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鍼灸

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

 本項では鍼灸治療に関して、その科学的研究の姿勢、手法、論文発表などを総合的に考慮し、それを評価する。鍼灸とは、身体に鍼や灸を用いて刺激を与えることにより様々な疾患に対して治療効果を与える医療技術のことを指している。
 本項での総評では、医療技術という観点に立った臨床現場でのエビデンス、鍼灸の技術面における科学研究の信頼性を重視する立場をとっている。また、本研究は鍼灸治療における個別疾患への有効性を議論の主戦場とはせず、鍼灸治療分野全体における科学研究について評定するものとする。よって本研究における各評定項目における評価が個別疾患における有効性をそのまま保証しているわけではない。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 (中)

 鍼灸治療における論理体系は古代中国の春秋時代、あるいは戦国時代にその初期の体裁が整えられたと考えられている。それによると、人体には経絡という人間の生命力が流れる道が存在しその道の流れが何らかの形で妨げられると健康状態でなくなる、つまり病的状態になるといわれている。そこで、鍼や灸を使い経絡上にある各症状への適切な経穴(ツボ)を刺激すれば経絡における生命力の流れが取り戻せ、症状が恢復する、というのが鍼灸における初期の理論である。現代の鍼灸医学においても大筋ではこの論理を踏襲している。
 このような理論においては、人体に経絡というものを想定し、さらに各々のツボがどのような症状に対して有効なのかを仮説検証しなければ論理的とはいえない。しかし、どのツボがどの症状に効果があるといった論理は歴史的逸話に基づいた経験的な主張でしか語られておらず、そのような意味においては鍼灸の論理性は低いと言わざるを得ない。
 ただし、現代の鍼灸医学では神経科学的な知見も取り入れており、例えば鍼灸の脊椎後角鎮痛作用におけるゲートコントロール仮説といった有力な新しい説も提唱されている。このように、トップダウン的な論理構築だけでなく、実証主義に基づいた論理体系の構成も現代鍼灸研究には見受けられる。
 鍼灸の臨床現場においては経絡やツボといった考え方がまだ主流である、という社会的な現状については一言を付さなければならないが、基礎研究領域では合理的な論理体系が形成されつつあるという評価ができると考える。よって、論理性は中程度と評定する。

理論の体系性 (中)

 論理性項目でも述べたが、鍼灸では経絡と経穴(ツボ)といったものを想定しており、これは現代の解剖学的知見とは相いれない主張となっている。そのため、経絡やツボという概念が新たに現代科学で認められない限り体系性は高くならない。しかし、現代の鍼灸研究では神経科学的知見も積極的に取り入れており、そのような面から論理が構築できれば現代科学との整合性もとれ、体系性も高評価となる。現状ではまだ体系性が十分でないため、ここでの評価は中程度とする。

理論の普遍性 (中)

 客観性項目でも少々述べたが、鍼灸治療においては個人による効果サイズのばらつきが非常に大きい。そのため、厳密な研究体制が整っていても「誰」の「どのような疾患」まで鍼灸の有効性を示すことができるかを一般化するのは困難であるといえる。このことは、WHO、「コクラン共同計画」、医学誌論文、鍼灸学誌論文、他の学術論文において特定疾患への有効性やその効果サイズが異なっていることからもわかると考える。現在までのところ、どの研究における鍼灸の有効性が最も妥当で信頼性が高いかについては各方面で議論が続いておりまだ決着していない。そのため、本研究における普遍性評価も、どの研究を支持する立場をとるかによって変動しうるため暫定的なものにならざるを得ない。
 つまり、鍼灸治療全体の理論としては普遍的なものではないものの、ごく一般的な病態に対して有効性があり、そのような意味においては普遍性があると評価できる。以上の立場から普遍性を中程度であると評する。各研究を包括し、効果サイズ、疾患、患者を特定した発表を今後期待したい。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 (高)

