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有機農業

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

 農林水産省によって定められた定義によると、有機農業とは化学的に合成された肥料及び農薬を使用しないこと並びに遺伝子組換え技術を利用しないことを基本として、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した農業生産の方法を用いて行われる農業のことをいう。
 これにより自然循環機能を増進させ、消費者が安全で良質な農産物を食すための生産法として理解されている。近年の世界規模での環境保護や食に関する関心の高さもあいまって、注目される農業方法である。
 本項目では、有機農業それ自体の評価よりも「神話」的側面を中心的な論点とする。たとえば、有機農業の方が農薬を使うこれまでの農業(以下慣行農業)“よりも”おいしくて、安全であり良質だ、といった主張(社会的通念)などがこれにあたる。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 (中)

 有機農業の概念には不明瞭な点があり、研究者や技術者、農業従事者によって解釈が異なる部分もある。そのためここでは、一般に広く広まっているイメージの「おいしくて良質である」「慣行農業よりも安全性が高い」や、イデオロギー的面の強い「農薬は人体や環境に対して“悪”であり、有機農業は“善”である」といった言説を要点とする。
 有機農業では生物の多様性を利用し、その多様性によって弱い農作物の淘汰や自然選択が引き起こされている点は論理的にも適当な説明であり評価ができる。たとえば天敵農法やコンパニオンプランツ(共栄農法)がそれに当たる(1)(2)(3)。
 しかし、有機農業に期待が寄せられている「有機農業の方が安全で良質だ(おいしい)(4)(5)(6)」という論理には疑問がある。確かに有機農業は「安全」だが、慣行農業も有機農業と「同程度に安全」で良質であるという指摘があるからだ(1)(2)(3)。
 二つの農法の大きな違いは化学肥料や農薬の使用の有無だが、農薬開発の進歩によって、DDTなど人体に害をなすほどの毒性をもつ農薬は、現在では使われていない(2)。より高度な技術開発によって、選択的に害虫のみを駆除し益虫を殺さない農薬も誕生してきており、少なくともレイチェル・カーソンの『沈黙の春』での提言を一部分は実現できているといってよいだろう。
 安全性についても、現在農薬の安全性の試験は少なくとも18種類あり、ADI(1日許容摂取量)などの基準も厳しく定められている(2)。
 また、人間の食する農作物は植物体系の中では非常に弱く、中には人工的な手段なしでは生きていけず、防虫措置や除草措置をとらざるをえないものがあるという問題もある(1)(2)。たとえば、栽培種¹としてのコメがそれに挙げられる(2)。
 野生種のコメ粒は、成熟するとすぐに地面に落ちる「脱粒性」をもっている。これは、鳥害などに遭いにくいという利点があり、稲のもつ防御機構といえる。対して、栽培種は、収穫を前提としているため脱粒性がないほうがよい。しかし、そうすると鳥害の危険性は高まることとなる。また、粒が多くなりすぎると茎が柔らかくなり重量によって穂が垂れ下がるため、柔らかい茎を食べる害虫が付いたり、台風などの自然災害によって発育途上で倒されてしまう可能性も高まってしまう(2)。
 さらに、植物の防御機構という点に目をつけると、無農薬栽培の方が抵抗力の強すぎる作物が育ってしまうといった問題もある(1)(2)。たとえばダイコンが出すアリルイソチオシアネート²は人間にとっても毒性があり、大量に摂取すると肝機能、腎機能障害を引き起こすことも、稀にだがある(2)。そのため、農薬を使い、害虫を防ぐことによってアリルイソチオシアネートの分泌を抑えるほうが、ある意味では「安全」ともいえる。
 これらを出発点にして考えると、人間の手を加えることや農薬などを使うことが必ずしも“悪”ではないということがうかがえる。

1ここでの「栽培種」とは、人間の食用に改造されたものを意味する(2)。反対に「野生種」は基本的に食用には向かない。

2ダイコン独特の辛みの原因物質であり、害虫に対して出す毒物である(2)。

理論の体系性 (中)

