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鍼灸

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

 本項では鍼灸治療に関して、その科学的研究の姿勢、手法、論文発表などを総合的に考慮し、それを評価する。鍼灸とは、身体に鍼や灸を用いて刺激を与えることにより様々な疾患に対して治療効果を与える医療技術のことを指している。
 本項での総評では、医療技術という観点に立った臨床現場でのエビデンス、鍼灸の技術面における科学研究の信頼性を重視する立場をとっている。また、本研究は鍼灸治療における個別疾患への有効性を議論の主戦場とはせず、鍼灸治療分野全体における科学研究について評定するものとする。よって本研究における各評定項目における評価が個別疾患における有効性をそのまま保証しているわけではない。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 (中)

 鍼灸治療における論理体系は古代中国の春秋時代、あるいは戦国時代にその初期の体裁が整えられたと考えられている。それによると、人体には経絡という人間の生命力が流れる道が存在しその道の流れが何らかの形で妨げられると健康状態でなくなる、つまり病的状態になるといわれている。そこで、鍼や灸を使い経絡上にある各症状への適切な経穴(ツボ)を刺激すれば経絡における生命力の流れが取り戻せ、症状が恢復する、というのが鍼灸における初期の理論である。現代の鍼灸医学においても大筋ではこの論理を踏襲している。
 このような理論においては、人体に経絡というものを想定し、さらに各々のツボがどのような症状に対して有効なのかを仮説検証しなければ論理的とはいえない。しかし、どのツボがどの症状に効果があるといった論理は歴史的逸話に基づいた経験的な主張でしか語られておらず、そのような意味においては鍼灸の論理性は低いと言わざるを得ない。
 ただし、現代の鍼灸医学では神経科学的な知見も取り入れており、例えば鍼灸の脊椎後角鎮痛作用におけるゲートコントロール仮説といった有力な新しい説も提唱されている。このように、トップダウン的な論理構築だけでなく、実証主義に基づいた論理体系の構成も現代鍼灸研究には見受けられる。
 鍼灸の臨床現場においては経絡やツボといった考え方がまだ主流である、という社会的な現状については一言を付さなければならないが、基礎研究領域では合理的な論理体系が形成されつつあるという評価ができると考える。よって、論理性は中程度と評定する。

理論の体系性 (中)

 論理性項目でも述べたが、鍼灸では経絡と経穴(ツボ)といったものを想定しており、これは現代の解剖学的知見とは相いれない主張となっている。そのため、経絡やツボという概念が新たに現代科学で認められない限り体系性は高くならない。しかし、現代の鍼灸研究では神経科学的知見も積極的に取り入れており、そのような面から論理が構築できれば現代科学との整合性もとれ、体系性も高評価となる。現状ではまだ体系性が十分でないため、ここでの評価は中程度とする。

理論の普遍性 (中)

 客観性項目でも少々述べたが、鍼灸治療においては個人による効果サイズのばらつきが非常に大きい。そのため、厳密な研究体制が整っていても「誰」の「どのような疾患」まで鍼灸の有効性を示すことができるかを一般化するのは困難であるといえる。このことは、WHO、「コクラン共同計画」、医学誌論文、鍼灸学誌論文、他の学術論文において特定疾患への有効性やその効果サイズが異なっていることからもわかると考える。現在までのところ、どの研究における鍼灸の有効性が最も妥当で信頼性が高いかについては各方面で議論が続いておりまだ決着していない。そのため、本研究における普遍性評価も、どの研究を支持する立場をとるかによって変動しうるため暫定的なものにならざるを得ない。
 つまり、鍼灸治療全体の理論としては普遍的なものではないものの、ごく一般的な病態に対して有効性があり、そのような意味においては普遍性があると評価できる。以上の立場から普遍性を中程度であると評する。各研究を包括し、効果サイズ、疾患、患者を特定した発表を今後期待したい。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 (高)

