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手相術

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

 手相術とは、ヒトの「手」に着目し、そこからその人物の性格、未来、運命といった事柄を予測するといった言説である(1)。本項目では、基本的にはそのような概念を踏襲しつつ、かつ、指紋や疾患などといった手相術の本流からは少し逸れた意味についても概観する。また、手相術についての起源は様々であるが、その区分においては一応、西洋手相術を評定の基盤に置きつつ、言説全般における一般例を紹介する。
 つまり、未来予測といった本来の定義に沿ったものを対象とし、後の各項で述べるような“手の科学”という広い意味における手相術は、中心的な評定対象とはしない。
 さらに、手相術にはアート(技術・芸術)や文化としての意味も強いが、それについても評定対象とはせず、そのような文化的な側面への批判的な意味は含まないということも、あらかじめ述べておく。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 (低)

 まず、手相術の仕組みについて簡略的に説明する。手相術では、生命線や知能線など基本的な「線」、占星術の理論に準拠した金星丘や月丘などの「丘」、ほくろや掌の特定の模様などの「印」、などの概念を複合的に考察し鑑定している(1)(4)。
 また、「線」についても、たとえば一般的に生命線の長さ=寿命の長さなどと考えられがちであるが、手相術における生命線は主に“生命力”といったことを意味し、寿命については他の要因なども考慮して鑑定することを前提としている¹(1)(2)。
 しかし、このような手相術の方法論的理論が、果たして性格、未来予測などの言説とどのように接続しているかといった指摘に対する合理的な説明がない。
 確かに、ヒトの「手」あるいは「掌」は千差万別であり、進化心理学でよく知られる2D:4D²といった研究もある。ただし、それらが直接的に手相術の論理性を補強しているわけではなく、説得力を持たせることも困難であるといえる。

1これを手相術の一般的な解釈の方法論に乗せると、たとえば、線の重なり方によって対象者の思考方法を判別できるため、知能線がどのような丘(掌のふくらみ)に向かっているか注意深く観察(生命線と知能線が大きく重なっているかどうか)し、そこから社会的能力の方向性を導き出す。

22D:4Dとは、人差し指と薬指の長さの比較によって男性的な思考の傾向性、女性的な思考の傾向性が見られるといった研究である。

理論の体系性 (中)

 未来予測という意味での手相術は占星術の考え方に準拠しており、そうすることで中世の学問体系において生き残ることができたという歴史学的な指摘がある(1)(2)。そのため、手相術は独創的にその理論を構築してきたのではなく、たとえば「丘」などの考え方も占星術からの転用である。コペルニクスの地動説が受け入れられている現代においては、少なくともこの意味における体系性は低いとせざるを得ない。
 しかし他方では、「手」の特徴と身体の特徴に一定の相関があったとしても他の学問領域を侵しているとはいえず、むしろ何らかの関係性があったほうが“自然”であることは医学的観点、進化心理学的観点からも指摘できる考え方だろう。このような広義の視座によると、手相術の体系性も評価できる。
 ただし、結局のところこれは“手の科学”という意味における評価であり、性格診断や未来予測という源流的な手相術を評価しているものではないともいえるだろう。

理論の普遍性 (低)

 手相術で行われている未来予測や性格分析では、コールドリーディングといった技術が用いられていることもあり、普遍性を装っているのか、そうでないのかを明確に区別することすらできない。
 ヒトの「手」の個人間の差異から何らかの特徴を導き出すという理屈も(一応は)通すことができそうだが、それならば髪の毛や目の大きさ、耳の形など、他のどのような媒体をも利用可能となってしまい、「手」のみに着目し、言説を主張する理由は無い(1)。
 広義の視点に立った“手の科学”について考察すると、医学的、進化心理学的な研究はあるものの、未来予測、性格診断などの本来的な意味における普遍性の補強材料とはならない。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 (低)

 これまでのところ、手相術の再現性が認められるような統計データの集積や研究報告は確認できない(1)。そのため、少なくとも未来予測や性格診断においては、過去の逸話的経験に基づいた主張が展開されているのが現状だ。
 ただし、“手の科学”という観点においては医学的、進化心理学的研究などが報告されており、中には注目すべきものもある。たとえば、指の赤み具合と肝臓疾患の関係性を示唆したものや、チンパンジーの指の形状とその先天的精神疾患との関係性などといったものがある(1)。
 ただし、それらはいずれも手相術の研究成果ではないとの批判もあり、やはり再現性の評価には繋がらない。