 現在の慣行農業では化学農薬により選択的に害虫を駆除するため、人工的な作業によって弱い特定品種でも生き残ることができる。しかし、有機農業においては弱い農作物は害虫などに食べられ、より強い品種だけが生き残ることとなり、進化の過程で防御機構を持たない野菜は淘汰される結果となる。
 また、害にも益にもならない「ただの虫」にたいする影響は、有機農業の方が小さいと考えられている³(1)(2)(3)。そのため、進化生物学の知見に立つと、有機農業の環境多様性への貢献は高いと推測できる。
 しかし、前述したように農作物とは生き残るための毒性を人間が食用(植物の全種数は約25万とされているが、そのうち人間が食料としているものに限ると約80種類となる(7))にするために品種改良をして弱めたものでもあり、有機農業で育つ品種は、栄養価が高くないばかりか、毒性も高いという危険性が推測できる。
 さらに、有機農業言説としてはルドルフ・シュタイナーや岡田茂吉などに代表される精神的・神秘的指導者を標ぼうとしている側面も目立ち(8)、啓発活動として機能している実態も否めない。
 このように、有機農業の理論には、他の分野と整合する主張と整合しない主張が混在している。

3これには異論もあり、確立された意見ではない(3)。

理論の普遍性 (中)

 有機農業の基本的な技術や定義は確立されており、また新たな技術革新への研究も盛んなため産業技術面では普遍性は高いといえる。ただし、有機農業の定義に照らし合わせて、理論的な効果が広く成立するかどうかには、まだ疑問の余地がある。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 (中)

 有機農業がその定義に合致した効果があるのかという研究は盛んに行われており、推進派、慎重派の両方が成果を発表している。海外においては10年単位での養分収支の研究報告がされていたりとデータが集まりつつある(9)。
 しかし日本では、ヨーロッパ諸国と比較して研究面で遥かに遅れを取っており、有機農業運動・活動に依存している部分も見受けられる(9)。

データの客観性 (低)

 有機農業の客観的効果は、農薬を使ったこれまでの慣行農業に比べ、農作物の栄養価が高かったり、体内に残留する農薬が少なかったりする事実によって判定されるべきところであるが、少なくとも日本ではそのようなデータはあまりない。農業全体に対する主に政治的な介在によって、恣意的な結果が報告されやすい土壌にあるのだ(2)(9)。
 また、有機農業による作物は安全で良質という先入観がバイアスとなって、質的調査にも向いていない。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 (低)

 有機農作物自体の残留農薬濃度や、栄養価などは(主に海外の研究ではあるが)報告されている(3)(9)(10)。
 ただし、人体に与える影響との相関はとりにくく、「慣行農業よりも有機農業の方が〇〇である」との言説的側面に対して妥当なデータが収集されているとはいえない。

理論によるデータ予測性 (低)

 たとえば、言説としての”有機農業”と対立し比較されやすい「遺伝子組み換え技術」では、組み込む遺伝子がどんな性質をもつタンパク質をコードしているか、組み込む技術の安全性やリスクはどの程度か、組み込むことによって従来の農薬をどの程度へらせるのかといった、比較のうえで総合的な判断が必要であるが、日本では「遺伝子組み換え」というだけで悪者という印象が形成されており、バランスのとれた議論がなされにくい状態になっている。
 有機農業においても同様の傾向が見受けられ、つまり、適切な理論構築に至っていないため、データを予測、収集することも難しい。

社会的観点

社会での公共性 (高)

 現在の日本では、有機JAS規格という法令が制定され、有機食品のJAS規格に適合した生産が行われていることを登録認定機関が検査し、その結果認定された事業者のみが有機JASマークを貼り、この「有機JASマーク」がない農産物と農産物加工食品に、「有機」、「オーガニック」などの名称の表示や、これと紛らわしい表示を付すことを禁止している。有機JAS規格の基準自体も厳密に規定されているため、社会的な公共性は高いと評価できる。  
 ただし、これはあくまで「有機農業」の方法論に対しての評価であり、中心的言説として取り上げている「有機農業は慣行農業よりも安全だ」「有機農業による生産物は慣行農業のそれよりも栄養が高い」といった主張(社会通念)に対する評価を必ずしも意味しているものではない。

