰からも相手にされませんし、
――「誰からも相手にされません」というのは確かに正しいです(苦笑)。なぜなら、議論の相手の多くは、英語の論文も読んでいないし、統計も不得意だからです。現にkikulogの議論では、統計ソフト「R」の話題を出したら、「究極超人あ~る」(古い!)なら知っているという人はいましたが、他の人は「R」の数値にはほとんど沈黙してしまいました。管理者さんがそうでないことをお祈りします。
>少々悪意のある上記のような動画を誰かに作られたとしても文句は言えないでしょう。
――悪意があってもいいですから、ぜひノンパラメトリック検定を理解してほしいです。この動画の作者は、ノンパラメトリック検定を理解していないので―タイムスタンプを見ればわかります―その後は沈黙しています。管理者さんも、ぜひノンパラメトリック検定の話題の輪に加わってください。どうかよろしくお願いします。
>ABOFANさんを「血液型性格診断」に突き動かす原動力とはなんなのですか?血液型性格診断の何がそんなに”魅力的”で、
――血液型のような遺伝子が性格に影響を与えることが証明できれば、心理学史に残る大発見ですから。違いますか? もっとも、その業績は専ら能見正比古氏、そして古川竹二氏に属するもので、私の業績ではありません。
>なぜ能見氏への一切の批判を”許せない”のでしょうか?
――私は「能見氏への一切の批判を”許せない”」なんて言ったつもりはないのですが? なぜ、管理人さんがそう理解したのかは謎です。
>あなたにとって能見氏が人生の第一義となっている(ようにお見受けする)理由はなんなのでしょうか?
――「人生の第一義」の定義が不明ですが、大発見を自分で追試してリアルタイムに体験できるなら、これほど感動的なことはありませんよね? もっとも、この発見が公式に認められたら、私は前線からは身を引くつもりですので、自動的に“人生の第一義”ではなくなります(笑)。
では、何でもいいので、管理者さんからの大いなる反論を期待しています。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/22 21:35:16)

ABOFANさん
さすが、ですね。巧妙に論点をずらし、かつ対話の相手を「独自に定義(?)」し揚げ足とりに終始する(中身はありませんが)、効果的な弁論術だといえますね。笑本当にお上手ですね。
なので、こちらも可能な限り、端的に述べます。
まぁとにかくこれだけなのですが、ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」もの、についての回答をいまだに頂いておりません。
>一応回答しておきます。1) パーソナリティ心理学の定義による(自己報告の)性格の違いの効果量が小~中である。2) パーソナリティ心理学以外の定義による(自己報告の)性格の違いは、効果量が中~大である。3) この1)2)は科学的に反証可能な命題である。
ーーこれではこちらの質問への回答になっておりません。ABOFANさんは文系が苦手のようにお見受けするのでもう一度書きます。
ご回答いただきたいのは、能見氏が唱え、ABOセンターにも書かれている「血液型十戒(10の心得え)」に矛盾があるというこちらの指摘に対しての「反論」です。(以前のコメントを参照してください)
これまでコメントにて多く長文をお書きいただいているので可能かと思いますが、能見氏の著書などから「血液型人間学」の「正確」な、「解釈」を”レジュメ”、あるいは本研究の評定項目に置き換えて、”記述”していただけますでしょうか?
申し訳ありませんが、はっきり言って前述のものでABOFANさんにとって”回答ができている”とお考えになられているのなら、文系学部のゼミ等でよく行われる輪読では”失格”レベルの雑さと曖昧さかと思われます。
よろしくお願いします。
(回答日時:2015/05/25 12:47:18)

回答ありがとうございます。では、順番に行きます。
>前半の「トマス」云々は正直何がおっしゃりたいのかよくわかりません。
――私は単に「統計データに血液型による差がある」事実を事実として提示しているだけです。疑似科学について語るのに、「統計データに血液型による差がある」かどうか管理者さんが理解できないなら、かなりまずい状態なのではないかと…。
>当該箇所は議論の文脈全体の本質的な問題、というよりはテクニカルな意味(修辞的な表現)の問題に近いものですので、どうしても納得いかない、とおっしゃられるのであれば再度改訂いたします。
――次は改訂後の文章です。
>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張している。
>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してないことである。
通常の日本語として、1) 客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張 2) この主張が「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してない は正反対の意味ですよね? あるいは、管理者さんの頭の中では、「客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分ける」と「「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してない」は同じ意味なのでしょうか? いずれにしても、管理者さんの“文脈”は理解に苦しむところです。
なお、私は能見正比古氏の著書はほとんど読破したつもりですが、管理者さんの語句説明のような「客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることが”できることとする”と主張」という趣旨の文章を読んだことがありません。どの本からの引用なのでしょうか?
>「正確」な「血液型人間学」の「理解」とはどのようなものなのか、”ABOFANさん”のお言葉でご説明いただけますでしょうか?
――この質問は(科学的には)意味がありません。なぜなら「正確」かどうかの定義が曖昧だからです。kikulogのように、私がいくら説明しても、相手が「正確でない」と言い張れば議論にはなりません。ただし、管理者さんの
>しかし、たとえばABOセンターページにおいて、…8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。…仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?
が矛盾しないことは、能見正比古氏の著書からの引用でも確認できます。次は『新・血液型人間学』の「はじめに」からの引用です。
>自然科学としての人間性の学は、長い人類史でも、これまで成立しなかった。人間の行動、表現、反応は多様を極め、人々はそれに振り回されて来た観がある。必要なのは、人間性について統一的な説明が可能であり、すぐに役に立ち、客観的でもある尺度、分類基準であった。それが血液型だったのである。
>生化学的意味では、体質型である血液型を、分類比較の基準とすることで、私たちは今、初めて客観的で実証性を持つ“人間性の知識”を手にすることができたのである。
「客観的な分類基準」と「客観的に判別可能」は修辞的な表現の違いではなく、明確に意味が異なるのではないかと…。管理者さんの勘違いの可能性が高と思います。
もっとも、このサイトの参考文献にある『血液型人間学』には、「客観的」という語句が上の『新・血液型人間学』と同じような意味で記述されているケースはないようです。こうなると、語句説明での「客観的」がどこから来たのかも含め、管理者さん説明にはかなりの疑問を感じます。
>これは”自己成就”のことを指しているのだと考えられます。
>つまり、能見氏の本が流行りすぎた「から」、血液型に対するステレオタイプが社会的に「広まり」、その人の本来の「性格」「気質」(この語がそもそも何を指すのか不明ですが)に影響を与え、「自己成就」につながった、ということです。
――ありがとうございます。従って、菊池聡教授の主張は、性格の自己報告のデータに「軒並みに何も出ない」ということですが、彼の主張は否定されることになります。あまり考えたくはありませんが、最も可能性が高いのは、菊池聡教授が意図的に“ウソ”を書いていたということです。
>特に「性格」というものがどのようなものを指すのかという定義自体、全ての学術領域で一致した見解を得られているとは言えませんし……。
――驚きました。管理者さんが、こんなことを書いて大丈夫なのでしょうか? というのは、「性格」の科学的な定義が曖昧だと、「血液型と性格」は「未科学」となり「疑似科学」ではなくなるからです。このサイトの評定もひっくり返ることになりますが、本当にいいのですか?
>ご自身で書かれていることですが、「差がある」ことと「有意な差がある」ことは全く別のものです。わかっておられて書かれているのかもしれませんが……。
――「自己成就」が正しいとするなら、原理的に全統計データにも「差がある」ことになります。仮に、その差が検出できないなら、実験方法が悪いと考えるしかありません。ですから、菊池聡教授は“ウソ”を書いていたということになりますが?
>また、「有意な差があった」としても、それは、1993年以前と2004年の期間で「血液型ステレオタイプ」が社会的に広まったことによる”予言の自己成就”の可能性が高いですよね、
――管理人さんの知識は本当に大丈夫なのでしょうか? 血液型ステレオタイプは、少なくとも1986年には明確に存在していました。例えば、1986年のNHK世論調査では、全体の75%が血液型と性格には「関係がある」と回答していますし、その後の調査でも毎回同じような傾向を示しています。また、血液型本が昔から売れ続けているのに、血液型ステレオタイプが存在しない、という推測は科学的に妥当とは言えないでしょう。
>これまで議論に上っている論文の中で、唯一ニュートラルな視点で考察されているのは、白佐氏のものですが、それについても著者自身が慎重な態度を保っていることが読み取れるかと思います。
――そうでしょうか? 「血液型性格判断(又は血液型人間学)の可能性には肯定的な判断に立たざるを得ない結果を得た」というのは、要するに肯定的な立場ということではないですか?
なお、小塩氏、大坊氏についての記述、あるいは検出力などの統計学の説明についてですが、今まで特に反論がないので、管理者さんは私の見方に同意した―統計データに差がある―と判断させていただきます。
長文失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/20 23:05:43)

ABOFANさん
議論が散らかりすぎているので、まずはわかりやすいところから……。
>この質問は(科学的には)意味がありません。なぜなら「正確」かどうかの定義が曖昧だからです。
――正直、お答えが予想通りすぎてびっくりしました。笑
こちらが聞いているのは、ABOFANさんの「考える」、能見氏の血液型人間学の「正確な」ものですよ?そもそも、”>この質問は(科学的には)意味がありません”というこの返答の”語”自体、日本語として意味が通っていないのですが、ABOFANさんの「言葉」で語っていただくだけのお話で、こちらはなんにも難しいことを言っているつもりはありません。笑
なんというか、「血液型性格診断は肯定したいし否定派を批判もしたい…。そしてそれは能見氏の「血液型人間学」を正確に理解すれば明らかであるのだ!」とは言いながら、「でも、その”正確な理解”ということを自分の言葉では説明しません!」という態度ですと、こちらも「それじゃあ、ちょっとね…苦笑」と言うほかありませんし、それはつまり、ABOFANさんは議論の土俵にすら登れていないという状況を意味しているかと…。
また、
>なお、小塩氏、大坊氏についての記述、あるいは検出力などの統計学の説明についてですが、今まで特に反論がないので、管理者さんは私の見方に同意した―統計データに差がある―と判断させていただきます。
――ABOFANさん、これまでもこのようなモノの言い方を多用されていますよね?確かに、弁論”術”という意味において、相手をカッカさせる効果としてはこのような言い回しは十分すぎる威力です。実際、慣れないうちは私自身何度もイライラしましたし…。笑
まぁ、ABOFANさんがネット上の議論の場で身につけられた”護身術”のひとつなのでしょうが、やはりちょっと乱暴すぎると思いますよ?このような態度では誰からも相手にされませんし、
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4978878
少々悪意のある上記のような動画を誰かに作られたとしても文句は言えないでしょう。
不躾ですが、ABOFANさんを「血液型性格診断」に突き動かす原動力とはなんなのですか?血液型性格診断の何がそんなに”魅力的”で、なぜ能見氏への一切の批判を”許せない”のでしょうか?あなたにとって能見氏が人生の第一義となっている(ようにお見受けする)理由はなんなのでしょうか?
失礼なこととはわかっておりますので、お答えいただかなくても結構ですが、どうしてもお聞きしたいと思ったので文字に起こさせていただきました。
他の議論については追々返信いたします。
(回答日時:2015/05/21 23:37:58)

最近、血液型と性格には関連がある、という日本人の論文が英語で発表されました。ネット上では、かなり話題になっているようです。
Shoko Tsuchimine, Junji Saruwatari, Ayako Kaneda, Norio Yasui-Furukori (2015), ABO Blood Type and Personality Traits in Healthy Japanese Subjects [http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0126983]
現在、内容を読み込んでいますので、そのうち私見を述べたいと思います。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/17 23:28:10)

ABOFANさん
ざっと眺めただけですので軽軽なことは言えませんが、これまでご提示いただいた論文の中では、「肯定派」にとって最も有利なものかもしれませんね。
内容を読み込まれましたら、是非お教えいただきたく思います。 (回答日時:2015/05/18 08:35:00)

予定どおり、小塩氏以外の心理学者で、主張が180度変わってしまったケースがあることを説明します。今回取り上げるのは、大坊郁夫さん編著の『わたし そして われわれ』です。 
この本は、初版が1988年に出版され、Ver.2が1993年に、第3版であるミレニアムバージョンが2004年に出版されています。最初に読んで驚いたのは、私と同じことを考えていることです。
ほとんどのデータ(一部のバイアスがかかったものを除く)を見ると、日本人の70%程度は血液型と性格に関係があると思っています。そう思っている人の多くは、「×型は○○な性格」と感じているはずです。もちろん、「×型は○○な性格」はかなりの部分一致しています。そうじゃないと、血液型の話が盛り上がりませんから当然です(笑)。
つまり、本当に血液型と性格に関係があろうがなかろうが、統計データを分析すれば必ず血液型と性格には関係ある結果が得られる…はずです。
ところで、よく知られていることですが―日本の血液型のように―欧米では「星占い」が広く信じられています。しかし、多くの欧米の心理者は星座と性格に関係があるなんてことは「頭ごなし」に否定していて、まともに取り合う人はほとんどいませんでした。数少ない「まともな研究」の中では、アイゼンクのものが有名ですので、ここでは『わたし そして われわれ』から、その内容を紹介しておきます(p93 元データ: Eysenck, H. J. & Nias, D. K.B. 1982 Astrology: Science or Superstition?)。
>「知識なし群」は,自分のパーソナリティの判断で,星占いの予想とは全く一致していないが,「知識あり群」は,星占いの予想と偶然以上に一致した判断をしてしまうことがわかります。
つまり、自分のパーソナリティの判断で「星占い」どおりに統計データによる差が出た、ということです。そして、上の文章の直後には、同じことは血液型にもあてはまるとしています。
>日本ではABO式血液型とパーソナリティとの結びつきが広く信じられていますが,そのことが自分のパーソナリティの判断に歪んだ結果をもたらす可能性が予想されます。また,いったん信念ができあがると,それに一致する情報にのみ注意が向くことで,その信念(血液型ステレオタイプ)が変化しづらいことも明らかにされています。この事実は,自己判断に基づくパーソナリティの研究が抱える困難さについて示しています。
要するにこういうことです。本当に星占いと性格に関係があろうがなかろうが、欧米の一般の人(=星占いを信じている人と信じていない人の両方を合わせたグループ)のデータを取れば必ず星占いと性格には関係ある結果が得られることになります。日本人の血液型も同じことだと…。言うまでもなく、これは以前に何回も紹介した、坂元章氏や山岡重行氏と全く同じ主張です(もちろん、共同研究者である菊池聡教授の主張とは正反対となります)。
念のため、旧版もチェックしてみました。初版(1988年)の77ページとVer.2(1993年)にはこんな内容のコラムが掲載されていました。
>心理学の領域からみた血液型とパーソナリティとの関係はどのようなものでしょうか。“Psychological Abstract”という,毎年各国で発表された心理学関係の論文を網羅している雑誌で‘Blood Groups’という項目を調べてみると,ABO式血液型と,精神病の診断名や心理検査の結果との対応などについて,毎年2~3の報告がなされていますが,それぞれの特性と血液型との統計的有意な関係は見出されなかったというものがほとんどです。
つまり、統計的な関連はほとんど見出されなかったということですから、1993年以前(=統計データに「差がない」)と2004年では(=統計データに「差がある」)、統計的に差があるかどうかの判断が180度反対になってしまったことになります。
よろしいでしょうか? (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/16 22:38:58)

ABOFANさん
ご自身で書かれていることですが、「差がある」ことと「有意な差がある」ことは全く別のものです。わかっておられて書かれているのかもしれませんが……。
また、「有意な差があった」としても、それは、1993年以前と2004年の期間で「血液型ステレオタイプ」が社会的に広まったことによる”予言の自己成就”の可能性が高いですよね、というのが本文の文脈であるかと思われます。
このことは、山岡先生やABOFANさんから提供いただいた他の論文でも触れられております。
これまで議論に上っている論文の中で、唯一ニュートラルな視点で考察されているのは、白佐氏のものですが、それについても著者自身が慎重な態度を保っていることが読み取れるかと思います。 (回答日時:2015/05/20 16:53:14)

信州大学の菊池聡教授が共同研究者に加わったことで、俄然やる気が湧いてきました。少々厚かましいお願いですが、以前に未回答だった質問も含め、どうか回答のほどよろしくお願いいたします。
さて、前回の投稿では、菊池聡教授が「統計データは説明しない」ようにしているのかもしれない(?)という疑問を呈示しました。興味深いことに、これと同じ傾向が「この疑似科学とされるものの科学性評定サイト」の参考文献にも見られます。具体的には、小塩真司氏の『性格を科学する心理学のはなし―血液型性格判断に別れを告げよう』(2011年出版)です。
この本では、血液型と性格を否定するため、小塩氏はわざわざ1章(終章 血液型から性格を判断できないのはなぜか?)を割いて詳しく説明しています。
終章は147ページからあるのですが、いくら読んでみても―少なくとも私には―否定の根拠が不明でした。特に、氏の以前2冊の著書にあった統計的な分析は、見事に“消滅”してしまったようです。理由は不明ですが、何か都合が悪いことでもあったのでしょうか? 更に奇妙なことに、この本では、否定の根拠を探してはいけないような雰囲気(?)の記述も見受けられます。
>ときどき、「心理学では血液型と性格の関係を調べないのですか?」ときかれることがあります。しかし現在は、直接的に遺伝子と性格との関連すら調べることができるようになっているのです。なぜ今さら、血液型との関連を調べなければならないのでしょうか?(152ページ)
「なぜ今さら、血液型との関連を調べなければならないのでしょうか?」とまで言いきってしまうとは…。まさかとは思いますが、統計データを詳しく調べると、血液型と性格に関連があるという“不都合な真実”が発見されてしまうとでも言いたいのでしょうか?(笑)
不思議なことに、以前の氏の主張は全く逆でした。彼の以前の著書『はじめて学ぶパーソナリティ心理学』と『あなたとわたしはどう違う?』にあるとおり、きちんとした論文、そしてその論文にある統計的根拠を示して“血液型性格判断”を否定しています。
念のため、この本から削除されてしまった(?)統計データの説明を引用しておきますね。
■小塩真司氏『はじめて学ぶパーソナリティ心理学―個性をめぐる冒険』(2010年出版)
第9章 あなたは人を分類しているか(1) ――血液型性格判断の歴史
2.血液型性格判断の復活 (2) 実際にデータをとると 1970年代に再び血液型性格判断が世の中に広まったことから、心理学者たちも、実際にデータをとって関連が本当に存在するかどうかを検討するようになりました。科学的な態度というものがどのようなものであるべきかについては、すでに述べたとおりです。多くの研究者が納得できる方法で、たしかな関連がくり返し一貫して観察されるようであれば、その関連を多くの研究者が認めるようになります。しかし、血液型とパーソナリティ(性格・気質)との関連については、それがうまくいきませんでしたし、現在でもうまくいっているとは言えない状況にあります。(152ページ)
そして、その根拠の1つとして、このサイトの参考文献にも紹介されている、1991年に発表された松井豊氏の論文「血液型による性格の相違に関する統計的検討」が取り上げられています。読めばわかるとおり、松井氏の論文では「統計データに差がない」という結論になっています。この否定の根拠は、小塩氏のより以前の著書である『あなたとわたしはどう違う?』(※)でも基本的に同じといっていいでしょう。
※小塩真司氏、中間玲子氏の共著『あなたとわたしはどう違う? パーソナリティ心理学入門講義』(2007年出版)
ちなみに、この本でも、1991年の松井氏の論文をベースに「統計的」に否定しています。
以上の説明で理解できるかと思いますが、2010年には「統計データには関連がない」と主張していた小塩真司氏は、わずか1年後の翌2011年の著書になると「統計データの説明は拒否」と180度主張が変わってしまいました。実に不思議な現象というしかありません!
菊池聡教授や管理者さんには、ぜひこの事実を確認していただきたく、今回投稿させていただいた次第です。
しつこいようですが、「統計データに差がある」かどうかは事実の確認にすぎません。思想・信条や肯定・否定という立場とは関係ないのです。
大変失礼しました。
なお、次回の投稿では、小塩氏以外の心理学者でも、同じく主張が180度変わってしまったケースがあることを、改めて説明する予定です。どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/15 21:33:23)

ABOFANさん
>ときどき、「心理学では血液型と性格の関係を調べないのですか?」ときかれることがあります。しかし現在は、直接的に遺伝子と性格との関連すら調べることができるようになっているのです。なぜ今さら、血液型との関連を調べなければならないのでしょうか?(152ページ)
――この部分だけ引用すると確かに強い主張のように感じますね。特に「性格」というものがどのようなものを指すのかという定義自体、全ての学術領域で一致した見解を得られているとは言えませんし……。
「性格」という語の意味からして哲学的にも”弱い”ですし、叩き直しが必要であるとも考えます。(このことは血液型性格診断の肯定派否定派双方とも慎重になるべき点だとも思いますが…)
ただ、お見受けしたところこれは一般向けに書かれた本のようで、論文集とは意義も異なりますので、”出版向けに書いた意見”と捉えるのが妥当でしょう。ことさら大げさになるほどのものとも思えませんが。 (回答日時:2015/05/20 17:10:38)

以前の投稿がなかなか掲載されないようですが、次々に疑問が沸いてきましたので投稿を続けます。どうかよろしくお願いします。
さて、今回の更新で新たに参考文献として加わった、信州大学菊池聡教授の「なぜ疑似科学を信じるのか」には、非常に“奇妙”な記述が見受けられます。具体的には、次のp143の文章です。
>性格理論や調査法について専門的な訓練を受けた研究者が、それなりに実績のある複数の方法で、多方面から独立に調査した結果、軒並みに[統計的に有意な差が]何も出ないのである。
その「何も出ない」例として、p143には―このサイトの参考文献にある―松井豊氏(1991)の「血液型による性格の相違に関する統計的検討」が取り上げられています。ここまではまだ理解できます。ところが―何と驚くべきことに―p154には真逆の「統計的に有意な差が明確に出た」研究が堂々と紹介されているのです! それは、このサイトにも紹介されている、坂元章氏(2004)の「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」のベースとなった日本語の論文です(内容は2004年の英語版とほぼ同です)。
p154から引用しておくと「1978年から88年まで間に、A型の人は自分がA型的な性格と回答するようになり、一方でB型の人はわずかながら自分をB型的な性格だと回答する傾向が徐々に強くなってきたことを明らかにした」のだそうです。実は、以前にこの点を菊池教授に質問したことがあり、その当時は松井豊氏と坂元章氏の結論が“矛盾”していることは菊池教授自身も認めていました。こうなると、菊池教授の思考回路は全く理解不可能です…。
更に奇妙なことに、菊池聡教授はp159で山岡重行氏の主張も取り上げています(テレビ番組が増幅させる血液型差別 心理学ワールド2011年 http://www.psych.or.jp/publication/world_pdf/52/52-5.pdf)。この「心理学ワールド」の記事には、山岡氏自身の著書や論文も紹介され、当然のことながら、それらは「血液型性格判断はマスコミ情報に影響された思い込み」であるから「統計的に有意な差が明確に出た」という内容となっていました。なお、山岡重行氏の主張については、既に何回も書いているのでここでは省略します。
では、菊池聡教授は坂元氏や山岡氏の論文の内容を知らなかったのでしょうか? いや、「軒並みに何も出ない」とありますから、その可能性は極めて低いはずです。あるいは、山岡氏は「性格理論や調査法について専門的な訓練を受けた研究者」ではない(失礼!)ということでしょうか? それなら、そもそも菊池聡教授が山岡氏の研究を紹介することはあり得ません。こうなると―あまり考えたくはありませんが―最も可能性が高いのは、菊池聡教授が意図的に“ウソ”を書いていたということです。私には、他にうまい説明が見つかりません…。管理者さんはこの点についてどう思われますか?
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/14 22:48:30)

ABOFANさん
これは”自己成就”のことを指しているのだと考えられます。
つまり、能見氏の本が流行りすぎた「から」、血液型に対するステレオタイプが社会的に「広まり」、その人の本来の「性格」「気質」(この語がそもそも何を指すのか不明ですが)に影響を与え、「自己成就」につながった、ということです。
これは先の論文に対する解釈のところでもご指摘差し上げたはずですが……。 (回答日時:2015/05/20 17:15:24)

前回の投稿から3日足らずですが、まだ掲載されていないところを見ると、最近の管理者さんはお忙しいのでしょうか? もちろん、咎め立てするつもりは毛頭ありませんので、気にしないでください。
さて、今回の2015.5.13付け更新情報で大変驚いたのは―見落としでないとすれば―新たな共同研究員として、信州大の菊池聡教授が加わったことです。私が非常に気になっているのは、2005年頃を境にして―少なくとも統計データについては―彼の主張が正反対になったように見えることです。具体的には、血液型によって統計データに差が出ていることを“事実上認めてしまった(?)”ような内容の文章が散見されます。
《以前の主張》現実の統計データを分析しても血液型による差は認められない→血液型と性格には関係がない
《現在の主張》具体的な統計データや数値には一切触れない(=血液型性格論者が言うような「診断力のある差異はない」)→「診断力のある差異はある」のかどうかについては“回答拒否”
念のため、以前の主張の典型である月刊『百科』(1998年 不可思議現象心理学9 血液型信仰のナゾ-後編)から引用します。
>ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。/…「A型なのに、ぜんぜん凡帳面じゃない人はいっぱいいる」というように、血液型性格学に対する反証例を挙げる批判法。これも「身の回りの人が当てはまるから信じる」というのと同じ誤った考え方である。血液型学に限らず、おおよそすべての性格理論は統計的なものであって、集団全体の傾向としてしかとらえられない。たとえば筋肉を使った運動能力は女性よりも男性の方が優れていることに誰も異論はないと思うが、それでも特定の男性を取り上げれば、平均的な女性より力が弱い人はざらにいるだろう。
>必要なのは個々の事例ではなく、統計的な事実なのである。/いずれにせよ、血液型性格判断はなぜ虚偽なのか、これは提唱者が言うような性格の差が、現実に信頼できる統計データとして見あたらないという点につきる。
しかし、彼の現在の主張には、具体的な統計データや数値は「一切」登場しません。例えば、彼が講師を務めた放送大学「錯覚の科学('14)」テキストでの血液型性格判断の記述、そして授業としての放送が典型です。
余談ですが、2014年7月28日9時からの放送大学「錯覚の科学('14)」第13回「科学的思考と錯覚」では、初回に放送された血液型性格判断の批判部分に間違いがあり、訂正放送になりました。初回の放送は2014年7月4日16時からでした。差し替えになった部分は、大村政男さんの「ラベル付け替え」の実験です。
この実験は、別の血液型の特徴を、その血液型と言って示すと信じてしまうので、血液型と性格が関連する「科学的な根拠はない」というものです。初回の放送では、パネルによる説明で、本当の特徴のO型とAB型が逆になっていたのです。単純ミスなのだろうと思いますが、誰も気が付かなかったのでしょうか? 訂正放送では、この「ラベル付け替え」の実験の説明が全て削除されてしまいました。全部削除する必要はなかったのではないかと(私は)思うのですが…。
ということで、虫のよいお願いで大変恐縮ですが、管理者さんから菊池聡氏本人に、上の私の説明どおり彼の主張が変化したことを確認できるとすれば、相当議論が進展すると思います。お手数ですが、どうぞよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/13 23:49:51)