 鍼灸治療におけるデータの再現性は、その評価が非常に困難であるということをまず前提として述べる。それは、鍼灸治療における「特定」疾患への有効性を、データの再現性という観点からはとらえにくいと考えるからだ。鍼灸治療においては、その有効性の効果サイズが個人によって大きくばらつくということが原因であると考える。例えば、大筋では鍼灸治療に懐疑的な立場をとっている「コクラン共同計画」においても腰痛、頭痛には多少前向きな報告がなされている。しかし、それとWHOや鍼灸学界、さらに言えば臨床現場で報告されている有効性では効果サイズがそれぞれ異なっており、データの再現性という意味において個別疾患への有効性に焦点をあてた場合、現状では評価が困難であるということがわかる。
 ただし、鍼灸治療全体を俯瞰した場合、研究報告の発表バイアスを考慮してもその有効性にはデータによる裏付けが繰り返しなされている。つまり、鍼灸治療研究全体においてはデータの再現性が十分であるといえ、論文発表なども極めて充実しているといえる。本項冒頭で述べたように、本研究においては個別疾患における有効性を評価の基準とはしないという立場をとっている。そのため、鍼灸治療研究全体におけるデータの再現性は高いと評価する。

データの客観性 (高)

 上でも述べたが、例えば「全日本鍼灸学会」や「WFAS」に論文投稿する場合、利益相反の有無の記載が義務付けられており、鍼灸研究において、権威による断定や市場利益を優先した研究は排除される仕組みとなっている。
 また無作為化対照実験の有無についても近年の研究報告は主観的効果を認めない実験デザインをしており、研究環境としても問題は見当たらない。これはWHOによる鍼灸治療のガイドライン声明や、そこでの無作為化対照実験の研究対象をさらに厳しく厳密化した「コクラン共同計画」において確認することができる。WHOにおける声明ではかなり広範囲において鍼灸治療の有効性を認めており、より厳しく分析している「コクラン共同計画」においても頭痛、腰痛、化学療法を原因とする吐き気、首の疾患、夜尿症には多少肯定的である立場をとっている。よって、本研究におけるデータの客観性も高いと評価し、すなわち現代の鍼灸研究は極めて客観的だと位置づけられる。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 (中)

 現在、鍼灸治療の効果に合致した形での研究や実験が主流であり、実際にそれに沿ったデータが収集されている。また、そういった厳密性を鍼灸界ではむしろ求めており、理論面を充実させる体制もできつつある。
 ただし、臨床現場(すべてではないが)においては、そのような認識とはまだ少し距離があるのが実態であり、治療効果について患者の主観に依るものも多い。

理論によるデータ予測性 (中)

 鍼灸における研究は他の医療分野と比べても遜色のないほど盛んに行われており、その方法論や研究体制にも特に問題点は見当たらない。鍼灸理論の普遍性における課題は残っているものの、鍼灸に何らかの鎮痛作用があるということには現状疑いの余地はない。  
 ただし、「夜尿症」といった鎮痛作用のみでは説明のつかない症状に対しても鍼灸研究では有効性を示すデータが報告されているため、「データの再現性」といった面からは認められるものの、そのような有効性に「理論」が追いついていない状況となっている。今後は理論面での整備が必要となってくるだろう。
 以上のような理由により、鍼灸治療のデータ予測性も中程度と評価する。

社会的観点

社会での公共性 (高)

 鍼灸では臨床現場での成果だけでなく、研究を社会的に発表、還元する制度も世界的に整っている。日本を例に挙げると、「全日本鍼灸学会」「日本鍼灸師会」といった学会が積極的に活動しており、研究論文などの発表なども定期的に行われている。他では、ドイツにおいても鍼灸が一部正統医療として“定義”されていたりと、社会的、公共的な仕組みとなっていることがうかがえる。
 世界的には「WFAS (The World Federation of Acupuncture-Moxibustion Societies)」が中心的組織として活動しており、各国の研究機関での成果がそこに集合している。また、「全日本鍼灸学会」「WFAS」では論文投稿時における査読、利益相反関係の有無、といったことを細かく規定しており、制度上の問題も特に見当たらない。さらに、BMJ(British Medical Journal)など本流医学誌での質の高い鍼灸研究論文発表もみられ、医学会との親和性も高いと判断できる。よって、社会での公共性は高評価である。