 鍼灸治療におけるデータの再現性は、その評価が非常に困難であるということをまず前提として述べる。それは、鍼灸治療における「特定」疾患への有効性を、データの再現性という観点からはとらえにくいと考えるからだ。鍼灸治療においては、その有効性の効果サイズが個人によって大きくばらつくということが原因であると考える。例えば、大筋では鍼灸治療に懐疑的な立場をとっている「コクラン共同計画」においても腰痛、頭痛には多少前向きな報告がなされている。しかし、それとWHOや鍼灸学界、さらに言えば臨床現場で報告されている有効性では効果サイズがそれぞれ異なっており、データの再現性という意味において個別疾患への有効性に焦点をあてた場合、現状では評価が困難であるということがわかる。
 ただし、鍼灸治療全体を俯瞰した場合、研究報告の発表バイアスを考慮してもその有効性にはデータによる裏付けが繰り返しなされている。つまり、鍼灸治療研究全体においてはデータの再現性が十分であるといえ、論文発表なども極めて充実しているといえる。本項冒頭で述べたように、本研究においては個別疾患における有効性を評価の基準とはしないという立場をとっている。そのため、鍼灸治療研究全体におけるデータの再現性は高いと評価する。

データの客観性 (高)

 上でも述べたが、例えば「全日本鍼灸学会」や「WFAS」に論文投稿する場合、利益相反の有無の記載が義務付けられており、鍼灸研究において、権威による断定や市場利益を優先した研究は排除される仕組みとなっている。
 また無作為化対照実験の有無についても近年の研究報告は主観的効果を認めない実験デザインをしており、研究環境としても問題は見当たらない。これはWHOによる鍼灸治療のガイドライン声明や、そこでの無作為化対照実験の研究対象をさらに厳しく厳密化した「コクラン共同計画」において確認することができる。WHOにおける声明ではかなり広範囲において鍼灸治療の有効性を認めており、より厳しく分析している「コクラン共同計画」においても頭痛、腰痛、化学療法を原因とする吐き気、首の疾患、夜尿症には多少肯定的である立場をとっている。よって、本研究におけるデータの客観性も高いと評価し、すなわち現代の鍼灸研究は極めて客観的だと位置づけられる。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 (中)

 現在、鍼灸治療の効果に合致した形での研究や実験が主流であり、実際にそれに沿ったデータが収集されている。また、そういった厳密性を鍼灸界ではむしろ求めており、理論面を充実させる体制もできつつある。
 ただし、臨床現場(すべてではないが)においては、そのような認識とはまだ少し距離があるのが実態であり、治療効果について患者の主観に依るものも多い。

理論によるデータ予測性 (中)

 鍼灸における研究は他の医療分野と比べても遜色のないほど盛んに行われており、その方法論や研究体制にも特に問題点は見当たらない。鍼灸理論の普遍性における課題は残っているものの、鍼灸に何らかの鎮痛作用があるということには現状疑いの余地はない。  
 ただし、「夜尿症」といった鎮痛作用のみでは説明のつかない症状に対しても鍼灸研究では有効性を示すデータが報告されているため、「データの再現性」といった面からは認められるものの、そのような有効性に「理論」が追いついていない状況となっている。今後は理論面での整備が必要となってくるだろう。
 以上のような理由により、鍼灸治療のデータ予測性も中程度と評価する。

社会的観点

社会での公共性 (高)

 鍼灸では臨床現場での成果だけでなく、研究を社会的に発表、還元する制度も世界的に整っている。日本を例に挙げると、「全日本鍼灸学会」「日本鍼灸師会」といった学会が積極的に活動しており、研究論文などの発表なども定期的に行われている。他では、ドイツにおいても鍼灸が一部正統医療として“定義”されていたりと、社会的、公共的な仕組みとなっていることがうかがえる。
 世界的には「WFAS (The World Federation of Acupuncture-Moxibustion Societies)」が中心的組織として活動しており、各国の研究機関での成果がそこに集合している。また、「全日本鍼灸学会」「WFAS」では論文投稿時における査読、利益相反関係の有無、といったことを細かく規定しており、制度上の問題も特に見当たらない。さらに、BMJ(British Medical Journal)など本流医学誌での質の高い鍼灸研究論文発表もみられ、医学会との親和性も高いと判断できる。よって、社会での公共性は高評価である。

議論の歴史性 (高)