ABOFANさん
現在多忙のため、コメントへのレスポンスに少々時間がかかっております。ご迷惑をおかけします。
そのため、順序を変更して、先にこちらのコメントに回答いたします。
菊池聡先生には本研究の共同研究員として名前を頂戴しております。ABOFANさんの放送大学の講義に関する疑問について、軽々に確認しておきます、という約束をとりつけるわけにはいきませんが、このコメントは今後も一切触らずに掲載しておきますのでひとまずはそれでご容赦ください。 (回答日時:2015/05/15 22:44:17)

回答ありがとうございます。では、順にコメントして行きます。
>>特に反論のなかった次の3つの論文の解釈については、私に同意したものと判断しますのでよろしくお願いします。
>--??”解釈”されるのは結構ですが、論文に書かれている論旨とABOFANさんの”主張”には大変な乖離があります、とご指摘さしあげたのですが??
――直球を投げるとかわされる(苦笑)ようなので、今回はやや別の方向からボールを投げてみます。次の文章は、山本七平氏の『ある異常体験者の偏見』p132 聖トマスの不信からの引用です。
>「事実論」は思想・信条には関係ないから、「事実論」を思想・信条を基にして批判してはならない――という原則は、やはり新約聖書の時代からあるのだと思う。というのは「トマスの不信」という面白い話が出てくるからである。/「イエス・キリスト復活伝説」を知らない人はいないであろうし、今でも世界の多くの国で復活祭が祝われている。/ところが、イエスが処刑されて数日たって「イエスは生きかえった」という噂が広まり、それを「事実」とするムードが盛りあがったとき、弟子の一人であるトマスが言った、「私は(イエスの)その手に(十字架に釘づけされた)釘あとを見、自分の指をその釘あと(の穴)にさし入れ、自分の手をそのわきにさし入れて(槍でつかれたあとを調べて)みなければ、決して信じない」と。
>――非常に面白いことに、聖書は、このトマスの態度を少しも非難していないのである。/彼らにとっては、そう思ったら、そういうのが当然なのである。/まして、「そんなことを言うやつは、イエスの弟子とは認めない」といったり、やれ不敬だの、不信仰だのといった罵詈讒謗を加えた、などという記録は全くなく、淡々と、これまたそう書いてあるだけである。
ご存じのように、トマスはキリスト教圏ではポピュラーな名前であり、有名なトマス・エジソンのファーストネームも、この聖トマスのように正直であれという親の思いが込められています。私はキリスト教徒ではありませんが、今までの投稿の目的はこの「聖トマスの不信」のとおりです。統計データに血液型による差があるかどうかは、「血液型性格診断」の肯定・否定の立場とは何の関係もありません。同様に、「論文に書かれている論旨」や「ABOFANさんの“主張”」とも直接の関係はありません。論文の論旨がどうだろうが、私は単に「統計データに血液型による差がある」事実を事実として提示しているだけであり、それ以外の意図はないのです。念のため、前回の私の投稿を再掲しておきます。
>実際の山岡氏のデータ、例えば「だめな大人にならないための心理学」のp48にも、「28項目のうち血液型による差が見られたのは全体[血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群の合計]で8項目」とあります。従って、1)山岡氏の「文脈」による解釈 2)ご紹介の書評 3)私の解釈は、少なくとも「統計データに有意な差があるかどうか」に限ってはすべて一致しています。
繰り返しになりますが、1)2)3)は全て「山岡氏のデータには血液型により統計的に有意な差が見られた」ですから、管理者さんのおっしゃるように「論文に書かれている論旨とABOFANさんの“主張”には大変な乖離」があるとなぜ解釈できるのか―トマスの不信ではありませんが―私には全く理解できません。
>「語句説明」とは血液型性格診断の一般的な”概念定義”を端的に述べたものであり、「データの再現性」とは実証実験における再現性についてのべております。
――前者はそのとおりでしょう。しかし、後者の後半部分はそうではありません。念のため、該当部分をもう一度引用します。
>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
前者では、血液型性格診断の主張は「客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができる」とあります。しかし、後者の後半部分には『この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してない』とあり、この部分は「実証実験における再現性」とは特に関係がありません。よって、明らかにこの「語句説明」と「データの再現性」の記述は矛盾することになります。よろしいでしょうか?
>しかし、たとえばABOセンターページにおいて、…8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。…仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?
――これは「血液型人間学」を正確に理解しているとするなら、特に矛盾する記述ではありません。性格の分類基準としては、心理学の性格検査(=自己報告)のような「主観的」なものは適切でなく、自然科学的に決定できる血液型なら「客観的」だから妥当だという意味です。今回は残念ながら発見できなかったのですが、過去のABOセンターのサイトには「血液型物質は、人間を含めた生物全ての、材質の違いを示している、今のところ唯一とも言える客観的な基準です。」といった説明が掲載されていました。能見正比古氏の『血液型人間学』シリーズにも同じ趣旨の説明がありますので、参考までに付記しておきます。
以上のことから、率直に申し上げると、管理者さんが「血液型性格診断」をきちんと理解しているのかどうか、私はかなり大きな疑問を持っています。
ところで、ご紹介の動画の作者であるKumicitさん(当時)は、血液型で使うようなノンパラメトリック検定を正確には理解していませんでした。理解できないものを批判するといった大それたことは、小心者の私には到底真似できるものではありません(苦笑)。詳細は次の私のブログをご覧ください。
面白いブログ「忘却からの帰還」の間違いを発見!(続々々々) http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2008-10-24-1
余談ですが、過去に何回も統計ネタを管理者さんに振ったところ、現在まで見事に全部スルー(!!)されました。ですので、管理者さんは統計が大の苦手な純粋な文系なのだと勝手に推察しています。まともな議論で、流石にここまで全部スルーされた経験はほとんどない(kikulogの菊池さんぐらい?)ので…。
またまた余談ですが、最近読んだ山口周氏の『外資系コンサルの知的生産術』に、こんな話が紹介されていました。トップクラスのMBAを持っている才媛が入社したときのエピソードなのだそうです。
「だって、○○先生は、この分野の世界的な権威で、すごく尊敬されているんです。その先生がそういうんだから間違いありません」→「いや、その先生が高名かどうかはどうでもよくて、君自身はどうしてこれが正解だと思ったのか、その根拠を聞きたいんだけれど…」…(以下、繰り返し・笑)
『血液型人間学』の提唱者である能見正比古氏は東大工学部卒です。彼の学歴だけ見れば「権威」と言えないこともないですが、実際には本人も周囲も全くそう思っていませんでした。これに対して、管理者さんにとって心理学者は「権威」かもしれませんが、私は心理学者やその論文の多くは「権威」ではありません(特に日本語の論文は間違いが多くて…苦笑)。今後もあくまで、「聖トマスの不信」で行くつもりです。どうかよろしくお願いします。
長文大変失礼しました。
【追伸 文字化けの可能性があるので、恐縮ですが再度投稿します】 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/12 00:34:09)

ABOFANさん
前半の「トマス」云々は正直何がおっしゃりたいのかよくわかりません。が、これって、これまでのABOFANさんのご発言で多かったように、ご自身へのブーメランではありませんか?笑
後半の「語句説明」と「データの再現性」の記述に関するご指摘は、一度改訂しておりますのでもう一度よくお読みください、としか言いようがありません。しかし、当該箇所は議論の文脈全体の本質的な問題、というよりはテクニカルな意味(修辞的な表現)の問題に近いものですので、どうしても納得いかない、とおっしゃられるのであれば再度改訂いたします。

最後に、ABOFANさんにこれだけはお答えいただきたいのですが……。
これまでABOFANさんは再三、
>これは「血液型人間学」を正確に理解しているとするなら、特に矛盾する記述ではありません。
――といった文脈、特に「血液型人間学を正確に理解している”なら”」といったことを述べられております。
では、「正確」な「血液型人間学」の「理解」とはどのようなものなのか、”ABOFANさん”のお言葉でご説明いただけますでしょうか?繰り返しますが、ABOFANさんのお言葉、お考えで結構です。このことは以前、菊池誠先生がどこかのウェブサイトでご指摘されておりましたことでもあります。
どうか、ABOFANさんがおっしゃる「血液型人間学」の「正確な理解」とは、果たしてどのようなものなのか……、”ABOFANさんご自身”のお考えを最初の「立論」段階から(何でしたら本研究の評定に照らし合わせてでも結構です)お聞かせください。 (回答日時:2015/05/20 17:45:49)

管理者さんへ
回答ありがとうございます。では、特に反論のなかった次の3つの論文の解釈については、私に同意したものと判断しますのでよろしくお願いします。
山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」/「血液型性格判断の差別性と虚実性(自主企画②)」山岡重行/「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
もし、同意していないということであれば、お手数でも再度の意思表示をお願いします。
>ご指摘いただいた誤記、誤植を確認し、訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
――早速の訂正ありがとうございました。しかし、なぜか次の「血液型性格診断」の定義部分は基本的に直っていませんね。
>また、次の2つの文章は矛盾しています。
>>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
>>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
管理者さんは、どちらが“本当”の「血液型性格診断」言説の主張と捉えているのでしょうか? 私がわざわざ強調するまでもなく、ここが議論の最重要なポイントとなりますよね。ですので、管理者さんの次の記述
>今信じられている「血液型性格診断」はウソですが
の「ウソ」である根拠が未だにはっきりしません。そもそも定義が曖昧なら「ウソ」とは断定できないでしょうから…。
もっとも、過去に何回こういう質問をしても、管理者さんは毎回“回答拒否”という結果となっているので、今回はちょっと趣向を変えて進めることにします。それは、管理者さんの過去の発言から管理者さん自身の主張を明確化するというものです。もちろん、この方法は科学的論争としてはかなり変則的です。しかし、冒頭にあるように、管理者さんの「血液型性格診断」言説の定義が曖昧であるため、他に適切な方法がないのでやむを得ないと考えます。繰り返しになりますが、「疑似科学とされるものの科学性評定」をするのに、肝心の「疑似科学=血液型性格診断」言説の定義が曖昧、というのは本来おかしいので…よろしいでしょうか?
さて、管理者さんの主張について書く前に、まず管理者さんの現状や前提について整理することにしますね。
>先の山岡重行氏のデータについてですが、氏が主張したかった文脈とは全く違う解釈をABOFANさんは得られているように思います。下リンク先の「ダメな大人にならないための心理学」の書評を一度ご覧ください。 http://ci.nii.ac.jp/els/110002785191.pdf?id=ART0003124059&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1431039074&cp=
――なぜか原文の引用がないので、このリンクで該当すると思われる部分を次に引用します。違うのであればお手数でもご指摘ください。
>第二夜(第二章)、第三夜(第三章)では、思いこみや間違いの形成とそれが引き起こす現象について、偏った情報・ステレオタイプ・偏見・差別、詐欺といった問題へ発展していく可能性を指摘している。まず、血液型による性格診断による性格診断の誤り、根拠のなさを実証的研究によって説明し…
次に、山岡氏の主張したかった「文脈」についてです。以前に何回も紹介しましたが、念のため再掲します。
>①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。②aしかし、血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群に分けると後者では有意差が見られない。②bこのことから血液型による自己評定値の有意差は知識があり信じている人達の思い込みに過ぎないと判断できる。①と②aの人数はほぼ同数ですから、日本人のアンケート結果ではほぼ確実に「血液型による有意差が見られる」ことになります。
実際の山岡氏のデータ、例えば「だめな大人にならないための心理学」のp48にも、「28項目のうち血液型による差が見られたのは全体[血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群の合計]で8項目」とあります。従って、1)山岡氏の「文脈」による解釈 2)ご紹介の書評 3)私の解釈は、少なくとも「統計データに有意な差があるかどうか」に限ってはすべて一致しています。なぜそれが「氏が主張したかった文脈とは全く違う解釈」になるのか、全く理解に苦しむというのが私の正直な気持ちです。繰り返しになって恐縮ですが、過去にこういう「回答」をすると、多くは管理者さんから何の反応もありません。それらが、私が出した質問ならまだわかります。しかし、管理者さんからの質問に対して、私の回答のほとんどが「無視」される、という事実は「科学的論争」として到底承服できるようなものではありません。そこで、少々勝手ではありますが、今回は管理者さんから何も回答がなければ、私の主張に「同意」されたということで進めますので、予めご了承くださるようお願いします。
>また、誤解される恐れがあるのでここまでこの話題は控えておりましたが、統計的データの「有意差」と「効果サイズ」は別の話であることはご存じでしょうか?
――この質問は意味不明です。そもそも、「有意差」と「効果量」(一般的には「効果サイズ」ではなく「効果量」を使うようですが…)は、そもそも混同しようがありません。例えば、前回の私の投稿なら、「効果量」は0.3(=平均値の差)÷1(=標準偏差)なのでd=0.33が得られます。この得られた結果をt検定の数値に当てはめると、効果量は「小」(d=0.2)と「中」(d=0.5)の間となりますよね。あるいは、相関係数rで判断するなら、ユールのQやクラーメルのVを使ってもほぼ同じ結果になります(もし違うというなら、ぜひ計算結果をご提示ください)。つまり、どう頑張ってみても「有意差」と「効果サイズ」は“誤解”されるような性質のものではありません(笑)。そもそも、「効果量」の計算は、私のサイトで「普通の質問では、効果量(effect size)はせいぜい中程度」といったように、既に紹介済みのものですし…。 http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/relation.htm

キシリア・ザビさんへ
>せいぜい五割ということは、まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦、と同じくらいのレベルか。ニュータイプとは比較もできぬな。
――いやぁ、年代がわかりますね(笑)。おそらく、管理者さんはこのギャグは理解できないでしょう…。余談ですが、私は“ニュータイプ”でありませんが、ニュータイプレベルの達人も存在しているそうです。どうやって当てているのでしょうね? なお、たまに特定の血液型にだけ当てはまるという特徴が現れたときなら、私でも「八割くらい」は当たりますが、そういう場合は残念ながら少ないです。これについても、ある程度データに基づいて説明できますので、もし興味があるなら、そうおっしゃってください。
>どちらにしても、私にとっては今後、気にしなくともよい程度だということはよく分かった。
――ありがとうございます。重々ご承知かと思いますが、「せいぜい五割」は「私の勝手な判断」とは全く関係ありません。能見正比古氏などの「血液型性格診断」のデータに基づいて「機械的」に計算するとそうなる、というだけの話です。ですので、特に感謝されるようなことではありません。どうかお気になさらないようお願いします(笑)。

長文失礼しました。 (投稿者:ABO FAN,投稿日時:2015/05/10 10:00:03)

ABOFANさん
>特に反論のなかった次の3つの論文の解釈については、私に同意したものと判断しますのでよろしくお願いします。
--??”解釈”されるのは結構ですが、論文に書かれている論旨とABOFANさんの”主張”には大変な乖離があります、とご指摘さしあげたのですが??

>また、次の2つの文章は矛盾しています。
>>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
>>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
管理者さんは、どちらが“本当”の「血液型性格診断」言説の主張と捉えているのでしょうか? 私がわざわざ強調するまでもなく、ここが議論の最重要なポイントとなりますよね。
--補足が必要かもしれません。まず「語句説明」とは血液型性格診断の一般的な”概念定義”を端的に述べたものであり、「データの再現性」とは実証実験における再現性についてのべております。少々誤解を招く記述であることに間違いはないのですが、血液型性格診断の”概念定義”と”実証実験における再現性”の記述でありますので両者は矛盾しないものと考えます。というか、「データの再現性」ではそのあとに、
>血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の再現性で診断を行えるか」を明言してないことである。そのため、「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」と言い訳ができてしまう。このように反証データを得ても、再現性を否定できる構図にないので、評価は低い。
--と、このように書いています。行間や文脈を読んでいただかなければわからない記述なのは確かで申し訳ないのですが……。

しかし、たとえばABOセンターページにおいて、
【血液型10の心得】
1. 血液型の先入観で人の性格を決めつけることなく活用しよう。
2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。
3. 血液型の特性の違いは、努力の方向性を知る手がかりとしよう。
4. 血液型で相性の良し悪しはない!互いの努力のポイントを知る手がかりとしよう。
5. 血液型は人の善悪を言うものではなく、機能や特性の違いだと理解しよう。
6. 血液型だけで能力は決まらない!当然だが誰にでも全ての可能性があると知ろう。
7. 血液型は人の好き嫌いに利用するものではない。気質の違いを認める器を持とう。
8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。
9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。
10. 血液型の違いを知ることは、人間同士の真の共通性を確認することだと理解しよう。

--このような記述が見受けられます。仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?ABOFANさんが「語句説明」と「データの再現性」の記述に矛盾があると思われたのならば、それはまさに血液型性格診断自体に矛盾があるということを自らお認めになったということかもしれませんよ?

>この質問は意味不明です。そもそも、「有意差」と「効果量」(一般的には「効果サイズ」ではなく「効果量」を使うようですが…)は、そもそも混同しようがありません。
--これについてですが、ネット上で以下のような動画を見つけました。作成者は知りませんし、ここで言われているABOFANという方があなたと同一かどうかも判別不明であり、少々悪意のあるものでもありますが、とりあえずこの動画がABOFANさんのおっしゃりたいことに対して”正解”なのか”不正解”なのかお教えください。
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4978878

ファーストガンダムネタで盛り上がるのも結構ですが…
(回答日時:2015/05/11 15:11:29)

丸3日が経過しましたが、その後いかがでしょうか? さて、前回はケーススタディのみのだったので、今回は統計用フリーソフトであるEZRを使って計算してみました。参考文献は平井明代氏の「統計:検定力分析」です。http://www.u.tsukuba.ac.jp/~hirai.akiyo.ft/meeting13.files/SLAA_5_16%28withoutimage%29.pdf
平均値差・標準偏差などの仮定は、山岡重行氏のデータ(ダメな大人にならないための心理学 pp49-52)を参考として、次のとおりとしました。
平均値の差=0.3/標準偏差=1/α=0.05(タイプ1エラー=危険率)/β=0.8(タイプ2エラーにならない確率=検出力)/両側検定
話を簡単にするため、便宜的に4つの血液型の比率は同じものとし、「ある血液型」と「他の血液型」の2群の平均の差で計算することにします。この条件でEZRを使って計算してみた結果、必要なサンプルサイズは117+351=468人と「数百人」ということになりました。参考までに、以下はEZRの計算結果の抜粋です。[> SampleMean(0.3, 1, 0.05, 0.80, 2, 3 ) ]
仮定:2群間の平均値の差 0.3/標準偏差 1/αエラー 0.05/両側検定/検出力 0.8/N2とN1のサンプルサイズの比 3→必要サンプルサイズ:N1 117/N2 351
逆に、サンプルサイズを261人とした場合は、検出力は0.554となりますから、ほぼ半分は差が検出できないタイプ2エラーということになります。[> PowerMean(.1, 1, 0.05, 65, 2, 3.01538461538462 ) ]
2群間の平均値の差 0.3/標準偏差 1/αエラー 0.05/両側検定/サンプルサイズ N1 65/N2 196/検出力 0.554
現実には、平均値の差=0.3はほとんど「最大」のケースなので、「普通」にあるような平均値の差=0.1で計算してみると、検出力は0.104となり、ほぼ10回に1回しか差が検出できないという結果になりました。これで納得していただけましたでしょうか?
閑話休題。以前はRでコマンドを直接を入力していたので面倒だったのですが、EZRでは随分と簡単になったものです(笑)。
仮定のミスや計算違いなどがあればご指摘ください。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
先の山岡重行氏のデータについてですが、氏が主張したかった文脈とは全く違う解釈をABOFANさんは得られているように思います。下リンク先の「ダメな大人にならないための心理学」の書評を一度ご覧ください。
http://ci.nii.ac.jp/els/110002785191.pdf?id=ART0003124059&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1431039074&cp=
また、誤解される恐れがあるのでここまでこの話題は控えておりましたが、統計的データの「有意差」と「効果サイズ」は別の話であることはご存じでしょうか?

 ふむ。
 せいぜい五割ということは、まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦、と同じくらいのレベルか。
 ニュータイプとは比較もできぬな。
 どちらにしても、私にとっては今後、気にしなくともよい程度だということはよく分かった。
 貴重な情報提供、感謝する。
(投稿者:キシリア・ザビ)

管理者さんへ
>――この「最低でも数百人」程度のサンプルが必要、というのは何が根拠となっている理論なのでしょうか?
――さすがに、この回答には少々ムッとしました。過去に何回も説明しているのですが、ご要望ですのでしつこく再掲します。かなり失礼な言い方になりますが「読解能力」以前の問題ではないですか?
まず、山下氏のデータがタイプ2エラーであることについてです。前回紹介した山岡氏の6660人のデータのうち、彼の著書「ダメな大人にならないための心理学」p49-52には、1999年に調査したデータを統計的に検定した結果が紹介されています。サンプル数は1300人で、全質問28項目中7項目で有意な差があります(最大のF値は7.816なのでp<0.0001で有意)。では、血液型による差が同じだと仮定し、サンプル数を山下氏と同じ261人(約1/5)に減らして再計算してみます。F値はサンプル数に比例するので、最大のF値は7.816÷5=1.569[正確には7.816×261÷1300]となり全28項目のいずれも有意差は検出されません。あるいは、p<0.05で有意とするなら、400人程度以上のサンプルが必要となります。よろしいですか?
――なお、この私の説明に対しては、管理者さんから、次の“回答”をいただいていますので、参考までにお示ししておきます。
>専門用語、業界用語を並べたてられるのも結構ですが、まずは論文、あるいは文献を”精確”に”読む”ということを心がけてみてはいかがでしょうか。 (投稿者:ABO FAN)

管理者さんから、“荒れている”というコメントをいただいたので、事実のみ指摘させていただきます。
このサイトは非常に誤記や説明不足の点が多いのが特徴です。一例を挙げれば、
>語句説明 A、B、Oとは遺伝子を意味しており、メンデルの遺伝法則にしたがって個人を標識する抗体である。そのため、AAまたはAOの組合せでA型に、BBまたはBOの組合せでB型に、OOの組合せでO型に、ABの組合せでAB型になる。
――1)「抗体」は「抗原」の誤りです。2)一般にA、B、O型は「表現型」と「遺伝子型」の両方に使われますが、上の文章には「表現型」の解説がありません。なお、O型はA、B型に対して劣勢であり、単純なメンデルの法則に従うのではなく、複対立遺伝子を構成しています。
また、次の2つの文章は矛盾しています。
>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
――「語句説明」と「データの再現性」の2つの項目で、「血液型性格診断」に対する説明がこれほど違う(全く正反対)の記述をするというのでは、少なくとも科学的とは言えないでしょう。
キリがないのでこの程度にしますが、このような「誤記」などについては、私が何回指摘してもほとんど“回答拒否”であり、現在までサイトの内容に特に何の修正もされていないようです。詳細については、過去の投稿と回答をご覧になればわかります。
余談ですが、
>今信じられている「血液型性格診断」はウソですが
――この文章では「ウソ」の根拠がはっきりしません(「科学的」ではない)ので、どうか根拠となる文章の例示をお願いします。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFANさん
ご指摘いただいた誤記、誤植を確認し、訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
なお、「表現型」などの解説は本論の主旨との関連性は低いと判断いたしましたので省略させていただきます。

管理者さんは、おそらく本気で書いているということでしょうか…。
>――他のABOFAN様の文脈から鑑みると、つまり、山下氏や他に挙げ”ていただいた”方の論文で「有意差はなかった」という結果が出たのは彼女らの実験手法に誤りがある、とおっしゃりたいのですか?でしたらなぜ、上記の方々の論文を紹介くださったのでしょうか?ABOFAN様からの情報提供ですよね?
――山下玲子氏の論文で差が出ない理由は、過去に再三書いたとおりです。
1) 通常のデータでは、χ2検定やF検定を使った場合、「血液型による有意な差」を検出するためには「最低でも数百人」程度のサンプルが必要です。山下玲子氏のサンプルは「261人」ですので、そもそも差が出る可能性は非常に低いです。
2) 「血液型による有意な差」を検出するためには、上の1)の条件に加えて、大きな差が出る「有名な特性」についての質問である必要があります。山下玲子氏は「有名な特性」についての質問はしていないので、差が出なくとも特に不思議ではありません。
この1)2)については、統計学を理解している人なら、わざわざ私などに質問するような面倒なことは不要です。自分で「能見正比古氏」などのデータを使って計算すればわかることです。が、管理者さんは統計学の基本が理解できない―少なくとも表面上は理解できない態度を取っている―ので、残念ながらここに書くだけ無駄でしょうか…。
3) 上の1)2)の条件を満たしている、坂元氏、山岡氏、白佐氏のデータでは、全て「統計的に有意な差」が見い出されています。逆に1)の条件しか満たしていない縄田氏のデータでは差はありません。

キシリア・ザビさん、はじめまして。私でよければお答えします。
>例えば私がB型だとして、いわゆるB型の特徴的な性格に「明確に」当てはまると言える可能性は何%くらいあるのだろうか。
質問項目によりますが、通常は半分程度です。これは、現実のデータで裏付けられているものです。例えば、渡邊席子氏(※)によると「個人が持っている信念のうち、通説と一致しているのは4~5割であり…」とあります。もっとも、「有名な特性」ではこれ以上のものもありますが、数は少ないです。
※渡邊席子(1994年)血液型ステレオタイプ形成におけるプロトタイプとイグゼンブラの役割 社会心理学研究 第10巻第2号 p.77~86 http://ci.nii.ac.jp/naid/110002785240
>あるいは例えばO型の人間と区別できる可能性は何%くらいなのだろうか。(それは「B型の性格の特徴のどれかに依存する」というような返答は期待していない。端的に知りたい)
これは意外と低いです。実際に計算してみると(もちろん、やり方や質問項目によりますが)せいぜい50パーセント程度です。これは、私の実感とも一致します(苦笑)。参考までに私の計算結果は次のとおりです。
[血液型と性格]の謎を推理する なぜ人の血液型を当てることができないのか? http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/mystery.htm
そういう意味では「どうということはない」レベルであることは確かです(笑)。逆の言い方をすれば、普通に話題にしても大した問題にはならないので、いわゆる“差別”には程遠いものだと(個人的には)思っています。これについても、山下玲子氏のように現実のデータはありまして、
山下 玲子(武蔵大学 社会学部)血液型性格判断はなぜすたれないのか 日本社会心理学会 第49回大会(2008)http://db1.wdc-jp.com/cgi-bin/jssp/wbpnew/master/detail00.php?submission_id=2008-E-0208
したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
他にご質問があればご遠慮なくどうぞ。私でよろしければ喜んでお答えしますので。どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>1) 通常のデータでは、χ2検定やF検定を使った場合、「血液型による有意な差」を検出するためには「最低でも数百人」程度のサンプルが必要です。山下玲子氏のサンプルは「261人」ですので、そもそも差が出る可能性は非常に低いです。
――この「最低でも数百人」程度のサンプルが必要、というのは何が根拠となっている理論なのでしょうか?おそらく「統計学」とおっしゃりたいのでしょうが、統計学では”何を測定したいのか”によって有効である(誤差の少ない)標本サンプル数も異なる、と考えるのが一般的ですよね。「血液型性格診断」には「”最低でも”数百人必要」というのは、何が根拠となっているものなのでしょうか?また、山下氏の「261人」は厳密に言えば”数百人”という基準を満たしているように思えるのですが……。