議論の歴史性 (高)

 鍼灸の起源については論理性の項目で少し触れたが、現代日本における鍼灸については明治時代以降、特にその議論が活発になる。
 明治政府による医療制度の西洋化によって鍼灸医療(漢方なども)は衰退の道をたどる危険性があった。そこで、従来の古典的なツボ治療から、一定のシステムをもった治療体制が構築される必要があった。そのような動きの中で、たとえば1952年以降の「経絡論争」といった運動や、経絡を客観的に実証しようとする研究と、経絡以外に鍼灸医学の基礎を確立しようとする研究などが盛んになり、一つの医療システムとして、客観性を重視した議論が形成されていった。
 また、1960年頃になると、臨床現場における鍼灸治療の方法論として現代医学的な病態を明確にして、病態に応じた治療を選択するといった提案がされるなど、現代医学の知見を取り入れたり、それと連携する動きも活発になっていった。他にも、治療効果における統計的観察を重視するべきであるといった立場が生じたりと、活発な議論が行われてきたことが推察される。 こうした経緯から鍼灸医学システムは大きく、古典派と現代派にわかれることとなるが、両者が全く決別しているわけでもなく、疾患や症例に応じて併用もされている。
 また、現代の鍼灸研究においても、一方通行ではない多面的な議論が展開されている。
 たとえば、WHO(世界保健機関)では鍼灸治療におけるガイドラインを設定し、それによると神経系疾患、運動器系疾患、消化器系疾患、といった多くの疾患に有効であるとの声明を発表している。
 しかし、このWHOの発表については反論も存在する。その代表的な例が「コクラン共同計画」であり、そこではWHOによって有効性があるとして発表した多くの疾患についてプラセボ効果以上のものはないと判断し、一部の限定的な症状についてのみその効果を多少肯定的だとしている。
 また、この「コクラン共同計画」にも多方面から反証論文が提出されており、たとえばBMJで発表されたもの(関連リンク参照)では「コクラン共同計画」で分析されたデータをさらにメタ分析し、鍼灸には効果サイズは小さいものの、プラセボ効果や何らかのバイアスでは合理的な説明のつかない鎮痛効果があるとした研究も報告されている。鍼灸界からも多数反論が寄せられており、それらの研究においてもオープンな場で議論できる土壌が整っている。 つまり、肯定的な研究発表と否定的な研究発表が互いに議論し合っている状態にあるといえる。
 このように、鍼灸については多角的で多面的な議論が展開されており、鍼灸研究においてもそれらを受け入れる、あるいは反論するといったが動きが活発である。
 以上より、議論の歴史性は高いと評価できる。

社会への応用性 (高)

 現在、鍼灸は世界的にも医療として広まっており、さらに社会制度面での設備が整っている国も多い。日本を例に挙げてみると、日本では「はり師」や「きゅう師」、もしくは医師の資格を持っていない者には鍼灸治療を行うことを認めていない。「はり師」や「きゅう師」は国家資格であり、これを取るには専門機関で教育を受けなければならない。
 また、医師による同意書が必要であるが、鍼灸治療において医療保険が適用できる場合もある。日本における鍼灸治療の医療保険適用疾患は「神経痛」、「リウマチ」、「腰痛症」、「五十肩」、「頚腕症候群」、「頚椎捻挫後遺症」、その他の類似する疾患において有効である。このようなことから、例えば日本での社会への応用性は高いと評価できる。
 また、世界的な制度や設備についても同様の評価ができる。例えば、医療衛生面や医療機器面において、FDA(アメリカ食品医薬品局)やWHOによって鍼灸に使われる「鍼」や「灸」の衛生面や安全性について細かく規定している。これは通常医療における衛生面や安全性のガイドラインと比べても同程度の厳しい基準である。
 以上のようなことから、鍼灸治療は社会的にも応用性があり、さらにそのための枠組みも整っていると考える。よって社会への応用性は高評価とする。