 鍼灸の起源については論理性の項目で少し触れたが、現代日本における鍼灸については明治時代以降、特にその議論が活発になる。
 明治政府による医療制度の西洋化によって鍼灸医療(漢方なども)は衰退の道をたどる危険性があった。そこで、従来の古典的なツボ治療から、一定のシステムをもった治療体制が構築される必要があった。そのような動きの中で、たとえば1952年以降の「経絡論争」といった運動や、経絡を客観的に実証しようとする研究と、経絡以外に鍼灸医学の基礎を確立しようとする研究などが盛んになり、一つの医療システムとして、客観性を重視した議論が形成されていった。
 また、1960年頃になると、臨床現場における鍼灸治療の方法論として現代医学的な病態を明確にして、病態に応じた治療を選択するといった提案がされるなど、現代医学の知見を取り入れたり、それと連携する動きも活発になっていった。他にも、治療効果における統計的観察を重視するべきであるといった立場が生じたりと、活発な議論が行われてきたことが推察される。 こうした経緯から鍼灸医学システムは大きく、古典派と現代派にわかれることとなるが、両者が全く決別しているわけでもなく、疾患や症例に応じて併用もされている。
 また、現代の鍼灸研究においても、一方通行ではない多面的な議論が展開されている。
 たとえば、WHO(世界保健機関)では鍼灸治療におけるガイドラインを設定し、それによると神経系疾患、運動器系疾患、消化器系疾患、といった多くの疾患に有効であるとの声明を発表している。
 しかし、このWHOの発表については反論も存在する。その代表的な例が「コクラン共同計画」であり、そこではWHOによって有効性があるとして発表した多くの疾患についてプラセボ効果以上のものはないと判断し、一部の限定的な症状についてのみその効果を多少肯定的だとしている。
 また、この「コクラン共同計画」にも多方面から反証論文が提出されており、たとえばBMJで発表されたもの(関連リンク参照)では「コクラン共同計画」で分析されたデータをさらにメタ分析し、鍼灸には効果サイズは小さいものの、プラセボ効果や何らかのバイアスでは合理的な説明のつかない鎮痛効果があるとした研究も報告されている。鍼灸界からも多数反論が寄せられており、それらの研究においてもオープンな場で議論できる土壌が整っている。 つまり、肯定的な研究発表と否定的な研究発表が互いに議論し合っている状態にあるといえる。
 このように、鍼灸については多角的で多面的な議論が展開されており、鍼灸研究においてもそれらを受け入れる、あるいは反論するといったが動きが活発である。
 以上より、議論の歴史性は高いと評価できる。

社会への応用性 (高)

 現在、鍼灸は世界的にも医療として広まっており、さらに社会制度面での設備が整っている国も多い。日本を例に挙げてみると、日本では「はり師」や「きゅう師」、もしくは医師の資格を持っていない者には鍼灸治療を行うことを認めていない。「はり師」や「きゅう師」は国家資格であり、これを取るには専門機関で教育を受けなければならない。
 また、医師による同意書が必要であるが、鍼灸治療において医療保険が適用できる場合もある。日本における鍼灸治療の医療保険適用疾患は「神経痛」、「リウマチ」、「腰痛症」、「五十肩」、「頚腕症候群」、「頚椎捻挫後遺症」、その他の類似する疾患において有効である。このようなことから、例えば日本での社会への応用性は高いと評価できる。
 また、世界的な制度や設備についても同様の評価ができる。例えば、医療衛生面や医療機器面において、FDA(アメリカ食品医薬品局)やWHOによって鍼灸に使われる「鍼」や「灸」の衛生面や安全性について細かく規定している。これは通常医療における衛生面や安全性のガイドラインと比べても同程度の厳しい基準である。
 以上のようなことから、鍼灸治療は社会的にも応用性があり、さらにそのための枠組みも整っていると考える。よって社会への応用性は高評価とする。

総評

発展途上の科学

 鍼灸治療を疑似科学とする根拠はなく、また社会的な実用性という観点からも科学として評価されるべき項目であるといえる。
 代替医療の研究分野では、主に懐疑論者が中心となって、「その医療行為」においてのみで有効性を評価しようとする動きがみられる。しかし、医療行為においては他の自然科学分野とは異なり通常医療も含めすべての医療行為を相対的に評価し、その効果を検証しなければならない。それは、医療とは人体の科学であること、現代の通常医療は「万能」ではないこと、そして「健康状態」を定義する基準は何であるかということ、を常に前提として考慮すべきだということを意味している。
 鍼灸治療において、その研究方法、社会への還元、法的制度は現代科学的研究の基準に達していると判断でき、他の科学研究領域と比較しても遜色のない水準であると思われる。
 以上を踏まえ、本研究において鍼灸治療は「科学」と評価できる。だが、経絡やツボを主体にした理論については、今後現代化が求められることだろう。

参考文献:

『図解 鍼灸臨床手技マニュアル』 尾崎昭弘
『エビデンスに基づく腰痛症の鍼灸医学』 全日本鍼灸学会
『臨床鍼灸学を招く―科学化への道標―』 西條一止
『臨床 鍼灸治療学』 西條一止
『代替医療のトリック』 サイモン・シン
季刊『理科の探求』左巻健男 2015春号 特集 ニセ科学を斬る!リターンズ p50-109(p80-85)
『新しい鍼灸診療』 北出利勝/編
『代替医療&統合医療 イエローページ』 上馬場和夫
『鍼灸の歴史』 小曽戸洋 天野陽介
『ハリソン内科学 第4版』 福井次矢、黒川清/監修

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

(最終更新日時2015年8月22日)

投稿

投稿&回答

・針研究における科学性の最終論
病院とタッグを組み針を医学的に研究する大学側は「より客観性をもった科学的根拠ある学説を」と主張する。なぜなら巷には多くの迷信や紛いに似たヘンテコ医業も存在する。そのためには科学的根拠の確立が大切というスタンスである。これらは医学モデルに沿った実施である。
一方、巷の一般的なセラピストは、医学モデルに沿わない症例ばかり多く扱う。もっといえば「教科書や研究どおりの患者なんていない」わけで、非医学モデルに日々向き合ってるわけだ。患者の声も「医者の薬じゃ良くならなかった」これは誰もがほぼ必ず聞く訴えだ。そういう時代になった。
ここに両者の交通不全が存在し、研究側の主張には誤謬がある。構造は結局「彼らが研究すればするほど、迷信ヘンテコ商売がさらに世にはびこる」のである。研究する側と、網目くぐって儲けたい側とは(オモテムキ主張が真逆で互いに犬猿かもしれないが)じつは表裏一体なのである。
研究者側は、啓蒙だとか、資格者のためだとか、業界や社会のためだとか。色々と大義を語るが、安易にそう言えないのである。(要人には善人もいるから申し訳ない限りだが)
紛い物(者)は、幹に枝葉を生やしてみずから逃げ道をつくり分岐する。すなわち、かなりしぶといのだ。研究側の啓蒙活動とやらは、より一層、紛いや悪しき療法を拡散させるといったロジックを既に内包してしまっている。なぜなら、針研究は、医学を模倣した研究しかして来ていないからである。

それらを今までの理論(古典やその他伝承のもの)と、昨今の理論(◯◯エビデンスや◯◯理論仮説など)、そのどちらか一方を選択しなければ成立しない今の時代のこの事態は、研究者らの大敗でもある。計画が悪かったか、怠慢だったか。簡単に後戻りもできない。
針のエビデンスは、一部分を示す科学的根拠でしかなく、どの主張も大事なことを何も教えてくれない。科学を模倣しつくりあげている証拠だから説得力に乏しい。それらをただ単純シンプルに画一的に取り扱える便利な道具であるだけだ。実際こそ、すなわち、非医学モデルにあたるこの日常こそは、まぎれもなく複雑系である。線引きは相当むずかしい。

私は、ではいったい何を判断の材料にしているかというと、納得のいくまで説明し何をどこまで応えてくれるか、だ。そしてひとまずの安心と見通し、さらには展望を的確に与えてくれるかどうか、だ。できれば施術料以外の部分でも。

(投稿者:Rejoice21,投稿日時:2018/04/13 16:37:39)

(回答日時:2018/04/17 12:42:34)

医者が施す服薬や手技は、その導入実施以前にまずは研究成果によるものだろうと思う。
一方、代替療法の各施術者にとって、一定水準を充たした方法ならば研究成果によらなければならない本来的な理由はない。資格として認可されていて、その範囲内で実施するだけだ。各手技にどのような効果があるのか、何に効くのか、効かないのか。それらを検証した客観的指標のようなものが付随されていれば理解を助けるものの、実践行為自体に、特に(医学的に)大きな問題があるということではない。
また、痛みが消失したり和らぐことや、ある種のリラクゼーション効果、養生への期待度、自身の身体への(東洋的な面からの)関心度、こういったことは研究成果によって明らかになったことではない。
これらは長い年数と(1回の臨床研究のn数などよりももっと)膨大な人数における経験的事実なのではないだろうか。ゆえに、研究的事実とは大きく異なるものであるように思う。