 申し訳ない。どちらでもいいのだが、気になっていることを明らかにしていただけないだろうか。
 例えば私がB型だとして、いわゆるB型の特徴的な性格に「明確に」当てはまると言える可能性は何%くらいあるのだろうか。あるいは例えばO型の人間と区別できる可能性は何%くらいなのだろうか。(それは「B型の性格の特徴のどれかに依存する」というような返答は期待していない。端的に知りたい)
 それが一割や二割なら無視できるし、五割でもどうということはない。八割くらいだというのなら真面目に考えてやってもよい。
 知ってのとおり、私はあまり賢くはない。その私にわかるように「簡潔に」説明していただけないだろうか。(400文字…でなくてもせめて800文字以内くらいで──いわゆる「梗概」ってそんなものだろうし)

(投稿者:キシリア・ザビ)

キシリア・ザビ様
ご投稿ありがとうございます。
本研究での「評定」は総評にある通り、能見氏を起源とし、現在一般に広まっている「血液型性格診断」なるものに関しては懐疑的な立場をとっております。ただし、血液型と医学や疫学的な観点にまで視野を広げると、将来の予測性はそれほど低くはないのではないか、というのが暫定的な見解です。
まぁザックリと誤解を恐れずに言いますと、今信じられている「血液型性格診断」はウソですが、ABO式血液型には侮れない一面がある、といったところです……。
余談ですが、「血液型性格診断」の投稿ページは少々「荒れて」おり、閲覧された方々で不快な思いをされた方がいるかもしれません。管理者としてお詫びいたします。申し訳ありません。

以下は、統計学を知っている人向けの内容になります。かなり長文ですがご容赦願います。
・山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」
――この論文の論旨について再掲します。
1) したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
2) ところで、山下氏の「考察」として紹介されている、
>科学的根拠がないとされながら、特定の血液型(全体から見ると少数派)の人が不快感を抱くような内容を持つ血液型性格判断は、娯楽の形で人々の間で話題にのぼることが多い。そして、娯楽であるがゆえに、悪く言われている人たち自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。その結果、それに対する肯定的な意見のみが優勢であるという見かけ上の合意が形成される。このメカニズムによって、血液型性格判断は多くの人に支持され、肯定的に評価されているものであると多くの人が信じるようになり、異議を唱える人を沈黙させることで、さらに広まっていると考えられる。
――この記述は、彼女自身のF検定の結果とは矛盾します。なぜなら、
>血液型別に、…血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
とあり、B型が他の血液型の人より血液型の話題に不快を感じていても、「血液型性格判断の話題を行う頻度」「血液型性格判断の話題への好み」は他の血液型と同じだというのです。こうなると、『悪く言われている人たち[B型]自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。』とは必ずしも言えないことなります。妥当な解釈は、B型は他の血液型よりストレートに不快感を感じる、ということでしょう。つまり、血液型によって感じ方、あるいは性格が違うことになります。(笑)
・「血液型性格判断の差別性と虚実性(自主企画②)」山岡重行
――この論文の論旨について再掲します。①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。②aしかし、血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群に分けると後者では有意差が見られない。②bこのことから血液型による自己評定値の有意差は知識があり信じている人達の思い込みに過ぎないと判断できる。
――①と②aの人数はほぼ同数ですから、日本人のアンケート結果ではほぼ確実に「血液型による有意差が見られる」ことになります。②bは金澤正由樹氏によって否定されています。内容については後述します。
・「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
――この論文の論旨について再掲します。
1) 最近の日本で広く普及している血液型ステレオタイプが、日本人の性格に影響し、自己成就予言として働いているかどうかを調べるために実験を行った。1978年から1988年まで、毎年無作為に選ばれた32,347人の被験者のデータを分析した。その結果、自己評定の性格でA型とB型には有意な差が見られたが、それは1984年より後のことであった。1984年には血液型に関連する話題が非常に多かったのである。このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している-少なくとも自己評定の性格では-血液型は自己成就予言として働いているが、影響の大きさには検討の余地がある。
2) もっとも、上の内容にはいくつか問題点があります。①1984年の話題の多さが出版点数のみで販売部数は考慮されない②自己成就予言の直接的な存在証明がない、です。①は明らかに妥当ではなく②は金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』で直接的に否定されています(多く知られている特性でも差が小さい場合が多く、逆に知られていないのに差がある特性もある[詳細は後述])。②の要約は拙サイトにあります。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
・「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲
――この論文の論旨について再掲します。
その結果は、「血液型と性格とは何らかの関係がある」、「血液型によって性格特徴が異なる」、「四つの血液型には特徴的な性格傾向がある」などという説を、非常に漠然とした弱い関係のものとしてではあるが、支持するものであった。つまり、「血液型によって性格特徴が異なる」とする説を、積極的に支持しないにしても、血液型性格判断(又は血液型人間学)の可能性には肯定的な判断に立たざるを得ない結果を得たわけである。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/shirasa.htm

以下は全体のまとめです。実は、日本人の統計データであれば、必ず差が出ているのです!
このことは、血液型と性格の研究をする心理学者の間で「公然の秘密」となっています。
ですから「統計データに差がない」と正面切って主張する人は、現在ではかなり少数派となってしまいました。せいぜい、「日常性格に影響はないことは証明されている」程度でお茶を濁しているのが現状です。言い換えれば、差が出ていること自体は否定しないということになります。
理由は簡単です。
坂元氏(あるいは山岡氏)の論文の結論は、①日本人の大多数は血液型と性格の知識を持っている②自己成就現象によって自己評定の性格が血液型の影響を受けている③よって日本人の性格の自己評定のデータ(=ほとんどの心理学の研究論文)には血液型による差が見られる、というものです。このことは現在の日本人一般に適用できるはずなので、どの日本人の統計データも必ず血液型による差が出ることになります。逆に、関連リンクにある『「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)』で差が出ていないのは、質問の内容が経済的なものだけで、血液型に関するものがないからだ、と考えるしかありません(論理的には…です)。
その意味では、この「統計データに差がない」という縄田氏の論文が日本心理学会の学会誌『心理学研究』に掲載されたのは、たまたま査読者がこの「公然の秘密」を知らなかったのか、あるいは知っていながら「何からの意図」があって、あえて掲載したかのどちらかでしょう。いずれにしても、科学的だとは言えないのではないでしょうか?
ところで、前述の坂元氏や山岡氏の心理学論文では、統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」によるもの、という結論になっています。ところが、彼らの論文を読んでみると、その検証は間接的なもので、直接的なものではありません。私が知る限り、直接的に検証したのは金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』のみです。ここでは、その内容を簡単に紹介します。
金澤氏は、その血液型特性が知られている割合と、データの差の大きさの関係に着目しました。仮に、血液型による統計データの差が「自己成就現象」や「思い込み」によるものなら、その特性が知られていればいるほど差が大きくなるはずです。逆に、ほとんど知られていない特性なら、「自己成就」や「思い込み」は小さいので、大きな差が出ることはありません。
結果は意外なものでした。その特性が知られている割合と、差の大きさには関係がなかったのです。また、ほとんど知られていない特性でも安定した差が見られました。つまり、血液型による統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」ではなかったのです! 実際の統計データはこちらです。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>以下は全体のまとめです。実は、日本人の統計データであれば、必ず差が出ているのです!
このことは、血液型と性格の研究をする心理学者の間で「公然の秘密」となっています。
――他のABOFAN様の文脈から鑑みると、つまり、山下氏や他に挙げ”ていただいた”方の論文で「有意差はなかった」という結果が出たのは彼女らの実験手法に誤りがある、とおっしゃりたいのですか?でしたらなぜ、上記の方々の論文を紹介くださったのでしょうか?ABOFAN様からの情報提供ですよね?
というか、元々
>次は「社会への応用性」です。
> 血液型性格診断が社会において有効的に活用されているとはいえない。
そうでしょうか?
山下 玲子(武蔵大学 社会学部)血液型性格判断はなぜすたれないのか 日本社会心理学会 第49回大会(2008)http://db1.wdc-jp.com/cgi-bin/jssp/wbpnew/master/detail00.php?submission_id=2008-E-0208
したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
――と、おっしゃられているのですが……。

正直、この回答を読んで、どう反応するべきなのか悩んでいます。なぜなら、私の質問にはほとんど“回答拒否”ですし、特に統計関係については全く回答をいただいていないからです。その典型例が、山下玲子氏の記述についての次の記述です。
>>結果
>(1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について
>調査対象者の血液型はそれぞれA 型92 名、B 型59 名、O型78 名、AB 型32 名であった。血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
>――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
――しつこいようですが、「ABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。」とありますが、そもそも私が何も主張していないものに対して「整合性」云々の話になるはずがありません。その後、私のサイトの(それらしき?)データの紹介をしても反応がないので、別に原文の引用をお願いしました。しかし、これまた完全にスルーされました。スルーの理由についてもわかりません。私の再三の質問は無視、しかも元々は管理者さんからの質問であるにもかかわらず、私の回答に対しては全くの“回答拒否”です。この状態で、「上記の研究結果や論文の論旨について、ということで、その点は双方同意できるかと思います。ここはお間違いないでしょうか?」と私に質問するのはいかがなものでしょうか?
また、山下玲子氏、山岡重行氏の論文の趣旨については、過去の投稿でかなり多くを解説してきたつもりです。それらを読めば、私の主張がわからないはずはありません。また、仮にわからないとしても、その時点で質問すればいいだけの話です。しかし、なぜか投稿した時点では、私への質問はほとんどありませんでした。
もちろん、過去にこういうパターンは何回も経験しています。その多くは、①私の主張は理解しているが(都合が悪いので)理解しないフリをしている、②特定の主義主張(イデオロギー)があるので私の主張を頭から受け付けない、という場合が大部分です。しかし、管理者さんの場合には、どちらのパターンにも当てはまらないような…。大変失礼な話ですが、私の率直な感想を申し上げると、統計学自体がよく理解できていないのではないかと思います。それが典型的に現れているのが、管理者さん自身から持ち出した山下玲子氏の「F検定」の話題です。自分が始めた話に「完全スルー」というのは、統計学の基礎知識が欠けているのが理由ではないでしょうか? それも、F検定のサンプル数とF値の関係というレベルの話どころではなく、タイプ2エラーさえ知らないのではないかと、ついつい疑ってしまいます。もちろん、あえて理解しないという可能性もゼロではありませんが…。
統計学を一切使わないで、管理者さんの「上記の研究結果や論文の論旨について、ということで、その点は双方同意できるかと思います。ここはお間違いないでしょうか?」という質問に回答するのは現実的に不可能です。そして―繰り返しになりますが―過去の投稿では統計学を使って「上記の研究結果や論文の論旨」について頑張って説明したことを全く無視される、というのも非常な無力感を覚えます。私は一体どうすればいいのでしょうか?(苦笑)
あるいは、一見すると管理者さんが統計学に“無知”と感じられるのは私の勘違いで、専門レベルの「ユールのQ」「クラーメルのV」「多重比較」…なんかお茶の子さいさいだ、というなら嬉しい限りです。それなら、実に簡単に説明できますので…というか改めての説明は不要でしょう。本当はどうなのですか? 私に無力感を与えるための作戦か何かなのでしょうか?(笑)
さて、次回の投稿では、ある程度統計学がわかるものとして、管理者さんの今回の質問に対する「最低限」の回答を用意します。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿で「F検定なら血液型別に(有意な)差が出ないはず」と書きました。しかし、実はこの文章には問題があります。
ご承知のように、このようなデータで「F検定」を使うのは適切ではなく、通常はχ2検定を使うべきです。管理者さんからは、どうやって分散を計算するのか?といった内容の疑問・反論を予想していたのですが、なぜか何の反応もありませんね。言うまでもなく、こういうノンパラメトリックデータにはχ2検定が向いてます。もちろん、危険率5%では有意差なんか出ないので帰無仮説は棄却できません。やはり、私の主張と「整合性が取れています」ということになりますがいかがですか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
ここ数日、何度も連続して投稿なされていますので、おっしゃりたいことが多くあるのはわかります。ですが、今一度話を整理して考えましょう。
今論点として挙がっているのは、
・山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」
・「血液型性格判断の差別性と虚実性(自主企画②)」山岡重行
・「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
・「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲
――上記の研究結果や論文の論旨について、ということで、その点は双方同意できるかと思います。ここはお間違いないでしょうか?
さて、もともと上記の論文や研究発表はABOFAN様が「血液型性格診断」を”肯定”するものの論拠としてご提示いただいたものでした。これもお間違いないでしょうか?
しかし、当該論文を読んでみますと……
>血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった。(山下玲子氏)
>②しかし, 血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群に分けると後者では有意差が見られない。このことから血液型による自己評定値の有意差は知識があり信じている人達の思い込みに過ぎないと判断できる。(山岡重行氏)
――といった記述など、「血液型性格診断」を”否定”あるいは”批判”する文脈やデータが多数みられたものでした。上記の論文等は「血液型性格診断」を積極的に支持するものではなく、その旨の指摘も行いました。
そこで、今一度確認したいのですが、ここ数日連続して投稿していただいたABOFAN様のコメントは、上記の研究に関するこちらの指摘を認めるとの意図のものなのでしょうか?それともご自身の当該論文の論旨の捉え方は妥当性の高いものとお考えで、その補足のおつもりなのでしょうか?または、それ以外に何かお考えがおありなのでしょうか?
この認識がご自身のお考えと合致しているか、という点も含めてご一考ください。


すみません、しつこいようですが、再度補足させていただきたく。
>結果
>(1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について
>調査対象者の血液型はそれぞれA 型92 名、B 型59 名、O型78 名、AB 型32 名であった。血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
>――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
――念のため、もう一度管理者さんの上の主張について調べてみました。私が同じような内容を「積極的」に主張しているケースはありません。ただし、手持ちのデータのうち、関係があると思われる内容を公開しているものは次のとおりです。これらのデータを山下玲子氏と同じN=261として再計算すると、F検定なら血液型別に(有意な)差が出ないはずなので、「ABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません」とは言えません。はっきり申し上げると、全く正反対でして、「整合性が取れています」ということになりますがいかがですか? なお、実データは次のとおりです。
1) 血液型と性格は関係していると思いますか? 大いに関係がある+多少は関係がある A型70.9%/O型66.3%/B型63.4%/AB型64.7% 出典:アイシェア調査(N=476/2008年6月5日発表)
2) 自分の性格が適切に表現されており、共感・納得する A型70.5%/O型75.9%/B型64.4%/AB型66.6% 出典:Yahoo! 「血液型本」に関する調査(N=800/2008年12月25日発表)
[http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/realdiff.htm]
他の非公開のデータで確認しても同じ傾向を示しているようです。それでも「ABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません」ということなら、どうか原文の引用をお願いします。私も全部チェックしたわけではないので…。
――実はもう一つ疑問が残ります。前回の投稿の繰り返しになって恐縮ですが、
>>データの再現性 (低)…まだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
>――とこのサイトにはあります。前々回の投稿では、山下玲子氏が上と同じ主張をしていると勘違いして、的外れな「反証」を示してしまいました(恥ずかしいですね…苦笑)。が、私の前々回の投稿で紹介した研究報告を“精確”に“読む”限り、1)坂元章氏の32,347人、2)山岡重行氏の6,660人、3)白佐俊憲氏の1,850人のデータの全部で「血液型と自己報告の性格には関連がある」という結果が得られていますし、管理者さんがこれらの結論に反対しているとは思えません。
さて、管理者さんは以前にこう述べられています。
>ーーと、[私ABOFANが]述べられておりますが、これは完全にアド・ホックな説明であると思います。実験で上記のような「結果」が出ているのであれば、まずはそれを受け止め、反証があるのなら、「追試」等を行ったうえでそれを主張すべきです。ABOFAN様の「~こう解釈するしかない」では前提条件となっている論文への科学的反証としては不適切であると考えます。
この文章は、管理者さん自身にも適用されないとおかしいはずです。従って、このサイトの「データの再現性 (低)…まだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。」は「アド・ホック」な説明であり、実験で上記のような「結果」が出ているのであれば、まずはそれを受け止め、反証があるのなら、「追試」等を行ったうえでそれを主張すべきです。管理者さんの「~評価できるものではない」では前提条件となっている論文への科学的反証としては不適切であると考えます。いかがですか? (投稿者:ABO FAN)

さて、前々回ですっかり味噌をつけてしまったので、改めて私の主張について説明させていただきたく。
>データの再現性 (低)…まだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
――とこのサイトにはあります。前々回の投稿では、山下玲子氏が上と同じ主張をしていると勘違いして、的外れな「反証」を示してしまいました(恥ずかしいですね…苦笑)。が、私の前々回の投稿で紹介した研究報告を“精確”に“読む”限り、1)坂元章氏の32,347人、2)山岡重行氏の6,660人、3)白佐俊憲氏の1,850人のデータの全部で「血液型と自己報告の性格には関連がある」という結果が得られていますし、管理者さんがこれらの結論に反対しているとは思えません。また、私の主張についての管理者さんのコメントは次のとおりです。
>さて、以上提示された「反証」に対して検討させていただきました。ABOFAN様の「探索能力」には以前より目を見張るものがありますが、お気の毒ですが「読解能力」には著しく難があるようですね。
――仮に管理者さんが上の1)2)3)の主張が正しいと認めているものとすると、ほぼ完全に自己否定になります。率直に申し上げて、私には管理者さん自己否定をしているとしか思えません…。更に不思議なのが、私の「探索能力」についての記述です。一昔前ならともかく、私が紹介した研究報告程度なら、現在はCiNiiなどのオープンなデータベースで「誰でも簡単に」検索可能です。また、これらの研究報告は、私のサイトに何年も前から紹介してあるものなので、管理者さんがおっしゃる「以前より目を見張る」ようなものでもありません。ということで、“外交辞令”としてありがたく受け取らさせていただきます。
もっとも、ここで気になるのが次の記述です。
>ただしご提示していただいた文献等は非常に興味深いものであり、さらに検討ののち、参考文献とさせていただきます。有益な情報提供ありがとうございます。
――この文章が“外交辞令”でないとすると、正直なところ、管理者さんの「探索能力」が少々心配になります。
また、前回の投稿にも書きましたが、「専門用語、業界用語を並べたてられるのも結構ですが…」とあるのはいかがでしょうか? かなり不躾な話ですが、仮にこの部分が
>まず、山下氏のデータがタイプ2エラーであることについてです。前回紹介した山岡氏の6660人のデータのうち、彼の著書「ダメな大人にならないための心理学」p49-52には、1999年に調査したデータを統計的に検定した結果が紹介されています。サンプル数は1300人で、全質問28項目中7項目で有意な差があります(最大のF値は7.816なのでp<0.0001で有意)。では、血液型による差が同じだと仮定し、サンプル数を山下氏と同じ261人(約1/5)に減らして再計算してみます。F値はサンプル数に比例するので、最大のF値は7.816÷5=1.569となり全28項目のいずれも有意差は検出されません。あるいは、p<0.05で有意とするなら、400人程度以上のサンプルが必要となります。よろしいですか?
――だとすると、全くもっていただけない記述です。上の私の分析は、大学の「専門レベル」ではなく「教養レベル」を対象としているつもりですし、そもそも大して難しい分析でもありません(高校レベルでは厳しいかも…)。管理者さんの学歴を詮索するつもりは毛頭ありませんが、少なくとも「疑似科学とされるものの科学的評定」をするつもりなら、仮説検定のための「最低レベル」の知識だと考えます。余談ですが、専門レベルなら「多重比較」や「イエーツの補正」etc.は最低限必要でしょうが、面倒なのでほとんどやってません(苦笑)。「効果量」については、批判されたので多少は触れるようにしていますが…。こんな心配が杞憂であることを願っています。
どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN)

すみません、私の読み方が間違っていたので、まずお詫びしておきます。それは、次の部分です。
>>結果
>(1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について
>調査対象者の血液型はそれぞれA 型92 名、B 型59 名、O型78 名、AB 型32 名であった。血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
>――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
――私は、血液型別の「血液型性格判断に対する知識の程度」「血液型性格判断との関係性の有無」「血液型正確[性格]判断の自分への当てはまりの程度」「血液型性格判断の話題を行う頻度」「血液型性格判断の話題への好みについて」については特に何も主張していません。ですので「ABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。」とありますが、そもそも何も主張していないものに、整合性云々の議論になるはずもありません。仮にそう解釈できる私の文章があるのであれば、ぜひ引用をお願いします。よって、私の「反証」は、ちょっと間抜けな話なので取り下げます。すみませんでした。
ところで、山下氏の「考察」として紹介されている、
>科学的根拠がないとされながら、特定の血液型(全体から見ると少数派)の人が不快感を抱くような内容を持つ血液型性格判断は、娯楽の形で人々の間で話題にのぼることが多い。そして、娯楽であるがゆえに、悪く言われている人たち自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。その結果、それに対する肯定的な意見のみが優勢であるという見かけ上の合意が形成される。このメカニズムによって、血液型性格判断は多くの人に支持され、肯定的に評価されているものであると多くの人が信じるようになり、異議を唱える人を沈黙させることで、さらに広まっていると考えられる。
――この記述は、彼女自身のF検定の結果とは矛盾します。なぜなら、
>血液型別に、…血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
とあり、B型が他の血液型の人より血液型の話題に不快を感じていても、「血液型性格判断の話題を行う頻度」「血液型性格判断の話題への好み」は他の血液型と同じだというのです。こうなると、『悪く言われている人たち[B型]自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。』とは必ずしも言えないことなります。妥当な解釈は、B型は他の血液型よりストレートに不快感を感じる、ということでしょう。つまり、血液型によって感じ方、あるいは性格が違うことになります。(笑)
>ABOFAN様の「探索能力」には以前より目を見張るものがありますが、お気の毒ですが「読解能力」には著しく難があるようですね。
――私もうっかりしていたのですが(そういう意味では「読解能力」に難があるかもしれません・苦笑)、管理者さんがこの投稿の冒頭で紹介した山下氏の「結果」が、なぜ私の主張と整合性が取れないと考えたのかも不思議です。
余談ですが、
>専門用語、業界用語を並べたてられるのも結構ですが、まずは論文、あるいは文献を”精確”に”読む”ということを心がけてみてはいかがでしょうか。
――すみません、この文章の「専門用語」「業界用語」が何を指すのか不明です。ひょっとして、F検定などの統計データを分析している部分なのでしょうか。念のため、この部分は大学教養レベルの統計学を想定していますので、「専門用語」「業界用語」などではありません。
ちょっと気になったので、明治大学情報コミュニケーション学部/研究科のシラバスを調べてみました。そうしたら、t検定はありますが、F検定は教えていないようなのです。だから、F検定のサンプル数や検定力の話題には乗ってこないのでしょうか?仮説検定の基本的な考え方がわかってないとすると、確かにこの手の話題に触れたくはないでしょうね…。
まさかとは思いますが「タイプ2エラー」はわかりますよね?(回答は不要です・笑)
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

ほぼ2日間返事がないので、ひょっとして私の投稿内容を検証するのに時間がかかっているのでしょうか?
念のため、前回の内容を補足しておきます。
まず、山下氏のデータがタイプ2エラーであることについてです。前回紹介した山岡氏の6660人のデータのうち、彼の著書「ダメな大人にならないための心理学」p49-52には、1999年に調査したデータを統計的に検定した結果が紹介されています。サンプル数は1300人で、全質問28項目中7項目で有意な差があります(最大のF値は7.816なのでp<0.0001で有意)。では、血液型による差が同じだと仮定し、サンプル数を山下氏と同じ261人(約1/5)に減らして再計算してみます。F値はサンプル数に比例するので、最大のF値は7.816÷5=1.569となり全28項目のいずれも有意差は検出されません。あるいは、p<0.05で有意とするなら、400人程度以上のサンプルが必要となります。よろしいですか?
#私の計算が違うというなら、ぜひ管理者さん自らが計算して反証をお願いします!
次に行きます。kikulogのコメント部分は閉鎖されてしまったので、残念ながら私の引用部分は直接検証できません。しかし、坂元氏の主張である「自己成就現象」や、山岡氏の主張である「思い込み」、あるいは前回の引用部分の「血液型性格判断の世間への浸透のために、自己診断した性格と血液型の間には明確な相関関係が認められるようになった」という事実を、菊池氏が知らない(都合が悪いので知らないフリをしている?)ということなら現在でも確認できます。次が該当する部分です。
> [私ABOFANが]ご自身の主張を明確にされないので、ABOFANさんとのコメントのやりとりは、まだ「議論の入り口にすら立っていない」状態であることを再度確認しておきます。…さらに最近のコメントでは (2)思い込みによって血液型ステレオタイプ通りの性格が現れる という主張になっており…ポイントはABOFANさんが、ご自身の考えをまったく明確にされないことにあり、それが続く限り、議論は始まらないということです [2009/10/31 血液型性格判断問題についての確認 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/200910.html#1256972977]
前回紹介したコメント[1107. やまちゃん]はこのエントリーのコメント部分にあるのですが、現在はなぜか非表示になっています(ひょっとして都合が悪い?)。この部分について、菊池氏本人からの明確なコメントは現在まで一切ありません。結局「回答拒否」状態が続いています。
#余談ですが、「google検索における予測検索」の内容だけで科学的な判断をするのはやめておいた方がいいかと…。
よろしいでしょうか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
まず、前回のこちらの回答に対して、
>正直、このコメントはいただけません。「反証」や「追試」は何回も紹介していますし、それはこのサイトにもあります。本当に論文を読んでないんでしょうか and/or 統計学も心理学も知らないのでしょうか…。
――と、お答えいただいて、かつ三つもの「反証」を提示していただいたということは、それまでのABOFAN様の、「~解釈するしかない」等の文脈に対してアド・ホックな説明であるとのこちらの指摘にはある程度同意されたという認識でよろしいでしょうか?
こちらとしては、同意された、という前提のもとご提示いただいた三つの「反証」に関して反論させていただきます。