総評

発展途上の科学

 鍼灸治療を疑似科学とする根拠はなく、また社会的な実用性という観点からも科学として評価されるべき項目であるといえる。
 代替医療の研究分野では、主に懐疑論者が中心となって、「その医療行為」においてのみで有効性を評価しようとする動きがみられる。しかし、医療行為においては他の自然科学分野とは異なり通常医療も含めすべての医療行為を相対的に評価し、その効果を検証しなければならない。それは、医療とは人体の科学であること、現代の通常医療は「万能」ではないこと、そして「健康状態」を定義する基準は何であるかということ、を常に前提として考慮すべきだということを意味している。
 鍼灸治療において、その研究方法、社会への還元、法的制度は現代科学的研究の基準に達していると判断でき、他の科学研究領域と比較しても遜色のない水準であると思われる。
 以上を踏まえ、本研究において鍼灸治療は「科学」と評価できる。だが、経絡やツボを主体にした理論については、今後現代化が求められることだろう。

参考文献:

『図解 鍼灸臨床手技マニュアル』 尾崎昭弘
『エビデンスに基づく腰痛症の鍼灸医学』 全日本鍼灸学会
『臨床鍼灸学を招く―科学化への道標―』 西條一止
『臨床 鍼灸治療学』 西條一止
『代替医療のトリック』 サイモン・シン
季刊『理科の探求』左巻健男 2015春号 特集 ニセ科学を斬る!リターンズ p50-109(p80-85)
『新しい鍼灸診療』 北出利勝/編
『代替医療&統合医療 イエローページ』 上馬場和夫
『鍼灸の歴史』 小曽戸洋 天野陽介
『ハリソン内科学 第4版』 福井次矢、黒川清/監修

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

(最終更新日時2015年8月22日)

投稿

投稿&回答

・お願い
もし科学論理の有識者が集まる外部第三者的機関として、この教室が機能するのなら「針灸療法における社会公共性」の項目を今一度見直してもらいたい。
実際に昨今業界で問題になっていることが「痩身」「美容」に関する業務拡大についてだ。現時点まで、直接的な医学的効果を示す文献や見知は存在していない。

それだけでなく、無資格施術ワーカーは(医学的に効果が明らかでないのだから)「接触するだけの刺さない美容針」を行うという。歴史的に、刺さない針(以下 接触鍼)はたしかに存在する。だが、この資格的には、あくまである一部の資格者がおこなう施術「オプション」であり、施術の大半が刺す針を行うだろうし、接触鍼自体の効果に明確な研究は行われていない。
「美容鍼する資格者」と「美容接触鍼する無資格者」とのせめぎあいという構図である。

おそらく現時点の見解でいえば、双方ともに間違っているだろう。美容に関する市場が、ユーザーにとってあまりに期待値に火が付くことで拡大しすぎた。むしろそのユーザーの毎度の声をいくらか諭すようにしつつ、内々で小規模実施すべき施術であったはずなのだ。つまり、それだけを看板にして商売できることはないための線引き壁を用意すべきであったはずだ。

何度も繰り返すが、小顔になるだとか痩せるだとか、健康にまつわる短絡的目的を短期間で叶えるために、この療法があるわけではない。ユーザー各々の「主訴」に応えるための、一定の文化の枠内で提供できる療法があるだけのことだ。プラン化して、施術側でユーザーより先手で「主訴改善コースを提供する」こと自体がどうにも滑稽な話なのだ。


(投稿者:Acu and Mox,投稿日時:2018/10/16 10:49:21)

(回答日時:2018/10/17 16:19:36)