両者間の事実を、どうしても研究行為によってドッキング【したかったり】、つなぎ【たい】のであれば、物質的な精密検証でしか研究手段はなく、今のところそこが明らかになるような可能性をもつ機器はこの世にない。技術精度に限界がある。
またそれらをもし研究的事実によって書き換え、一掃【したい】のであれば、当然得るものより失うもののほうが大きいことは自明で、時代が進むほど【研究することが客観性があり社会的に正しい】という時流のもと、構築されたストックデータはさらに縮小化することに他ならない。
答えは2つで、工学面で自身で機器の開拓するか、次の時代の到来を待つか、どっちかであり、それ以外の研究事業にさほど明瞭な意義はもたせられない。そうであるから、そもそも余計な研究を乱立しボコボコ思うままに実施できるような分野では到底ないということだ。

(投稿者:Rejoice21,投稿日時:2018/03/25 09:07:14)

(回答日時:2018/04/04 15:12:36)

http://shinkyu-net.jp/archives/1784
良い例なので載せておくことにする。議論の対象は、抗がん剤による「副作用」に付随する【各身体症状】にたいしての針効果の検討である。客観的見解から見ても、身体症状におけるあらゆる痛みに、針はあるていど効果的なのだから、それらにも応用可能な適応範囲内ではあるだろう。
しかし、こういう議論が進むほど、しばしば保守側が『針すると、がんが消失・縮小する』『スキンリカバリーによって抗がん剤による皮膚炎などが良くなる』『針してるグループのほうが予後が良い』『がんに効果的な代替療法』『針していると、血液マーカが安定する』といった一見正しそうだが、大きく誤謬のある医療研究のほうへ過度に傾倒していくものだ。
こうなると、はじめの「痛みをとりのぞくための施術」という出発点をもはや忘れ、流行り廃りがあるマネーチャンスのみのトレンド研究的キーワード化現象に陥る。
私がずっと言ってることは、この【研究謳い(養生的形容詞の作成)のための研究】をやめたほうがいいという事である。【どう良いのか】【どれほど効果的か】針施術を医学的に検証することにおいて、こういった形容幅をどれだけもたせることができるかということについて研究する必要性は全くない。
(投稿者:Rejoice21,投稿日時:2018/03/22 21:40:55)

(回答日時:2018/04/04 15:12:22)


>内容的には、伴侶動物に対するはっきりとした効果を検証するには
>プラセボ群を設定した比較試験が必要でしょうか

薬品でもプラセボ群と比較しなければ、
効果を検証できませんから、プラセボ群(刺激の弱い円皮鍼など)を設定する必要はあると思います。

>また、文献内の測定項目「元気消失」については、
>だれが見てもはっきりとした変化みたいなものがあっ>たのでしょうか。
>評価方法が「飼い主による観察」だと主観的すぎるよ>うに思えるのですが。

元気消失のはっきりとした変化は、恐らく元気消失の直前の文章、
「乗車あるいは乗船中の嘔吐や流涎の有無」が一つの指標となっているのではないでしょうか?
(個々の犬に特有なその他の指標もあるのかもわかりませんが…)「嘔吐や流涎」といったはっきりとした症状がありながら、“元気ハツラツ”は有り得ないので、ある程度の目安になると思います。
診断は、そこ(部分的、具体的症状の確認)から入って、犬の全体的な容態を観察し、飼い主や獣医の方々は、
総合的に元気消失と判断しているのではないかと思うのです。

>乗車あるいは乗船中の嘔吐や流涎の有無,
>元気消失といった一般状態を飼い主
>が観察し,その観察結果を獣医師が聴取し評価した

>指圧やマッサージも広い意味で鍼による刺激と「同等」とみなせるかもしれませんね。
個人的にはそう考えています。
特に指圧の場合は鍼と同じようにツボを圧迫刺激することから、鍼に近い要素を感じています。

(指圧のツボ)
http://www.kenko.gr.jp/tsubo/
(猫の経絡)
http://blog.livedoor.jp/maguro6/archives/51539763.html

経穴とは何か佐々木 和郎
鈴鹿医療科学大学 鍼灸学部 鍼灸学科
http://www.suzuka-u.ac.jp/information/bulletin/pdf/2013/13-02-sasaki.pdf#search=%27%E9%8D%BC+%E3%83%84%E3%83%9C+%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%27
(投稿者:ジュウレンジャー,投稿日時:2018/03/18 23:01:23)