まず、
「血液型性格判断の差別性と虚実性(自主企画②)」山岡重行氏を引用されて、>…①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。
――と、これをABOFAN様は根拠とされていますが、まず文章を最後までよく読みましょう。引用された文のすぐ次に、
>②しかし, 血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群に分けると後者では有意差が見られない。このことから血液型による自己評定値の有意差は知識があり信じている人達の思い込みに過ぎないと判断できる。
――と、ありまして、そもそもこの発表は血液型性格診断への「批判」としての側面が強いようです。
次に、 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)から
>This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している
――と、引用されていましたが、精読しましたところ、上記の論文は「予言の自己成就」を趣旨として書かれた論文であり、決して血液型性格診断を積極的に肯定するものではありません。これは、p25の資料にありますtable3のデータでも示されています。大まかに解説しますと、これは1978年~1999年の間において、血液型性格診断のステレオタイプ診断が当たっていると「信じている」群がだんだんと増加していることを示しているデータです。※「信じている」という表現をお見落としなきよう……。これは能見正比古氏を起因とした血液型ブームによる「自己成就」であることを示唆している、との文脈が当該論文から読み取ることができ、残念ながら血液型性格診断それ自体を肯定するものではありません。つまり、社会問題化している「血液型性格診断」を意味するものに対する社会的視座からの「批判的」研究といえるかと思います。
最後に、「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲、についてですが、当該論文のどこを根拠にされているのかわかりかねますので(ABOFAN様が引用”しそうな”箇所は大体見当がつきますが)とりあえず言及は控えることとします。

さて、以上提示された「反証」に対して検討させていただきました。ABOFAN様の「探索能力」には以前より目を見張るものがありますが、お気の毒ですが「読解能力」には著しく難があるようですね。
専門用語、業界用語を並べたてられるのも結構ですが、まずは論文、あるいは文献を”精確”に”読む”ということを心がけてみてはいかがでしょうか。
ただしご提示していただいた文献等は非常に興味深いものであり、さらに検討ののち、参考文献とさせていただきます。有益な情報提供ありがとうございます。

素早い回答ありがとうございます。正直、反応があるとは思っていなかったので嬉しいです。さて、
> まず、山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」 この「論文」についてから……。
>>必ずタイプ2エラーということです。そうでなければ、被験者の「自己認知」がおかしいので、アンケートの回答自体が間違っていることになります。つまり、(唯一)妥当な解釈は、サンプルが少なくてタイプ2エラーだということです。心理学と統計学を知っている人なら、こう解釈するしかありませんが? 別な解釈があれば、ぜひ教えていただきたく。
> ーーと、述べられておりますが、これは完全にアド・ホックな説明であると思います。実験で上記のような「結果」が出ているのであれば、まずはそれを受け止め、反証があるのなら、「追試」等を行ったうえでそれを主張すべきです。
正直、このコメントはいただけません。「反証」や「追試」は何回も紹介していますし、それはこのサイトにもあります。本当に論文を読んでないんでしょうか and/or 統計学も心理学も知らないのでしょうか…。
では、ご要望ですのでいくつか紹介します。このサイトの参考文献では、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
また、別の研究報告では…
山岡は、1999年から2009年にかけて大学生を対象に血液型性格の調査を行っている(有効回答数=6660)…①血液型項目を用いて自己評定をさせると多くの項目で血液型による有意差が見られる。「血液型性格判断の差別性と虚妄性(自主企画(2))」山岡重行(2009) http://ci.nii.ac.jp/naid/110007674296
その他にも、1850人のサンプルで差が出ています。「血液型性格判断の妥当性の検討(2)」白佐俊憲(1999) http://ci.nii.ac.jp/naid/110006603993
そもそも、安定して差が出るには数百人のサンプルが必要です。山下さんの300人弱のサンプルで有意差が出なくとも何の不思議もありません。もし疑うのだったら自分で計算してみてください!
> 私がネット上で調べた限り、kikulogの件でABOFAN様の意見に賛同し、意見を変えたという事実は見つかりませんでした。
現在は非公開です。菊池さんに都合が悪いので非公開なのかもしれません(苦笑)。念のため関係する部分を引用します。
> 1107. やまちゃん — June 16, 2012 @00:55:53 [抜粋]
> 初めまして、いやーすばらしい結末ですね。ROMしてましたが思わず出てきました。…すなわち、これまでの血液型性格判断の世間への浸透のために、自己診断した性格と血液型の間には明確な相関関係が認められるようになった、というのはこれはもうkikulog常連の方々も認めざるを得ないんではないでしょうかw。ABOFANさんの完全勝利と言っても良いかと思います。これにておしまい、って感じでしょうか。 http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/kikulog.htm
> google検索における予測検索でABOFAN、スペースの後に出てくる「語句」が何かご存知でしょうか?そのことのみをもって意見を一般化する気はありませんが、”異端”視されているのはABOFAN様のように存じ上げます
それはそうですよね。たかが“素人”に、ニセ科学批判の第一人者の間違いが指摘されて、しかもその指摘が正しかったりしたら、異端視されたりkikulogが閉鎖されたりしても特に不思議ではないでしょう。(笑)
#私が議論に負けても何も失うものはありませんが、仮に彼が負けたとしたら…。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

回答ありがとうございます。しばらく見ていなかったので、若干タイムラグがあるかしれませんがご返事します。いずれにせよ、対話があることは楽しいことです。
> ――ここでの「正しい」文脈は、多少の関係が「ある」ことをあてはまると「信じ」が妥当な読み方だと考えます。
そういう解釈では、「信じ」=「認知」ですから、その人の性格についても「信じ」ということになります。例えば、(心理学の)性格検査はその人が「信じ」ている自分の性格の分析結果です。あるいは、アンケート調査の結果は○○で「ある」ではなく「信じ」ということになります。同じように、安倍内閣の支持率は○○パーセントで「ある」のではなく、○○パーセントが「信じ」ているということになります。私はラーメンが好きですが、私がラーメンが好きで「ある」のではく、私自身がラーメンが好きだと「信じ」ているということです。本当に好きかどうかは問題ではないと…。(笑)
私は、そういう解釈はどうかと思うのですが、管理者さんはそう「信じ」ているということでしょうか? ちなみに、心理学では「認知」は正しいものとして扱います。
> (1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について…いずれの項目においても有意な差は見られなかった――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
検定力はご存知ですよね? 日本人は「思い込み」があるので必ず差が出るはずですから、仮に「有意な差は見られなかった」のであれば必ずタイプ2エラーということです。そうでなければ、被験者の「自己認知」がおかしいので、アンケートの回答自体が間違っていることになります。つまり、(唯一)妥当な解釈は、サンプルが少なくてタイプ2エラーだということです。心理学と統計学を知っている人なら、こう解釈するしかありませんが? 別な解釈があれば、ぜひ教えていただきたく。
> さらに、当該論文の「考察」においては、…――といった記述があり、ABOFAN様のおっしゃるものとは全然違う性質の論旨が述べられている論文かと思います。
すみません、本当にそう考えていますか?
まず、1)科学的に未解明でも「正しい」ものはいくらでもあります。例えば、最近話題の「ダークマター」「ダークエネルギー」とか。2)心理学では「自己認知」とそれに基づくアンケート結果は正しい、というのが大前提ですから、「信じる」=「自己認知」は正しいとして扱うしかありません。ですから、
> したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
は、まさしくこの論文の内容のとおりということになります。
また、以前保留していた問題についてですが、…――このようなコメントに関する回答を保留させていただいておりました。
本当にそう思っているなら、管理者さんは心理学も統計学も全くの“素人”ということになります…。もっとも、そういうことであれば、このサイトがどのような趣旨で書かれているかは簡単に理解できることになります。(苦笑)
> 現代の科学の枠組みの中では理論構築は肯定派にその責任を負うものと考えるのが一般的であります。
これも、本当にそう考えているということでいいですか?既存の心理学と統計学の枠組みの中では私の解釈は合理的です…というかそう考えるしかありません。例えば、阪大のkikulog(現在はコメント部分を閉鎖)では、当初は反対だった何人もの人に納得してもらいました。その意味で、管理者さんの考えははっきりと“異端”ですので、「現代の科学の枠組みの中では理論構築は肯定派にその責任を負うものと考えるのが一般的」なら、どうか私の次の質問にお答えください。
1) 山下玲子氏の論文のサンプルは261名ですが、この程度のサンプルではタイプ2エラーは「絶対にない」のでしょうか?
2) 科学(あるいは心理学)では「自己認知」は信用できないのですか?
3) 性格検査の結果となる数値は、具体的にどう計算するかご存知ですか?
4) 念のため…ですが、F検定やχ2検定を使って(SPSSなどの統計ソフトを使わずに)手計算でp値を出したことがありますか?
率直なところ、今回の回答を本気で書いているとすると、心理学や統計学の入門書を読んでいただいたほうがよいのではないかと思います。
大変失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
少々テーマが広がりすぎているので、「論点」を絞っていきませんか?
まず、山下 玲子(武蔵大学 社会学部)「血液型性格判断はなぜすたれないのか 」
この「論文」についてから……。
>血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった。
ーーこの「結果」に対し、ABOFAN様は、
>必ずタイプ2エラーということです。そうでなければ、被験者の「自己認知」がおかしいので、アンケートの回答自体が間違っていることになります。つまり、(唯一)妥当な解釈は、サンプルが少なくてタイプ2エラーだということです。心理学と統計学を知っている人なら、こう解釈するしかありませんが? 別な解釈があれば、ぜひ教えていただきたく。
ーーと、述べられておりますが、これは完全にアド・ホックな説明であると思います。実験で上記のような「結果」が出ているのであれば、まずはそれを受け止め、反証があるのなら、「追試」等を行ったうえでそれを主張すべきです。ABOFAN様の「~こう解釈するしかない」では前提条件となっている論文への科学的反証としては不適切であると考えます。
まずはこの点いかがでしょうか?

余談になりますが、
>例えば、阪大のkikulog(現在はコメント部分を閉鎖)では、当初は反対だった何人もの人に納得してもらいました。その意味で、管理者さんの考えははっきりと“異端”ですので、[…]
ーーとおっしゃられておりますが、(この点は今まであえて触れてこなかったのですが)私がネット上で調べた限り、kikulogの件でABOFAN様の意見に賛同し、意見を変えたという事実は見つかりませんでした。むしろ、(失礼ですが)ABOFAN様の意見はまったく相手にされていなかったように存じ上げます。
また、(これもかなり言いにくいことなのですが)google検索における予測検索でABOFAN、スペースの後に出てくる「語句」が何かご存知でしょうか?そのことのみをもって意見を一般化する気はありませんが、”異端”視されているのはABOFAN様のように存じ上げます(念のためですが、ここでいう異端という言葉に、価値の優劣は含ませてはおりません)
以上余談です。ご一考されたく思います。

次は「社会への応用性」です。
> 血液型性格診断が社会において有効的に活用されているとはいえない。
そうでしょうか?
山下 玲子(武蔵大学 社会学部)血液型性格判断はなぜすたれないのか 日本社会心理学会 第49回大会(2008)http://db1.wdc-jp.com/cgi-bin/jssp/wbpnew/master/detail00.php?submission_id=2008-E-0208
したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
上瀬由美子・松井豊 血液型ステレオタイプ変容の形―ステレオタイプ変容モデルの検証― 社会心理学研究,11,3,170-179 (1996)
1位 血液型性格判断は楽しい…83.6% 2位 血液型性格判断が好き…61.5% 3位 血液型に関する記事をよく読む…57.7% 4位 血液型性格判断は当たっている…53.8%
> そもそも、血液型による性格の傾向性を重視しているのは日本人がほとんどであり、
韓国でも台湾でも、関係があると思っている人は全体の約7割で、その割合は日本とほぼ同じです。『B型の彼氏』の韓国は言わずもがなですが、台湾のデータもあります。Kunher Wu, Kristian D. Lindsted, Jerry W. Lee, Blood type and the five factors of personality in Asia, Personality and Individual Differences 38 (2005) 797–808
> ブラッドタイプハラスメントといったものを始めとして人々に対する差別や偏見を助長させる要因の一つとなってしまっている
この投稿の冒頭の2つのデータを見てもそう言えますか?
> 結果として、人間関係を円滑に進めるうえでの弊害ともなりかねない。
繰り返しますが、この投稿の冒頭の2つのデータを見てもそう言えますか?
> 仏滅に結婚式を挙げる人はまずおらず、一般的に友引に葬式は行わない。このように大衆心理は科学とは無縁に働いており、
そうではありません。江戸時代や明治時代には六曜は「迷信」とされていました。旧暦がわかれば六曜は簡単に計算できるからです。現在は旧暦がわかる人が少ないので、皮肉なことに六曜のような「迷信」を信じる人が増えたのです。
> 血液型性格診断においては企業の採用といった、人生の大きな岐路でも使用されており、
ぜひ具体例の提示をお願いします。具体例がなければ「科学」ではありません。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
情報提供いただいた、山下 玲子(武蔵大学 社会学部)血液型性格判断はなぜすたれないのか 日本社会心理学会 第49回大会(2008)を読みました。が、ABOFAN様の主張なさっていることとは正反対の主旨で書かれているのですが、よろしいのでしょうか?
まず、ABOFAN様が引用された部分についてですが、
>したがって、今回の調査対象者は、血液型性格判断に対して相応の知識を持ってよく話題にし、血液型と性格の間には多少の関係があり、それは自身の血液型についてもある程度当てはまると信じ、そして、血液型性格判断が好きであるということが示された。
――ここでの「正しい」文脈は、多少の関係が「ある」ことをあてはまると「信じ」が妥当な読み方だと考えます。というよりそもそも、
>結果
(1)血液型による血液型性格判断の知識・接触の程度・および態度について
調査対象者の血液型はそれぞれA 型92 名、B 型59 名、O型78 名、AB 型32 名であった。血液型別に、血液型性格判断に対する知識の程度、血液型性格判断との関係性の有無、血液型正確判断の自分への当てはまりの程度、血液型性格判断の話題を行う頻度、血液型性格判断の話題への好みについて、一元配置の分散分析を行ったところ、いずれの項目においても有意な差は見られなかった
――とあるのですがこれではABOFAN様の主張との整合性が全く取れていません。
さらに、当該論文の「考察」においては、
>科学的根拠がないとされながら、特定の血液型(全体から見ると少数派)の人が不快感を抱くような内容を持つ血液型性格判断は、娯楽の形で人々の間で話題にのぼることが多い。そして、娯楽であるがゆえに、悪く言われている人たち自身に「これを否定する人は場をしらけさせる人である」というイメージを持たせることで、それに対する異議を出すことを躊躇させていると考えられる。その結果、それに対する肯定的な意見のみが優勢であるという見かけ上の合意が形成される。このメカニズムによって、血液型性格判断は多くの人に支持され、肯定的に評価されているものであると多くの人が信じるようになり、異議を唱える人を沈黙させることで、さらに広まっていると考えられる。
――といった記述があり、ABOFAN様のおっしゃるものとは全然違う性質の論旨が述べられている論文かと思います。もう一度精読なさってはいかがでしょうか?
ただ、先の論文は血液型性格診断の研究として有用なものであり、関連リンクに付け加えさせていただきます。ありがとうございます。
また、以前保留していた問題についてですが、
>やはり管理者さんの回答の意味が理解できません。繰り返しになりますが「予言の自己成就」は、実証実験データできちんとした「差がある」ということです。それなら「バーナム効果」ではありえない。逆に、実証実験データで「差がない」のに当たっているように見えるのは「バーナム効果」です。現在までの管理者さんの回答では、実証実験データに「差があるかどうかはっきりしない」ようです。ですので、管理者さん自身の文章を拝借させていただくと、私は『「血液型性格診断」批判・懐疑』言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、と言う点を記述、評定しています。では、管理者さん自身は、実証実験データできちんとした「差がある」と判断しているということなのでしょうか?
――このようなコメントに関する回答を保留させていただいておりました。この中でABOFAN様は、
>私は『「血液型性格診断」批判・懐疑』言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、と言う点を記述、評定しています
――と述べられていますが、現代の科学の枠組みの中では理論構築は肯定派にその責任を負うものと考えるのが一般的であります。したがって、仮にABOFAN様のご主張をを肯定派とするならば、やはり理論構築は肯定派によってされるべきものであり、ABOFAN様の先の批判は的外れなものだと見受けられます。
最後になりますが、本件に関しまして回答が遅くなったことをお詫びいたします。

では、次の「将来の予測性」です。
> 現在、本流の血液型性格診断が科学的手順を踏まえて研究されているとはいえず
主語が不明ですが、管理者さんによると、“否定派”なら「科学的手順を踏まえて研究されている」と言えるはずです(そうでないなら“科学的”な否定はできないので…)。逆に、否定派が「科学的手順を踏まえて研究」しているなら、肯定派も同じ方法を使えば科学的な研究になるはずです。結局、私には何を言いたいのかが不明です。
> 今一般認知されている血液型性格診断はほとんど文化として根付いてしまっており、もはや科学性を論じるに値しない言説と化している。
科学の対象にならないなら、疑似科学ではないでしょう。そもそも、科学的な分析が出来ないので…。
> 一方、血液型と疾患については現在疫学的観点から比較的研究が進められており、成果といえるものも出ている。
これと真逆の記述が「データの再現性」あります。
> 血液型と疾患といった前項にて言及した研究にまで評定範囲を広げたとしても、それらもまだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
どちらが本当なのでしょうか?
> 医学の発展という視点からは疫学的な研究は重要な位置を占めており、たとえ理論的な説明が追いついていなくても研究をする価値さえないとまではいえないだろう。
では、“科学的”な説明が出来なくともいいのでしょうか? それなら「血液型性格診断」も科学的な説明は不要ですか?
> 進化生物学的観点から血液型とマラリアやコレラとの関連性も若干ではあるが語られており
これもよくわかりません。ひょっとして、参考文献にある『血液型で分かる なりやすい病気なりにくい病気』の記述を要約したものなのでしょうか?
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

次は「理論の普遍性」ですが…すみませんが「普遍性」の定義がわかりません。
国や地域に対する普遍性なのか、性別なのか、あるいは年齢なのか…。
> 血液型性格診断では言説の精確さへの理論化がなく、
これって、具体的にはどういうことなのでしょうか? 性格が違うというなら、心理学の問題ですし…。
ですので、この項目はパスします。
失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

以前の投稿の掲載ありがとうございました。今回は掲載までに最大10日かかりましたが、春休みということなのでしょうか?(回答は不要です)
では、次の「理論の論理性」に進みます。
> 人間の体内には大量の赤血球が存在し、その赤血球それぞれにA、B、AB、Oの各型に特有の糖鎖が付いている(ここでの糖鎖とはN-アセチルガラクトサミン、d-ガラクトース、アセチルグルコサミン、フコースによる分子構造を表す)。
この記述は非常に誤解を生む内容です。A型の糖鎖は、どの血液型でも持っているO型の糖鎖の先端に「N-アセチルガラクトサミン」が付いたものです。B型の糖鎖も同様に「D-ガラクトース」が付いたものです。AB型はA型とB型の両方の糖鎖(とO型の糖鎖)を持っています。なお、Bombay-O型はどの糖鎖も持っていません。
> こう考えると、ABO式のみによって性格にまで言及する理論は、他の知見との整合性が低いと思われる。
体内に一番広く分布するのはABO式血液型です。多くの他の血液型(例えばRh)とは違い、脳にも神経にも存在しています。また、胎児期には脳に大量のABO式血液型物質が発現します(その後は急速に消失)。これらのことを考えると「他の知見との整合性が低い」とは必ずしも言えないと思います。
> A型の遺伝子は免疫機能が低くなる遺伝子と共起する確率が高い
すみません、出典はどこでしょうか? 遺伝子の連鎖で説明するのは、正直言ってかなり苦しいと思いますが…。なぜなら、B型やO型の遺伝子型は複数あり、それぞれ独立に(A型から)発生したのではないかと推測されているからです。つまり、B型やO型は元々が別々のA型なのですから、連鎖で説明するとするなら、それぞれ別のA型の「免疫機能が低くなる遺伝子と共起する確率が高い」はずです。しかし、私が知る限りそんな論文はありません。なぜなら、遺伝子型は普通は調べないからです。 (投稿者:ABO FAN)

特に反応がないようですが、最後まで予定通り進めます。よろしくお願いします。
次は「理論の論理性」コーナーの記述です。
> 果たしてこの区分が如何に人間の性格として反映されているのか、という理論への疑問に対する合理的な説明は今のところない。
いいえ、1)分野ごとの統計データ 2)アンケート調査 3)観察結果の分析があります。それは能見正比古氏の著書を読めばわかるはずですが…。
> 心理学側から特に強く指摘されている「バーナム効果」や「自己成就」の有無については、肯定派ですら暗に認めているかのような発言もみられ…
繰り返しますが「バーナム効果」は性格検査でも存在しますので、仮に存在するとしても否定の根拠にはなりません。また「自己成就」は金澤正由樹氏の著書『統計でわかる血液型人間学入門』で否定されていますし、直接的に存在を検証した研究は(私が知る限り)ないので、あるというなら出典をお願いします。
> 科学的理論構築すら妥当に行われてはいなかった。
統計的な検証は行われています。それは、過去の投稿に何回も書いたとおりです。
> 血液型と疾患や体質にまで話を広げても、今のところ論理性を高く評価できる要素はない。
性格のメカニズムが科学的に解明されていない以上、「論理性」を考えても無意味だと思います。
> 特定の病気に対する疾患率の違いや耐性についての研究は、現在までのところ疫学的な指摘でしか語られておらず、因子の解明や理論構築までは程遠いのが実情だ。
ピロリ菌や血液型ヨーグルトの論文をお読みですか? 読んだとするなら、こう断定できる理由は何でしょうか?
> ABO式血液型で性格診断を行うということは、つまりは人間を4種類に分類してしまうということなのだが、それに対する論理的な合理性を見出すことができないのが現状である。
菊池聡氏[信州大学教授(心理学)]不可思議現象心理学9 血液型信仰のナゾ-後編 月刊『百科』1998.3 pp28-29
ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。よく聞くのは「多様な人の性格が四つになんか分けられるはずがない」という批判である。しかし「何らかの基準によって四つに分ける発想」自体には本質的に問題はないのである。もちろん境界線上であいまいに分類される欠点はあるが、この発想自体は心理学でも類型論という考え方で受け入れられている。…血液型性格学への批判は確かに重要だが不適切な批判で満足しているとすれば、それは非論理性という点では相手と同じ穴のムジナになりかねないことに注意しなければなるまい。
とりあえず今日はこの程度にしておきます。失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

「掲載拒否」の可能性が高いようですが、とりあえず予定通り進めます。次は「データの客観性」コーナーの記述です。
> 血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型と特定の性格傾向性の研究が客観的な形で肯定されているとはいえない。
これもよくわかりません。というのは、冒頭に
> 血液型性格診断言説では、…客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
とあるからです。統計データで差があることは検証済みですから「客観的な形で肯定されている」ことは確かです。もちろん、差はどの程度なのか、という問題は残りますが。
> 肯定派の提示する研究報告は、信奉者による主観的な感想、統計調査における標本抽出の偏り、研究対象の未特定化
これもよくわかりません。というのは、否定派のデータ(特に大学)のほとんどは、自分の授業に出席した学生が対象だからです。ですので、上の問題点はほとんどすべての「否定派」にもあてはまることになります。
> 「自分はA型だから神経質だ」という性格の自己成就などの可能性が指摘できる。
そうだとすると、日本人の7割は関係があると思っているので“自己成就”しているはずですから、どのデータでも差が出るはずですが…。
> 近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多い
それは初耳ですが、A型に多いという根拠は何でしょうか? 私はO型に多いと記憶していますが…。
> 血液型性格診断によるとA型の典型的な特性は「神経質」だということが主張されており、その根拠として胃痛の多さなどがデータとして挙げられている。
これも初耳ですが、A型に胃痛が多いというデータの根拠は何でしょうか?
> A型の人が「神経質」であるが故に胃痛になりやすいのか、それともA型にはピロリ菌保菌者が多くそれによって胃痛が引き起こされる
そもそも、そんなデータが存在するのでしょうか?
> 今の科学研究では性格を扱う心理学分野と、血液に関して主要に扱う医学・生理学分野は分かれており、連携させた研究方法は未熟である。
こんなことを書いて、否定派の心理学者から批判されないのかと、余計な心配をしてしまいます。というか、「未熟」なら否定派の結論も正しいとは言えない(=疑似科学)ので、そもそもこのサイト自体が成り立つのでしょうか?
> 今後の疫学的研究次第では血液型がヒトの性格や気質にまで客観的なデータとして示される可能性もなくはないことを追記しておく。
「客観的なデータ」は性格検査のデータではないのですか? 疫学でどうやってヒトの性格の「客観的なデータ」を測定するのでしょうか?
とりあえず今日はこの程度にしておきます。 (投稿者:ABO FAN)