・針研究とその医学的効果についての注意点
昨今の業界内のトップワードを以下に並べる。
「美容」「不妊」「生殖器障害」(いわゆるEDなど)「精子減少」「痩せるダイエット」「断食東洋医学」「小顔」「夫婦クライシス」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いくらかの医学論文を添えることで、効果を意味づける場合も少なくないものの。
「美容養生」の分野:サロン的営業の謳いが加速する一方で、本来の医学的効用(慰安的効用ではなく、物質的効果)には不確かさや不明瞭さが残るという事実がある。

「痩せるダイエット」の分野:現代的なライフスタイルでの身体性追求と、古風な健康養生観念とはもともと相容れないだろう。100年前は肥えた女性のほうをグラマラスとして褒め称えたかもしれない。東洋(的)医学がもつ体系の中には、そもそも“痩せるための”言語要素など微塵も存在していないのだということを喚起しておきたい。
また耳ツボなるものが営業や学会の壇上にあがりつつある。痩せるためにシールするという形式のものだ。世界標準的にはツボは耳内(耳介の中)には存在していない。より正確にいえば、資格業の中では、まだ公式認可は成されていない。

「生殖器周辺」の分野:ものすごく単純化すれば、物理的刺激を生殖器周辺に(あるいは仙骨周辺から針をアプローチ刺入)くわえるのだろう。研究ではありとあらゆる物質を一定効果を示すため指標とするのであろうが、どこかの風営グッズと原理的には変わらないのだろう…物理刺激によって単純膨張するのだ。自律神経系にダイレクトシグナルをうながす効果であるとは極めて考えにくい。
膀胱を例にすればわかるように、構造上自律神経の支配を(生理学教科書が強調する程には)大きく受けていない。むしろ器官自体は単純なバルーン風船構造だ。貯まれば排出する、排出すれば貯める。単純なシシオドシon/off機能だ。器官構造の老朽化までをも、針施術は決してコントロールできないだろう。自律神経がなぜか器官構造をも一定に保つため、さもメンテナンスをおこなっているかのような誤解が学術界隈でも蔓延してる。(そういう専門家も割と多いはずだ)これは心身医学に関わる人間の陥りやすい“思考の癖”だろうと思う。あまりに心身系にたいして自律神経への信頼を寄せすぎている。
おそらく生殖器官に関する神経機構も同様で、心身に影響をつよく及ぼす障害だととらえ、もし神経系に沿ってそれらが緻密に器官をコントロールしていたらば自律神経のほうがすでに疲弊するに決まっている。

要するに私たちは心身医学(自律神経系医学、心と身体はつながっています)をえらく飛躍させて実験してきてしまった面がそっくり忘れられているのだ。
そこには人体の神秘があるかもしれないが、それと同等にグレーゾーンもカオスも多いことを忘れてはならないだろう。ホメオスタシスは生理学上重要な機構かもしれないが、あえて重箱をつつかせないような書き方がされているのが現状だ。
昨今は「針効果をかかげるため」に研究が整備されるような面さえもある。答えがわかりきっている研究をおこなうほど、無意味で役に立たないものはない。21世紀の論文ファクトはすでにコンテクストの中のみ存在するだろう。それは数値でもなければ画像でもない。論文はやがて文脈解釈学へとシフトするにちがいない。数値データや仮説には、ファクトは存在しない。むしろ数値データの“書き方”“見せ方”にこそファクトがある時代に変わった。中身もいくらでも容易にいじくれる。これが「疑似科学」の帰結だ。

(投稿者:Acu and Mox,投稿日時:2018/10/10 07:44:29)

(回答日時:2018/10/17 16:19:58)