データの客観性 (低)

 手相術においては歴史的な経験論を元に未来予測、性格診断などを言説化している。
 しかし、バーナム効果や確証バイアスなどの予断を排除した研究成果は皆無といってよく、“当たっているように見せているだけ”である可能性をどうしても棄却できない。他にも予言の自己成就³といった心理効果、コールドリーディングなどの“技術”によって“当てている”ことが指摘でき、客観性について高評価できる材料がない。

3ある人が、占いなどによって示された理想的な行動や人間像などに“成りたがる”傾向性のことをいう。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 (低)

 無作為化比較対照試験などの精度の高い研究は行われておらず、妥当なデータを収集しているとはいえない。
 手相術を科学的手続きに乗った形で研究するためには多くの指摘を掻い潜らなければならないが、現状、客観性の項目に記述したような批判を躱しているとはいえない。

理論によるデータ予測性 (低)

 未来予測、性格診断における手相術では、どのような人がどのような効果を得られるかについて定式化されておらず、場当たり的なデータしか担保にできない。
 また、再三述べてきた“手の科学”として考えるとデータ予測が可能な研究も行えるのだが(実際に行われている)、それを単純に手相術の成果とするには議論のあるところだろう。

社会的観点

社会での公共性 (低)

 手相術について定期的、積極的に科学研究を行っている団体は少なくとも日本においては確認できない。権威づけられた団体によるトップダウン的な研究体制ではなく、単発的に論文が発表されている程度である。  
 少し古いが、1943年にハロルドとチャールズによって「掌紋学入門」という副題のついた指紋、手のひら、足の裏に関する研究論文が発表された(2)。しかし、そこで言及されているのは歴史的、比較解剖学的、人類学的、生物学的視点からの手の形相へのアプローチであり、源流的な意味での手相術についての記述ではない。  
 現在の手相術は、科学的研究から離れて文化的な意義を確立しているようにも見受けられ、そもそも科学における公共性を論じることすらできない言説ともいえる。

議論の歴史性 (中)

 手相術の根源にあるとされるのは、アリストテレスが「動物誌」にて書いている手相についての記述である。また、アリストテレス自身も手相と人の運命との相関について好意的に扱い、精通していたという主張がある(1)。しかし、実際に「手」について書かれているのはほんの一節にすぎず、アリストテレスが手相についてどれほど考えていたかについては想像するしかない。
 その後、手相術が“科学的な対象(あるいはそれに近い権威的なもの)”として見られるようになったのは中世に入ってからである。天動説が揺るぎない力を持っていた時代における占星術の権威化に依拠する形で、手相術も学問の対象となった。そして、コペルニクスの地動説が受け入れられてからにおいても手相術が途切れることはなかった。
 実証主義的研究においては、20世紀初頭にシャルロッテ・ヴォルフの提言から始まった、手相術の統計調査への展開が注目された。
 しかし、そういった統計学の重要性についても結局「言及」されただけであり、実際の研究報告は皆無に等しい。

社会への応用性 (中)

 現在、多くの手相家では未来予測や性格診断などに関して何かをズバリ言い当てる、という行為は支持されていない(1)(3)。したがって、何らかのアドバイスはするものの、その人の思考や行動を操作しようとするような商業形態については、手相術肯定派の中からはむしろ批判されてすらいる(2)。  
 総じて手相術における科学研究、特に未来予測などの意味での根拠は乏しい。しかし、認知的節約といった利点も挙げることはできる。
 手相術を肯定することによる危険性――たとえば手相家に対する高額な投資など――は多く考えられるが、こと“使える”という意味のみにおいては、一概に低評価を下すこともできない。

総評

疑似科学

 近代までの手相術は古代のアリストテレスの発言を誇張し、そこへ占星術の論理を組み込んだだけの、ある種信仰に近いものであった。中世キリスト教の権威的支配と同調することによって学問として生き残ることができた、という歴史的な経緯を眺めるとよりわかりやすいだろう。
 実証主義的手法が確立されるにつれて、手相術は学問的な地位を失っていくこととなったのだが、そういった方法論の中での生物学分野などの発展が、意外にも手相術にとってプラスに働くこととなる。“手の科学”という意味において学問として復興できる可能性がでてきたからだ。また、未来予測という意味での手相術においても、20世紀に入ってようやく統計学的調査などの手法を取り入れる用意ができてきた。
 しかし、歴史ではなく現代を包括すると、手相術はほぼ完全に文化として根付いているように見受けられ、もはや“科学を必要としなくなった”という評が適当なのかもしれない。  