投稿が文字化けしたようなので再送します。
前回の投稿から24時間以上経過しても何の反応もないのは初めてです。ひょっとして「掲載拒否」ということでしょうか?
なんとも言えないので、次の投稿です。
> 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
例えば、能見正比古氏の著書から「どの程度の診断が行えるか」を明言した文章を引用してください。例えば、彼の『血液型人間学』にはこうあります。
私は、よく、こう申し上げる。/「血液型でわかるのは性格のうちの4分の1ですよ」/人間の性格は、先天的気質と後天的な形成の両者から成る。血液型が関連するのは、先天的な気質の部分だから、まず、半分。その気質は、野菜の個性と、血液型による共通性が、また、半々と見て、合計4分の1という大まかな計算である。
なお、このサイトの冒頭には
> 血液型性格診断言説では、上記の血液型[ABO式血液型]の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
とありますが…。ところで、この“矛盾”は私の最初の投稿で指摘しましたが、現在もなぜか未回答のままです。
> そのため、「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」と言い訳ができてしまう。このように反証データを得ても、再現性を否定できる構図にないので、評価は低い。
これも、能見正比古氏の著書から「100%正確に診断できる」と明言した文章を引用してください。彼はこう言っています。
[氏の血液型と性格の研究が進展しなかった]最大の原因は、従来の常識的性格観に、 とらわれすぎたせいである。人々はすぐ性格に類型をつくりたがる。私も、O型はこれこれのタイプ……という決め方をしようと焦っていた。そんな類型をつくり得るほど、性格の本質は、とらえられていないのである。(能見正比古 O型は人間は権力志向型なんだって-血液型性格学 別冊宝島6 性格の本-もうひとりの自分に出会うためのマニュアル』1977.8)
神経質という言葉は、古代ギリシャの時代から使い古されてきた言葉である。これこそ絶対、性格用語の本命のように思われている。しかし、改めて吟味して見ると、これまた性格を示す言葉としては、使いものにならないことがわかる。/つまり、ある状況の下には神経質だとか、ある方面には神経質であるとか、ないとかは言うことができる。だが、全方向に神経質な人は、まず、絶対といっていいほどいない。ある人は着るものに神経質で、別の人は食事に神経質だろう。その違いが、性格を語るのに重要なのである。/最近聞いたO型のある高級官僚氏は、趣味の音楽鑑賞はうるさく、神経質なくらいと言われていた。その同じ人が、湯たんぽのお湯を平気で煮炊きに使うという。神経質なんてそんなものである。(能見正比古 『新・血液型人間学』 1980)
O型は身体や健康について神経質。病的な潔癖症や高所恐怖症もある。社会の中での他人の目、好意や悪意にも神経質となる。/A型は周囲の動きや反応、それに対する自分の姿勢に神経質。物事のケジメ、善悪の評価などに潔癖。未来への悲観主義や、仕事などの完全主義傾向も一種の神経質だ。/B型は自分の気分調整に神経質。行動を制約された状態ではイライラ。過ぎたことにクヨクヨ。事実関係の正誤にもうるさい。/AB型は、人間関係で神経質となりがち。対人恐怖症も一部にいる。自分の社会的役割りや仕事面の蝿張り保持に神経過敏。経済生活の基盤がガタつくと、度を失い気味。/以上[神経質]の例でも判るように、現在、日常で性格を指す言葉として使われているもので厳密には、性格を明示するに足るものは、ほとんどない。(前掲書より)
本当に能見正比古氏の著書を読んだのですか?
> さらに、血液型と疾患といった前項にて言及した研究にまで評定範囲を広げたとしても、それらもまだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
これには、このサイトの「データの客観性」で真逆のことを言っています。
> 近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多いことが指摘されている。
どちらが本当なのでしょうか?
今日はとりあえずこのへんで。失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿から24時間以上経過しても何の反応もないのは初めてです。ひょっとして「掲載拒否」ということでしょうか? なんとも言えないので、次の投稿です。
> 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
例えば、能見正比古氏の著書から「どの程度の診断が行えるか」を明言した文章を引用してください。例えば、彼の『血液型人間学』にはこうあります。
私は、よく、こう申し上げる。/「血液型でわかるのは性格のうちの4分の1ですよ」/人間の性格は、先天的気質と後天的な形成の両者から成る。血液型が関連するのは、先天的な気質の部分だから、まず、半分。その気質は、野菜の個性と、血液型による共通性が、また、半々と見て、合計4分の1という大まかな計算である。
なお、このサイトの冒頭には
> 血液型性格診断言説では、上記の血液型[ABO式血液型]の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
とあります。ところで、この“矛盾”は私の最初の投稿で指摘しましたが、現在もなぜか未回答のままです。
> そのため、「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」と言い訳ができてしまう。このように反証データを得ても、再現性を否定できる構図にないので、評価は低い。
これも、能見正比古氏の著書から「100%正確に診断できる」と明言した文章を引用してください。彼はこう言っています。
[血液型と性格の研究が進展しなかった]最大の原因は、従来の常識的性格観に、 とらわれすぎたせいである。人々はすぐ性格に類型をつくりたがる。私も、O型はこれこれのタイプ……という決め方をしようと焦っていた。そんな類型をつくり得るほど、性格の本質は、とらえられていないのである。(能見正比古 O型は人間は権力志向型なんだって-血液型性格学 別冊宝島6 性格の本-もうひとりの自分に出会うためのマニュアル』1977.8)
神経質という言葉は、古代ギリシャの時代から使い古されてきた言葉である。これこそ絶対、性格用語の本命のように思われている。しかし、改めて吟味して見ると、これまた性格を示す言葉としては、使いものにならないことがわかる。/つまり、ある状況の下には神経質だとか、ある方面には神経質であるとか、ないとかは言うことができる。だが、全方向に神経質な人は、まず、絶対といっていいほどいない。ある人は着るものに神経質で、別の人は食事に神経質だろう。その違いが、性格を語るのに重要なのである。/最近聞いたO型のある高級官僚氏は、趣味の音楽鑑賞はうるさく、神経質なくらいと言われていた。その同じ人が、湯たんぽのお湯を平気で煮炊きに使うという。神経質なんてそんなものである。…/O型は身体や健康について神経質。病的な潔癖症や高所恐怖症もある。社会の中での他人の目、好意や悪意にも神経質となる。/A型は周囲の動きや反応、それに対する自分の姿勢に神経質。物事のケジメ、善悪の評価などに潔癖。未来への悲観主義や、仕事などの完全主義傾向も一種の神経質だ。/B型は自分の気分調整に神経質。行動を制約された状態ではイライラ。過ぎたことにクヨクヨ。事実関係の正誤にもうるさい。/AB型は、人間関係で神経質となりがち。対人恐怖症も一部にいる。自分の社会的役割りや仕事面の蝿張り保持に神経過敏。経済生活の基盤がガタつくと、度を失い気味。/以上の例でも判るように、現在、日常で性格を指す言葉として使われているもので厳密には、性格を明示するに足るものは、ほとんどない。(能見正比古 『新・血液型人間学』 1980)
本当に能見正比古氏の著書を読んだのですか?
> さらに、血液型と疾患といった前項にて言及した研究にまで評定範囲を広げたとしても、それらもまだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
これには、このサイトの「データの客観性」で真逆のことを言っています。
> 近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多いことが指摘されている。
どちらが本当なのでしょうか?
今日はとりあえずこのへんで。失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

掲載ありがとうございます。ただ、現在まで何の反応もないということは、当分は単純ミスも訂正しない方針ということですか?
では、どんどん行きます。
> 能見正比古氏の著書(研究論文ではない)や「ABOの会」にて、血液型性格診断に関する肯定的な主張がこれまでに何度も発表されている。しかし、データの透明性という観点において、高評価を与えられる水準に達しているとは言えない。
1. 繰り返しになりますが、文章の趣旨からすると「ABOの会」ではなく「ABOセンター」でしょうか。そのうち訂正とのことなのでお待ちしています。
2. 能見正比古氏の論文が「研究論文でない」から透明性が低く高評価を与えられないのですか? 心理学の論文を読むと、その調査の対象のほとんどが執筆者(=否定派)の講義に出席した学生です。それでも透明性が高く高水準ですか? 繰り返しになりますが、最近の研究では、統計データは能見氏とほぼ同じ結果が得られています。例えば、このサイトの参考文献でも、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
それなら、差が出ていない昔の心理学の研究は“低水準”ですか?
> 能見氏の著書である「血液型人間学」や「ABOの会」の主張において、一万人規模のアンケート調査にて統計的有意差が出たとの報告もあるが…
上に書いたとおり、心理学の研究でも能見正比古氏どおりの有意差が出ています。
> 「バーナム効果」「予言の自己成就」「確証バイアス」「F・B・I効果(フリーサイズ・ラベリング・インプリティング効果)」といった、心理学で広く知られた効果が排除された実験デザインがとられていないので、透明性は低いといえる。
それは心理学でも同じことです。では、心理学の論文も「透明性は低い」のでしょうか?
> 血液型と疾患といったことにまで対象範囲を広げると…透明性の高い研究も存在する。…前述の報告はあくまで疫学的見地によるものであり、因果的関係はまだ確立されてはない。
意味が理解できません。疫学的に血液型と病気の「因果関係」が全て証明されたとは信じられません。では、「因果関係」が不明な疫学研究は“非科学的”なのでしょうか? また、心理学で定義する「性格」はあくまで統計的なものなので、因果関係を証明できません。因果関係が証明できない原因は(能見氏とは関係なく)心理学の責任になります。
> 人間の社会生活におけるレベルで判別可能であるとする言説において、
これも元の文章を引用していただけないでしょうか? 能見正比古氏の著書でそんな文章を読んだ記憶がないので…。
> 透明度の高い研究ではその効果はことごとく否定されていると判断してよいだろう。
上に示した約3000人×11年は、日本人をランダムサンプリングしたものですから「透明度の高い研究」なはずです。もっとも、最近の研究では、「透明度」に関係なく能見氏とほぼ同じ結果が得られています。以前に紹介したもの一部を再掲します。
1. 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響 工藤 恵理子(東京女子大学)日本心理学会大会発表論文集 2009 →全体として血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
2. 血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響 山岡 重行(聖徳大学人文学部)日本社会心理学会大会発表論文集 2006 →高受容群では11項目で血液型の主効果が認められ、低受容群でも2項目で血液型の主効果が認められた。
3. 潜在的な血液型ステレオタイプ信念と自己情報処理 久保田健市(名古屋市立大学)日本心理学会大会発表論文集 2007 →特性語の種類の主効果(F(1,32)=9.80, p<.01)と特性語の種類×参加者の血液型の交互作用(F(3,32)=3.22, p<.05)が有意だった…定義づけ課題の結果についても,同様の2要因分散分析を行ったところ,特性語×参加者の血液型の交互作用が有意だった.
今日はとりあえずこのへんで。失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

すみません、前回の投稿に間違いがありましたので訂正します。
> O型は1900年に発見されたのではありません。
1900年に発見されなかったのは「AB型」です。また、O型は発見当時はC型と言われており、後でO型に改名されました。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿に特に回答がなかったので既定路線で進めます。よろしくお願いします。
> 1900年、オーストリアの研究者であるラントシュタイナー(K.Landsteiner)によってこれが研究され、彼は血液型を4種類(A型、B型、AB型、O型)に分類できることを発見した。
O型は1900年に発見されたのではありません。
> A、B、Oとは遺伝子を意味しており、メンデルの遺伝法則にしたがって
基本的にはそうですが、細かく言うとBombay-Oやcis-ABもあります。また、通常A型、B型、O型といった場合は表現型を指すことが多いでしょう。念のため、それぞれの遺伝子型は複数存在しています。なお、A型、B型には複数の亜型が存在します。
> 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している
誰がそう言ったのでしょうか? 古川竹二氏? 参考文献にある能見正比古氏ではないはずです。
> 疾患に対する僅かな相関性
何倍も違っても「僅かな相関性」なのでしょうか?
> 継続的な研究が始まったのは前述の能見氏による著書が初めて
戦前は古川竹二氏や日本軍も「継続的な研究」はしていたはずです。戦前の文献を調べてみてはどうでしょうか?
> 1970年に出版された能見正比古氏による「血液型でわかる相性」
出版年は1971年の間違いです。
> 1927年に「血液型と気質の研究」と題する研究論文が古川竹二氏(女子高等師範学校教授)
論文名は「血液型による気質の研究」の間違いです。また当時の校名は「女子高等師範学校」ではなく、正しくは「東京女子…」です。
> 利害関係のない公共性の高い研究においては、血液型性格診断はたびたび否定されており、
血液型は心理学の“商売敵”なので「利害関係」はあります。また、心理学では「統計的に差がある」という主張が現在では多数を占めています。
> 肯定派において同様の水準に達している研究報告は現在のところない。
否定派も肯定派も「統計的に差がある」という主張が現在の主流ですので、「同様の水準」ということになるはずですが?「同様の水準」の定義は何でしょうか?
きりがないので、とりあえず今日はこの程度にしておきます。
さて、念のため前回の“蛇足”に少し補足しておきます。Natureもプロバイダーも私に「話しても言葉が通じない」とは思っていなかった、という意味です。
それから、ららあさんの「対話(!?)を打ち切って相手にしない」という意味がわかりません。それなら、私に限らず、全ての“ニセ科学信者”と対話を打ち切ればいいはずです。私だけ打ち切るということは、何かここで話せない秘密の理由でもあるのでしょうか? 仮にそうだというなら、このサイトの投稿コーナーも意味がないことになりますし…。さっぱりわかりません。
さて、またまた話が脱線しますが、前回の投稿に何か反応があれば女性雑誌の話(例えば何回か取材されたアンアンとか)でも…と考えていたのですが、誰も興味がなさそうなのでやめておきます。(苦笑) (投稿者:ABO FAN)

管理人さん、回答ありがとうございます。当初の投稿が掲載されたときは回答がなかったので、明日以降の「ネガティブキャンペーン」の内容を考えていたのですが、ちょっと脇道にそれて、今回の回答についてコメントしておきます。
>> …私の提示する事例・データ・論文の内容などに「特に反応がない(?)」というのもコミュニケーションの結果だと思っています。
> ――なるほど、その考え方は案外前向きで健全かもしれませんね。ABOFAN様と本研究(私)においてはやはり「共約不可能性」がありそうだと感じておりましたが、…
やはり感じ方が違うようですね…。せっかくなので、私の思ったことを率直に書いておきましょう。
「特に反応がない(?)」というのは、1)本当は理解しているが(自分が不利になるので)わからないふりをする、2)理解していないので反応しない…といったような様々なバリエーションがあるわけです(後述)。もっとも、相手がなぜ反応しないかは、僅かなやりとりの中でも(相手の知的能力も含めて)自然にわかってきます。
例えば、ららあさんの属性は、1)50歳前後の男性、2)現在閉鎖中のkikulogでの議論をした相手(or 他の掲示板 or 直接メールでのやりとり)、3)本当は理解しているが(自分が不利になるので)わからないふりをしている、ということを仮定して前回の投稿を書きました。では、管理者さんはどうか? これも、今回の回答内容を加味すると 1)明治大学(当然ですね・笑)の大学院生(可能性は低いがゼミ生ということもありか?)、2)女性である可能性が高い、3)おそらく文系(ただし心理学は専門ではない)、4)統計学や英語はあまり得意ではない、ということを仮定して今後は投稿を書いていきます。もちろん、この属性についての回答は不要です(確認しようがありませんし・笑)。
ではなぜそういう仮定をするかというと、次回以降の「ネガティブキャンペーン」の内容は、この属性に合ったものにしないと、そもそも理解さえしてもらえないからです。私の文章を理解してもらえなくては、いくらなんでも(お互いに)徒労に終わるというものです。
ところで、私のデータや論理は、基本的にすべて心理学のものを使っています。従って、心理学を多少は知っている人なら「共約不可能性」はありえない。そういう意味では、ららあさんと私の間では「共約不可能性」はありえないと思っています。おそらく、単純にわからないふりをしているだけでしょう。
全くの余談ですが、10年以上前にNatureの論文をサイトに多めに引用したところ、当時のプロバイダーから「Natureの編集部から連絡があり、引用部分を大幅に削らないとあなたのサイトを閉鎖する」という内容の警告文が送られてきたことがありました。あわてて内容を大幅に削除して事なきを得ました(苦笑)。これには後日談があり、その後にアクセスが増えたせいか、同じプロバイダーから、人気サイトとして紹介させてほしいというメールが来て、しょうがないので紹介文を書きました(おいおい・笑)。ですので、昔も含めて「対話が成り立たない」なんてことはないと信じています。対話が成り立たないというのは、そもそも成り立たせたくないからでしょう。いや、本当に蛇足でした。 (投稿者:ABO FAN)

ららあさん、初めまして。この「血液型性格診断」私以外からの投稿としては2番目でしょうか。さて、
> 私の知る限り、多くの方が「話しても言葉が通じない」という結論に達しています。そういった事例(検索すればいくらでも出てきます)を示して、彼との対話(!?)を打ち切って相手にしないことを勧めます。
私の知る限り、多くの方はそう思っていません。それは、私のサイトやブログを見ていただければわかります(いくらでも出てきます・笑)。
また、「話しても言葉が通じない」と言いつつ、自らの主張を私と同じものに変えた人も少なくありません。代表例ですが、菊池誠氏(大阪大学)やNATROM氏の主張は、「統計データに関連がない」→「統計データには小さな関連があってもよい」と(いつの間にか?)変わりました。ですので、私としては“対話”は十分効果が上がっていると考えます。なお、「統計データには小さな関連があってもよい」という意見は、現在はどちらかというと多数派です(検索すればいくらでも出てきます・笑)。私も調べてみて驚いたのですが、いつのまにか状況が以前と全く逆になってしまいました。
しつこいようですが、以上は「事実」ですから、ららあさんがどう思おうが(たとえ対話を打ち切ったり無視したりしようが・苦笑)変わりません。ですので、もし無視するということなら、よほど都合が悪い(?)のかなぁ…と感じるだけです。
管理人さん
> 氏がこの界隈では有名人(苦笑)ということは前から存じ上げておりました。
おお、ありがとうございます。
> 現在は、氏の「発言」すら研究対象(科学コミュニケーションをとる上での阻害要因としてなど)と考えているつもりです。
参考までに、途中経過でもいいので結果を教えていただければありがたいです。
> ただ今のところ、それがうまくいっているとは言えませんが……笑
私はそうは思っていません。こう言っては大変失礼かもしれませんが、私の提示する事例・データ・論文の内容などに「特に反応がない(?)」というのもコミュニケーションの結果だと思っています。一方で、何でもいいから反応(反論)がほしい、というのも正直な気持ちです。
さて、これまた余計なことかもしれませんが、経験上“対話”をするには「ネガティブキャンペーン」の方が効果的です。なぜなら、私の主張は、理解したくない人(?)には、いくら説明してもわからないからです(初めから理解するつもりがないのですから…苦笑)。しかし、相手の間違いを指摘すると、流石にこれには反論せざるを得なくなります(菊池誠氏やNATROM氏が主張を変えたことで実証済です)。
ですので、恐縮ですが、前々回の投稿に書いたように、そろそろ「ネガティブキャンペーン」モードに入ろうかと感じているところですが、よろしいでしょうか? (投稿者:ABO FAN)

>私はそうは思っていません。こう言っては大変失礼かもしれませんが、私の提示する事例・データ・論文の内容などに「特に反応がない(?)」というのもコミュニケーションの結果だと思っています。
――なるほど、その考え方は案外前向きで健全かもしれませんね。ABOFAN様と本研究(私)においてはやはり「共約不可能性」がありそうだと感じておりましたが、ABOFAN様が前述のように感じておられるということを知ることができたのは、こちらとしては一歩前進というところでしょうか……。

今回の投稿は情報提供です。かなり古い話になりますが、4年ほど前にScientific Americanのゲストブログに血液型の話題の紹介がありました。
You are what you bleed: In Japan and other east Asian countries some believe blood type dictates personality
リンクが切れたようなので、なくなったのかと思ってたら、実はURLが移転していたのですね。新URLはこちらです。
http://blogs.scientificamerican.com/guest-blog/2011/02/15/you-are-what-you-bleed-in-japan-and-other-east-asian-countries-some-believe-blood-type-dictates-personality/
ちなみに、私のサイトは次のようにかなり批判的に紹介されています。
At one site, for example, readers can find labeled chemical structures of blood types and detailed analyses to clarify further the "science." True science is doing a poor job of conveying its counter-message, so pseudo-science dominates. あるサイトでは、血液型の科学構造や詳細な“科学的”分析が紹介されている。真実の科学は血液型に対して貧弱なメッセージしか発することができない。だから疑似科学が流行するのである。
気づくのが遅かったり、東関東大震災で忙しかったりして、このブログに反論するのが1年以上遅れたせいか、私の発言には特に何の反応もないようです。
ところで、このブログでも執筆者の意見は矛盾しています。統計データでは関係がないと言いつつ、関係あるデータ(Sakamoto 2004)を紹介しているからです。本人がなぜ気が付かないのかわかりません…。 (投稿者:ABO FAN)

 たぶん、わかっておられると思いますが、ABOFAN氏と対話(!?)しても、何も得るものはありません。過去に多くの方が彼との対話(!?)で時間を無駄にしています。
 私の知る限り、多くの方が「話しても言葉が通じない」という結論に達しています。そういった事例(検索すればいくらでも出てきます)を示して、彼との対話(!?)を打ち切って相手にしないことを勧めます。
(投稿者:ららあ)

ららあ様
ありがとうございます。氏がこの界隈では有名人(苦笑)ということは前から存じ上げておりました。初めはかなりとまどいましたが、本研究は「科学コミュニケーション」における研究ですので、現在は、氏の「発言」すら研究対象(科学コミュニケーションをとる上での阻害要因としてなど)と考えているつもりです。
ただ今のところ、それがうまくいっているとは言えませんが……笑
根気強く、と考えておりますがおっしゃられる通り見積もりが甘いかもしれませんね。

このサイトが貴重な試みであることは確かです。しかし、残念なことに、OSATOさんのブログ http://blog.goo.ne.jp/osato512/e/9f9be1b6ff6b616f63712135ef34f8ef に代表されるように、いくつかの問題点も指摘されているようです。私としては、血液型性格診断の部分だけ補足しておこうと思います。
さて、私が「血液型性格診断」で特に問題だと思うのは、上のOSATOさんのブログにあるように、
> 項目毎に参考文献が紹介されていますが、この文献のどの部分が本文で使われているのか、何の説明もありません。
です。さらに問題だと思うのは、このサイトでは統計データが最大の論点だと思われるのに、全く正反対の結果が得られた論文を両方掲載しているので、いったい何を主張したいのか、さっぱりわからないことです。誰がサイトの文章を書いているのでしょうか?と疑問に思います(もちろん、執筆者を公開する必要がないのは十分承知していますが、こう言いたくもなる私の気持もご理解ください)。繰り返しますが、
このサイトの参考文献でも、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
しかし、正反対の結果も掲載されています。
本研究は,わずかな差でさえ検出できる大規模データを用いても,有意差がほとんど得られないこと,また,効果量を検討し,差の大きさ自体に着目することで,差の大きさがほぼゼロだといえるほど小さいことを示した。...「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)
ですので、このサイトの統計データについての主張を確認したくて何回も投稿したのですが、特に明確な回答がないのも不思議です。なお、統計データの解釈については、よろしければ私のブログを参考にしてください。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2015-03-14
また、管理者さんは、
> 「心理学」や「(心理学的研究における)性格」に拘らずに、まずは「医学疫学」や「進化生物学」といった分野に視野を広げていったほうが…
とありますが、サイトでは肝心の「医学疫学」や「進化生物学」の(入門書はともかく)元論文が紹介されていないので、はたして管理者さんが何を目指しているのか私にはわかりません。この分野の論文としては、例えば、
Donna K. Hobgood, Personality traits of aggression-submissiveness and perfectionism associate with ABO blood groups through catecholamine activities, 2011 http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0306987711002106
は絶対落とせませんし、そうだというならこの論文の参考文献リストは極めて貴重なものです。しかし、管理者さんは自ら英語があまり得意でないとおっしゃているようで(あるいは謙遜ですか?)、おそらくこれらの論文を読んでいる様子もないし、またこれから読む予定も不明というしかありません。やはり、何だかわからない...
また、過去の投稿であった「ABOの会」の誤記にあるように、事実関係の確認や論証が不十分な点が数多く見られることも不安材料です。これまた余計な心配ですが、ひょっとして学会の内部事情も全くご存じないのでしょうか?
以上が単なる私の思い過ごしであればよいのですが、過去の回答から判断する限り、相当先行きが不安だというのも正直な気持ちです。
どうかご検討くだい。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿に書いたように、疑似科学批判には根拠が曖昧だったり間違っているものが少なからずあります。その具体例として、過去の投稿(一部加筆修正)から紹介しておきます。
1つ目です。
2014年7月28日9時からの放送大学「錯覚の科学('14)」第13回「科学的思考と錯覚」(信州大学 菊池聡氏)で、初回に放送された血液型性格判断の批判部分に間違いがあり、訂正放送になりました。初回の放送は2014年7月4日16時からでした。
差し替えになった部分は、大村政男さんの「ラベル付け替え」の実験です。この実験は、別の血液型の特徴を、その血液型と言って示すと信じてしまう(フリーサイズ効果=バーナム効果)ので、血液型と性格が関連する「科学的な根拠はない」というものです。
初回の放送では、パネルによる説明で、本当の特徴のO型とAB型が逆になっていたのです。単純ミスなのだろうと思いますが、誰も気が付かなかったのでしょうか? さすがに訂正放送では、この「ラベル付け替え」の実験の説明が全て削除されました。
2つ目です。
ほぼ10年前の2004年12月8日に出された、BPO青少年委員会の『「血液型を扱う番組」に対する要望』では、血液型番組は“非科学的”と断定しています。次は、この「要望」の抜粋です。
民放連は、放送基準の「第8章 表現上の配慮」54条で、次のように定めている。
(54)占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない。〔解説〕現代人の良識から見て非科学的な迷信や、これに類する人相、手相、骨相、印相、家相、墓相、風水、運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを肯定的に取り扱わない。
これらを踏まえ、青少年委員会としては、「血液型を扱う番組」の現状は、この放送基準に抵触するおそれがあると判断する。
しかし、この「要望」に対して研究家の岡野誠氏が提訴した結果、原告敗訴になったにもかかわらず、この「要望」自体が実質的に取り下げられてしまいました。次は、2012年7月19日に出た控訴審判決からの抜粋です。
本件要望が、(中略) 血液型と人間の性格、行動パターン、病気等との関係を学術的に研究する学問自体の存在自体を否定したり、これについても占いの類と同列であるとして否定的な評価をしたりするものではないし、学術的に裏付けられた内容で、しかも、青少年にも配慮して番組を制作することを否定する趣旨を含むものとは解されない。
奇妙なことに、BPOには具体的に何が“非科学的”なのかを判断する権限はありません。ですので、この権限を逸脱した「要望」は初めから「無効」だったということになります。判決は、そのことを追認したものと言えるでしょう。
さて、次回以降は、私が感じたこのサイトの疑問点について、少しずつ書いていこうと思います。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿の掲載ありがとうございます。ここで、前回の内容を少し補足しておきます。
まず、心理学者の多くは、個人としてなら人格者ですし、またとても親切です。私も尊敬し感謝しています(お世辞ではありません)。ただし、学者や研究者としての態度は、その人の人格とは別に考えるべきでしょう。私の投稿は、あくまでこのサイト「疑似科学されるものの科学性評定サイト」の趣旨に沿って書いているつもりですので、あしからずご了承ください。
次に、管理人さんとのやりとりの経過についてです。私の過去の経験では、否定派・懐疑派の人との議論は、議論の途中で突然「回答拒否」となるパターンが少なくありません。そう言うと、当然のことながら、ほとんどの人は信用しません。しかし、そういう人に限って、突然「回答拒否」になるというのが(ほぼ)お決まりコースになっています。また、否定派の掲示板では、統計データや学術論文の引用をした発言でさえ削除されることもあります。あるいは、某国立大学のように突然閉鎖というケースも散見されます。このサイトでは、今後どういう経緯を辿るのかわかりませんが、どうかそうならないように願っています。
さて、今回は『科学教育教材としての「血液型性格判断」』の執筆者である、長島雅裕氏の“奇妙”な分析について、引き続き書かせてください。彼によると、このサイトでも参考文献に挙げられている『松井豊「血液型による性格の相違に関する統計的な検討」1991、立川短大紀要、24、51-54』の“誤差”はなぜか1%程度になるのだそうです。参考までに、この研究報告のサンプルは、約3,000人×4年=約12,000人です。
大雑把に言うと、誤差は1%程度
 標準偏差σ≒√N≒100 (N: データの個数)
 誤差:σ/N≒0.01=1%(100人→10%、1万人→1%、100万人→0.1%)
[http://phys.koshigaya.bunkyo.ac.jp/~masa/lecture/pseudoscience/slide130417.pdf]
しかし、標準的な統計学で計算すると、誤差は数%になるはずです。なぜなら、
サンプル数が1回につき約3,000ですから、1つの血液型ではその1/4となって約750になります。このデータは、0と1との2つの値を取る2項分布ですから、平均を0.5と仮定して計算してみると、標準偏差は概算で√0.5×0.5÷750=0.0183です。ですから、データの誤差は信頼度95%では0.0183×1.96≒0.0359になりますね。となると、平均すると3.6%程度の誤差があることに…。ただ、これはあくまで平均からの誤差ですから、実際にはプラス側とマイナス側で倍の7.2%程度という結果を得ることができました。
[http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/matsui.htm]
元論文では、そもそもサンプル全体の約1万人について特に分析・計算をしていないのですから、私には全体の誤差を計算するという理由がわかりません。また、2項分布の標準偏差の計算も違うようです。
彼は(少なくとも)数年間は同じ説明をしているのに、誰も疑問を抱かなかったのでしょうか? あるいは、疑似科学批判なら、多少は奇妙な説明だと思っても、あえて誰も指摘しなかったのでしょうか?
いずれにせよ、きちんとした疑似科学批判という点では、望ましいこととは思えません。 (投稿者:ABO FAN)