コメントありがとうございます。
>元気消失のはっきりとした変化は、恐らく元気消失の直前の文章、「乗車あるいは乗船中の嘔吐や流涎の有無」が一つの指標となっているのではないでしょうか?
――確かに、文献を読む限りだと、これを基準にしているようですね。なので、
>診断は、そこ(部分的、具体的症状の確認)から入って、犬の全体的な容態を観察し、飼い主や獣医の方々は、
総合的に元気消失と判断しているのではないかと思うのです。
――おっしゃる通りだと思います。「何らかの標準化された尺度があるのかな?」と少し気になったので先のような回答をした次第です。丁寧にお答えいただきありがとうございます。また、
>(猫の経絡)
http://blog.livedoor.jp/maguro6/archives/51539763.html
――猫の経絡がこんなにも詳細に理論化されているのは知りませんでした。面白いですね。
(回答日時:2018/03/20 16:32:42)

【皮膚面】を手でさすろうが、押圧しようが、指でつねろうが、同じ物理刺激だ。しかし針だけは、一応【体内に】まで物理刺激(痛みや押圧刺激)を加えることができる手技だ。刺さない針などであれば、おそらくマッサージ師のあん摩手技と刺激は同じ部類だ。
【体内に】(=体表面から僅か数センチの組織・膜構造に)、一体なにか未知のものや機能があるのか、それがいわゆるツボの効果の一端に関わる何かなのか、それはわからない。現在までで、その部分の説明づけを担ってきたポリモ受容器でさえ、理論仮説は相当に脆弱である。確固たる説得力をもたない。【皮膚面】でも【体内】でも、ありとあらゆる場に存在することが予想され、ありとあらゆる刺激に応答するからだ。そして受容器は間接的事実から存在を想定し、理論設定したものだ。要は【存在してるテイで】話を進めてるのだ。この点は【ツボ】も同様であろう、あるかないかわからんが【とりあえずあるテイで】運用しているのだから。科学も古典もまるで同様だ。

結局、研究を進めていくと一般的に、刺激入力総量がより多いのは、針よりマッサージだろう。与える刺激面積からしてすでにちがうように。だからこの線で、もし比較研究していくとすると、当然マッサージがより効果的であるという結論にいたるのだろう。MRIで見れば一目瞭然かもしれない。針行為よりマッサージのほうに、リラクゼーションや鎮痛にまつわる脳領域が反応としてよく現れるかもしれない。

研究は結局のところ、痛み刺激を体内深部に伝える、という針行為の【核心部分】を、迂回するようにしてしか研究できないのである。その核心部の検証解明にまではどこまでいっても至らないのである。ゆえに、最も科学的なことは行為実践そのものである。研究のほうが科学的水準はむしろ落ちる。この枠内では実践行為のみが最も科学的である。つまり、針は科学的客観性を持たせられない行為であるということだ。
仮にどうしても客観性を持たせたければ【服薬行為と併用した研究】などのように、一定の条件付き枠組みの中で、最大限可能な客観性を確立するための研究、ときちんと明記し、謳わなければならないだろう。


(投稿者:Rejoice21,投稿日時:2018/03/16 03:28:15)

(回答日時:2018/03/20 16:13:07)

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uidelines on Basic Training and Safety in Acupuncture World Health Organization
WHOによる鍼灸教育と安全性に関するガイドライン (翻訳改訂版 2000.4.7)
「『代替医療のトリック』の鍼治療の記述に関する問題点」
川喜田健司 全日本鍼灸学会雑誌 2010年第60巻2号252-254
鍼灸文献データベース(JACLiD)
公益社団法人 全日本鍼灸学会
The World Federation of Acupuncture-Moxibustion Societies
WFASのホームページ
補完代替医療ナショナルセンターにおける鍼灸への見解
National Institutes of Health (NIH) 米国保健社会福祉省内国立衛生研究所
“Acupuncture treatment for pain: systematic review of randomised clinical trials with acupuncture, placebo acupuncture, and no acupuncture groups”
Madsen MV, Gøtzsche PC, Hróbjartsson A. BMJ 2009;338:a3115.
“Acupuncture for chronic pain: individual patient data meta-analysis”
Andrew J. Vickers, Angel M. Cronin, Alexandra C. Maschino, George Lewith, Hugh MacPherson, Nadine E. Foster, Karen J. Sherman, Claudia M. Witt, Klaus Linde, Arch Intern Med. 2012;172(19):1444-1453
“Acupuncture for Back Pain A Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials”
Edzard Ernst, Adrian R. White, Arch Intern Med. 1998;158(20):2235-2241
コクラン共同計画の概要
帝京大学EBMセンター