参考文献:

(1)『世界占術大全』 アルバート・S・ライオンズ
(2)『西洋手相術の世界』 伊泉龍一 ジューン澁澤
(3)『手相の科学』 宮城音弥
(4)『手相の事典』 沢井民三

情報提供、コメント、質問を歓迎します。

(最終更新日時2015年10月13日)

投稿

投稿&回答

連続投稿で失礼します。

手相も評定されているんですね。

私は珍しい?両手マスカケです。横真っ直ぐに。
徳川家康とか有名人に多いそうで、若い頃から期待してましたが
期待に終わりそうです。。

いろんな手相本を読みましたが、ウン十年生きた感想では、
当ってないような気がしますね。 (投稿者:ひまわり,投稿日時:2016/09/08 04:56:30)

なるほど。貴重な体験談感謝いたします。
ご投稿ありがとうございます。
(回答日時:2016/09/12 08:17:22)

約30年ほど手相鑑定を行っております。

記事内にございましたように手相を見ることは、アート分野である、と考えることが簡易かと思いますが、手相鑑定時の観察者と被観察者の詳細データを集積することにより、蓄積された経験知のデータ化が進み、手相術全体のうちより、一部でも科学的に解明できそうなパートが見つかるのではないかと考えております。

手相術全体に科学的な裏付けを見出すことは、現時点では不可能と思いますが、観察者(手相術を使う側)が被観察者の何を見て、どのような判断をくだし、何を行っているのか、という、インプットとアウトプット、手相術使用時および使用後引き続いての観察者と被観察者両者間の相互フィードバックなどに、大変興味があります。

また、私は、手の形と質感、色などから受ける印象を基礎として、線などを追加情報として鑑定の際には、手相鑑定を進行しておりますが、個体による手の形の違いなどは、生物学や遺伝子学とも共通する部分ではないかと考えております。

また、心理学などは、将来的には生物学や物理学的な要件にて説明ができるようになるであろう、とも考えております。

いつの日か科学者の方々が、手相術に関する被験者が必要となった際には、喜んで挙手させていただきたく思います。

人類の文化や芸術のひとつとして長い期間を生き残ってきた手相術の解明が進むことを切に願ってやみません。


(投稿者:松原亜希子,投稿日時:2016/05/30 15:41:03)

ご投稿ありがとうございます。
「手の科学」という意味での将来性はかなり有望かもしれませんね。
実験的な手続きを積極的に行っている研究者がもっと現れてほしいですよね。おっしゃられた通り、なかなか簡単ではないと思いますが……。 (回答日時:2016/05/30 16:42:13)

根拠はありません。
手相による未来鑑定は、手の動かし方でできる後天的なシワの傾向から誰かが顧客から統計を取って完成させたものではないでしょうか? (投稿者:名無しさん,投稿日時:2016/05/14 17:17:06)

ご投稿ありがとうございます。
そうですね。手相術がある程度完成された時代に、統計的思考が人々に身についていたのかどうか、ですね。
現在の統計学は、17世紀~18世紀の政治算術を基礎とされているものですので、手相術とは時代的に整合性がとれないことが指摘できます(『情報時代の到来 「理性と革命の時代」における知識のテクノロジー』(ダニエル・R・ヘッドリク=著 塚原東吾・隠岐さや香=訳 法政大学出版局)。
ただし、直感的に統計的思考をとらえていた可能性(端的に言うと「経験の蓄積」ですが)も考えられますので、仮にそうであるならば、現在の科学的手続きによって検証できると思います。
まぁ、「手相術は「芸術(アート)」であり、そもそも科学を標榜していない」という立場もあるので、科学で考えること自体が野暮な試みであるともいえますが苦笑。 (回答日時:2016/05/16 09:39:29)

手相占いはどうして当たるのですか? (投稿者:swc00)

占い師は、手相を見て会話している間に、見てもらう人の性格や悩みを察知して、それをあたかも手相でわかったかのように話しているのです。

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