回答ありがとうございました。また「ABOセンター」と「ABOの会」の誤解が解けてうれしく思います。
しかし、今回の回答は、それ以外については、率直に申し上げてかなり不満ですので、いくつか指摘させていただきます。まず、
> さらに、「ABOセンター」と「ABOの会」について二点教えていただきたいのですが、(ABOFAN様がお答えできる範囲で結構です)
この質問については、今回は大変申し訳ありませんが「回答拒否」とさせていただきます。というのは、前回の私の質問には実質的に何の回答もないにもかかわらず、私に新たな質問をするのは「ルール違反」だと考えるからです。
管理者さんの前回の回答で、私の質問に答えているのは、
>>また、仮に学会にこのような雰囲気があるとするなら、「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」という査読者のコメントは当然の帰結でないでしょうか? 管理者さん自身はどう思われますか?
>――私自身が直接かかわった話ではないのでその件については何とも言えないのですが…
だけだと思います。しかし、「何とも言えない…」ということは、常識的に考えると「回答」ではありません。それでは、なぜ私がしつこく繰り返して質問しているかというと、
>>私もそういう心理学会の事情は十分理解しているつもりです。残念なことですが、現状では仮に誰かが学会発表を考えたり論文を書こうとしても、間違いなくリジェクトされるでしょう。
>――おっしゃりたいことはよくわかるのですが、もしもABOFAN様ご自身で論文を投稿、学会で発表などをされたことがないのでしたら、失礼ですがただの類推や被害妄想にすぎないかと思います。…
とあるからです。「私自身が直接かかわった話ではない」というのに、なぜ管理者さんは「ただの類推や被害妄想にすぎない」と断言できるのでしょうか? おそらく、管理者さんは私の話に疑問があるのでしょうから、相手が特定されない範囲で、もう少し詳しい話をしておきます。
1つ目です。某心理学会大会で発表された「血液型と性格に関係ない」というデータ(ただし大会論文集には掲載されていません)を本人から入手し、私の独自分析で「関係ある」という情報を公表しようとしたら、その人から「そんなことをするならこのデータは使わせない」と利用を拒否されました。しょうがないので、このデータを使わずに別なデータを使うことにしました。
2つ目です。ある心理学会の役員クラスの研究者(複数)は、個人的には「血液型と性格に関係がある」と明言しています。これも、私が本人から直接聞いたので間違いありません(うち1回は公開の場ですので多くの証言者もいます)。しかし、その人が属する心理学会では、その人(複数)は公式には「血液型と性格には関係がない」と言ったり、そういう論文を書いたりしています。
3つ目です。ある否定派の心理学者がテレビに出演しました。この人の主張は一貫して「統計データには差がある」です。しかし、なぜかテレビでは(局側が用意した?)否定的なストーリー展開に合わせてなのか「統計データには差がない」といったような解説をしていました。もっとも、テレビ番組は編集次第でかなり変わるのですが、いくらなんでも本人の主張を反対にすることはないと思います。
これ以上具体的に書くと、わかる人には誰だかわかってしまうので、とりあえずこの程度にしておきます。
さて、しつこくて申し訳ありませんが、再度質問させてください。「私自身が直接かかわった話ではない」というのに、なぜ管理者さんは肯定的な論文がリジェクトされるのが、「ただの類推や被害妄想にすぎない」と断言できるのでしょうか? ぜひ根拠を示してくださるよう強く希望します。
なお、誠に勝手ではありますが、この投稿が「掲載拒否」にならないよう希望しています。わがままを言って恐縮ですが、どうかよろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿で未解決だった
> …と、記載されているので”前”ABOの会という表現は自然のように思いますがどうでしょうか。
について、直接ABOセンターに確認してみました。結論は「ABOセンターは、ABOの会を継承するものではなく、2003年に新たに法人化した組織」とのことで別団体とのことです。ただし、主催はどちらも能見親子なので、主張自体は変わらないのではないかとのことでした。これでよろしいでしょうか?
それから、疑似科学批判の研究報告は、かなり間違っているので注意が必要です。ここでは、最近の『季刊 理科の探検 2015年4月号 特集「ニセ科学を斬る!リターンズ」』を例として取り上げます。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2015-03-08
この特集の中には『科学教育教材としての「血液型性格判断」』という記事があります。執筆者は、文教大学准教授の長島雅裕氏です。彼は、この記事の中で『統計データを分析した限りでは「血液型と性格の間には関係は見られない」』と主張しています。
さて、統計的な部分に限ると、この記事の元論文は
1) 松井豊「血液型による性格の相違に関する統計的な検討」1991、立川短大紀要、24、51-54
2) 山崎賢治、坂元章「血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析-」1991、日本社会心理学会第32回大会発表論文集、288-291
3) 山崎賢治、坂元章「血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析II-」1992、日本社会心理学会第33回大会発表論文集、342-345
の3つです。しかし、2)と3)はタイトルでわかるようにシリーズなので、実質は2つということになります。では、元論文にはどう書いてあるのでしょうか?
1) 本資料のデータから見る限り、血液型ステレオタイプは妥当性を欠く[注:統計データに差がない]と結論される。
2)3) 血液型と性格の自己報告との間の相関は、弱いが認められた。さらに、一般の人々の性格の自己報告は、大学生の血液型ステレオタイプに合致していることがわかった。
と、1)では「差がない」、2)3)は「差がある」と全く逆の結果になっています。面白いことに、1)と2)3)のデータは基本的に同じものなのです。具体的には、1)はJNNデータバンクの1980/82/86/88年の4年分で約1万人、2)3)は同じJNNデータバンクの1978-88年の11年分で約3万人です。つまり、1)の4年分の少ないデータでは差がわからなかったものが、2)3)でデータを11年分に増やして再分析したら差が出たということになります。それがなぜ『統計データを分析した限りでは「血液型と性格の間には関係は見られない」』になるのでしょうか? 常識的に考えても不思議と思われませんか?
更に奇妙なのは、長島氏自身の研究『教員養成課程における科学リテラシー構築に向けた疑似科学の実証的批判的研究 科学研究費助成事業(科学研究費補助金)研究成果報告書 2011年)では「21世紀以降のデータでは、安定して血液型ごとに性格の自己申告について有意な差が出ることが判明した。」とはっきり書いていることです。
それなのに、どうして『統計データを分析した限りでは「血液型と性格の間には関係は見られない」』と主張できるのか…私には理解不能というしかありません。
その他にも、彼の計算には誤差の計算に奇妙な点がいくつかあります。私は彼と何の関係もありませんが、こういう研究報告が何の指摘もされず、そのまま否定的な根拠として使われるのは疑似科学批判側にとって好ましくないと思うので、あえてここに書いています。また、仮に学会にこのような雰囲気があるとするなら、「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」という査読者のコメントは当然の帰結でないでしょうか? 管理者さん自身はどう思われますか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>結論は「ABOセンターは、ABOの会を継承するものではなく、2003年に新たに法人化した組織」とのことで別団体とのことです。
――さっそくの情報提供ありがとうございます。本HPにおける表記も訂正させていただきます。(ただし、本HPではシステムの仕様上、何時、何が更新や変更がされたのかわからないものとなっています。現在改善を図っていますのでこの点についてはご了承ください。)
さらに、「ABOセンター」と「ABOの会」について二点教えていただきたいのですが、(ABOFAN様がお答えできる範囲で結構です)
一点目に、
>ただし、主催はどちらも能見親子なので、主張自体は変わらないのではないかとのことでした
――とありますが、「ABOの会」と「ABOセンター」では中心的主張以外の面で、例えば研究活動や運営方針上でどのような違いがあるのでしょうか?
二点目ですが、
「ABOセンター」のHPにおきまして、Facebookは頻繁に更新されているみたいなのですが、研究活動というよりはほとんど個人の日記状態のように見えてしまうのですが、これは現在「ABOセンター」の研究活動が停滞している、と受け取ってもよいのでしょうか?その辺の事情をご存知でしたらお教えいただければ幸いです。

>また、仮に学会にこのような雰囲気があるとするなら、「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」という査読者のコメントは当然の帰結でないでしょうか? 管理者さん自身はどう思われますか?
――私自身が直接かかわった話ではないのでその件については何とも言えないのですが、参考文献にあります「血液型で分かる なりやすい病気なりにくい病気」や「血液型の科学」からも考察するに、「心理学」や「(心理学的研究における)性格」に拘らずに、まずは「医学疫学」や「進化生物学」といった分野に視野を広げていったほうが「血液型」には将来性があるのではないかと個人的には思っています。(この辺の文脈は評定本文でも多少触れていますが……)

回答ありがとうございます。
> やはり何度読んでもABOFAN様が結局何がおっしゃりたいのかよくわかりません。
申し訳ありませんが、なぜ管理者さんが理解できないのかわかりません。では、より簡単にしてみます。
質問:管理者さん自身は、実証実験データできちんとした「差がある」と判断しているということなのでしょうか?
単純に「はい」「いいえ」「わからない」「その他」でお答えください。
> この部分については、本研究における研究員や相談役などと協議したのち、また改めて回答させていただきたいのですが、いかがでしょうか?
お手数をおかけします。私がどうこう言うべきことではないので、対応は管理者さんにお任せいたします。
> …と、記載されているので”前”ABOの会という表現は自然のように思いますがどうでしょうか。
ABOセンターは「能見正比古・俊賢氏を法人化した」もののはずなので、能見氏以外の会員もいるABOの会とは違う団体のはずです。もっとも、私の記憶違いの可能性もあるため、直接ABOセンターに確認してみることにします。
> ―これでは文意がまったく逆になってしまっています。ABOFAN様のお考えで結構ですので、結局のところ、能見正比古氏の言説と、ABOセンターの言説に親和性はあるのでしょうか?お答え願えればと思います。
どうも誤解されているように思います。能見正比古氏の言説と、ABOセンターの言説は『血液型は性格に影響を与えている』という単純な科学的な事実の提示とその応用であり、『「性格」が科学的に分析可能だと主張』しているのではないはずです。繰り返しになりますが、「性格」が科学的に分析しにくい理由は、まだ性格の科学的な定義が確立していないからです。
> この心得についての論理的妥当性は研究者の中で現在議論検証されている、または過去に議論検証されたことがあるのでしょうか?ご存知でしたらお教えください。
研究者の定義によります。まだ「血液型と性格」をまともに研究対象としている学会はないと思うので、そういう意味なら「議論検証」はありません。
> 失礼ですがただの類推や被害妄想にすぎないかと思います。
では、とある学会関係者に血液型について直接的に情報をいただいている、としたらどうしますか? また、学会関係者の方には大変失礼かもしれませんが(血液型に限っては)コストパフォーマンスを考えると、論文よりネットの方が効率的です。現に、私のサイトを見て書いた論文も(複数)ありますし、明らかに私のサイトを読んだことがわかる反応も数多くあります。では、学会の何が問題かというと…さすがに、この投稿に正直に書くのは遠慮させていただきます。なお、私のブログの最新記事 季刊 理科の探検 2015年4月号 特集「ニセ科学を斬る!リターンズ」の間違い《続》 http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2015-03-08 も参考になるかもしれません。
> 今回の回答、大変長文になってしまいまして申し訳ございませんでした。
いいえ、部外者に対してご丁寧な回答ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。 (投稿者:ABO FAN)

ご丁寧な回答ありがとうございました。
>「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか、という指摘に「血液型性格診断」言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、また議論が行われていないのではないかという点を記述、評定いたしました。
やはり管理者さんの回答の意味が理解できません。繰り返しになりますが「予言の自己成就」は、実証実験データできちんとした「差がある」ということです。それなら「バーナム効果」ではありえない。逆に、実証実験データで「差がない」のに当たっているように見えるのは「バーナム効果」です。現在までの管理者さんの回答では、実証実験データに「差があるかどうかはっきりしない」ようです。ですので、管理者さん自身の文章を拝借させていただくと、私は『「血液型性格診断」批判・懐疑』言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、と言う点を記述、評定しています。では、管理者さん自身は、実証実験データできちんとした「差がある」と判断しているということなのでしょうか?
> ヒューマンサイエンスABOセンター(前ABOの会)においては、そのHPをご覧になっていただければわかると思いますが、能見正比古氏の言説に依拠しつつ、「科学」ということを強調しているように見受けられます。(例えば当該HPのAbout usやWhat is ABO?ページなど)
少々事実誤認があるようです。まず、「ABOセンター」と「ABOの会」は別の団体だと思いますが? また、「科学」を強調しているのは能見正比古氏の時代からで、現在も特に変わっていないはずです。もし違うというなら、お手数ですが根拠を示してくださいませんか? よって、ABOセンターも能見正比古氏も『「性格」が科学的に分析可能だと主張』しているとは思えません。前回の繰り返しになりますが、そうだというなら根拠を示してくださいませんか?
> ご自身で論文を書いて投稿する、学会発表を行う、などをされてみてはいかがでしょうか?ABOFAN様のおっしゃる否定論者に対しても、科学の営みとしてもそのほうが建設的だと思いますが……。
ひょっとしてご冗談でしょうか? ご紹介の論文「清水武 心理学は何故、血液型性格関連説を受け入れ難いのか―学会誌査読コメントをテクストとした質的研究」にも「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」(p106)とあります。私もそういう心理学会の事情は十分理解しているつもりです。残念なことですが、現状では仮に誰かが学会発表を考えたり論文を書こうとしても、間違いなくリジェクトされるでしょう。だから、ここにこうして投稿している方がはるかに建設的なのです。(笑)もっとも、それが本来の科学的な営みとして妥当かどうかは別の問題でしょうが。
管理者さんがこんな学会の現状がわからないはずがないので、この回答には別の事情もあると推察しています…。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>繰り返しになりますが「予言の自己成就」は、実証実験データできちんとした「差がある」ということです。それなら「バーナム効果」ではありえない。逆に、実証実験データで「差がない」のに当たっているように見えるのは「バーナム効果」です。現在までの管理者さんの回答では、実証実験データに「差があるかどうかはっきりしない」ようです。ですので、管理者さん自身の文章を拝借させていただくと、私は『「血液型性格診断」批判・懐疑』言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、と言う点を記述、評定しています。では、管理者さん自身は、実証実験データできちんとした「差がある」と判断しているということなのでしょうか?
――すみませんが、やはり何度読んでもABOFAN様が結局何がおっしゃりたいのかよくわかりません。ですのでこの部分については、本研究における研究員や相談役などと協議したのち、また改めて回答させていただきたいのですが、いかがでしょうか?

> ヒューマンサイエンスABOセンター(前ABOの会)においては、そのHPをご覧になっていただければわかると思いますが、能見正比古氏の言説に依拠しつつ、「科学」ということを強調しているように見受けられます。(例えば当該HPのAbout usやWhat is ABO?ページなど)
に対しまして
>少々事実誤認があるようです。まず、「ABOセンター」と「ABOの会」は別の団体だと思いますが?
――とのご回答をいただきましたが、ヒューマンサイエンスABOセンターのHP内に、
沿革
1972年 能見正比古、「血液型でわかる相性」(青春出版社)を機に、血液型人間学を提唱
1979年 ABOの会設立
1982年 能見正比古死去。能見俊賢、研究の後を継ぐ
2004年 NPO法人 血液型人間科学研究センター設立 能見俊賢 理事長就任
2006年 能見俊賢死去。2006年 石崎光教 理事長就任
2014年 一般社団法人に組織改編 「一般社団法人 ヒューマンサイエンスABOセンター」
代表理事 市川千枝子
――と、記載されているので”前”ABOの会という表現は自然のように思いますがどうでしょうか。
また、先のご指摘に関して、
>また、「科学」を強調しているのは能見正比古氏の時代からで、現在も特に変わっていないはずです。もし違うというなら、お手数ですが根拠を示してくださいませんか?
――と、ご回答いただきましたが、科学性を謳っている一例として手前どもがABOセンターについて記述した次第です。ですのでもちろん能見氏やABOセンターは「科学」を強調していると考えております。ですが、
>よって、ABOセンターも能見正比古氏も『「性格」が科学的に分析可能だと主張』しているとは思えません。前回の繰り返しになりますが、そうだというなら根拠を示してくださいませんか?
――これでは文意がまったく逆になってしまっています。ABOFAN様のお考えで結構ですので、結局のところ、能見正比古氏の言説と、ABOセンターの言説に親和性はあるのでしょうか?お答え願えればと思います。

さらに、
>よって、ABOセンターも能見正比古氏も『「性格」が科学的に分析可能だと主張』しているとは思えません。前回の繰り返しになりますが、そうだというなら根拠を示してくださいませんか?
――に対しましてですが、当該HPのBookのページに、
決定版 血液型性格ガイド
これを読めば各血液型のイメージがつかめる!自分、仕事、恋愛…血液型人間学の基礎知識をまとめてあります。初めて血液型に触れる方なら、この一冊でそれぞれの血液型イメージが分ります。
電子book書籍はこちら
1,050円
購入先リンク
監修・NPO法人 血液型人間科学研究センター/新星出版

その他の本リスト
●能見正比古著作シリーズ
「血液型でわかる相性」1971年 初版 「血液型人間学」1986年 初版 「血液型愛情学」1986年 初版 「血液型活用学」1986年 初版 「血液型エッセンス」1986年 初版 「血液型ゴルファー学」1986年 初版 「血液型と性格ハンドブック」1986年 初版 「血液型人生論」1986年 初版 「血液型女性白書」1986年 初版 「血液型政治学」1986年 初版 「血液型で人間を知る本」1986年 初版
●改訂版(文庫)/青春出版社「決定版」シリーズ
「決定版/血液型ずばりわかる人間学」(文庫)1998年 青春出版社「決定版/血液型なるほど性格ハンドブック」(文庫)1996年 青春出版社「決定版/血液型ここまでわかる愛情学」(文庫)1997年 青春出版社「決定版/血液型で人間を知る本」(文庫)1999年 青春出版社「決定版/血液型ピタリわかる相性」(文庫)1999年 青春出版社「決定版/血液型でわかる幸福学」(文庫化)2000年 青春出版社
――etc.と、ざっと眺めただけでもタイトルに「性格」という語が散見できます。また、What is ABO?ページには、
能見正比古が提唱した「血液型人間学」
血液型と気質の関係を口にする学者は居なくなりましたが、古川説の噂は既に巷に流れていました。
能見正比古が最初に知ったのは、中学生の頃(1940年頃)、お茶の水大学に通うお姉さんからです。
姉の幽香里さんは、古川教授の授業は受けていなかったのですが、学内に残る研究の噂を聞いたのでしょう。
能見正比古が本当に興味を強く抱いたのは、東大の学生寮にいた時だということです。
その後彼は、自分なりのデータを蓄積しました。
作家としての活動を幅広く行っていた能見は、多くの人間観察の機会を得られたようです。
仕事がら、芸能界や文化界の人間関係も多く、そうした人々のユニークな人生に関わることも多かったのです。
そんな経験が、能見正比古の血液型気質研究を更に助けることになったのかもしれません。
能見は1971年、一般書籍「血液型でわかる相性」(青春出版社)を発表しました。
それが非常に大きな反響を呼び、能見はこの研究を進めることを決意します。
更に、数万件以上の実名アンケートの実施、各界各分野の血液型データの有意差検定を行い、統計調査からの科学的証明を試みます。
それらは、血液型と気質の関係性をはっきりと示し、この研究の意義を再認識した能見は、「血液型人間学」を提唱しました。
このような、能見の科学的姿勢にもとづいた分析調査は幅広い層の読者に評価され、更には作家としての人間観察力や人情味溢れる文章表現が人々に共感を与えます。
こうして能見理論は、日本の人々に浸透していくことになりました。
古川竹二教授が、パイオニアとして血液型と気質研究の始まりを創り、作家、能見正比古が新たな考えのもとに再調査を試み、基礎的研究を築いたと言えるでしょう。
今や日本中に広がっている血液型情報ですが、その根底には、彼ら研究者たちの勇気と努力があったのです。
――と、「気質」「科学的姿勢」「研究」「血液型人間学」という語句が多数あり、文脈的にも科学性を謳っているに相当すると考えられます。ここで述べられている「気質」が一般的な語彙である”「性格」のなかの生まれつきの部分”を意味するのではないのだとしたら、ABOセンターのいう「気質研究」さらには能見正比古氏の「血液型人間学」というのは一体何を意味しているのでしょうか?ABOFAN様のお考えがあれば、お答えいただければ幸いです。

そして、About usにあります下の心得についてなのですが、
【血液型10の心得】
1. 血液型の先入観で人の性格を決めつけることなく活用しよう。
2. 血液型は気質の素材。従って性格はいかようにも料理出来ることを知ろう。
3. 血液型の特性の違いは、努力の方向性を知る手がかりとしよう。
4. 血液型で相性の良し悪しはない!互いの努力のポイントを知る手がかりとしよう。
5. 血液型は人の善悪を言うものではなく、機能や特性の違いだと理解しよう。
6. 血液型だけで能力は決まらない!当然だが誰にでも全ての可能性があると知ろう。
7. 血液型は人の好き嫌いに利用するものではない。気質の違いを認める器を持とう。
8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。
9. 血液型は心の科学。性格や未来を占うものではないと知ろう。
10. 血液型の違いを知ることは、人間同士の真の共通性を確認することだと理解しよう。
――この心得についての論理的妥当性は研究者の中で現在議論検証されている、または過去に議論検証されたことがあるのでしょうか?ご存知でしたらお教えください。

最後ですが、
>私もそういう心理学会の事情は十分理解しているつもりです。残念なことですが、現状では仮に誰かが学会発表を考えたり論文を書こうとしても、間違いなくリジェクトされるでしょう。
――おっしゃりたいことはよくわかるのですが、もしもABOFAN様ご自身で論文を投稿、学会で発表などをされたことがないのでしたら、失礼ですがただの類推や被害妄想にすぎないかと思います。先にご紹介させていただいた清水氏の論文のように、査読コメントを基にした質的研究における反証論文を書くこともできますし、そもそも、あの論文をご紹介できたのは別の論文誌にあの論文が掲載されたからです。ですので、ご自身の主張をなさりたいのなら、心理学(といっても「心理学」では大ざっぱすぎる区分けでしかなく、厳密には相当細分化されていますが……)という枠組みに拘らず、他の研究領域、学会、論文誌などでされてみてはいかがでしょうか?
今回の回答、大変長文になってしまいまして申し訳ございませんでした。

素早いご返事ありがとうございます。では、少々甘えて連投させていただきます。
>「予言の自己成就」”あるいは”「バーナム効果」なのではないか、とは書いていますが……。
同一の項目に対して「予言の自己成就」”あるいは”「バーナム効果」というのは、私にはシュレディンガーの猫のように感じられます。
観察するまで状態がわからないということなら、実証実験データできちんとした差がある可能性もあるわけで、それなら現状では「血液型性格診断」が非科学的かどうかわからない、ということになりませんか?
もちろん、「予言の自己成就」and/or「バーナム効果」が実証データで直接的に証明されたというなら別です。しかし、私が知る限りそんな研究は(ほとんど)ないので、ということは「理論構成がなされていない」のは懐疑派あるいは否定派であって、肯定派ではないと考える方が妥当ではないでしょうか?
また、これだけ私の投稿を掲載いただいているのに申し上げるのも心苦しいのですが、私の質問に対して管理者さんの「回答拒否」が多いように感じています。例えば、
> 「血液型性格診断」言説では「性格」が科学的に分析可能だと主張が謳われているようです
> 現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?
については、特に管理者さんから反応がないので、私の言説に賛同していると判断してよいものなのでしょうか? それにもかかわらず、
> 例えばヒューマンサイエンスABOセンターなどの団体について、ABOFAN様はどうお考えでしょうか?
と急に話題を変えられても、いったい何をどう回答すればいいのか困ってしまいます。そもそも、このサイトの「血液型性格診断」の本文では、メインは能見正比古氏の言説であり、ABOセンターへの直接的な言及はありません。ですので、私はこのサイトの趣旨を尊重して、能見正比古氏の「血液型人間学」イコール「血液型性格診断」として説明してきたつもりです。私の質問も趣旨は同じです。しかし、その肝心の能見正比古氏についての私の質問に「回答拒否」(?)というのは理解できません。では、改めて確認しますが、このサイトの「血液型性格診断」はABOセンターがメインということでよいのでしょうか? またABOセンターが「科学的言説を謳っている」ということなら、原文を引用していただけないでしょうか? そうでないと、私はどうリアクションをしてよいのかわかりません。
お手数ですが、どうかよろしくお願いいたします。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
>同一の項目に対して「予言の自己成就」”あるいは”「バーナム効果」というのは、私にはシュレディンガーの猫のように感じられます。
観察するまで状態がわからないということなら、実証実験データできちんとした差がある可能性もあるわけで、それなら現状では「血液型性格診断」が非科学的かどうかわからない、ということになりませんか?

――すみませんが、やっぱり意味不明です。「シュレディンガーの猫のように」の部分も意味不明なのですが、「観察するまで状態がわからない」とお書きになっていますが、この文意はどこから捉えられたものなのでしょうか?もう一度当該項目を貼り付けますが、

『本研究における「理論の論理性」では、説明が矛盾なく一貫しているか。合理的な前提に基づいているか。類推などの飛躍した論法を使ってはいないか。
といったことを評定基準としており、その意味において、「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか、という指摘に「血液型性格診断」言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、また議論が行われていないのではないかという点を記述、評定いたしました。』

「観察するまで状態がわからない」ということをどこからお考えになったのでしょうか?


> 「血液型性格診断」言説では「性格」が科学的に分析可能だと主張が謳われているようです
> 現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?