議論の歴史性 (中)

 農薬への危険性を暴露したものとして最も有名な例は、やはりレイチェル・カーソンの『沈黙の春』だろう。これが広まって以降、農薬や慣行農業への見直しが世界的なムーブメントとなっていったといってよい。また、その成果として選択性の高い農薬の開発や、農薬の安全性についての厳しい検査、そして有機農業の有用性が議論されてきた(2)。
 そういう意味では議論の歴史性を高く評価できるが、有機農業への「神話」的側面が評価を下げている(特に日本においてこの傾向が顕著である(9)(10))。

社会への応用性 (中)

 有機農業は本来の定義が若干誤解された形で社会に広まっている。「慣行農業よりも優れている」という言説が“何”を“どのような視点”から評価するかによって異なってくることは論理性の項目などで述べた通りだが、“安全”ではなく“安心”を買うため、つまり一種の「ブランド品」として有機農業を推奨することは評価できる。
 しかし、それ以上の主張、たとえば「有機農業によって地球温暖化問題に貢献できる」「有機農業は環境にも生物にも良い」などに言及すると社会への応用性を必ずしも肯定できない。それは、生産量当たりのエネルギー消費量の面で大差ないことや環境に良いというのが具体的に何を意味しているかが不明瞭であるという指摘ができるからだ。  
 現状、前述のような風潮が随所に見受けられるため、社会への応用性も中程度と評価する。

総評

発展途上の科学

 有機農業と慣行農業では、できる農作物の安全性や栄養価の面など、まだ不明瞭な点が多く、何を強調するかによって評価も異なるため単純な比較はできない。
 しかし、有機農業自体は論理的に破たんしているわけではなく、むしろ合理的で発展性に富んでいる面も多々ある。
 有機農業を疑似科学のトピックとしてあげることには、一般に広く宣伝され通念として浸透している『誤解』に起因するところが大きい。「自然なことは良いことだ」「人工的な化学肥料を使わずに育てた農作物は良品に決まっている」などの主張の核心には、ほとんど信仰に近いものが見受けられるためだ。
 また、農業を、山を切り崩し、森林を伐採し、人間の都合によって自然を改変した『食料工場』であると定義することもできる。慣行農業と有機農業の違いは、農薬などを用いて強制的に弱い作物も生き残らせるか、貧弱な多様性ながらもできるだけその生物進化に身を任せるかの違いであるとするならば、有機農業だからといって必ずしも“善”であるとの結論には至らない。
 有機農業は「手段」や「技術」としてより注目され、活発に研究されるべき言説といえるだろう。そのため、政治的イデオロギーや信仰の中心に置かれないような研究方法の確立と実践が望まれる。

参考文献:

(1)『キレイゴトぬきの農業論』 久松達央
(2)『イラスト図解 農業のしくみ』 有坪民雄
(3)『「ただの虫」を無視しない農業』 桐谷圭治
(4)『有機農業みんなの疑問』 舘野廣幸
(5)『自然に従う生き方と農法ルオム』 ツルネン・マルテイ/石井茂
(6)『スローでたのしい 有機農業のコツの科学』 西村和雄
(7)『生物多様性と農業』 藤本文弘
(8)『有機農業の基本技術』 カトリーヌ・ドゥ・シルギューイ
(9)『有機農業研究年報Vol3 有機農業』 日本有機農業学会
(10)『アメリカの有機農業』 アメリカ合衆国農務省有機農業調査班
『新版 農業問題入門』 田代洋一
『地球温暖化問題への農学の挑戦』 小林久
『イタリアの有機農業の魂は叫ぶ』 ジーノ・ジロロモーニ
『有機農業研究年報Vol1 有機農業』 日本有機農業学会

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

(最終更新日時2016年1月13日)

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投稿&回答

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アーメン (投稿者:光のライトワーカー,投稿日時:2017/10/10 21:10:48)