なぜ大学系学術の軽薄さが、業界のチンケな営業活動に発展しうるのか。
ある時代を基に、ラット系自律神経による一定の知見が積み上がった中で、物理的療法を用いるあらゆる療法(マッサ、はり、きゅう等)についての現代医学的解釈&相互理解が始まった。
現在のところ、一長一短は存在するが、この業界でのラット系基礎研究に関しては「爪楊枝」と「ステンレス針」のちがいまでを科学することができない。それらは同じ侵害刺激として扱う。であるから、あくまでも刺激に応答する生理的反応を自律神経ベースで物質データを追っていることになる。
病気モデルのラットにしろ、ラット体の神経を探る上でも、間接的実証するために指標となる物質を定め、それを検証することで、効果を実証できる。それが研究の基本的スタンスだ。
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医学研究がそうであるように、動物系で効果のわかった新薬は、さっそく人間に治験という形で用いられる。針でいうところの「針介入の臨床研究」だ。これらの効果判定はラット系にように緻密な物質成分を追うことが難しい。なぜなら人間に現実的に用いることのできる物質判定や自律神経的指標は限定されるからだ。
現在まで針臨床研究は、一般病院に存在する診断に用いる医学モデルで規定された「疾患者」を募って、大規模に服薬併用の中で針研究を実施する。主に、服薬と鍼療法の組み合わせは、ほとんどの疾患に関して「併用することが望ましい」という結果に至っている。
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ある時代を経て(というよりいくらか政治的に?)伝統的な立場、すなわち古典に依拠する療法を続けて来た者たちをどう意味づけるかが問題の焦点になった。上記のようにすべてを科学化すれば、療法はもっと単純化&合理化することができるし、簡素でマニュアル的ないわゆる「エビデンス針」で一新&台頭できてしまうからだ。それでなくとも古典は独断的で解釈にかなり個人差もある。
そこで伝統系は「日本式」ということを、江戸期医文献から得たある種の知恵から「痛くない緻密繊細な針」というものを掲げ、その存続を主張したのである。経絡紛争、古典主義、古典復興、こういうワードが並ぶものはおよそこの線路だろう。そして漢方の腹診術(これは日本で発展した)などを取り入れ、さらに複雑強固化をめざした。この由来があって、いわゆる「ソフトな日本式針」「中国のようには痛くない針」が確立した。実際には、彼らの多くが0.1mmほどの針刺入(肌から針が立たずに寝るほど、ポロッと取れる)で効果があると主張するのである。
そして、臨床研究上、明確にはデータに上がってこない領域をあえて逆手にとることで「皮膚に触れるか触れぬかで接触するだけであっても針効果が現れている」と、自身らのポロッと落ちることもある繊細な針施術を理論正当化したのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現在、来院するユーザーの多くは、針に痛さを求めないし、灸に熱さも求めない、しかし症状の完全消失だけは欲する。といったヘンテコな理想を抱く者が多い。単純にいえば理解不足である。かつ、そこに媚態をカモフラージュした慈善精神に溢れた態度で近づき「ダイジョウブデスカ・オコマリデスカ産業」する資格者が後を絶たない。もともと療法自体が痛い時もあるし、熱い時もある。しかし、それらを排除することは自身の療法をもみずから放棄してることに等しいのではないか。患者のためだといって、訴えに寄り添いすぎていれば、お金はとれるかもしれないが、おそらく症状は取れない。取れた気にはなるかもしれないが。

総じて、この資格の業は、今とてもふわふわした実態の中なのだろう。何を良くしているのか、何のためにやっているのか。まるでわからない。そうなってきてしまったようだ。これは終焉の序章なのだろう。あんちょこな復興、復権では生ぬるい。


(投稿者:Acu and Mox,投稿日時:2018/10/03 06:34:44)

(回答日時:2018/10/17 16:19:17)


「養生」や「健康」に関する微妙な問題

先日、産後クライシスなるものへの(専門家としての一定見解をもつ立場として)鍼灸師からの健康シンポジウムのようなものが開催された件を耳にした。

コンセプトは出産後の夫婦仲に関する、普段互いに言えない言動を吐き出す対話場でもあるらしい。心身の健康にもってこいであるという謳いなのだ。

近年、特に思うことであるが、この資格の業域は一体どこまでなのだ?上記のシンポジウム(多様性の世の中における新たな夫婦の価値観について語る場)と「はり・きゅうに関する業」と、果たして直接何が関係するというのだろうか?ありふれた夫婦仲の、何に鍼灸が介入できようか。それは奢りに近いのではないか。

こういうことを安易に行っていると、厳密な資格がもつ自身の意義を手放すことにしかならないのではないだろうか?また、そういう自負や注意力のない専門家を専門家として世間に立たせて良いのだろうか?