――私のこの回答に対してABOFAN様は

>「血液型性格診断」の参考文献に挙げられている能見正比古氏の「血液型人間学」には、そんな主張があるとは思えません。引用元はどこでしょうか?

と、お書きになっておられましたが、「血液型性格診断」が「科学性」を謳っている一例として、

> 例えばヒューマンサイエンスABOセンターなどの団体について、ABOFAN様はどうお考えでしょうか?

と申し上げたつもりでございます。しかし、私の言い方が少々乱暴で、これでは意図が伝わりませんね。申し訳ございませんでした。
ヒューマンサイエンスABOセンター(前ABOの会)においては、そのHPをご覧になっていただければわかると思いますが、能見正比古氏の言説に依拠しつつ、「科学」ということを強調しているように見受けられます。(例えば当該HPのAbout usやWhat is ABO?ページなど)
本研究の評定基準において、これは「科学性を謳っている」行為に相当すると考えております。
「血液型性格診断」言説において、このような社会的な事例があることを、ABOFAN様はどのようにお考えになっていらっしゃるのか、よろしければお考えをお聞かせ願えればと思います。

あと一点ですが、
> 現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?
かなり誤解されているようですね。私の主張は実に単純です! 心理学には、「血液型と性格に関係がある」というデータやロジックがある/しかし、否定論者は、これらのデータやロジックをすべて否定している/私は、この否定論に反論し否定している/従って、血液型と性格は関係がある つまり、私は徹頭徹尾心理学のデータとロジックを使っていますので、それが「科学的」でないというなら、心理学自体が科学的でないことになります。よろしいでしょうか? http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/intro.htm
――でしたら、ご自身で論文を書いて投稿する、学会発表を行う、などをされてみてはいかがでしょうか?ABOFAN様のおっしゃる否定論者に対しても、科学の営みとしてもそのほうが建設的だと思いますが……。

追加です。
> 「血液型性格診断」言説では「性格」が科学的に分析可能だと主張が謳われているようです
「血液型性格診断」の参考文献に挙げられている能見正比古氏の「血液型人間学」には、そんな主張があるとは思えません。引用元はどこでしょうか? 逆に、その反対の記述ならいくらでもあります。例えば、
血液型でわかるのは性格のうちの4分の1ですよ(血液型人間学)
1.血液型で、人の性格を、決め付けてはいけない。2.血液型が、性格のすべてであると思ってはいけない。…(能見正比古 血液型十戒)
「O型の性格を一口に言って下さい」などと質問してくる。一口に言えるような普遍的総括的、かつ客観性を持った性格用語が開発されていたら苦労はない。多種多様の色彩も、オングストロームという光学上の単位を得て、まずまず統一的に表現できるようになった。人間の性格も、あるいは、キャラクトロームというような単位を作り得て、「O型の性格は80キャラクトローム前後ですよ」と言えるようになるかもしれぬ、ただしそれは、はるかに遠い将来である。(能見正古比 O型は人間は権力志向型なんだって-血液型性格学 別冊宝島6『性格の本-もうひとりの自分に出会うためのマニュアル』 宝島社 1977.8)
> 現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?
かなり誤解されているようですね。私の主張は実に単純です! 心理学には、「血液型と性格に関係がある」というデータやロジックがある/しかし、否定論者は、これらのデータやロジックをすべて否定している/私は、この否定論に反論し否定している/従って、血液型と性格は関係がある つまり、私は徹頭徹尾心理学のデータとロジックを使っていますので、それが「科学的」でないというなら、心理学自体が科学的でないことになります。よろしいでしょうか? http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/intro.htm
> このご指摘については、「ヒルガードの心理学」第十四版 第十三章「人格」p588-p639…などをご参照いただければと思います。
原文を引用していただくと助かるのですが? それとも特に明確には書かかれてないのでしょうか? (投稿者:ABO FAN)

では関連リンクにも貼らせていただいておりますが、例えばヒューマンサイエンスABOセンターなどの団体について、ABOFAN様はどうお考えでしょうか?明らかに科学的言説を謳っているかのように見受けられるのですが……。
先の出典については、一般的な心理学の教科書における「人格」について言及している章を案内したつもりです。勉強のために、とのことでしたのでまずは大まかに学べるものから紹介させていただきました。

> 「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか、
この書き方では、管理者さんが理解して書いているのかかなり不安です。まず「予言の自己成就」なのかどうか、「直接的」に検証した心理学の研究はほとんどありません。もしあるというならならご紹介ください。また「バーナム効果」の有無と「血液型性格診断」が正しいかどうかは直接的には関係がありません。
一応説明しておきます。「バーナム効果」とは、「誰にでもあてはまる」ような言葉に自分が当てはまっていると思うことです。反対に「予言の自己成就」は、「その血液型の特徴」を思い込むことです。極論すれば「バーナム効果」と「予言の自己成就」は正反対ですから、同じ項目に対して「同時に成り立つ」といったような説明は奇妙としか言いようがありません。
具体例を挙げましょう。仮に「A型は神経質」がバーナム効果だというなら、実験実証データでは血液型によって差が出ないはずです。しかし、それが「予言の自己成就」なら、実証実験データではA型では当てはまる人が多い、という結果が得られるはずです。ですので『「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか』という言い方なら、管理者さん自身が「言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない」となってしまいます。少なくとも私はそう感じています。 (投稿者:ABO FAN)

すみません。今度はこちらが意味不明です。
「予言の自己成就」と「バーナム効果」が「同時に成り立つ」などという文脈を私はどこかに書きましたでしょうか?
「予言の自己成就」”あるいは”「バーナム効果」なのではないか、とは書いていますが……。

補足と追加です。
前回の投稿では『性格が科学的に定義できないとするなら「血液型性格診断」は「非科学」ということになりますが?』と書きました。しかし「非科学」では誤解されそうです…。正しくは『「血液型性格診断」に科学的な分析は不可能』という意味です。なぜなら「性格」が科学的に定義できないので、血液型が性格にどんな影響を与えるのか科学的には分析できないからです。
> 「主要五因子」などでヒトの「性格検査」が”完全に”行えるとはとても言えないと考えます
これは管理者さん独自の説ですか? それともどこかの(心理学の)文献にあるのでしょうか? 私は初耳なので、勉強のためにぜひ出典を教えてくださいませんか?
もっとも、「主要五因子」(ビッグファイブ)では、その人の血液型に関する性格の自己認知が検出できないことは明らかなので(複数の文献で確認済)、少なくともこの性格検査にはかなり大きな欠陥があることは確かなようです。逆に、血液型によって従来の心理学の限界がはっきりしたことは、学問的には有意義なことでしょう。 (投稿者:ABO FAN)

二つ目のご指摘、および補足についてですが、ABOFAN様のおっしゃる通りだと考えます。
ですが、というか、にも関わらず「血液型性格診断」言説では「性格」が科学的に分析可能だと主張が謳われているようです(現にABOFAN様ご自身も何度も「科学的」研究結果を投稿ページに情報提供されていますよね?)そういう意味において、「科学的に分析不可能」なものを「科学」だと主張しているのは、”今のところ””既存の科学の枠組み”においては疑似科学であると評定せざるを得ない思います。
また、> 「主要五因子」などでヒトの「性格検査」が”完全に”行えるとはとても言えないと考えます。これは管理者さん独自の説ですか? それともどこかの(心理学の)文献にあるのでしょうか? 私は初耳なので、勉強のためにぜひ出典を教えてくださいませんか?
このご指摘については、
「ヒルガードの心理学」第十四版 第十三章「人格」p588-p639
「心理学概論」小野寺孝義、磯崎三喜年編 p74-p96
「心理学概論」京都大学心理学連合編 p189-p208
などをご参照いただければと思います。

> つまり、当該箇所は「予言の自己成就」や「バーナム効果」を排除していない状態での理論構築がみられる、という文脈で用いています。実証実験データという意味とは区別しています。
では、実際に「実証実験データ」で検証してみてはどうでしょう? 管理者さんは「予言の自己成就」や「バーナム効果」で具体的なデータがどう影響を受けるのか説明できますか? また、理論的に「予言の自己成就」や「バーナム効果」を「実証実験データ」から排除することができると思いますか? 仮に、排除できないとすると、現実のデータで検証しようがないので、「理論構築」自体が無意味ということになりますが? 現実に検証できない理論なら無意味ですから…。というように、どんどん疑問が膨らむので、私は意味不明と書きました。
> 「性格」というものをどのように規定するか、また測定するか、ということに関して、心理学上でも完全な合意形成がされているとは言い難いです。
性格が科学的に定義できないとするなら「血液型性格診断」は「非科学」ということになりますが? 「疑似科学」というなら性格が科学的に定義可能であることが前提になるはずです。ですので、私には意味不明ということになります。 (投稿者:ABO FAN)

先の回答では確かに語弊がありますね。すみません。まず一つ目のご指摘から補足いたします。
本研究における「理論の論理性」では、説明が矛盾なく一貫しているか。合理的な前提に基づいているか。類推などの飛躍した論法を使ってはいないか。
といったことを評定基準としており、その意味において、「予言の自己成就」あるいは「バーナム効果」なのではないか、という指摘に「血液型性格診断」言説ではそれに耐えうる理論構築がなされていない、また議論が行われていないのではないかという点を記述、評定いたしました。

すみません、今回の回答は意味不明です。不躾な質問ですが、管理者さんは心理学は勉強されましたか?
もし勉強しているというなら、簡単に心理学で説明します。しかし、正直言って勉強したことがあるとは思えません。そうなると、心理学の基礎から説明することになるので、結構大変かなぁというのが率直な感想です。
余談ですが、最新号の「理科の探検」に血液型批判が出ています。しかし、はっきり言ってトンデモな内容で、本当に大丈夫なのか心配になってきます。この点についても、情報提供をしようと思っています。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
具体的にどの点が意味不明なのでしょうか?

久しぶりに質問させていただきます。このサイトには、
> 心理学側から特に強く指摘されている「バーナム効果」や「自己成就」の有無については、肯定派ですら暗に認めているかのような発言もみられ、
とありますが、「自己成就」があるとするなら、全ての調査結果で差が見られないとおかしいはずです。この点は、私が再三指摘してきたところですが...いかが思われますか?
また、「バーナム効果」は心理学の性格検査にも見られます。参考文献にある「血液型の迷路」では、心理学者の大村政男氏が認めている話があります。では、性格検査では「バーナム効果」が見られるから、心理学は疑似科学なのでしょうか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
ご指摘された箇所は「理論の論理性」項目における記述であるかと思います。つまり、当該箇所は「予言の自己成就」や「バーナム効果」を排除していない状態での理論構築がみられる、という文脈で用いています。実証実験データという意味とは区別しています。この点は「評定の基本的な考え方」もしくはトップページをご覧ください。※ただし本研究は試験運用の段階でありまして、研究全体の方法論に未成熟な点があることはご了承ください。
後半のご指摘に関しましては返答に難しいですね。まず、「性格」というものをどのように規定するか、また測定するか、ということに関して、心理学上でも完全な合意形成がされているとは言い難いです。例えば、「性格検査」には「遺伝的気質」は認められないといった言説も心理学上では見受けられますが、かといって「主要五因子」などでヒトの「性格検査」が”完全に”行えるとはとても言えないと考えます(現に、意図的な欺瞞に弱いといった弱点もあります)。かといって心理学が疑似科学だというわけではなく、これはむしろ「性格検査」に関する研究が非常に困難であることを意味しているかと思います。

前回は大変お手数をおかけしました。どうやら1行の長さが長いと文字化けが発生するようです。
さて、今回も前回の投稿の補足です。私は前回、「有名な特性」以外では、血液型が性格に影響する程度・方向は性別や年齢によって変わり、そのデータの裏付けもあると書きました。次はその具体例です。
大村政男氏による研究報告で、『「血液型気質相関説」と「血液型人間学」の心理学的研究II』(日本大学 研究紀要, vol. 46, pp115-155, 1993年)というのがあります。冠状動脈性心疾患(oronary Heart Disease, CHD)を発病しやすい行動パターンを意味するタイプA行動が血液型によって差があるかどうか調べたものです。この研究報告のデータを使って男性だけ計算してみると、O型がタイプA的な性格であることがわかります。念のために、χ2値を計算してみましょう。これは5.76という値が得られるので、2%以下で有意となります。確かにO型はタイプA的な性格であることが証明できました。タイプA的性格を示す質問の肯定率は、O型が46.6%、A型が43.3%、B型が43.0%、AB型は41.6%となりました。
しかし、女性では(有意差は出ていないものの)男性とは逆の傾向を示しているようです。このことは、血液型による影響が男性と女性とで正反対に表れる可能性を示しています。
別な例もあります。坂元章氏は年齢によって血液型の特徴に差があるかどうか調べてみました(山崎賢治・坂元章 血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析- 日本社会心理学会第32回大会発表論文集 pp288-291, 1991年)。彼によると『高年齢であるほど「A型的」特徴があてはまる』という結果が得られたとのことです。また、最近になるほど「日本人はB型的になってきている」そうです。
このように、血液型の特徴は性別、年齢、時代によって変わってきます。ですから、血液型の差を正確に比較しようとするなら、なるべく同質のサンプルで比較する必要があります。ランダムサンプリングをすると、「有名な特性」はともかくとして、微妙な差は性別、年齢、時代などの「ノイズ」に埋もれてしまう危険性があるのです。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
プログラム上の不備を見つけていただきありがとうございます。
近く改善いたします。

[前回と前々回の投稿が文字化けしている可能性がありますので、念のため同じものをもう一度投稿します。]
前回の投稿の続きです。
ところで、統計データの差はあくまで「見かけ上」のもので、本当は差がないのだという有力な反論も存在します。これらの差は「自己成就現象」や「思い込み」によるものだというのです(代表は聖徳大学の山岡重行氏)。この論点については、最近まで決着が付かなかったのですが、昨年出版された金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』が一石を投じました。しつこいようですが、過去の投稿を再掲します。
金澤氏は、その血液型特性が知られている割合と、データの差の大きさの関係に着目しました。仮に、血液型による統計データの差が「自己成就現象」や「思い込み」によるものなら、その特性が知られていればいるほど差が大きくなるはずです。逆に、ほとんど知られていない特性なら、「自己成就」や「思い込み」は小さいので、大きな差が出ることはありません。
結果は意外なものでした。その特性が知られている割合と、差の大きさには関係がなかったのです。また、ほとんど知られていない特性でも安定した差が見られました。つまり、血液型による統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」ではなかったのです! 実際の統計データはこちらです。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
さて、血液型による「自己成就現象」や「思い込み」が存在するなら、その人自身が下す性格判断(=性格検査)は間違っているということになります。日本人の7割程度は「血液型と性格に関係がある」と思っていますから、論理的には日本人の7割の性格検査の結果は間違っていることになります。この仮定が非現実的なのは明らかですから、血液型による性格の差を「自己成就現象」や「思い込み」だけで説明するのは元々無理があるのです。
統計データについて、前回の投稿に少し補足しておきます。個々の「血液型ステレオタイプ」の質問では差が出ていたものが、結果を5因子に集約する過程で差が相殺され消滅・減少した、というのには別の要因もあります。「有名な特性」以外では、血液型が性格に影響する程度・方向は性別や年齢によって変わるのです(データの裏付けもあります)。ですので、異なるサンプルをそのまま比較すると、同じ方向の差になるとは限りません。ましてや、個々の質問を性格因子に集約するなどしたら、どんな結果が出ても不思議ではありません。これが、多くの研究で一致した結果が出ない理由です。
最後に、5節にある査読者の反応についてです。血液型と性格を研究している人はかなり限られるので、査定者が誰なのかはある推測できてしまいます。例えば、第二査定者はほぼ間違いなくW氏でしょう。彼(彼女ではない)は正直な人ですから「しかし、この論文は(仮に正しいとしても)現在の●●が掲載を認めるものではないと思われる。(●●は学会名)」と述べています。また、「血液型性格学」に対する態度として「心理学者は決して感情で否定しているわけではない。むしろ感情では否定しているが論理として(あるいは職業倫理として)否定している心理学者が多いように見受けられる(代表的な方は大村政男先生)」(p106)ともあります。
しかし、彼なら統計的に差があることは十分に理解しているはずです。ですので、学会の重鎮としてあえて「タブー」に触れることはない、つまり「君子危うきに近寄らず」(p107)なのかなとも読めます。そういう意味では、現在の政治課題である「岩盤規制」に通じるものがあるのでしょう。ですので、p111「今後、関連説を検討するのであれば、否定論者らの領域を侵害せずに、最初から別の道を歩むのが現実的であろう」には全く同感です。では具体的にどうするか、というと現実的に難しいのも事実です。まずは、この掲示板で問題提起をするのも一つの行き方かと思うので、ここに駄文を弄している次第です。お手間を書けますが、どうぞよろしくお願いいたします。 (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
前回、前々回の投稿はやはり文字化けしておりましたので、サイト内に反映させるのはこのコメントとさせていただきます。
悪しからずご了承ください。

「心理学は何故、血液型性格関連説を受け入れ難いのか―学会誌査読コメントをテクストとした質的研究―」は非常に示唆に富む論文ですので、細かい点までコメントすると膨大な量になってしまいます。そこで、本当に重点を絞ってお話しすることにします。
さて、この論文の最大で問題と思われるのは、方法論を心理学に限ってしまっていることにあると思います。なぜなら、心理学にこだわらなければ、既存の統計データを説明するのはそれほど難しいことではないからです。素直にデータを読めばいいのです。
まず1点目です。p95には「1.調査結果は血液型ステレオタイプを反映した結果なのか」とあります。結論から言うと、調査結果には必ず「血液型ステレオタイプ」が反映されます。例えば、1986年のNHK世論調査(無作為抽出の首都圏15~69歳の住民1,102名)では「血液型と人の性格は関係ありそうだ」という質問に対して、75%が「そう思う」と回答しています(この割合は、日本でも韓国でも台湾でも、過去でも現在でもほぼ一定です)。
当然のことながら、現実の「自己認知」の調査結果もそうなっています。例えば、このサイトの参考文献でも、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
しつこいようですが、前回の投稿から再掲します。
「血液型ステレオタイプ」はここ何十年も日本に存在しているので、そういう質問をすれば必ず結果に差が出るはずです。つまり「血液型ステレオタイプ」に関する調査なら、差が出ないのは調査結果が間違っている、ということです。言い換えれば、血液型に関する調査なら、どんな調査でも差が出ないとおかしいし、差が出ていないなら調査自体に欠陥があると言うしかありません! これで、差が出るかどうかは解決です。
なお、過去に同じ議論をkikulog(管理者:大阪大学菊池誠氏)で行ったところ、最終的に私の上の意見に同意する人が多く、特に目立った反論はありませんでした。もっとも、管理者自身は最後まで「回答拒否」でした。
2点目に移ります。「血液型ステレオタイプ」ではなく、心理学の「性格検査」による調査では、明確に統計データに差が出ていない場合も少なくありません。この理由も簡単です。再度過去の投稿から再掲します。
Sung Il Ryu, Young Woo Sohn (2007). A Review of Sociocultural, Behavioral, Biochemical Analyses on ABO Blood-Groups Typology, Korean Journal of Social and Personality Psychology, 21(3), 27-55.
この論文では、「Big-Five Factor モデルを活用した研究では、すべて血液型と性格は関係がないという結論が下された(So Hyun Cho, 2005; Cramer, 2002; Rogers, 2003; Kunher, 2005)」とあります。しかし、詳しく調べてみたところ、
So Hyun Choなど(2005)から該当の研究の調査データの提供を受け、個別の質問項目に対してデータを再分析してみた/データを質問項目別に再分析してみた結果、10個の質問項目で有意な血液型との関係が発見された/このように、実際に血液型による差が存在するにもかかわらず Big-Five モデルはそれを感知することができないという事実が確認された。
と結ばれています。つまり、個々の「血液型ステレオタイプ」の質問では差が出ていたものが、結果を5因子に集約する過程で差が相殺され消滅・減少したためということになります。なお、So Hyun Cho (2005)の論文では、調査対象者に「血液型ステレオタイプ」があることは確認済みなので、差が出ないのは明らかにおかしいのです。
長くなったので、もう少し詳しい検討と、5節にある査読者の反応については次回にしようと思います。 (投稿者:ABO FAN)

ご紹介の文献は、私が読んだ血液型関連の研究報告(日本語)では、間違いなく5本の指に入ります。非常に知的好奇心を刺激する内容でした。また、学界の内幕をちょっと覗かせていただき、ありがとうございました。(笑)
しかし、少々失礼な言い方かもしれませんが、これだけ多くの文献をチェックし、自らも関連性を調査しながら、なぜ統計的に結論が出なかったのか不思議だ、というのも率直な感想です。
例えば、p96には「調査結果が血液型ステレオタイプの反映である、という批判をかわせない」とあります。確かにそのとおりでしょう。「血液型ステレオタイプ」はここ何十年も日本に存在しているので、そういう質問をすれば必ず結果に差が出るはずです。つまり「血液型ステレオタイプ」に関する調査なら、差が出ないのは調査結果が間違っている、ということです。言い換えれば、血液型に関する調査なら、どんな調査でも差が出ないとおかしいし、差が出ていないなら調査自体に欠陥があると言うしかありません! これで、差が出るかどうかは解決です。
では、なぜご紹介くださった主要5因子(ビッグファイブ)などの調査では(思っていたほどの?)差が出なかったのか。この理由も簡単です。個々の「血液型ステレオタイプ」の質問では差が出ていたものが、結果を5因子に集約する過程で差が相殺され消滅・減少したためです。以上は、私の勝手な推測ではなく、現実のデータによって裏付けられています。また、そのデータの多くは、私の過去の投稿で紹介されているものです。
さて、p106には相対性理論が当時の学会で認められなかった、というエピソードがあります。ニュートン力学が、重力による時空間のゆがみや、水星の近日点移動を説明できなかったのと同様に、既存の心理学で血液型と性格を解明できる、という素朴な仮定にそもそも無理があるのです。それは、p106に「血液型と性格を否定的に論じる現状が間違っている」とあるとおりでしょう。
詳しいことは、次回以降に何回かに分けて説明するつもりです。よろしければ、時間があるときにでもご一読いただければ幸いです。 (投稿者:ABO FAN)

すみません、前回の補足です。
大半の「疑似科学批判サイト」では、統計的に差がある論文が複数あるといったような「事実」を発言すると、ほぼ間違いなく無視・削除されます。ですので、きちんと回答いただいた松尾友香氏は非常に良心的な方だと思っています。それはこのサイトも同様です。決してお世辞ではありません。
また、文献のご紹介ありがとうございました。早速入手して読んでみたいと思います。もっとも「ABO式血液型と性格との関連性―主要5因子性格検査による測定」が統計的に差がないという知見を示しているのであれば、過去の多くの研究報告でのビッグファイブでの「統計的に差がない」という結果と一致します。そして、その理由も、
Sung Il Ryu, Young Woo Sohn (2007). A Review of Sociocultural, Behavioral, Biochemical Analyses on ABO Blood-Groups Typology, Korean Journal of Social and Personality Psychology, 21(3), 27-55.
でほぼ明らかになっています(「ビッグファイブ」では血液型の差は検出不可)。単独の質問項目では差が出ていたものが、主要5因子に集約する過程で差が(相殺されて)なくなるらしいです。言い換えれば、血液型によって性格検査の欠陥が証明された、ということになります。この点は、実際にご紹介の文献を読んでから質問させていただければと思います。どうかよろしくお願いいたします。 (投稿者:ABO FAN)

ご返事ありがとうございます。
> では具体的にどのような記述が妥当だと考えられますでしょうか?
「かなりの演出がある」を裏付ける根拠を示すべきだと思いますが、いかがですか?
例えばこんな感じです。このサイトの参考文献に掲げられている松尾友香氏の「よくわかる 最新血液型の基本としくみ」は(彼女が専門外のせいか?)細かいミスが結構あります。私が指摘したところ、次回にでも訂正しますとのことでしたが…どうなったのでしょう?
1. ABO式血液型の発見は1900年ですが、10ページでは190「0」年、11ページでは190「1」年になっています。
2. 能見正比古さんが、10ページでは能見正比「呂」と能見正比「古」、11ページでは能見正比「呂」になっています。
3. 稀血のBomb「a」yの表記が、15ページではpara-Bomb「e」yとなっています。
4. O型遺伝子は「O209」もあるはずですが、71ページではO101,O201,O303の3種類となっています。
5. 83ページでは、韓国のAB型は「10」パーセント(出典は「遺伝血清学」?)となっていますが、手元のデータ(韓国保健福祉部)では「13」パーセントです。
6. 120ページのHLAと男女の相性については、「自分と似ている方が評価が高い」という説と、逆に「自分と異なる方が評価が高い」という両方の説があります。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2008-10-20
7. 150ページでは、「血液型性格診断は、心理学の分野で否定されています」とありますが、否定の根拠となっている大村政男さんは、現在では血液型性格診断を必ずしも否定していません。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2009-10-22 http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2014-11-22
8. 176ページでは、「血液型性格診断は現在のところ医学的に肯定されていません。しかし、否定されてもいない」とありますが、同じページには血液型性格診断は「現在の科学・医学の常識では完全に否定されています」ともあります。どちらが本当なのでしょう? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
当該箇所は本項コメント欄における「テレビの血液型番組はウソなんですか?」に対する回答として「かなりの演出がある」という文脈で用いたものです。
「テレビの」に対する回答であるならばそれほど不自然な記述とも思えませんがいかがでしょうか?
また、ご指摘されていた参考文献に関するものについてですが、1、2、3については誤字・誤植という可能性もあるかと考えます。7につきましては、例えば別の参考文献「よい教育とは何か」内にある[原著論文]心理学は何故、血液型性格関連説を受け入れ難いのか―学会誌査読コメントをテクストとした質的研究―……清水武 をよろしければご覧くださいませ。
もちろん私はご指摘された文献の著者ではないため、上記も類推に基づくものでしかありません。やはり著者本人、あるいは(既になさっているようですが)出版社へ問い合わせたほうがよいかと思います。

訂正ありがとうございました。しかし、
> かなりの演出があると見た方がよいです。そうした番組は青少年に悪影響がある、放送基準に抵触するおそれがあると、BPO(放送倫理・番組向上機構)から指摘(2004/12)されています。
ということは、「悪影響がある番組は悪影響がある」ということでしょうから、トートロジーのような気がします。繰り返しになりますが、控訴審の判決文は、
学術的に裏付けられた内容で、しかも、青少年にも配慮して番組を制作することを否定する趣旨を含むものとは解されない。
ですから、「悪影響がないなら放送してもよい」ということです。つまり、「悪影響がないものは悪影響がない」ということで、管理者さんが「かなり演出があると見た方が良いです」と推測するには、具体的な根拠を挙げないと何も言ってないことになりませんか? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
では具体的にどのような記述が妥当だと考えられますでしょうか?