(回答日時:2017/10/11 11:26:38)

有機農業はそもそもシュタイナー教育から始まっていて,圃場,農場,学校をひとつの生命体(organism)と考えその範囲で閉鎖農業ができるという発想だったと思います.
つまり「人件費タダ」でないと成立しません.
また,ワイン農家では「硫黄による薫蒸」も「ボルドー液の使用」も「伝統的な有機農法」です.
また,亜寒帯の欧州か,人件費が安く,人海戦術が取れる熱帯以外では病害虫で成立しにくいです.
ビオデュナミになると「ワインの澱は新月の夜に下ろす」とか殆んどオカルトの世界です. (投稿者:聞いた話,投稿日時:2017/01/08 20:00:25)

ご投稿ありがとうございます。
なるほど。参考になります。
シュタイナー教育から、どういう文脈をたどって現在の形に構成されてきたのでしょうね。 (回答日時:2017/01/10 10:25:17)

まあ有害な農薬を広くばらまいてた時もありますからね。
対人・環境テロとして敵意がたまってた事もあるんでしょう。

農薬自体は江戸所か紀元前より大分古代から存在して人類が試行錯誤してきたんですが、知らない又は農薬被害にあった人の感覚だと農薬の定義が狭いみたいなんですよね。

遺伝子組み換え
グルテン中毒がはやってますが此は元から分かっていて、飢餓に対処する為に量産性を優先したらしいのですが………
未発見の症状が怖いけれども、自然界でも急な遺伝子組み換えは起こりますし何ともいえないですね。 (投稿者:ナッカ,投稿日時:2016/10/21 06:44:19)

(回答日時:2016/10/21 11:00:09)

江戸時代は無農薬が当たり前でも、生産できて生活できてたわけですよね。
今は土地の栄養が農薬や窒素化合物などによって下がっていることもあるけど、やろうと思えばできなくも無いでしょう。
んまあそれを勧めたのは科学という名の人間のエゴだと思ってしまいますがね。殺虫剤についても、虫を殺して終わりじゃなくて、何故ついてしまったのか?を考えるのが大切なんじゃないのかなって思うのですが。
(投稿者:ミントまま,投稿日時:2016/01/19 00:58:56)

(回答日時:2016/01/27 16:41:40)

「農林水産省によって定められた定義によると、有機農業とは(後略)」この定義は破綻しています。
 分かりやすい例として特定農薬「重曹」があります。販売されている重曹はほとんど化学合成されたものです(近所の販売店数軒で現物確認し表記と単価で判断しました)。もちろん天然の重曹も販売されています。しかし、農水省特別栽培農産物では矛盾を重ね張りしないために「天然の重曹に限る」とは書かれていません。

 明文化され公開されている法律上でさえ矛盾があるのですから、世間一般に自分勝手な有機農業があっても不思議はありません。

 特定農薬を規定する過程で、農水省は「水」を例外にしました。「水」は場合によっては農薬取締法の農薬の定義に当てはまります。「水」を例外にした時の農水省のコメントは無理な言い訳的でしたが、明確に例外を宣言できたことは大変良いことです。
 
 農薬とは何か?を説明する時、「水は農薬として使えます」というのも一つの方法です。宗教的(もしくは哲学的)な有機農産物狂信者にもこの水の例は納得してもらえます。水を例にして、何を基準にして安全と言うのか掘り下げると、有機農産物へのこだわりが減ると私は思います。
 
 

 

 
  (投稿者:スー,投稿日時:2016/01/02 11:33:59)

ご投稿ありがとうございます。
おっしゃるとおりです。
「言説」と「農水省による有機農業の定義」はかけ離れているのが実態だと思います。
そういう意味で、評定内にも誤解を招く記述が多々あるかと思います。また、科学コミュニケーションの研究として、「専門知識」を有している方々の「この記述はこのように書き直したほうがよい」などのご指摘も歓迎しています。ぜひよろしくお願いいたします。 (回答日時:2016/01/13 17:01:41)

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