これらは個人的な街や地域の友人夫婦サークルでやればよろしい。全く専門職に関連しないことではないだろうか。リンクを貼る気力さえ失くしてしまった、、、失笑






(投稿者:Acu and Mox,投稿日時:2018/09/26 11:08:19)

ご投稿ありがとうございます。
>(多様性の世の中における新たな夫婦の価値観について語る場)と「はり・きゅうに関する業」と、果たして直接何が関係するというのだろうか?
――正当な疑問ですね。主催側がどういう意図で呼んだのかわかりませんが、一見すると全く関係のないようにみえますね。 (回答日時:2018/09/28 14:20:23)


集客商売のための宣伝行為の問題も浮上するのだが、あまりにも効果や効用を謳いすぎた「ビギナー向けの東洋医学辞典」なる専門に関する事項を、ネット上でおっぴろげすぎてる傾向も目に付く。
なぜ資格にまつわる診断見立てに必要なツール(道具箱)を、ユーザーへ投げる必要があるのか。わかりやすく説明に努めることと、専門内容すべてを「おっぴろげる」事とは、別物であろう。

あるいは最近のトレンド現象は、SNSを介したセラピスト同業者同士の「友達褒め合い忖度」だ。公私の境目がなくユーザー目線でも学生目線でも、いずれにしても社会で通用する専門家の「業」として見る場合に、かなり見苦しい。
見苦しいがこれも昨今の風潮として認めねばならぬ、そういうものだけが通用する市場へとやがて拡大するだろう。もうこの流れにはおそらく抵抗できない。これらを招いたのは、大学をはじめとする学術研究行為の脆弱さに原因の一旦もある。「科学に寄ればここまでわかった東洋医学」こういうことにラベリング、ブランド性を求めた部分から、そもそもの間違いは始まっていたのだろう。9月末にNHKスペシャルがあるそうだ。大事なのは、話題性インパクトよりか、中身内容だ。いつの時代も変わらないものが、そこには必ずあろう。それなくしてはありえないのだから。

(投稿者:Acu and Mox,投稿日時:2018/09/19 13:51:51)

(回答日時:2018/09/27 14:50:40)

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uidelines on Basic Training and Safety in Acupuncture World Health Organization
WHOによる鍼灸教育と安全性に関するガイドライン (翻訳改訂版 2000.4.7)
「『代替医療のトリック』の鍼治療の記述に関する問題点」
川喜田健司 全日本鍼灸学会雑誌 2010年第60巻2号252-254
鍼灸文献データベース(JACLiD)
公益社団法人 全日本鍼灸学会
The World Federation of Acupuncture-Moxibustion Societies
WFASのホームページ
補完代替医療ナショナルセンターにおける鍼灸への見解
National Institutes of Health (NIH) 米国保健社会福祉省内国立衛生研究所
“Acupuncture treatment for pain: systematic review of randomised clinical trials with acupuncture, placebo acupuncture, and no acupuncture groups”
Madsen MV, Gøtzsche PC, Hróbjartsson A. BMJ 2009;338:a3115.
“Acupuncture for chronic pain: individual patient data meta-analysis”
Andrew J. Vickers, Angel M. Cronin, Alexandra C. Maschino, George Lewith, Hugh MacPherson, Nadine E. Foster, Karen J. Sherman, Claudia M. Witt, Klaus Linde, Arch Intern Med. 2012;172(19):1444-1453
“Acupuncture for Back Pain A Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials”
Edzard Ernst, Adrian R. White, Arch Intern Med. 1998;158(20):2235-2241
コクラン共同計画の概要
帝京大学EBMセンター