しつこいようですが、この血液型の血液型性格診断の最初の投稿では、
> テレビの血液型番組はウソなんですか? (投稿者:swc14)
> かなりの演出があると見た方がよいです。そうした番組は青少年に悪影響がある、放送基準に抵触するおそれがあると、BPO(放送倫理・番組向上機構)から指摘(2004/12)されているのに、いっこうに根絶されません。
とありますが、前回の投稿に書いたように、岡野誠氏が提訴した「BPO血液型慰謝料請求事件」の控訴審判決では、
「本件要望が、(中略) 血液型と人間の性格、行動パターン、病気等との関係を学術的に研究する学問自体の存在自体を否定したり、これについても占いの類と同列であるとして否定的な評価をしたりするものではないし、学術的に裏付けられた内容で、しかも、青少年にも配慮して番組を制作することを否定する趣旨を含むものとは解されない。」
とあるので、少なくとも「根絶されません」という管理者さんの回答は事実に反します。回答を訂正された方がよろしいかと思いますが? (投稿者:ABO FAN)

ABOFAN様
ご指摘の通り、「根絶」というのは表現が強すぎました。
訂正させていただきます。
ありがとうございました。

情報提供&質問です。
ほぼ10年前の2004年12月8日に出された、BPO青少年委員会の『「血液型を扱う番組」に対する要望』では、血液型番組は“非科学的”と断定しています。次は、この「要望」の抜粋です。
民放連は、放送基準の「第8章 表現上の配慮」54条で、次のように定めている。
(54)占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない。〔解説〕現代人の良識から見て非科学的な迷信や、これに類する人相、手相、骨相、印相、家相、墓相、風水、運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを肯定的に取り扱わない。
これらを踏まえ、青少年委員会としては、「血液型を扱う番組」の現状は、この放送基準に抵触するおそれがあると判断する。
しかし、この「要望」に対して研究家の岡野誠氏が提訴した結果、原告敗訴になったにもかかわらず、この「要望」は実質的に取り下げられています。次は、2012年7月19日に出た控訴審判決からの抜粋です。
本件要望が、(中略) 血液型と人間の性格、行動パターン、病気等との関係を学術的に研究する学問自体の存在自体を否定したり、これについても占いの類と同列であるとして否定的な評価をしたりするものではないし、学術的に裏付けられた内容で、しかも、青少年にも配慮して番組を制作することを否定する趣旨を含むものとは解されない。
ですので、この明治大学のサイトに「現在一般認知されている血液型性格診断は疑似科学だと位置づけるのが妥当であり、そこで語られているものに科学的根拠は全くない。」とあるのはいかがなものでしょうか? 今まで私が示してきた統計データを覆すような根拠はあるのでしょうか?
私の情報提供や質問には全て回答拒否?(一部の回答は撤回?)ということであれば、私の情報は正しいと認めているということでしょうか? 回答拒否なら、このサイトは何のために存在しているのでしょうか? いろいろと素朴な疑問が湧いてきているところです。 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿の補足です。
海外でのビッグファイブの研究の一覧は、次の韓国の論文に紹介されています。
Sung Il Ryu, Young Woo Sohn (2007). A Review of Sociocultural, Behavioral, Biochemical Analyses on ABO Blood-Groups Typology, Korean Journal of Social and Personality Psychology, 21(3), 27-55.
この論文では、「Big-Five Factor モデルを活用した研究では、すべて血液型と性格は関係がないという結論が下された(So Hyun Cho, 2005; Cramer, 2002; Rogers, 2003; Kunher, 2005)」とあります。しかし、詳しく調べてみたところ、
・So Hyun Choなど(2005)から該当の研究の調査データの提供を受け、個別の質問項目に対してデータを再分析してみた。
・データを質問項目別に再分析してみた結果、10個の質問項目で有意な血液型との関係が発見された。
・このように、実際に血液型による差が存在するにもかかわらず Big-Five モデルはそれを感知することができないという事実が確認された。
と結ばれています。 (投稿者:ABO FAN)

情報提供です。
心理学でよく使われている性格検査では、血液型による性格の差をうまく検出できません。例えば、世界的に使われている「ビッグファイブ」を使った研究では、その多くは差が出ていないのです。やはり、血液型と性格を分析するには、既存の心理学では力不足なのかもしれません。論文の一覧は次のとおりです。
Sohyun Cho, Eunkook M. Shu, Yoenjung Ro (2005). Beliefs about Bloot Types and Traits and their Reflections in Self-reported Personality. Korean Journal of Socail and Personality Psyochology, 19(4), 33-47.
Cramer, K. M., & Imaike, E. (2002). Personality, blood type, and the five-factor model. Personality and individual Differences, 32, 621-626.
Rogers, M., & Glendon, A. I. (2003). Blood type and personality. Personality and Individual differences, 34(7), 1099-1112.
Kunher, Wu, Kristian, D. L., & Jerry, W. Lee (2005). Blood type and the five factors of personality in Asia, Personality and Individual Differences, 38, 797-808.
川名好浩(川村学園女子大学)血液型性格判断 -Big Five でのプロフィール- 日本心理学会第67回大会論文集 p156 (2003年)
森圭一郎、原野睦生、江藤義典、津田彰、内村直尚(久留米大)、中川康司(奈良県医大)TCIとBig5による性格とABO式血液型の関連解析 日本生物学的精神医学会プログラム・講演抄録 第27巻 p306 (2005年)
血液型と性格の関連についての調査的研究 久保義郎・三宅由起子 吉備国際大学研究紀要(社会福祉学部)第21号 p93-100 (2011年)
詳しくは私のブログにあります。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2015-02-19 (投稿者:ABO FAN)

前回の投稿が掲載拒否(?)のようなので、今回は単純に事実の指摘&質問をしてみます。
さて、このサイトの参考文献では、同じ統計データを使いながら、統計的に有意な差があるかどうか正反対の結論が得られているものがあります。
1. 次の文献のデータは約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
2. しかし、1.と同じデータを使いながら、「統計的に有意な差がない」という研究が直後に紹介されています。もっとも、この文献では1.の11年分のデータのうち、4年のみを使っています。
以上の結果は、ABO式血液型による性格の差には、年度を越えた一貫性がみられないことを明らかにしている。本資料のデータから見る限り、血液型ステレオタイプは妥当性を欠くと結論される。「血液型による性格の相違に関する統計的検討」松井 豊(1991)
管理者さんは、1.と2.のどちらの結論が正しいと思われますか? (投稿者:ABO FAN)

今回の情報提供は、一昔前の2007年に韓国心理学会誌上に発表された論文の紹介です。
孫栄宇[教授] 劉聖益[研究員] 延世大学校 血液型類型学研究に対する概観:社会文化的,行動科学的及び生化学的観点で Sung Il Ryu, Young Woo Sohn, A Review of Sociocultural, Behavioral, Biochemical Analyses on ABO Blood-Groups Typology
韓国心理会誌:社会及び性格 Korean Journal of Social and Personality Psychology, 2007, Vol. 21, No. 3, pp. 27~55
珍しいことに、既存の心理学に対する批判が書かれています。以下はその意訳です。
血液型性格学に対する論議自体をタブー視する傾向
・血液型性格学に反対する根拠として、一部の専門家が血液型と性格の関係には全く根拠がないと主張している事実をあげたりする
・日本の心理学者である渋谷昌三(2006)の著書には、「医師や生理学者の間でも、血液型が人間の性格に影響を与えるとは理論的に考えにくいという見解が主流になっている」という表現がある
・しかし、この考えを支持するに値するどんな客観的な研究の内容も示されていない
・血液型性格学に強く反対しながらも、客観的なデータを提示することはできないようだ
・一部の心理学者は、人々が血液型性格学を信じることは、確証バイアス、バーナム効果、自己成就予言などによるものと分析している
・しかし、これらが血液型性格学を否定することができる根拠になるのではない
・このように、学界では血液型性格学に対する研究と論議自体をタブー視する傾向が現われている
また、この研究では、過去の先行研究をメタ分析的な手法を使って解析した結果、A型は内向的、O型は外交的といった傾向が現れたとしています。
そのほかに、既存の性格検査では血液型による性格の違いを正しく検出できないのではないか、という問題提起もあります。この点については、改めて説明するつもりです。 (投稿者:ABO FAN)

引き続き情報提供です。
2014年7月28日9時からの放送大学「錯覚の科学('14)」第13回「科学的思考と錯覚」(信州大学 菊池聡氏)で、初回に放送された血液型性格判断の批判部分に間違いがあり、訂正放送になりました。初回の放送は2014年7月4日16時からでした。
差し替えになった部分は、大村政男さんの「ラベル付け替え」の実験です。この実験は、別の血液型の特徴を、その血液型と言って示すと信じてしまうので、血液型と性格が関連する「科学的な根拠はない」というものです。
初回の放送では、パネルによる説明で、本当の特徴のO型とAB型が逆になっていたのです。単純ミスなのだろうと思いますが、誰も気が付かなかったのでしょうか? 訂正放送では、この「ラベル付け替え」の実験の説明が全て削除されました。全部削除する必要はなかったのではないかと(私は)思うのですが…。
ただ、これに限らず、意外と否定の根拠が曖昧な(あるいは今回のように間違っている)例は多いので、きちんとしたチェックが必要です。 (投稿者:ABO FAN)

韓国では、脳波の測定結果が血液型によって違うという研究が公開されています。それによると、O型はストレスに強いのだそうです。内容を簡単に紹介しておきます。
韓国産学技術学会論文誌 (Journal of the Korea Academia-Industrial cooperation Society / v.12 no.6, 2011年, pp.2554-2560)
成人の血液型と性格と抗ストレスとの関連性の研究 (A Study on the effects of one's blood type on emotional character and antistress of adults) http://kiss.kstudy.com/journal/thesis_name.asp?tname=kisskw&key=50117192
キム・チュンシク(ソウルベンチャー情報大学院大学); イ・ソンギュ(ソウルベンチャー情報大学院大学)Choong-Shik Kim and Seon-Gyu Yi (Dept. of Information Management, Seoul University of Venture & Information)
要約 この研究では、成人の血液型が性格やストレス抵抗力との相関関係があるかを個人が持つ脳神経生理学的指標である脳波測定を用いて比較してみた。対象者は、2006年9月から2009年12月までに韓国精神科学研究所に脳波測定依頼した成人(20歳-59歳)を基準に選定した。男性1415人、女性3221人で総数は4636人である。血液型の分布は、A>B>O>AB型の順であった。分析の結果、成人の血液型と感情的な傾向とは無関係だった。しかし、ストレス抵抗力とは有意差があった。つまり、O型が他の血液型に比べて注意指数や抗ストレス指数で非常に異なっていた。ストレスを乗り越えることができる能力が高いと言えるだろう。この研究の結果、いくつかのカテゴリで血液型と意義のある相関関係を示した影響や遺伝的な役割がどのように影響するかの作用機序を解明するための研究が必要であると考えられる。http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2014-08-16
書くべきことはまだまだあります。例えば、韓国の研究の紹介/放送大学での修正放送/BPO裁判の結果/心理学の限界…です。しかし、一気には無理なので、焦らないでやっていこうと思います。 (投稿者:ABO FAN)

科学的なサイトのコンテンツは「事実」に基づいて書くべきでしょう。このサイトのコンテンツ作成者は、きちんと参考文献を読んでいると信じています。まさかとは思いますが、どこかの資料のコピペなら、ST○P細胞の二の舞になってしまいます。私が言うのもおこがましいのですが、しっかりとした事実確認を重ねてお願いする次第です。
では、次の情報提供です。
前回の投稿で、「血液型による差が自己成就現象によるものなのかどうかは検討が必要です」と書きました。坂元氏や山岡氏の心理学論文では、統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」によるもの、という結論になっています。ところが、彼らの論文を読んでみると、その検証は間接的なもので、直接的なものではありません。私が知る限り、直接的に検証したのは金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』のみです。ここでは、その内容を簡単に紹介します。
金澤氏は、その血液型特性が知られている割合と、データの差の大きさの関係に着目しました。仮に、血液型による統計データの差が「自己成就現象」や「思い込み」によるものなら、その特性が知られていればいるほど差が大きくなるはずです。逆に、ほとんど知られていない特性なら、「自己成就」や「思い込み」は小さいので、大きな差が出ることはありません。
結果は意外なものでした。その特性が知られている割合と、差の大きさには関係がなかったのです。また、ほとんど知られていない特性でも安定した差が見られました。つまり、血液型による統計データの差は「自己成就現象」や「思い込み」ではなかったのです! 実際の統計データはこちらです。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
さて、血液型による「自己成就現象」や「思い込み」が存在するなら、その人自身が下す性格判断(=性格検査)は間違っているということになります。日本人の7割程度は「血液型と性格に関係がある」と思っていますから、論理的には日本人の7割の性格検査の結果は間違っていることになります。この仮定が非現実的なのは明らかですから、血液型による性格の差を「自己成就現象」や「思い込み」だけで説明するのは元々無理があるのです。
次回は、韓国で行われた脳波の研究を紹介します。
(投稿者:ABO FAN)

引き続いての情報提供です。
実は、日本人の統計データであれば、必ず差が出ているのです!
このことは、血液型と性格の研究をする心理学者の間で「公然の秘密」となっています。
ですから「統計データに差がない」と正面切って主張する人は、現在ではかなり少数派となってしまいました。せいぜい、「日常性格に影響はないことは証明されている」程度でお茶を濁しているのが現状です。言い換えれば、差が出ていること自体は否定しないということになります。
理由は簡単です。
坂元氏(あるいは前回取り上げた山岡氏)の論文の結論は、①日本人の大多数は血液型と性格の知識を持っている②自己成就現象によって自己評定の性格が血液型の影響を受けている③よって日本人の性格の自己評定のデータ(=ほとんどの心理学の研究論文)には血液型による差が見られる、というものです。このことは現在の日本人一般に適用できるはずなので、どの日本人の統計データも必ず血液型による差が出ることになります。逆に、関連リンクにある『「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)』で差が出ていないのは、質問の内容が経済的なものだけで、血液型に関するものがないからだ、と考えるしかありません(論理的には…です)。
その意味では、この「統計データに差がない」という縄田氏の論文が日本心理学会の学会誌『心理学研究』に掲載されたのは、たまたま査読者がこの「公然の秘密」を知らなかったのか、あるいは知っていながら「何からの意図」があって、あえて掲載したかのどちらかでしょう。いずれにしても、科学的だとは言えないのではないでしょうか?
さて、本題に戻ります。以上のことから、現在では統計データに関しては「予測性は高い」ということが確定しています。ただし、血液型による差が自己成就現象によるものなのかどうかは検討が必要です。
この点については、既出の金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学』に説明があるので、次回にでもポイントを絞って説明する予定です。
よろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN)

引き続き情報提供です。統計的に関連性があるという論文の例です。
1. 山崎賢治・坂元章 血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析- 日本社会心理学会第32回大会発表論文集 1991 →血液型と性格の自己報告との間の相関は、弱いが認められた。さらに、一般の人々の性格の自己報告は、大学生の血液型ステレオタイプに合致していることがわかった。
また、最近の研究報告では、統計データに差があるという方が(どちらかというと)主流です。次にサンプルを示します。
2. 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響 工藤 恵理子(東京女子大学)日本心理学会大会発表論文集 2009 →全体として、血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
3. 血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響 山岡 重行(聖徳大学人文学部)日本社会心理学会大会発表論文集 2006 →高受容群では11項目で血液型の主効果が認められ、低受容群でも2項目で血液型の主効果が認められた。
4. 潜在的な血液型ステレオタイプ信念と自己情報処理 久保田健市(名古屋市立大学)日本心理学会大会発表論文集 2007 →特性語の種類の主効果(F(1,32)=9.80, p<.01)と特性語の種類×参加者の血液型の交互作用(F(3,32)=3.22, p<.05)が有意だった…定義づけ課題の結果についても,同様の2要因分散分析を行ったところ,特性語×参加者の血液型の交互作用が有意だった.
5.「血液型性格学」は信頼できるか(第30報)I 大村政男(日本大学)ほか 日本応用心理学会大会発表論文集 2013 →総理大臣に選出される衆議院議員の血液型はTable 4に示してあるようにO型が多数である。
6. Blood-type distribution,Beom Jun Kim, Dong Myeong Lee, Sung Hun Lee and Wan-Suk Gim, Physica A: Statistical and Theoretical Physics Volume 373, 1 January 2007, Pages 533-540 A psychological implication for the case of B-type males is also suggested as an effect of a distorted implicit personality theory affected by recent popularity of characterizing a human personality by blood types. [大意]MBTI検査では、ただ1つB型男性を除いては血液型による差がなかった。これは、血液型ブームによる歪みが現れたものと考えられる。
どうかご確認下さい。 (投稿者:ABO FAN)

引き続き情報提供です。なお、過去の私の質問はすべて「回答拒否」され、以前の2つの回答も全て削除されましたので、当分の間は「質問禁止」と判断します。「回答拒否」の理由も「回答拒否」なのでしょうか?
さて、前回の投稿を補足しておきます。「自己評定の性格でA型とB型には有意な差が見られたが、それは1984年より後のことであった。」とありますが、現実のデータでは11年間の全ての年に同じ方向で差が出ています(1992年の文献参照)。ですので、結果は「11年間安定して差が出ている」と考えるのが妥当です。
次に、関連リンクにある『「血液型と性格の無関連性」縄田 健悟(2014)』についての情報提供です。この論文は、昨年7/19読売新聞(夕刊)の記事になりました。内容は、日米1万人超を調査を統計的に分析した結果、意味のある差が見られなかったというものです。つまり、統計データで差がないから血液型との関係はない、ということで、それがそのまま論文タイトルになっています。
しかし、この論文にもいくつか問題があります。主に①冒頭で紹介した日本人3万人超のデータで「11年間安定して差が出ている」と結果とは明らかに矛盾する②質問が経済的なもので性格についてのものがない、です。しかし、最大の問題は統計的に差があった結果を無視していることでしょう。具体的には①アメリカでは極端にAB型が少ないので、有意差が見かけ上低く出ている(補正すると有意な差がある)②アメリカ人の質問で「Q22: If you make a critical decision, take risks or avoid」は有意な差があるが無視されている、の2つです。詳細は、次の私のブログで紹介しています。
http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2014-07-19
http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2014-08-08
どうかご検討下さい。こちらはabstractを除くと全て日本語なので、読むのはそれほど難しいないはずです。よろしくお願いします。 (投稿者:ABO FAN)

おお、とりあえず無事に掲載されたようですね。では、前々回の回答
> ABOFAN様が再三論拠として提示されている論文のConclusionにおける文脈の読解について、大変お手数ですが全文訳をコメント欄に掲載していただけないでしょうか?
について、ある程度ご要望にお応えします。
私の解説でよければ拙サイトをご覧ください。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/sakamoto.htm
同一執筆者によるほぼ同じ内容が日本語で読めますので紹介します。
1. 山崎賢治・坂元章 血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析II- 日本社会心理学会第33回大会発表論文集 pp342~345 1992
2. 山崎賢治・坂元章 血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析- 日本社会心理学会第32回大会発表論文集 pp288~291 1991
3. 現代のエスプリ No.394 血液型と性格 1994
次の書籍も参考になります。
4. 白佐俊憲・井口拓自 血液型性格研究入門 1993
また、abstractを試しに訳出(一部意訳)します。こちらの方が本文よりはるかにわかりやすいです。原文は省略します。
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最近の日本で広く普及している血液型ステレオタイプが、日本人の性格に影響し、自己成就予言として働いているかどうかを調べるために実験を行った。1978年から1988年まで、毎年無作為に選ばれた32,347人の被験者のデータを分析した。その結果、自己評定の性格でA型とB型には有意な差が見られたが、それは1984年より後のことであった。1984年には血液型に関連する話題が非常に多かったのである。このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している-少なくとも自己評定の性格では-血液型は自己成就予言として働いているが、影響の大きさには検討の余地がある。
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もっとも、上の内容にはいくつか問題点があります。①1984年の話題の多さが出版点数のみで販売部数は考慮されない②自己成就予言の直接的な存在証明がない、です。①は明らかに妥当ではなく②は金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』で直接的に否定されています(多く知られている特性でも差が小さい場合が多く、逆に知られていないのに差がある特性もある)。②の要約は拙サイトにあります。http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/bias.htm
長文失礼しました。 (投稿者:ABO FAN)

今回は長文で失礼します。
さて、前回の管理者さんの回答には大変驚きました。
というのは、今日の朝にあった回答が、お昼には跡形もなく削除されていたからです。そして、なんと最初の投稿の回答も全て削除されていました!
確かに、投稿の確認画面には「掲載された投稿・回答は、予告・事後報告なしに変更・削除されることがあります。」と注意書きが表示されます。しかし、これでは、投稿はもちろん、サイト内の全文章がいつのまにか書き換えられている可能性も否定できません。コンテンツの信頼度に影響が出るのではないですか?
念のため、サイト内の注意書きを見ましたが、「※投稿された記事やコメントは運用管理者が承認した後、掲載されます。」は誰にでもわかるように表示されますが「掲載された投稿・回答は、予告・事後報告なしに変更・削除されることがあります。」という注意書きは、投稿の確認画面のみのようです。変更・削除するなら、せめて基準を明確にし、もう少し目立つように表示するべきではありませんか?
もちろん、投稿を削除する必要性は認めます。が、それは誹謗・中傷などに限られるべきで、多少の批判を掲載するのなら、かえってサイトの信頼性が上がるのではないですか?ましてや、ここは「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」ですから、もっとオープンなスタンスを取るべきなのではないでしょうか?どうかご一考下さい。
今回はテスト的に、削除された回答をそのまま再掲します。私には、前回の回答はともかく、最初の回答は削除すべきものとは思えません。なお、前者の要望については全文訳出ではなく、論点のまとめ程度でよいなら、よりよい科学的議論のために提供する用意があります。
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まず、最初の投稿に関する回答です。
ご投稿ありがとうございます。
ご指摘の件に関してですが、大変恐縮ですが少々文脈を取り違えて読んでおられるのかもしれません。
冒頭の「ヒトの性格や相性を客観的に判別可能」とは、血液型性格診断における主張を簡潔にまとめたものとして記述しております。
そして、おそらくタイプミスかと思われますが、(データの透明性)→(データの再現性)におけるご指摘箇所の記述は、文字通り「データの再現性」についてのものであります。
該当箇所をそのまま記載いたしますが、
血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。そのため、「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」と言い訳ができてしまう。このように反証データを得ても、再現性を否定できる構図にないので、評価は低い。
というデータの再現性という観点からの評定でございます。
なお、「データの再現性」という評定項目については「トップページ」あるいは「評定の基本的な考え方」をご覧ください。
----
次は前回の回答です。
何度もご投稿ありがとうございます。
ご指摘の通り、私の英語能力は大変未熟であります。申し訳ありません。
そこで、ABOFAN様が再三論拠として提示されている論文のConclusionにおける文脈の読解について、大変お手数ですが全文訳をコメント欄に掲載していただけないでしょうか?是非よろしくお願いいたします。
----
最後に、この投稿が「不掲載」にならないよう強く希望します。 (投稿者:ABO FAN)

深夜にもかかわらず、私の投稿を掲載していただきありがとうございます。しかし、直前の2つの投稿の質問には「回答拒否」ということですか?単純な質問ですから、回答に手間も時間がかるはずもなく理解に苦しみます。
では、当分の間は「回答拒否」という前提で進めることにします。
> ただ、抜粋された箇所のすぐ後にself-reported persnalities at least とあり、自己申告制に基づいたものにおいて、と限定していることが見受けられます。
正直驚きました。たぶんこの文献を「素直」に解釈した結果なのでしょう。ただ、これで、少なくともこのサイトの「血液型性格診断」の記述が矛盾していることを自ら認めてしまったことになります。
なぜなら、管理者さんがおっしゃるように、この文献の結論が正しいとすると、1984年以降の統計データは「自己申告制」(=心理学のほぼ全データ)なら「全て」差があることになるからです。つまり(自己申告制のデータなら)「ABO式血液型と特定の性格傾向性の研究が客観的な形で肯定されている」と言えるのです。
おそらく、このサイトの「血液型性格診断」は、ほとんど参考文献を読んでおらず、データの整合性もチェックしない状態で書かれたものと推測されます。言い過ぎということであれば、ぜひご意見をお聞かせ下さい。
「回答拒否」はともかく、この投稿が「不掲載」にならないことを祈っています。 (投稿者:ABO FAN)



「情報提供、コメント、質問を歓迎します。」とのことなので、遠慮なく投稿させていただきます。
さて、前回の質問に回答いただけないところを見ると、管理者の方は(参考文献にある)能見正比古さんの著作は読んだことがないと思われます。では、別の参考文献について確認させてください。
○データの再現性 (低)
血液型と疾患といった前項にて言及した研究にまで評定範囲を広げたとしても、それらもまだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
とありますが、「一万人規模のアンケート調査」(約3000人×11年)かつ「統計的な有意差が出た研究」が参考文献として紹介されています。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities...
このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している...
「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
質問1 管理人さんはこの文献の原文は読まれましたか?
質問2 この文献(約3000人×11年)でもデータ不足ですか?
質問3 この文献でもデータ不足というなら、どのぐらいのデータが必要と思いますか?
私の質問が「不掲載」や「回答拒否」にならないことを祈っています。 (投稿者:ABO FAN)

短時間での再投稿で恐縮です。
ただ、これで管理者の方が能見正比古氏の著作を読まれていないことがほぼ確実になったと考えます。お手数ですが、能見正比古氏の著作から「ヒトの性格や相性を客観的に判別可能」と判断された原文を引用ください。
私は能見正比古氏の著作はほとんど読みましたが、そういう記述があるとは信じられませんので。が、私の記憶違いの可能性もゼロではありませんので、お手数ですが確認したく。
例えば、彼の血液型十戒にはこうあります。
1. 血液型で、人の性格を、決め付けてはいけない。
2. 血液型が、性格のすべてであると思ってはいけない。
[以下略]
なお、統計データの再現性はあります。もし疑問に思われるのであれば、例えば金澤正由樹氏の『統計でわかる血液型人間学入門』などをお読みになってはいかがですか。長くなるので説明は省略します。
(投稿者:ABO FAN)

疑似科学否定の活動お疲れ様です。
しかし、あまりにも初歩的なミスが多いので、早めに訂正された方がいいかと思い、老婆心ながらお知らせしておきます。
代表例です。
○血液型性格診断の冒頭
血液型性格診断言説では、上記の血液型[ABO式血液型]の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
○データの透明性 (中)
血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
よろしくお願いします。
なお、詳細はブログにあります。
http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2015-02-08 (投稿者:ABO FAN)

テレビの血液型番組はウソなんですか? (投稿者:swc14)

かなりの演出があると見た方がよいです。そうした番組は青少年に悪影響がある、放送基準に抵触するおそれがあると、BPO(放送倫理・番組向上機構)から指摘(2004/12)されています。

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